第21話
コンテナ内には、機甲兵が一人、それとガスマスクのノーシス教徒が一人。機甲兵がたたずむ脇で、ガスマスクは手際よく、注射器の準備を進めていた。アンプル瓶に注射針を突き刺して、透明な液体を吸い上げている。コンテナの床には、糸鋸やペンチ、カッターがぶら下がっている。このトラックの中で、僕の脳みそを引きずり出す気なんだろか。
機甲兵の両脚は、トラックの揺れに合わせて、ギィギィと鳴っていた。僕は、この音を鳴らす義足の持ち主を知っている。僕は彼の名前を呼んだ。会った時に彼が名乗っていた偽名の方で。
「パトリオット。貴方もノーシス教徒だったんだな」
返事はない。無言の肯定だった。父とパトリオットは最初からグルだった。僕は、ドラゴンの手のひらの上で、踊っていただけらしい。
「あなたもすぐ、僕や父のようになる。死にたいのか?」
「もちろんだ。祖国に裏切られ、家族を殺された俺に、生きる意味は無い。ドラゴン様を信ずる道は、大きく広かった」
心の死んだような、返事だった。
「準備ができたぞ。献体を取り押さえろ。抵抗されても癪だ」
ガスマスクのノーシスは、英語でパトリオットへ命令した。僕は藁に縋る思いで、パトリオットを説き伏せようとする。
「あいつは世の中を滅ぼすどころか、地球の生き物全てを、絶滅させるつもりなんだぞ、それでもいいって言うのか」
「この偽の世界に、未練はない。私を裏切り、私の家族を殺した世界なぞ、滅んでしまえ。ドラゴン様の供物にされてしかるべきだ」
パトリオットの吐き捨てた言葉は、恨みつらみで汚れていた。
「なにをウダウダと日本語で話している? 速く押さえつけろ!」
ガスマスク野郎の命令に、パトリオットは機械的な反応をした。僕の首根っこを掴んで、床へ押さえつける。そのヘルメットの中の表情は分からない。パトリオットは本当に心から、世界の破滅を願っているのだろうか。府中のジャングルで会った時、彼だけは聖書からの引用に動じなかった。ノーシス信者だったら、当たり前だろう。けれど、家族との秘密電話という誘いには、パトリオットも動揺した。縋るように家族との電話を頼んできたのは、ほかならぬ彼だった。
「じゃあ、あなたは生き残りの家族と話せないまま、死ぬんだ。スマホさんだけが、アメリカ帝国との電話回線を繫げたのに。その家族を犠牲にして、アンタは何をしようとしてる! 娘までドラゴンの生贄にするつもりか!」
コンテナ内に反響した怒鳴り声は、自分の声とは思えないほど荒々しかった。僕とパトリオットはにらみ合って動かない。しびれを切らしたガスカスクが、拳銃を取り出した時だった。パトリオットは、ヘルメットを外した。その頬には、涙が伝っていた。
「私は殉死しても構わない。だけど、私の娘は、殉死を望まないだろうな」
すかさず、生き残りのトライポッドたちが、僕の胸ポケットから飛び出し、一本腕から毒針を発射した。パトリオットの首元に、トライポッドたちの無力針が突き刺さる。
「なんだっ! この虫は!」
ガスマスク野郎は奇襲にうろたえて、拳銃をトライポッド目掛けて乱射する。崩れ落ちるパトリオットの機甲服に銃弾が弾かれ、コンテナ壁や粗末な医療機器に穴を開ける。注意が逸れた隙を、僕は見逃さなかった。ぶら下がっているノミで、ガスマスクを殴りつけてやった。そのガスマスクを剥ぐだけで、目的は十分達成できた。
トライポッドの毒針を顔中に喰らい、ガスマスク野郎はぐったり動かなくなった。段差を乗り越えたタイヤから、振動が突きあげてきて、静まり返るコンテナ内を揺すぶる。次は、このタイヤを止めなければならない。
僕は気絶したパトリオットの右手から、レーザーガンを抜き取った。その銃は、構えるのも辛いほどに重かった。タイヤが転がっているであろう床の場所へ、どうにか狙いを定める。見よう見まねで、コッキングレバーを引いて、弾を装填する。デイドリームでの火縄銃は弾の装填なんて不要なのにな、と妙に場違いな事を考えた。
