第11話



 川原を駆け抜けていく。サキの身体はウソのように軽く感じた。人を抱っこしながら全力で走り続けているのだ。本来ならバテていてもおかしくない。だがありがたいことにまだまだ体力は平気そうだ。


「ん……主? ……どうして……」


「今はしゃべるな。ケガをしているんだろう? まずは逃げよう」


 俺はとにかく走った。不思議と暗く街灯もない夜道も嘘のようにハッキリと見て認識できるのだ。今は、この身体の変化がとてもありがたい。走りながらサキの身体から俺の腕に液体が流れ落ちるのを感じた。下を見ると、サキの着ている黒いシャツは血で濡れていた。


「こ、これは……出血が多い。早く手当しないと」


「無理……だよ……もう……」


 サキの声はか弱くなっており、聞こえづらくなっている。


「バカッ、大丈夫だ。俺が助けるっ」


 サキは呼吸も弱く、身体が震えていた。人間であればもう手遅れなのかも知れない。しかし、サキは人間ではない。まだ手当すればなんとかなるかも知れない。俺はとにかく走った。公園までつくと、ベンチにサキをそっと寝せる。腹部を確認しようと服をそっと上げた。


「うっ……」


 すでに見えてはいけない臓器が見えてしまっている。


「主……」


 サキの手を握った。その冷たくなった手は死人のように白くなっている。


「サキっ、何もしゃべるな。大丈夫だから」


「ありがと……アタシ……」


「言うな、サキ。お願いだ」


「楽しかったよ……」


 サキは目を閉じた。手の力も抜けた。そして呼吸も……停まった。


「サキ、サキっ、サキィィィッッッ!」


 叫んでもサキは目を覚まさない。俺の頬は濡れ、ポタポタと雫がサキの顔に落ちていく。


「どうにかできないのか、どうにかっ……」


 過去の出来事が走馬灯のように俺の頭に蘇っていく。


「俺の身体は一体……どうなっているんだ?」


 俺はサキが過去に言っていたことをはっきりと思い出した。確か、俺の血を吸うと、魔力が限界を超えて溜まると言っていた。体力も、そしてたぶん、怪我すら治ると。


 だが、サキが今、俺に噛み付くことは不可能だ。


「ならば……」


 俺はシャツを両手でつかんでボタンを引きちぎった。そしてサキの口を指で強引に開く。八重歯が月明かりを反射し、キラリと光っている。意を決し、首すじをサキの口内へ滑り込ませ、自らサキの八重歯に肌を刺した。


「うぐっ」


 いつもよりはるかに痛みが強い。どくどくとサキの口内へ俺の血が落ちていく。


「サキッ、頼むっ、生き返ってくれッッッ!」


 俺は無我夢中でサキを抱きしめていた。俺の血はサキの口の中にとくとくと流れ込んでいく。


 俺の意識が朦朧としてくる。血を流しすぎただろうか。


「フム、どうやら、死んだみたいだな」


 しまった。そう思ったがもう遅かった。俺はもう意識を繋ぐのがやっとなのだ。これ以上逃げることはできない。まして、闘うことなど……。


 振り返ると黒いスーツの男が遠くからサキを見つめていた。


「この野郎っ……」


 俺は立ち上がった。足はガクガクと震え、視界はグラリと揺れる。それでもサキを殺したコイツに一発だけでも返したくなったのだ。俺も無駄死にするのだろう。だけどもう構わない。サキのいない”これから”なんて考えられないのだから。


「うおおおおおっっっ」


 スーツの男の懐まで一瞬にして飛び込み、目一杯のパンチを放つ。


「フン、この程度か」


 俺のパンチは空をきり、地面に突っ込むように転がってしまう。


 コイツにサキを殺され、何一つ返せないのか、俺は……。


 もう俺には立ち上がることすら出来ない。スーツの男のパンチは相変わらず見えなかった。俺は吹き飛ばされ、近くの木に激突し、崩れ落ちる。


「かはっ、これまでか……」


「お前は我の姉貴から連れてくるよう言われている。だが、生死は問われておらぬ。ゆえに、ここで死んでもらおう」


 スーツの男が拳を振りかぶった。


「くそっ」


 男のうなりをあげる一撃に思わず目を閉じた。


 ダァアアアン!


