第579話 俺達のヒーローだぜ……

 黒歴史。と言う言葉が存在する。

 それは、思い出したら笑える事だったり、逆に思い出したくない恥行だったり、人によっては物理的に残るモノだったりするだろう。(特に兄貴は魂まで呪われる黒歴史を暴露してくれたが)

 しかし、小さい頃から水泳が好きで、他の事には目もくれなかった俺にとっては無縁の言葉だ。

 だが、今は強く実感している。間違いなく黒歴史ソレを記録している気がする――






「次で決まりねー」


 今やってる事がどれだけ貞操に響くのかを、俺と水間は一つのテーブルに向かい合って座りつつ認識していた。


 女子と対面に座る状況はそれなりにあるが、基本的には他の友達と一緒が当たり前だ。

 しかし、そんな輪の中に水間はあまり入らなかった。居たと思えばずっと泳いでたり、ランニングしたり、何がそこまでアイツを駆り立てるのかわからない。

 プロでも目指しているのか、と水間に聞いた所――


“昔から続けていた水泳モノに越えなければならない壁が現れたのよ!”


 だそうだ。なんだ、この狂戦士バーサーカー……

 その返答を受け取った時は変なヤツ、と言う印象が強くあり、部内でも水泳以外に眼中にないストイック女子。それが水間の部内での立ち位置だ。色気の欠片も無い。それが、


「水間……次で終わりだとよ」

「え、ええええ、そそそ、そうねね!」


 滅茶苦茶顔を赤くして目を反らしてくる。


 単に恋愛関係に疎かっただけかよ!


 水間のスレンダーな体格は水泳には適しているがその分、身体の凹凸は平坦であり、異端的な性格もあって変人女子として水泳部内でも認識されている。

 俺だけなのだ。水間の魅力に気付き、尚且つこの場で彼女と向かい合う者は!

 故に守護まもらねばならぬ……


「……さっさとやって、さっさと終わらせるぞ」

「う……うん……」


 俺が最後のポッキーを取り、咥えると水間もちまっと反対側を咥える。

 恥じらう水間。ふっ……うぉぉぉ! 滅茶苦茶可愛いじゃねぇか! 猫耳メイド服でもイイのに、そこに恥じらいがあるとか最高かよ! やっべ……思春期として健全な部分が今健全になりそう! 三日は使えるな……


「最後の勝負だからね、二人とも」


 黒い布をかける土山先生の言葉はとても意味深だった。






 おいおい、マジでやりやがったよ。

 女子と○ッキーゲーム。それは、思春期の男子にはある意味憧れと同時に、手の届かない虚構の一つだ。

 理由は言うまでもなく、恥ずかしい。そして、卒業までネタにされることは明らか。

 だから、彼らはリスクを犯さない。故に――


 沖合ぃ……お前は俺達のヒーローだぜ……


 悪ノリさせたとはいえ、最後まで泳ぎきろうとする沖合の事は俺達が守護まもってやるか。

 と、何が起こっても優しく迎え入れるつもりで決着を見守る。


「それじゃ、スタートしてー」


 黒い布が被せられてとても嬉しそうな土山先生の声で最後の戦いが始まった。

 外からでは黒い布に覆われた二人が、どんな顔をしてポッ○ーを食べ進めているのかわからない。

 しかし、顔の動きから互いに近づく様がわかる。


 行くのか? 沖合ッ! お前は本当に壁を一つ越えるのか!?

 ○ッキーゲーム。その果ては高校生には並外れて段飛ばしな異性交流である、ちゅー、である。


 キス、ではなく、ちゅー、だ!


 この二つの違いは賛否別れるものの、少なくとも未成年同士の接吻は、ちゅー、で良いだろう!


 すると、黒い布で覆われた二人の頭が更に近づく。


 沖合ぃ! そこまでだぁ! お前はまだこっち側に居るべき人間だ! 俺を……一年男子水泳部員俺たちを置いていかないでくれぇ!


