明星
夜明け前の銃声で目が覚める。この街では特段珍しいことではない。昨夜仕事が休みだったアタシにはちょっと不快な寝覚めだったが、上層階の街ではこんなのは日常茶飯事、食事や睡眠と同じ、言ってしまえば生活の一部だ。実際、昨夜も何度か銃声に邪魔されて目が覚めた。深い眠りなんて生まれてこのかた経験したことがない。この街では弱いやつが死ぬし、強いやつが生きる。昔に存在していたといわれているサバンナの光景そのものだ。まぁ、それと違うのは、昨日の仲間が今日敵になっている可能性もあるってことくらいか。感情なんてぬるいものに絆されれば、待ち受けているのは死だ。自己保存の法則に従うなら、目の前でアタシに銃口を向けているやつは全員敵だと認識しなければならない。例えばそれが家族や友人であったとしても。
起き抜けに泥水みたいなコーヒーをすすって、ソファに腰を下ろす。今日は事務所に行くのがなんだか億劫な気がした。空が白んできたのは良いが、こんな穴倉からのぞける空には限界がある。そんなことはわかってるし、今の生活にも不満はないんだけれど、アタシはここで一生を過ごすのかと思うと、それはそれで気が重くなる。窓の外に目線を送る。わかってるよ、そんなことは。死ぬのが早いか遅いか、いずれかだ。この稼業をやっている限りは。まったく、仕方ねぇな。最近はこんなことばっかり考える。考えたって結末はきっと変わらない。アタシは、誰に殺されるんだろう。
街の屋台で摂るブランチは、もう何年も変わらない味だ。新規で街に入植してくる人種が減っているのだ。まぁそんなのは当たり前の話で、いまや交易の時くらいしか他の街とは交流しない。それぞれの街でそれぞれの文化圏というものができて何年も経つ。いまさら他の街に移住したとしても、同じような生活を強いられるだけだ。それがわかっていながら、他の街に移っていく変わりものもいるにはいるが、その場合個人の意志じゃなくて、組織的な意図が介在している可能性が高い。要は他の街に移住するのはコストが高くつくのだ。そのコストは個人では――アタシたちが住んでいるような上層の街の住人個人では――まかないきれない。移住の背後で組織や下層部に住む貴族の力が及んでいるのは明白だ。それがなにを意味するのかといえば、簡単に言えば抗争だ。
時代錯誤も甚だしいが、アタシも組織に所属している身として何度も見てきたし、巻き込まれてきた。なにが良いのかわからない美術品をめぐってだとか、趣味の悪い宝石をめぐってだとか。要するに、貴族が動けば組織が動く。昨夜の銃声も、まぁそんな理由だろう。あるいは賞金首がこの街に逃げ込んでいるのか。いずれにしても物騒な話ではある。アタシはこの手の話には首を突っ込みたくはない。そういうのはもっと大きな組織に任せるべきだ。『「卵は一つのカゴに盛るな」と愚かな者は言う。賢者は言う。「卵は一つのカゴに盛り、そのカゴをよくよく見守れ」』。ちょっと考えればわかることだ。身の丈に合わない仕事は、良くも悪くも、割に合わない。
「アンジェ、聞いてるか?」
「聞いてるよ、ジョージ。ただ、気が乗らねぇ」
事務所の空気がいつもより重いのは、アタシの機嫌が悪いせいだ。普段からがさつなのは自覚しているが、今回は特別に気が乗らない。
「アタシに要人警護なんて務まるわけがねぇ」
「うちは小さい組織だ。人員が足りないのはわかっているだろう」
それはわかっている。それにしてもこの仕事はアタシには荷が重い。
「うちで扱う案件なのか? ジョージ」
「先方は事を大きくしたくないという意向だ。その意味でうちが適任だったと判断されたんだ。ギャラも良い。なんの問題がある?」
「そりゃそうだが……」
「アンジェ、なにをそんなに気にしている?」
「お姫様を警護するなんてアタシには似合わねぇって話だ。もちろん仕事なのはわかってるけどよ……」
苦しい言い訳だ。うちの組織ではこんな大口案件はめったに見込めないし、断れないのもわかっている。
「アンジェ、お前の腕を見込んでのことだ。仕事前に左腕の整備もしてやれる。それに業績が良ければナイトになることだってできる」
たしかに最近義手のメンテナンスはできていない。動作不良でも起こしたら仕事どころか命の危険もある。
