第8話


 現実に戻ってきた時、最初に見たのは、スマホさんの顔だった。倒れ込んだ僕をずっと、抱き留めてくれたらしい。そんな殊勝なことができたのか、という驚きがまずあった。何も言わず、スマホさんは遠くを指さす。そこには、動きを止めて倒れ込んだユンボロボットが居た。警官たちが慌ただしく、その周りを行ったり来たりしていた。

 その後、僕ら生徒は、先生たちの誘導で下校することになった。帰る前に、僕は進藤へ義手を返すことにした。

「なんだ、一世一代の覚悟を決めて、その腕を切り離したのに。結局要らないのか?」

 校庭前でそれを受け取った進藤は、返された義手を見つめて、目を細めた。

「もう少しで、このまま持って帰るところだったよ。思い出してよかった」

「厄介払いできると思ったんだがなぁ」

「僕にその腕は使いこなせないよ。だから貰った義手を、今度は一生君へ貸すことにしたんだ」

 進藤は義手を右上腕のソケットへ嵌めて、顔をしかめる。

「ねーねー。他にもなにか忘れてませんかご主人さま?」

 肩を激しく揺すぶられて、僕は振り向いてみた。

「えらいでしょ。褒めていいよ」

 そこには自慢げに腕を組む、スマホさんがいた。演技の微笑みは消えて、ニヤニヤ顔が浮かんでいる。

「そう言われたら褒める気が消えた。どうしてあのブラクラが必要だって分かったのさ」

「高城さんのスマートフォンから戦闘の様子が見れたから、状況が分かったの。モノクロで映りはよくなかったけど。にしても最新スマホはべんりですねーそっちのほうがいいんじゃないすか?」

 スマホさんが口をとがらせ、拗ねまくる。猫を被るのは諦めたらしい。その方がいいと思う。そんなことより、僕はひとつ引っかかった。

「……じゃあ、みんな、僕のマイキャラを見たのか」

 デイドリーム上の自分のマイキャラを、これまで現実世界の知り合いに見せたことはない。ひ弱な僕が、あんな格好つけた忍者で暴れている事は、恥ずかしくて知られたくなかった。急に気恥ずかしさがこみ上げてきて、僕はこの場から消えたくなった。進藤は何も言わず目線をそらす。

「んお、か、かっこよかったぞ?」

 と、どこか気まずそうに安形が答える。

「動いてるのは初めて見たよ。あんなコスプレしてんだね。ゴウランガだね」

 スマホさんがほがらかに笑って言う。腹立つ。

「べ、別になんだっていいだろ」

「我が前に敵は無し、ってなに?」

 スマホさんの猫目がきらきら光る。ナメられてる。

「あー! あー! もうこの話終わり!」

 無性に暴れたくなるのをこらえて、僕が叫び返していた時。

「じゃあな、芦原。私たちは帰るよ」

 進藤は義手で校舎側を指さして、きっぱりと言った。

「へ」

 急に別れの挨拶をされ、僕はすこしばかりクールダウンした。進藤が指し示した校舎の玄関には、ぼうっとスマートフォンを眺める高城さんが立っていた。高城さんは、クラスメイトらしき女子たちから話しかけられていたが、特に反応を返さない。進藤のほうをもう一回見る。高城さんに話しかけろという事だろか? 僕が首を傾げると、新藤は小指を立てる。そのジェスチャーの意味はわからない。

「ほら安形、さっさと寮に戻るぞ。そういえば、今日の風呂掃除の当番はお前だったな」

「今日はつかれた。進藤代わってくれよぉ」

「お前さん、今日はなにもやってないじゃないか」

「芦原引きずったじゃんか。小さい体でー」

「こういう時に限って、小柄アピールしてくるのは腹立つな」

 他愛もないことを言い合いながら、二人は歩いて去っていく。取り残された僕は、所在なくスマホさんに聞いた。

「どうしよう」

「さあ?」

 とりあえず、高城さんの方へと向かってみた。高城さんの傍では、クラスメイトたちが話しかけ続けていたが、効果がないと悟ると、じゃあまた明日。DMには返事ちょうだいよね、と言って帰っていく。

「あの、高城さん?」

 けど、僕が話しかけると、高城さんは飛び上がった。はっとするような美貌に、あの爆発的な生気が戻ってきた。

「へあっ!」

 そして変な声を出す。

「なんなの、ウルトラの戦士なの」

「その、違います。私は高城家の一員です」

 高城さんのスマホには、僕とカメルの戦闘動画が映っていた。録画したそれを、さっきから熱心に見ていたのか? ……。

「とりあえず、その動画見るのやめよ?」

 また恥ずかしさがこみあげてきて、僕は咎めた。高城さんは黙ってじっと、こちらを見つめる。そのとび色の瞳は、焦点が定まっていない。開ききった瞳孔が、僕を射すくめる。吸い込まれそうな視線に、おぼれそうになった時。

