第2章

第15話

 剣と剣がぶつかり合うような甲高い金属同士の打撃音が広い境内に響いていた。


 広場には2匹の白い魔物と1匹の人型の獣が闘っている。人型の獣は大きな体躯で手には長い爪をそなえていた。対する2匹の獣は振り下ろされる攻撃にかろうじて対抗していた。


「……りんっ、あぶない」


「えっ……あぁぁっっ!」


 強大な魔力を帯びたパンチが凛の腹をしたたかにうちつけると、凛の身体は吹き飛び、石灯籠に衝突した。砕け散った石灯籠はそのパンチの威力が並々ならぬことを示している。


 闘いは終始、人型の獣が一方的に攻撃するだけのものとなっており、2匹の攻撃はことごとく防がれてダメージにならない。


 そんな中、凛と呼ばれた白い魔物が戦闘不能なほどのダメージを受けてしまった。


「……凛っ、返事してっ」


らん、わ、私は大丈夫……」


「……凛を安全な場所へ転移するわ。あなただけでも……生きのびて」


「蘭っ、だめっ、死んじゃうよっ!」


人型の獣が2匹の所へゆっくりと近づく。


「グッフォフォ、往生際の悪さは親譲りのようだな。安心しろ。すぐに同じ所へ、送ってやる」


「……はぁっ」蘭の手のひらに魔力が集まった。そして、凛へかざすと強く白い光を放つ。


「ダメェッッッ!」


 凛を白い光が包みこむと、その場から凛が消えてしまった。人型の獣が放ったパンチは空を切った。


「ぬうぅ! また転移か。貴様らはいつもそうやって……小賢しい」


 人型の獣は眉を寄せた。


「……凛、逃げて……私の分も生きて……」


 そして、蘭は絶望の支配する闘いに飲み込まれていった。


   *


「あのぅ、楓さん? ちょっと歩きづらくない……かな?」


「うふふっ、ご主人様ったら、さん付けなんてよそよそしいですわ。私のことは”かえで”と呼び捨ててください! でも、そんな困った顔もかわいいですわ!」


 楓は俺の右腕をその巨大な二房で挟み込み、腕を絡めたほか、俺の手がお腹や股間にわざと身体を当ててくるのだ。おかげで俺の鼻腔にはいつもフローラルな大人の女性の香りでいっぱいになっている。楓の身体はぽにぽにとしててどこに当たっても柔らかく、反応に困ることこの上ない。


 しかも、楓は絶世の美女といってもよいほどの女だ。長く艷やかな髪の毛は風に揺れ、キラキラと光り輝き、整った小顔は男どもの視線を釘付けにする。身体つきも男なら文句のつけようがないほどのプロポーションだ。


 正直、すれ違う男達の視線に殺気を感じることが多くなった。俺は男どもの嫉妬を帯びた視線が嫌になったので、わざわざ人気のない通りを避け、遠回りしながら買い物に行っていたのだ。


 サキは相変わらず、たまにしか外へ出ないし、剛は筋トレ、顕は影を愛でている。そんな中、楓だけはいつも俺と一緒にいようとついてきてくれるのだった。


 美女と一緒にいるのは気分がいいし、目の保養にもなる……のだが、楓は人外なのだ。恋人にはなりえない。恋人のようにイチャコラしたあと、キスをしたり……といった展開にはなりようがないのだ。目の前にせっかくの美人がいるというのに、オレは困惑していた。


 俺は人間と付き合いたいのだが……どうしてこうなった?




