第12話

僕が転送されたデイドリームは、崩壊したビルの一室だった。群青の忍者は、ガレキと机が溢れかえるフロアを観察した。バグやウイルスのクリーチャー反応は無い。崩れた壁から見える空は真っ黒で、青い雲が所々に浮かんでいた。この広いビルフロアの中心で、墜落したばかりの巨大な飛行機が燃えていた。B‐25。合衆国時代の古い爆撃機だ。この飛行機は、ビルに突き刺さるように墜落したらしい。その胴体は真っ二つに折れて、内部に入り込めるようになっていた。3Dで実体化しているのはこのビルの周辺だけで、遠くの背景や空は、ハリボテの画像データだ。風景からここは、仮想のニューヨークだとなんとなく直感した。

 僕はB‐25の胴体にできたトンネルにもぐりこみ、目を凝らす。ゴーストは、操縦席に繋がる階段に座り込んでいた。ぶくぶくと太った、禿げ頭の老人。オレンジ色の飛行服はズタズタに破れ、半裸に近い。その胸には深々と鉄杭が刺さっている。ゴースト。デイドリームへ転写された意識の残骸だ。実物を見るのは初めてじゃない。けれど、タイマンで向かい合うのは初めてだ。

「俺はよぉ、計算してっからよお」

 半裸の老人は、よだれをたらし、ブツブツとつぶやいている。

「あなたが、ミスターノウか?」

 僕は英語でしゃべりかけた。

「うるすぇ! おれに指図するんじゃねえよぉ!」

 錯乱したゴーストは、手足をじたばたさせた。聞いたことのない、酷い訛り方をしていた。言葉は通じない。僕の発音が悪かったか、相手の耳が悪かったか、もしくはその両方。数学のテストに、知らない公式の問題が出てきたときのような気分だった。

 通信回線を開き、スマホさんへ助けを乞うた。

「スマホさん、聞こえる? 困ったことになった」

「えー。入って三十秒で呼ばれるとか思ってなかった」

「ゴーストは錯乱してる。コイツを起こす方法はあるだろか」

「え。倒さずに説得する気なんだ」

「僕は凝り性でね。倒したゴーストに祟られないか、不安でしょうがない」

 スマホさんから何らかのデータが、転送されてきて、それはいつものメッセージボトルとして、僕の手のひらに収まった。メッセージボトルから取り出したファイルは、MP3方式の簡素な音楽データだった。僕はそれを開いてみる。すると、ラッパの軽快なマーチが大音量で繰り返された。ファイル名は「起床ラッパ」とだけある。その効果は抜群によかった。首を垂れていたミスターノウは、はっと頭を上げて、僕をにらみつける。

 たとえゴーストになっても、軍隊生活で身に染みついた目覚ましの音だけは、忘れないらしい。

「なんだ、おめえ?」

「僕はあなたに頼みたいことがあってやってきた」

 僕がたどたどしい英語で聞くと、肩をゆすらせて、ノウはひきつけ笑いを始めた。

「へ! へ! へェ! 金も身体も、なにもない俺に頼むことだあ? 俺はここで意識が消えるのを待つだけの、コピーゴーストだぞぉ? なんだおめえ」

「いいえ。あなたが一つだけ持っているものがあるはずだ。帝国民としての指紋データです。僕が帝国へ潜るために、そのデータを貰いたい」

 帝国の名前を出した途端、ノウはまた錯乱し始めた。

「帝国? 帝国! 気に食わねえ。気に食わねえ! なんで俺はこんなクソ溜めで、死ぬのを待たなきゃなんねえんだ! 俺は帝国のために働いた! その報酬がこれだ! 皇帝のクソ野郎! 俺の生きる意味はなんだったんだ!」

ミスターノウは、口から虹色の濁流を吐き出してきて、僕を押し流そうとした。継続する鋭い痛みが襲ってきて、僕はたまらず墜落した残骸から脱出した。フロア中に虹色の汚濁は広がり、デイドリーム一帯は毒の沼と化した。

参ったな。ここでミスターノウを殺すのは容易い。火縄銃を一発、眉間にぶち込めば奴はデリートされるだろう。それくらいに、あのゴーストは弱すぎる。その弱さが仇だった。僕はあの弱すぎるゴーストから、必要な指紋をサルベージしなくてはならないというのに。バックドアを開いてみる。相手の後側に回り込めれば、それで方はつく。けれど、ミスターノウの背中には、ごちゃごちゃした残骸があって、ワープするスペースがない。……バックドアがうまく機能しないとは。

毒の継続ダメージが、足裏を焼いてくる。鋭い痛み。このスリップダメージで甘く見たら、こちらがデリートされかねない。これまでの経験をかき集めて、僕はとるべき処置を選んだ。敵プログラムを鹵獲するならば、まず強制シャットダウンを起こす必要がある。火縄銃へ、とあるプログラムを装填し、間隙無く火蓋を切った。その丸い銃弾は、虹色の沼に突き刺さり、宙へと跳ね返った。

