第11話

僕が帝国の亡命者を探している理由を、父は聞いてこなかった。たぶん、僕の目論見を知っていたのだろう。それか、察したのか。どちらにしろ、父に隠し事は通用しない。父はこう言った。

「私が知っていることは、二つだけだ。府中の森公園。それと難民窓口の連絡先。難民窓口へは、私が口利きしておこう。お前が正しく進むことを願っているよ」

 父との通話が切れてからすぐ、スマホさんからメールの着信音が聞こえた。メールを送ってきた相手は匿名で、件名は無し。本文には日付と時刻と場所、報酬が記されていた。明後日の午前九時。場所は、府中競馬場前、報酬は十万ドル。

 

 約束の日。学校をサボることに罪悪感を覚えながら、僕とスマホさんは府中競馬場のメインゲート前で、小さなベンチに腰掛けて、待ち人を待っていた。特に大きなレースはやっていないようで、辺りには僕ら以外に人は居なかった。

 僕の隣で、スマホさんは足をぷらぷらさせている。

 今日のスマホさんはお気に入りの服装で身を固めていた。白いワンピースにパステルブルーのカーディガンを羽織り、ワンピースと揃いの、白いストローハットをかぶっている。耳のアンテナが帽子のつばに当たらないよう、向きをいつもより下げている。肩にかけた淡い青色のポシェットのなかには、何を入れてるのだろか。スマホは入ってないだろう。

「なになに。『府中の森公園は昔、アメリカ軍の駐屯地だった場所らしい。そこには今、アメリカ帝国へ戻れない旧合衆国難民のキャンプが存在する』だってー」

 スマホさんが、ネットの検索結果を読み上げた。

「また学校休んじゃったな……」

「ねー。せっかく愛スマホが調べた情報なんだから、ちゃんと聞いてよ」

 その時、スマホさんからメール受信音が鳴って、スマホさんはいやそうな顔をする。

「スマホさん。ショートメッセージを開いて」

「えー。わたしもう充電ないんですけど。スリープするからあとよろしく」

「そういえば、また大手通販サイトでタイムセールやるんだってね。けどプリペイドカードに、これ以上入金するかどうかは、迷ってるんだ」

「かしこまりました。SMSウィンドウを空中へ展開いたします」

 スマホさんの手のひらに、ウィンドウホログラムが開き、新着のメッセージが浮かぶ。

 >>PATRIOT 十万ドル。持ってきたのだろうな?

  僕はキーボードで返事を書く。

 >>GPZ900 仮想通貨で持ってきてあります。

 >>PATRIOT オーケイ、待っていろ。

  返信してすぐ、取引相手は柱の陰から現れた。あらかじめ待ち構えていたんだろう。太った初老の外国人男性だった。赤ら顔でハゲ頭の男は歩いて近づいてくるが、その動きはぎこちない。ジーパンを履いた両足からは、ギィギィと錆びた機械の音が鳴っている。義足を使っている証拠だ。僕はUSBメモリを掲げて呼びかける。ハードウェアウォレットメモリという、仮想通貨を保存できる特殊なメモリだった。

「言われたものは用意してきました。約束のものを貰えますか」

 パトリオットは立ち止まり、駐車場の方を指さして言う。

「その金は着手金だ。ここで話すことはない。ついてこい。車を用意してある」

 指さす先には、フォードの古いワゴン車が駐車されてあった。スマホさんが小声で聞いてくる。

「乗るの? 危ない予感しかしないんだけど」

「ここで乗車を拒否しても、結果は一緒な気がする。案内と誘拐という違いはあるけれど」

 僕が言うと、スマホさんはヘの字口を作る。父の誘導が正しいことを信じる他ない。ワゴン車に僕らが乗ると、車は府中の住宅街の間を、ずんずん突き進み始めた。だんだんと木々や空き地が見えてくるが、スモークガラスでよく見えない。

 この間、誰もしゃべることは無かった。アスファルトの終点には、物々しい鉄扉が待っていた。その両脇に、警察のバス型輸送車が止まっていて、ボディアーマーを着込んだ日本の警官が立っていた。鉄扉には、昔のアメリカの旗、星条旗がペイントされてある。門をくぐった時、助手席のパトリオットが言った。

「若きニンジャよ。ようこそ、合衆国へ」

 鬱蒼とした森と崩れかけた廃墟の間を、車はしばらく走り続け、ようやく停車した。ここが、合衆国難民の居住地らしい。立ち並ぶアパートは、コケとツタに覆われて、自然に還り始めているように見えた。この住居に今も人が住んでいるなんて、信じられない。パトリオットがおもむろに下車してずんずんと、廃墟の一つへと歩いていく。僕らはその後に続き、通信塔の残骸のようなビルに入るよう、半ば命令された。通信塔の壁は崩れ落ちかけて、日光が隙間から差し込んできている。巨大なパラボラアンテナは、外装が剥げて、骨組みだけを太平洋の方向へ向けている。どう見ても、これから話し合いをする場所じゃなかった。廃墟の中ではレンガの山と、パトリオットの仲間らしい男が三人、待ち受けていた。僕はふくらはぎを三回叩いて、トライポッドへ合図した。ポケットの中のトライポッドは、護衛モードに切り替わったはずだ。

