K9

斗話

K9

「バケモノ……」


 そう呟きながら最後の一人が気を失った。ドサッという音が小気味よく廃ビル内に響き渡る。


大島健太は、金色に脱色された長髪をかき上げながら、PHSを耳に当てた。色褪せたパーカーに付いた返り血を見つけ、もう一発蹴り飛ばしてやろうかと思ったが、呼び出し音が止まったので、耳元に意識を向けた。


『どうした』

「終わったぞ。合計六人」

『さすがの速さだな健太。また次も頼むよ。あと、そこにある転売品、一つ持って帰ってきてよ。できればシューズ』


 揶揄うような口調で、電話口の男性が言う。クチャクチャとガムを噛む音が不快だ。


「何でだよ」

『高く売れんだよ、それ』

「お前まじで警察官か?」


 健太は呆れながら、階段を降り始める。コツコツと鉄筋が反響する。


『あ、お前帰ってるだろ』

「俺が頼まれたのはあいつらぶっ飛ばすことだけだ」


 ノーマークの一般人を送り込んでからの強制的なガサ入れ。無抵抗で犯罪者を捕まえるためにK市が取り入れてる捜査手段だ。もちろん非合法。


『おいおい、喧嘩くらいしか取り柄のないお前にバイトさせてやってんだから、いうこと聞けよ。金がなくなったら弟も困るだろうな〜』

「くそが」


 電話越しでもニヤついた顔が浮かぶ。舌打しをながら通話を切ると、健太は踵を返した。




 転売品のシューズが入った箱を片手に、廃ビルを出てから五分ほど歩いた時だった。


「おい、兄ちゃん。イカしてんじゃん。 高校生?」


 健太の周りを三人のチンピラが囲んだ。

 K市の治安は絶望的である。暴行、恐喝、窃盗などは日常茶飯事だ。


「お財布出してね〜」


 チンピラの一人が健太の肩に腕を回し、ジーンズの尻ポケットに手を伸ばす。


「がっ……!」


 健太の肘がチンピラの顎にめり込み、勢いよく飛んでいった。


「今俺はイライラしてんだよ!」

「テメェ!」


 掴みかかってくる残りの二人を軽々とかわすと、右ストレートと頭突きをそれぞれの顔面に食らわせてやる。


「雑魚が」


 うずくまるチンピラ達に唾を吐き、健太は再び歩き始めた、が、先ほどまで持っていたはずの箱が無い。


 周りを見渡すと、箱を抱えて路地の方へ入る人影が見えた。


「待てコラ!」

「ぐあぁ!」


 チンピラの一人を踏みつけながら路地へと急ぐ。今日は運が悪い。




 人影に追いつくのは容易かった。


「来るな!!」


 行き止まりの路地で、少年がシューズにライターを突きつけている。ボサボサの髪に薄汚れたロングティーシャツ。くりっとした大きな瞳は、今にも涙が溢れそうなほど潤んでいた。


「おいクソガキ。それで脅してるつもりかよ」

「うるせぇ! 返してほしかったら金出せ!」


 二度目のカツアゲ。やはり今日は運が悪い。


 ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。

 