現実世界の銃の使い方なんて、何一つわからない。そもそも僕は、これからどうなるのかも分からない。けれど、自分の成し遂げたい目的は分かっている。あのドラゴンの息の根を止めてやる。僕は本当にドラゴンを殺してやりたい。己の力で、絶望を希望へ変えたいから。
「トライポッド、僕の身体に張り付いてくれ。そして、エアバッグを開くんだ」
「アイアイサー」
僕の身体へ戻って来たトライポッドが、風船のようにぷくーっと膨れて、衝撃から守る態勢を取る。ポッドたちのエアバッグを開いていても、当たり所によっちゃ死ぬだろう。けれど、くよくよ悩むのは、死んでから幾らでもできる。コンテナの真下にあるであろうタイヤを狙い、僕は引き金を引いた。レーザー弾が荷台の下で爆発した途端、コンテナの箱は激しく左右に揺れた。僕はその中を、スーパーボールのように跳ねまわる。あまりの衝撃で脳に血が上り、目の前が真っ赤になり、僕は気を失いかけた。
トラックが完全に停車してから、僕の遠のきかけた意識は戻ってきた。視界は真っ暗だった。身動きも全く取れない。僕の身体は、へしゃげたトラックの鉄板に挟まれてしまっているらしい。トライポッドのエアバッグのお陰で、ケガはしていないらしい。けれど、こんな状態じゃなにもできない。失望感が胸にこみあげてくる。自分のひどい不運を恨みながら、ここで永遠に閉じ込められるしかないのか。
けれど突然、バキバキという鉄のひしゃげる爆音が、頭上から響いてきた。そればかりか、コンテナが持ち上がる感覚がした。何者かが、トラックを解体しようとしているらしい。真っ暗だというのに、僕は反射的に辺りを見回した。すると、ぐしゃぐしゃのコンテナの壁が割れて、頭上から外の光が一気に飛び込んできた。反射的に、僕は目をぎゅっと瞑る。
うっすらと両目を開けてみると、教習ロボットの巨体が、僕を見下ろしていた。そして、そのコクピット座席に安形が座っていた。
「トライポッドはそういう役目も果たすんやな! 感動したわ! それで無事か? 芦原?」
「方言で感動してる場合か、さっさと助けんかさっさと」
それに、義手のない進藤が、ロボットの助手席に乗っていた。タチの悪い夢か、幻覚かと思ったけど、残念ながら現実だった。二人が乗り込んでいたのは、いつぞやロボット部に行った時に見かけた、教習用ロボットだ。その操縦席は剥き出しで、腰には仮免のナンバーがご丁寧についてある。進藤が座席から降りてきて、倒れている僕へ片腕を差し伸べてくる。
「どうして、二人が?」
僕はその手を借りて、なんとか立ち上がった。
「スマホさんからのメッセージが、私たちのスマホに送られてきたんだよ。お前さんちのGPS座標だけの内容だったけど、良からぬことが起きたと直感して、あわててロボットを持ち出して、飛び出してきたのさ。駆けつけた時にはお前さんが攫われる直前だったけど、私のロケットパンチがギリギリ間に合ってね。私の義手は無駄に高価なもんで、ロケットパンチに発信機機能も付いてるんだ。こんな時に役立つとは思ってなかったが」
トラックの荷台に、進藤の義手が突き刺さるようにめり込んでいた。それを進藤は左手で引っ張るが、抜けない。
安形が右レバーを器用に操作して、教習ロボットのショベルアームで、義手をぞんざいにぶっこ抜いた。
「ほら。地面から大根抜くより、楽に抜けるぞ」
「おい、その義手は高価なのは知ってるだろ! もっと女性を愛するように、細部までこだわって扱え! そんなんだからモテないんだお前さんはぁ」
「そうだな。確かに俺はガサツだから、この義手をこのまま握りつぶすかもわからないぜ」
「すみませんでした」
緊張が解けた安心と、ドラゴンをスマホさんへ転送した後悔、そして、目の前で起きた殺人を思い出して、膝が笑った。
