第3話


 入学式が終わってすぐ、特科高のハイペースな授業が始まった。学校に来ると相変わらず、スマホさんは演技をする。仲町先生は僕の椅子の隣に、スマホさん専用の椅子を用意してくれた。それに加えて、僕の机にはいつもトライポッドが何匹か転がっている。トライポッドには自宅待機を命じてあるはずだけど、勝手に鞄や制服にもぐりこんできて、ついてくる。

そんなわけで、僕はクラスで存在が浮いていた。吹けば飛ぶ存在感だ。いっそ吹いてほしい。

 けれど、安形と新藤は気にも留めず、僕とよく話してくれた。この二人も相当な変わり者な気もする。そうやって日中の高校生活に時間を取られているうちに、ダイバーとしての賞金稼ぎの仕事が溜まってきていた。その中で、一番割のいいミッションを手早く終わらせることにした。

学校から帰ってすぐ、僕はデイドリームへダイブした。


 ホンコンに存在する、ハッターインダストリーの巨大サーバー。ハッターインダストリー社は、世界中でインターネット設備を運営管理している国際企業だ。そのコンピューター内のとあるダンジョンに、群青の忍者は立っていた。それは、僕だ。ダイバーは、それぞれのマイキャラクターを持っている。彼なり彼女なりの『マイキャラ』は、世界に一体だけしかない。その姿は、ダイバーの意識を表象する。

 僕というダイバーのマイキャラは、忍甲冑を纏った忍者だった。サーバーダンジョンの景色が、仮想の瞳に反射する。目の前には真っ白な砂地と、巨大なピラミッドだけがあった。ピラミッドの壁には赤、水色、紫のガラス板がはめ込んである。あのガラスは大事な基礎プログラムらしい。ここでの僕の仕事は、忍者の肉体を駆使して、ピラミッドに隠れるエラープログラムを修正……つまり殺害することだ。

「帰依し奉る、病魔を除きたまえ、払いたまえ」

 精神統一のための呪文を唱えた。僕は石段を蹴り、ピラミッドの頂を目指す。そこに、エラーファイルが発生しているはずだ。すれ違うバグファイルの群れへ、手裏剣を投げつけながら。僕が使う武器には、デリート用のプログラム『デリートセル』が装填してある。手裏剣を受けてエラーファイルは、毒を浴びたバクテリアのように、溶けて崩れ落ちてゆく。頂が見えてきたころ、強烈な吐き気が襲ってきた。デイドリームの負荷が、僕の神経をむしばんでいる。この吐き気に邪魔され、僕は異変に気付くのが遅れた。

 猫背のゴーレムが、ピラミッドの斜面を砕き、僕の前へ急に出現した。これが、このプログラムのエラーだ。その出現に、僕は幾ばくか反応が遅れる。僕のマイキャラは、ゴーレムのブン殴りをモロに喰らい、仮想の空中へ吹き飛ばされた。

 激痛と、警告音が脳内で弾け飛んだ。ここでゴーレムに殺されれば、僕の意識はデリートされる。精神は破壊され、肉体は脳死状態になる。死の恐怖が悪寒になり、僕の魂を揺さぶる。痛みへ抗うように、群青の忍者は強がってみせた。

「いいパンチを持ったボクサーだ。殺すのが惜しいよ」

 僕は空中へ、マイキャラを瞬間移動させるカラクリ扉を設置した。これが、バックドアという、僕だけの固有能力だ。カラクリ扉をひっくり返して、僕はピラミッドのふもと、真っ白な砂地へ戻ってこれた。

 左手で牽制用の火縄銃を構え、ピラミッドを下って突進してくるゴーレムへ、弾を撃ち込む。ゴーレムがひるんだ隙を突いて、両脚の出力を最大にし、僕は高く飛び跳ねた。ゴーレムは忍者を見上げるが、その速度はすっとろい。僕のマイキャラは撃たれ弱い。けど、どういうわけか、とても素早い。バックドアとスピード。この二つの武器を、僕はひたすら信じるしかない。