「さて、ダイバーよ。我々は指紋データをお前にやろう。その見返りとして、お前は何を成し遂げる。もちろん我々亡命民の願い、帝政打倒のための仕事なのだろうな?」

 廃墟の中で、パトリオットはにらみつけてくる。僕は手の中のウォレットメモリを、お守りか何かのように握りしめた。けれど、単なるUSBデバイスが、心の平穏をもたらしてくれることはない。

「アメリカのデイドリーム上にある遺跡の調査です。そのために、防衛プログラムを突破する指紋データが要る」

 僕が言うと、パトリオットは鼻で笑った。彼の仲間も合わせるように笑った。

「芦原の組織が根回ししてきた案件が、遺跡調査だ? クソッタレ。皇帝を殺す気がないなら、俺らは協力しねえ。金目の物を置いて失せろガキ。その人形もだ。ここまでの送迎代としてだ!」

 僕の胸を、パトリオットは乱暴に突き飛ばす。僕はその場にしりもちをついた。合衆国人たちは、ポケットに手を突っ込み、『なにか』の把手を握る。トライポットたちが、僕の身体から次々と湧き出してきて、警戒音を鳴らし始めた。トライポットたちは生身の人間には強い。……パワードスーツを着込んだ帝国レンジャーには歯が立たなかったけれど。レンジャーたちは効率よく、油圧アームでトライポットたちを握りつぶしてしまった。あの時のことを思い出し、僕は吐き気を覚えた。あの時はトライポットにかわいそうなことをしたと、ぼんやり思った。

「トライポットの攻撃力を、馬鹿にしないほうがいい。それに、ダイバーを傷つければ、あなた達はこの場所にも居られなくなる」

 何とか立ち上がり、僕は虚勢を張ってみた。が、そんなもの聞かないのは分かっていた。

「残念ながら、ここは治外法権なのさ。あの警官どもを見たろ。あれは、俺らを護衛してるんじゃない、俺らに怯えて監視してるのさ。あんなやつらが、俺らを追い出すことができるわけも、お前を守る訳もねえ。どうした。顔が青いぞ? 坊主」

 僕らを囲む輪は、だんだん狭まってくる。こうなることの予感はあったけれど、避けようがなかった。トライポッドの警戒音が、甲高くなる。逃げることはできるだろう。けれど、ここで指紋データを得られなければ、白宮にさえたどり着けない。僕は不安の渦の中で、世界が滅びるのを待つことしかできなくなる。その時。僕の手をスマホさんが握ってきた。ひんやりと冷たい感覚が、僕の焦燥を静めてくれた。

「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。 マタイの福音書 26章52節」

 静かな声で、スマホさんは唱えた。聖書からの引用文が、ホログラムウィンドウに表示される。すると、合衆国人たちは、顔を見合わせ、動きを止めた。

「おい、人形。お前は牧師になったつもりか?」

 と、パトリオット。

「私はクリスチャンではありません。洗礼の聖水を浴びれば壊れるでしょう。けれど、あなた方が敬虔なクリスチャンであることを、私は確信しています」

 なぜ彼らが攻撃を止めたのか、僕には、いまいちピンと来なかった。分かったのは一つだけ。スマホさんがピンチを脱しようと、頑張っていることだった。スマホさんが、自分から大勢の他人へ話しかけている場面を、初めて見た。

「あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互に和らぎなさい。マルコの福音書 8章50節 私たちは、あなた方を迫害しに来たのではありません。実のある交渉を行いに来たのです」

 スマホさんの説教に、一人だけ動じないのはパトリオットだ。

「私の信仰を揺さぶれると思うな。信仰と任務を切り離して考えること、は造作ない」

「ならば、功利を教えましょう。カケル様によって、帝国の防衛プログラムを破る方法が見つかれば、あなた方旧合衆国民は、帝国へ簡単にアクセスできるようになる。その意味を理解できますか。あなた方は、祖国へ残した家族や友人と、通信できるのですよ」

 その一言は、余りにも重く、亡命者たちの心を揺さぶるには十分だった。彼らが思い描いた人々の顔は分からない。母かもしれない、息子かもしれない。恩師かもしれず、幼馴染かもしれない。

「求めよ、さらば与えられん。あなた方は与えてくださりますか。私たち二人には、与える覚悟があります」

 スマホさんは静かなハッキリとした声で、亡命者たちへ迫る。

「……仲間と話し合う必要がある。ここで待っていろ」

 パトリオットは亡命者を引き連れて、廃墟の外へと出て行ってしまった。置いてけぼりにされた僕らは、廃墟の玄関口に座り込んで、連中の話し合いが終わるのを待った。春の暖かい陽ざしが、この空間を包んでいる。アパートのレンガ壁が纏うツタの葉は、春風で揺すられ、水面の波のようにさざめいた。ここが地球上に残された、ただ一つの合衆国の領地だと頭では理解していても、実感がなかなか湧かない。しばらくスマホさんと、ぼーっと日向ぼっこのようなことをしていた。スマホさんはソーラーパネルで出来た扇子を開き、青空を見上げている。扇子から伸びたケーブルはもちろん、スマホさんの口の中に繋がっている。

