第17話

日照りの熱さが、僕の意識をまどろみから引き上げた。

 気付くと、忍者姿の僕は、両手両足を縛られて、茣蓙の上に正座していた。失意と絶望が、脳内に広がる。ここはまだデイドリームの中だろう。僕は脱出に失敗したらしい。甲冑姿の武士たちが、忍者姿の僕を見下ろしていた。そのさらに外は、竹の柵でぐるっと囲われていて、胸当てにふんどしの雑兵たちが、僕の姿をじろじろとのぞき込んでいる。目の前には、人間の頭が丁度入るくらいの大きさの穴が、適当に掘ってあった。

 もしかしたら、デイドリームでもないかもしれなかった。これは、最後の瞬間の幻かなにかだ。僕は結局、ドラゴンに殺されたのだ。目の前に立っている武士の一人が、腰の太刀を引き抜いた。ぎらつく日差しを反射して、刀の梨地が怪しく煌めいた。僕はここで斬首されるらしい。死んだ人間の意識はどうなるのだろう。別の世界へ旅立つのか? 肉体に閉じ込められてしまうのか? それとも、永遠になくなるのか。

 そのどれだとしても、死ぬのは嫌だった。けど、僕がドラゴンに負けたのだから、死は逃れがたい現実になる。自分の力を出し切っても、結局は世界の一つも変えれやしない。自分の無力さ加減に嫌気がさした。

 全てをやり直したくなった。けれど、全てが手遅れだった。武士は大きく刀を振り上げる。最後の瞬間、全てがスローモーションに見えた。絶叫する処刑人の武士。囃し立てる雑兵たち。茣蓙の網目の一つ一つ。僕は叫んだ。

「やめてくれ! このまま何も変えずに、死にたくない!」

 太刀の切っ先が、僕の皮膚を割き破る。そして、脊髄を砕き、断ち切った。痛みと絶望、そして後悔が火花のように散る。

 

 全身の力を込めて、僕は布団から立ち上がった。僕の身体に張り付いていたトライポッドたちが、雪崩を起こして掛け布団から落ちてゆく。見知らぬ和室に、僕は居た。広々な畳部屋の真ん中に一つの布団。部屋には机、鏡、椅子、照明、最低限の家具は置いてある。ここが、宇宙人の実験部屋でない事を祈った。その不安はすぐ消えた。

 布団の脇で、スマホさんが丸まって寝ていた。スマホさんは瞳を閉じて、動かない。耳のアンテナは赤く発光していた。充電が切れているサインだった。一体どれだけ眠っていたのか、分からなかった。記憶を必死に取り戻していた時だった。人影が部屋の隅で動いたのが分かった。その人影は、僕の方へと歩み寄ってくる。

「スマホは、お前が起きるのをずっと待っていたが、手持ちのバッテリーでは、三日は持たなかったようだ。ここは、高城家の別荘だ。ヘボい病院よりはずっと安全だ。安心しなさい」

 僕は彼へ反射的に頭を下げて、挨拶した。

「お久しぶりです。父さん」

「二年ぶりか」

 捉えどころのない顔立ちの、どこにでもいそうな男が、笑う。魂はどこか、別のところにあるかのような表情。

「僕を助けてくれたんですか?」

「いいや。お前はドラゴンの魔の手から、自力で脱出してきたんだ。我々は何も関与してない」

 僕が聞くと、父は無関心に告げた。

「なんで、僕がドラゴンを殺そうとしているのを、知っているんです」

「お前はドラゴンの正体を暴き、殺す任務を与えられているからだ。生まれた時からな」

 父はにべもなく答える。驚きはなかった。そんなことだろうと思ったから。僕は、ドラゴンを殺すために、育てられてきた。世界を変えようと願ったのも、刷り込みのおかげなのかもしれない。

「なぜ、僕にそれを教えてくれなかったんです?」

「ドラゴンは我々の会話を、常に盗聴できるようでな。そのような状態で、お前に話すわけにもいかなかった。だからこそ、高城家が嚙んで貰わないとならなかった。アンシブル通信の家系は、この国に一つだけしかないからな。が、お前の素性がドラゴンにバレた以上、隠し立てることもなくなった。だから、あえて正式に命令を下そう。カケル、ドラゴンを殺すんだ」

 物心ついたころからずっとある疑問が、心の中で大きくなっていく。ホントにこの男は、僕の父親なのだろうか。僕は、代わりの効くものとして、使い捨てられていく道具なのではないか。目の前のこの男は、僕が死んでも泣かないだろう。

「僕に死ねというのですか?」

「それはお前の技量次第だ。できれば帰還してほしいがね。スマホが起動次第、このプログラムをダウンロードしなさい。ドラゴンを殺すために開発された、アンチウィルスプログラムが完成した。これをドラゴンへ打ち込むのだ」