「ナイトねぇ……わかったよ。降参だ。仕事は請ける。それで、期間は?」
「次のバザーが開かれる間の三日間だ」
一週間後か。交易の間、ということなら貴族との時間も我慢ができる。アタシはどうしても貴族が好きになれない。その理由は単純で、アタシたちが代わりに戦っていることに対して貴族たちは無関心だからだ。大金をはたいて自分の命を買う連中は好きになれない。だが、それが経済を回していることも事実として認めなきゃいけない。おかげでこっちは日々の生活をまかなえているのだから。それにナイトという職業は貴族を専属で護衛する職業だ。栄誉ある職業として上層階の組織連中は常にナイトを輩出したがっているが、アタシは興味がない。
それにしたって誰かを守るのは誰かの頭に鉛弾をぶっ放すよりもはるかに難しい。特に、アタシみたいなタイプには根本的に向いていない仕事だ。
仕事の前日は部屋の屋根の上で星を見ることにしている。ここからどこにも行けないアタシの、唯一の楽しみだ。ここから見えるのは、宵の明星。深くなっていく夜にひときわ目立つ。いまだけは世界にアタシしかいないような、そんな錯覚に襲われる感覚。それが心地よかった。
「ねぇ、あなた」
不意に聞こえてきた声にアタシは飛び起きる。隣の建物の屋根の上。きらびやかなお召し物から察するに、どう見ても貴族だ。
「なにか用かい? お嬢様」
「あの星は、なんと言う名前なのかしら?」
ずいぶん間の抜けた質問だが、貴族様は下階層にお住みだ。星なんて見る機会はめったにないのだろう。
「宵の、明星だ」
「そう。宵の……素敵な名前ね」
「たいそうな星じゃない。ここらへんじゃ珍しくもないしな」
上層階に住んでいれば誰でも見ることができる。アタシたちには特段興味をそそられるものでもない。
「私は星を見ることがなかなかできないの。こういう機会はとっても貴重だわ。教えてくださってありがとう」
「いや、別に……」
「自己紹介がまだだったわね。私はエリザベート。エリザと呼んで。あなたは?」
貴族様から名前を聞かされたのは初めてだ。まぁ、気まぐれからくるお戯れってやつか。
「アタシはアンジェ。よろしく」
「アンジェ……良い名だわ。天使様ね」
エリザは身をひるがえして屋根から飛び降りる。
「おいっ!」とっさにアタシは叫んでいた。この高さから飛び降りるのは貴族様には危険すぎる、というか、訓練でもしてなければ誰だって両足がイカれる。
「平気よ。ご心配ありがとう」
ふわりと着地したエリザが応える。何者だこのお嬢様は。
「また会いましょう、アンジェ。ごきげんよう」
唖然としているアタシから目線を外して、エリザは颯爽と去っていった。上から吹き降ろされる夜風が、エリザのブロンドを揺らした。
「アンジェ、準備はできているか?」
「ああ、おかげさまで義手のメンテナンスも完了した。武器は調達できたのか?」
ジョージは武器庫の鍵を開ける。
「手榴弾五つに、ベレッタ……AKか。どれも純正品だ。上出来じゃねぇか」
「これでも少ないくらいだ。今回の取引現場は闇市場だからな」
「マジかよ……ずいぶん物騒なエスコートじゃねぇか」
「クライアントは下層階で待っている。すぐ向かってくれ」
「わかった。そんで、場所は?」
「下層階の第二美術館の地下だ」
「美術館の地下で闇取引とは……良い趣味してやがる。そんなとこでベレッタなんかぶっ放して大丈夫か?」
「クライアントが撃てと言ったら撃て。地下二階ならば問題はあるまい」
「今回は商売優先か。了解だ」
「エレベーターの搭乗手続きはしてある。後は現場でクライアントと上手くやってくれ。くれぐれも失礼がないようにな」
「わかったよ。じゃあ行ってくるぜ」
ジョージからエレベーターの搭乗券を受け取って、下層階行きの乗り場に向かう。いつもより空気がひりついている。これは危険な予感がする。面倒だとは感じているが、危険な現場ほど胸が高鳴る自分がいた。
「待っていたわ、アンジェ。昨夜はありがとう」
下層階に着いたアタシを待っていたのはエリザだった。
「……なんであんたが? まさか今回のクライアントって……」
「そう、私よ。あなたの噂は聞いていたの。サイレント・アサシン」
「誰が呼んでるのかは知らねぇけど、その呼ばれ方は気に入ってねぇんだ」
