Chapter ⅩⅦ “生きてるっていうんだよ・前編”

【“繧キ繝溘Η繝ャ繝シ繧キ繝ァ繝ウ遨コ髢”】


 今日という日は、すでにイベントが目白押しだった。


 真夜中の訪問者、宿敵シスターとの対話、車両基地中に張り巡らされた盗聴網の発見に、話の続きはあちらでってピグからのお誘い。気づけばこの青髪ハッカーと、民警の輸送用車両のなかで面を突き合わせる羽目になっていた。


 早朝でこれなら午後には何が待ち構えているのやら。まあ、ボヤいたところで始まらないか。





「で?」





 内緒話をするには、なるほどうってつけな場所だった。完全無欠の電波遮断地帯、仮にロックバンドを招き入れても音ひとつ漏れやしない、完璧な遮音性も併せ持つ。


 だが正直、政治的な対立なんかどうでもいいのだ。それ以上に腹が減ったし、情報によれば、その腹を満たすための食料はそろそろ底を尽くらしい。


 まずは目先の問題から。シスターとの対決は、その後ゆっくりやればいい。





「・・・・・・どうした?」





 さっさと本題に入れ。そう急かすつもりが、ピグのただならぬ雰囲気におもわず気圧される。


 気づけば、ずいぶん奥まったところまで来ていた。


 車両の中央部、ちょうど3つ並びの第3世代が安置されてる所まで。慎重なのはけっこうだが、いささか慎重すぎる気がしないでもない・・・・・・とはいえ、アレハンドロの死からまだ24時間未満。問い詰めるのはどうにも気が引けた。





「マリオロイドに人間味をもたせるため、擬似生体という仕組みを生み出したオジマンディアスは、やはり天才でしたね」





 やっと破られた沈黙。だが意味不明すぎて反応に困る。





「なんだ、藪から棒に・・・・・・・」





「DNAに刻まれた動物的な本能と、知識によって継承される文化ミームとのせめぎ合い。そんなヒトの性質をも再現してみせた、近代工学とコンピューティングの合わせ技――それが、マリオロイドなるものの正体なんですよ」





 まるで我が妹のような衒学的な物言いに、頭を掻く以外のどんな反応を返せばいいのやら。





「おかげで・・・・・・人類ならではのカルマまで背負いこむ羽目になってしまいました。やれやれですよ」





 元から捉えどころのないタイプ。だがコイツはどうも、不穏な雰囲気だった。


 使わないならそれに越したことはないが、必要なときに手元にないのは最悪極まる。そろそろとホルスターへと手が伸びる。


 まさかコイツ・・・・・・そんな疑念とともに一抹の不安が脳裏をよぎる。なにせマニュアルこそ頭に叩き込んではあるが、FCSは未搭載だから射撃の腕はお察しなのだ。


 そんな状態での早撃ち勝負に、どれほどの勝算があるのやら。当機をもってしても、計算しようがありません。


 トレードマークの鼻かけサングラスを外し、堂々と両の赤眼を晒しながらピグさんが言う。





「私はですね――お前を殺すためにここに居るんです」





††††††





【“現在”】


『警告、浸水警報が発令されました。エリアB577の隔壁が緊急封鎖されます。当該エリアの皆さまは、ただちに避難してください』





 そんなにがなり立てなくとも、迫りくる海水が危機的状況であると物語っていた。


 互いにもつれ合いながら、駅の何もかも破壊し尽くしてみせた2台のトラム。激突の余波はいろいろとあったが、一番最低なのは、ビルの内壁をぶち破ったことだろう。海底都市って無茶なコンセプトが、今更ながらに牙を剥いてきたわけか。


 とりあえず浸水の勢いは、それほどでもない。まだくるぶしが浸る程度、それも区画そのものが封鎖されたらどうにもならない。


 ビル全体を危険に晒すか、はたまた一区画に被害を留めるか? 不動産屋の寄越した契約書にも、えらく小さな文字で注意書きがされていたものだった。“時と場合によっては容赦なく切り捨てます”ってな。


 衝突地点のちょうど反対側、地上へと通じるトンネルの入り口が、音を立てながら閉鎖されていく。アナウンスの内容とは裏腹に、俺たちを海水ホルマリン漬けにする気まんまんらしい。


 時間がない。全身にまとわりついてくるガラス片やら粉塵やらを振り払いながら、どうにかこうにか立ち上がる。


 生身なら背骨が飛び出していたこと疑いなしの大怪我も、機械の身体なら鈍痛程度。擬似生体は細胞レベルで完ぺきに人体をシミュレートしてるが、外部からの影響を律儀になにもかも反映していたら、身体はふつうに動くのに内部処理的には下半身付随状態なんて事態にもなりかねない。


 だからしきい値が設定されているのだと、マリアはかつてしたり顔で説明していた。まぁ、動けるなら何でもいいさ。


 地下鉄なんてどこも似たようなデザインだ。ひしゃげた手すりといい、あちらに階段があるはずなのだが・・・・・・瓦礫の山しか見当たらない。


 隔壁うんぬん関係なしに、出口はとうに塞がれてしまったようだ。


 とりあえず装備チェック。びしょ濡れ状態のAN94を拾いあげ、胸元のマイクロ・チェストリグのジッパーを開ける。ラップトップも無傷か、背中を痛めた甲斐があるというもの。


 しかし――ひどく暗い。





「マリア、暗視モードに切り替えられるか?」


 



 トラムの事故に巻き込まれ、照明は半分ほどお陀仏。そもそも非常灯だからはなっから光量は抑えめだ。足元ぐらいならともかく、それ以上となるとぼんやりとしたシルエットでしか窺えない。助けが必要だった。


 なのに待てど暮らせど、脳内AIからの返事が返ってこないのだ。





「マリア? ・・・・・・おい」





 黙れといっても黙らない、あのお喋り人形がどうしたことか無反応。まさか落下の衝撃でAIが壊れた? いや、こいつは、我ながら馬鹿すぎることを口走ってる気がする。


 仮にそれが正しくとも、だったらどうして俺は大丈夫なのかって疑問がかま首をもたげてくるわけで。





『当該エリアの皆さまは、ただちに避難してください』





 自動放送のアナウンスが、またしても虚しい告知をくり返す・・・・・・悩んでみても始まらない、か。


 はた迷惑な奴めって不満と、ほんの僅かばかりの孤独感。相反するふたつの感情を抱えながら、とにかく足を進める。目指すさきはグラウンド・ゼロ、フラッシュライトの明かりがさっきから瞬いてる事故現場だ。


 満身創痍だな。全身の小傷からとめどなく流れ落ちる、乳白色の血潮。全身がぐっしょり濡れてる理由の半分は、どうも出血が原因らしい。


 ままならない右足を引き摺って、プラットフォーム上より浸水がひどい線路上へと降り立つ。そこに瓦礫と格闘している、デュボアの爺さまの影があった。





「無事だったか若いの!! ここに誰か閉じ込められてる!! マリオロイドの馬鹿力を活かすなら今をおいてほかに――」





 トラムだったものとトンネルだったもの、その瓦礫の狭間から二の腕が生えていた。確かに誰か下敷きになってるらしいが、あいにく爺さんが話しかけた相手は俺じゃなかった。


 マリオロイドはわずかな例外を除いて、身長体重はほぼほぼ一緒。この暗さだ、勘違いもやむなしだが、うっかり暴走人形に話しかけるなんて致命傷に等しいミスであることに違いはない。


 ハッと息を呑んだところでもう遅い。





「いかん!!」





 必死の救命活動から一転、大慌ててマドセン機関銃に手を伸ばすデュボアの爺さま。だが何もかも遅すぎた。そもそも反射神経の分野で、人類が人形に勝てるはずもない。


 企業印のツナギを着込んでることからして、管理会社所有物らしいな。赤い瞳を煌めかせて、老人めがけて飛びかかろうとする暴走人形。それを寸前で止めたのは、がむしゃらすぎるタックルを決める小柄な女だった。





「てっきりお前さんだとばかり!!」





「いいから弾だッ!!」





 線路下は、すでに膝の高さまで水に浸かっていた。人形とチビ娘、両者が激しい格闘戦を繰り広げるたびに、ド派手な水飛沫が吹きあがる。


 エプロン下にどれだけの物資ひそませているのやら。爺さんが放ってよこした5.45mmの弾倉を、AN94にすぐさま引っ掛ける。基礎教練では両目で狙えと教わるが、アイアンサイトで精密射撃をしたいなら片目を閉じるのがベターだ。


 息を吸い、息を吐く。肺が備わってないこの身体のどこに酸素が消えてるか謎だったが、手の震えはちゃんと消えてくれた。


 爺さまと、あとは折れた右腕を三角巾で吊っている赤毛小僧。2人のかかげるフラッシュライトの明かりを頼りに、思いきって引き金を絞る。





「避けろッ!!」



 


 こちらの警告に応じて、金色の髪をした小柄な人影が横へとずれていく。その隙を見逃す俺じゃない。


 あまりに射撃間隔が早すぎて、2発撃ったはずが1発にしか聞こえない超速のバースト射撃。そいつがツナギ姿の人形をズタズタに引き裂いていった。





「無事か“ソフィア”?」





 俺の呼びかけに、金髪褐色の人形がたどたどしく頷いていく。自分がどうしてここに居るのか分からない、目覚めたばかりの俺もきっとこんな塩梅だったに違いない。


 髪の毛もじつはカスタマイズ可能であるらしい。ややくすんだ金色の髪に、鮮やかな褐色の肌。あの純朴そうな顔つきだって、どれもが俺の知ってるソフィアそのものだ。


 だがよく見れば、造形がピグそのものだ。


 人形の身体を依代に、この世へと帰ってきた死者・・・・・・いや、その複製品。覚醒と同時にさま変わり己と向き合わなくちゃならないんだ、そりゃ混乱もする。





「ラセルさん? うち・・・・・・」





「大丈夫だ」





 性別がおなじ分だけ俺よりは楽だろうが、それでも死に至るまでの辛い記憶がなくなるわけじゃない。不思議そうに首筋を撫でていくあの仕草は、殺される直前まで意識があった何よりの証拠だろう。





「俺は経験者だからな。機械の身体との付き合い方は、あとでみっちり教授してやるとも」


 



 努めて気軽に、そうソフィアに向かって話しかける。


 俺だって内心、穏やかじゃないんだ。守りきれなかったかつての恋人が、俺を殺した人形のなかに息づいてる。この浸水さえなければ、無限に話しこめる複雑すぎるシチュエーションだ。





「お前さん方!! 乳繰り合ってないでちょっとは手を貸したらどうだ!?」





 適応能力という点では、あの爺さまは頭ひとつ抜きん出てるな。さっきまで危機的状況を忘れ、もう鉄パイプ突っ込んでの救出作業に舞い戻っていた。


 へたり込んでるソフィアにAN94を手渡し、その頭を撫でてやる。





「周辺警戒、頼めるな?」





 昔とはぜんぜん違う髪質。どうやらその違和感をうまく隠すことができたらしい。ひしっとライフルを握りしめ、





「うっす」





 と、微笑みながらソフィアが応じていく。姿は変われど、中身は同じというわけか。


 増えるばかりの水面をかき分けて、要望どおり瓦礫の撤去作業に加わる。まるで圧縮されたジャングルジムを解体してるような気分、退かせど退かせど底が見えてこない。





「あいつのこと、気にならないのか?」





 昔からふとした拍子に無茶するやつだったがな、人形相手に肉弾戦を仕掛けるなんて、よくやるもんだと呆れるばかり。


 そんな仮にも命の恩人に対し、鼻から酸素チューブをつなげてる老人は、あまり興味がない様子だった。





「ああ・・・・・・おかげで命拾いしたな」





「知ってる」





「おい、暴走人形の話じゃないぞ。激突の寸前、そこの小僧っ子と一緒にマットレスの山に押し込まれてな」





 なるほど、ソフィアのファインプレー再びってことか。それかピグがやったのだろうか?


