第16話

「障壁をクリアできたよ、バックドアを設置できた……」

 僕は、スマホさんへ報告するつもりだった。たとえ彼女が乗り気でなくても。けれど、視界に飛び込んできた景色に、僕は言葉を無くした。真っ暗な部室には、誰もいなかった。

 スマホさんも、安形も進藤も高城さんも、トライポッドたちも、姿がない。目線を巡らす。外の街並みに、灯りは一つもついていなかった。すべてが真っ暗な世界で、目の前のマッキントッシュのモニタだけが、ぼんやりとした青い光を浮かべている。窓ガラスに、マッキントッシュの青い光が反射する。ガラスで鏡写しになった僕の姿は、忍者のままだった。

 やられた。罠だ。ここは部室じゃない。部室とは似て非なるデイドリームだ。僕はトラップハウスに迷い込んだ。

 致命的な危険を肌で感じ、煙幕を周囲へばらまいた。緊急浮上コマンドを試してみる。が、予感通り、未知のエラーで機能しなかった。僕の意識は、この部室棟そっくりのデイドリームに、閉じ込められている。バックドアのスキルは発動したくない。自分の切り札を『敵』へ見せたくない。

 どこだ? 誰だ? こんな巧妙なトラップハウスへ、ダイバーの意識を瞬時に転送することは、ダイバーでも無理だ。こんな芸当をできるのは……奴だろう。僕は呼び掛けた。

「お前がドラゴンだな」

 返事はない。でも、反応はやってきた。腐った魚そっくりの臭いが、天井から垂れ下がってきた。このトラップハウスは、龍の腹の中と一緒なのだろう。ウィンドウに表示されている僕の脳波バイタルサインは、徐々に弱まっている。このままだと数分もかからず、現実世界の僕は呼吸を止めるだろう。僕は右手に刀、左手に火縄銃を構える。ウィンドウに装備フォルダ一覧を表示して、役立つものがないか確かめてみる。メインウェポンの忍者刀と火縄銃の他に、何かないか。仕込みクナイ、風魔シュリケン、予備の刀。……残念ながら、どれもガラクタだ。このピンチで役に立つモノじゃない。あとは文字化けしたバグファイルだけがあった。カメル由来の謎のファイルだ。藁にも縋る思いで、僕はカメルのファイルを解凍にかけた。バグファイルでもいいから、この罠から抜け出す隙を作らなければならない。

「出てこいッ!」

 しびれを切らした僕は、天井へ火縄銃を撃ち込んだ。すると天井から、赤いドロドロの液体が漏れ出して、床にどぼどぼと流れ落ちてきた。赤いドロドロは、スライムのように変形して、人型になって喋りかけてきた。

「私を殺せると思っているのか? 芦原カケル。できない。それは不可能だ。私は偽りのこの世界に飽き飽きしている。だから真の世界へと転生するのだ」

 思ったよりもはっきりとした答えが返ってきて、ぞっとした。自己進化のバグウィルスが、ここまではっきりとした意識を持っているなんて、聞いたことが無い。赤い人形は、ずるずると床を滑りながら、四つん這いで部室を駆け回りはじめた。

 群青の忍者のステップは、だんだん鈍くなってくる。僕は忍刀を構えながら、牽制の火縄銃を撃ち込む。ドラゴンはその弾道を容易くよける。奴は、僕の周囲をグルグル回りながら、僕の様子を観察してくる。手負いの獲物を狙う野犬のように。

 やがて、僕のマイキャラは、片膝をついて動きを止めた。どれだけ意識しても、デイドリーム上の忍者は、立ち上がろうともしない。ここで、バックドアを開いてみるか? 僕の固有スキルは強力だ。脱出はたぶん出来るはずだ。が、それはドラゴンへ、自分の手の内を明かすようなもの。それは、避けたかった。コイツを殺す瞬間まで、取っておきたい。

「予想より速く停止したな。計画とはだいぶズレるが、今ここで、お前のプログラムを吸収するのも、悪くはない。いただきます」

 赤い人形の上半身が、バナナの皮のようにめくれ、中から黒い槍が伸び出てくる。その槍が眼前に迫り、刺さろうかという時、視界の隅にカメルのファイルが解凍し終わったと、アナウンスが表示された。考える間もなしに、僕はそのファイルを展開させた。実行した未知のファイルは、このトラップハウスというプログラム環境へ、強力なダメージを一瞬で与えた。部室の窓ガラスが砕け散り、青いツバキの花びらが、突風と共に部屋へ流れ込んできた。視界が全て真っ青な花びらに覆われて、何も見えなくなる。偽の部室は崩壊し、僕の意識も道連れにして、強制的にシャットダウンした。

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