 そんな俺らの注目と、同じ様に見ている女子も顔を赤くしたり、口に手を当てたりして言葉を失っている。

 沖合はまだ、退かないッ! そして、水間のヤツも攻めている様に見える。


 沖合VS水間。水泳部では日常的に行われている勝負だ。大概は沖合が一方的に負ける形だがな。

 沖合に負けたことの無い水間と、何としても水間から1勝をもぎ取りたい沖合。

 ここが天王山と言うワケか! ふっ……ここで止まれと言うのは野暮な事だったな。沖合よ、俺らを置いていくなら、先に行くが良い。けど、俺らはズッ友だよ!


 今まで、沖合の水間に対する挑戦を見守ってきた同級生たちは腕を組んで親友沖合の戦いを見届ける決意で意識を統一させる。

 そして頭はほぼ、ちゅー、の距離まで近づく。○ッキーなんて殆んど残ってないんじゃないかってくらいの至近距離。


 沖合ッ……!(一年男子水泳部員)

 キャー!(見ている女子)

 その様子に尊みを感じてほくほく。(土山)


 そして、沖合が動く。

 水間の頭を優しく押さえると黒い布を彼女の乗せる様に自分が離れた。


「俺の負けです」


 顔を赤くしつつも、どこか垢抜けた様子で沖合は土山に告げた。






「水間さん」


 黒い布で頭から顔を覆われた水間へ土山は問う。


「貴女の勝ちかしら?」


 土山の言葉に水間は、こくこく、と勢い良く頷いた。その様子に土山はとても満足そうに尊むと、沖合に残りのポッ○ーを箱を手渡した。

 沖合がソレを受け取ったタイミングで、


「これは何の騒ぎだ?」


 見回りに足を運んでいたクラス担任の箕輪が『猫ミミメイド喫茶』の物々しい雰囲気を察知し、場に現れた。

 箕輪は場を一瞥し、


「……ふむ。何かやっていた様だが、店のコンセプトとあまり合わない事は極力控えなさい」

「み、箕輪先生……案を出したのは土山先生で……」


 徳道が状況の説明を行うが、


「土山先生? 店内のどこにも居ないぞ?」

「え? ん? あ、あれ!?」


 と、いつの間にか土山は消えていた。

 箕輪以外の人間は皆、その姿を見ていただけに、唐突な消失に驚きにざわつく。


「全く……。ほら、全員、ちゃっちゃっと動く!」


 イレギュラーな事に対して本来の役割を忘れていた生徒達は箕輪の一言で業務に戻った。






「沖合。お前、滅茶苦茶踏み込んだな」


 一年男子水泳部員と共に『猫耳メイド喫茶』を後にした沖合は疲れた様に返事を返す。


「お前らな……少しは助けろよ……」

「いや、俺達はお前の底力を見たかったんだ!」


 うんうん。と他の部員も頷く。うんうん、じゃねーよ……と沖合は悪態を突きつつも、怒っているワケではなかった。


「そんでよ……一つ教えてくれや」

「あん?」

「そ、その……ちゅー、したのか?」


 興味津々に聞いてくる同級生に、沖合はポッ○ーの箱を差し出し、煙草のように○ッキーの持ち手を突き出す。


「やってみるか? そしたら解るぜ?」


 以降、この件を沖合に聞くことはタブーとなった。






「水間さん……大丈夫?」


 頭に黒い布を乗せたまま、フラりと給仕室へ入った水間を徳道が心配する。


「だ、大丈夫よ……。もう少ししたら……戻るわ」

「ほ、保健室に行くときは呼んでね! 付き添うから!」

「ありがとう、徳道さん……」


 ととと、と徳道は業務に戻る。

 水間は勝負を終えたボクサーのように黒い布を被って座りつつ、そっと自分の唇に触れた。


「……沖合君はどう思ったのかしら?」






「ふっふふ♪ やっぱり、高校生は尊いわね♪」


 土山は更なる尊みを探して文化祭を徘徊する。

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