第270話 初体験

 スーツを着替えてショウコさんと同棲する上での取り決めなどを一通り話し合っているとセナさんから連絡が入った。


“ご飯出来たわよ~”


「行きましょうか」

「ふむ、その前に一つ良いかな?」

「何です?」


 ショウコさんの言葉にオレは足を止めた。


「やはり、敬語は違和感がある」

「え? そうですか……ね」

「君は何歳だい?」

「26です」

「私は21だ」

「21歳!?」


 マジか。見た目や身長は、随分と大人びているからオレと近い年齢かと思ったら、一回り年下だったでござる。


「私は年下なワケだし、そっちからの敬語は変だろう? 仮にも恋人を装うのだ。なおの事、敬語は不自然だと思っている」


 言われて見ればそうだ。名倉課長の娘さんと言う事で気を使った言葉づかいを選んだが、それが作戦を破綻しかねない……か。


「えっと……それじゃ、ショウコさん。行こうか?」

「ああ。行こう」


 本当に堂々としてるなぁ。

 でも、まだ彼女の笑顔を見れないのはオレの配慮不足か。少しでも安心できる様になって貰いたいモノだが。


 前に後ろに板挟みな心労を抱えつつも、オレは部屋を出て鍵を掛けると鮫島家のインターホンを鳴らした。






「あら、いらっしゃーい~」


 私服のセナさんが扉が開くと良い匂いに空腹感が刺激される。


「こんばんは」

「今日はお世話になります」


 オレが改めて挨拶をすると、ショウコさんも頭を下げて丁寧な物腰で挨拶を行った。


「いえいえ~こちらこそ~流雲昌子さん」


 何故彼女の名を? とオレが疑問を感じる間も無く、ショウコさんが警戒する様に問う。


「……何故私の名を?」

「これね~」


 セナさんが見せるのは『谷高スタジオ』が発行するモデル雑誌9月号だ。雑誌の販売は基本的に第三土曜日なので10月号はまだ出ていない。

 表紙は一足早い冬服のコーディネートを着こなすショウコさんが飾っている。


「……確かに私だが、名前はイニシャルだけだ」

「谷高光ちゃんって知ってるでしょ~?」

「会社のご令嬢だ」

「娘が友達なの。聞いたら色々と教えてくれたのよ♪」


 少し軽率かも知れないが、ヒカリちゃんとセナさんの信頼関係があってこその情報公開だろう。


「ショウコさん。ヒカリちゃんは彼女の事を家族みたいに思ってるから、信用できるよ」

「鮫島瀬奈です。よろしくね~」


 微笑むセナさんに少し警戒しつつも、ショウコさんは一度オレを見て、


「……君がそう言うなら、私も信頼を置こう」

「あら」


 と、ショウコさんが納得した様子を見て、セナさんが口元に手を当てる。ワザとらしいですよー


「ふふ。いつまでも玄関で立ち話も悪いわね。ご飯にしましょう」

「お邪魔しまーす」

「失礼する」


 テーブルには既に料理が並べられ、オレ達は三人での夕食を始めた。






「なるほどね~。ストーカーは怖いわぁ」


 食事の最中、若干暗い話になってしまうも、セナさんは構わないと言ったので、オレはショウコさんの事を一通り説明した。


 セナさんは茶化す事無く頬に手を当てて真摯に受け止めてくれた。


「正直な所、心当たりは無いんだ」

「なら、尚更危険ね~。知らない人だと、誰も彼もがそう見えちゃうから」

「対して気にしていない」

「気にしなきゃダメ。ショウコちゃんは女の子なんだから」

「ショウコちゃん……」


 セナさんの呼び方をショウコさんは気にかける。


「あら、嫌だったかしら~?」

「いや……少しびっくりしただけだ。ショウコちゃんなんて呼ばれる事はないから」


 オレも、ケンゴさん、って呼ばれた時はそんな気持ちだったんだよ~。それにしても、セナさん料理は本当に美味しい。会話が出来ねぇ。モグモグ。


「ふふ。それなら、彼にそう呼んで貰いなさいな」

