第269話 キャッ!
包丁によって刻まれる。
それは手慣れた様に対象を分割にしていくと、ボールに移された。
「良かったぁ、リンと同じ班で」
「ヒカリ、そのニンジンの剥き方は危ないって」
宿泊研修の初日は移動と宿泊施設の紹介に、簡単なレクリエーションを挟んで夕刻となった。
いつもとは違う一日とこれからの日程に、1学年全体で浮わついた雰囲気が漂う。
そして夕刻。夕食のカレーは生徒達だけで作る事になっていた。
無論、火や刃物を扱うので教員がきちんと眼を光らせる。
中には普段は目立たない、調理スキルを遺憾なく発揮する者(主に男子生徒)は、すごーい、と黄色い声を受けていた。
そんな中、リンカとヒカリの班は黙々と調理を進める。
「リンの方が怖いって。なんで親指添えて、薄皮一枚でぐるぐる回せるのよ」
「慣れだよ。ヒカリの刃を外にして研ぐ様にやる方が怖いから」
と言う事で、材料を切り分けるのはリンカの役目となった。
米も飯盒で炊くと言う、現代では中々に経験出来ない事を皆で取り組むのがこの宿泊研修の目的である。
リンカの班は飯盒とカレーを作る二組に別れて取り組んでいる。
「材料は結構細かく切るのね」
ヒカリは焚き火で熱した鍋にリンカが切った食材を次々に入れて炒める。
「家だと時間に融通が効くけど、研修は時間制限もあるし、火力も調整が難しいからね。火が通りやすい様に細かくしてるの」
生煮えは嫌でしょ? 絶体イヤ。と、会話をしつつ、他の班よりも少しだけ手間をかけて材料を全て鍋に入れ終わる。
焚き火は常に強火以上だが、それでもきちんと具に火が通るには時間がかかる。
材料は少し炒めてから水を入れて、灰汁を取る。
「灰汁は全部取らないの?」
「少し残した方がコクが出るよ。このあたりの加減は経験則かな」
頼もしい親友の様子に、自分も少しは料理をしてみようかなぁ、とヒカリは考える。
普段は見ることのないリンカの家庭的な様子に周囲の生徒達(特に男)は、嫁に来てくれねぇかなぁ、と言う視線で見ていたりした。
「ふふーん。ケン兄はいつもこの料理を食べてるワケだ」
「……何でそこで彼の名前が出てくるの?」
彼!? ケン兄!? 誰だ!?
と、さりげなく近くで盗み聞きしていた男子生徒達は内心、“ケン兄”なる人物の情報を出来る限り探る。
「もう、ケン兄の胃袋は染め上げてるんでしょ? リンの料理が無いと生きて行けないくらいにさ」
「別に。ただ多く作り過ぎたりしたときは、お裾分けしてるだけだよ」
「とか言っちゃってぇ~。この武器もちゃんと使ってるんでしょうね~」
と、ヒカリは背後からリンカの胸を持ち上げる。ジャージにエプロン姿にも関わらず、凸する乳房は下から手を入れる隙間は十分にあった。
「ちょっと! ヒカリ! 危ないって!」
「危ないのはこの巨峰よ!」
「火を使ってるから!」
「こらこら、何をふざけてる!」
美少女二人がやんやんやってる所を思わず凝視していた男子生徒は、やってきた箕輪の声にサッと眼を外す。
「火の前だぞ。悪ふざけはするな。怪我をするぞ」
「すみません……」
「ごめんなさい……」
気をつけなさい、と箕輪は注意を済ませると別の所を見回りに去って行った。
「リン、ごめん……」
「ホントだよ。もう」
リンカは目分量の灰汁を取ると蓋を閉める。後は飯盒が出来るまで煮込めば完成だ。
「……ちゃんと食べてるかな」
今頃は彼と母も食事時だろう。リンカはヒカリの隣に立ち、共に使った道具を洗う作業を手伝った。
「セナさん? どうしたんですか?」
帰りでそのまま来たのか、セナさんはスーツ姿のままでオレの部屋に現れた。
酔ってる雰囲気も無いので、部屋を間違え様ではないみたい。
「今日はリンちゃんが居ないから~。久しぶりに手料理でも作ろうと思ってね~。食べに来ない?」
セナさんの手料理はマジでプロ級なので正直な所、無茶苦茶あやかりたかったりする。
リンカもその腕前を習ってはいるらしいが、調味料の分量が太古の薬師レベルで行うのがセナさん流。
大匙とか小匙ではなく、全て当人の感覚で行われるので、他の者が彼女の料理を再現するには二十年の時を要するとも言われているのだ。(リンカ談)
「ぜ――ひと言いたい所ですが……」
実に……実に惜しいが! 今はタイミングが悪いと言わざるえない!
オレは血の涙を流しながら歯と拳に力を入れる。
「そう。料理って食べてくれる人が居る方が美味しく作れるのだけどね~。ケンゴ君の都合が悪いなら~ピザでも頼もうかしら~」
オレの僅かな言葉から今回は無理である事をセナさんは悟る。
罪悪感と後悔が半端ねぇ! 心が万力で締め付けられる様だ……!
「お客さんかな?」
オレが玄関でセナさんに対応していると、後ろから着替え終わったショウコさんが様子を見に来る。
普段着でも強調されるセナさんと同じレベルのBは神の恵みだろう。うわぁい。神の恵みが前と後ろに二つずつあるぞぅ。
「あ、ショウコさん!」
「ふむ。マズかったかな?」
セナさんはショウコさんを見て色々な事を察した様子。
「キャッ!」
と、短く言うと、スゥ……と消えるように移動し、自宅(隣の鮫島家)に入るとパタンと閉めた。
その動きはあまりにも完璧で、オレもショウコさんも置いていかれていた。
「はっ!」
と気がついたオレは急いで上着の内ポケットからスマホを取ると速攻でLINE(保護者用)を開き訂正に入る。
“セナさん! 違うんですよ! 彼女は会社の上司の娘さんで! 色々と事情があって暫くお世話する事になったんです! 断じて、連れ込んだとか! ナンパしたとかではなくですね! そのあたりに情状酌量の余地を頂きとうございますが! いかがですか!? リンカちゃんに連絡する前に!!”
と、速攻でLINEにメッセージを送信。
この件をオレから連絡するのと、セナさんから連絡するのとではリンカの受け取り方はだいぶ変わってくる。
塵を見る様な……リンカ様の眼は本当にキツイんですぅ!
すると、オレの魂のメッセージに既読が着いた。そして、待つこと数秒で返事が来る。
“キャッ!”
「……」
“……ご飯……ご馳走に行っても良いですか?”
“ええ。出来たら呼ぶわ♪ 今日も賑やかになりそうね~うふふ( *´艸`)”
顔文字をつける程にご機嫌……なのか? 絶体にからかわれるよな、これ……
「……何やら、私のせいで複雑な事になってしまったかな?」
「いや……ショウコさんのせいでは無いです……」
強いて言うなら……オレが勝手にあたふたしてるだけか……
「ショウコさん。今更ですが……夕食は隣の方とご一緒でよろしいですか?」
「私は構わない。それよりも、君の方が深刻そうだが?」
「時間がある時に説明します……」
今はセナさんとの夕食会に備えねば……
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