けれど、涙は出なかった。それは、やらなければならないことが、残っているからだ。僕は、ドラゴンを倒すんだ。移動手段を持っている安形へ、話しかけようとしたときだった。背中に絶叫が突き刺さった。
「殺してやる! 何もかも無くなってしまえばいい!」
反射的に振り向くと、機甲兵の一人が、つぶれたトラックの助手席から這い出して、レーザーブラスターを構えていた。脳裏に偽父の最後がよぎった。けれど、レーザーは僕を打ち殺せなかった。
「ロケットパァンチ!」
機甲兵がレーザーブラスターを構えるよりも、進藤が右腕を振りかぶる方が速かった。上腕から切り離された義手は、ロケットエンジンで加速して、機甲兵のヘルメットを粉砕した。
「この手に限る。なんたって速度はマッハ1,飛距離は5キロメートルを超えるんだ。威力もそれなりにあるんだぜぇ」
進藤は倒したノーシス兵まで駆け寄り、その脇に落ちていた義手を拾い上げて、こちらへ戻ってくる。面倒な気がする。
「なあ、そのロケットパンチ、もし外れたらどう回収するんだ」
安形は、コクピット前のモニターで何かを確認しながら、聞いた。
「いい質問だ。明後日の方向にすっ飛んで行くから、探さないといけなくなる」
「ああ……だからロケットパンチに発信機ついてるのか」
「非常に合理的だな」
「そっか。知らんけど。それじゃあ、二人とも助手席に乗ってくれ。最後にスマホさんの発信があったところまで、行ってみようぜ」
脚部のローラータイヤで、教習ロボットはがらんどうの首都高速を爆走しはじめた。
操縦席の安形はふんぞり返って、モニターに両足を乗せて、行儀悪く腕を組んでいるだけだった。操縦席にある二本のアームレバーと無数のサブレバー、足元にある六つのペダルは、自動でガチャガチャ動いていた。ひび割れたブラウン管モニターには『AUTO CRUISING』(自動操縦)の文字が映っている。
「乗り込み型ロボットなのに自動運転するのか? もっとそのへんのレバーをガチャガチャ動かせよ。風情がないな」
義手でしっかりとロールバーを掴みながら、進藤が安形へぼやく。
「せっかくのオートクルーズを、使わん奴がおるかい。だから、素人を乗せるのは疲れるんだわ、ほんま」
「最後にスマホさんの指示のあった場所はどこなんだ」
「ええと。この首都高を降りた先の新宿駅だ。……そこに敵の親玉が居るとは思えないけどな」
二人はいつもの調子で、延々としゃべくり続けそうだった。教習ロボットは無人の料金所を無賃突破して、新宿駅に合流する広い一般道へ降りた。僕は二人へ聞いてみた。
「なんで、二人は僕を助けてくれるんだ」
進藤は当然とばかりに、キレッキレで即答する。
「私はノーシスへ恨みがあるからだ。これくらいの賭けには乗る」
安形は幾ばくか考え込んでから、ぼんやり答えた。
「芦原はノーシスのボスを倒したいんだろ? 友達の頼みは聞いてあげるんが普通だぜ」
単純な二人の答えに、なんだか肩の力が抜けた。
「君らがそれでいいならいいけど」
ビルのジャングルを潜り抜けた先に、がらんどうの新宿駅が待ち受けていた。空の天気はどんどん悪くなっていて、今にも雨が降りそうな灰色の曇り空だった。僕はその時、駅の方角から声にならない叫び声を聞いた気がした。絶望に満ちたアンシブルテレパシーだった。スマホさんの遺したルートは、彼女から続いている。僕は教習ロボットから飛び降りて、行くべき終点へと足を進めることにした。彼女がこの駅に迷い込んでいるらしい。
「スマホさんはきちんと導いてくれたよ。ありがとう。ここからは僕一人で行くよ」
僕は最後に振り返って、礼を言った。進藤が敬礼の真似事をする。
「無事を祈るぞ。じゃあずらかるぞ安形。ここに居たらノーシスに殺されちまう」
「悪役みたいなこと言うなよ。じゃあのー」