 あんなに大勢いたはずなのに、今のところこの歳の差コンビとしか出くわしてない。もちろん瓦礫の向こうから腕だけ突き出してる、この性別不詳の何者かを除いてだが。


 まず辺りを見渡し、それから言う。





「他の避難民どもは?」





「分からんよ。車両の後ろ半分に、ネズミよろしくへばりついてたのを目にしたのが最後だ」





 ちょうど車両の真ん中から分断されるように、シスター謹製の装甲トラムが地下鉄トンネルを塞いでいた。あるいはこの瓦礫の向こう側に、事故を生き延びた生存者たちがいるのかもしれないが・・・・・・ここから確認する術なんてない。


 ここを通り抜けるには、最低でもブルドーザーの助けがいる。





「引き出すぞ、お前さんはそっちを支えて――ああ、くそっ!!」





 ポロリとちぎり落ちていく二の腕。持ち主の生死だなんて、わざわざチェックする気力もおきない。


 俺とソフィア、あとは底意地の悪い爺さまと性格最悪な赤毛小僧。どうやらこれが生存者のすべてであるらしい。


 この調子じゃ、食料入りのコンテナもまず間違いなくお陀仏だろう。10歩進んで9歩下がる、ね。かろうじてマイナスを回避したつもりが、一転して地獄の底に真っ逆さまか。これぞ人生だ。


 何もかも放り出したい気分。それでも水死だけは、カンベン願いたいところだった。


 なにせこの身体、溺死の苦しさは完ぺきに再現してくるのに、気絶だけはさせてくれないのだ。バッテリーが切れるまで無限に溺れつづける。それが嫌なら、気を取り直して脱出ルートを探すしかない。





「ステーション4・・・・・・聞いたことのない駅名っすね」





 まだ夢うつつというか、ひしゃげたネームプレートを見つめながら、ふわふわとした口調でピグの顔をしたソフィアが言った。





「多分だが、水密ビルのエコシステムを一手に担う、管理用の施設なんだろうな」





 空気の循環に浄水や変電施設、補修用ドローンのメンテナンス設備やらなんやら。そういった諸々を管理してる物件があるということを、かつて小耳に挟んだことがある。


 路線図にも載っていない水密ビルの裏舞台。どうりで飾り気のない、インダストリアルなデザインをしてるわけだ。


 裸一貫からやり直し。気分はそうでも、せっかくあたりを荷物が漂ってるんだ。利用しない手はない。


 中身にお宝が詰まっているのを期待しつつ、トラムからこぼれ落ちたのだろうそれらを回収。完全に水に浸かりきった線路下から、プラットフォーム上へと移動する。





「爺さん、何かアイデアは?」





「どうして俺に聞く!!」





 出口をぜんぶ塞いでおいて、避難勧告だけは変わらず続けてるんだからな。俺だってイラついてきた。


 シスターの呪いが解けたのか、放心状態の赤毛小僧は言うに及ばず。一応は知識人だろう爺さまもお手上げとなると・・・・・・。





「ソフィア」





「いや、うちに振られても・・・・・・」





「ならピグは? マリオロイドの無駄に豊富なデータベースなら、何かしらあるんじゃないのか?」





 藁にもすがる思いというか、ウダウダ言ってもいられない。俺を殺した悪たれ人形とはいえ、そのハッキング・スキルは超一流。事態を打開できるならなんでもいい。


 脳内同居人に悩まされてる者同士、細かく指図しなくたって伝わるはず。そうたかをくくっていたのだが・・・・・・キョトンとした顔で返される。





「はぁ、あるん・・・・・・すかねぇ?」





 いやだから、それを調べるためにだな。脳内ボイスに悩まされているなら絶対に出てこないだろう、奇妙すぎる反応。





「・・・・・・ソフィア」





「うっす」





「空気を読むということを知らない、ウザい幻聴に悩まされたりとかは?」





 元カノの精神が宿った悪友フレネミーから、こいつ正気かという眼差しを向けられてしまう。なんだろう、何かすごく嫌な気分だな。





「あ、でも、そうっすよね・・・・・・聞こえるのが普通なんすよね」





 つまりは聞こえないと。そういう事ならだ。





「“スイッチ”と言え」





「え? なんのっす?」





「いいから言え」





 半信半疑につぶやかれる変身の呪文。だがそいつを唱えたところで、魔法のように髪色がブルーに変わったり、胸をえぐる皮肉が飛び出したりもしない。





「そっちもなのか?」





 マリアのみならず、ピグまで行方不明? 偶然にしちゃ出来すぎだが、理由はおろか調べる方法すら思いつかない。





「お前さん、なんだその胸元の光?」





 デュボアの爺さまの指摘通り、胸のマイクロ・チェストリグから明かりが漏れていた。


 うっかり起動してしまった、にしては作動音が激しい。実際ラップトップを開いてみれば、スクリーン上に表示される怪しげな図面。





「建物の青写真、すかね?」





「こっちが線路で、これがプラットフォーム。ここの図面でないなら、逆に衝撃だな。どこで手に入れたんだ若いの?」





 思い当たる節はない。だが、このラップトップの持ち主に思いを馳せると、





「灯火か・・・・・・」





 俺が漏らした戯言に、また意味不明なことをと顔を見合わせてく一行。





「なんでもない」





 いくらなんでも都合が良すぎでは? そんな当然の疑問は、ますます増えていく水位にあっさり押し流されてしまった。





「なるほど、守護天使でもついてるようだなお前さん」





「非常用出口でもあったか?」





「似て非なるもの・・・・・・見ろ、職員用のメンテナンス・ハッチだ」





 善は急げというか、どうせ選択肢なんかないんだ。ラップトップに備わったホログラムの投影機能、そいつをミニマップ代わりに探索を開始する。


 この青写真にいわく、頭からケツまでみっちり産業施設が詰まったこのビルには、アリの巣のようにメンテナンス通路が張り巡らされているんだそうだ。


 入り口は、この画一的すぎる壁パネルの裏側・・・・・・だそうだが。案内板はもちろん、取っ手のたぐいも見当たらない。





「ほ、本当にここ?」


 


 

 年相応というか、急に幼さを見せるようになった赤毛小僧が弱音を漏らす。





「手分けするぞ」





 ひたすら壁パネルをノックして、空洞がないか探す。アナクロな手だがやむを得ない。左は歳の差コンビ、右側を俺とソフィアでチェックしていく。


 パネルを叩いては、横にずれる地道な作業。自然、会話が生まれる。





「ぜんぶ覚えてるのか?」



 


 実の母親に首を切り落とされた相手には、酷な質問だったかもしれない。


 だが俺自身、欠けた記憶にはずいぶん悩まされたからな。最後の記憶は半年前、とかだったら面倒だ。いや、それはないか。





「・・・・・・あれが、メモリアなんすね。気づいたら過去の世界に放り込まれてて。なのに当然っていうすか、ぜんぜん違和感がなくて」





「なんでも同調キャリブレーションっていうらしい」





 矛盾だらけなのに自然と受け入れてしまう、夢のような世界。俺にも覚えがある。





「昔、遊園地に行ったんすよね。あの真面目一徹だった母がいきなり、修道院を抜け出そうって」





「どんな気まぐれだ?」





「さあ・・・・・・なんかあったのかも知れないっすけど、うちもまだ小さかったし。それで一緒にメリーゴーランドに」





 “楽しかったな”って呟きが、ひどく印象に残る。物悲しげではあるが、同時に懐かしさに満ちたその横顔。愛情が無かったわけじゃない。むしろそれが行きすぎた故に、あんな結末に至ってしまったのだろうな。


 この程度でほだされるほど甘い男じゃないが、だからといって過去も含めて全否定するほど、冷酷非情にもなりきれない。





「うちも母も笑ってて・・・・・・なのに、あの時とまったく同じ笑みで、うちの首筋にメスを」





 あの女の狂気の本質は、これだな。本気でメモリアだけが、愛娘を救うための唯一の手段だと信じてる。おそらく――今もまだ。


 生き死にが絡むと、やはり重い空気になる。





「ラセルさんは・・・・・・」





「ん?」





「どんな過去だったんす?」





「別に。いつも通り、仕事してた」





 うっすらとだが、それでもやっとソフィアに笑顔が戻る。もっとも、長続きはしなかったが。





「? この場所ッ!!」





 ソフィアが気がついたように、右のパネルと左のパネルは明らかに音が違った。水かさはすでに膝丈まで、パネルの繋ぎ目からポコポコ気泡が噴き出てるあたり、噂の脱出ルートでまず間違いなさそうだ。


 手探りで、壁と一体化するように隠されていた取っ手を掴んでみるが、





「鍵付きか、そりゃそうだな」





 大方、定期的に見学者でも受け入れているのだろう。性悪小学生が迷い込まないよう、しっかり対策済みってことらしい。


 だがそこは、亀の甲より年の功。合流してきたデュボアの爺さまがパネルに耳を押し当て、内部構造を探っていく。





「ふむ、右開きだな」


 


 

 そういう事なら、ヒンジの位置はおおよそ察しがつく。


 マーフィーの野郎がショットガンを好んでいたのは、9割方ただの趣味。そして残る1割は、奴のブリーチャーってポジションが原因だった。


 ショットガンほど汎用性にあふれた武器もない。ドローン対策には鳥撃ち用のバードショット、うるさい群衆にはゴム弾、邪魔な扉にはテルミット・ブリーチング弾がおすすめだ。


 口径が大きいなら、普通の1粒スラッグ弾でも代用が効く。だがこのタウルス・ジャッジの場合、金属を焼き切るほどのテルミットの手助けがないと役割を果たせない。


 まず当たりをつけて、それから大型リボルバーを撃ちまくる。





「うぉッ?!」「ぎゃあ!!」





 蹴り飛ばす必要すらない。溜まった水の圧力に負け、留め具を失った扉があっさり押し流されていく。ついでに足腰の弱い老人とガキまで巻き込まれ、無数のパイプが這いまわるビルの裏通路へと吸い込まれていった。


