第15話

進藤は、ZiPドライバ付のマッキントッシュを、義手で軽々と持ち上げ、ロボット部の部室まで運んでくれた。電源が入るかどうかさえ心配だったが、数十年ぶりのスイッチオンに、なんとか基盤は耐えたらしい。府中の森と同じ手順で、僕はスマホさんを介してマッキントッシュへダイブした。風景なデイドリーム内に、ミスターノウはもちろんいない。指紋データの読み取りは難なく終わり、サルベージデータをスマホさんへ無事転送することができた。

「できましたか! とうとう潜入するのですね!」

 僕の耳元で高城さんが叫んだせいで、僕の意識は現実世界に浮上した。深度の浅いダイブだと、ちょっとした妨害でも浮上してしまう。僕は雇い主に最後の確認をした。

「ここでもう、防衛プログラム侵入までやるのかい」

「善は急げです!」

 僕の報告メールを見てから、高城さんは居ても立っても、座ってもしゃがんでも居られなかったようで、この部室までカッ飛んできたのだ。午後七時前の部室には、ロボット部員の姿はもうなかった。外はもう暗がりで、街灯の明かりが点いていた。成り行きで、進藤と安形もついてきていた。進藤は難しい顔で僕らの内緒事を見つめている。安形は渋々といった感じで、しきりに寮の門限を気にしていた。

「善、ねえ。みあさんも正気か? 単なる高校生が、ノーシスへ喧嘩を売ってどうするんだよ」

 進藤が心配そうに愚痴る。安形はロボットのマニュアル(説明書)を読むことに、没頭していた。顔に「ついてけない」と書いてあるようだ。

「正気ですとも」

「しかしお嬢さん。危険に飛び込んでいくなんて信じられん。私はノーシスに関わったこともなかったのに、自分の腕を亡くしたんだ。現実ってのは生き残ることがまず一番だよ。どうして君らは、死ぬような真似をするんだ」

 進藤が聞くと、高城さんはハッキリと答えた。

「もし、自分の力で、何かを変えられるとしたら。それってとっても楽しいと思いませんか?」

そして、ニッコリと笑って小首を傾げた。高城さんの答えが、僕の考えていることと似ている気がする。世界を自分で変えられたなら。すこしばかり動揺した心を静めて、僕はダイブの再準備を済ませる。

「では、もう一回ダイブする。スマホさん。よろしく」

「らじゃらじゃ」

 指紋データをマイフォルダに装填し、僕はスマホさんと手をつなぐ。あのキス以来、いつものダイブですら、どこか気まずさを覚える。けど、スマホさんはどこ吹く風で、いつものように、気ままな振る舞いを続けている。僕は幻を見ていたのだろうかと、錯覚するほどに。けれどダイブする直前、スマホさんは僕の意識へ、直接話しかけてきた。爆弾のような囁き。

「ね。防衛プログラム突破出来たら、またキスしたげるよ」

「どうして」

「ゴールはもうすぐだからね」

 それはいったいどういう意味だ? 僕には教えられていないゴールとは一体なんだ? ……問いただす時間はなかった。スマホさんをバイパスして、変装を施した僕のマイキャラは、防衛プログラムのログインウィンドウまで、一気にダイブした。


 幾重にも連なるバックドアを潜り抜け、辿り着いたデイドリームは、何もない荒れ地だった。ここが、アメリカ帝国の防衛プログラムの風景らしい。剥き出しの岩肌が、地平線まで広がっている。ここまで何もないデイドリームは珍しい。有人アカウントのデータが僕の脇をすり抜けてゆく。その姿は皆、マネキン人形として見えた。やがて、ロードが進むと、防衛プログラムの全容が分かってくる。防衛プログラムの外観は、巨大な赤い橋だ。アメリカの西海岸にあるという巨大なつり橋、ゴールデンゲートブリッジにうり二つ。情報をビジョン化した水流が、橋の下を濁流のように流れている。数えきれないマネキン人形が並ぶ行列の先には、防衛ゲートとそのオペレーターが見えるはずだ。が、あまりにも長い行列のせいで見えやしない。