「あの時の事、根に持ってたりする?」

 眠気が襲ってきたあたりで、ボソッとスマホさんは言った。

「なんの話? 僕の名義でまた勝手に、クレジットカードを作った事?」

 と僕が聞くと、スマホさんはバツが悪そうに顔をしかめる。

「その、違うけど。レンジャーにさらわれた時の事だよ。あの時にわたしは、カケルを助けられなかった」

「そんなことないよ。お父さんに連絡したのは、スマホさんだったでしょ」

「あのサイボーグたちと戦えなかった。なにも出来なかったのと一緒。……ごめん」

 彼女は、人間じゃない。考え方も人間と違う。プログラムに沿って、彼女は考えて、動作する。

「だってスマホさんは、スマホだ。戦うのは仕事じゃないよ。それに、僕も謝らなきゃならないよ。整備を疎かにして、スマホさんを大事にする約束を守れてなかった」

 長い間、スマホさんは黙っていた。しばらくして、扇子のケーブルを口から引き抜いて、スマホさんは言った。

「そっか。既存データを組み替えてデフラグした。ずっと気になってた。怒ってるかなって」

「スッキリした?」

「その言い方が、スマートフォンの私にとって正しいかはわかんないけど。感情における不要なデータが消えて、データ空き容量がだいぶ増えた」

 無性に僕は、その青い髪を撫でたいと思った。けれど、その時、ギイギイと足を鳴らせて、パトリオットだけが戻ってきた。僕は手を引っ込める。彼はそっけなく、興味なさげに言った。

「お前らに指紋データのヒントをやることにした。ついてこい」

 パトリオットの後をまた、ついてゆく。最初から最後まで、僕らはついてくだけのお客様だ。ヒント。まだ指紋データそのものをくれてやる気には、ならないらしい。

「俺ら合衆国人の指紋データは、帝国データからは消去されている」

 とパトリオットは言う。

「けれど、あなた方は指紋データを持っているはずだ。だから父は僕をここに呼んだ」

「正確に言うと、在処を知っているだけだ、小僧」

 そう言って、パトリオットは重い鉄扉を開いた。冷たい地下室の中には机と、その上に置かれた大きなモニターがあるだけ。いや、モニターじゃない。とてつもなく古いパソコンだ。アップルというブランド名は、なじみのないものだった。

「このレトロパソコン『マッキントッシュ』に住んでいるゴーストだけが、有効な指紋データを持っているのだ。あのゾンビの指紋データは、まだ帝国のデータベースに残っている。奴の肉体はまだ、ニューヨークの軍病院で脳死体として、残っているらしいからな」

「ゴースト? ……デジタルデバイスの中に?」

 と、スマホさんが小声でオウム返しをした。僕はその疑問に答える。

「デジタルデータ化した幽霊、といえばいいかな。ダイブの副作用で時折、生まれることがあるらしい。ダイバーが飛び込んだ後にできる、泡のようなものだよ。不完全な意識体で、オリジナルとは異なる意識を持ってる。だいたいはすぐ、自己形成に失敗して消える……のだけど、ごくまれに非ダイバーが、なんらかの事故で生み出すこともある。非ダイバーのゴーストは、文字通りの幽霊。データが活きる限り、ずっと存在し続ける地縛霊になる」

 僕の解説に乗っかるように、パトリオットは言う。

「奴の自称はミスターノウ。ダイバーというものも、幽体離脱のように精神をプログラム化してデイドリームに潜るという。それとさほど変わらんだろう」

「で、そのゴーストは何者ですか? この骨董品の中のゴーストというのなら、非ダイバーのようですが」

 僕は聞いた。

「さあな。それについて、こいつは喋りたがらない。自分の都合のいい事しか喋らん。だが、ノウの精神は、どういうわけかこの古びたパソコンに住み着いている。奴を説得して、指紋データを奪うんだな。俺らにできることは、ここまでの道案内までだ、ニンジャ。お前自身で、自分を救え」

 と言って、パトリオットは腕を組み、黙り込んだ。もう話すことはないらしい。敵意は見られない。マッキントッシュの背中にあるコネクターは、見た事のない形だった。BLUETOOTHどころか、古いタイプのUSBポートすらない。

「スマホさん。このパソコンへアクセスできるかな?」

 ちょっとばかし不安を感じた僕は、スマホさんに恐る恐る聞いた。けれどそれは杞憂だった。スマホさんは後ろ髪を搔きあげて、一本のケーブルを髪の中から取り出してみせる。ケーブルのコネクターは、マッキントッシュとぴったりの形だ。

「私が誰だと思ってるの。接続完了、いつでもどうぞ」

 僕は迷うことなく、スマホさんと手をつなぐ。ダイブする寸前、パトリオットはこう尋ねてきた。

「なあニンジャ。ホントに、家族と連絡できるのか。俺が生き別れた、子どもと」

 僕は答える。

「送迎費をタダにしてくれるなら、考えますよ」

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