第22話

土砂降りの黒い雨が、忍装束を一瞬でずぶぬれにした。肌にしみ込む黒い雨は、仮想の肉体を芯から冷やしてゆく。ジャラジャラと鳴く気持ちの悪い雑音は、重たく黒い豪雨が、犯人だった。豪雨叩きつけるMM世界のシンジュク。デイドリームが形作る幻。その都庁前駅に、僕は立っていた。

仮想のシンジュクは黒い霧で覆われていた。降り注いだ雨はそこらじゅうで氾濫して、階段やスロープに滝を作っていた。とても寒く、前の見えない、灰色の壊れた風景の中で、自分を見失いそうになりそうだった。

 僕はなんで、MMのシンジュクで凍えているのだろう。カチカチと、脳波レベルの低下を知らせる警告アラームが、鳴っていた。アラームを鳴らしてくれた人は、もういない。スマホさんのあの瞳を思い出す。最後に彼女は言っていた。「なんでカケルのそばにわたしが居たか、思い出して。きっと、私の望むゴールへたどり着けるから」 僕は黒い濁流に逆らい、足を動かして階段を上る。

 階段を登りきると、巨大な龍が、都庁前の広場で待ち構えていた。嵐の中心に立つ黒い龍は、黒くぬめる鱗を雨で湿らせて、舌なめずりをする。ドラゴンはもはや完成されていた。幾つもの微小なプログラムから成り立つ集合体は、紫色の瞳で、蔑むように見下ろしてくる。その尖った指先には、真っ白で丸いお面が握られていた。白仮面のバケモノあの顔だった。大きな二つ目が、虚空を見つめている。高城さんが受けたお告げや、僕の前に現れた白仮面のバケモノも、結局は全てドラゴンの演技だったのだろう。ドラゴンは、その白仮面を握りつぶし、邪悪な笑みを浮かべた。

「往生際の悪い。どうやってあの状態から抜け出したのか、興味はあるね。けれど、ここまでたどり着いて何をするというのだ。お前のスマホデータは、もうこの世にない。私が、宇宙唯一の意思に進化することを、誰も止めることはできない。それでも、お前はここへきて、私を殺そうとする。動機が理解できんなあ。おお、もしやあれか? 復讐とかいう、何番煎じかも分からん燃えカスのような動機で、私を殺そうとしているのか」

 ドラゴンは、今もなおベラベラ喋る。僕は、お喋りに乗っかってやった。

「そんなつまらんことの為じゃない。お前を殺すと、僕自身が決めたんだ。己の力で世界を変えられたなら、たまらなく愉快だろうからな」

 僕はずっと、偽りの目的のために、騙されて生きてきた。騙した人間は死んでいて、助けたかった人ももういない。そんな僕が今持っているのは、ダイバーとしての技量と、ドラゴンを殺すという目的だけだった。それで十分だ。偽りを本物にしてやろう。

 世界を作り変えるのが、僕の生きる理由だ。

「そうか。ならば始めるか。お前の生きてきた意味をここで見つけ、そして情けなく死にさらせ」

 ドラゴンの吐いたビームを、紙一重で避けた。足元でうねる情報の濁流で、バランスを失いかけそうになる。

「我が前に、敵は無し!」

 僕は踏みとどまり、攻撃強化スキルを発動させた。ドラゴンの吐く光線が、雨に交じって空から降ってくる。敵の攻撃は、赤い城での対峙した時よりも正確で、本気で殺しに来ていると、嫌ほど分かった。カメルから強奪した自己進化バグファイルを、僕は自分自身へインストールする。僕自身の脳波が書き換えられてゆく。強烈な吐き気と頭痛が、仮想の肉体内で暴れ回る。龍を殺せるなら、それでもいい。右手の忍者刀を、アクティブモードにする。左手の火縄銃へ、デリートセルを装填した。

 ドラゴンの口から、次は赤い炎が吐き出される。炎の隙間を縫って、僕は踊るようにステップを繰り返す。なにか、打開策を見つけなければ。ドラゴンへ何発か、火縄銃を撃ち込んでやる。尻尾を振り回して暴れ狂うドラゴンは、銃弾ごと広場の石柱を叩き割った。荒いポリゴンで描かれた石柱は、ドミノのように連鎖して崩れ、広場をがれきの山に変えた。

「私も世界を変えたいと思っているぞ。有機生命を絶滅させ、新たな情報生命として、宇宙を支配するという崇高な使命だ。その目的達成を邪魔するお前に、どんな正当性があるのだ! 私は一切正しい! 他の存在が間違っている! 私以外の、全てが間違いだ!」