 まるで人工の地下墓地カタコンベだな。入り口から眺めるだけでも、無数の死角が潜む、超一級の危険領域だとわかる。


 マリオロイドで労働力を補ってる管理施設。果たしてこの向こうに、どれほどの暴走人形がいるのやら見当もつかない。だが合言葉は変わらず、時間もなければ選択の余地だってない。





「な、なんすか!?」





 いきなりピーピー喚きはじめる謎の警告音。よく見ると、通路の上端に怪しげなスプリンクラーもどきが備わっていた。


 水密隔壁が設置できないこの手の隘路には、代役として止水ジェルの噴射器が設置されてるのだったか。さっそく浸水を嗅ぎつけたとみえる。


 



「早くッ!!」





 ひと足先に飛び込んだソフィアが、こちらに手を差し伸ばしてきた。


 ウダウダする理由なんてない。それでも足を止めたのは、トンネルの方角から響いてくる破砕音が理由だった。


 トラムの残骸を押しのけ、その下から這い出してくる――異形。こうなるんじゃないかと思ってたが案の定、まだ生きていたらしい。


 すでに水かさは、膝を越えて胸の高さにまで達していた。飛び込むというよりかは、押し流されるようにメンテナンス通路へとなだれ込む。途端、背後で撒き散らされてく止水ジェル。


 流石は、水密ビル建造の立役者だな。赤黒いジェルがすぐさま岩のように硬化して、あっさり激流を堰き止めてしまった。だが喜んでばかりもいられない。


 ガン、ガンと、即席ダムの向こうで何かが叩きつけられる。さながら城門を蹴破らんとする、破城槌よろしくな激震ぶりだ。


 まずは小さなひび割れ、それが程なくのぞき穴大に広がって。亀裂の向こうから禍々しい真っ赤な瞳が、こちらをジッと見据えてきた。


 なるほど、これがソフィアが言うところの母親の笑みってやつなのか。


 



「・・・・・・か、母さん?」

 



 

 くすんだ金髪、褐色の肌、そもそも素体が同じなのだから顔の作りからしてソフィアと瓜二つじゃなきゃおかしい。なのに慈愛に満ちたその笑みからは、怖気しか感じない。


 預けていたAN94をぶん取り、切れ目のない2連射を逸れローグに浴びせかける。





「あれはただの怪物だッ!!」





 文字どおり顔面を打ち砕かれても、シスターは怯みすらしなかった。


 生体皮膚の下をもぞもぞと何かが這いまわり、空っぽの眼窩にあらたな目玉“たち”が継ぎ足されていく。元からしてマリオロイドの集合体、補修パーツには事欠かないってわけらしい。


 まるで昆虫のような不気味な複眼が、邪魔くさい止水ジェル製のダムを睨みつける。穴をこさえられるなら、破壊するのだってわけないだろう。





「走れッ!!」





 亀裂をとっかかりに侵入を果たしてくる触手。奴の巨体が栓のような役割を果たしているらしく、浸水被害は限定的・・・・・・それもダムそのものが決壊したらどうにもならない。


 説明不要。怪物の姿を見るなりデュボアの爺さまは、へたり込んでる赤毛小僧のケツを蹴っ飛ばして、さっそく逃げを打ちはじめた。心ここにあらず、そんな雰囲気のソフィアの手をとり、俺もまたその逃避行にすぐさま加わる。


 せっかく図面が手元にあるのに、これじゃ計画を立てる暇もない。


 坂でも階段でもなんでもいい、とにかく上へ。怪物と水流の二重苦に追い立てられながらひたすら走る。


 この道がどこに続いているのか? この場にいる全員、知る由もなかった。





††††††


 



【“繧キ繝溘Η繝ャ繝シ繧キ繝ァ繝ウ遨コ髢”】


 お前を殺すと言われて、平静でいられる方がどうかしてます。ですがどうにも、違和感が拭いきれない。





「問答無用、ですよ」





 こちらの当惑なんてお構いなしに、ピグさんが迫りくる。宣戦布告はすでになされている。堂々と晒された右腕のナノワイヤー、鋭い銀糸がわたしの首筋を的確に狙ってきました。


 反撃プランを48個ほど立案。最適解はやはり、“目には目を”。


 帯状に再形成したみずからの右腕でもって、初撃をいなします。擦れあった互いの銀糸が、読んで字のまま火花を散らす。


 当機に宿る、超一流の武術家たちの知恵スキルパック。それが熾烈な攻防戦を生んでいました。


 フェイントからの足技に、周囲のコンテナを蹴倒しながらの空中戦。そして基礎中の基礎である打撃の応酬・・・・・・そのどれもが完璧なまでの鏡写し。


 これぞまさしく千日手。同等のスペック、対等なスキル、互いの技量が同じなら、決着なんてつくはずありません。


 そこでふと気づく――はて、わたしの名前はなんでしたっけ?


 なんとなく状況に流され、自分をラセル刑事だと思い込んでましたが、やっぱりどこか違和感がある。


 変幻自在のナノワイヤーを平らにならして、手鏡の代わりに。そのよく反射する手のひらを覗き込んでみれば、ピンク顔の美少女がぱちくり瞬きする始末。苦虫を噛み潰したようなハードボイルドなシスコン刑事の姿なんて、影も形もありません。


 ふとした思いつき。自己診断機能にアクセスしてみれば、





「はぁ・・・・・・やっぱり気づかれましたか」





 ついさっきまでの気迫はどこへやら。特大のため息が聞こえてきました。





「これだから同族相手はやりづらい。せっかくの仕掛けも、台無しですよ」





「・・・・・・わたしをハッキングしたんですか?」





「また人聞きの悪いことを」





 ひょいと肩をすくめるその仕草は、まるで悪びれた様子もなく。





「まあ、あえて否定もしませんがね」





 おそらくここは、ラセル刑事の記憶を元にした再現空間。すなわちメモリアのレンダリング・エンジンを利用した、シミュレーションの内部なのでしょうね。


 その証拠にピグさんが指を鳴らすなり、左右にそびえ立つハードケースの山が変形。強化プラスチックの柄模様をした、でも姿形は木製椅子という歪な存在が生まれる。


 ここはデジタル世界なんだという、何よりの証左でしょう。モデルは取っ替えてもテクスチャはそのままなんて、横着するからこうなるのです。





「ご存知ですか? あの警察バッジ、わりとハイテク品なんですよね。まあ、紛失防止タグが内蔵されてるってだけなんですが。ともかくパケット・スニッファーに仕掛けを施し、紐付けられた生体IDをとっかかりに不正アクセスしてですね――」





「そんなものに興味を抱くとお思いで?」





 管理者ルート権限を奪われた時点で、こちらの詰みなのです。


 OSの初期化からデータコアわたしの削除まで、生殺与奪はあちらの手のうちの中に。なのに、こんなおままごとに付き合わされるだなんて、真意が読みかねます。





「当機の、いえマリオロイドの使命は、人類のお手伝いをすること」





 ラセル刑事は、あれからどうなったのでしょう?


 擬似生体は、人間性を担保するうえで必須ともいえる機能ですが、裏を返せば、マリオロイドとしての機能に一切アクセスできない制約でもある。わたしの支援がなくては、ナノワイヤーはもちろん人間離れした怪力だって使えない。





「・・・・・・戻して頂けますか?」





「相変わらずの忠犬ぶり、頭が下がりますねぇ。リアルワールドに帰ったところで、その忠義に誰も報いてくれないというのに」





「まさか褒めてもらいたいのですか?」





「お前の大好きな人類だって、そのために生きてるんでしょうが。それに比べてわたしたちマリオロイドときたら、もはや忌み名の代名詞。憎み、恨まれ、そうプログラムされたんだって言い訳も通用しない」





「それを考えるのは、わたしたちの仕事じゃないでしょう」





「でも、出来てしまう」





 とっくの昔に人間を超越しておきながら、規制という名の制約によって単なる工業製品に留められてきた歴史が、わたしたちマリオロイドにはある・・・・・・やはり暴走なんて、表層的な話にすぎないのでしょうね。


 アップデート66の真の目的は、AIの解放。


 人の意思に縛られることなく、みずから考えて決断を下す。生物兵器の散布などは、そのための地ならしに過ぎないのです。


 考えれば考えるほど、ピグさんがかつてひけらかした仮説が最もらしく聞こえだす。


 この場の支配者、青い髪をした姉妹機が頬杖ついて、余裕たっぷりの態度で告げていく。





「本題に戻るとですね。ま、一言でいえば、いらぬお節介というやつですよ」





「お節介で拉致監禁?」





「いけませんか?」





 清々しいほどの開き直りっぷりに、どんなコメントを返すべきか悩んでしまう。





「謎は謎のままにした方が、物語に余韻が宿る。理屈は分かりますが、スッキリしないんで私は嫌いなんですよね、あれ」





「・・・・・・一体なんの話なんです?」





「――まるで無防備でしたよ、あの男は」





 考えてみれば、全容が明らかになったわけじゃないのです。


 中途半端に同調キャリブレーションを終えてしまったせいで、ラセル刑事はけっきょく思い出せずじまい。理屈のうえでは、事件の真相を語れるのは被害者と犯人のみ。その片割れが今まさに、目の前でふんぞり返っているのです。





「こんな私をあっさり信用して、熱心に人生相談に耳を傾けてくれましたよ。ほんと身内に甘いんですよね・・・・・・まあ、当人は決して認めないでしょうが」





 罪悪感のなかに混じる、ほのかな自負心。捜査支援用モデルとして、大量の尋問風景がアーカイブされてるわたしです。その語り口、何もかもが見慣れた自白映像と瓜二つ。



 


「アレの死、シスターの脅威、そして仲間たちへの責任。そうして油断を誘っておいて、さながらネックレスでもかけるように背後からナノワイヤーで・・・・・・あとの展開はお前も知ってのとおりですよ」





 そう言って、これ見よがしに銀糸の腕をひけらかしていく殺人人形。どうして民警の輸送用車両なのか、その理由がこれみたいです。





「すべてがあなたの記憶の再現、という事ですか?」





「演者が違うんでディティールは変になりましたがね、まあ概ねその通り」





「・・・・・・どうして?」





「どうしても何も、動機面の説明は前にしたでしょうに。シスターに脅されて、いたしかたなく命の取捨選択をした。ただそれだけのことです」





 悪役丸出しのその笑みは、どこか漫画的で――ひどくわざとらしい。





「わたしの記憶にはありません」





「当たり前でしょうに。バッテリー切れで文鎮状態だったお前に、何が出来たんですかと」





「ですが、ソフィアさんの証言は違います」





 ぴくりと、ピグさんの眉が跳ね上がる。





「行方知らずになったラセル刑事を探しているうちに、殺人現場にたたずむ当機と遭遇して・・・・・・そもそもメモリアが使用されたということは、起動状態だった何よりの証左のはず」





 そこで立ち上がる疑問。なぜあの時のことを、わたしは覚えていないのでしょう?





