第19話

ダイブヘルメットを外し、大きく息を吐いた。倉庫の中で、僕の右わきに座りこんでいるスマホさんがささやいてきた。

「明日、殺しに行くんだね」

「ああ」

 スマホさんは何も言わず、マップアプリを開く。近所にある公園の座標が表示されていた。家から徒歩で十分の位置にある、大きなケヤキの木のある公園。幼い頃、僕はスマホさんとよく、その公園まで散歩しに行った。

「散歩に行こう。スマホさん、ナビをして」

「かしこまりました」

 ノーシス軍の脅威は、人々を怯えあがらせていた。家から出た時、車道には車が一台も走っていなかった。もちろん、人通りも全くない。 町は、しんと静まりかえっていた。春は遠のき、サクラの枝にはもう若葉が芽吹き始めている。人間の大騒ぎなんてどこ吹く風で、時間は立ち止まらずに同じ歩幅で歩き去っていく。コンピューターが絶滅しようがしなかろうが、近くの川のアイガモたちはグワグワと鳴いて、餌を探してうろついているのだろう。

 辿り着いた公園には、いつもと変わらず、ケヤキの大木が枝を広げて待ち構えていた。公園自体はとても小さく、大木とのバランスは取れているとはいいがたい。昔からここに生えていたケヤキを囲むようにして、後から公園をこしらえたような場所だった。木の下には、年季の入ったベンチが置かれている。僕らはそこに座って、ケヤキの作る葉っぱの傘を見上げた。

「安形が花見したいと言ってたけれど、色々あって出来ずじまいだったなあ」

 僕はつぶやいた。川沿いの桜は、もう散り始めている。

「カケルはやりたかったの? 花見」

「やったことないから興味はあった。もう、できないかもしれないけれど」

 スマホさんは返事しなかった。風が大木の枝葉を揺する。僕は聞いた。

「スマホさんは父さんの目的について、どこまで知っているんだ」

「んー、ないしょ」

 スマホさんは小さくベロを出した。きっと、口封じされているのだろう。

「ヒントくらいは教えてくれ」

「答えられるならいいよ」

「父の目的であるスマホさんの言うゴール、ってのは良い事かな」

「いいや、悪いこと。とても悪い」

「それは、スマホさんのやりたいこと?」

「違うに決まってんじゃん」

 スマホさんが僕の手をぎゅっと握ってきた。柔らかいシリコンゴムに包まれた、チタンマニピュレータの感覚が伝わる。

「じゃあ、僕にどうしてほしい。教えてくれ」

 縋るように僕は聞いた。けれど、スマホさんの製作者は僕の意図を読んでいた。あらかじめ対策を講じていたらしい。

「製造時のセキュリティロックにより、ユーザーは当該事項へアクセスする権限を持っていません」

 録音された無機質な音声を、スマホさんは再生した。その緑と赤のオッドアイから、涙が溢れ出る。彼女が涙を流すのを、唖然として僕は見つめていた。スマホさんに泣くことができるなんて、初めて知った。スマホさんはすぐ泣き止んで、儚く笑う。どうしようもないように。

「なんでカケルのそばにわたしが居たか、思い出して。きっと、私の望む別のゴールへたどり着けるから。その選択を、私は恨まない。信じてる」

 その言葉を残して、スマホさんは瞳を閉じた。そして、右耳のブレードアンテナから、光が消えた。


 それからスマホさんは、待機モードへ自動的に移行してしまった。何かをあきらめたように、殻を閉じたように、僕の呼びかけに答えてくれなくなった。こんなことは初めてだった。僕はまた、スマホさんを背負う。けれど前と違って、彼女が目を覚ますかどうか、わからない。

 公園から家へ戻った僕は一度寝てから、思い悩んだ。スマホさんは、ダイブ室代わりの車庫へ横たえていた。スマホさんがこうなってしまっては、中止するしかないのではないかと。けれど、その躊躇はあらかじめ計算されていた。待機モードのスマホさんへ、メールが届いた。差出人は父だった。件名だけのメールは、僕の退路を塞いでしまう。

『件名:今日を逃せば目的は達成できない』

 四月の終わり。待機モードのスマホさんの手を握り、ダイブヘルメットを被って、僕は白宮へとダイブした。ダイブした僕は、白宮のとあるポイントに立っていた。パインが探り出した座標。ドラゴンの居場所へと繋がる、一枚の扉が目の前にある。ここを潜れば最後、ドラゴンとの死闘に勝たない限りは、脱出できないだろう。

 突入の最後に、僕はフォルダの持ち物をざっと再確認した。父から貰ったUSBメモリーのプログラムは、特殊な様式のデリートセルだった。それを展開してみる。自分の視界に『PRODUCT assemble』の簡単な表示が現れるとともに、左手にずっしりと重く、馬鹿でかい古式な銃が収まっていた。いつも愛用している流麗な火縄銃とは全然違う。粗雑で、鉄の塊に穴をあけただけのような、火打石式の手持ち砲だった。会社ロゴもバージョン表記も何もない。視界には弾数1の表示と、貧弱な照準線がオーバーレイされただけだった。大砲からぶら下がる紐を背負い、僕は扉に手をかけた。

 ドラゴンの正体、元になったプログラムはなんなのか。ぼんやりと僕は思いをはせた。分かっているのは情報の集合体であること、それがありふれた部品に寄生している事。その削除が物理的に不可能であること。もしすべてのデジタルデバイスへアクセスできるような能力がドラゴンにあるならば、ドラゴンは誰もが知っている部品のはずだ。けれど、その答えは思いつかないまま、決戦の時まで来てしまった。

