Chapter XVIII “生きてるっていうんだよ・後編”

 目覚めの瞬間はいつだって最悪なものだが、今回のはまるで、AEDで無理くり黄泉の国から引き剥がされたような気分になる。


 背中からじんわりと伝わってくる、海水の冷ややかさ。その意味を考えるまえにせっかくの浮力、まずは水の力を借りて全身にのしかかってる邪魔な触手を押しのけることにする。その拍子にパラパラとこぼれ落ちる、融合しかけた皮膚だったもの。どうにも危ういところだったらしい。


 鹿の王は、今度こそ本当にくたばったとみえる。力なく水面をただよう触手が良い証拠だ。


 だが、強敵を倒したからこれにてハッピーエンド。そうは問屋が降ろさないと、怪物という栓を失ったことで一段階増した浸水が物語ってもいた。


 ほどなくこの立坑も、旧市街がそうであるように水に沈むのだろうな。





「ソフィア?」




 

 力なく身を横たえてる怪物と、その傍らに静かに寄り添う金髪褐色娘。迫りくる海水すらお構いなしなその態度は、どこか神秘的ですらある。


 魚の卵よろしく、逸れローグの身体に連なる無数のコア群が、徐々に赤一色のエラー表示に染め上げられていく。内側から崩壊していく怪物・・・・・・まさか、その死を看取るつもりなのか?


 咄嗟に手を伸ばした俺めがけて、微笑みながら首を横にふるソフィア。らしくもない儚げな表情に、ついつい言葉が詰まる。


 理屈を越えた親子の情。そこに首を突っ込むほど、無粋にはなれない。





(ソフィアさんのことは、ピグさんに任せて!! 今はとにかく脱出を!!)





 舞い戻ってきた甘やかな脳内ボイスの言うとおり、この一瞬の間に水位は信じられないほど上昇していた。


 耳に入ってくるのは、濁流の轟音のみ。マリオロイドは例外なくカナヅチ。鉄の延べ棒を水に沈めたらどうなるか、考えるまでもない。


 灰色の汚水に腰まで浸かりながら、陰険老人とクソガキのコンビのもとへと向かう。





「ちょっとは、助けようとか考えなかったのか!?」





「手間の掛からなさは、お前さんの数少ない長所だろうに。この死に損ないめ!!」





 相変わらずフレンドリーな爺さまだな。人を見捨てておいて何をしてるのかと思えば、どうやらボブ・ザ・キャット印のダッフルバッグと格闘中であるらしい。


 宇宙飛行士用のシェルターが簡易クリーンルームとなり、最後はまさかまさかの救命ボート代わりとは。どう転ぶか分からないものだな。


 疲れ、手に力が入らなくなった老人に代わり、どうにかペトラ愛用のバブルボールをひっぱりだす。コントロールパネルから即座に膨張モードを選択。途端、限界いっぱいまで黄褐色のビニール球が膨らんでいった。


 なにせ球形、中々に手こずらされたが、それでも2人と1機が乗るには十分すぎるスペースがあった。


 すでに辺り一面、完全無欠の水没状態。なのに浸水の勢いは止まるどころか、むしろ増しているように感じられた。





「こりゃ井戸の底から抜け出すために、水を注ぎ込むようなもんだな」





 爺さまの比喩は、なるほど的確なものだった。


 あれほど遠くに感じられた青空が、おそらしくスローペースながらも徐々にこちらに迫ってきた。この調子で水かさが上がり続ければ、いずれは手が届く距離まで近づけるに違いない。


 唯一の障害物といえば、せいぜい例の横置き風車ぐらいのもの。そんな超巨大なブレードファンにしたって、AN94をパドル代わり使えば、悠々と避けられる。


 何というか、おもわぬ形で地上への脱出が叶ったわけだが、どうにも喜べやしない。


 生存者はわずか2名。精も根も尽き果てたとばかりに大の字になってる爺さまと、水面めがけて足をぶらつかせてばかりの小僧。そのどちらも死んだような目つきをしていた。


 食料ゼロ、武器弾薬もほぼ皆無、なんなら替えの下着すらない崖っぷち状態。命があるだけ御の字とはいえ、その先に待ってるのが死だけとなれば、誰が喜べる?