教習ロボットはパイクターンを決めて、走り去ってゆく。たぶんあの二人は、殺しても死なないタイプの人間なんだろう。僕はその二人を少し見送ってから、無人の新宿駅へと駆け寄った。電源の切れた改札を、どうにか飛び超える。駅員も客も見当たらない駅は、デイドリームの仮想世界のようだった。僕は、『彼女』を呼び出すアンシブルテレパシーの脳波を、四方八方へ飛ばした。
『どこかで僕の脳波を聴いてるんだろう。あんたも、スマホさんに呼び出されたはずだ。あなたなら、スマホさんの座標を知っているだろう? 僕のマイキャラを、スマホさんへ転送するんだ』
恐怖の感情が僕の精神を掠めた。
『こんなことになるなんて、知らなかった。私は本当に、龍を殺したかったのに』
混乱と絶望の入り混じった返信。 直感を頼りに、止まったエスカレーターを駆けあがる。登りきった先に、がらんどうの新宿駅ホームがあった。線路上には、電力を失った電車が、もぬけの殻で残されている。運転士も退避してしまったようだ。
『わかっている、けれど、今はそんな贖罪が欲しいんじゃない。僕は進まなきゃならない。そのための力を持っているのは、君だけなんだ』
『ごめんなさい。ごめんなさい。私は』
「どこにいる! 君が僕をスマホさんへ転送できなければ、全てが終わるんだ! 高城さん!」
声の限り、僕は新宿駅のホームで叫び散らした。すると、ホーム端の整備用階段の上に、人影が立ち上がって現れた。僕が駆け寄ると、彼女はは後ずさりして線路の方へ、弱弱しく退いてゆく。僕はなんとか鉄柵を乗り越えて、階段を下り、線路の真上で彼女の肩を掴んで捕えた。高城さんは、観念したようにうつむいて、何もしゃべらない。涙で腫れた瞳に、ぼさぼさに節くれだった髪。その姿に、いつもの元気あふれた快活さは、みじんもなかった。
「どういう顔で、あなたと会えばいいのか、わかりません」
やっと彼女は、ボソッと絶え絶えにつぶやいた。
「わからないままでいい。終わったことは、どうしようもない。頼む。ここで僕とマージしてくれ。スマホさんのメインストレージへダイブするために」
「両親が言っていたんです。私は物語のお姫様なんだって」
「それは嘘だったんだな。人生なんて物語じゃない」
「私をいっそ殺してください。私は両親に騙され、ドラゴンを現世へ召喚してしまった。今の私は、生きるに値しません」
「ここで君を殺したって、今の状態は何も変わらない。自分の生きる目的は、自分で見つけなきゃいけないんだ」
僕はスマホさんからの受け売りを口にした。高城さんは驚いて、目を見開いた。そして目を伏せて、しばし迷う。僕は彼女の両肩を掴み、じっと見つめた。最後にまぶたを閉じて、高城さんは観念したように、言葉を吐き出す。
「……ドラゴンがいるデイドリーム座標、つまりスマホさん自身のメインストレージ座標は、スマホさんからのショートメールで知っています。接続は1分程度なら可能です。それでもあなたは、接続しますか?」
「ああ。ダイブしなきゃ、僕は目的を達成できない。僕はドラゴンを殺す。それは君の依頼だったろ?」
僕は迷いなく同意した。高城さんは虚ろな目つきで、自分のスマートフォンを取り出した。最後に、高城さんはアンシブルテレパシーでささやいてきた。
『その、ええと。現実世界での一番効率の良いマージ方法は、粘膜での直接接触で……かつ、一番簡単な方法はキスをする必要があります。……いいですか?』
僕は苦笑いをした。スマホさんの突飛な行動の理由が一つ、分かったから。
『大丈夫だよ。さんざんスマホさんに、予習させられたから』
唇を交わし、高城さんと直接、神経を接続する。高城さんの強力なアンシブルテレパシーを橋渡りして、群青の忍者がスマホさんのメインストレージへ転送された。
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