 獣の威嚇のような低い音が少年の腹から聞こえ、思わず健太は吹き出した。


「何だよ腹減ってんのか。そんな長い腹の音、初めて聞いたぞ」

「う、うるせぇ!!」


 今にも火を噴き出しそうな真っ赤な顔で、少年がライターの着火ボタンを押すが、何度押しても火はつかない。


「あれ、あれ」


 どうやらオイル切れらしい。


 動揺してる少年の手からシューズを取り返すと、健太は来た方へと歩き出した。


ぐぅぅぅぅぅぅぅぅ。


 もう一度、腹の音が鳴る。振り返ると少年は下唇を咬みながら必死に涙を堪えていた。


「おい」

「な、何だよ! 金ならないぞ!」

「飯食いに行くか?」




 駅前のファミレスに到着してからも、少年の腹は鳴り続けた。


「はい、チャーハン」


 チェーン店とは思えないほど無愛想な店員が持ってきたチャーハンを、少年は二分もかからず完食した。


「お前、小学生?」

「は? 中一だよ。それに僕は『お前』じゃない。椎名雛だ」


 雛はほっそりとした腕で呼び出しボタンを押すと、ラーメンを注文した。


「俺の弟と一緒だ」

「え? 健太の弟も雛なの?」

「ちげぇよ、中一。てゆうか呼び捨てにすんな」

「はい、ラーメン」


 ラーメンがテーブルに置かれるやいなや、雛は勢いよく麺を啜り始めた。


「おい! それ絶対俺のだから!」


 夢中で麺を啜る雛の姿が、弟の姿と重なる。退院したらここに連れてきてやろうと健太は思った。


「ねぇ、パフェも食べていい?」

「は? 図々しいなお前」

「いいでしょ?」

「また今度な」

「また今度……」


 指切りでもするかのように小さく呟くと、雛は嬉しそうに再びラーメンを啜り始めた。




「雛?」


 ファミレスの出口で声をかけてきたのはスーツ姿の男性だった。


「お父さん……」


 先程まで軽口をたたいていた雛の顔が一瞬で凍りついた。肩も微かに震えている。


「こんなところで何してるんだ?」

「あ、えっと、ご飯を食べてて……」

「このお兄さんにご馳走になったのか。息子がすみません」


 スーツ姿の男が健太に頭を下げた。


「別にいいよ」


 健太がそう言うと男は貼り付けたような笑顔を健太に向けた。

この目を知っている。人を蔑み嘲笑う目だ。


「おい、お前……」

「お父さん、帰ろう」


 健太の言葉を遮るように雛が男の腕を掴み歩き出した。


「では失礼します」


 あっという間に二人の背中は人混みの中に消えていった。




 PHSが鳴ったのは二日後の夕方。健太が駅前をふらついている時だった。


『バイトだ』

「内容は」

『椎名不動産という名前でやってる闇金会社の摘発だ。お前はそこに乗り込んで全員殴り倒しておいてくれればいい。場所はメールで送ってある』

「闇金って、ヤクザじゃないのか?」

『ヤクザよりタチが悪いかもなー』


 クチャクチャとガムを噛みながら、男は続ける。


『社長の椎名ってやつがかなりのサディストでな。従業員のほとんどはやつに洗脳されてる状態だ。何しでかしてくるか分からない。しかも、椎名は奥さんや息子にまで手出してる卑劣な野郎で……』


 どの口が言ってんだと思ったが、「椎名」、「息子」、という言葉が頭にひっかかった。


「息子の名前は」

『息子の名前? 確か女みてぇな名前だったような。えーっと』

「雛か?」

『そう、雛だ。知り合いか?』

「今から行ってくる」


 男の返事を聞かずに通話を切ると、健太は走り出した。




 K市の中心地から少し外れた場所に、〈椎名不動産〉と窓に書かれた五階建のビルが立っていた。見た目は普通の不動産屋に見えるが、情報では五階が闇金会社の本拠地になっているらしい。


 健太は沸々と込み上げている怒りをぶつけるように、階段を駆け上がった。


「何だお前!」


 足音を聞きつけた男達が続々と顔を出してくる。健太は足を止めることなく、行手を阻む男達を次々に殴り飛ばしていった。腹や脚に何度も打撃を受けながら、それでも健太の足は止まらなかった。

