第6話


 パインと連絡を取ったくらいから、僕の体調はなぜか更に悪くなった。具体的には、発熱と頭痛。これ自体はよくある事だ。僕の体力と、ダイバー能力の負担が釣り合っていないからだ。春という季節の変わり目、ジェットコースターのような気温の上がり下がりも、影響していたのかもしれない。授業中は倒れるのをぐっと堪えて、机にしがみついているようだった。その日も同じように耐えている間、休み時間になっていた。楽しくざわつく教室の中で、僕だけが黙り込んでいた。いつもの気分のモヤが、ひどく膨らんでいく。まずい兆候だ。ダイブの仕事は休んでいるのに、なにかが、僕の意思に干渉しているように、マイナスの考えが浮かんでくる。

 物心ついてからすぐ、この気持ち悪さや孤独感と、同居している。現実は澱んだ悪夢のように思える。僕は周囲から浮いていて、居ていないような存在なのだろう。中学のころはあまりにも浮きすぎてて、いじめの標的にすらならなかった。僕は世の中にとっては、無意味な存在らしい。ダイバーとして、僕は十分な能力があるはずだ。ダイバーとして、世界を変えられるはず。でも……僕はずっと二の足を踏んで、同じ場所でとどまっている。

 現実の悪夢。

急に、教室が真っ暗になる。窓が一つだけになり。そこからぼんやりと赤い光が差し込んできている。教室にはいつの間にか、僕しかいなかった。教室の中心に、黒いバケモノが立っている。人型で二メートルはあり、皮膚は黒くただれていた。真っ白な丸いお面には、二つの巨大な目玉だけが描かれていた。

 その白仮面のバケモノは言う。

「汝は龍を導くモノ。真を偽に変えるモノ。矛盾を正にするもの。認識せよ。グノーシス。お前はお前であるために、供物を捧げなくてはならぬ」

 認識? 供物? この夢はいったいなんだ?

「ドラゴンを殺せ。そして生き返せ。それがお前に課せられた使命だ」

 白仮面の声は、男の声でも、女の声でもなかった。それは神でも天使でもなかった。しかし、ハッキリと存在する何かが、僕の耳に触れた。ああ、このまま、僕は悪夢の中に閉じ込められるのだろうか……


「カケルさんのバイタルサイン変調、注意を要します」

 スマホさんのハッキリとした声が、僕を悪夢から引き戻した。彼女は、安形と進藤にレスキューを呼び掛けていた。

「ん? ホントだ。顔色がよくないな。芦原、こっちを見な。私の顔をじっと見て」

 ぼんやりと、進藤を見る。

「横たわってくれ。そう、上手いぞ」

 進藤に支えられ、僕は教室の床に横たわる。教室に残っていたクラスメイト達は、恐ろし気に僕を見下ろしていた。トライポッドたちは、僕の身体に纏わりついてくる。

「安形、芦原を背負って保健室まで行けるか?」

「お、おう? なんで俺? わかった!」

 安形が僕を勢いよく背負う。そして意識はかき消えた。

 次に目が覚めた時、僕は保健室のベッドで浅い息を繰り返していた。僕が起き上がると、ベッドの脇に座っていた安形が、身体をびくっとさせて驚いた。

「うわっ、びっくりした! 大丈夫なのかよ。ダイブってやつのせいか?」

 ダイブによる影響じゃない。僕の体調とは関係のない干渉が発生した。お告げ。多分、僕が見た悪夢は、高城さんが聞いたお告げとは違うだろう。安形にそのお告げの事を伝えても、気味悪がられるだけだな。僕は真実を飲み込んで、ひとりごちた。

「さっきよりかはね……心配かけたよ」

「そんなに体調を崩してたとはなあ。スマホさんが教えてくれて、良かったよ。もうタクシー呼んどいたから、乗って帰りな。最近は、アプリでタクシーも呼べるんだ。ちょっとこれやってみたかってんなー」

 安形はスマートフォンを取り出して、なにやら操作しだした。それを見て、僕は気づいた。現代人なら肌身離さず持っているとあるもの。スマートフォンが僕の手元に無い。スマホさんがいない。