『きこえますか』

 頭の中から、高城さんの声が聞こえた。幻聴を疑った。だって、高城さんは喋っていない。なぜ、彼女の声が聞こえるのか。

『ああ。あなたも使えるようになったのね。アンシブル通信を』

 脳内で反響するその甘い声に、僕の意識はドロドロに溶かされる。


 気が付けば、僕は家に戻っていた。どうやって帰路に就いたかは、ほとんど覚えていない。いつも一人きりで座っている食卓のテーブルに僕は座っている。その向こうの席には、幸せそうに微笑む高城さんがいる。なぜ、高城さんが家にいるんだろう。

『もう一度、答えを聞かせてくれます?』という誘いに、混乱した僕は抗えなかった。

「コーヒーいれたのニ」「お菓子もあるのニ」「二人ともしゃべらなイ」

 トライポッドたちは、黙って見つめあう僕らを見上げて、ゴニョゴニョ話し合っている。

『僕はアンシブルテレパシーを持っていないはずだ』

 所在なくスプーンでコーヒーをかき混ぜながら、僕は【聞いた】。

『アンシブルテレパシーは、特殊な脳波を持つ者にしか許されないテレパシーです。あなたはウィルスからこの能力を得たんですよ』

 カメルにとどめを刺した時、カメルから抜け落ちた目玉が、僕の頬に垂れた。その時に、力を得たというのか。

『始めて出会った時は、ドラゴン殺しを渋っていたけど、実際にノーシスと対決して、危険な存在であることは理解できたんじゃないでしょうか。今、龍を殺せる力を持つダイバーは、あなたしかいないの。作戦会議をしましょう? お互いに知っていることを共有しましょう。心で通じ合えるなんて素敵ね』

 興奮を隠すことなく、高城さんは妖しく笑い、吐息をつく。僕はかぶりを振って、口を開くことにした。

「ドラゴンというウィルスの目的と脅威は理解できた。最後に、高城さんが今知っている情報を教えてほしい。それから依頼を受けるかどうか決める。いくつか質問させてくれ」

 高城さんは不満げに顔を曇らせた。

「テレパシーを使わないのですか? せっかく使えるようになったのに!」

「スマホさんはテレパシーを使えないじゃないか。話の内容が聞けない」

 スマホさんはうつむいて、じっとしている。それが待機モードだというのは分かっていても、なぜ今、彼女が待機しているのかはわからなかった。僕は特に命令していない。

「むぅ。そうおっしゃるならば」

「ノーシスとドラゴンはどうやって、この世界を一度壊すっていうんだ?」

「龍もまたアンシブルテレパシーを使えます。孵化すれば、そのアンシブルで、ありとあらゆる電子機器を乗っ取ることは可能です。となれば……サイロの核兵器を爆発させることも、各国の研究所で保管されているパンドラウイルスをまき散らすことも、思いのままでしょう。こうした破壊行為で、文明を滅ぼすのがドラゴンの望みです。ノーシス軍は、白宮のドラゴンの願いを叶えるため、活動しています」

「なんでノーシス軍は龍へ協力するんだ」

「ドラゴンは、ノーシス軍の唯一神です。ノーシス軍は今の人類が発展させた世界を偽物として、本当の世界が別にあると信じています。その世界を作るために……彼らは殉死するのです」

「最後に訊こう。君がくれる報酬はなんだ」

 僕がそういうと、高城さんは席を立ち、僕の隣まで近づいてくる。

「私の婚約者になってください。ハイキャッスルコンツェルンの経営権──51%の株券を、あなたにさし上げます。私の家は、ハイキャッスルグループの創業家ですから」

 それを聞いて、僕は喜ぶより困惑した。いきなりお宝を渡されても、嬉しくないものだと初めて知った。

「そんな簡単に、社長令嬢と結婚できるものかな」

「私の家はコンピューターを作ってますけど、ドラゴンが世界を滅ぼしたなら、会社経営もなにもないでしょう。それに、やっと見つけたアンシブル通信の交信相手を、逃がすわけにはいきません」

 高城さんは、座ったままの僕をぎゅっと抱きしめてきた。その意図に気付き、僕は戦慄した。本気か? 嘘だろ。マージだと? アンシブルテレパシーを介して、高城さんはマージを試みてきた。

『あなたは気持ちいい? わたしは気持ちいい。私の気持ちよさが、あなたのそれと一緒だったらいいな』

 溶けるような快感が、神経を駆け巡る。異なる遺伝子を持つシナプスが、直接触れ合う激烈な感覚に、僕は見悶えた。高城さんは、マージを仕掛けてきている。精神的な感応。……いまはそういう事をしている場合じゃない!