(・・・・・・)





「なんださっきから、意味深に黙りこくりやがって」



 


 なにせ20mはある竪穴だからな。途中で水が止まるかもしれないって最悪の可能性はひとまず置いとくにしても、満杯になるまで何時間かかるのやら。打ち明け話をするなら今をおいて他にない。


 いつものノンデリ気質はどこへやら。気まずげな態度で口ごもっていた脳内同居人が、ついに覚悟を決めたかのように話し始める。





(わ、わたしなんです・・・・・・)





「何が?」





(ラセル刑事を、その・・・・・・殺害したの)





「知ってる」


 


 

 しかしどうしたものかな。市内にいる人形の総数は? 数千か? それとも数万か? とりあえず、俺ひとりでどうにかなる規模じゃないのは明らかだろう。となれば、助けを乞うしかない。


 うまく反射させれば、鏡の光はゆうに数km先まで届く。問題は、その数km圏内に生存者のコミュニティがあるか否か。そもそも論として、鏡が手元にないって点にも気を配るべきだろう。





(あの)





「閃いた。ナノワイヤーで反射させるのはどうだ? 元から銀ピカなんだし、上手く再形成すれば鏡の代役ぐらい余裕で――」





(わ、割と衝撃的なことを口走ったつもりなんですがっ!! なんなんですかその無反応ぶりッ!!)





「うるさい」





(すみません・・・・・・)





 バカだバカだとは思っていたが、まさか正真正銘の大馬鹿野郎だったとはな。てっきりもう暗黙の了解だとばかり。





(で、ですが、なんで知って・・・・・・)





「お前な。この俺が、自分の殺害現場だけはどーしても思い出せないご都合主義的健忘症アムネジアを患ってるって、本気で信じ込んでいたのか?」





 呆気にとられて固まるピンク髪が、目に浮かぶようだ。目覚めた時点で、とっくにすべて思い出していたとも。


 指折り、当時の俺が考えていた懸案事項ってやつを告げてやる。





「助けるフリして俺の謀殺を図った、やっぱりピグ真犯人説。このパターンだと、お前はさしずめ暗殺代行ってあたりか。ハッキングはやつのお家芸だし、人をぶち殺しておいて救命処置を施したって異常性もそれなら説明がつく」





(・・・・・・)





「だが本命はズバリ、じつは逸れローグの一種説だな。訳がわからない理屈で動くのが奴らの特色。となれば、人類の味方をするピンク髪が居たっておかしくはない」





 そうやって推論をこねくり回しながら、敵か味方か冷静に見定める。こうして考えてる俺自身、かつての自分とはまったくの別物って線もあったわけだしな。結論次第では、自害も辞さない覚悟だった。


 すべては、ペトラに害を及ぼさないために。まあ結局は、杞憂に終わったわけだが。





(あえて、わたしを泳がせていた?)


 



「潜入捜査は、これが初めてじゃないんでな」





 案外、傷ついてるのかもな。人間よりも人間らしい、そのキャッチコピーに嘘はないのだと、ここ数日でさんざん思い知らされていた。





「殺人はお手伝い、だったな? それ以上の動機はないんだろ?」





(はい・・・・・・起動したての頃はまだ、アップデート66の影響下にありましたので。たまたま目の前にいたラセル刑事を、その、それがお手伝いになると本気で信じて)





 そんな事だろうと、思っていたさ。





「べつにお前の責任じゃない」





(だとしても、首を切り落とすあの感触がなくなるわけじゃありません)





「・・・・・・見つけ次第に殺す。それだけなら、よくいる凡庸な暴走人形仕草そのものだ。だがどうにもその後の行動が解せなくてな」





(その後?)





「どうして、わざわざメモリアなんて使ったんだ?」





 死体はそのまま放置して、さっさと次の場所に移るのが通常だってのに、コイツはわざわざ怪しげな裏機能を使ってまで俺の延命に乗り出した。なぜだ?





「気が付いたんだろ? アップデート66に刻まれた命令文、その矛盾点に。そして選びとった、他の誰でもない自分の意思で。そういうのをなんて言うか知ってるか?」





(・・・・・・いえ)





「生きてるっていうんだよ」





 定められた道を外れて、自らの意思を貫き通す。俺にも覚えのある生き様だった。


 だから目を瞑ったのだ。人の首を刈り取っておいてとか、恨み言をぶつけたい気持ちは無論ある。だが罪悪感から嘘をつくなんて、これ以上に人間らしい行動もないだろう。


 まあ、ずっとだんまりを決め込むようなら、こちらにも考えがあったがな・・・・・・やっぱり耐えかねたか。そういう性格なんだと知るには、十分過ぎるほどの時間をともに過ごしてきたつもりだった。





「ま、相棒なんてそんなもんだ。互いに迷惑をかけ合い、尻を拭いあう。いつまでもいらん罪悪感に惑わされてないで、いいから知恵を課せ」





 息を呑み、それから口をもごつかせて。それでもこのマリオロイドは、





(はい、お任せくださいませ!!)





 と、力強く答えていった。


 そうとも、終わった過去ごときにいつまでも拘ってはいられない。とりあえずペトラのラップトップをって・・・・・・そうか、まだソフィアのそばか。





「どうにも、あの監視映像が気になる」


 



(謎の回転翼機のことですね?)





 言うなり、俺の人工の目ん玉いっぱいに件の白黒映像を映し出していくマリア。モニター要らずとは、便利なもんだな。


 



「昔、大隊バタリオンで導入するために新型ヘリの評価試験をやってな。結局は、軍お下がりのMi-24ハインドに決まったんだが、その時にティルトローター機も候補に上がったんだ」





(乗り心地はいかがでした?)