 僕は素直に、行列の最後尾へ並んだ。ここでユニークスキルのバックドアを使いたくはない。今の僕は、ハッターインダストリーの現場管理職、アラン・ジョンソンに偽装しているからだ。サラリーマンのアカウントが、爆速で飛び回っていたら、一瞬で凍結されちまうだろう。ジョンソン氏に『それほどの』恨みはないが、ハッキングした社内データを見る限り、元から素行はよろしくないようだから、騙っても問題は起きまい。行列は徐々に進み、ログイン管理官、つまりオペレーターのマイキャラの姿を確認できた。この防衛プログラムにログインするときは一々、管理官と音声でやり取りしなくてはならない。

橋のど真ん中に、自由の女神が胡坐をかいて座っていた。それが、オペレーターのマイキャラらしい。その大きさは現実のものと同じくらい。その向こう側には、物々しい檻の扉がある。行列のマネキンたちは、自由の女神と幾らか会話してから、その扉を潜って姿を消す。そうして、行列はどんどん消化されてゆく。

 やがて、僕が行列の先頭になった。妙なビジョンに困惑していると、女神像はスーツ姿の僕へ視線を合わせ、大きな左手で橋柱をバンバン叩いた。

「MR.アラン・ジョンソン、パスポートデータを見せろ」

 女神に似つかわしくない、若い男の声で女神像は喋った。声の主は、このプログラムを操作している、ログイン管理官なのだろう。

「どうぞ」

 アランジョンソンの僕は、うやうやしく自分のパスポートを差し出した。誠意として、パスポートの裏表紙に、電子通貨のデータも差し込んでおく。帝国の役人は、こういう『誠意』が大好きだ。長い間、自由の女神はデータを眺めていた。パスポートのデータは、僕がアランジョンソンのパソコンから抜き出してきたもの。そのデータとミスターノウの指紋データを、無理やり関連づけて溶接してある。溶接には自信があった。けれど、確認作業が長い。じれったくなってきた時、女神は口を開いた。

「このパスポートには不備がある」

 オペレーターのなじるような声が、頭の上から聞こえた。心が折れそうになるのをこらえて、僕はすっとぼけた。

「なんでしょうかね」

「従軍経歴が二重に登録されている。お前は旧合衆国でパイロットとして勤務した後、帝国軍海兵隊に任官している。そのような従軍は不可能だ。正直に言え」

 僕は、崖から足を踏み外して、落っこちたような錯覚に陥った。ミスターノウが合衆国パイロットだったらしいのは、見当がついていた。けれど、アランジョンソンも従軍していたなんて。それは、社内データにも記載が無くて知らなかった。疑われている。このままの成り行きだと、失敗は不可避だ。緊急ログアウトするか迷った。ログアウトすれば、僕は捕まらないだろう。アラン・ジョンソンの身辺は調査されるだろうが。ただ、ドラゴンを仕留めるチャンスは、永遠に消える。それでいいじゃないかと思った。進藤の言う通り、こんなことは高校生のやることじゃあない。スマホさんも、乗り気じゃないのだし。けれどそれは、逃げることだ。邪なやる気が、僕を突き動かした。

「それはお答えできんな。私の任務は極秘だ」

 僕は開き直って演技した。もうヤブレカブレだ。

「後ろめたいことがあるようだな?」

「失敬な! 私はハッターインダストリーの管理者だぞ。私の任務を妨げるとは何事だ! 貴様はこの私に逆らうほどの階級かね。上官を出せッ!」

 嘘を並べ立てて、胃がひっくり返りそうになる。けれど、吐き気を我慢した。もう僕は引き下がれない。

「……わかった、現場指揮官の大尉を呼ぶ、待っていろ」

 苦りきった女神の表情が、無表情になる。心臓が破裂しそうだった。ここでBANされれば、終わりだ。ふと不思議に思う。どうして、僕はドラゴンを殺さないといけないと、僕自身は思っているのか。それこそ、帝国のエリートたちが龍を殺す手筈を取っているんじゃないのか。映画ではよく、土壇場でアメリカ帝国が宇宙人をやっつけるじゃないか。女神の無表情に再び感情が戻ってきた。やつれ顔の女神はぼそぼそ喋った。