「マージをやめてくれ!」

 僕が短く拒絶すると、マージの浮遊感は唐突になくなり、傷ついた表情の高城さんの顔が視界に戻って来た。

「え、あ、やっぱり……依頼受けてくれないですか」

「そうじゃない。商売事をいまやっているんだぞ。君にはドラゴンの起源を調べてほしい。ドラゴンが自律進化したウィルスだとしても、元々は単なるプログラムに過ぎなかったはずだ。ドラゴンは元々どんなプログラムとして作られたのか。それを知りたい」

 高城さんの表情は、僕の要望を聞くにつれて、だんだんと持ち直していった。

「ということはっ!」

「ああ。ドラゴン殺しの依頼を受けるよ」


 高城さんは用が済むや否や、ハヤテの如く帰って行ってしまった。そのあと僕は何もせず、ぼーっとテーブルに就いて呆けていた。しばらくたって、スマホさんは短い着信音を鳴らせた。パインからメールの返事が届いたらしい。僕はそれを開く気にもならない。長い沈黙を破って、待機モードから復帰したスマホさんは、つらつらと喋り出した。

「高城さんと結婚するんだね。だったら、電話帳の家族欄を増やさないといけない。SNSのグループも専用に作らなきゃ。写真フォルダもクラウドに作って、データ共有する必要もあるね」

 無表情で、スマホさんは極端な未来予想図を描き出す。

「乗り気じゃないね、スマホさん。ドラゴンが孵化すれば世界が終わるというなら、依頼を受けるべきかと思う」

 僕は自分の考えを示した。このまま、陰気な冴えない人間として、誰にも知られないまま死んでいくのは嫌だ。ダイバーとして、悪の権化であるノーシスを打ち倒す。それが、僕にしかできない偉業なら、やってみせたい。

「そんなの、高城さんの予測だもん。ねえ。どこか一緒に逃げちゃおうよ。きっと他の誰かが、ドラゴンもノーシスも退治してくれるよ。……私は、今のカケルとの関係が壊れるのが嫌。先に進みたくない。ゴールしたくないよ」

 スマホさんの声はだんだん小さくなっていく。人間は一日に百回以上、選択肢を決断して生きている、ってどこかの誰かが言っていた。今、僕は間違えてはならない決断の分かれ道に立っている。商談よりウィルス討伐より、これは難しい仕事だ。

「スマホさんにとって、僕はなんだ?」

 僕は聞いた。冷たい答えが返ってきた。

「私の持ち主ですよ。ご主人さま」

 そういうと思っていた。分かっていた。スマホさんは、僕にとってのなんだろう。仕事道具か? パートナーか? そうじゃない。それを分からせてやる。

「僕はそう考えない。スマホさんは機械じゃない。デバイスでもない。僕にとっては、一番の友達、大事な戦友だ」

 僕は告げた。すると、スマホさんの手が、僕の手の甲を握った。ひんやりと冷たく、硬い指。それがたとえ人工樹脂でできた偽りの指だとしても、深い達成感が僕の心を駆け抜けていった。 スマホさんから、僕に触れてくれたことはこれまでなかった。正解を引き当てたと、直感した。

「私はカケルの道具ではなく、戦友だって。そう思っていいの?」

 スマホさんのオッドアイが、ぼんやりと光る。

「もちろん。スマホさんから触ってくれるのは、初めてだね」

「カケルに触れたくても、触れられなかった。だって、わたしは、道具だと思ってたから。カケルがいつ殺されるか分からない世界で闘っていても、なにも出来ないし」

「そんなことないよ。スマホさんは僕のピンチを的確に救ってくれる。頼りにしてるし、大事にしたいと思ってる。……昔、約束した通り。だから機嫌をなおして。高城さんからの報酬も、ハイキャッスルの株券で十分だから。他のオプションはクーリングオフするよ」

 僕がそういうと、スマホさんのブレードアンテナは嬉しそうに動いた。

「カケルはゴールしたい? ドラゴンを倒す方向でのゴールに」

「ああ。大事な世界を救うためラバ」

「大事ね……うん。ボイスレコーダーに録っとこう」

「よし。これで話は終わりだ。さっそく仕事にかかろう、スマホさん。パインからのメールを開いてくれ」

「……もうちょっと余韻ってもんがほしいなあ」

 まずは、白宮の近くにバックドアを作らないといけない。長い長い旅になりそうだった。

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