「そう。じゃあ私はアンジェと呼ばせていただくわ」
「そうしてくれると助かるよ、お姫様」
「あら、今日はお姫様なのね?」
「今日から三日間はアタシがエスコート役だからな」
「でしたら、その後はエリザと呼んでくださるかしら?」
「……また会うことがあれば、な」
「ありがとう、アンジェ」
闇取引の現場は葉巻の煙と匂いで充満していた。深夜の、よくある光景だ。アタシもまぁ散々人を殺してるから悪党の部類に属するんだろうが、だとするとこいつらはそれすらも他人にやらせて自分たちは安全に私欲を満たす大悪党だ。取引の会場はオペラ会場風の作りになっている。アタシ含む同業者はホール上のバルコニー席で待機。各組織のエース級が揃って顔を並べるのはある意味で壮観だが、それでも趣味の悪い品物が目の前で代わる代わる紹介されるのは気持ちが良いものではない。
「アンジェ……」
「お姫様、なんでここに?」
「おかしいと思わない? ただの競りだったらこんなに警護が必要かしら?」
「奇遇だな。エレベーターで降りるときから空気がおかしいと思ってたんだ」
「この競売、なにか裏があると思うの」
「ああ、この手合いは組織間の縄張り争いが定番だ。特にクサいのはあの右端のバルコニー席。あいつはネームドだ。名前はノーフェイス……」
「各組織がエース級をよこしているの?」
「そうだ。これを機に貴族様方に名刺代わりの一発をお見舞いしようって腹さ。自分の組織のエースをナイトにしたいやつもいるからな」
「なにが起こると思う?」
「おおかた仕掛け人がいるだろう。貴族様方はみんな知ってるはずだ……お姫様が知らねぇってことは……」
「狙われてるのは、私ね」
「いや、きっとお姫様だけじゃねぇ。新興の貴族からすれば旧家はコンプレックスの対象だ。勢力図を入れ替えてやろうなんて思ってるやつは大勢いるってことだ」
やっぱり面倒なことになったなとは思うが、仕事の範囲内だ。仕方がないことだと受け入れるしかない。それにしても各組織のエース級にネームドの連中とやりあいながらお姫様を守りおおせるかと言われれば、まぁなかなか骨が折れる。ジョージのやつが言ってたことは本当だったな。こんなことなら義手のグレードを上げておくべきだった。
「オークションが始まるわ」エリザがつぶやく。
「お姫様、頭出すなよ。上にスナイパーがいるぜ」
射角まで計算されてるのか。ずいぶん下準備が良いパーティだ。フルコースじゃねぇか。まぁおあいにくとアタシはテーブルマナーとは縁がない。撃たれたら撃ち返す。
「お姫様、今回はあんたがクライアントだ。命令はしてくれよ。じゃねぇとアタシが袋叩きにされちまう」
「大丈夫よ。アンジェが撃つときは私が先に撃ってるわ」
「どういう……」
「アンジェ、なにか匂うわ」
これは……ガス、だが、催涙ガスではない。ただの着色ガス? いや、軽微だが薬物の匂いがする。
「お姫様、これはシンナーだ。古くさいやり方だが、着色されてるとなると撃ち合いでは厄介だ。場所変えるぞ」
その刹那、一発の銃声が響く。始まったか。それを合図にしてか、各フロアで銃撃戦が始まる。
「お姫様!」
「大丈夫よ。アンジェ、前!」
ちっ! 後手に回ったか。姿勢を低くしてAKを斉射する。余分に使える弾はない。できる限り敵――本来なら組織同士は敵ではないが、この状況下では敵だ――を排除しなければならない。背後から銃声。
「お姫様!後ろだ!頭を下げろ!」
ヤバい。そう思った瞬間、エリザは空中にいた。
「な……」
新しい銃声がこだまする。この音は短機関銃。
「言ったでしょ? 私が撃ってるって。念のため持ってきておいて良かったわ」
「MP7だぁ? 良い趣味してるぜ、まったく……とりあえずいったんずらかろうぜ。囲まれちまう」
「そうね」
ともかく上層階を目指す。ここにいたら遅かれ早かれ消耗戦になる。それはこちらが不利だ。
手榴弾を使い果たしたころ、エリザに問いかける。
「お姫様、あんたのあの跳躍……」
「あなたの腕と同じよ。義足。私は養子だから」
「……悪かったな、変なこと聞いちまった」
「良いのよ。もう過ぎたことだし、この脚のおかげであなたとも並んで戦えるわ」
「アタシはあんなに飛べねぇよ」
