27:水鉄砲

 Xは辺りを警戒しながら、一歩ずつ足を進めていく。

 そこは、かつて町だったと思われる廃墟だった。立ち並ぶ土壁の家々はそのままの形を残しているが、人の気配だけが失われた廃墟。通る者もなくなったからだろう、すっかり砂埃に覆われ、心細い風の音だけが響く道に、Xのサンダルの足跡が刻まれていく。

 歩むXの手には、一丁の銃が握られている。

 形状だけで言えば『こちら側』で言う拳銃に近いが、その大きさは私のイメージするそれよりも一回りほど大きく、両手で支えてちょうどいいくらいだろうか。手の中に収まるこの一丁の銃こそが、今現在この『異界』を行くXの生命線であった。

 そもそも、私がXに与えているタスクは『異界』を可能な限り観測することであり、「可能な限り」と言い置いているように、観測のために危険を冒す必要はないとも言い聞かせている。異界潜航サンプルは使い捨てを想定してはいるが、次のサンプルがXと同程度の能力とも限らなければ、扱いやすい性格とも限らない。Xが我々から見て極めて優秀なサンプルである以上、なるべく長く続けてもらいたいと思うのは当然だ。

 しかし、優れたサンプルであるXにも、少々厄介な性質がある。

「助けてほしい」

 そう言われると、断ることができない、という性質だ。

 本来ならば美徳と言うべきだろうが、異界潜航サンプル――生きた探査機としては不要な厄介ごとを背負い込む要因でしかない。実際、人からの頼みを二つ返事で引き受けて、面倒な事態に陥ったことは、一度や二度ではない。

 それでも、Xは助けを求める声を無視することができない。従順なXのことだから、私が強く「無視しろ」と命じたら従うのかもしれないが、『異界』におけるXの自由意思を奪って不満を溜めこまれても以降の『潜航』に支障が出る。

 だから、今のところ『異界』での行動には制限を加えていない。観測というタスクを遂行する、という第一目的が果たされている限りは、余計とも思える行動にも目を瞑ることにしている。

 ただ、目を瞑りはするが、その危なっかしさにはらはらするのは許してほしい。

 今回のように、自らの生命を危険に晒すような事態であるなら、尚更だ。

 ――怪物に狙われている。

 口々にそう語ったのは、Xが降り立った小さな町の住民だった。住民たちはXが町の外からやってきたと知り、外の人間ならばどうにかできるのではないか、という一縷の望みをかけて声をかけてきたらしい。

 詳しく話を聞くと、どうもこの辺りの土地に突如として怪物が現れたのだという。怪物は人間の生き血を好み、隣の町の住民は既にその怪物によって食らいつくされてしまったのだという。

「きっと、次に狙われるのはこの町だ」

「あの怪物も空腹になったころだろうから」

「どうか助けてくれやしないか、旅の人」

 町の住民はXにすがりついてくる。とはいえ、Xとて『こちら側』から『異界』にやってきただけの、ただの人間に過ぎない。人知を超えた怪物に立ち向かうような特別な力があるわけでもない。

 それはX自身も重々承知はしているとみえ、こう問うたのだ。

「怪物を退治する方法は、ご存じでしょうか」

 すると、Xを囲んでいる人垣の中から一人が歩み寄ってきた。日に焼けた肌に深く皺を刻んだ男性は、一丁の銃を見せたのだ。

「この銃で撃てば、怪物を倒せるとわかっている」

 だが、腕に覚えのある町の者たちが、この銃を携えて滅びた隣町に向かったが、誰一人として帰ってこなかったという。おそらく、既に怪物の餌食になっていることだろう。そう語った上で、男性は真っ直ぐにXを見て言ったのだ。

「旅の人に任せるのは心苦しいが、もはや頼れる者もない。引き受けてはもらえないだろうか」

「わかりました」

 Xがあっさり頷くものだから、男性も、Xを取り囲んでいた人々も、呆気にとられて目を丸くしたものだった。それはそうだ、幾人もの命を奪ってきた凶悪な怪物だという話をしているのに、迷いも躊躇いもない様子で頷くのだから。