 二階、三階、四階。身体の痛みなど感じないかのように、登っていく。あっという間に五階にたどり着くと、力任せにドアを蹴破った。

広い室内には、角材を持った数名の男性。そして、一番奥の社長席にスーツ姿の男が座っていた。椎名だ。


「何だ、思ったより早いな。まぁちょうどよかった、今日は雛の出勤日なんだ」

椎名が机の下で足を動かすと、下着姿の雛がゴロンと転がってきた。


「雛!!」

「……健太?」


 掠れた声で雛が呟いた。身体中にある痣が痛々しい。だから長袖を着ていたのだと健太は理解し、椎名を鋭く睨みつける。


「くそがぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

「やれ」


 椎名の合図で男達が動き出す。

 細い通路ならまだしも、一度に武装した数人の相手をするのは多勢に無勢だ。

 健太の頭部に角材がヒットしよろける。ゆっくりと額から流れてきた血が顎を伝い、床に一滴落ちた。


「警察も落ちましたね。こんなガキを犬に使うなんて」


 椎名は健太が警察と繋がっていることを知っていた。ファミレスの一件の後に調べたのだろう。


「犬のくせに同情でもしたか」


 椎名は涼しい顔で雛を蹴り飛ばした。短いうめき声をあげ、雛が腹部を抑える。


「テメェ」


 健太の中で、何かが音を立てて壊れた。


 深く息を吸いながら膝を曲げ、拳を構える。その姿はさながら獲物を狙う虎のようだった。


 男達が後ずさった次の瞬間には、健太の拳が一人の顔面にめり込んでいた。一発、二発、三発。先ほどとは段違いのスピードで男達を吹っ飛ばしていく。


「何してるんだお前ら! こんなガキ一人に!」


 椎名が叫び終わった時には、周りの男達は全員泡を吹いて倒れていた。


「バケモノが……」

「雛……」


 健太の片膝が床についた。もう意識を保つのがやっとだった。


「雛! 立て!」


 椎名は雛の髪を掴んで立たせると、その手にナイフを握らせた。そして耳元で囁く。


「あいつを殺せ」

「はい。お父さん」


 茫然自失のまま、雛は健太目がけて走り出した。


「……!」


 健太は避けることなく雛を抱きしめた。腹部にナイフがぐさりと刺さり、じわじわと血液がパーカーに滲んでいく。雛が大きく目を見開き、健太を見上げた。


「何で……」

「パフェ、まだ食べてないだろ」


 見開いた雛の目から、大粒の涙がポロポロと流れる。


「雛! もう一回だ! とどめを刺せ!! そいつを殺せ!!!」


 椎名の怒号に、びくりと雛の肩が震える。


「大丈夫だ、俺に任せろ」


 健太は雛の頭を優しく一度撫で、椎名の方に向き直る。相変わらずドクドクと血が流れているし、体温もだんだんと下がってきている。


「な、何でまだ動けるんだよ!! おい雛! 何してる!!」


 力強く拳を握り、ゆっくりと歩き出す。


「分かった! 俺の資産の半分をやる! それで手を打とう!」


 健太の足は止まらない。


「く、来るな! 警察の犬が! 都合よく使って捨てられるだけのゴミが!!」

「犬だろうが、ゴミだろうが、何だっていいんだよ。お前は俺のダチを傷つけた。だからぶっ飛ばす!!」


 地面を蹴り、一瞬で間合いを詰める。悲鳴をあげる間もなく、健太の拳が椎名の顔面にめり込んだ。椎名が勢いよく吹っ飛び、そのまま気絶する。


「雛、大丈夫か」


 絞り出すように言いいながら、そのまま健太も倒れた。


「健太! 健太! 健太!」


 泣きじゃくりながら駆け寄ってくる雛の声と、遠くにサイレンの音を聞きながら、健太の意識は遠のいていった。




 騒動から二日後に健太は目を覚ました。椎名と従業員は逮捕され、雛とその母親も命に別状はないらしい。健太の治癒力は医者も驚くほどで、次の日には無理やり退院した。


 そして今、健太は病室で弟の寝顔を眺めている。


「大島さん、これ、昨日届いてましたよ」


 看護婦が渡してきたのは小さな花束と一通の手紙だった。

 手紙には「パフェ、まだ食べてない」と丸っこい字で書かれていた。


「あのクソガキ」


 健太は弟の頭を優しく撫でると、駅前のファミレスへ向け歩き出した。

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