16:錆び
「人間が、まだ、生存していたというのか?」
私の前に置かれたスピーカーからは、ノイズ混じりの合成音声が聞こえてくる。Xの耳に届いた、『異界』の音。
Xが声の聞こえてきた方に視線を向ければ、茜色に染まる通路の先に立っていたのは、人間によく似たシルエット。だがそれは、全身を錆び付いた装甲で覆い、破損した片足から骨格と人工筋肉を覗かせる、二足歩行のロボットだった。Xよりも頭一つ大きいくらいの背丈だろうか、足を引きずるようにして歩み寄りながら、人間で言うならば目に当たる部分を点滅させて、声を上げる。
「まさか、生き残った人間がいたとは――」
「いえ、私は、この世界の外から来た者です。ここの、人間では、ありません」
ロボットの言葉を遮り、Xは正直に言う。この『異界』において、世界の外、という概念が浸透しているのかはわからなかったが、それ以外に説明のしようがないといえば、そうなのだった。
金属の顔を持つロボットの表情を窺うことは不可能だったが、顔をこちらに向けたまま、じっと動かない様子は、人間にたとえるならば「呆然と立ち尽くしている」といったところだろうか。
数秒の沈黙の後、ロボットは微動だにしないまま、音声だけを放つ。
「……そうか。最後にまた、会えたのかと思ったが、残念だ」
抑揚のない音の羅列ではあったが、わざわざ「残念」という言葉を選んでいるところからも、人間に出会ったことへの驚き、Xの存在に対する何らかの期待、そしてその期待が外れたことに対する心残りを感じさせる。
どうやら、このロボットは、与えられた命令に従って行動を単純に繰り返すようなものではなく、我々と同様の思考と、感情らしきものを有しているようだ。仮にそれが、プログラムによって模倣されたものに過ぎなくとも、心があると錯覚させるには十分な、反応。
Xは誰に対してもそうするように、ロボットの顔を真っ直ぐに見上げて問いかける。
「ここは、元々は人が暮らしていた場所なのですか?」
「そうだ、お客人。かつてはこの建物に多くの人間が住まい、自分たちロボットは日々人間の暮らしを助けていた」
「そうみたい、ですね。ここに来るまでに、ロボットは、たくさん、見ました」
Xが立っているのは、茜色に染まった空に向けて高く聳える建造物の、階数としては中程に当たるだろうか。ここまで見てきた限り、どうやら『こちら側』とそう変わらない造りの集合住宅であるらしかった。
入り口を入ったところにエレベーターが設置されてはいたが、スイッチを押しても全く動かなかったため、非常用と思われる階段を一階ずつ上ってきたのだ。
天井の灯りは機能していないようで、どこも薄暗く、見通しが悪い。通路の窓から入り込んでくる夕日の光は、その場を赤く照らしながらも、光の届かぬ場所の暗さをより際立たせている。
そして、建物の中に存在するのは、様々な種類のロボットだった。『こちら側』でも人気の円盤型をしたロボット掃除機、何が目的かはわからないが、ゆっくり通路を往復するだけのカタツムリのような形のロボット、アメンボのような形のものや、ドラム缶じみたもの、ここまでにXの視界に入っただけでもかなりの数だった。
ただ、その中で稼働しているものはごくわずかであり、ほとんどは錆と埃にまみれて打ち捨てられていたのだ。
「人が暮らしていた形跡はあっても、気配がなかったので、不思議に、思っていました。何が、あったのですか」
「病だ。人間の生命活動を停止させる病が蔓延した。治療する、もしくは症状を和らげる手段を見つける間もなく、あらゆる人間が命を落とした」
なるほど、とXは頷いて、ロボットから視線を外し、通路の壁を見やる。そこには閉ざされた扉があった。かつては誰かが暮らしていたのだろうが、ロボットの言葉が正しければ、もはや二度と開くことはないのだろう、扉を。
「それにしては、きれいな場所ですね。埃は積もっていますが、荒れたところがない」
「人間がいなくなっても、ロボットは稼働し続けるものだ。稼働する理由がなくとも、停止を命じられない以上は動き続けるしかない」
人間のために作られたロボットたちは、そうして、人間の消えた家を守り続けてきたということか。人間である私は、そのような姿に勝手に健気さを感じとり、そして同時に一抹の虚しさも感じずにはいられない。
「だが、それもそろそろ終わる」
「……何故?」
Xが視線を戻せば、ロボットはちかりと目に当たる部分を瞬かせた。
「ロボットも時が経てば劣化し、やがて停止する。稼働し続けるためには、人間の手が要る。定期的に整備してもらわなければ、寿命は人間よりもよほど短い」
もう、止まっているものがほとんどだったろう、というロボットの言葉に、Xは頷きを返す。