 お互いに顔を見合わせる町の住民たちを見渡して、それから、「ああ」とXは何かを思い出したかのように、付け加えたものだった。

「でも、帰ってこなかったら、その時は、……怪物に食べられたとでも思ってください」

 本当に危険な目に遭いそうになれば、いつでも『こちら側』に帰れる、と説明したところで『異界』の町の住民が理解するわけもないから、まあ、妥当な言い訳といったところだろう。

 かくして、Xは銃を受け取って、怪物によって滅ぼされた町に訪れたのだった。

 砂まじりの風が吹く町には、四角い箱を思わせる土造りの家屋が立ち並び、道は複雑に入り組んでいる。この町のどこかに怪物がいる。人間を食らい尽くし、町一つを滅ぼすほどの、怪物が。

 日はゆっくりと傾きつつあり、長く伸びた影が足元に落ちる。早く怪物を退治しなければ夜になってしまうことだろう。Xはもちろん夜目など利かないから、時間が経てば経つほど不利になる。

 それに、Xが危機に陥ったところで、必ず『こちら側』に引き上げられるとも限らないのだ。我々が認識できるのはXの視覚と聴覚のみ。Xが知覚するよりも先に、例えば不意打ちなりで襲われでもしたら、我々が異変に気付いて引き上げるより先にXの生命活動が停止することだろう。『異界』の意識体が「死」を認識すれば、『こちら側』の肉体も死ぬ――それは、Xも了解しているはずだが、どうもXは危機感に乏しいところがある。

 寂しい町に、風の音と、Xの足音だけが響く。

 太陽が地平線に近づき、空が赤く染まりつつあったその時、Xの視界が激しく揺さぶられる。弾かれるように振り向いた、と表現すべきだったのかもしれない、と一拍遅れて理解する。背後を振り向いたXの視界の先には、何とも形容しがたい「怪物」が立っていた。

 町一つを壊滅させるほどの怪物、というからには頭の中で勝手に巨大なものを想像していたが、二足で立つその姿は、体高だけならば人間と変わらないか、少し大きな程度。だが、いやに長い腕に大きな手、その先端から伸びる鋭い爪、獣のような形の脚に、蛇のような巨大な口を持つ頭、そして全身を覆う乾いた土を思わせる肌は、それがXのような「人間」とはまるで異なる存在であることを告げている。

 何故、Xが怪物の接近に気づくことができたのかはわからない。私が観測している限り、Xの視覚にも聴覚にも、接近の予兆は読み取れなかったから。とはいえ、普段ぼうっとしている割に、妙に鋭いところがあるXだ。私には感じられなかった「何か」を掴んだに違いなかった。

 怪物はXを見るや、体を低くしてこちらに向けて駆けてくる。Xはといえば、怪物を正面から見据えて、手にしていた銃を両手で素早く構えて、引金に指をかける。

 そして、引金が、引かれた――のだと、思う。

 何故「思う」のかと言えば、撃った瞬間が私にははっきりとわからなかったからだ。発砲音がスピーカーから響くこともなく、視界に入るⅩの腕を見る限り、反動もほとんどないように見えた。だが、銃から放たれた何かが、向かってくる怪物の肩の辺りに命中したのはわかった。

 だが、怪物の動きを止めるには至らない。それどころか、Xの思わぬ抵抗に激昂したのかもしれない、スピーカーから聞こえるのはおぞましい響きの咆哮。びりびりと響く声をあげながら、怪物はXの眼前に迫り巨大な腕を振り上げて――。

 その腕が、ぼとりと地面に落ちた。

 よくよく見れば、銃による一撃を受けた肩の辺りから、何かがじわじわと怪物の体を侵食しているように見えた。苦痛を感じているのか、怪物は悲鳴をあげながらも、もう片方の腕を振り上げようとするが、Xが構えた銃を撃つ。

 一発は頭に、一発は胸に。

 伸ばした腕が届くくらいの距離まで近づいていれば、狙いも正確だ。そして、銃から放たれるものが「何」なのかもやっと目視できた。

 それは、液体だ。透明な液体。つまり、Xの手の中にあるそれは、重厚に見える作りに反して、『こちら側』で言うところの水鉄砲だったというわけだ。それがわかれば、発砲音がない理由も理解できる。火薬を用いる必要などなく、圧力で内部の液体を放つ類の水鉄砲なのだろう。