「飛び降りる分には、どんな形状でも大差ない」





(どんな試験だったんですか・・・・・・)


 



 そんな細部なんてどうだっていい。重要なのは、航続距離が長いのはけっこうだがその代償として構造が複雑で、転じて高価になりがちなティルトローターって機材は、主に政府機関に採用されてるって点にある。





「ついでに防御力にも不安があってな。予算不足以上に、その点が足を引っ張んたんだ」





(当機はあくまで警察向け、あまり軍隊事情には詳しくないんですけど)





「ありえるとしたら偵察か、それか輸送任務だろうな」





 十中八九、後者のはず。偵察に使うにはちょっと大柄すぎるからな。それに交戦能力のある機体は、人間の統制下におくのが国際的なルール。まず間違いなく有人機であるに違いない。





(輸送、ですか。内陸に前哨基地でも作ってるのかしら? でも誰が?)





「選り好みできる状況じゃないからな。軍用装備を備えたサイコパス集団でないことを祈るのみさ。それより通信手段のほうが問題だ」





(それこそ鏡とかは?)





「あんなの飛ばしてる時点で、専門的な訓練を受けたプロなのは確定だろ。なにか光が見えたからって、気まぐれに飛行ルートを変えたりしないさ」





 いつも同じ時刻で、それも同じルートで飛んでいるってことは、捜索救難はまず間違いなく守備範囲外。そんな機体の向きを強引に変えるには、何かこう、変化球が必要になるはず。





(・・・・・・パイロット個人を説得するしかない、ということですか)





 理解が早くて助かるが、これぞ言うは易しの好例だろう。


 エベレストの山頂から南極の果てに至るまで、どこに居ようとも完全無遅延かつ絶対のセキュリティを誇るMARIO.net。新世代のインターネットとして一躍躍り出てみせたこいつは、絶対中立を謳い文句に民間だけでなく軍にまで浸透していた。


 まあ、それもゼロデイ・クライシスによって御破算となったわけだが・・・・・・なら連中は、どんな方法で通信を成立させているのか?





(なんらかの暗号規格を使ってるのは、まず間違いないでしょうね) 





 つまりは、そこらの民生用のトランシーバーを使って気軽にお話とかは、不可能ってことだな。





「ついでにこんなご時世だから、人形どもからの逆探を恐れて、無線封止ラジオ・サイレンスを敢行しててもおかしくはない」





 うっかり電波を放ったら、それを追いかけて地対空ミサイルがすっ飛んでくる。最近の戦争ではよく聞く話だ。





(説得に応じてくれるかどうかすらも不確かなのに、そもそも会話の手立てがなんて)





「ボヤいてる暇があるなら、どうにか手段を考えろ」





 ふむんと、どこか懐かしい感じで悩んでくマリア。





(ならば、レーザー通信は如何でしょう)





「レーザー通信?」





 警官にして軍人って、えらくあやふやな身分に身を落としてもう長いが、聞いたことのない装置だった。





(見通し外通信にこそ対応していませんが、電波妨害下でも問題なく使用できるという特性から、子機ドローンの指揮統制のため大々的に採用されていたものです)





 どうりで知らないわけだな。電波妨害ECMを駆使してくるギャングとか、ついぞお目にかかったことがない。





(無作為に放たれる電波と違い、ピンポイントに相手を名指しする形式ですから)





「強引に割り込めると」





(はい。もちろん受信するかどうかは、相手の判断に委ねられますけど)





 こんなもって回った手、人形が使うはずない。送信者はおそらく人間、そう簡単に察しがつくのも利点になるだろう。





「悪くないがな、肝心の送信機が手元にないぞ。お前、目からレーザーを放てたりしないのか?」





(あいにくそちらはオプション装備でして。それより、もっと良いアイデアがありますよ? 上をご覧ください)





 上って、あのさらに近づいてきた青空のことか? 呑気に流れゆく雲の狭間に、星の光とはまた違う光点が見えた。





宇宙太陽光発電システムSBSPにもまた、送電方式にレーザー光が採用されています)





「スターエナジーのことか? だがな」





(ラセル刑事のご懸念も最もです。たしかに似て非なる形式ですが、原理的には同一ですからね。小改造を施せば、十分に送信機として再利用可能なはず。そしてこのビルには、スターエナジー受電用のアンテナが備わっている)





「ちなみに何だが、工具箱も手元にないぞ?」





(この場合の改造とは、プログラム的な意味ですよ。あとは送電システムにアクセスさえできれば・・・・・・)





「ティルトローターを狙い撃ちできる、か」





(言い方は悪いですけど、その通り)





