第10話

結局、防衛プログラム突破の名案は、しばらく浮かばなかった。僕は翌日、寝不足のままに、やたら難しい授業を受けた。教室の窓からは、東京都庁がそびえたっているのが見えた。特科高の校舎は、新宿の目と鼻の先にある。昨日、デイドリームであのてっぺんに登っていたことが、遠い昔の事のように思える。あの白仮面へ、僕は衝動的に発砲した。お告げをくれる者であれば味方なのに、僕は直感で敵と認識した。それは正しかったのか、間違っているのか……

 授業が終わって下校時間になってからも、そうやって物思いにふけっていると、安形が話しかけてきた。

「芦原ー。ちょっと聞いていいか。一つ不思議なことがあってさ」

「構わないけど、なにかな」

「芦原はスマホさんを、何年くらい使ってるんだっけ」

 安形は、ロボットの説明書らしきものを読みながら、聞いてきた。HAYNESというロゴの付いた、分厚い本だった。スマホさんに似た綺麗なアンドロイドが、表紙に描かれている。

「もうすぐ九年目だね」

「九年か。年も経てば、関節(ジョイント)や五感センサー、メインジェネレータが痛んでくるはずだな。日常点検やロボ検やなくて、大がかりな修理(オーバーホール)もいる。スマホさんの整備はいつもどうしてるんだ? 古いアニメなんかでは、放置されたロボットが何百年も長生きするけど、あれは現実じゃない。ロボットは、十万個以上の小さくてもろいパーツの集合体だ。未整備なら、三年も持たない」

「……整備ってなんだ?」

「なにって、ジョイントオイルの交換やら、モーターやベアリングの打換、センサー軸調整、ゴムブーツやブッシュの交換、シャフトクリアランス測定……色々ある。この整備を君自身がやってるのか、それとも整備工場に頼んでるのかを、聞いてるんだぜ」

 僕は面食って、戸惑った。スマホさんの整備なんて考えたこともなかった。いつも隣にいてくれるスマホさんだけど、腕や足を外しているところなんて、見た事がない。だけど、当然といった風にスマホさんは答える。

「全部、私自身で整備してます。トライポッドに助けてもらいながらですが」

 僕の困惑は強まった。そんなの初めて知った。てか、いつやってるのさ。安形は納得したようにうなずく。何に納得したんだ。

「やっぱりか。スマホさん、君の人工頭脳はとんでもなく賢いな」

「ZシリーズELEVENです。専門家にはバレるものですね」

 スマホさんがそっけなく白状する。内容がさっぱりわからない。

「ほー……初めて見たな。そんな貴重なもんを積んでるアンドロイドは。謎がまた増えたぞ」

 話についていけず、僕は困り果てて、思わず聞いた。

「安形はスマホさんの、何が不思議なのさ?」

「君のスマホが、とんでもなく高性能なのが不思議なんだ。興味本位で、スマホさんの同型機があるかどうか調べたけど、加賀美インダストリアルのカタログには、スマホさんの同型機は載ってない。そもそも、自律行動で修理まで出来るほど賢い人工頭脳は、まず一般販売されてない。特にZ系の人工頭脳は、軍事用か宇宙開発でしか使われない超高級品なんだ。もし、Z系の人工頭脳が使われてるなら、君のスマホはたぶん、一億円以上の価値があるワンオフの実験品ってことになる」

 スマホさんは安形の話から興味を無くしたようで、ぼんやり東京都庁を眺めていた。

「億……そんなあ」」

「スマホさんの能力は、スマホにしてはあまりにも高すぎるんだ。軽自動車にフェラーリのエンジンを積んでるような感じだよ。なんのために芦原が、そんな超高性能な人型スマホを持ってるのか……。ひっかからんか?」

 と言われても。まるで非難されてるかのようで、気分がよくない。けれど、安形の熱気に押されて僕は不満を口にすることはやめた。

「僕がダイバーだから、じゃないかな。スマホさんが助けてくれるから、僕は危険な討伐依頼を受けることができる」

「うーん。ま、そういうことにするか? 俺はダイバーについては門外漢だからなあ」

 といって、安形は納得する素振りをした。けれど、マニュアルの隙間に、安形はなにやら走り書きで数字を書き込んでいた。納得はしてないのだろうなあ。と、バツが悪くなっていた時だった。

『親愛なる芦原さま。コーヒーはいかが? いかがですか。いかがですね! 放課後、お待ちしております!』

 と、脳内に、高城さんからの怪テレパシーが混入してきた。カメルを倒して以降、高城さんからテレパシーが飛んでくるようになってしまったのは、深刻な悩みである。僕の意識に植え付けられた、カメルバグのせいだ。カメルバグによって、テレパシーが使えるようになったほかにも、まだ色々と影響はありそうだった。バグ効果の調査は、まだ十分にやっていない。他にやることが多すぎるせいで。いつだって優先順位の高い問題ばかりが、先にやってくるものだ。