「私はあなたのように正確な射撃はできないわ」
「それで短機関銃か」
「私にちょうど良いサイズにモディファイしてあるの。気に入ってるわ」
「あんた、変わってるな」
「よく言われるわ」
――殺気。至近距離。これは。
「お姫様!危ねぇ!」
金属音が響く。とっさに左腕を出して正解だった。
「よぅ、ノーフェイス。こんなところで会うなんて奇遇だな……」
「サイレント・アサシンか……おまえも来ていたとはな」
ノーフェイスはナイフが主体の近接戦闘を得意としている。この距離はアタシにとって絶望的だ。
「悪いが俺の標的はエリザベート嬢だ。そこをどいてもらおうか」
「悪いがこっちも仕事なんでね、それは聞けない相談だ」
「ならば力ずくで行くとしようか」
――鈍い金属音。ガードはできるが、これじゃ射撃体勢が取れない。相手は強化義体の接近戦特化仕様。弾丸は余程近距離でなければ避けられる。
「サイレント・アサシン、死にたくなければどけ」
「冗談じゃねぇ!こっちも生活がかかってんだよ!」
とはいえこのままじゃ押し切られる。足元にAKを乱射する。ノーフェイスが一歩下がる。射線はできた。左腕のベレッタで狙いをつけて、撃つ。ノーフェイスの身体が一気に姿勢を下げる。この距離でもだめか。くそったれ! AKは? 弾切れ? 次の一撃が来る。回避は――
「アンジェ!飛びなさい!」
とっさに飛び上がった後に、短機関銃の斉射。意表を突かれたノーフェイスが、わずかに体勢を崩す。
「撃ちなさい!アンジェ!」
ベレッタの弾丸が、ノーフェイスの右脚を貫いた。
「しくじった、か……」
崩れ落ちるノーフェイス。弾丸は運よく急所を逸れていたが、これでは戦闘はできないだろう。
「ノーフェイス……」
「行け。俺はこんなところで死にたくはない。仕事は失敗したが、相手が悪かったと報告しておくさ」
そう言ってノーフェイスは煙草に火をつけた。
「もうすぐ夜明けだ。下ではまだドンパチをやっているだろうが、じきに終わる。貴族どもはもう逃げだしているよ」
「わかった。ここは借りとくよ、ノーフェイス」
「気にするな。今回の件でこの街にいられなくなるかもしれんからな。それより、くれぐれもお姫様のエスコートはエレガントにな」
「ありがとよ」
上層階、最上部。ここまでくれば安心だ。有害大気ラインギリギリだが、シンナーにまみれた空気を吸うよりは、はるかにマシだ。
「バザーは明日もあるのね」
「ああ、闇市場がめちゃくちゃになっちまったから、表はその分賑わいそうだな」
「仕事は三日間の護衛よね?」
「あぁ、まぁ……」
「なら明日から上層階を案内してくれない? 一度バザーに来てみたかったの」
「いや、アタシは……」
「ギャラは前払いしてあるわ」
「……わかったよ、案内すりゃいいんだろ」
「それとお願いがひとつあるの」
「業務外だぜ、勘弁してくれ」
「私のナイトにならない?」
「冗談だろう? そういうのはもっと適任がいる」
「私はアンジェが良いのよ」
「お姫様は充分強いじゃねぇか……」
「でも、ふたりじゃなかったら私は死んでいたわ」
たしかにそうだが……アタシには向いてない。
「ねぇアンジェ、あの星はなに?」
「あ? あれは明けの明星だ」
「明星は、ふたつあるのね」
「いや、どっちも同じ星さ。朝と夜で位置が違うだけだ」
「まるで私たちみたいね。あなたは腕を、私は脚を」
「アタシはロマンチストじゃないんだ。名前だって誰がつけたかわからない」
「それじゃあまるっきり私と同じね」
「そう、かもな……」
「どう? 天使様。私のナイトにならない?」
こいつには勝てそうにないな。ジョージになんて報告しよう。
「わかったよ、エリザ。その代わり、ギャラははずんでくれるんだろうな?」
「ええ、もちろん」
まったく。これだから貴族は好きになれない。だけど、しばらくはゆっくり眠ることができそうだな。少なくとも銃声に邪魔されることはないだろう。たぶん、それは人生で初めてのことだ。
白んでいく空と明けの明星のデュエット。弾倉に残った最後の一発を、金星に向かって発射する。乾いた空気に、目覚まし代わりの銃声が良く響いた。
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