第2話 消失

 全身に巻き付いていた粘膜の帯から解放されて、視界が明らかになると佐倉は戦場にでも放り込まれたかと思った。


 黒い灰が降り注ぎ、建物は全て平らになっていて、その彼方に見える地平線は真っ赤に揺れていた。


 灰と黒と赤の世界。

 ここはまさに亡者しかいない地獄の底。


 コンニャク猫だけが隣にいた。


 「……なん……だこれ……」


 抜け殻みたいになって茫然と立ち尽くす。


 「あいつ、マジでやりやがったか。おいガキ、降ってる灰はなるべく吸うなよ。そりゃあマジに身体に良くねぇ 」


 コンニャク猫はひしゃげた鉄骨にちょこんと座って冷静にこの事態を把握。


 「……何がなんだかわけわからねえよ。これは夢……夢なのか」


 「夢じゃねえよ。現実だぁ現実。ケケ」


 コンニャク猫は喋る度に楕円形の小さな穴が開いたり開いたりする。一応あそこが口なみたいだ。


 「マジかよ……これじゃあ街のみんなはもう……あいつ、オレの友達も家族もみんな殺りやがった」


 悲しみと不甲斐なさに完全に打ちひしがれる佐倉。


 「はぁ……とりあえず助けてくれてありがとな。なんかベトベトだけど」


 脇を広げる佐倉。粘液が滴り落ちていく。

 

 「ケケ、はオメーの生命力を吸い取ってフルパワーで逃げただけだけどな! オメーはガソリンって訳だ」


 意気揚々と言うコンニャク猫。


 「なんだそれ!?お前何もんだよマジで。猫なのか? ハムスターなのか?」


 「自己紹介が遅れたが、おではミクトラン。なんて言うか、こんなしてるが特命大使だ。魔法の国の」


 佐倉は「馬鹿にしてるのか」と言いたいところだったが、つい数分前の出来事を思い返すと納得した台詞を言うしかない。


 「魔法の国か……さっきの女は一体なんだ」


 「ありゃあ“魔法少女”ってやつだ。“魔物”から人々を守る正義の味方。元々は只の人間だ。おでら特命大使と契約することで魔法少女になる。謂わば俺らは魔法少女のプロデューサーって訳だなぁ。ケケ。ま、今じゃ廃業だがな。なんせこの世を蝕む“魔物”はもう魔法少女たちが駆逐したんだから」


「魔法少女だけが残ったってわけか。魔法少女はあんな凶暴な連中ばかりなのか」


「気難しい奴ばかりだがあいつは特に特殊だなぁ。アメリカ政府の飼い犬で100年間ずっとでっけぇ冷凍庫に閉じ込められてたんだ。そりゃあ気もおかしくなる。だからと言っては許される行為じゃねえがなぁ」


 ミクトランは焦土と化した街を見渡して苦い顔で大きな息を吐いた


 「なあミクトラン、お前魔法の国のプロデューサーなんだろ? オレを魔法使いにしてくれ」


 まさかの提案にミクトランはひげをピンと真っ直ぐにした。


 「ニャ?」


 「オレはあの女と同じになって、あいつを止める」


 「あいつをほっとけない気持ちはわかるしよー、これ以上魔法少女を作るのもなー。てか、契約の条件は“少女である者”のみだ。残念だがオメーは男——


 「いい、オレのちんこを取れ。魔法の国の大使ならそれくらい出来るだろ」


 佐倉の顔と股間を交互に見て次の言葉に困るミクトラン。


 「……それを思いつくオメーが怖ぇよ。魔法の国の“少女”の定義はたしかに曖昧だからよぉ、なんかいけなくもない気がするが、同じ男として気が引けるぞ」


 「いい!」


 「ケケケ、わかったわかった。アソコを取るのは確かに俺の魔法で出来る。おでにまかせろ。だがこの魔法は一人に対して一回限りの特注品だ。戻せないぞ。本当にいいのか?」


 佐倉の目は真っ直ぐだ。


 「頼む。オレのちんこを」


 「ケケ、オメーの覚悟、心得たぞ」


 ミクトランを中心に青い魔法陣が展開されて佐倉の足元にもそれが及ぶ。


 「これからオメーに雷が落ちる。ビリビリするが一瞬だ。歯ぁ食いしばれぇ」


 真っ赤な空に稲光がぴりぴり裂けて、雷鳴が鳴る。


 「え、雷? ——うわ!」


 そして頭上から稲妻が落ちた。

 光に潰される佐倉。









 光がはけて、防御体制を取っている佐倉が現れた。目をパチパチとさせて『終わった?』と言わんばかりにミクトランにアイコンタクト。ミクトランは頷いた。


 佐倉は事が終わったことを理解し、まず先に股間を確認する。


 「無ぇ……、マジで無ぇ」


 局部は消失していた。


 続いて胸に重みを感じる佐倉。恐る恐る胸部を両手で掴むと、程よい膨らみとお尻みたいな感触が。


 「……んだこれ、おい、おっぱいがあるぞ」


 「ちょっと出力ミスってよ、結構女の子になった。ケケケケケ」

 

 「ざけんなよミクトラン! おいなんか髪も長くねーか!?」


 頭を横にぶんぶん振ると毛先が首にまで当たる。短髪からボブカットに変化していた。それに声の感じも全然違う。女声だ。


 「かんっぜんに女じゃねーか! ちんこだけでいいんだよちんこだけで!」


 「そう言うけどけどよぉ、中途半端なのは後で後悔するぞー。ほらぁこれ見てみろ」


 反省の様子は無くむしろ得意げなミクトランは手鏡を具現化させて佐倉の顔面に突き付ける。


 頬、唇、鼻、目、おでこ、髪——念入りに自分の顔を確認。それから細く白くなった手と脚を眺めて再び鏡の顔を凝視。


 「これオレ……? ……割と可愛いじゃねえか」


 頬を染めて髪を人差し指でくるくる巻き始めた佐倉。


 「ケケ、悪くねぇだろ」


 「……お、おう……いや、まあまあだな。うん。ってかそれよりも魔法少女だ魔法少女!


