第4話


 けれど。次の日の僕は、激しく体調を崩した。午前中は病欠し、登校は昼休みになってしまった。身体がとてつもなく邪魔だった。教室の引き戸すら、重く感じられた。倦怠感や頭痛は、ヴァーチャルダイブの副作用だ。どうにかして改善したいけど、手掛かりは見つからない。教室に入ると、安形と新藤がだべっていた。

「あ、芦原ー。おはよう。ほら、授業のノート貸してやるよ」

 僕に気付いた安形はあいさつと一緒に、ノートを渡してきた。ちょっとばかり驚いて、僕はまごつく。そんなこと頼んでいなかった。

「ありがとう。お礼とかいるか?」

「いやいや、勝手にやってるだけだから、要らないって」

 と安形は、教室の外の廊下を、じっと眺めながら答えた。

 ノートには意外とキレイな字で、黒板の内容が書きうつされていた。現代社会の授業だ。

『第一次大戦ごろに大流行したパンドラ・ウイルスにより、世界人口の60%が死亡。枯渇した人的資源の代わりとして、ロボット技術が発達。1930年にはクルップ社によって、二足歩行ロボットが発明される。第二次大戦ではロボット兵団を擁するドイツ軍が電撃戦により……』

「こっち見てるよなぁ」

「やな。めっちゃ美人や」

「本気になるとお前方言になるんだな」

「やかましわ」

 ノートを読んでいると、進藤と安形が、こそこそ話しているのが耳に入った。さっきから、廊下に何かとてつもなく面白いものがあるらしい。二人の視線の先を、僕も追ってみる。いた。廊下に、純白セーラー服の、少女が立っていた。顔はとびきり整っている。落ち着きなくキョロキョロしている姿は、スズメやリスを連想させる。頭を動かすたびにそのわがままな黒いくせ毛が、ぶんぶん揺れる。元気さが形になったような、そんな第一印象だった。

「誰を探してるんだろうなぁ。安形の知り合いか?」

「んなことあれへん! ワシ瀬戸内出身や……だぞ!」

「ふむぅ。だとすると、私への告白かな? 私も罪な男だからねえ」

「うはは。それはない。二枚目半っていうんだ、お前のことは」

「なんだと」

 その彼女と、僕の視線がかち合った。とび色の瞳が僕をロックオンする。途端、彼女はにっこり微笑んだかと思うと、ずかずかと僕らの教室へと侵入してきた。のけ反って道を開ける新藤や安形には目もくれず、彼女は僕の目の前にずんと立ちふさがった。

「あなたが、ダイバーさんですね! 私は高城みあって言います」

 そして、元気な大きな声で、はきはき喋る。彼女は僕がダイバーだと知っているらしい。ダイバーの存在を知っているとなれば……なにやらキナ臭い。僕はちょっと警戒心を抱きながら、返事をした。

「まあ、そうだけど」

「やっと決心がつきました! ノーシス軍のボスである『ドラゴン』を殺してほしいんです!」

「は?」

 彼女が天真爛漫な笑顔で、事の依頼を叩きつけてきた時、ダイバーとしてのスイッチが入りかけた。が、昼休み終わりのチャイムが鳴り、僕の意識を貧弱な肉体へと押し戻した。

「あ! クラスに戻らないと! また来ます!」

 と言うやいなや、高城さんは脱兎のごとく、我らの教室から出て行ってしまう。台風のような、嵐のような……え、またくるの?


 結局また来た。放課後になってすぐ、高城さんは教室の廊下から、僕をじっと見つめに来た。興味津々な進藤たちを引きはがし、僕は高城さんを、校庭裏の公園まで案内した。校庭の裏側には、スギやヒノキの大木に囲まれた大きな公園がある。自販機の前に、いくつかのテーブルとチェアーがあった。人の気配はない。テーブルには既にトライポッドが陣取っていた。

「高城さんだっけ」

 僕は自販機の前で小銭を握り、高城さんに聞いた。

「はいっ! 高城みあと申します! テックはアンシブルテレパシーです! 光速以上の速さで超すごいWifi飛ばせます! こう、このあたりからビビビッて」

 テーブルに既に着座した高城さんは、おでこから何か光線を飛ばすような仕草をする。アンシブル通信とは、脳波を電波へ変換して受送信できる特技のことだ。簡単に言えばテレパシー。これはダイバーと違って有名だし、有能だ。だって、人間の独力で、超強力な電波を送ったり飛ばしたりできるのだ。Wifi契約や通信制限の悩みが無くなると言えば、その便利さはよくわかる。

「ジュースおごるよ。何飲む?