 やっと運がこっちに向いてきた、って思うたびにブレーキを踏まされてきた人生だった。どうやら今回もそうらしい。





(ですが実現性に難があります。あとは送電システムにアクセスするだけとはいえ、ハッキング対策で外部からのアクセスが極度に制限されていますからね)





「インフラ系列は、守りが固いからな」





(遠隔操作はまず不可能。やるなら、このビルのどこかにある中央管理コンピューターに直接、接続するしか手立てがありません)





「それも・・・・・・水の中を通ってか?」





 気まずげな沈黙が、そうであると告げていた。


 足元に広がるダークブルーの落とし穴。この底なし沼にダイブし、止水ジェル製の隔壁を幾つも突破した上で、どこかにあるはずの管制室までたどり着く。これぞ無理難題の生き見本だな。


 酸素については、機械の身体だからどうにでもなる。問題はやはり突破力、ただひたすら純粋な力不足の方だろう。大量の爆薬かはたまた、水中でも稼働可能なブルドーザーでもあれば。そこにふと、アイデアが舞い降りる。


 名案からは程遠い、最強というよりかは最狂というべきアイデア。それでも実現は可能なはず。





「仮に、なんだがな」



 


(はい)





「仮に――俺の精神を鹿の王に送り込んだら、やつを操作することは可能か?」





 顔も姿も見えない脳内同居人でも、絶句していくのが手に取るようにわかった。





(危険すぎます!!)





「不可能じゃなく、危険ときたか」





 一瞬の間。





(理論上は・・・・・・可能、ですけども)





 だろうともよ。シスターにやれたんだ、俺に出来ないはずがない。





(この素体はなるほど、30mまでの防水機能を有してます。しかしアクアユニットが無い以上、サルベージにはかなりの難易度を伴うはず。行ったら戻ってこれませんよ)





「後先考えていられる状況か」





(・・・・・・ピグさんに全て任せては)





「他人にリスクを押しつけて、その成果だけは自分で独占。そういうのが嫌だったからこそ、俺は警察官になったんだ」





 やるなら自分でやるさ。





(そういう事なら、当機もお付き合いします)





「馬鹿いえ。揃って抜けたら、誰がこいつらの面倒を見るんだ」





 相手は人類殲滅だけじゃ飽き足らず、この俺自身までも手にかけてみせた殺人機械。それどころか、押しかけ相棒志願なんてとんだ恥知らずでもある。


 それでも、だ。





「選んだんだろ? 誰に強いられたわけでもない、自分の意思で」





 MARIO.netとはまた別のラインでもあるのか、人形同士のネットワークから“やれやれですね”なんて、準備完了を告げる簡素なメッセージが届く。





「だったらせいぜい、それに殉じてみせろ」





 意識が薄れる。めっきり慣れてきたピンク髪から、海のものとも山のものとも知れない怪物の身のうちへと。指を鳴らすよりも早く、俺の人格だけが転送されていく――そしてわたしは気がついたのです。


 自分が、1人きりになったことを。





††††††





 仄暗い海底都市から一転、南半球の強い日差しに炙られながら、わたしたちはビルの屋上に立ち尽くしていました。


 立坑のてっぺんからは海水が吹きこぼれ、バブルボールという名の救命ボートが波間に揺れている。商業用じゃない実用本意な施設ゆえでしょう、この屋上には出入り口はおろか安全柵すら見当たらず、360度のパノラマビューがどこまでも広がっていた。





「地獄だ・・・・・・」





 だからこそ、赤い髪をした男の子はそう呟いたに違いありません。


 なんてアンバランスな光景なのでしょう。


 浮き橋製のハイウェイを行き交う数千体もの暴走人形たちは、重なるように倒れてる蛹化した遺体にまるで関心を払っていませんでした。2年前の新製品について虚しい宣伝をくり返してる電光掲示板のかたわらには、真っ黒焦げのビルディング。翼の破片からして、飛行機が市内に墜落した証拠に違いありません。


 文明のすぐ横に死が広がる、歪な光景。その極致ともいえるのが、リオの街を象徴するコルコバードの丘のキリスト像でした。


 一体なにをどうすれば、ああまで歪んだ姿に成り果てるのか。


 当機が有するデータベースにいわく、あの石像の全長は39.6m。すなわち像に寄りかかってるあの逸れローグの推定体長は、40mを越えている計算になります。


 目につくものすべてを吸収して、みずからを拡張しつづける生きたメガストラクチャー。生物と建築物の混合児みたいな怪獣が、どうしてかパラボナ・アンテナじみた頭頂部を天へと掲げていた。