 だが、水鉄砲から放たれた液体を浴びせかけられた怪物は、片方になった腕で頭を抱えて悶え苦しむ。その乾いた体表に、液体が侵食していく。やがて、硬そうに見えた怪物の体がぼろぼろと崩れていく。苦悶のうめき声をあげながら怪物はその形を失っていき、崩れ落ちてゆく。

 やがて、Xの足元に残されたのは、土くれじみた「怪物だったもの」だけになった。

 Xはしばしこんもりと盛り上がったそれを眺めていたが、念のためだろうか、その土くれに無造作に水鉄砲の水を浴びせていく。乾いた土のようだったそれが、黒土のような色になったのを確認して、やっとXは踵を返したのだった。

 しかし、人食いの怪物を前にしても震え一つ見せない、Xの堂々たる態度には恐れ入る。水鉄砲とはいえ、銃を構える様子も手馴れたものだった。Xが連続殺人の罪で捕まるまでの経歴を私は未だに知らないわけだが、どうもこの手の荒事に慣れているというか、常人ならざる経験を積んできたのではないか、と思わされることは多い。

 それに加えて、怪物を滅ぼす水鉄砲には驚かされた。中に込められていたのは、どれだけ特別な液体だったのだろう――と、思っていたのだが。

「ただの水だよ」

 Xに銃を渡した男性は、町に戻って水鉄砲についての説明を求めたXに、あっさり言ったのだった。

 これにはXも驚きを隠せなかったようで、ゆっくり瞬きしてから言った。

「水、ですか」

「あの怪物はな、昔から雨のない乾いた土地に現れるんだ。巨大な口で人間を食らい、血液を啜る一方で、ひとたび水を浴びれば脆く崩れる。そう言い伝えられている」

「なるほど……?」

「だが、このような道具を使ったところで、奴に直接水を浴びせるのは難しい。その前に組み付かれて血を吸われておしまいだ」

 確かに、あの怪物は音もなく現れて、Xに襲い掛かってこようとした。要するに、そんな怪物と対等にやりあえてしまうXが、怪物にとっても、この町の住民にとっても想定外だったわけだ。

 先ほどまではXのことを「特別な力があるわけでもない」と思っていたが、これは訂正すべきかもしれない。Xの勘の良さと、危険に迷わず立ち向かっていく覚悟はある種の「特別な力」と言って差し支えがない。

「雨乞いが神様に届くのが先か、奴に滅ぼされるのが先かと思っていたから、助けられたよ、ありがとう」

「いえ、私にできることをしたまでです」

 Xはいつだって謙虚だ。いつ、どこで、どれだけ危険な目や、理不尽な目に遭ったとしても、同じことを言うに違いなかった。Xのこのような面を見るだに、何故Xが殺人鬼として捕まったのかを不思議に思わずにはいられない。

 そんなディスプレイ越しの私の疑問はもちろんXには届かない。代わりに、Xは別の質問を男性に投げかけていた。

「しかし、あの怪物は……、本当に、滅んだのでしょうか」

「いや、あれは不死だと言われていてな。完全に乾ききったときに、再び姿を取り戻して立ち上がると言われている」

「それでは、また襲われるということ、ですか」

「だが、その前には神様に祈りが届くと信じているよ。雨さえ降れば、この町は救われる」

 Xはその言葉に対して、沈黙を返した。おそらく「神」という言葉に対してどう反応すればいいのかわからなかったのだろう。

 Xは数多の『異界』を渡り、時に「人間」の枠に当てはまらない存在にも触れてきているが、その上でなお信じていないものがある。それが「死後の世界」と「神」の存在だ。もう少し正確に言うなら、それらの存在を否定するというより、「そのように信じられているもの」に対して懐疑的だと言うべきか。死後に安らぎがあるだとか、神が人間に試練を与えたり救ったりだとか、そのような言説にXは極めて否定的だ。

 ただ、男性の祈りを頭ごなしに否定しないだけの分別はXにも備わっている。だから、言葉にする代わりに空を見上げる。

 既に日は落ち、闇に染め上げられた空には、宝石箱をひっくり返したかのような無数の星が煌めいている。雲一つない空に雨の気配を見出すことはできそうになく、まだ彼らの言う「神様」に祈りが届いていないことは確かだ。

 それでも、Xは。

「降るといいですね、雨」

 神を信じない代わりに、今ここに生きている彼らを思って、そう言うのだった。

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