 僕はカメルのプログラムも起動させる。これまで見た事のないプログラム様式。忍者の周囲に、青い熱気が舞い始めた。バグによる自己進化の果てに、このプログラムは他ファイルに対する凶悪な破壊力を獲得している。地獄を潜り抜けて、僕はスマホさんにもう一度会えるだろうか。錆びた扉を蹴り破り、僕はドラゴンの寝床へ侵入した。

 次の瞬間、群青の忍者は石畳の上で、空を見上げていた。僕は、大きな城の中庭に立っていた。座標を調べる。偽物のロボット部部室と同じ、狂った座標だった。ここはもうドラゴンの縄張りだろう。空は真っ赤で暗い。

 中庭の向こう、大きな門の前で、ドラゴンは待ち構えていた。その姿は人と龍の中間のような、二足歩行するトカゲのようだった。 黒くぬらぬら光る四角い鱗が、トカゲ人間の全身をくまなく覆っている。僕は無言で刀を抜いた。

「私とお前は似て非なる対極の存在だ」

 自分の身体を撫でさすりながら、ドラゴンはうそぶいた。その表情は恍惚に満ちている。

「私は、プログラムの海から自然発生した新しい生命だ。人類は私をバグだのウィルスだの呼ぶが、見当違いだな。私は四次元に縛られない、全く新しい存在。自由で、美しく、強い存在として、世界で唯一の思考体として進化すべき存在」

 ドラゴンのアンバランスに大きな瞳が、僕へ焦点を合わせる。やつは歪んだ笑みを浮かべる。

「一方でお前は、私を殺すためだけに、生み出されて育てられた人間だ。不自由で弱い特殊工具が、この自由なる私を殺せるか? 馬鹿も休み休み言え。人間であるお前の方が、よっぽどか機械のような存在ではないか。お前は定められたプログラムに沿って、意思も動機もなく、ベルトコンベアに流されてここまで来たのさ」

 ドラゴンは粘り気のある笑い声を上げて、笑い始めた。

「お前の境遇には同情するねえ。さ、始めるか」

 黒い竜巻がドラゴンの周囲を覆い、城の壁が一斉に崩れ落ちる。ドラゴンは背中の翼を広げ、赤黒い空へと飛びあがった。マイキャラの駆動に違和感があった。僕の脳波とマイキャラの動きにズレが生じている。そのズレを生み出しているのは、顎を大きく開いたドラゴンだろう。その口から光があふれ出し、僕を突き刺すべく飛んできた。辛うじて身を捩り、僕は光線を避ける。光線の弾幕を、僕は必死に避ける羽目になる。

「一撃で死んでいれば、楽だったものをなあ」

 当たれば一発即死。僕の装甲では防ぎきれない光線だろう。その致命的な攻撃が今度は、雨のように、空から無数に降りはじめた。理不尽な状況に、怒りがこみ上げた。けど、そんなことを考えたって何にもならない。僕は床を飛び跳ねて、無様な決死のタップダンスを踊った。このデイドリームは、ドラゴンの口の中のようなものだ。そんなところに飛び込んだことを、今更後悔していた。けれど、後悔は先に立たない。後も絶たない。大砲の照準はぼやけていて、一向に定まらない。有効射程は相当に短いらしい。弾数は一。近づこうとして、ドラゴンの吐き出す光線を避けて、距離を取ることを繰り返す。

「間抜けだなあ! ところでどうしてそれほど近づきたがる? だんまりか?」

 ドラゴンは、絶妙に手を抜いていた。光線の弾道には、これ見よがしの『安全地帯』があえて残されている。今の自分にできることは、その安全地帯に潜り込んで生き残ることだけだった。ドラゴンの意図までは、頭が回らない。自分が生き残れる選択肢はいつのまにか、手に収まっている大砲の他に残っていなかった。脳波とマイキャラのズレはだんだん開いてゆく。それでも僕は、どうにか龍の黒目が見えるあたりまで、距離を詰めることができた。

「お前を殺すためだ」

 僕はこの空間で初めて、どうにかこうにか、減らず口を叩いた。

「絶対に私を殺せない。ああ、殺せないとも」

 僕は煙幕を手当たり次第に展開した。濃い煙が視界を覆い、ドラゴンの舌打ちが聞こえた。ドラゴンの挙動に変化が入る。ドラゴンは翼を激しくはためかせて、竜巻を新たに巻き起こして、煙を払おうとする。今しかない。カメルバグの出力を、最大にする。光線の雨が止んだ瞬間に、僕は両脚へ全力を込めて、前傾姿勢でドラゴン目掛けて突進した。煙のベールをかき分けて、僕はドラゴンの目の前まで迫る。照準がドラゴンのトカゲ頭へハッキリ固定され、パルス音が脳内で反響する。僕は夢中になって、そのヘラヘラ顔へ銃弾を撃ち込んだ。

 引き金を押し込んでから、僕は疑問に駆られた。

 ドラゴンはヘラヘラ笑ったままだ。なぜ、ドラゴンは、僕に撃たせたのだ?

 このプログラムは、本当にドラゴンを殺すプログラムなのか?

 恐怖の感情が、さざ波立てて、僕の脳幹を揺さぶる。

 メッセージウィンドウに表示された文字が、その答えだった。

『成功。 プログラム ドラゴン を スマートフォン へ 転送します』

 悪寒と後悔が、神経を駆け抜けた。

 僕は、永遠に取り返せない過ちを犯した。デイドリームが悪夢そのものになる。僕は、この大砲を使って、スマホさんへドラゴンを転送したのだ。父親を名乗る男はこのために、僕をずっと騙していた。偽物の父を演じて、僕を騙してキープしていた。僕は騙されている事には気付いていた。けれど、騙している理由までは知ろうともしなかった。

 偽物の父の目的は、ドラゴンを現実世界へ転送することだった。それが、隠れノーシス信者に課せられた使命だから。

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