第3話 ヤダの石のまじない(第1話の続きです)

   人物紹介

 モジャク:マニ教の師


 牟羽ぼうう皇帝カガン:大ウイグル帝国皇帝。イディクートの称号を有する。


   人物紹介終了



 青天の下、漠たる風景が広がる。遊牧民でないモジャクといえど、この地に来て、4ヶ月ほども経ち、それはなじみのものとなっておった。ただ、どうにもこの地の寒さだけは慣れぬ。故郷なら春先に当たり、気持ちもうきうきとするものだが、死にそうな寒さではなくなったというだけで、己にとっては未だに冬の寒さである。雪が溶けて無くなっておるのが、せめてもの救いであった。


 そして今その肌寒き寒風に吹かれながら、共に眺めておるは、牟羽ぼうう皇帝カガンであった。厳密に言えば、2人きりではないのだが。遠景に留まるとはいえ、皇帝カガン直属の親衛隊がぐるりを取り囲んでおった。およそ1万2千人ほどもいるという。ウイグル大帝国の皇帝カガンであれば、これでも多過ぎることはないと想うが。


 この地生まれの者にとって、この寒さは何ほどでもないらしく、皇帝カガンに請われてのことであった。それで2人して何をしておるかというと、のんびり気分の遠乗りという訳では決してない。


 待っておったのだ。


 何をって。


 雨が降るのをである。


 しかし雲一つ無い。




 隣におる皇帝カガンがヤダの石を用いて、雨乞いの法をなしたのであった。


 水を入れた盆に、更に大小様々な石を入れる。最も大きいのは、子供のこぶしくらいはあった。皇帝カガンいわく、これは家畜の胃から取り出した石ということだ。


 そうして、皇帝カガンは盆に対して何ごとかを念ずる風であり、やがて一つずつ石を取り出して、その一つ一つを額の前に押しいただくと、やはり何ごとかを念ずる風であった。


 そうして、いわく、雨が降るはずと。


 うーん。待てど暮らせどと言えば、大げさだが、少なくとも半日ばかし待っても雲一つ現れぬ。


 やがて皇帝カガンが口を開く。


「これらの石はウイグル王家に伝わる特別なもの。我が心の内で唱えたまじないもそうである。ゆえに霊験れいげんあらたかなはずであるが、どうも我はこれが苦手で雨がなかなか降ってくれぬ」


 いや、降らんだろう、などとは口が裂けても言えぬ。


 そうして皇帝カガンは更に続ける。


「モジャクは天の遣わした方。ならば、天意にも通じていよう。何ゆえに降らぬのであろうか?」


 いやいや、どう見ても降らないでしょう、との返答しか想い浮かばぬ。時にゾロアスターの教えを方便とし、時に仏陀の教えを方便とする我が始祖マニの教え、その徒たる己といえど、うまい例えが見つからぬ。結局、何と答えて良いか分からなかった。ゆえにこう答える。


「待ちましょう」


 そうして日暮れに至る。何ごとも起きず、雲一つ現れず、当然雨も降らなかった。


 帰途、皇帝カガンはかなりしょんぼりしており、私はこの世界に日暮れがあることにただただ感謝しておった。そして、励まそうと想い、何とか言葉をひねり出した。


「何も起きぬというのが天意でありましょう」


「何と」


「1日という時を費やしましたが、我らは天意を知るを得たのです」


「なるほど。そういう考え方もあるか」


 明らかに屁理屈であったが、どうやら納得してくれたらしい。やはり、ものは試しである。

 

「今日はダメだったが、また近いうちに試してみようと想う。その時も付き合ってくれるか? 共に考えて欲しいのだ。何ゆえに天は応えてくれぬのだろうか?」


 まるで途方に暮れたかのように、そう言う。


いやいやいや、などとは当然言えず、「はい」とは答えたものの、何とかせねばと、まさに沈思黙考す。


皇帝カガンよ。あまり天意を試されるものではありませぬ」


「何と・・・・・・そういうものか」


「はい。そういうものです」


「てっきり、練習すればするほど、上手になるのかと、そう想い込んでおったが。弓や馬と同じようにのう」


「余り試されると、天もへそを曲げられます。ほら、子が親に何かをねだるのと同じです。いつもいつもねだるなら、却って、うるさいと邪険にされましょう。普段は願わず、ここぞという時に願う方がよろしいかと」


 皇帝カガンは分かったような分からぬような顔をされておった。


「それに、皇帝カガンといえど、天意にももう少し気を配られた方がよろしいかと想います」


 私にも気を使えといいたいところだが、それはこらえる。



「そのつもりだがのう」


 皇帝カガンは呑気にそう言う。どこがじゃいとは言わずに、そしてやれやれとの語も言葉を変えて次の如くに言う。


「いえいえ。今日の如く雲一つないというのは、よほどのことが無ければ、テンゲリは降らす気は無いというもの」


「そうか?」


「空の向こう――はるか向こうでもよろしいと想いますが――やはり雲のひとかけらなりとも見えたならば、まさにそこに天意あり。そのような時にこそ、是非、ヤダの法を行ってみてください」


「そういうものかのう?」


「私たちは所詮、人です。天意を自由にするなど、到底できませぬ。人は人の分をわきまえて、お願いすれば、天も慈悲をたまわりましょう」


 決まった。これぞ完璧なる答え。できる! 私もやればできるのだ!


「しかし、我はテンゲリ・カガンを称号とする者。雨がまったく降らぬ時に、雲一つ無い空に、風雲を巻き起こして雨を降らす。それでこそ、将も民も我をその称号に恥じぬ者としてあがめ敬まおう。ゆえにこそ、そなたを天の送り人と見込んで頼んでおるのだ。また練習するぞ。付き合ってくれ」


 何やら、皇帝カガンは元気になったようだ。


 私はしょんぼりしつつ、ただ「ハイ」と答えるのみだった。

 

 漠たる景は夕なずみ、そこを2騎で進む。護衛も距離を保ったまま進んでおった。


「ただモジャクよ。もう少し暖かくなってからにしようかのう」


「おお。皇帝カガンよ。まさにこれぞ温情でございます。ありがたきおおせ。南の地にて生まれ育った我が身には、どうにもこの地の寒さばかりは辛く耐えがたく・・・・・・」


 とまで言いかけたところで、皇帝カガンの鼻からずるりと鼻水が垂れるのを見る。


 あんたも寒いんかい、との突っ込みはやはり控えた。

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