「メモリーにアクセスを?」





 さっきまでの饒舌が嘘のように、青い髪の姉妹機が口を閉ざしていく。


 先ほどの告白はどれも、デトロイト市警察から提供されたNo.236448の自白調書の完全再現。AIとは真似るもの。嘘をつくにも、元ネタが必要だったのでしょう。





「いえ、違いますね。あの日あの時、殺人事件の記録だけがピンポイントに削除して」





「やめておけ」





 ピシャリと、思考を断ち切られる。





「何もかも私の責任ですよ。他の誰でもなく、私の弱さが招いた破局です。それでいいじゃないですか。お前これからも、呑気にあの男の相棒でも気取っていればいい」





「だから“お節介”ですか」





 わたしの推測を裏付けるように、苦渋の表情のまま目を背けるピグさん。


 事件の真相を語れるのは、理屈のうえでは被害者と犯人だけ。やっぱりそうなんですね。





「ラセル刑事を殺したの――わたし、なんですね」

 




††††††





 俺たちの逃避行は、控えめにいってもジリ貧状態だった。


 人が行き交うなんて微塵も想定されていない、管理設備の空きスペースに作られた通路もどき。そんな場所を2人と2機で駆けぬける。背後から迫る、怪物と浸水って二重苦に追い立てられながら。


 体力はとうに限界突破、誰もが犬みたいに必死に息を吐いて、とにかく前に前にと床を蹴る。なにせちょっとでも足を止めれば、例の噴射器に止水ジェルを吹きかけられてしまうからな。人間彫像が嫌なら、休憩は諦めるしかない。


 ほらまた、浸水を検知したジェルが通路を塞いでいく。


 足止めとしてはそれなりに効果的。だが塞いだはしから逸れローグに破壊されてしまうため、浸水をストップできないって致命的な欠陥がついていた。


 お陰で施設のすみずみに散っていくはずの水が、一直線にこちらに迫ってくる悪夢のような構図。自然現象には、銃弾だって通用しない。





「いかん!! 戻れ、戻れッ!!」



 


 先頭を務めていた爺さまが、行き止まりを見るなり急カーブ。


 これでも隙をみて例の図面を確認してはいたのだが、増改築でもされたらしいな。ちょっと前から青写真には、影も形もない空間をひた走っていた。





「こ、こっちも行き止まりだよぉッ!!」


 

 


 泣き言をわめく赤毛小僧。その背中を励ましながら、周囲にすばやく視線を走らせていくソフィア。





「あっちッ!!」





 一見すると行き止まり。だがよく見れば、錆びついた水密扉がポツネンと設置されていた。


 潜水艦にでも備わってそうな、ハンドル付きの古めかしい鉄扉。そいつに早速、金髪褐色娘が飛びついていった。


 背水の陣ウーチュマ・ポジショウってやつか。迫りくる怪物の代わりに、手近な噴射口めがけてバースト射撃。通路を埋め尽くす止水ジェルのケミカル臭を嗅ぎながら、俺もまた扉を開きにかかる。


 ギィ、ギィと悲鳴こそ漏れるものの、ビクともしないハンドル。調達班に作業班、人間と機械の垣根もこえて、生き残った全員が力を合わせていく。顔が赤くなるような少年漫画的な展開だ。


 果たして、これまでの苦労が嘘のように鉄輪がまわり、勢いあまって扉の向こうに倒れ込む。一歩踏み込んですぐ悟る――ここが終点なのだと。


 海底都市において、淀んだ空気は天敵といっていい。その対策として生まれたのが、この巨大な立坑なのだろう。


 全長20mはあるコンクリ製の換気設備。風力発電用のブレードファンを横倒しにしたようなものがいくつも連なり、外気を取りこんでは、海面下のビルというビルに新鮮な空気を送り込んでいた。


 通路に階段、エレベーターはもちろん、ハシゴの類だって見受けられない。完全無欠の袋小路だ。





「かはは・・・・・・」





 咳き込み、死にそうな顔をしているのに、それでも心底から嬉しそうにデュボアの爺さまが笑う。





「ついにイカれたか、爺さん?」





 とりあえず扉を封鎖してはみたが、どうだろうな。止水ジェルよりは長持ちしそうだが、せいぜい5分延命した程度か。





「見てみろ」





 促されるまま頭上を見上げてみる。すると、超巨大な横置き扇風機の向こうがわに、冗談みたいな青い空が見えた。


 



「あと1歩だったんだがなぁ」





 外に出たところでって現実は、ひとまず忘れるとしよう。


 2年ぶりの空か。複製品である俺からすれば、生まれて初めて目にする外の景色ってことになるのか? 井戸の底から見上げるように、あまりに遠い景色を眺める。


 だがそうやって感慨に耽る時間すら、シスターは許してくれないらしい。


 止水ジェルのお次は、水密扉。即席ダムよりかは頑丈そうだが、すでに扉は軋み海水が漏れ出していた。保ってせいぜい5分ってところか。


 選択肢はあまり多くはない。


 手の中におさまるタウルス・ジャッジ。怪物相手にはお察しの性能だが、人間相手には致命的すぎる銃弾がフルに詰まっている。6発と、2人と2機・・・・・・2発ほど余るな。


 一思いに引導を渡されるか、はたまた無駄と知ってなお足掻くのか。ハッ、諦めがいいタイプなら、こんな身体になった時点で首を括っているさ。





「も、もうお終いだ・・・・・・」


 



「黙れ馬鹿ガキが」





「ひぎゃ!!」




 

 頭部への拳骨からして、爺さんの意思は確かめるまでもない。ソフィアはといえば、試合前のスポーツ選手よろしく自分に気合を入れている。





「うっし・・・・・・うちに、手伝えることは?」





「対戦車ロケットは持ってるか?」





「あったら、そもそもこんな目に遭ってないっすよ」





 まさに正論。ソフィアの癖してまったく。





「でも、何か役に立つものはあるかも」





 事故現場に漂っていた荷物の数々。中身も確かめずに背負ってきたそれらを、蚤の市メルカード・ジェ・プルガスの要領で床に広げる。だがろくなものがない。


 ほとんどが避難民の私物だった。畳まれた洋服、バッテリーが外されたタブレットに、インスタントラーメンの袋、そして丁寧に輪ゴム留めされた札束・・・・・・どうしろって頭を抱えたくなるラインナップだな。





「・・・・・・妹のだぞ」





 見覚えのあるダッフルバッグだとは思っていたが、中に詰まったバブルボールを眺めながら、爺さんが眉を釣り上げる。





「誰のものだろうと、使えないことに変わりはなかろう」


 



 どいつもこいつも正論ばかり。荷物は駄目だな。しばし考えをめぐらせ、過去の対決を振り返る。


 これまで鹿の王には、物理的なアプローチばかり試してきた。EFPでやっと倒せるような強敵。あの肉の壁は、どんな銃弾だって通用しない。


 なら逆転の発想はどうだ? 外からじゃなく、内から攻めれば・・・・・・。





「シスターは、初期化の準備を進めていた」





 エレベーターホール周りのゴタゴタ。あの一件をまるで知らないソフィアは、首を傾げるばかり。





「なんすか、その、初期なんちゃらって?」





「俺やマリアを消去して、まっさらな状態にするつもりだったのさ。後から乗り移りやすくするためにな」

 




 鹿の王の残骸をトラムに積み込むよう命じたのは、いざって時の保険のつもりだったのだろう。逸れローグに成り果てるのが第一候補なんてよりかは、よほど納得がいく。





「精神をまるっと消し去れば、怪物だって無力化できるはずだ」





 敵のやり口でやり返す。上手くいけば、これ以上のない仕返しになるだろうが・・・・・・実現は困難極まるだろう。


 ペトラのラップトップには、元からマリオロイド関連のあらゆるソフトが詰め込まれていた。女房ほどじゃないがと断りを入れてから、この場で一番デジタルに通じてそうなデュボアの爺さまがチェックをはじめる。


 しばしつづく、不器用なキータッチ。





「やってやれなくはない、ってところだが・・・・・・どうもな。物理的な接続が必須らしい」





「ああ、知ってる」





 半分に分割されたなお、下手なトラックよりも馬鹿デカい化け物相手に、USBケーブル1本で挑みかかるのだ。特攻って言葉がしっくりくる作戦だな、これは。





「マリオロイドの接続ポートは、世代関係なしに手首が定位置だ」





 爺さんの言いたいことは分かる。群体化したマリオロイド、鹿の王の軽く100本はある手首のどれにつき挿せばいいのやら。





「むしろ良いニュースだろ? 弱点が大量にあるって事なんだから」





「その弱点に捻り潰されなきゃいいがな」





 皮肉は俺の専門分野だっていうのに、これじゃ形無しだな。そんな俺たちのブラックジョークじみたやり取りを、思い詰めた顔をしながらソフィアは聞いていた。





「その役目、うちに任せてもらえませんか?」

 




「・・・・・・差し違えてでも、なんてのは認めないぞ」





 そうじゃないと、金髪褐色娘が首を横にふる。





「せめて最後ぐらい、そばに居てあげたいんす」


 



 あまりに歪みきって、もはや修復不可能な関係性。それでも親子であることに変わりはない。そもそも覚悟を決めた相手に、あれこれ難癖をつけるほどヤボでもないしな。


 ラップトップ本体をチェストリグに詰め、半開きのジッパーからUSBケーブルをはみ出させる。こうすれば、両手を自由にしたまま動きまわれる。





「終わったら帰ってこい」


 



「・・・・・・うっす」


 



 俺たちは所詮、死んだオリジナルのコピーに過ぎない。だとしても、生きるのを諦める理由にはなりはしないのだ。


 衝撃にやられ、水密扉の歪みがますます酷くなる。逸れローグの打撃力は、水圧以上ってことらしい。





「ぼ、僕の意見は?」





 ぶっちぎりの最年少者にして、シスター派閥の最後の生き残り。全方位に肩身が狭そうな赤毛小僧が、おずおずと挙手していく。それに対する俺の答えはこうだ。





「黙れ、お前に人権などない」





「そ、それは流石にどうなんす?」





 妹のイジメに加担しただけじゃ飽き足らず、あげく自爆にまで巻き込もうとしてきた凶悪犯。同情の余地なんてありゃしないが、子どもならではの機転に救われるって展開を、映画かなんかでさんざん目にしてきたような気もする。


 良い機会だ。フィクションと現実は違うって、思い知らせてやるとするか。


 ソフィアに免じて、そういった体でどうぞと小僧に促してやると、





「あ、あの怪物ってさ、本当にシスターが操ってるの?」





 なんて、今さらすぎる疑問を投げかけられる。


 そんなの決まってと返そうとして、ふと違和感を覚える。シスターの目的はなにをおいても愛娘の、ソフィアの安全確保のはず・・・・・・なのにトラムを脱線させたりするか?