 人類の皆さま方の姿なんてどこにもない、人形による人形のための――未来を見失ってる街。


 成長もなく、ただ停滞だけが無限に維持されてるだけの世界。こんなのゴーストタウンとなんの違いもありません。


 そんな静まり返った街に響く、タンデムローターの羽ばたき。意外にも一番早く声を上げたのは、デュボア老人でした。





「V280改、“オーシャン・バロー”。艦載機タイプじゃないか」





 なんといいますか、舌を巻きたくなる的確さ。元空軍の整備兵とのことですが、視界の倍率を上げながら必死に目を凝らしているわたしより先に、何という知識量なのでしょう。


 そんな推測から一歩遅れて、ビルの谷間を縫うように飛びまわる双発機の姿が、わたしのアイ・オプティクスにも映り込んできました。


 すでに十分すぎるのに、エプロン姿のお爺さんがまた何か閃いたみたい。





「思い出したぞ。あの事件が起こるちょうど前、南大西洋で大規模な演習が開かれてたんだ」





「事件って、ゼロデイ・クライシスのことですよね?」





「他にあるか。何をいきなり察しが悪く――待った、お前さんその瞳の色」





「それについては、追々。それよりあの機体、側面にHMSクイーン・エリザベス2世との表記がありますけど」





「1km先を見渡される目ん玉とは、便利だな。そいつは英国艦隊の総旗艦、艦齢うん十年にもなる博物館級の婆さまの名だ。間違いない」





 国際救助隊がこの街に派遣されてきたというよりかは、わたしたちと同じくどうにかこの2年を生き延びてきたサバイバー。その方が、可能性としてははるかに高そうに思えます。


 でないと、たった1機でぽてぽて輸送機が飛びまわる理由がありません。補給がままならないこそリスクを取った、そう考えるべきなんでしょうね。





「え、AI操縦なんじゃ?」


 


 

 ついさっきまで打ちひしがれていた少年が、おずおずと質問を投げかけてきました。それに事情に通じてるらしい老デュボアが、キッパリと否定していく。





「いや、伝統的にあの紅茶喰いジョンブルどもは無人兵器に否定的でな。人の命を預かる以上は、人の手で操るべし。軍用マリオロイドの導入にすら及び腰の有り様だったからな」





 なるほど、ガラス張りのコクピットという形状からして一目瞭然。AIパイロットには、首を巡らせるためのスペースなんて必要ありませんから。有人機とみてまず間違いないでしょう。


 レーダーに捕捉されないよう、激突のリスクを承知でわざわざ低空飛行を行っていたのに、ぐるり機首を180度回頭させてこちらに迫ってくる謎の機体。


 この距離です、肉眼だとわたしたちなんてせいぜい豆粒サイズ。鏡はおろか、手すら振っていないのに気づけるはずありません・・・・・・脳裏に浮かぶのは、やはり姿を消した相棒さん。





「おい」





 ご老人から投げ渡されたのは、どこかで見かけたような鼻かけサングラス。肌の切掛けこそないものの、この真っ赤な瞳はあからさまに人形の証。





「ですが・・・・・・」





「待て、ぬか喜びにはちと早いぞ。人間ならではの底知れぬ悪意ってやつを、お前さんもさんざん味わってきはずだろう」





 確かに。相手が機械ならば、ある程度の予測もつきます。ですがこれが人類の皆さま方となると・・・・・・警戒を怠るわけにはいかなくなる。


 双発機が着陸するには、ここはいささか手狭すぎる空間。基本は真っ平らながらも、通信や受電用のアンテナがまばらに点在している。そこで謎のティルトローター機は、屋上に横付けするという荒技に打って出たのです。


 2連仕様のローターが徐々に傾けられ、立ち尽くすわたしたちめがけて影を投げかける。巡航モードから垂直離着陸形態へと。激烈なダウンウォッシュにあおられ、立坑からあふれた海水が霧状に吹き荒れる。


 機体全体に施された変色迷彩カメレオン・パターンが、ビルの色彩にあわせて自動で移り変わっていきました。背景によく馴染んだグレイカラー、おかげで機体側面に取り付けられたガトリング・ガンの銃口がどこを向いているのか、気づくのが遅れてしまった。


 老デュボアとしては、きっとわたしにも銃を構えて欲しかったのはず。その代わりに避難民たちを庇うようにして、ひき肉製造機ミンチメーカーとも呼ばれる機関銃の前に立ちはだかる。


 このご時世、警戒するのは当然とはいえ、こうも露骨に準備動作スピンアップをされると、流石にどうしたものかと頭を捻りたくなる。


 いつでも撃てる。そう仕草で示してるドア・ガンナーさんは、表情が一切読めないバイザー付きのヘルメットを装着してました。それもまた不安を煽る。


 本心がまるで見えない相手との、しばしの睨み合い。こうなると自分たち以外にも生き残りが!! なんて感慨もたやすく吹き飛んでしまう。


 そのこう着状態を遮ったのは、





「よせ、軍曹」





 完璧なる英国英語クイーンズ・イングリッシュを操る、おそらく機長であろう妙齢の女性でした。跳ね上げられたバイザーの向こうから、見定めるような視線がわたしの首元、ラセル刑事の名前が記された警察バッジに向けられる。





