髭の親父に耳かきしてもらう話(OL編②)


「お客さん、じゃあ、最後に耳もやるね」

「耳?」

「ええ、耳の毛も剃りますね」

「ああ」


親父の言葉に得心がいく。

いつもいく美容院でもやってもらっていることだ。


「お願いします」


あまり考えずにいつもの感じで私は答える。

だけど、次の瞬間出てきたモノを見てギョッとしてしまった。


「何ですか……それ?」


出てきたものはいうなら細い剃刀だ。

身幅の狭い短い刃物。

それが親父の手に握られている。


「ああ、穴刀あなとうだよ」

「アナトー?」

「ああ、これで耳の中剃るんだよ」


手の中でクルリと短刀を弄び親父は言う。

刃が光を反射して親父の手の中で回るのを見ながら私は呟く。

これまで耳毛の処理をしてもらったことはあるけど、それは耳用のシェーバーを使ってのものだ。

だからこんな刃物を耳の中に入れるなんてちょっと怖い。

だけどさっきの顔剃りの効果もあって、私の中の心のハードルは自分でもビックリするくらい下がっていた。


「やめとくかい?」

「あ……いえ、大丈夫です」

「あいよ」


親父は短く答えると、私に横を向くように指示をした。

リクライニングの効いた椅子で横に向くと耳の穴が天井を向く。

そこへスルッと穴刀が侵入する。

音もなく入り、そして入ったら入ったでゾリゾリと私の耳毛をそぎ落としていく。


「ぅぉ……っ」


もう何度目かも分からないがうめき声が出た。

でも、もう、しょうがない。

だって気持ちがいいんだもん。

何だろう。

耳の中がゾリゾリ。

それされると背中にゾクリと震えが走る。

入れて、くるりと回して、ゾリゾリそぎ落とす。


「あいよ、反対」

「あ……はい」


言われるままに首をゴロンと横にする。

そしてまたゾリゾリ。

うぉっ、これ、ゾクゾクする。

入れて、くるりと回して、ゾリゾリそぎ落として、こうして耳毛の処理は終了した。


「あいよ。これで終わりね」

「は、はい……」


頭がぼうっとする。

何だか未知の経験だ。

そんな私に親父はさらに続けて言った。


「この後、耳かきするお客さんも多いけどね」

「耳かき?」

「そうだね。まぁ、断る人もいるし、どっちでもいいよ。お客さんは初めてだけど、どうする?」


どうするか?

普段の私はどちらかというと慎重派だ。

明日が結婚式じゃなければ初めての店に下調べもなしに入ったりはしないのだ。

だから初対面の親父に耳を触られ、あまつさえ耳かきされるだなんて絶対にやらない。

だけど今宵の私は親父の繰り出す魔性の技にすっかりやられてしまっていた。


「お……お願いします」

「あいよ」


親父は短く返事をすると、落ち着いた様子で耳かきの準備を始めた。

リクライニングの背もたれを傾けるとタオルを私の顔の上にかける。

さっきの蒸しタオルとは違い、今度は普通のタオルだ。

気のせいか、かけたタオルからはお日さまの香りがした。

私はされるがままに身を委ね、頭の隅で最後に耳かきしたのはいつだったか……なんて考えていた。

耳かきは思い出したときにやる程度。

お風呂上りに綿棒でグリグリやるのだ。

前回やったのは1か月くらい前かな?

記憶の糸を手繰り寄せる。

そうこうしている間に耳かきは始まった。



――――ズボッ


いきなりなったのは予想外の音だった。

その轟音に頭の中で「?」が点る。

何、この音??

耳の中から凄い音がした。



――――ゴボリッ



少し遅れて、剥ぎ取られるような、掘り起こされるような音がする。

同時に頭からつま先までツーンとするような快美感が突き抜けていった。


「うぃ……あ?」


おかしな声が漏れる。

だけど今回のこれは本当に仕方がない。

声出ちゃうんだもん。

何しろ今、私が触られているのは身体の内側だ。

鍛えることなんて出来ない人体急所。

そんなとこを棒でグリグリされて堪えないはずがない。


「な、なんか……すごい音がしましたね」

「…………………」


照れ隠しするように私は言うが、親父は何も答えない。

代わりに返事とばかりに耳の中に耳かきを突っ込んでギュルリと中で回転させる。



――――ズゾゾォォ


また来た!