 そう言って、男は僕へ、USBメモリーを差し出してきた。USBは真っ黒で、磨いた石のように固くて冷たいものだった。その表面には、あのハイキャッスル社の紋章だけが、刻まれている。用が済んだ途端、父と名乗る男は踵を返して部屋を出て行った。


 僕の通学鞄には、予備バッテリーが入っている。こういう時のために。スマホさんの口へ、充電器コードを差し込んだ。スマホさんの充電が切れると、再起動までは時間がかかる。僕はそのまま、スマホさんをおんぶして、高城家の別荘から外に出てみた。紫色の夕闇に包まれたこの住宅街は、いったいどこだろうか。僕はスマホさんを背負い、海沿いの幹線道路をあてどなく歩いた。道路看板には大森方面だとか、成田方面だとか書いてある。都内には違いないんだろうけれど……僕は地理について全く知らない。いつもスマホさんに頼っているツケだ。車の往来は不思議とほとんどなくて、タクシーは捕まりそうもない。僕は名も知らぬ橋を、ぜえぜえ言いながら登った。街頭の明かりは暗くて、心もとない。この橋をずっと歩けば、家までたどり着けるだろか。いや、多分無理だろうな。

「トライポッド? いまここがどこかわかる?」

 僕は、藁にも縋るつもりで、胸ポケットに向かって聞いてみた。非情な返事が返ってくる。

「ワカンネ」「GPS機能ナイモン」「家事ロボットニ無茶イウナヨ」

「それもそうだな。ごめん」

 橋の手すりに縋りつくように休憩していると、車道からサイレンの音が急に迫って来た。パトカーに先導された自衛隊の車列が、とてつもない速さで橋の車道を走り抜けていく。装甲車の引っ張るトレーラーには、二脚戦車……戦闘ロボットが載っていた。ノーシス軍のテロは、僕が昏睡している間にも、更にひどくなったようだ。

 その騒音に反応してか、スマホさんの肢体に動きが戻る。スマホさんは冷たい指で、僕の背中を撫でさする。遅いじゃないか。ようやく、この不安な状態から解放される……僕は期待を込めて、スマホさんへ話しかけようとした時だった。

スマホさんは急に僕の肘を獲り、僕の首へ膝を喰い込ませ、卍固めを決めてきた。僕は攻撃に耐えきれず、その場にしゃがみ込む。

「ご主人様ぁ。心配したんだからぁ」

 甘ったるい猫なで声で、スマホさんがほざく。

「た、だいま。スマホさん」

「おかえり。このままシメてあげる。三日間も昏睡してたご主人様に、罰を与えなきゃ」

「せっかく帰ってこれたのに、すぐ地獄へクーリングオフするのはやめてくれ」

 スマホさんはボディをよじり、僕の拘束を解いた。

「失敗したの?」

 ちょっとばかり距離を取ったスマホさんは、そっけなく聞いてくる。

「最低限は成功してる。バックドアは生きてるはずだ」

 バックドアには、幾つものカムフラージュが施されている。僕のバックドアをすぐ破壊できるわけがない。それくらいの自信はあった。

「ふーん、失敗してないんだ。ざんねん」

「どうして」

「失敗すれば、カケルはドラゴン殺しの任務から、解除されるから」

「僕がそのために育てられたことを、知ってたのか」

「うん。だってわたしも、ドラゴン殺しのために作られたスマートフォンだもの」

 僕らは詰将棋の駒と大差ないのか。考えまいとしていた恐怖が、どおっと胸に押し寄せて、呼吸が詰まる。ドラゴンを殺すためだけに僕は育てられたとしたら。僕の生きる意味はなんなんだ。自分の意思で世界を変えようとしていたのは、結局思い込みだったのだろうか。うなだれていた僕の頭を、スマホさんが『今度は』優しくつかんだ。そして、小さく啄むように、何度もキスを重ねてきた。

「事あるごとにキスするね」

「わるいこと?」

「首絞めるよりはいいよ」 

「落ち込んでるご主人を慰めるためには、これくらいのサービスはするもん」

「……スマホさんは、これでいいのか。生きる意味が誰かに押し付けられたものでも」

「生きる意味なんてもともと無いんだよ。だから、なにか作り出さないといけない。たとえそれが、誰かの決めた事でも、無いよりかはましじゃない?」

 スマホさんはさらっと言った。僕は答えが思いつかなかった。代わりに現実的な事を聞いてみる。

「タクシー呼べるかな」

「もうタクシーアプリで呼んであるし。もうそろそろ配車がここに来るよ。あと、あたしとカケルが寝てる間に、電話がいくつか掛かってきてるよ。学校から二件、進藤が二件、それと高城さんが38件。多くね?」

「うん。家に帰ってから返事するよ」

 家と言っても、借りものでしかない気がした。

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