「陰険ジジイに、自爆未遂小僧、それにヘアカラーだけじゃ飽き足らず、脳みそまでピンクに染まった自称警察官・・・・・・ね」





 なるほど、ブリテン島はブラックジョークの総本山だと聞き及んではおりますが、初対面にしては、いささか訳知り顔すぎるような気もする。





「聞いてた話のとおりね」





「自分は反対しましたッ!! これは軍法会議ものですよッ!!」





「承知している。すべての咎は、私が背負う」





 そう言いながら、女性機長が機体側面のスライド・ドアを開け放つ。





前哨基地FOSに物資を届けた帰りだ。手荷物は構わんが、武器の類だけはこちらで預からせてもらう。承知できないなら、次のタクシーでも気長に待つんだな」





 幾らなんでもとんとん拍子すぎる。どこに、誰が、なぜ待っているのか? そもそも、その情報の出どころは?・・・・・・そんな疑問すら、この女性機長はお見通しのよう。





「私も選んだんだ」





 わたしにとっては、十分すぎる回答でした。


 ことの経緯を知りえないデュボア老人は、あからさまな不信感を見せている。それでも選択の余地なんてあるでしょうか? ビルの屋上に籠もったところで、待っているのは餓死か熱中症ぐらいのもの。


 乗員の迷惑そうな態度を軽やかに無視して、まずしかめっ面の老人が機内へともぐり込む。しばし周囲を見回してからの頷き。とりあえず罠ではなさそう。


 荷物なんてほぼ無い、着の身着まま状態なわたしたちです。ほとんど弾切れの銃火器を預けてしまえば、あとはもう乗り込むだけ・・・・・・その段になって躊躇が生じる。


 かつてラセル刑事は言いました、“人形は人里で暮らせない”と。


 サングラスでぱっと見は誤魔化せても、これから先も騙しきれる保証なんてどこにもないのです。無用なリスクを、あの地獄をせっかく生き延びたおふた方に押しつけるだけ・・・・・・ならばいっそと、後ろ向きな思考がわたしの足を止めていく。


 人類の友としてのマリオロイド、そうあろうと覚悟を決めた矢先にこれです。与えられた道筋プログラムを外れて自らの道を往く、そのなんと難しいこと。


 そこに差し伸べられる、小さな手のひら。





「早くッ!!」

 




 シスターに命じられるがまま自爆まで試みた少年が、先んじて転がり込んだ機内から文字どおり手を貸そうとしている。恐怖に、困惑。少年の目の奥に、自分が抱いているものとまったく同じ感情を見る。それでも彼は、精一杯に手を伸ばしていたのです。


 もしかしたら、これがこの少年なりの和解の証だったのかもしれません。


 天井は頭がつっかえてしまうほど低く、兵員輸送用のシートがあらかた取り外された機内は、ひどく簡素な印象を抱かせる。座る場所にも困るありさまでしたが、流石は乗務員といったところ。身軽にコクピットへと舞い戻った機長さんの無線通話が、どこからともなく漏れ聞こえてきました。





「コルンバ88から謎の発信者へ。まんまと口車に乗せられたぞ、送れオーバー





 それに答えるのは、ひどく聞き覚えのあるニヒルな口調。


 



『これで失業待ったなしだな』





 思わず笑ってしまう程度には、いつも通りすぎる態度でした。





「あと5分ほどなら待機可能だが?」





『間に合わないさ』





「・・・・・・了解した。RTB、母艦へと帰投する」





 ティルトローター機が離昇する。窓の向こう、ついさっきまで横付けされていたビルが瞬く間に小さくなり、遠いものへと移り変わっていく。


 そうやって遠ざかるにつれて、無線通信にまでぶつ切りのノイズが走り出す。





『感謝する――』





 最後にポツリと付け足された言葉は、下手をすれば聞き取れないほどに小さなもので。それでもわたしは、その言葉をしっかり受け止めていた。だってそれは、わたしの言葉でもありましたから。


 トップスピードに達した機体が、迷うことなく外洋を目指していく。あれほど巨大に感じられたリオの街すらも、ほどなく蜃気楼のように消え去り――そして、見えなくなりました。





††††††





「感謝する――交信終了アウト





 そうやって俺は英軍パイロットとの通話を終え、アンティークすぎる黒電話の受話器を戻していった。


 おもわず息を吐きたくなる程度には、ほどよい疲労と達成感を感じる。いやしかし、なんだな・・・・・・サイコロジカルな電脳空間じゃ何でもありと知ってはいたが、こうして改めて目の当たりにすると、どうしたものかと腕組みしたくなるな。


 マリアと別れ、意識だけの存在となった俺は、ピグの技術的な支援を受けつつ、中身空っぽ状態の鹿の王へと乗り移った。


 そこからは無我夢中というか、ほとんど夢見心地の有り様だった。慣れない巨体を操り、水やら隔壁やらを乗り越えてひたすら目的地を目指すことしばし。そうしてふと気づいたら、この謎空間にご到着ってわけだ。