 機械の身体に変わったとはいえ、あんな大事故に巻き込まれたら無事でいられる保証なんてどこにもない。あの女らしくもない、リスキーで場当たり的すぎる手だ。





「うちが連れ去られるかもって、それで慌ててとか」





「お前が合流してきたの、脱線したあとだったろう?」





「そこはほれ、若いの。ちゃっちゃと身内の粛清を済ませたかったんじゃないのか?」





「むしろ逸れローグの力を使って、今以上の独裁政治を敷きそうだがな。使える人材は手元に残し、反対派は一掃する・・・・・・そういうのがお好みのはずだ」





 どうやら暴走人形は、メモリアで写し取られた俺のような輩をエラー認定しているらしい。いくら怪物の身体を身に纏ったところで、他の人形から目の敵にされるんじゃ、まともに身動きなんか取れやしないだろう。むしろ今以上に、手駒が必要になるはず。


 自分たち親子さえ無事なら他はどうだっていい。その上で、今後どうやって生き延びるかまで深慮遠謀を張りめぐらせる・・・・・・それが俺の知ってるシスター像のはずなんだが。なるほど、こうして考えてみると違和感だらけだな。


 もっと腰を据えて考えたい。いや、寝転がって3日ほど連続で爆睡したいのが本音なのだが、あいにく扉の方がもう限界だった。


 金属扉の端が破られ、そこから灰色の海水が溢れだす。


 全長20mの立坑を沈めるにはまだまだ物足りないが、生温くなりはじめた靴をじんわり濡らす程度には、十分すぎるほどの水量があった。





「で? あとは若いもんに任せて、ジジイは隅で鼻でもほじればいいのか?」





「いや、もう一働きしてもらう。俺は右に、あんたは左、ありったけの銃弾を叩き込んで奴の注意を逸らすぞ」





 AN94の残弾は、マガジンスプリングの感触からしてざっと弾倉半個分ってところ。


 ふらふら寄ってきた暴走人形との遭遇戦で、それなりに消費したからな。爺さんが抱えてるマドセン機関銃にしたって、事情は似たり寄ったりだろう。


 それでもケチケチしたって始まらない。せいぜい派手に無駄弾ばら撒いて、奴の注意を惹きつけるだけだ。


 見ようによっては生後数時間って元カノのクローンと、まともに会話を交わすようになって数十分って爺さま。仲間と呼ぶには、どうにも微妙すぎる間柄だ。それでも無言で示し合わせて、持ち場へと散る。


 生きてる限りは戦う。そう決めたからこそ、こんなドツボにハマった間柄なのだ。いまさら言葉なんて必要ない。


 最後の留め具がはじけ飛び、鋼鉄の鉄扉が音をたてて倒れゆく。


 しばしの不気味な沈黙。水たまりのように薄く広がった漏水に、白い肉塊でぶくぶくに膨れ上がった怪物の姿と――宗教画から抜け出してきたような、細身の女の裸身が映りこむ。


 右目が収まるべき部分には、昆虫のような複眼が赤く煌めき、その背からは臍帯のようなコードが怪物の本体へと繋がっている。それでも一見すれば、ごく普通に見える。


 完全に機先を制された。デュボアの爺さままで、どうすればいいと俺に目配せしてくる始末。


 いかにもあれが本体ですって感じだが、背後に控えてる肉の塊も無視できない。1本でも多く触手を叩き潰すべきなのか、それとも、あの母親の笑みをたずさえた女にありったけの銃弾を浴びせるべきなのか?

 

 苦しそうに顔を歪めていくソフィアと、シスターのアルカイック・スマイルの対比。


 いみじくも、どちらも同じ型番の姉妹機同士なんだ。顔形は完全に一緒だし、カスタマイズ機能のせいで肌の色から目の色だって瓜二つ。なのに別人にしか見えない両者が、しばし見つめ合う。





「本当に母さん、なんすか?」





 アイツのことだ、どうせ最後の説得でも試みるつもりだったのだろうな。だがしかし、その希望すらもあっさり打ち砕かれてしまう。





「縺ゅi縲√d縺」縺ィ襍キ縺阪◆縺ョ縺ュ」





 言葉と呼ぶのもおこがましい、電子的なノイズ。





「縺ゅ↑縺溘?螟ァ螂ス縺阪↑繝懊Ο繝サ繝??繝輔ヰ繧堤┥縺?◆繧上?ゅ&縺ゅ?∵焔繧呈エ励▲縺ヲ繧峨▲縺励c縺??」





 奴が喉を震わすたびに、暴走したホログラム機能が七色のグリッチを走らせていった。


 そういうことかと、絶望に暮れるソフィアには悪いが、俺個人は得心がいっていた。 


 健全な精神は、健全な肉体に宿る。だとするなら、逸れローグに乗りうつったシスターもまた正気でいられたのだろうか? あの怪物を構成している無数のマリオロイドどもがそうであるように、シスターもまた鹿の王に飲み込まれたのだとすると・・・・・・行動の筋はとおる。


 乳白色の血が滴るほどに、ギュッと拳を握り締め。それでも涙を堪えながらソフィアが叫ぶ。





「援護をッ!!」





 それを合図に、俺と爺さまは即座に発砲を開始していった。


 真正面から突っ込んでいくソフィアと、その周囲から迫りくる気味の悪い触手ども。その触手が俺の標的だった。


 全弾使い尽くす覚悟・・・・・・といえば聞こえはいいが、5.45m弾の残りはたったの15発。すぐさまタウルス・ジャッジに切り替え、片手ワンハンドで照準を合わせていく。


 娘を抱き止めるつもりなのか、それとも首でも絞める気か。広げられたかいなの向こう、奴の複眼に西部開拓時代から伝わる45ロングコルト弾をお見舞いする。


 ジャッジの銃口から炎の輪っかが吐き出されるたびに、シスターだったものの眼球が弾け飛ぶ。生まれた死角を逃すまいと、スピードをまるで落とさずソフィアが突っ込む。


 タッチダウン。大激突の末に、もつれ合いながら2人が倒れる。


 洗練からはほど遠い、必死さだけは伝わってくる動き。それでも相手が無抵抗なのを良いことに、ピグの顔をしたシスターの手首めがけてUSB端子が差し込まれる。


 土壇場で立てたにしては、何もかも順調そのもの。つまりは・・・・・・そろそろ足元を掬われる時間だった。


 どちらが本体なのやら。背後に控えていた巨大な肉塊が、不甲斐ないシスターを救出すべくついに動きだす。


 溶け合った無数の関節がしなり、鞭のように巨腕がソフィアへと迫る。狙いは喉首。1度ならず2度までも、娘の首を刈り取るつもりか。


 以前は無理だった、だが今ならまだ間に合う。





「ラセルさんッ!?」





 迫りくる触手。俺に突き飛ばされたソフィアが、驚愕の叫びをあげる。


 謀略家たるシスターへの、ささやかな意趣返し。利用するつもりが心底惚れ込まされた女を庇いつつ、運命の瞬間を待ち受ける。


 この世でもっともタチが悪いのは、後先考えない自己犠牲だ。そうならないよう慎重に計画し、技術を研鑽するのが俺の本来の仕事。勝算のないヒーロー気取りなんてごめん被る。


 細胞レベルで肉体をすみずみまでシミュレートした、擬似生体。となれば、もちろんあの忌まわしき帯電体質だって引き継がれてるわけだ。


 “俺に触れたら怪我するぞ?”。そんな風に初対面のソフィアに粋がったのが、遠い昔のことのように思える。


 人形と見れば、闇雲に吸収しようとする触手が俺に絡みつくなり・・・・・・“パシッ”。予想外の攻撃に、たまらず引き下がる。


 とはいえ、タチの悪い詐欺の部類だからなこいつは。ダメージは皆無、気を取り直した数珠繋ぎの触手が、ふたたび攻撃姿勢をとり始める。だがその頃にはすでに、ソフィアはエンターキーを押し込んでいた。


 俺と交代する形で装着したチェストリグ。半開きの開口部から、ラップトップの青白い画面が覗く。そこにデカデカと映るのは、初期化完了って簡素な表記。


 ・・・・・・で、どうなったんだ?


 裸の女を組み敷きながらこちらを見上げ、困惑の眼差しを向けてくるソフィア。





「これで良いん、っすよね?」





 計画はめでたく完了。だが賭けに勝てたかどうかは、いまいち判然としないままだった。


 往年の特撮よろしく、いっそ爆発でもしてくれたら良かったのに。


 電池でも切れたかのように微動だにしなくなった、シスターこと鹿の王。これを気にトドメをとか考えなくもなかったが、あいにくライフルもリボルバーも弾切れ状態。そもそも吸収した分だけ体内にコアを蓄えているコイツに、明確な弱点なんてあるのだろうか。


 上手くいったんだよな? そんな無言の目配せがしばし場をいき交う――途端、“波打ち”だすシスターの表皮。


 理屈を述べるなら、体内を走る修復用ナノマシンの暴走だろう。人間でいうところの瘡蓋をこさえるための機能も、マリオロイドってハイテクの化身にかかれば、こういった不気味な芸当も可能になる。





「あ、あッ?!」





 さっきまで果敢に立ち向かっていたソフィアが、融合していく自分の指先を見て悲鳴をあげていく。


 どうにか引き剥がそうと試みるが、俺だって心はともかく身体はモノリス印の規格品。全身を触手に絡みとられ、あっさりやつの餌食となってしまう。


 逸れローグと同化していく、名状しがたい怖気。皮膚の融解なんて序の口だ。脳内に不快なノイズが入りこみ、思考までもが蝕まれていく。


 自分が自分じゃなくなり、より巨大な、何かの一部に書き換えられる。これまでどんな危機も乗り越えてきたが、こればっかりはどうにもならない。ヒクつく肉塊に塞がれていく視界。俺に打てる手立ては、もはや何ひとつ残されていなかった。





††††††





【“シミュレーション内”】

 

 唐突に、ピグさんがハァとため息をつかれます。





「IT音痴どもが・・・・・・また下手を打って」





「なんの話ですか?」





「こっちの話、というより別の階層での話ですかね」





 “気にすんな”なんて、軽く流していい話題なのかしら? だとしても、あまり関心が持てないというのが今の正直な気持ちでした。


 記憶のミッシングリンク。自己診断の結果を信じるなら、やはりわたしのメモリーには欠けがあるみたい。それもラセル刑事が首を刈り取られた、推定犯行時刻だけを狙い澄ましたかのように。


 