 なんの気もなしに河原を二人で歩いていたときだった。ガサッ、っと草むらから音が鳴る。


「ん? なんだろう……。楓さん、ちょっと見てくるね?」


「え、っと……。ご主人様っ」


 楓の目つきが急に鋭くなった。素早く俺の前に立ち、警戒するように草むらをじっと見つめる。


 ゆっくりと近づいていくと、見えたのは白い仔犬のように見えた。


「なんだ、仔犬か。飼い主とはぐれちゃったのかな?」


「いいえ、ご主人様。この気配……そやつは犬ではありません。れっきとした魔物のようです」


 楓はキリッとした目つきで俺の前に立った。


「ちょっとまってくれ。こいつ……怪我をしているんじゃないか?」


「あ、お待ちになって……ご主人様!」


 俺は動けなくなっていそうな仔犬を見ていられず、近くに駆け寄った。


 そこに横たわっていたのはまだ小さい仔犬のような外見の魔物だった。


「これは……すごい怪我だ」


 魔物というにはあまりにも小さいその姿は、放っておけなかった。それにお腹も、背中も大きい切り傷が多く、血が流れてしまっており、白い毛が血で染まっている。息もハァハァと短くなっており、苦しそうに顔をしかめたような表情をしていた。


 楓がすぐに容態をみるように手を当てた。


「こ、これは……すぐにでも手当しないと……」


「手当? っていってもこの子は魔物なんだろう? 動物病院では診てもらえないだろうし……どうすれば……」


「……ご主人様、一つだけ方法があります」


「お、なにかあるのか。すぐにやってくれないか?」


「いいえ、私だけが回復魔術を使うだけではなく、ご主人様がやらなければなりません」


「……それって、もしかして……」


「えぇ、血の契約です。ご主人様の魔力であれば、体を強く作り変えることができ、かつ此奴の眷属に巻き込まれる心配もございません。私では……」


 やっぱりか、しかし、目の前の命には変えられないよな。


「じゃ俺が血を与えればいいんだな」


「えぇ、しかし、万が一、術の最中に此奴が襲いかかりでもしたら……」


「……そんなこと言ってる場合じゃないし、やるしかないだろう」


 楓の真剣な目つきが和やかな笑顔になった。


「……わかりました。ご主人さま。ただ、私も回復の術を使う都合上、負担が大きいのです。無事に帰りましたら……また、その……」


 目の前でもじもじする絶世の美女。


「あぁ、後でたっぷりあげるから、」


「はいっ、ありがとうございます!」


 楓は満面の笑みを浮かべた。美人の笑顔は身体に悪いようで心臓がドキドキと高く鳴った。




 楓は爪を鋭く伸ばすと俺の腕の一部を皮一枚だけ切った。血が腕を伝って流れ落ち、白い魔物の口内へ流れ込んでいく。白い魔物は全く抵抗する素振りすら見せられないほど弱っており、俺が口に指を当てていても無抵抗だった。


 ある程度の血が流れ落ちると、楓が白い魔物に手を当てた。回復の術を行使しているのだろう。手が光り輝き、白い魔物へ送り込まれていくように見える。


 ビクンッと白い魔物の身体が跳ね上がり、大きく目を見開くと、俺の顔を見て唸り声をあげはじめた。


「ご主人様っ!」


「楓さん、大丈夫だ。続けてくれ。白い魔物さん、聞いて欲しい。このままの状態では死んでしまうかもしれなかったんだ。傷口から血が流れすぎている。そこで、勝手をして申し訳なんだけど血の契約を結んで、俺の血を使って回復してほしいんだ。もちろん、こちらが勝手にやっていることだ。君が俺に仕えるとかしなくていいからさ……な、どうかおとなしくしてくれないか?」


