8章 彼とリンカとユニコ君
第91話 図書室の姫
セナ、ケンゴ、リンカの三人の中でアパートを出るのはリンカが最後である。
火の始末などを一通り確認し靴を履きながら扉を開ける。すると目の前に洗われた小皿がラップに包まれてちょこんと置かれていた。そして、その上にメッセージの書かれたメモが。
“美味しかったです。もっとください”
「ぷっ、また今度な」
夕飯のローテーションはある程度決めているので、肉じゃがはしばらくお預けだ。
リンカはメモごと小皿を台所に置いてから鍵を閉めて駅へ向かう。
今日は放課後に少しだけ用事がある。
オレはキョロキョロと辺りを見回していた。
場所は7月に泉のヘルプで鬼灯先輩と共に死地を乗り越えた派遣先の会社。今回は2課の加賀の補佐として出向いたのである。
「どうした? 鳳。誰かに狙われてんの?」
「ベ○ダーとト○ーパーにな……」
今回は技術的な支援ではなく、契約更新の説明会である。信頼関係は出来上がっているが、先方は年々人の入れ替わりも少なくない為、一年に一回の説明会はありがたがっていた。
「今回は技術棟じゃないし遭遇しないだろ」
「だといいんだけど――」
昨日の飲み会で、ヨシ君と加賀には事情を知ってもらっている。
と、角を曲がると佐藤と遭遇した。即、フラグを回収していく。
「お」
「げっ!」
サッと加賀の影に。流石に仕事中なのでダークフォースは発していないが、沸き上がらない保証はない。
「そうビビるなよ、鳳。前は悪かったって。俺も大人気なかったからさ」
と、まるで別人のような佐藤。しかし、あの死闘を繰り広げた身としては油断出来ない。
「その……箕輪の旦那にはよろしく言っておいてくれよな」
どうやら箕輪さんが色々と諭してくれたらしい。やべぇな。オレの中では箕輪さんの株がどんどん上がっていく。あの人悪人面なのに、やってることは聖人なんだよなぁ。
「あ、先輩! ここに居たんスか!」
「岩戸、廊下でデカイ声を出すな」
すると、佐藤の後ろから若い女子社員が走ってきた。
「やや! 別の会社の人っスか!? ウチは
元気一杯な岩戸さんは名刺を出して来たのでオレらも社会人マナーに乗っ取って交換する。
「……
オレに渡された名刺は全く違う人のモノだった。
「おい、岩戸。それ、お前の名刺じゃねぇぞ」
「え? あ! ご、ごめんなさい! こっち! こっちッス!」
慌てて自分の名刺を取り出す岩戸さん。オレは三島さんの名刺を返す形で交換した。
「すまない、加賀さん、鳳。岩戸は今年入ったばかりで」
「気にしてません」
「オレも」
まぁ、間違えたのがオレらで良かった。これが冗談の通じない上役とかだったら本当にヤバかっただろう。
岩戸さんは、スミマセン! スミマセン! と頭が取れる勢いで謝ってくる。もう、止めとけ。首をヤルぞ。
その後、佐藤と岩戸さんは資料を取りに歩いて行った。彼女は最後までペコリとしていく。
「頼むぜ、岩戸さん」
そいつのダークフォースを抑える存在になってくれ。
学校の図書室には姫がいると言われている。
彼女が居るだけで不思議と皆は静かになり、存在そのものが読書を嗜む生徒から、あやかられてる。
全クラス、全学年の図書委員を纏めるトップ――
「鬼灯」
触ることさえも憚られる、美術品のような彼女に声をかけたのは大宮司だった。
街一番の問題児と図書室の姫。その邂逅に周囲はハラハラしながら様子を伺う。
「……」
呼ばれても鬼灯は読書を止めない。聞こえていないかのようにページをめくる。
すると、その横に1冊のノートが置かれ、少しだけ鬼灯の気がそちらに向いた。
「だいぶ助かったよ。ノートありがとな」
「そう」
「駿がめちゃくちゃ楽しんでた。鬼灯ってノートの中が本心だったりする?」
「別に。父の影響で昔から心得があっただけ」
「そ、そうか」
鬼灯が取るノートの中身は、喜怒哀楽なキャラクター達が要点を分かりやすく吹き出しのように解説しているメルヘンノートだった。
氷みたいに表情の動かない本人とノートのギャップに、別の人のノートと間違えたのかな? と大宮司は何度も名前を確認した程である。
「そう言えば、鬼灯って姉とかいるか?」
「いるわ。歳は少し離れてるけど」
「やっぱりか」
「あの人がなにか?」
実の姉を“あの人”呼ばわりする鬼灯に、姉妹の関係は良くないモノだと察する。
「道場つながりの他校の友達がな。お前の姉さん狙ってるんだと」
「そう」
鬼灯は興味無さそうに読書へと戻る。
「ちょっと不躾なんだが……お姉さんは彼氏とかいるのか?」
「知らないわ」
と、鬼灯は少しだけ事情を語る。
「あの人、自分から連絡を断ってるから」
「そうなのか?」
「ええ。以来、一度も実家には帰ってないわ」
「……姉妹仲は悪いのか?」
「別に」
淡白な鬼灯の性格も相まって、彼女の姉とは仲が良くないのではと大宮司は尋ねるが、そうではない様子。
「弟さんと喧嘩した?」
鬼灯はそんな質問をしてくる大宮司に質問を返す。鬼灯は大宮司が謹慎中に何度か勉強の相談を受けており、その際に弟の駿とは面識があった。
「いや……」
「そう。何か言いたげね」
「……鬼灯は大切なモノが二つあるなら、近い方と遠い方のどっちを護る?」
「近い方」
即、断言する鬼灯に大宮司は少しだけ後悔した様な表情になる。
「……そうか」
「私は片方しか取れないけど、大宮司君は両方取れるんじゃない?」
鬼灯はページをめくりながらも、自分には出来ない事を大宮司は出来るのでは? と口にする。
「……鬼灯、サンキューな」
「お礼の意味がわからないわ」
「俺が勝手に言っただけだ。得しておいてくれ」
「わかったわ」
大宮司の眼はようやく決意が固まった様に闘志を帯びた。
「ところで……面白いか? 広辞苑」
「ええ。重くて持ち歩けないのが難点だけど読んでみる?」
「いや……俺はいいや」
図書室の本を粗方読み漁った姫のマイブームは広辞苑だった。
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