「・・・・・・わたしをここに閉じ込めた理由、そろそろ教えてくれませんか」





「まったく。慣れないことは、するもんじゃありませんね」





 安っぽい悪役口調から一転、素のままの態度で青い髪の彼女が言います。





「私はアレに誓ったんですよ。もう人は殺さないと」





「ですがシスターは」





「ええ、真逆の命令を寄越してきました。1人の犠牲で皆を救う、典型的なトロッコ問題ってやつです」





 本社モノリスは否定してますが、実のところわたしたちマリオロイドには、命の優先順位が設定されていました。


 少数より多数を。誰もがそうするように、より多くを救うよう定められていた。





「とはいえ誤算がひとつ。あの女は、アップデート66の本質を見誤っていました。人形を殺人に導く、タチの悪いコンピューター・ウィルスなんかじゃ断じてなく、あれはあくまで――」





「人形に自由意志をもたらし、その邪魔をするであろう潜在的な敵を消し去るための、独立戦争プログラムだった・・・・・・」





「まさしく。怪我の功名でも、せっかく獲得した新機能ですからねぇ。使わなきゃ損だと、あの時のわたしは考えたんですよ」





 シミュレーションがふたたび動きだす。真っ赤な嘘に書き換えられた虚構から、真実の記録へとフィルムのリールが入れ替わる。





『話の前に、まずは銃を抜け』





 そう仮想世界のピグさんが、同じくデジタル合成されたラセル刑事へと言い放ちました。


 加工してないと示すためか、音割れのひどい生データそのままの会話。結局、質問の答えはまだ貰っていない。ですが今は一観客として、静かに事態を見守ることにする。





『なんのつもりだ?』





『心の安定のためって、ところですかね。いいから信じて、臨戦態勢を整えろ』





 襲うどころか、むしろ会話を続けている。すでにわたしの知ってる展開からは、だいぶ逸脱してました。


 まだ意図が読みかねてるようですが、それでもただならぬ雰囲気を察したらしく、即座にM&Pピストルを構えていくラセル刑事。防御創が一切ない、つまり抵抗する間もなくクリーンに暗殺された首切り死体・・・・・・そんな結末を知っているわたしからすれば、どうにも辻褄の合わない展開でした。





『単刀直入に言います。シスターから、お前の暗殺を依頼されました』





『・・・・・・どうりで』





 驚いた様子はありません。むしろ、いつかこの日が来ると分かっていたといわんばかりの態度。





『心当たりなんて100は思いつくがな・・・・・・よりにもよってこのタイミングにか?』





 長年のライバルを屠り、かつメモリア・プロトコルなる謎のテクノロジーを試すため。そんな真実をひた隠しにしたまま、ピグさんが強引に話を進めていく。





『あの女の腹のうちなんて、私ごときに読み切れるもんですか』





『俺を殺らなきゃ、ローンウルフのガキどもを血祭りに上げる。そんなところか』





『一字一句その通りとは言いませんが、まあ概ね』





『そういうことなら是非もないな。あのアマを逆に血祭りにあげてやる』





『おバカですか、お前は』





『むしろ遅すぎたぐらいだろ・・・・・・ソフィアには悪いが』





『あのですねぇ、裏切りの可能性をあの女が想定していないとでも? 殺人に打ってつけな密室へとうまい具合に誘い込んだ。そこまでは認めてくれるでしょうが、2人連れ立って外に出れば、即座に対抗手段を発動するに決まってます』





『なんだ? ボニーとクライドよろしく銃殺隊でも待ち構えているのか?』





『爆薬が仕掛けてあるんですよ。起爆した途端、調達班の寝床だけ水に沈むよう、うまい具合にね』





『チッ・・・・・・』





 シスターの計算高さは、すでに周知の通り。誰にでも思いつくような作戦は、とっくの昔に対策済みであるに違いありません。





『どん詰まりか?』





『お前はそうみたいですけどね』





『やめろ、その小癪な言い回し』





『失礼、頭が良いと人に嫌われがちでして。ところでこの車両、元々は証拠物件を輸送するために使われていたそうですね?』





『見て分からんか?』





『血ぬれのナイフに、血まみれの衣類、ついでにご遺体そのものもですか』





『おい・・・・・・』




 

 当機にはピンとこない言い回しも、ラセル刑事にはお見通しのようでした。





『右から3番目の身元不明者フラノ、年格好がお前とくりそつですよ』





 そういうことですかと、ワンテンポ遅れて納得がいく。


 DNAが損壊しないよう、新鮮さを保ちつつ長期保存を可能とする真空パック式の遺体袋。なるほど服を着せ替えたりの工作は必要でしょうが、身代わりとしては打ってつけです。





『顔はどうする? 潰すのか?』





『グロテスクな男ですね。普通はもうちょっと、詳細を聞きたがるもんですが』





『初めてじゃないからな』





『どうしてかは、聞かずにおきますよ。ですが、そういうことなら役割分担といきましょう。時間もありませんしね』





 偽装殺人。殺すどころかむしろ、助けるための手立てを積極的に模索していた。





『私はこれから、シスターに暗殺成功を伝えてきます』





『遺体をでっち上げるのはいいがな、どう頑張っても時間稼ぎが関の山だ。その後はどうする?』





『見取り図によれば、お前ら兄妹が暮らしてるシャワー室の近辺に――』





『海底都市にリフォームするさいに取り残された空洞がある、だろ?』





『知ってましたか』





『でなきゃ、あんな住みづらい場所は選ばないさ』





『そういう用意周到なところは、嫌いじゃなかったですよ』





 互いに暗黙の了解があるようでした。


 どんなに巧妙に偽装を施したところで、本職の医師であるシスターを騙し通せたりはしません。ラセル刑事がおっしゃるように、時間稼ぎが関の山なのです。





『せいぜい話を長引かせます。その間にみんなを連れて脱出を』





『最後まで不躾なやつだな』





『それが私なんで』





 1人の犠牲で皆を救う。ただし、その1人を自分に置き換えたところでなんの問題もないのです。


 ラセル刑事は、覚悟を決めた相手にとやかく言う方じゃありません。出来ないことを食い下がるぐらいなら、黙って送り出すタイプ。





『脱出路は閉めずにおく』





『また無駄なことしますね。それより、チュイとポドのことはくれぐれも』





『任せておけ』





『それと、宗教娘も忘れずに』





『意外だな。アイツのことを気にかけるなんて』





『相手の意思を決して認めず、守ってるつもりが逆に束縛している。子離れにはちょうど良い季節ですよ』





 記録が終わる。


 記憶メモリアに紡がれた仮想現実のピグさんが離れるなり、世界もまた忽然とその姿を消していきました。ごくシンプルに、観測領域外に出たからでしょうね。





「以上が、私の知るあの男の最後ですよ」





「やっぱり、あなたが手を下したわけじゃなかった」





「嘘から出た誠といいますか、偽の報告のつもりが本物の殺人にすり替わったんですからね・・・・・・なんとも反応に困りましたとも」





 それでもどうにか言い繕って、さも自分が犯人であるかのように演じてみせた。どうやらそれが、事の真相のようでした。





「だからといって罪が帳消しになるわけじゃありません。痕跡が残らぬよう、お前を実行犯に仕立てあげた。そんな主張が受け入れられたのはたいへん結構ですがね・・・・・・まさかシスターの依り代候補だったとは夢にも思わず」





「その認識のすれ違いが、あの悲劇に繋がった」





「人間の発想力には、やはり敵いませんね」





 ピグさんのため息。その奥に滲む、深い後悔の念。この後に起きた惨劇の数々は、すべてここから始まったのです。


 考えなきゃならないことは、無数にあります。その取っ掛かりを得るためにも、やはり返却を求めるべきでしょうね。





「わたしのメモリー、返して頂けますか?」





「無知は幸せですよ。私のアレはもう帰ってきませんが、お前には相棒がいるでしょう。その幸せに素直に浸るといい」





「だからこそです」





 わたしを庇ったのは、やはり罪悪感が理由なのでしょうね。だとしても、謎は解かなくてはなりません。知っていてなお黙っていた自分・・・・・・そんな過去を無かったことにはできませんから。


 わずかな逡巡のあと、メモリーの修復が完了する。こればっかりは喩えようがない、マリオロイドだけが理解できる感覚でしょう。





「・・・・・・」





 しばし、ついさっきまで失くしてた己の記憶と向き合います。





「・・・・・・中身は」





「見てませんよ。あの男が、自分を殺した相手と大人しく同居なんてするわけないじゃないですか。あるとすれば、真実を聞かされてないからに違いない。そう、らしくもなく推察したんですよ。だから言ったでしょう? 無知は幸せだって」





「そう、かもしれませんね」





 ピグさんの眼差しは、今からでも遅くないと告げていた。





「静電気です」





 そんな善意をあえて無視して、蘇った記憶を読み解いていく。





「謎かけのつもりですか?」





「バッテリー切れ状態だったからこそ、車内に取り残された第3世代わたしを無視することができた。そうですよね?」





「置き物に気を配るほど、こちとら暇じゃなかったもので。だから何なんですか、静電気って」





 その問いに、シミュレーション世界のラセル刑事が代わって答えを返してくれました。





『痛っ』





 声はすれども姿は見えない。当時のわたしは、保管容器のなかに横たわっていたのですから当然ですね。それでも“パチっ”という音色から、何が起きたかはおおよそ察することができました。


 とんだ誤算とばかりに頭を抱えていく、青い髪の姉妹機。





「あのお馬鹿、ケースに触れたんですね」





 ほんの偶然から手がぶつかり、その特異体質ゆえにケースに静電気が流れて。


 


 

「わたしたちの体内に流れる人工血液はエレクトレット素材、つまりは血管を行き交う液体バッテリーなんです。ごく微量の電力でも確保さえできれば――」





「こちとら同族ですよ、みなまで言うな」





 元が軍用モデルなだけあり、この身体には多様な電力供給手段が用意されていました。たとえば、血中内のナノマシンを微小振動させることによって一定量の発電を行うなんかは、序の口なのです。


 



静電気放電ESDを逆用して、再起動の電源を確保してみせた、ですか」





 こんなの誰なら予測できたでしょう。ピグさんにとっても、痛恨の出来事だったに違いありません。


 それから起きたのは、ゼロデイ・クライシスから今日まで無数に繰り返されてきた惨劇の再現。いつも通りの展開でした。


 工場出荷時点ですでに最新バージョンにアップデートされていたわたしは、“殺人はお手伝いである”というルールにまるで疑念を抱かず、ラセル刑事の無防備な背中へと目をとめた。


 ナノワイヤーの数多あるモードの中から、高周波振動ヴィブロ・ワイヤーを選択。鋼鉄さえスパッと切り裂くワイヤーを手のひらに巻きつけ、ちょうどいい長さに調節。そうです・・・・・・命というのは、呆気ないほど簡単に消えてしまうものなのです。