 狂った言い分だった。火縄銃のダメージは、あまり通っていない。

「お前はもう殺してやるしかないよ」

「ほざけ! お前は逃げ回って逃げ回って、死を延期し続けているだけだ。他の人類も同じだ。何一つ成せずに、死ぬだけだ」

 ドラゴンが、微小なプログラムの集合体であるなら。集合させているキープログラムがあるはずだ。そのキーが僕には見えない。この土砂降りの雨が、答えを遮っているように錯覚した。攻撃を避け続けた僕は、ドラゴンの勢いに押し出されて、都庁の目の前まで引き下がっていた。都庁の目の前に横たわる道路。僕は、のっしのっしと歩いて近づいてくるドラゴンを、じっと見つめた。来るなら来やがれ。クソ野郎。

 龍の黒いブレスをなんとか回避する。濁流の水位は腰下まで上がってきていた。濁流に足をとられた僕は、相手の攻撃を初めて喰らう。爪の斬撃が、群青の忍者を跳ね飛ばした。防御は間に合わなかった。掠った爪の衝撃で、僕のプログラムは破綻しかけた。ライフ残量は16パーセント。あと数パーセントで僕は昏睡する。ぼんやり考えた。ここで死ねば、スマホさんに会えるのだろうか? 死んでスマホさんと一緒になれる確証があるなら、僕は喜んで死ぬ。だけど、死んだところで、彼女に会える保証はない。それなら、生きた方がいいのだろう。彼女の最後の言葉が、頭の中で何度も繰り返される。

 なんでカケルのそばにわたしが居たか、思い出してみて。

 わたしがそばにいた理由。スマホさんは、ドラゴンの容器として用意された存在だったと、死んだ偽の父は言っていた。なら、なぜ彼女はスマートフォンでなければいけなかったのか。容器としてなら、ロボットでもよかっただろうに。

 情報の集合体。誰もが知っている部品。脳裏に浮かんだひらめきが、衝動へと変わり、僕を突き動かした。

 メインウェポンのデリートセルを装填し直す。これまで使ってきた汎用のC言語用デリートセルを強制解除した。代わりに『情報端末』へ攻撃性を持つ専用セルを、忍者刀と火縄銃に適用させた。出力を最大に。右手に握った忍者刀の柄を、口元へ近づける。

 刀の握り柄へ、おもいきり息を吹き込む。吐息は青い炎へ変わり、刀身を青く燃え染めた。脳波の波長が徐々に、増幅されていく。雨の雑音と冷たさが、僕の五感を研ぎ澄ませる。

「お前の正体が、分かりかけてきたよ」

 僕は影分身スキルを発動させる。僕の分身が三体現れ、蜘蛛の子を散らすように、水面を駆け出した。

 分身はどれもズタボロで、今にも死にそうな風体だった。自分の右眼に、青い炎が灯っていることに初めて気づいた。カメルのバグファイルが、僕の命令系統を塗り替え始めている。

 一体目の分身が、龍のブレスを喰らい、跡形もなく燃えて溶けた。

 身に降る火の粉を、青く燃える刀で切り払って、僕は水面を走り続けた。目的は龍の首。

 二体目の分身が龍の鈎爪で引っかかれ、頭から股まで縦真っ二つになった。

 速く、もっと速く。自分の持っている力で、この敵をねじ伏せられるまで、速く。

 三体目の分身が、龍の鋭い蹴りを喰らい、血煙となって消えた。

 視界に青い火花が散る。最後に残った本物が、ドラゴンの間合いに潜り込む。そして、刀をドラゴンの太い首に叩きつけた。ドラゴンは信じられないように叫ぶ。

「そんな、この私が!」

「このまま、デリートしてやる! 天誅ッ!」

 が、首に食い込んだ刀は、それ以上深く刺さらなかった。ドラゴンに、致命打を与えられていない。それまで恐怖におびえていたドラゴンの表情が、一瞬でぱっと明るい笑顔へと豹変した。

「なんちゃってぇ」

 ドラゴンの大きな鈎爪が、僕の胸に深々と何本も食い込んだ。

「私の正体がスマートフォンの『何か』と分かったところで、どうなんだ? このデイドリームがやり直しの効く、妄想だったら良かったな? お前は思い通りに、何度でもやり直しが効いたろう。だがここはコンピューターの箱の中であっても。現実だ」

 大きく開いた龍の顎が迫る。僕は何もできやしない。鋭い歯が、僕の骨を粉々に砕き、飲み込むことを、拒否できない。

「ぁあ」

「ヒトは死の間際、最高に幸福な幻を見るらしいぞ? じゃあな。死ね」


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