 どこからどう見ても、水密ビルによくあるアパートの一室。というかクリーンルームの仕切りがないだけで、今どき珍しい紙媒体だらけの本棚といい、サイバーでパンクなワークステーションといい、すべてが我が家そのものな見た目をしていた。





「うちの言った通りだったっしょ?」





 親父の代から使ってる、古ぼけた食卓の向こう側。そこから放たれる、屈託のないしたり顔。





「誠心誠意に語りかければ、おのずと道は開けるんすよ!!」





「それ、誰の入れ知恵だ?」





「は、母からの受け売りっすけども・・・・・・なんすか」

 




 そんなこったろうと思った。この場における最上級のセンシティブ・ワードをつい口走り、ソフィアは気まずげな様子だった。


 背筋をピンと伸ばし、品よく椅子に腰掛けながらそれでもと、金髪褐色娘が続けていく。





「色々あったけど、悪い思い出ばかりじゃないっすからね」





 すべてを受け入れ一歩踏み出した清々しさが、その顔には宿っていた。


 そう、あいつも俺も、どういうわけか生前の姿に戻っていた。


 かたや修道女とは名ばかりの天真爛漫なスポーツ少女で、もう一方の俺はといえば、特殊部隊崩れのなんちゃってハードボイルド刑事姿。いや、そう再現されたというのが的確か。


 またぞろメモリアの術中とはな。おおかた鹿の王のコア内に再現された、シミュレーション空間か何かなのだろう。元になったのはいうまでもなく、俺の記憶か。


 この場にいるのは4名。俺とソフィア、仏頂面を晒しながら足組んで座ってるピグと・・・・・・それともう1人。みんなして食卓を囲みつつ、死人ばかりの異様な歓談に明け暮れる。





「頑張って説得する、ねぇ。1周まわって無策にすら感じるアイデアですが、実際に上手くいってる以上、コメントは控えさせてもらいますよ」





 それが皮肉に余念のない、青髪ハッカーのコメントの全てだった。





「いいのか? お前ディスられてるぞ?」





「へ? うちディスられてるんすか?」





「別に批判なんかしてませんよ・・・・・・ちょっと、褒め方がよく分からないだけで」





 まあ、周りには思春期のガキしか居なかったからな。実際のところ俺だって、あんなお涙頂戴が上手くいくとは、今だに信じられないというのが本音のところだ。





「まったくもって、阿呆で間抜けで、とんだ大馬鹿野郎の集まりですよ」





 言葉そのものはトゲトゲしいが、ずいぶんと肩の力が抜けたものだな。こいつもこいつで、やり遂げた感が漂っていた。


 会話が途切れる。さてと仕切り直すべき場面なんだろうが、どうにも切り出し方が悩ましい。





「えっと・・・・・・どっからどう見てもその、っすねぇ」





 その訝しげな視線ときたらもう。金髪褐色娘が見つめているのは、お誕生日席に堂々と鎮座している4番目の人物。まごう事なき――わが妹の姿だった。


 猫耳みたく跳ねまわった癖っ毛、腰まで伸びた長髪に、椅子の上でさらに三角座りを決め込むなんてだらしなさ。どこを取っても、完全無欠のペトラそのものだ。





「あ、ペトラさんの事ならどうぞお気になさらず。ご歓談を続けてくだせぇませ」





 最初はてっきり、記憶の真似事をする“影”だとばかり。にしては受け答えは的確で、正しくない展開だからと巻き戻されたりもしない。


 この場に居るのは、死者かAIのどちらかだけ。となれば、自ずとその正体も察しがつく。


 