「自分は、この場を管理し、住民と対話をするものだ。人間の快適な暮らしを守り、暮らしに関わる問題を解決するために作られた」
「いいですね。……私の世界では、そういうものは全て、人間の仕事ですから」
「しかし、ここには、もう、人間がいない」
――どこにも、いない。
ロボットの言葉は、何かを噛み締めるかのような響きを帯びていた。
「自分は人間がいないことを理解している。戻ってこないことを、理解している。では、今の自分は何を守っているのだろう。わからない。わからないが、命令は取り消されることはない。私は、ここで、停止する日まで稼働し続ける」
故に、今は、命令を遂行しながら、停止する日のことばかりを思考している。
そう言って、ロボットは黙った。
与えられた命令に従うように作られたということ。その一方で、感じ、思考する能力を与えられているということ。命令を遂行するために必要だったはずの能力に、今、こうして苦しめられているというのは何とも皮肉な話だが……。
「なら、終わらせましょうか、今」
Xは静かに言った。その意図を、ロボットは刹那、理解できなかったとみえる。返答が一拍、遅れる。
「それは」
「今、ここで、私があなたを停止させることは、できると思います。抵抗されると、少し、手間取るかもしれませんが」
それでも、可能だ、とXは言うのだ。きっと――ごくごく素朴な親切心で。
ロボットは黙った。Xの言葉の意味がわからなかったわけではあるまい。しかし、はいともいいえとも言わずに立ち尽くすのだった。
確か、アイザック・アシモフのロボット三原則によれば、人間に危害を加えないという第一条、人間の命令に服従するという第二条に反しない限りは、自己を守らねばならないと第三条に定められていたのだったか。
もちろん、この『異界』において、ロボットが『こちら側』の三原則に従っているかどうかは知らないが、このロボットにはXの提案に素直に頷けないだけの理由がある――もしくは頷けないという制約が課せられている、と思うには十分だった。
Xは、硬直したままうんともすんとも言わなくなったロボットをしばし見つめていたが、やがて、ふ、と息をついて言った。
「無理強いは、できません。終わらせたら、それまでですから」
「自分は、」
ロボットの声が、わずかにスピーカーから漏れる。しかし、言葉の続きが紡がれることはなかった。
Xがどういう表情でロボットを見上げているのか、私は知らない。いつもの通りに、ひどく冴えない、かつ、胸の内がさっぱり読み取れない、ぼんやりとした面構えをしているのだろう、と想像するだけで。
だが、Xは、そこにぽつりと言葉を付け加えるのだ。
「……しかし、終わりを見据えて、それが来ない日を続けるのは、苦しいでしょう」
声こそ淡々としていたが、そこには、ロボットに対する同情のようなものが込められている……、ような、気がした。
「お客人には、わかるまい」
「ですが、想像することは、できます」
そう、Xには同情するだけの理由がある。
Xもまた、必ず来る死を待ちながら過ごしているのだから。こうして生きているのは、単に、今日まで刑が執行されていないだけに他ならない。
だから。
「苦しいですよ」
こういう言葉を聞くたびに、いつ来るかもわからぬ死刑執行の日を待つXの心の内を、私は何一つ知らないのだと、思い知らされる。
ロボットは、Xの言葉に面食らったかのように、ちかちかと目を瞬かせる。それから、ひと呼吸分の間を置いて――この、本来ロボットに必要ない「呼吸」の感覚も、人間との交流のために与えられたものなのかもしれない――言った。
「提案を感謝する、お客人。だが、自分は、止まることは選べない」
そうですか、とXは引き下がった。無理強いはできない、と言った通りに。代わりに、こう付け加えるのだ。
「あなたが生きている限り、ここの住人は、記憶の中で生き続けるんですね」
「……記憶の中で?」
「ええ。死はただの死でしかないですが、生者は、死者を、思うことができる」
それは、「弔い」という名で呼ばれる、生きている者にしかできない大事な手続きですから、とXは穏やかな声で言う。
ロボットは「考えたことがなかったな」と言いながらも、つい、と視線をすっかり汚れた窓の外に向ける。人間が滅びた後の、何一つ動くものの見えない、しんと静まり返った都市の向こう側に、真っ赤な夕日が沈んでいこうとしていた。
窓から差し込む赤い光を、錆びた装甲で受け止めながら。
「そうか、弔いか……」
ロボットの漏らした抑揚のない呟きが、わずかに震えて――涙を堪えているかのように聞こえたのは、気のせいか、否か。
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