 右手で腰の日本刀を引き抜いた。僕は空に大きく弧を描き、ゴーレムを飛び越えて、その背後に着地する。鈍い動きでゴーレムはこちらへ振り向こうとする。遅い! 僕はゴーレムの猫背に飛び乗って、首筋目掛けて太刀を振り下ろす。狙うのは、一撃死の致命攻撃。

「天誅!」

 ゴーレムの首筋へ、忍者刀を深々と突き立てる。デリートセルが、巨人の体内を侵食する。巨人は断末魔を上げて、ダンジョンの砂地へ倒れ伏した。ゴーレムの身体はブクブクと泡の塊に変わり、お湯に投げ込んだ角砂糖のように溶けていった。シャボンの香りが辺りを覆う。爽快感で一瞬だけ、世界が澄んで見えた気がした。けれど、その達成感は長続きしない。目の前でウィンドウが開く。

『エラーの解消を確認』

 僕は、プログラミングやコンピュータ言語には疎い。直感と才能で、デイドリームのダンジョンを攻略しているだけだった。それでも、こうしてダンジョンを攻略するだけで、ウィルスは消え、エラーは修正される。これが僕の存在意義だった。

「スマホさん、聞こえる?」

 僕は耳に手をやり、現実世界のスマホさんと秘密回線をつないだ。頭の中でスマホさんの声が反響する。

「うん、ギリギリ」

「いつも通り、アレをたのむよ」

「ん、おっけー」

 短い返事とともに、スマホさんとの通話は途切れる。これで準備はできた。もう一つの仕事が残っている。僕は息を大きく吸ってから、通常回線を開いた。今度は依頼主へ、報告をするために。

「ハッター社のシステム障害は、解決できましたよ」

 半泣きの外国人男性が、メッセージパネルに映った。今回の顧客、ハッター社の社員だ。

「ありがとうございますー! いやーさすが! 高い報酬を積んだだけはあった! ハッターインダストリー香港支社を代表して、お礼申し上げます!」

 流ちょうな日本語で、ハッター社の課長ジョンソン氏は叫び散らす。僕はそのテンションについていけず、ドン引きした。

「貴方が代表できるほどの会社なんですか。覚えときます」

「これで我々の株価も安定! 感謝してもしきれません! ただ、貴方への報酬10万ポンドというのは、少し法外な値段な気がいたします。確かアシハラさん、未成年ですよね? これ高すぎません? ねえ。我々もコストコントロールが重要でして、ねえ? わかるでしょ?」

 そのままのハイテンションで、ジョンソンは値切ってくる。仕事を受けると、絶対起きること。それは値切りだ。安く仕事を受けることほど怖いことはない。昔、無給で仕事を請け負った僕は、ノーシスのスパイに騙され、アメリカ帝国の防衛プログラムをハックしようとしたことがある。その結果、帝国の特殊部隊にさらわれた僕は、廃ビルに監禁され、ノーシスのスパイとして尋問された。もしあの時、スマホさんが父へ連絡していなかったら、僕は殺されていた。

 あの時の騒ぎを思い出すと、今でも恥ずかしくて、この場から消えたくなる。それから僕は父と約束した。他のダイバーと同じ値段で、仕事を請け負うことだ。お金は信用と同じだ。その信用を値切るなら僕は仕事をしない。

「契約書では報酬は10万ドルです。履行してください」

「契約書なんて読んでないでしょう? お子様へお支払するお金は、わが社にはないのです」

「ならば、この会話の録音をハッター社へ問い合わせることにしましょう。これが貴方の会社の本意ですか? と。この会話を逐一、私のスマホが録音しているんですよ。このデータをダイバー仲間に共有だってできる」

 僕が言い終わらないうちに、一つのパネルウィンドウが表示され、僕の頬へぶつかるようにスライドしてきた。僕の電脳意識にはなんの問題もない。ウィンドウには送金完了のメッセージだけが浮かんでいた。