「どしたんだ、芦原。急に顔色が悪くなったぞ」

 安形が不思議そうに聞いてきた。

「あ、いや、用事を思い出して。高城さんとね」

 安形は意地悪くにやける。

「へえー。あのお嬢さんと、上手くやってるのか? うらやましい。俺はロボット部の部活があるから、ここでお別れだ。……ああ、そうだ。これからはスマホさんを、君でも整備せないかんぞ。スマホさんが、大事だったらなー」

 安形が、なんの気も無しに言っただろう注意が、胸に刺さった。


 アンシブルテレパシーにむりやり導かれて、僕は学校からまあまあ遠い喫茶店まで、呼びつけられた。学校の最寄り駅から、二駅ほど離れたショッピングモールにその店はある。アンティークな家具で囲われた喫茶店は、歴史を感じさせた。レジ横には、ビールグラスやコップ、ティースプーンが、格安で売りに出されていた。店じまいした喫茶店から買い取ってきたリサイクル商品だと、店員さんは解説してくれた。そのいくつかを、トライポッドたちへのおもちゃとして買ってみた。トライポッドたちはプラスチックのコップをヘルメットのように頭へかぶり、テーブルの上をふらふらうろつきだす。このテーブルは四人席なのに、高城さんは僕の右隣に引っ付いている。そしてスマホさんはその左隣に座っている。

「狭いんだけど」

 僕がぼそっと不満を言うと、両隣から反応が返ってきた。

「スマートフォンが、そばにあるのは普通でしょ」

 と言って、スマホさんは口をへの字に曲げる。

「んーん。お話を聞くのですから、お耳は近くに置かないとなりませんよ」

 高城さんは真剣そうに悩む。

「じゃあいいよ、もうこれで。それで高城さん。ドラゴンの正体は調べてくれたの」

「はい! お父様のお友達に聞いて回ってきました! 警察も自衛隊もよくわかってないらしいです!」

「だめじゃん」

「いえいえ! これだけで終わりませんよ! 龍とは、ありとあらゆるコンピューター端末に寄生している、ウィルスプログラムのようです。一つ一つのウィルスファイルはとても小さいけど、全世界のパソコンやスマホに引っ付いています。そのファイルが格納されている部品は、基礎的なもののようですが……そんだけあるから、除去は原理的に不可能ですね!」

「もっとだめじゃん」

「とはいえ、日本のお偉いさんも、手こまねいている訳じゃないらしいです。そのファイルに効くというアンチウィルスワクチンを開発中で、それがもうじき出来るそうです。で、高城家のアレコレで、カケルさんにそのワクチンを渡せるよう、頑張ってます! だって貴方だけが、ドラゴンを退治できるのですから!」

 と、高城さんは胸を張って、報告してくれた。殺す方法が無いわけじゃないのは、分かった。ドラゴンは、とても小型な無数のウィルスの集合体だという。一つ一つのプログラムは小さくても、それらが無数に連携して演算を重ねることで、強力なパワーを発揮する。多細胞生物のひとつひとつの細胞のように。それをまとめて殺せる夢のワクチンがあるのだろか。どこか嘘くさく思えた。とはいえ、それに頼るほかないらしい。問題はそのワクチンを撃ち込むため、デイドリーム内でドラゴンの目の前まで、近づかなくてはならない事だ。具体的には、白宮へ乗り込む方法の事。

「カケルさんの仕事はどうですか。白宮の攻略方法は見つかりました?」

 コーヒーを舌でちろちろ飲みながら、高城さんは耳の痛いことを聞いてきた。

「その前段階、白宮までたどり着く段階で、行き詰ってる。アメリカ帝国の防衛プログラムを突破しなければ、僕の意識は白宮に潜れない。けれど、突破方法が思いつかない」

「はえ?」

 僕は、帝国の防衛プログラムについて、簡単に説明した。このプログラムは、アメリカ帝国民を認証するゲートプログラムだ。たとえばパソコンで、日本からアメリカ帝国のサイトへログインしようとすれば、指紋データの提出ウィンドウが開く。そして、人間のオペレーターの検問にも答えなくてはならない。パソコン内の指紋データと、アメリカ帝国パスポートに登録された指紋データが一致しなければ、そのホームページは永遠に閲覧できない。簡単極まりない仕組みだけど、簡単ゆえに破るのは至難の業だ。僕は中学生のころ、帝国のデータバンクに自分の指紋データをねじ込む方法を試した。その突破は成功しかけて、そして捕まった。