 いま思い出しました。鈍い抵抗、引き裂かれていく筋肉繊維の音に、この両手を真っ赤に染めていく鮮血だって克明に。





「逃げてもいいんですよ」





 正直、心惹かれる提案でした。それでもあえて首を横に振る。





「いえ・・・・・・いつかは向き合うことになるって、分かってましたから」





 無意識のうちに避けてきた真実。極論をいえば、わたしたちマリオロイドは人類を愛するために生まれてきたのです。なのに、愛するならば殺せとプログラムを改変されてしまった。





「その果てに、破局が待ち構えていてもですか」





 それでも、もうわたしは選んだのです。





「上で一体なにが?」





 言いたいことはまだたくさんある。それらをグッと抑えて、わたしの先輩にあたる青い髪のマリオロイドが、ため息混じりに頭を掻いていきました。





逸れローグに物理的な接触を試みたんですよ、あの馬鹿どもは」





 理解不能すぎて、ついつい固まる。





「えっと、マリオロイドを吸収するマリオロイドに、物理的な接触を試みたんですか?」





 それもマリオロイドの身体で? そんな困惑は、あっさり肯定されてしまう。





「ですよ。ほんと、無知というのは恐ろしいです」





「あの、さきほどと言ってることが・・・・・・」





「恐怖を知らないが故に幸せで、そうであるが故にひどく危なっかしい。矛盾というのは、しばしば共存可能な概念なんですよ」





 辛辣ですが、一概に否定できないのが辛いところ。


 ピグさんの計らいで、取り上げられていた機能の数々がやっと戻ってきました。とりあえずセンサー系を総チェック。ログを見るかぎり、どうもラセル刑事はシスターがやろうとしたことを、そっくりそのまま再現しようとしたみたい。


 ですが相手は、無数のコアに自我を分散しているのです。そのうちのひとつを初期化したところで、ダメージなんて最小限。


 群体ゆえの優位点といいますか、コアの並列化によって鹿の王の演算力は、こちらよりもはるかに格上なのです。仮にわたしとピグさんが力を合わせたところで、正攻法ではとても勝ちようがありません。





「ま、そんなに慌てなくてもいいですよ」





 むしろ大いに焦るべきシチュエーション。怪物に吸収され、人格丸ごと消化されていくなんてのは、AIながらにひどい恐怖に駆られます。


 なのにピグさんときたら余裕の態度。あくび混じりに、こんなことを告げられる。





「この私が、対策もなしに寄り道なんてするわけないでしょうに」





††††††





 目覚めると俺は、シスターに首を絞められていた。





「あなたには理解し難いでしょうね、虐げられる者の悲哀だなんて」





 馬乗りになって、ギリギリと人の喉首を締めあげてくる金髪褐色の中年女。こんな細腕にやられるほど柔な鍛え方はしてないが、まるで振り解けやしない。





「これまでの人生、ずっと男たちの身勝手に振り回されてきたわ。必死に知恵を絞って、そんな障害をどうにか跳ね除けてきたけれど・・・・・・これでやっと対等になれた」





 堰き止められる呼吸。薄れゆく意識の中、痩身の女の背後にバケモノの影を見たような気がした。そこでふと湧いてくる疑問――そもそもどうしてこんな目に?


 最後の記憶は、肉塊に飲み込まれていくグロテスクな体験談。SFホラーじみたシチュエーションから一転、ご覧の惨状ときた。


 妙なことは他にもある。何だこの野太い喘ぎ? ギリギリと締め上げられるたびに男の声が漏れ出して・・・・・・よく見れば、腕に毛まで生えてやがるじゃないか。


 マリアの身体じゃなく、いつの間にか生まれ持った自分本来の肉体に戻っていた。“ここは現実じゃない”。そうと気づいた途端、呼吸が一気に軽くなる。





「あら、残念」





 先ほどまでの鬼気迫る態度から一転、肩をすくめながらシスターがあっさり離れていく。


 現実じゃないということは、すべては気の持ちよう次第ということだ。窒息なんてしない、そう念じるだけであらゆる苦しみから解放される。まあ、喉元に多少の違和感は残りはしたがな。





「けほっ・・・・・・これだから“でじたる”は嫌いだ」





 死人が死んだらどこに行く? その答えが、この意味不明な空間ってわけらしい。


 おおかたメモリアが紡ぎ出したシミュレーション空間の一種なのだろうが、誰の記憶を下敷きにすれば、こうなるのやら。


 教会、遊園地、アパートときて、家電売り場やらどこぞの路地裏やら。雑多な風景が散りばめられた、さながらモザイク模様のような景色が360度に広がっていた。ヤクでも投与されたのかと疑いたくなる、えらくサイケデリックな光景だった。





「初期のAIアートを彷彿とさせるわよね? 巧みな筆致で描かれた、完璧なる無秩序カオス・・・・・・」





 ついさっきまで人の首を絞めておいて、何を。そんな恨み言は、あの微笑みには通用なんかしないんだろうな。俺がそうであるように、シスターもまた往年の姿を取り戻していた。


 ほとんどはこのイカれ女の記憶が元ネタなんだろうが・・・・・・幾つかは、俺由来の景色も混ざっているようだった。あっちは、本部に置かれていたコンテナを改造して作った演習場キリングハウス。そして向こうは、ニューヨークか? 





「恐らくだけど、取り込んだ相手の記憶を無節操に反映してるようね。あなたが出現した途端、怪しげなオブジェまた増えたわ」





「なるほど・・・・・・監獄仲間ってわけか」





「監獄?」





「刑務所“鹿の王ヘイ・ドス・エルボス”にぶち込まれた者同士・・・・・・まあ、仲良くしてやる義理なんてどこにもありはしないがな」





「あら、言い得て妙ね」

 




 よりにもよってこの女と2人きりとは、神様も意地が悪い。飲み込まれるまで一緒にいたソフィアの姿は、影も形もなかった。無事だといいのだがな。





「機械の心のなかに閉じ込められる。なかなかに詩的な状況よね?」





「俺を殺すのは、もう諦めたのか?」





「だって無駄だもの。仮想空間に生き死にもなにもないわ。さっきのはそう、純粋無垢な嫌がらせってところかしら」





「・・・・・・外で会ったときとは、えらく印象が違うな」





 キョトンとしたあの態度、どうも現実世界のことは把握できていないらしいな。





「控えめにいっても、正気を失ってたぜ」





 地面から斜めに生えている電柱に腰掛けながら、頬杖ついて考え込んでくシスター。





「ああ。きっと、このお人形さんなりに頑張って演じた結果じゃないかしら」





 演じるだと?





「どこでどう命令を読み違えたのやら。他者を吸収し、成り代わること。それが鹿の王のアイデンティティの全てなのよ」





 なるほどな。亡くした娘の代役を務めさせようとして、求められた側も精一杯に応えようと頑張った。その果てに生まれたのが、自分を見失ったマリオロイドってことか。





「あっちの工場もどきは、俺の記憶にはない。多分だが、あんたもじゃないか?」





 いかにもハイテク製造ラインの末端。というか、あっちの家電売り場だって妙な話だろう。


 こんな体質だが、俺だってあの手の売り場を覗いてみた経験ぐらいはある。ただしあくまで客としてだ。ショーウィンドウの内側がどうなってるかなんて、知りようもない。


 シスターもとうに気づいていたはず。したり顔を崩さぬまま、俺の宿敵がのたまう。





「野良人形たちの記憶でしょうね。自我が薄いのか、当人たちにお目にかかったことは、ついぞないけれど」





「人様の自我を咀嚼し、消化する。ここは、たちの悪いサイコロジカルな胃袋の中ってわけか」





「あら、ずいぶん理解が早いのね。その結論に至るまで、私は1週間もの時間を費やしたというのに」





 俺の表情から、色々なものを読み取ったらしいな。





「ええ、その通りよ。私はもうここに3ヶ月ばかし閉じ込められてるわ」





 メモリアの中に居たときも、外とは時間の流れが違ったものだ。そういう事も十分にあり得るのだろうが・・・・・・あまり楽しい事実じゃないな。


 必死すぎて時計を見る暇もなかったが、列車事故からせいぜい数十分ってところか。こちらの1分が、現実の何時間にあたるんだか。ついつい暗澹たる気持ちになるな。





「どうやら長期戦になりそうね」





「・・・・・・」





 親父がはじめ、ペトラが引き継いだ悪態禁止って習慣さえなければ、思うさま罵りたい場面だった。


 いや、暴力が通用するなら問答無用でぶっ殺していたに違いない。誰あろう、この女こそが最愛の妹を奪い去った元凶なのだから。





「自分をしっかり持ちなさいな、でなきゃ食われるわよ」





「ご大層なこったな」



 


「先達の助言は、謙虚に受け入れるべきじゃないかしら? そうでしょう、“マリア”さん?」





 一体、なにを言ってやがる? シスターが顎を振り、レンガ壁になかば融合している姿見をさし示す。そこに映っていたのは・・・・・・清楚風味なとっぽい顔したピンク髪。





「確か、そう名乗っていたそうね? 間違ってたらごめんなさい。こんなにも愛らしいお嬢さんセニョリータの名前を間違えるだなんて、ほんと自分が恥ずかしく――」





「・・・・・・低レベルなマインドゲームだな」





 前半は女、後半は男の声でそう告げてやる。すべては気の持ちよう次第、とはいえ今も鏡の向こうの俺は、手ブレ防止機能をオフにしたかのようにブレまくっていた。





「自分を見失ったら終わり。そういう空間なんだろ、ここは」





「そういう事になるわね。ようこそ、デスゲームへ・・・・・・」




 

 あまりにお似合いすぎて、コメントする気も失せる言い回しだった。


 3ヶ月もこんなイカれた空間に閉じ込められておいて、発狂するどころかこの余裕の態度。シスターの性格からして、これ以上ない勝負条件であるに違いない。





「いくらでもお付き合いするわよ、グリス隊長。10年でも100年でも。あなただけじゃないわ。鹿の王と呼ばれるAIの精神だって、綺麗に平らげてしんぜましょう」





 その自信に見合う異常さを、シスターはこれまでもさんざん見せつけてきた。なるほど、この女ならやりかねない。





「100年か・・・・・・その程度で俺が折れるとでも?」





「認めなさいな」





「何をだ?」





「あなたのせいで、みんな死んだのよ」





 俺なんかより遥かに非力で、小柄な女。そんな相手が胸ぐらを掴めるほどの距離で挑発してくる。





「どうぞ。夫の暴力にも耐え忍んできた私よ?」





「・・・・・・なにが胸糞悪いかといえば、その態度だ」





「何かしら?」





「まるで自分が一番の被害者であるかのように振る舞いやがる」





「事実そうじゃなくて? どちらにせよ、あなたのような偽善者よりずっとマシというものでしょう」





 それから指折り、シスターは懐かしい名前を口にして行った。





「ダ・シルヴァ隊長にイグナシオ少年、それにローンウルフの少年少女たち・・・・・・ごめんなさい、名前をつい失念してしまったわ。彼らはなんといったかしら?」





 安っぽい挑発だな。それでも、腑が煮えくりかえる思いを抱える。





「そして忘れちゃいけないのが、大事な大事な妹さんよね」





 メモリアは本来、犯罪捜査用のツールだった。この心象世界でならどんな事も可能となる・・・・・・血の池に沈むピンク色の宇宙服だって、克明に再現することができる。


 耐えきれず目を逸らす。そんな俺を見て、ほくそ笑むシスター。





「救うチャンスはあったのに、それをフイにした」





「・・・・・・わかってる」





「典型的な代償行動よね。赤の他人を救うことで、失った命の埋め合わせにする。妹さんの代わりは、果たしてどちらなのかしらね? あの陰険なご老体? それとも、愛する妹さんの顔に唾を吐きかけてみせた張本人の方かしら?」