「お金あげればいいんでしょ?」

 ジョンソン氏は軽蔑を隠さずに言った。

「送金を確認しました。ではこれで。僕はログアウトします」

 僕は、平静を装って言った。

「……ったく気色わりい。バーチャルダイブなんて聞いたこともねえよ。どうして気色の悪いゲーム廃人に、コストをかけなきゃなんねえんだ」

 通信の終わり際に、訛りの強い英語で、ジョンソンは捨て台詞を吐いてログアウトした。考えが浅い。僕はダイブで世界を塗り替えられる力があるはずなのに、現実世界ではそれを証明できない。現実の僕は、ひ弱で取り柄のない人間でしかない。この不愉快な白昼夢の中で、僕は何かを手にできるのだろうか? いつか、気分が晴れるだろうか? 父の電話をなんとなく思い出した。ノーシスのボスとやらをぶん殴れば、ちょっとはなにか変わるだろうかと。

 僕はデイドリームからログアウトを選択する。ひ弱な肉体が再び、僕の精神をしばりつける。頭全体を覆うヘルメットを外し、僕は大きく息を吐く。真っ暗で小さい車庫へ戻ってきた。 車庫には、ダイブハッキング用のヘルメットと、ダイブ用の固いベッドしか置いてない。ごちゃごちゃした機器は必要ない。だって僕がダイブするには、車庫のすみっこで膝を抱えて座る彼女がいればいいのだから。

 暗闇の中で、スマホさんの猫目だけが、緑と赤のパステルカラーで輝いていた。彼女は、手のひらに浮かんだモニタを熱心に眺めている。

「どうしたの。面白い動画でもみつけた?」

 僕はスマホさんへ声をかけた。

「バイタルアプリの警告メッセージを見てるんだ。カケルの脳波にまた異常がでてる」

「心配することないよ、仕事は成功した」

 スマホさんは何も言わず、目を細めてじっと僕を睨む。それは不機嫌のサインだ。僕は汗をぬぐい、苦笑いを作って話しかけてみる。

「手厳しいな。拗ねないでくれよ」

「あたしはスマートフォンだもん。拗ねるとか、ないよ」

 そういって、彼女は顔を伏せた。スマホさんは嘘をつくのが下手だ。それは、昔からずっとそう。僕はふらっと立ち上がり、スマホさんのそばまで近づいた。

「心配してくれてありがとう、けれど僕はタフなつもりだ」

 僕はスマホさんの両手を包んで握った。その行為に、意味があるのだろか。スマートフォンは、手で触れるのが普通だろうに。スマホさんは機械でも、スマホさんを人のように扱う自分が変に思えた。そして間違いだと感じつつ、スマホさんから僕へ触れてくれないことが歯がゆい。人間が触れなければ、機械は反応しないのに。彼女は、僕をどう思っているのだろう。家族なのか。それとも……けれど、それを聞くのは、怖くてできない。もし、機械的に『貴方はスマートフォンの持ち主だよ』と答えられたら、絶望しそうだ。

 すると。スマホさんは無言で、ミネラルウォーターのペットボトルを差し出してきた。きっと、冷蔵庫からわざわざ取り出してきて、ここまで持ってきたのだろう。気ままなスマホさんらしくない行動に、僕はちょっと固まってしまった。スマホさんは不満げに目を光らせる。

「いいでしょ。スマホがこんくらいお節介焼いても」

 僕は、スマホさんの冷たい指から、確かにペットボトルを受け取った。

「悪いといつ言ったんだい。ありがとう」

「なにその余裕ぶった態度は。なんかむかつくなあ」

「……お礼を言って、腹を立てられたのは人生で初めてだな。僕はこれから、ちょっと寝るよ」

「ん。分かった」

 そう言うと、スマホさんは手をひらひら振った。スマートフォンは寝ない。機械だから。

「スマホさん。またいつも通りに起こして」

 僕はスマホさんへお願いしてから、本当のベッドにもぐりこんだ。

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