「お待たせしました。この現場の責任者、アメリカ帝国親衛隊、上位中隊指導官のマイト・マックス大尉と申します」

 さっきのオペレーターよりも、年の取った声だ。

「君の部下は失礼な奴だ。私は帝国へ納税も欠かさず行っている模範臣民だぞ」

 模範臣民かどうかは、アラン氏の納税額次第だった。たぶんマトモに納めてない。

「あー。お気持ちはごもっともですがね。あんたには今のところ、防衛プログラムへのアクセス権限はありません。指紋データに矛盾があるんですよ? どうご説明します?」

 言葉は丁寧でも、態度はずぶとい。慇懃無礼というやつだ。

「上からの命令を遂行するため、その矛盾は致し方なかった。私は極秘任務を取り扱っている身だ。……ミスは認めよう」

「上とは、ハッター社の取締役ですか。なら、今すぐハッター社へ問い合わせてみますとも。極秘任務とやらは何なのかを。その答え次第では、逮捕状がアンタに出ます。不法アクセスの容疑者としてね」

「ハッター社ではない! もっと上からの極秘命令だ! アメリカ皇帝陛下の!」

 バカにするような空気が、重々しく変わった。女神の背後で、何かしらの通信データが急に流れる。

「……といいますと?」

「かつて、日本から帝国へ侵入しようとしたダイバーがいたのは知っているか。私は極秘命令に基づいてそのダイバーと接触し、防衛プログラムの致命的な弱点について、聞きだしたのだ。私には、その秘密を皇帝陛下へ報告する義務がある」

 考えもせず、僕はテッキトウな嘘ハッタリを並べ立てた。この嘘はすぐバレるだろう。でも、それで十分だ。今ここで、この大尉を騙せるだけでいいんだ。ゴールデンブリッジの向こう側までたどり着けさえすれば、永久に機能するバックドアを設置できる。自由の女神はコンソールを操作し、必死に何かを調べる。そして唇を噛んで顔をしかめた。芦原カケルというダイバーが、帝国特殊部隊に拘束された記録を見つけたのだろう。その事実は嘘じゃない。

「なるほど。貴方が言った事件は、確かに過去発生している。その任務を。私が引き継いでもいいのだがね。私も皇帝陛下へ上奏できる資格を持っている」

「さて。もし君がここで皇帝陛下の密命を報告するとして、皇帝陛下はそれを望むだろうか? 秘密の命令を、君が暴くことは許されるか」

「ちょっとお時間をいただいてもよろしいか? この件を司令部へ……」

「ならぬ。皇帝陛下は内密にしたいのだ。もし、この極秘任務がネットニュースや掲示板で拡散し、炎上した場合、皇帝陛下の威厳は傷つくだろう。なれば、私も君も死を賜ることになるぞ」

 僕は声を震わせて、こけ脅した。司令部データベースに問い合わせれば、皇帝の命令がないことぐらいすぐ解析されてしまう。

「……司令部応答願う! こちらマックス!」

「こちら司令部。マックス、何があった」

 マックスが司令部を呼びつけたとき、僕は観念した。

「定時報告。西部ゲート異常なし。定時報告終わり」

「業務が滞っている。速くやれ」

 マックス大尉は、僕の怪しさよりも、業務の遅れを問題視したらしい。安堵のため息を飲み込んで、僕は演技に徹する。

「臣民の鑑だ。皇帝万歳」

「わかったわかった、サッサと通れッ! 面倒事はもうたくさんだ! 次! 早く来い! クソッタレ」

 追加のチップをかすめ取って、自由の女神は次のマネキンを呼んだ。もう僕を遮る障害はなにもない。鈍い音を立てて、鉄の檻が開く。僕はそそくさと、その檻をくぐり抜けた。潜り抜けた先の橋上で、即座にバックドアを設置し、僕はその場から姿を消した。僕の意識は一瞬にして、古いロボット部部室へと帰還した。瞬きを何回か繰り返し、僕は瞳に飛び込んでくるだろう光の洪水に備えた。

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