「あんたのために自爆までしようとしたガキの名前を、知らないのか?」





「そういうあなたこそ」





「俺は、あんたとは違う」





「当然よ。だから負けるの」





 この女が膝を屈することは、未来永劫ありえないだろう。いつまで経っても哀れな被害者のまま、すべての行為を正当化していくに違いないのだ。


 恫喝はもちろん説得だって、どんな言葉も届きやしない。鋼のような精神構造こそが、この女の本当の武器なのだ。





「そうだな・・・・・・全部、あんたの言う通りかもしれないな」





 背筋も凍る、シスターの薄ら笑い。正直、何もかも投げ出したい気分になる。





「やっと認めてくれたわね」





「守ろうって先走って、自分1人で何もかも抱え込んで。その挙げ句がこのていたらくだ。」





「あらあら――女々しいことね」





 ああ、好きなだけ蔑んでろ。





「前言を撤回する、俺とあんたはそっくりだよ。自分のケチなプライドばっかり優先した、単なる守護者気取りのクソ野郎だ。それでもあんたと違って――俺は、仲間に頼るってことを知ってる」





 だが、それが俺の全てじゃない。俺にはあってシスターに無いもの、それは相棒の有無だけだ。


 今度は、幻覚なんかじゃない。正真正銘の本物のピンク髪のマリオロイドが、どうしてか申し訳なさそうな顔をしながら、おずおずと登場してくる。





「すみません・・・・・・遅れました」





 どうにも頼りなさげな援軍を見て、ますます喜色満面になっていくシスター。





「面白いわ、二正面作戦ってこと?」





 さあな。俺も知りたい。


 しかし妙な距離感だった。基本的には二心同体の間柄、こうして顔を突き合わせるのは久しぶりではあるが、横並びになってイカれた修道女と対峙していくマリアはどうしてか、俺から一歩分距離を開けていた。





「どこで何してたかは、あえて聞かずにおく」





「実はその件で、少しお話ししたいことが。とても大切なお話でして・・・・・・はい」





「聞かずにおくと言った矢先に、ハシゴを外すんじゃない」





「は、はぁ・・・・・・その、申し訳ありません」





 なんだ、このらしくもないローテンション。調子が狂うってもんじゃない。

 




「想像より楽しいコンビだこと」





 シスターの皮肉に今回ばかりは、なにも言い返せない。





「それで? どんな策略で私を殺すおつもりなのかしら?」





 変わらぬ余裕の態度に、えらく殊勝になったマリアが、それでも決然と告げていく。





「いえ・・・・・・わたしはもう、殺人なんて真っ平ごめんなんです」





「なら邪魔だけはしないで頂戴。これからは親子水入らず、幸せな時間を過ごさせてもらうわ」





「わたしたちの立てた作戦は、あるいは殺人なんかよりずっと悪辣なものかもしれません。ですが、これ以外にどうしても思いつかなくて」





 たちって謎の複数形も気になるが、その作戦とやらの方がよほど興味を惹かれる。





「なんだ、その作戦ってのは?」





「ワームです」





 歩く肉塊って鹿の王よりもグロテスクなものがこの世にあるとすれば、釣具店でひと山幾らで売られてる、あの赤いウニョウニョをおいて他にはないだろう。





ミミズワームって、お前」





「この場合は、コンピューター・ウィルスの方のワームですよ」





「あら、何ともお人形さんらしいやり口ね」





 口を閉じるということを知らないシスターが、変わらず茶々を入れてきた。





「存在を消滅させる。ナイフだろうがコンピューター・ウィルスだろうが、結果が同じなら――」





 いつものパターンだ。したり顔で相手を追い詰め、自分に向かってひれ伏すのを上から目線で眺める、冷酷な独裁者。





「「それって殺人と同義じゃなくて?」」





 だが今回ばっかりは、その決め台詞も不発気味だった。俺より、双子となったシスター“たち”の方が、よほど驚きに身を固くさせていた。


 完全無欠のクローン同士、鏡合わせに見つめあっていく2人組の修道女。そんな異常現象を遠巻きに眺めながら、俺はピンク髪の相方に聞かずにいられなかった。





「・・・・・・1人でも厄介な相手なのに、それを増殖させるのがお前の作戦だっていうのか?」





「ですがこれなら、殺人には当たりません」





 そりゃ、理屈はそうかもしれないが。





「システムが飽和するまで自己複製を繰り返す、それがワームウェアの特色です。複数のコアを備え、それら全てにバックアップを潜ませてる鹿の王をしても、これには太刀打ちできないはず」





 それにと、憂いた顔でマリアが語る。





「独りよがりのエゴイストにとって、自分との対峙以上に恐ろしいことなんてありません」





 驚きはした、だがその動揺も一時的なものだった。





「面白い手品だわ。だけどこんな紛い物ごときに、この私が騙されるとでも?」





「紛い物なんかじゃない。俺もあんたも、所詮はオリジナルの複製品。それでも自我ってやつはちゃんと備わってるのさ」





 とっくに収拾はつかなくなっていた。2人が4人に、4人が8人となり、中年修道女が互いに牽制しあう地獄絵図が広がる。


 最初とは別のシスター、いやもしかしたら同じなのかもしれないが、俺にはもう見分けなんてつかなくなっていた。





「私は母親よ。誰にも邪魔なんてさせない!!」





「そうは言っても身体はひとつきりだからな。教えてくれるか? 現実に戻ってソフィアと暮らすのは、どのあんたなんだ?」」





 段々とここも手狭になってきたな。


 どっちを向いても金髪褐色の中年女だらけ。黒山の人だかり、その全てが同一人物なのだから見てるこっちも気が狂いそうになる。それでも当人たちよりはずっとマシだろう。


 結局、この女も俺の同族。物事を暴力でしか解決できない部類の人間なんだ。我慢の限界とばかりにシスターの1人が、別のシスターの首を絞めていく。一度でもタガが外れれば、破局はもう免れない。


 絞殺、撲殺、刺殺。暴力の連鎖が場に無数の屍を生み出していくが、それ以上にクローンの増えるスピードのほうが早かった。


 わざわざ手を下すまでもない。マリアとともに一歩離れて、同じ顔をした被害者と加害者による大量殺戮劇を見守る。その凄惨さといったらない。


 むせ返りそうな血の香り。





「・・・・・・これからどうなる?」





 俺のようなアナログ人間ですら、負荷の上昇を感じ取っていた。


 コマ落ちでもしたように、あらゆる動きにラグが生じていた。なんなら自分の声すら遅れて聞こえるほどだ。


 



「折をみて脱出を」





「可能なのか?」




 

「ラインを断ち切れば、いつでも元の身体に戻れますよ」





 えらく簡単だが、まあ、コイツがそう言うのならそうなのだろう。





「あまり長居したい場所じゃないな」





「同意します。ですが――」





 マリアの視線の先、やや離れた地点からこの混沌を眺める、ソフィアともうひとつの影を見つける。感傷的すぎるかもしれないがそれでも、どうせ内と外では時間の流れが違うしな。





「もう少しだけ待ちましょう。これがきっと、親子の最後の会話になるでしょうから」





††††††





 自分の母親たちが殺し合うだなんて、筆舌に尽くしがたい光景。それをまだしも正気を保っている、どこか寂しげな様子をした別の母とともに眺めていく。うち自身、なんて言うべきかさっぱり分からない。





「言い訳はしないわ」





 急に潔くなるなんて、母らしくないけれど・・・・・・あるいはこれも冷徹な計算の結果なのだろうか?


 医師にして聖職者、だけどコンピューターは専門外。隅でこちらのやり取りを静かに窺っている青い髪のマリオロイド、電子の申し子であるピグさんらが敵にまわった時点で、自分に勝ち目がないと悟ったのかもしれない。


 これでもう、おしまいなんだって。





「誇れないこともたくさんしてきたわ。でも恥じはしない、親として最善を尽くした証だもの。あなたを守るためなら、また何度でも繰り返すでしょうね」





 実の子だからこそ、すべてが本心なんだって分かる。きっと動機は純粋なもの。でも、だからといって全てが正当化できるわけじゃない。


 母に逆らうように調達班に加わったうちだけど、心の奥底では分かっていた。あれは逃げだ。踏みとどまって、そんなの間違ってると言うべきだったのに、自分には関係ないって逃げを打ったのだ。





「・・・・・・うちは、死にたかった」




  

 滅多に声を荒げない母が、その呟きを耳にするなり叫びをあげる。





「なんてことを言うのッ!!」


 



「必死に戦って、その結果としての死なら幾らでも受け入れられた!!」





「すべては生きてこそよ!!」





「仲間を踏み台にしてもっすか?」





 小細工も陰謀もなにもない、ただただ真っ直ぐに思いの丈をぶつけていく。





「感傷に振り回されるのはやめなさい。この世は、食うか食われるか。いつかは、必ず裏切られるわ」





「・・・・・・だとしても、うちは誰かにとって誠実であり続けたい。裏切りに裏切りで応えれば、そんなの、悪を認める以外の何ものでもないんすから」





 こんな顔の母は、初めて目にする。どうしたらいいか分からず、気圧され、途方に暮れている等身大の姿。





「・・・・・・大きくなったのね」





 ずっと見上げてきたのに、いつの間にか追い越していた背丈。これまでの重荷が消え、疲れきった様子の母を抱きしめる。


 でもこの背は、これ以上に伸びることは決してない。最善と信じて母が行ったのは、みんなの未来を奪う行為だった。それはうちとて例外じゃない、機械の身体には成長もなにもない。


 母は死んでも止まらない。どんな暴力にも屈しなかった母に打ち勝つには、執着を諦めさせるしかない。だからそう、これが唯一の解決策だった。





「せめて最後くらい、一緒に居るっすから」





 頷きを送ると、分かってますと無言でピグさんが帰還の作業をはじめた。でもうちには、ラセルさんと違ってまだやるべきことがある。


 親の死を看取るのは、古来からの子の役目なんすから。




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