「スマホさんはどこだ?」

 僕は安形へ聞いた。

「へ? そういやあ、君を運んでから見てないな。教室に置きっぱなしかな」

 冷汗がどっと吹き出し、腹の底が痛くなる。僕はベッドの毛布を剥ぎ、靴を慌てて穿く。寝ている場合じゃない。

「探さないと」

「へ? お、おいおい! 急に動くと体に悪いぞ!」

「自分のスマホをなくして、焦らない奴がいるかな」

「まあ、それもそうだけどさ。電話かけるから、まっとけって」

 安形は僕の電話番号を選び、電話を掛ける。だが。

「あれ、スマホさん出てこないな……あーちょっと芦原ァ! 走るな走るな!」

 安形の静止を振り切って、僕は保健室から飛び出した。どこにいる? もしかして無くしたのか? 保健室から教室までの廊下をたどり、左右を見回す。スマホさんが僕のそばから離れることは、これまでなかった。電池が切れて倒れているのだろうか、それとも誰かに盗まれてしまったのだろうか? めまいをこらえて、僕は来た道をたどる。


 スマホさんは、校舎と部室棟を繫ぐ渡り廊下で、高城さんをじっと見つめていた。

「おねがい。カケルへの依頼を取り下げてほしいの」

、スマホさんが、そう言うのが聞こえた。いつもと同じ、聞きぼれするような、凛とした声で。

「そんなこと言われましても……私には使命があるのですから、困りました」

「ねえ。お願い。これ以上、今のまま、何も変わらなくていい。私は、ゴールに近づくのが嫌。そのゴールが良い方向でも、悪い方向でも」

 そこまで言ってから、スマホさんは僕の姿を見つけ、ほっとした笑顔を作った。

 次の瞬間、バツが悪いしかめ面になって、そっぽを向く。

「スマホさん。なにしてるんだ」

 僕は問うた。高城さんは僕の背中に回りこみ、僕を盾にするかのようにして身構える。そして、訊いてきた。

「芦原さんのスマートフォン、喋れたんですか! 私もうびっくりして」

「高城さんは黙ってくれ」

 僕が強い語気で咎めると、ヒュウっと息をのんで喋らなくなる。

「起きるの速いねー。もっとぶっ倒れててよかったのに」

 意地わるそうに、スマホさんは笑っておどけた。緑と赤の瞳が煌めく。

「高城さんと、何を話してたのさ」

「あー。その。高城さんの依頼を受けてから、カケルの調子が崩れたんだから、原因は高城さんだと思ったんだ。だから、依頼を取り下げてほしいって、頼んでた。それだけ」

 僕は小さくため息をついた。スマホさんは何かを隠している。嘘やごまかしをする時に、目がほんの少しだけ光る。けど、僕が気になることは今、そこじゃなかった。

「僕が欲しいのはそういうことじゃない。心配したよ。そばにいてくれ」

 と、僕が言うと、スマホさんはうつむいて黙ってしまう。ずっと僕らのやり取りを聞いていた安形が、口を開いた。

「……スマホさん、やっぱあんた自我を持ってたのか。本名を教えないってのは、そういうことだからなぁ。自我を持っているロボットは、この眼で初めて見たよ。猫被って、隠してたのか?」

「誰にも言わないでください」

「いやいや。面倒事は嫌いだから、誰にも──って、なんやっ! 地面が揺れとる! 地震やぁ!」

 安形が話している途中で、地面が鈍く揺れた。と同じく、校庭の向こうにある、巨大マンションの工事現場から、爆発音や衝突音がいくつも聞こえた。連続する衝撃音に呆然としていると、その元凶は工事現場から立ち上がり、校庭越しに姿を見せる。入学式の日にすれ違ったゴルドラック社のユンボロボットだ。それが、両手を振り回し、工事現場の鉄骨をなぎ倒している。空遠くから、区役所の避難放送が聞こえた。

『緊急放送、ロボハザード発令。南台エリアの区民は速やかに近隣の避難所へ避難しなさい。これは訓練ではありません。繰り返す……』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る