第9話

日曜日。僕はパインとの約束事のため、オンラインゲーム『MY METROPOLIS』の新宿エリアで、ぼーっと客を待っていた。このゲームの通称が、MMというのだ。MMとは、バーチャルな東京で、家を建てたり、イベントを開いたりできるコミュニケーションゲームの名前。正直、つまらない。ぜんぜん流行ってない。面白いこと以外はなんでもできると、もっぱらの高い市場評価を得ている。けれど、データ容量がバカ軽いおかげで、とてもダイブしやすいという利点がある。ダイバーがコミュニケーションを取るデイドリームは、ほとんどがこのMMだ。自律ウイルスやバグファイルに襲われることもない。なにより、一般プレイヤーも多少ログインしている。ダイバーは世界に百人もいない。一般プレイヤーのいるゲームへダイブすれば、物寂しさを紛らわせることができる。

 ベンチのある広場の向こう側に、張りぼてな東京都庁がそびえたっている。忍装束に甲冑を纏った僕のマイキャラは、周りでうろついている他のローポリゴンなキャラとは、雰囲気からして違う。けれど、この姿がもう僕だから、変える訳にもいかない。

「あ、カケルだ。やっほー」

 黒いウサギの着ぐるみのキャラクターが、僕へ話しかけてきた。ダイバーではない、一般のゲームプレイヤーだ。今のご時世にこの化石ゲームをやっているのは、一般的ではないけど。苦行を進んでやる修道士のようなものだ。相手はキーボードを使っているだろうけど、オンラインゲーム上なら、非ダイバーとも会話することができる。

「やあ。ネクロ」

 僕はあいさつのエモート『挙手』を使った。ネクロは両手に、イースターエッグの大きなぬいぐるみを抱えていた。

「ひさしぶり。なにしてるの?」

「パインと約束があるんだ」

 パネルを開いて、時刻を確かめる。午後七時十八分。集合時間は午後七時の予定。単に遅れているのか、それとも忘れているのか。どちらにしてもパインは遅刻だ。

「パインって、ダイバーの人だよね。虎のお姉ちゃんで、色々騒がしい人だ。あの人も、カケルみたいにウィルスと戦う人なの?」

「パインはハンターじゃない。ダイバー能力でプログラムを作ったり、修復したりするビルドダイバーだよ」

 と、話している途中で、突然視界がふさがれた。何者かが、僕の視界を両手でふさいだのだ。

「ボクはだれでしょーか? 当ててみな」

 このデイドリームで、僕相手に目をふさいでくるのは、アンタしかいない気がする。僕はバックドアスキルを使い、自分のマイキャラをベンチの裏へと転送させた。

「パイン。僕は武装してるんだぞ。デリートセルが暴発したらどうする」

「へっへへ。拘束プログラムにも引っかからないなんて、さすがじゃん」

 悪びれない笑顔をふりまいて、虎の少女はくるっと僕へ振り返った。背中には、ピッケルやロープ、その他探検道具を詰め込んだリュックサックを背負っている。それは、パインの持つ探索能力を視覚化したものだ。

「それより、パイン。十九分遅刻してる。約束は守るためにあって、破るためにあるんじゃないぞ」

「シカゴとは時差があるんだから、しょうがないっしょ。誰かいたけど、なにしてたんだ? こんなカワイイ彼女を差し置いて浮気すんなよ」

 ネクロの姿はなくなっていた。あいつはいつも、いつの間にかふっと居なくなる。

「僕はいつから、君の彼氏になったんだ」

「んなこといっちゃってー、照れ隠しなんてしなくていいんだぞ?」

 体をくねらせて、パインがいう。苛立ちで思わず、火縄銃が暴発しそうになる。

「用件だけ済ませて、さっさと解散しよう。白宮のマップを寄越せ」

「塩対応やめろ! すねるぞ! すねたら恐ろしいことしてやるぞ!」

「なにする気だ」

「ここでギャン泣きしてやる」

「泣くなら人のいないところで泣いてくれ」

 パインをわきに抱えて、僕はバックドアへ飛び込んだ。座標さえセーブしてあれば、その座標へ瞬間移動することは容易い。ダイバー二人のマイキャラは、MM内にある東京都庁の頂上ヘリポートへたどり着いた。