「へっ、どこ狙ってんだヘッタ糞な……!」

ノウはそれ以上、減らず口を叩けなかった。跳ね返った銃弾は威力を減衰させて、二つに割れた。割れた半球の間には、長い鎖が繋がっている。僕はデリートセルではなく、タスクキルプログラムを、火縄銃へ装填していた。長い鎖が、ノウのでかい口に絡まり、口封じをした。さながら、捕まった兵隊を黙らせるための、さるぐつわのように。ノウのプログラムに無理やり、タスクキルが適用された。普通のプログラムには自己防衛システムが働き、適用できないが、弱すぎるノウ相手には造作なかった。

「減らず口はこれまでにしろ。罵詈もゲロも、腹に引っ込めるんだな」

 さるぐつわの隙間から、フガフガとノウは喋り散らす。

「な、なにしやがる。俺に銃ぶっぱなしてきやがって。卑怯者め」

「先に手を出したのは貴方だろうに。簡単に言おう。貴女の指紋データを、僕に譲ってもらいたい。僕はそれが欲しくて、こんな僻地までやってきたんだ」

「それが霊へモノを頼む態度かよぉ! 敬語ぐらい使えやァ! ふざけんじゃねえぞ!」

 ため息が自然と出た。説得しろとパトリオットは言っていたが、説得できる相手ではない。僕は鞘に手をかけて、ノウへ提案した。

「報酬は差し上げますよ。できる限りの好きなものを。例えば、あなたをここから自由にしたりとかね」

 期待薄で僕は報酬を申し出てみた。すると、なぜかゴーストは急に怯えだした。

「自由? そんなものは要らない。俺にはここしかない」

 怪訝に思い、僕は聞く。

「自由を嫌うのですか?」

「うるせえ! 俺の霊体に触るんじゃねえ。俺はここから動かねえ!」

 無意識にノウは胸の杭を握りしめていた。あの杭は、何らかのプログラムを実体化したビジョンだ。なるほど。忍刀を振るまでもない。僕は霊体に近づいていく。一つの決意をもって。

「じゃあこうしましょう。その指紋データをくれなければ、僕はあなたを自由にすべく、この杭を抜きましょう」

 僕は、杭に手をかけて淡々と言った。ノウの濁った両目に、偽物の生気が灯る。

「おめえふざけてんのか! やめろ! それに触るんじゃねえ」

「やはりか。この杭を抜けば、あなたは破壊されるようだ。この杭は、あなたを構成しているプログラムですね」

「ふざけてんのか! 人殺しめ!」

「僕はダイバーです。あなたの破壊データから、目的のデータをサルベージすることは、説得することより簡単です。それに、これは殺人ではない。コピーのあなたを破壊しても、あなたの本物の肉体は、帝国の軍人病院で植物状態のまま生きているんですから」

 この世の中に、決まりとか運命とか、そんなもの有り得ない。筋のあるストーリーもない。一寸先は闇で、死ぬときはあっけなく、誰だって死ぬ。特にこのデイドリームではそうだ。カメルのように。ダイバーだけが入り込める仮想空間を、白昼夢(デイドリーム)と呼んだ名も知らぬ名付け親が、恨めしく思えた。

「へ、へえ! お、脅してんのか! 脅しだろう! ふざけてんじゃ……」

「ふざけているとしか言えないのか! この眼がふざけているように見えるか、馬鹿者! 僕は手段に拘るほど、優しくない」

 僕が声を張り上げて言い返すと、ノウはいきなり激しく吐いた。ゴーストのがま口から、虹色のゲロが溢れ出てくる。その液体の中に、絵文字や保存アイコンでよく見る『モノ』が紛れていた。フロッピーディスクだった。実物は見たことがない。僕はそれをすくい上げた。このべとべとした液体は、ジャンクデータの表現であって、現実のゲロじゃない。それでも、気持ち悪い。僕の生体メモリでは保存できないようなので、フロッピーの情報を転送した。……スマホさんへ。ジャンクデータを送り付けられて、絶対怒るに違いないが、他の手段が思いつかない。データを消去する最悪な手段よりも、一つマシなだけだ。

「本物ですね。報酬を差し上げます」

 インベントリから仮想通貨を取り出し、ゴーストの手前に置いた。ふと、小さいころの思い出がよみがえった。近所のスーパーの裏側にある祠へ、スマホさんとお参りした事。僕らは稲荷ずしと五円玉を、キツネの像が引きこもる石の小屋へお供えした。このゴーストにお供えをして、どれだけのご利益があるだろか。

「おい。おめえもいつか、俺みてえになる。俺だって必死に生きて、帝国に仕えて、そして捨てられて、今じゃここだ。生きる意味なんてなんもないんだ」

 ログアウトし始めた僕を見つめながら、ゴーストは囁いた。残念ながら、その囁きに従う気にはなれなかった。

「かもしれない。でも僕は、世界を何かしら変えてから死にたい」

「へ! へ! ヘエ! 呪ってやる!」

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