ここはいつもお前が行っているチャラチャラした美容院じゃない。

無骨なおっさんどもが髪を切って帰るだけの散髪屋だ。

黙れ、小娘!

目隠しされているので分からないが親父はきっと目でそう語っているんだろう。

そんな気がする。


「クゥ……ッァ」


えぐられるような感覚に声が搾り出される。

耳の中では鋭利な切れ味を誇る耳かき棒が、私の耳道にへばりついた垢に突き刺さりベギベギと音を立てて粉砕する。

固まった耳垢が柔らかい部分から順番に皮膚から離れていく。

その空いた隙間に耳かきのさじが入り込み、テコの原理を利用しながら一気に剥ぎ取る。

軟骨に張り付いた薄い皮膚は敏感だ。

そこに匙の先端がこすりつけられ、剥ぎ取り、粉砕した耳垢の塊が排出されていく。

ズリズリと引きずり出されていくのだ。


やばい、これ、クセになる!


相変わらず親父は一言も喋らない。

その姿はまさに鬼。

耳かきの鬼だ。

この耳かきの道を極めた職人に言葉など無用なのだ。



――――ガザザ、ザザッ


うわっ、これもまた効く。

まるで耳の穴から脳みそをかき混ぜられているみたいだ。

視界が揺らいで口の奥からよだれがダラダラ出てくるのがわかる。

もはや私の身体は親父の意のままだ。

耳の穴をいいようにまさぐられながら、私は家で待っているであろう飼い猫のしゃもじ顔を思い出した。

そういえばうちの猫も耳をウェットティッシュで拭いたり綿棒を使って手入れしてあげると、心地よさそうに目を閉じて、されるがままに耳を触られていた。

きっと彼もこの快楽を知っていたのだろう。

借りてきた猫の如く、すっかり大人しくなった私は親父の耳かきにされるがままだ。

バリバリ耳垢を粉砕されて、グリグリと匙の中に耳垢を納められ、ズリズリと耳垢を引きずり出される。

それぞれのタイミングで異なる快感が私の耳孔を駆け巡る。


「…………ぁぁ」


バリバリもグリグリもズリズリも気持ちがいい。

意識も何だかぼんやりしてきて文字通りの夢見心地だ……ああ。






「あいよ。終わったよ」

「え……………………あっ?」


気が付けば親父の耳かきは終わっていた。

右耳も左耳もだ。


「どうも……ありがとうございます」


何とかそれだけ答えると、私は会計を済ませて店を出る。

ドアが閉まる直前にカランコロンとなるドアベルの音を聞き、ようやく正気に戻れた気がした。

何だかポカポカあったかくなった耳たぶを触って空を見ると、さっきまで白っぽかった三日月が黄色くなって私のことを笑っていた。


「家……帰ろう」


狸や狐に化かされたらこんな感じなんだろうか?

何だか白昼夢を見ている気分だった。





我が家で飼っている猫は今年で多分3歳くらい。

雉虎の毛並みが見事な雄猫だ。

名前はしゃもじ。

猫とは思えないくらい主人のいうことをよく聞くいヤツだ。

そんな彼を膝の上に乗せながら私はボンヤリとしていた。

TVの中では売り出し中の中堅お笑い芸人「ガリガリボーイ」が食レポをしているが、全く耳に入ってこずに上の空だ。

本当は明日の結婚式の準備とかしないとダメなんだけど頭が働かない。

そんなとき膝の上のしゃもじが「にゃ~ご」と鳴いた。


「え……あ、なに?」


ハッとして膝の上を見る。

するとしゃもじはピンと張った三角の耳をピクピクと動かしながら私のお腹に頭をこすり付けてくる。

そうしてもう一度「にゃ~ご」と鳴いた。

その見慣れた仕草に私はすぐにピンときた。


「ああ、耳の手入れね。いいわよ」


化粧のときにズボラしたのが幸いしてウェットティシュも綿棒も机の上に放ったらかしだ。

私がウエットティッシュに手を伸ばすと膝の上のしゃもじは満足そうに「みゃ~ご」と鳴く。

その様子は「うむ、それである」と鷹揚おうように頷いているようにも見えた。

そんな彼の様子を見ながらふと思いつく。


「そのうちまた行こうかな」


呟いた言葉が現実になるのは1か月と経たぬ出来事だった。


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