 僕は聞いた。やはり変な答えが返ってくる。」

「ユービックサイダーがいいです」

「ユニークだね」

 僕はユービックと、トマトジュースの缶を買った。ユービックは、謎の飲み物だ。人によって効果が違う。ある人はよく効くかぜ薬というし、ある人はエネルギードリンクと言う。けど、僕には単なるサイダーだった。彼女には、どんな味がするのだろう。テーブルの上のトライポッドたちは、高城さんにつつかれて逃げる、つつかれて逃げるを繰り返す。子供に追いかけられる鳩みたいだ。

「かわいいですねー、一口サイズで。わたしもほしいなあ」

「ムオー! ヤメロォ」「タベルナキケン!」

 高城さんにつつかれたトライポッドは、エアバッグを作動させてまん丸に膨らんだ。ご機嫌斜めのジェスチャーだ。こうなると彼女たちは家事をサボり始める。僕は椅子に座ってから、高城さんのちょっかいを止めさせようとした。

「べたべた触ると、トライポッドたちは刺してくるよ。ロボットアームに脱力毒針がついてるんだ」

「え、芦原さん刺されたことあるんですか」

「主人の僕は刺されないけど、安形が最近よく刺されてる。それで、商談だったね。スマホさん、ボイスレコーダーで録音して」

「かしこまりました」

 恭しくお辞儀をして、スマホさんは了解してくれた。二人の時も、これくらい聞き分けが良ければなあ。叶わぬ願いは胸に仕舞おう。僕はテーブルのトライポッドたちをひょいひょいと摘み上げて、制服の腰ポケットに突っ込む。そして、じっと高城さんを見つめる。

「へ? 芦原さん、急に雰囲気こわくなりましたね。別人ですか?」

 高城さんは僕の目線を受け止めきれず、たじろいだ。

「覚悟してほしいね。君はこれからダイバー相手に、切った張ったの交渉事をやるんだ」

 ちらっとスマホさんの表情を伺う。いつものアルカイック営業スマイル。ただ、猫目の瞳孔は丸くなっている。録音してくれているようだ。

「へ、はい。がんばります」

「ノーシスのボスを殺したい、と君は言ったけれど、どうしてダイバーの僕に話を持ってきたんだい。殺し屋に頼むべきじゃないのかな。そういう便利な人が居ればの話だけど」

「ノーシスのボスであるドラゴンは、人ではありません。自我を持ったプログラムなのです。ダイバーの人なら、ダンジョンで暴れるエラーやウィルスを見た事があると思います。それらが進化して自律した存在こそ、ドラゴンです。彼を破壊、つまり殺す事はダイバーにしか出来ないらしいのです」

 スラスラと高城さんは答える。まるで、何度も練習したかのように。確かに自我を持ったプログラムは希少ながら存在する。例えば、僕の隣のスマホさんのように。けど、それがテロ組織を作っているという話は聞いたことがない。

「……そのドラゴンを殺す理由はなんだい。世界平和か?」

「もちろん世界平和です! ドラゴンはなんと、恐ろしいことに! 人類を絶滅させようとしています! それを止めなくてはなりません! あたりまえでしょう?」

 物騒な単語『ノーシス軍』が出てきた上に、しょうもない話が続き、僕は白けた。

「僕は高校生だ。勇者でも、特殊部隊員でもない。ましてや、007でも、ジャッカルでも、ビッグボスでもない」

「えー。ダイバーも似たようなもんじゃないんですか?」

 僕は内心毒づいた。目の前には、嘘を信じ込んでいるお嬢さんが居るだけだ。ネットを検索すれば、都市伝説を紹介するフェイクサイトは、腐るほどヒットする。彼女はそのうちの一つに騙されたんだろう。確かに、ノーシス軍は恐ろしい狂人集団だろうけど、人類を絶滅できるほどの脅威とも思わない。小さな国で反乱を起こすのが精一杯のはず。……一応最後まで聞いてみよう。僕は背もたれにもたれて、トマトジュースをすすった。正直、油断していた。