 両手を後ろに突き出してパタパタさせながら強引に話を変える佐倉。女子化への順応性の高さにミクトランは苦笑いして本題へ。


 「そうだな。今度はおでと契約だ。俺の頭を撫でろ」


 言われた通りにミクトランの頭に手の平を乗せる。やっぱりコンニャクみたいな感触でプルプルしている。なんだか癖になりそうだ。


 「目を瞑って人生を振り返ろ。それから好きなものを思い浮かべて、とにかく楽しいことを想像しろ」

 

 言われた通りにする。


 「よし、ん〜出るぞ!」


 「……出る?」


 ポンとミクトランの尻から黄色の円型な物体が排出された。瓦礫の上に落ちると結構鈍い音がした。それなりに重い物らしい。


 「うわ、なにこれ」


 「“チューナー”だ。要は魔法少女の変身アイテムだ」


 手に取るのに少し躊躇いはあったが仕方なく拾い上げる。やっぱり重い。よく見ると黄色じゃなくて色褪せた金色っぽい。


 「チューナーは人それぞれで違う。オメーのは……んだこれ、金メダルか? とりあえずそれにキスすれば魔法少女に変身出来る。」


 「これにキスするのか!? ……マジかよ肛門から出てきたっつーのに」


 「俺の肛門はファンタジーだ。気にすんな。ケケケ。どうしても気になるなら噛め。歯なら少しマシだろぅ?」


 「んーそれは多分人によるんじゃないか。まあキスは恥ずいから噛む方にするわ」


 「どっちでもええからさっさと変身しな」


 「はいはい」


 佐倉は髪をサっと撫でて、みずぼらしい金メダルを顔に近づけた。


 一旦匂いを嗅ぐと錆び臭さが鼻を刺した。警戒しながら口に運ぶ。舌や頬の内側、なるべく歯以外に当たらないようカバみたいに口を開いてひと噛み。


 全身に電流が走った。


 佐倉の身体は光の粒子に包まれて、赤髪の魔法少女の時と同様ひとつの光の球となり始める。


 「はじまったな。——ん?」


 ミクトランは水晶のような琥珀色の目玉でその変異を見届けるが、これまでとは違うある違和感に気がついた。

 

 光の球を織りなす粒子。本来は白く輝く光の粒だが佐倉の場合は煌びやかな赤色。火の粉だった。


 「ニャニャニャ? なんじゃこりゃ」


 浮遊しながら強烈な存在感と熱を放つ赤い球体。それは火の玉というよりかはマグマの塊に近い。触れれば最後、全てを溶かしてしまいそうだ。


 赤い球体は呼吸をしているかのように膨張と縮小を繰り返し、次第にそのペースが速くなっていく。


  「おいおい、ドラゴンの心臓みてぇーだな」


 残像が見えるくらいに目に止まらぬ速さで伸縮を繰り返し、そして、


 ドーン!


 と爆発して弾けた。


 それから火の粉のベールに包まれた人影が風に吹かれて徐々に姿を露わしていく。


 セーラー服に似た白基調のドレスに身を包み、精巧な人形のような綺麗なフォルム。


 しかしその純白の姿とは裏腹に紫と赤のオーラを纏い火花を散らす。バチバチと焚き火のような音を立てて、この荒れ果てた世界を俯瞰していた。


 ミクトランはこの者が魔法少女というよりも魔王に思えた。


 「オメー……禍々しすぎるぞ」


 とんでもないものを生み出してしまった。と、ミクトランは後退りをしながらも期待と後悔が入り混じったある種の興奮に陥って、眩暈がした。


 ——そのせいでことに気付くのに些か時間を有してしまった。


 「っニャ!?」


 「オレはついてるぜ。ついてるついてる。うん」

 

 勝ち誇った声がする。佐倉の声だ。


 「俺はずっとお前——いやお前らに会うことを夢に見ていた。お前らは都会の鼠やゴキブリみてぇに決して姿を現さないからなぁ。さっきお前が路地の傍らから出てきた時に思ったよ、『こんな窮地に立たないと会えないのか』ってな。まあ細々と人間のフリをしてた甲斐があったってことだ。お前のおかげで今日が記念日だ! が魔法少女の力を得た、復讐開始記念日だぜぇ!」


 ミクトランを右手で掴み、力を込める、ゼリーを潰すように。ぬいぐるみを乱暴に扱う悪ガキの如く邪気のこもった笑顔をしていた。


 そして、ぱんっ! と水風船のように中身をぶちまけながらミクトランの身体は弾けた。飛沫が顔に付いて、なんなら少し口に入って嫌な気持ちだ。「ペッ」とかつてミクトランだった液体を吐いて捨てる。


 「そこでゆっくり休んでな!」


 佐倉はミクトランが再生能力を持っていることは知識としてあった。それには年単位の時間を有することも知っていた。


 「魔法少女にしてくれてサンキューだせぇ。でもお前がいると後々面倒だからすまん! ハハハ」


 ミクトランの残骸にピースサインを向けて、長いお別れを惜しむ。


 そして、未だ形を成している赤髪の魔法少女サラが引き起こしたキノコ雲を見つめ、


 「殺すぜ、原爆クソ野郎」


 不敵な笑みを浮かべて、長指を立てた。

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