 白い魔物はしばらく俺の目を凝視していた。が、やはりまだ体力がないのだろう、自ら口を開けてくれた。


「よし、じゃ続きだ」


「はい、さすがご主人様。素敵ですわ」


 白い魔物は俺の血を飲むたびにビクッビクッと震えながら耐えてくれた。


「終わりましたわ。これでこの子もご主人様の眷属となるはずです」


 傷口はすっかり塞がっており、苦しそうだった表情も緩んでいる。


「ありがとう。楓さん。この子を助けることが出来てよかった」


 白い魔物はまだフラフラとしていたが、立ち上がり、俺をじっと見つめた。やがて身体が動くようになると俺の足に頭をこすりつけてじゃれついてくれた。


「きゃっ、ご、ご主人様っ、この子、すっごく、可愛い!」


 楓は目を輝かせて白い魔物に手を伸ばした。


 白い魔物も楓に感謝しているのか、ペロペロと舌で手を舐め、頭をスリスリと楓の手にこすり付けた。


「ご、ご主人様っ、この子っ、すごい賢いわっ!」


 楓はウキウキになって頭をナデナデし始める。


「やーん、毛並みが柔らかくて気持ちいいっ!」


 楓はモフモフの虜になってしまっているようで身体中を撫で回している。


「すっかり元気になったみたいだな。よかった。ってあれ? 尻尾ってこんなに大きかったっけ?」


「あぁっ! ご主人様っ、もしかしてこの子……九尾の一族ではっ!」


「ん? 九尾? たしかに……大きいってよりはいっぱいって感じだな。一、二、三……うん、確かに九本あるね」


 俺が楓と尻尾について話をしていると、その九尾の魔物は白い光にみを包むと急に大きな姿に変異していった。みるみるうちに人型を形成し、光が収まるとそこには美しい少女が立っていた。


   *


 目の前には薄いピンク色の長い髪をツインテールにまとめた美少女が現れた。大きく優しそうな目がかわいい小鼻と相まって可愛さを引き立てている。背も低めだが、頭には白い耳が髪の毛から飛び出しており、腰の後ろからは綺麗に白く輝く尻尾が九本も生えている。


「助けていただきありがとうございます。私は凛と申します。お察しの通り、九尾の狐の一族に連なる者でございます」


 凛と名乗った少女は流れるような動作でお辞儀をした。


 うそでしょ……? さっきまで仔犬みたいな可愛くて小さかったのに、いきなり美少女の姿になってしまったのだ。唖然とするとはまさにこのことだ。


「九尾の一族ほどの子があれほどの大怪我をしていたとは……。ご主人様……」


 楓は心配そうな顔つきで俺を見つめた。


「無事に助けられたようで、よかった。俺は京っていうんだ。こちらは楓さん」


「……そうですか……」


 凛の顔つきはあれほどの大怪我が治ったにも関わらず、暗く、俯いたままだ。


「……あの……」


 凛はいきなり俺の前に膝を折って座り、頭を深く下げた。額は地面に付き、完全に平伏した状態になった。いわゆる土下座だ。


「お願いいたします。らんを……蘭を助けていただけないでしょうか?」


「蘭?」


「はい……蘭は怪我をした私を逃がすため、一人で、今も敵と闘っているのです。もしかしたらすでに、危ないかもしれません。私にとっての最後の血の繋がった姉妹なんです。お願いします……」


 えっと……どういうことだ? 俺が闘えばいいのか? ってそりゃあまりにも無理な話だ。何せ、俺の戦闘力なんてたかがしれている。多分、俺がなにか強い能力でも持っていると勘違いさせてしまったかもしれないな。どうすればいいんだ……。


「まかせなさい!」


 楓は大きい胸をバンと張り出し、元気な声で言い切った。。


「どんな危機が待っていようとも、ご主人様がいる限り、切り開いてみせましょうとも!」


 へ? お、俺??


「ちょ、まだ……」


 楓は凛の手を握りしめ、目をキラキラと輝かせ、自身満々に答える。


「凛ちゃんの願いはもう叶ったわ。私のご主人様がここにいるんですもの!安心してちょうだい!」


 何をするのかもわかってないのに、話がどんどん進んでしまってる!


「ちょ、ま、まずはもっと話を……」


「さぁ、行きましょう! 蘭ちゃんの所へ!」


「う、うそ……」


どうやらまたやっかいごとに巻き込まれてしまったらしい。まさか、楓があんなに凛のことを気に入るとは……。


「よし、し、しし、慎重にいこうな……」


 なんとか、闘わずに済めばいいのだけど……。


 俺の気持ちは不安でいっぱいになってしまった。

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