「ふむ。検討してくれるか? ケンゴさん」

「それじゃ……ショウコちゃん?」


 オレがそう言うと、ショウコさんは噛み砕く様に少し間を置いて、ふんす、と息を吐く。


「やっぱり、ショウコさんで頼む」

「了解……」

「ふふふ」


 そんなオレ達のやり取りをセナさんは酒を片手に笑って眺める。良い肴になっている様で何よりです。


「二人は明日は仕事?」

「オレはそうです」

「私は事が済むまで休暇を貰っている」

「じゃあ、ショウコちゃんは、少し付き合ってくれる?」


 セナさんは冷蔵庫から缶ビールを持って来た。これは今日用に自分で買い足したヤツだ! これならリンカには知られないな。


「構わない……が」


 目の前に置かれた缶ビールを見て、ショウコさんは言葉に詰まる。


「お酒は苦手?」

「いや……飲んだことがない」

「本当に?」

「ああ」


 嘘をつく意味は無いので本当だろう。彼女くらいの年齢なら、何かの弾みに一口くらいは飲んでいそうなものだが。


「アルコールは体内に摂取すると記憶の混濁や平常心の錯乱を引き起こし奇行に走らせると聞く。実際に頭にネクタイを巻いて叫んだり、川に飛び込む者もいるとか」

「人によるけど……外れてはいないかぁ……」


 飲まずに済むなら越したことは無いが、社会人としてはある程度は飲めた方が良いのである。


「ふふ。ショウコちゃん。何事も経験って言葉は知ってるかしら~」

「ああ。私も納得している言葉だ」

「これもそれに当たるんじゃない~?」

「ふむ……」


 ショウコさんは缶ビールを見る。温度差で少し水滴が浮かぶソレを彼女はどんな飲み物として見ているのだろうか。


「一度経験してから、良し悪しは判断しても良いと思うわ~」

「ふむ……しかし、私はどの様に錯乱するのか不明だ。二人に迷惑をかけてしまうかも」

「大丈夫よ~。ケンゴ君が何とかしてくれるから~」

「まぁ……その為に居るようなモンですし」


 明日が仕事と言う事もあるが、酔っぱらいを介抱するのは飲まない者の役割でもある。


「ならば、挑戦と行こう」

「レッツアルコール~♪」


 えいおー♪ と酔ったセナさんは手を突き上げる。いつも通りの可愛いテンションだ。

 ショウコさんは缶ビールを開けると、少し躊躇った後に、チビッと一口飲む。そして、


「不味い……」


 と、顔を渋らせて嫌悪感を露にした。どうやらお気に召さない味だったらしい。


「苦いし、嫌いな炭酸だ。こんなモノを何故、ジュースの様に飲める?」


 少し涙目で、うぇ、と後悔していた。


「あら。ビールは合わなかったみたいね~」

「理解出来ない感覚だ……」


 すると、ショウコさんはオレの隣に移動してくる。


「……ショウコさん?」

「いや……少し暑くてな」


 と、上着の中には空気を入れる様にパタパタし始める。何故オレの隣でやる? 良い匂いが飛んでくるんですけど……


「ああ……マズイなこれは……ちょっと横になる」


 今度は言葉通り、クタ、と横になった。オレの膝にもたれ掛かる様に上半身を預ける形で。


「ショウコさん!?」

「ん? 問題は無いだろう?」


 そう言う彼女の頬はほんのり赤い。胸の感触を膝でダイレクトに感じる。


「それは……そうだけど……もしかして、酔ってる?」

「……酔っているのか? 私は?」

「酔ってる……のかなぁ?」

「質問を質問で返すのは感心しないな」


 その言葉を最後にショウコさんはそのまま、ぐー、と寝てしまった。

 これは眠り上戸と言うヤツなのだろうか。それにしても――


「予想以上に弱かったわね~」

「弱かったですね」


 チビッとで、スヤァか。彼女はお酒に弱かったらしい。

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