「とりあえず話を続けよう。報酬はどれくらい出せる? 予算を聞きたいね。ノーシスのボスを殺して、僕は何を手にできる」

 たとえ同級生だろうが、報酬を下げるつもりはない。ノーシス軍と対峙するなら、百万ドルでも安いくらいだ。けど。

「私をさしあげます! 私を許嫁にしてかまいません! だから、ええ? どこ行くんですかー! 芦原さーん!」

 とんでもなくバカバカしい答えが返ってきた。椅子から立ち上がった僕を、高城さんは抱き付いて引き留めようとする。

「多少本気になった僕が馬鹿だったなあ」

「私じゃだめですかー! なんでですかー! 私があげられるものは私だけですー!」

 イラっとして、僕は話を断ち切るためにまくし立てた。

「だいたい、そのドラゴンはどこにいるのさ? 具体的に、どのサーバーの、どのプログラムに潜んでいる? 多分、君には答えられないと思う」

 だが。

「白宮、と言えば分かるでしょうか! そこにいるんですー!」

 高城さんは、ダイバーしか知らない高難易度サーバー──いわゆるダンジョンの名前を口にした。僕は驚きと得体のしれない恐怖を感じ、振り返った。

「アンタ、どこで白宮を知った」

 なぜ、この電波なお嬢さんが、最難関ダンジョンの名前を知っているのか。デイドリームの奥地にある超巨大ダンジョン、それが白宮。いつからあって誰が作ったかは分からない。けれど、その内部はウィルスとバグだらけで、ダイバーは誰も近寄ろうとはしない。

「お? どうしましたか? 急に。釣れましたね。逃がしませんよ?」

「君はダイバーじゃないはずだ。なぜそのダンジョンの名前を知っている」

「白宮の龍を殺せ。わたしは夢の中で、神さまからそう聞きました。そして、貴方を見つけなさいって。ドラゴンを滅ぼすダイバーを探せと」

 神妙な表情で喋る高城さんに、僕は背筋に寒いものを感じた。理解できないことを、彼女は喋っている。もしかして、ノーシス軍のドラゴンという話も本当なのかもしれない。 

「……アンタ、テレパシーが特技だって言ってたけど、いったい何から電波を受信したんだ?」

「わかりません。けれどハッキリと受信したのです。あなたはこのお告げを信じてくれますか。わたしはその、信じてます。ドラゴンを殺し、ノーシス軍を倒せるのは、あなたにしかできません」

 僕にしかできない。その言葉が揺さぶってくる。自分の能力が、必要とされている。

 スマホさんは、僕をじっと見つめる。僕は選択を迫られている。イエスかノーか。……それをここで決めることは、できなかった。ノーシスの退治なんて、大人に任せればいい。僕にはわざわざ蜂の巣をほじくったり、阪神ファンの目の前でドラフトにケチ付けるような、高尚な自殺趣味は無かった。

「この話は、保留にしてくれ」

「お願いします!」

 と、高城さんは僕の制服を掴んでせがむ。

「ご勘弁願います、高城様。カケルさんは、これから仕事があります」

 スマホさんが助け船を出してくれた。僕は高城さんと挨拶もそこそこにして、帰ることに成功した。

「帰ろ。カケル」

 高城さんに聞こえないほど小さな声で、スマホさんは言った。僕は高校生の自分からダイバーへと、気持ちを切り替えた。殺し合いの事を考えて、気分は自然と重くなる。ダイブの副作用の、けだるさや憂鬱さは辛い。それは、僕がまだ未熟だからと、自らに言い聞かせた。デイドリームの、殺伐とした世界へ立ち向かうために。

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