「というわけでね。高城さんは名案が浮かぶかい」

「そうですね。アメリカ皇帝へ手紙を書きましょう。通らせてくださいって」

 高城さんは目を輝かせた。僕の目は曇っていたと思う。

「いいアイデアだね。誰も彼のアドレスを知らない点を無視すれば」

「わあ。お洒落な言い回し、カッコいいですね!」

「馬鹿にしてるの?」

「で。帝国民の指紋データさえあれば、カケルさんは白宮までたどり着けるのです?」

「たぶん。僕の演技力しだいだけど。オペレーターの検問を抜けられれば」

 というと、仏頂面だったスマホさんの口元に、にやりと笑みが浮かんだ。馬鹿にしてるだろ。高城さんは頬杖を付いて、首を傾げる。

「じゃあ誰か、指紋をくれるアメリカ臣民を見つけないといけないですねー」

「くれる人が居ればいいがね。日本にいる帝国民は皆、皇帝直属の外交官やスパイだ」

 パインの存在が頭によぎったけれど、無理強いはできやしない。それにどうやって指紋データを獲るんだ? 帝国民の指紋をひっぺがえして、右人差し指に張り付けるとでもいうのか。高城さんなら言いかねないと思った。けれど以外にも、高城さんは提案してきた。

「帝国からの亡命者が、東京のどこかに住んでいることを、カケルさんは知っていますか」

「噂はね」

「その人たちを探して、指紋データを貰う、ってのはどうですか」

「手掛かりはあるの」

「んー。実はですねえ、ないです。ない」

「だと思った」

「けどカケルさんならできますよ」

「アテもないのに、そう言い切れるものかな」

「あなたなら、できますよ。できますとも」

 僕の右腕にしっかりと抱き付いて、高城さんはとび色の瞳を煌めかせて笑う。そのロケットのような胸が、僕の横腹に突き刺さる。目標に突き進む情熱と、計算しつくした表情に、僕はちょっと勘ぐった。これが純粋な好意ならまだいい。けれど、そうでないのではないか。その時。左隣のスマホさんは死んだような無表情で、メールの着信音を大音量で鳴らす。

「お嬢様のくせに、破廉恥な真似をするじゃないか」

「だって、マージは嫌なんですよね」

「自分の脳みそを割られるのが、好きな奴はいないだろう」

「ですよね。だから妥協して、現実世界で手籠めにしてやろうと思いました」

「妥協って言葉の意味が、分からなくなってきたな」

 困り果てて、喫茶店の天井を仰いだ時。スマホさんは着信音のベルを鳴らし始めた。スマホさんの手のひらのウィンドウには、父、とだけ映してある。……その着信音はあまりにも大きい。 他のお客さんたちが、迷惑そうに僕をにらみつけてきた。

「電話。お父様から。出ないの?」

 不機嫌そうな素知らぬ顔で、スマホさんは言う。僕は五千円札を置いてから、スマホさんの手を取って、急いで喫茶店の外へ脱出した。扉を開けて外に出た時、高城さんはアンシブルのテレパシーを飛ばしてきた。

『お仕事のことは分かったし、もう帰りますね。また、アンシブルテレパシーで呼びます。二人きりで会いたいものです』


 喫茶店の裏口近く。息を整えて、僕は電話に出た。

「すいません、ちょっと立て込んでいて」

「やあ。カケル。元気にしてるか」

 電話越しの父は、なぜか上機嫌だった。

「どうしたんです急に」

 いつもは一か月ごとにかかってくる父からの電話が、こんな中途半端な時に掛かってきた。

「聞いたぞ。ノーシス相手に、ひと暴れしたらしいな?」

 背中に鋭い刃を刺されたような錯覚を感じた。なぜか、父はすべてを知っている。僕は何も話していないのに。誰から聞いたというのだろう。

「ごめんなさい。ご迷惑おかけしました」

「なにを謝ることがある? あの無学な鉄砲玉たちに一泡吹かせたんだ。あっぱれだよ」

 父がどういう仕事をしているかは、よくわからない。けれど、秘密や嘘を取り扱う『公務員』であることは、なんとなく知っている。ならば帝国の亡命者に会える方法を、父は知っているかもしれない。父は話をガラリと変えて、僕へ学校のことを聞いてきた。僕は学校の友人の事をうわの空で話す。その間、僕はずっと迷っていた。舌が乾く。緊張が心臓の早鐘を打つ。聞くべきか、聞かないでおくべきか。

「そうか、学校には馴染めたようだな。じゃあ私はこれで。また仕事が片付いていないからな」

 そして、父が電話を切ろうとしたとき。僕は無意識にスマホさんの顔を確かめた。無表情だったスマホさんの瞳孔が、僕の視線に気づいて丸くなる。スマホさんは喋らず、唇だけを動かした。カケルのすきにしなよ。という発音の形に。

「待ってください、父さん。帝国の亡命者について、知っていることを教えてくれませんか。僕は、彼らに会う方法を知りたいんです」

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