「ここなら思う存分泣けるぞ? ここにはあらかじめ、攻勢防壁を展開してある。僕らの会話を盗聴することは不可能だ」

 パインを解放すると、猫そのままの動きでパインはヘリポートへ着地して、耳を掻く。

「つまんないやつ。わーったよ。これが依頼の品だよ。知り合いの非ダイバーハッカーから貰った、白宮のマップさ」

 パインからマップファイルを受け取り、自分のウィンドウへ表示させる。三又の川に沿って、人工的な路地が整然と並んだ都市が表示された。合衆国時代のワシントン市を、そっくりコピーしたダンジョンらしい。が、現実のワシントンとは似てもつかぬ造形物が、このダンジョンには一つある。現実ではホワイトハウスや、ラファイエット広場のあった広大な区画。そこには小さな小屋を無数に積み重ねたような、途方もなく巨大な城がそびえたっている。その高さを現実世界に置き換えれば、エベレストより高い。地図に記されている座標を自分の脳領域へ記憶する。これで僕はバックドアを通って、白宮までワープできるはずだ。

「城の内部は解らないのか」

「さっぱり。中には迷路状の複雑な回廊がランダム生成されてるみたいだけど、白宮に潜ったダイバーは一人も帰ってこないんだから、わかんなくね」

「そうか。じゃあ、潜らないと分からないわけだ」

「いや、潜るなよ。帰ってこないつったじゃん」

「けれど、そういう仕事を受けた。このダンジョンに潜り、ドラゴンというウイルスプログラムを削除する」

 そういうと、パインは理解できないといった風に、顔をしかめ、首をかしげた。

「ドラゴン? あのへんなお告げで言われてたやつか。どんなプログラムだよ」

「……さあ。そういえば聞かされてないな」

「えー。敵の素性を知らなきゃ、退治なんてムリムリムリのカタツムリだ。それに、白宮の座標までたどり着くには、アメリカ帝国の防衛プログラムを突破しなきゃなんないんだけど。その難関を越えられるん?」

 え? なぜ防衛プログラムを突破する必要があるんだ。

「バックドアは座標を記憶できれば飛べるんだぞ。その座標さえ知ればいい」

「カケルみたいなチェイスダイバーは、そういうとこ疎いよなー。白宮の座標は、帝国法でいう禁領地。つまり皇帝直々の領地なんだよ。そこにはもちろん、強力に防御されてる。だから、バックドアを設置するにしても、アメリカの防衛プログラムを越えないとダメなんだぜ。そういや防衛プログラムって、カケルのトラウマだよな?」 

 嫌味っぽく、パインは笑う。

「それはその。言うなよ」

 参った。帝国の検問を突破しないとならないのか。数年前にノーシスに騙されて、見事に失敗したトラウマが頭の中でぐるぐると再生される。

「ちょっとは頭さめた? ちゃんと準備しないと、答えは見つかんないぞ?」

 考え込む僕をよそに、パインはぴょんと飛び跳ねて、都庁の屋上からログアウトした。龍を殺す前に、やることが多い。げんなりした。

 さて。僕もログアウトしよう。コントロールパネルを呼び出して、僕もログアウトしようとした。だが、パネルがポップアップしてこない。……何者かが、僕の操作を妨害している? 背中に、ぬめついた視線を感じた。背中に括った火縄銃の吊り紐へ手をかけて、僕はその方向へ振り向いた。

 六、七歩離れたところに、あの白仮面が立っていた。巨大な二つの瞳が、僕を射抜くように見つめている。

「私は真実を知っている。この世界が偽であると。認識せよ。世界は嘘で満ち満ちている。ドラゴンを殺せ。お前に渡される武器を以って、ドラゴンを殺すのだ」

 僕は躊躇なく、火縄銃を撃った。白仮面の姿は一フレームの遅延も発生せず消えた。赤い弾痕が、仮想空間の都庁ヘリポートに残っただけだった。白仮面の姿が消えるやいなや、フリーズしていたコントロールパネルが復活して、表示された。僕はすぐ、ログアウトのボタンを叩いて、脱出した。

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