 風が吹き荒れた。轟音が鳴り響く。俺の身体を凄まじい風圧が襲い、土煙に飲まれた。


「……っ? 俺は生きている……のか?」


 そっと目を開けると、黒い衣服が目に入った。背中のまわりはボロボロに破けており、白い素肌が目に映る。


「サ、サキっ!!」


「ちょっとぉ、主〜っ! いくらなんでも血を飲ませすぎなんだからね。アタシ……イクのが止まらなくって大変だったんだからっ!」


「生きててくれたのかっ、サキっ」


「はいはい、でもまずは……コイツを片付けないとね」


「ぬぅっ、その魔力……一体どうしたというのだ?」


「アンタには教えてあげないよーだ。主に手を挙げたこと、後悔してもらうんだからっ」


 サキの周りに朱いモヤが渦巻いた。稲光を伴う竜巻のように煌めき、空高くまで伸びていく。


「くっ、これほどの魔力っ! 信じられんっ」


 男は目を見開いた。


「さっさと終わらせるよ」


 サキの身体が消える。激しい光が男に襲いかかった。


 男は腹に一撃され、一直線に吹き飛ぶ。並んで生えていた木々を突き破り、数十メートルは吹き飛んだだろうか。あの一撃で生きているとはとても思えないほどだ。ズゥンと木々が倒れる音が遅れて聞こえた。辺りは土煙が舞い上がり、スーツの男の様子は全く確認できない。いや、する必要もなさそうだ。


「さ、主、帰ろっか」


 サキが白い手を伸ばした。俺は迷いなくその手を取る。


「あぁ、ありがとう。サキ」


 サキの手は温かく、柔らかく、力強かった。




「主〜、お腹へったよぉ〜」


「ん……。ここは?」


 目を覚ますと俺の部屋だった。隣には困り顔のサキが口をすぼめて座っている。


「いっ、つ」


 体を動かそうとしたら、あちこちから痛みが走る。


「そっか、俺は気を失って……」


「大変だったんだからね! 主ったらすぐに寝ちゃうし、私が運んであげたんだから〜」


 大怪我を負った俺を家まで運んでくれたんだろう。


「あぁ、助かったよ」


 サキは疲れた素振りも見せない。


「助かったのはアタシよ……主のおかげ」


 心なしかサキの頬が少し朱くなっているように見えた。


 俺は大きく息を吐いた。


「よかった。サキが生きていてくれて」


「へっ? ま、まぁ主がいっぱい血を飲ませてくれたから……って、大変だったんだからね!身体がいっぱい跳ね上がっちゃって……」


 俺はいてもたってもいられなかった。サキを抱き寄せる。


「あ、主?」


「本当によかった……」


 気づけば俺の頬に涙が流れる。強く抱きしめる俺はサキは抱き返してくれた。


「ありがとう、主。あなたのおかげで生き延びちゃった。アタシが一人だったらもういっぱい生きたし、死んでもいいかなって思ったりもしてたんだけどね」


「バカっ、死ぬなんて言うなよっ」


「もう〜っ、主ったら……しょーがないな」


 サキは俺の頭を撫でてくれた。ゆっくりと優しく笑顔で。




「あ〜〜〜っ! お兄ちゃんっまたその女と抱き合ってる!」


 やかましい叫び声と供に綾が来た。真夜姉ぇも一緒だ。


「あらあら京ちゃんったら。朝からお盛んなんだから」


「二人とも、ただいま」


「ん? お兄ちゃん? 何言ってるの?」


「いや、なんでもないんだ」


 俺の姉妹は不思議そうな顔をして首をかしげていた。

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