第9話 僕は君に 君は僕に 

結局今日一日、どこへ移動するにも昼食を取ろうとしても美幸に世話になりっぱなしだった。周囲の視線で胃に穴が開きそうになったが、嬉しそうに介護してくれる美幸を見てしまっては断ろうにも断り切れない。断り切れないが、流石にトイレにまでついて来ようとするのはやめて欲しい。トイレにまで車椅子を押して来た時は僕だけでなく、他の男子共の口がアングリという言葉が似合う程の表情を浮かべていた。

まぁ、そんな感じで初日から波乱万丈な学生生活だったが、足の包帯が取れるまでこの日々が続くのか・・・胃薬の用意しとかないと。


「彰人君、帰りましょう!」


意気揚々と車椅子のグリップを握って押し出す美幸。どうやら僕に拒否権は無いらしい。車椅子で生活してみて分かったが、突然介護される身になると手持ちぶたさで落ち着かないな。

たまに車椅子で介護されている老人や怪我人を見ては、楽でいいなーなんて思っていたが、実際体験してみると楽だなんて考えが一切出てこず、ひたすら罪悪感に苦しむばかり。僕の胃の為にも早く怪我を治して歩けるようにならないと。

それにしても、今日だけでも四回程美幸に聞いたが、僕の足の怪我の原因について教えてくれないのは何でだろう?記憶に無い怪我はモヤモヤするから教えて欲しいものだが、その話をした途端に違う話題に強引にすり替えてくる。介護されている身だから強く聞けもしない。


「・・・なぁ、美幸。」


「ん?」


「僕の足なんだけど、どうして怪我したのか―――」


「そうだ!彰人君、ちょっと寄り道していかない?」


こんな感じに逸らされてしまう。そんな強引に逸らされると気になって仕方がない。一体どうしてそこまで隠すのだろうか?

そんな事を考えている内に、気付けば学校を抜け、いつもは通らない道に進んでいた。

そういえば寄り道をすると言っていたな。一体どこへ連れていくんだろうか。しばらく進められていくと、どこからか波打つ音が聴こえてきた。薄暗い道を抜けた先に広がっていた景色は、夕焼けに照らされた海だった。


「海・・・ここが寄り道?」


「そうよ。久しぶりに見に来たくて。彰人君は海に来ないの?」


「最近は来てないな・・・昔はよく来てたんだけど、確かあの時は―――」


あの時は・・・あれ?あの時一緒に来ていたのは・・・駄目だ、思い出そうとするとそれを邪魔するように砂嵐と金切り音が頭の中で鳴り響く。


「あれ?おかしいな・・・思い出そうとすると―――」


「もう少し近づこうか!」


「おわぁっ!?」


突然車椅子を押され、体が後ろに倒れ込んでしまった。背もたれがあって良かった。どうしたんだろう?車椅子を押す時は必ず一声かけてから押し始めるのに。

波打ち際まで近づくと、美幸が靴も脱がずに足首が浸かる深さの所にまで歩いていく。


「私ね、海が好きなんだ。朝日・夕日・月の明かり、それぞれの光を浴びてそれぞれの輝きを魅せてくれる。海は何者も拒まず、その全てを飲み込む。私はね、海はとても深い愛情を持っている存在だと思うんだ。」


「愛情・・・でも、それって一方的だよね。」


「・・・どういう事?」


「愛情って相手の為に与えて、相手からも愛情を返してもらうのが愛だと思う。有無を言わせず相手に愛を与えるのって自分の為に思えるから。」


「彰人君は誰かを愛した事が?」


「・・・分からない。あったのかもしれないし、なかったかもしれない。ごめん、なんだかさっきから何かを思い出そうとするとノイズが走るんだ。思い出そうとする何かさえ分からない。」


「・・・彰人君。さっき彰人君は一方的な愛情は自分だけの為だって言ったよね。」


「うん。」


海を背景に映る美幸を見ている僕の方へ美幸が近づき、僕の頭を優しく撫で始めた。


「愛情を与えるのってね、自分の中にある寂しさを消す為でもあるの。そしてそれを受け止める相手の寂しさも消す事も出来る。愛情は個人では成り立たなくて、与える者と受け止める者がいることで、初めて愛情として成立するの。愛に一方的なものなんて無い。人と人、生き物と生命が共鳴する為のものなの。」


美幸の囁くような声と、飲み込まれる程の底の無い瞳に意思を奪われ、反論する言葉も感情も湧かなくなってしまった。

ただ一つハッキリとしているのは、彼女から愛情を与えられている。そしてそれを僕は体の奥底へと流し込んでいる。心地よく、一人では無いと強く想えた。


「ねぇ、彰人君。あなたは私の愛を飲み込んでくれる?」


そう言う美幸の表情は一見変わりが無く見えるが、僕にはどこか寂しさを含んだように見えた。そしてそんな彼女を酷く可哀そうだとも。

だから、僕は選んだ。選んでしまった。


「・・・ああ。君が僕に愛を流すなら、僕は君の愛を飲み込もう。」


夕日に照らされた僕ら。ただ穏やかな波の音に包まれ、僕達はお互いの瞳の奥底を見つめ続けていた。

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