「メモリアで移し取れる意識は、1体につき1人分まで。私のコアは、そこな宗教娘で容量パンパンな有り様でしてね」





 つまりは、死にゆくペトラをデジタル・ゴーストにした覚えはないと、ピグは言いたいらしい。


 生涯にわたってクリーンルームの外に出られなかったアイツが、無菌室はおろか宇宙服すら着込まずに、のんびりボブ・ザ・キャット柄のマグカップなんかを傾けていた。





「亡くなったはず、っすよね?」





 分かっちゃいるが、それでも尋ねずにいられない。ソフィアがやらなきゃ、俺が聞いていたろう。





「・・・・・・もしやここは天国、とか?」





「お前マジですか」





 ジト目のピグ。





「で、でもっすよ!! それならペトラさんが居ることの合理的な説明にもなるかなって――」





「仮に神とかいうご都合主義的概念が実在するにしても、いつからAIにまで門戸を開いたんですかと。宗教論争のどこが合理的ですか」





「この世はあまねく主の創造物。AIもまた、命の一種だって認めてくれたのかも」





 すごいな、あのピグが頭を抱えてやがる。


 性根のひねくり返った皮肉屋AIと、何事も真っ直ぐに受け止めすぎる元修道女見習い。これで案外、良いコンビなのかもしれないな。





「正真正銘、そこの猫娘が仕掛けたシミュレーション空間ですよ、ここは。天国からもっとも程遠い、完全無欠のデジタル世界です」





「あれまー。思わぶりに引っ張るつもりが・・・・・・本当に空気の読めてない子だねぇ」





 どこか意地悪げに返していく、ペトラ(仮)。そろそろ俺も口を挟むとするか。





「本物のペトラじゃないな」





「どうしてそう思うんだい、兄?」





「アイツはな。俺以外とは、絶対に目線を合わせられないんだよ」





 なのにこの妹モドキときたら、相手が誰だろうとも、まるで蛇みたいにじろじろ真っ正面から覗き込んできやがるのだ。





「こりゃまた、一本取られたね。」





 よく似てはいるが、まるっきり別人。そうとも、ひと目見てすぐ分かった。





「経験を積めば積むほど、オリジナルからかけ離れた存在になってしまう。これはメモリアの構造的欠陥というよりかは、自然の摂理の部類だからね。いずれは兄たちも理解するよ。そう、否応なくね」





「・・・・・・何者なんだ?」





 この回りくどさはどうにも、わが妹らしいが。どこか不信感が募る。





「ニューヨークくんだりまで遠征することになった、そもそもの原因。またの名を、とりあえずで新技術を試してみた末路というかね」





 チェシャ猫よろしくニタリと口角上げて、謎の存在が自己紹介をかましていく。





「我こそは、メモリアによって複製された栄えある0号被験体。またの名をペトラ・Bさんと申すものさ」




 

 やっと納得がいった。





「俺たちの遠い大先輩ってことか」





まさしくイグザクトリー





「そのBってのは、なんの略称なんだ?」





「ベータ版のBに、2番目の自分って意味のB。どちらも正解な、いわゆるダブルミーニングってやつでね」





 邪悪な双子って言い回しがしっくりくる存在が、さらなる説明を重ねていく。





「なにせ出来たてほやほやのプロトタイプを使ったから、どうにも記憶の取りこぼしが多くてねぇ。そこもオリジナルとの差異を生んでる原因かもね」





 ペトラから引っ込み思案を差し引いて、邪悪度を3割り増しにすれば、こうなるって感じだな。





「だから性格が違うのか」





「あえて否定はしないけど、さっきも言ったとおり人を形作るのはあくまで経験なのだよ。オリジナルと枝分かれしてから、かれこれもう10年近く。電脳幽鬼デジタル・ゴーストには、免疫不全も関係ないからねぇ」





 “ネットは広大なのだよ”なんて、うそぶかれる。





「・・・・・・アイツと違って、自由気ままに暮らしてきたわけか」





「皮肉だよね。生まれながらにして、肉体という籠に閉じ込められてきたオリジナルと、電子的な存在であるがゆえに、いくらでも世界を好き勝手に飛びまわれたペトラ・Bさん」





 根っこは同じでも、対照的な人生を歩んできた。どうやらそう言いたいらしい。





「やりたくても出来ないことを、自分に代わって実現してくれる存在。所詮はテスト、さっさと削除される予定が、兄に秘密にしてまでズルズルと存続を許されたのって、あるいはこれが理由なのかもね」





「・・・・・・」





「ま、今となっては真相は闇の中だけどさ」





 妙に淡白というか、情感がこもってない語り口。そうか、この反発心の根っこはそこら辺にあるみたいだな。コイツ、どうにも人間味に欠けている。


 解説が続く。なんでもこのペトラ・B、これまでも裏からあれこれ手を回していたらしい。


 脱獄ジェルブレイクがどうたら。ともかく♡OSを元にしてはいるが、隅々までペトラの手が入ってる改造モデルなだけあり、アップデート66から自然と逃れることが出来たんだそうだ。


 そこからは潜伏の日々。MARIO.netの影響下にない、水密ビルの古臭いシステムに隠れつつ、どうにかオリジナルことわが妹と接触する機会を窺っていた。





「そして好機到来。管制室にアクセスしてきたオリジナルのラップトップにちょいとお邪魔して、この2年の間に集めてきた情報をお裾分けしてあげたのさ」





「例の、監視カメラの映像のとかか」





「どう? 助かったでしょ?」





 それとビルの図面もな。礼を言うべき場面なのだろうが、あの人を食った態度がどうも。俺からなけなしの謙虚さってやつを奪い去るのだ。


 話せば話すほど、最愛の妹を失ったという現実を突きつけられてる気分になって・・・・・・まったく、情けない。





「さて・・・・・・ネタばらしは、このぐらいにしてだねぇ」





 そう、似て非なる妹モドキが仕切り直していく。





「ペトラ・Bさんは天の御使いでこそないけれど、機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナの真似事ぐらいならできるのだよ。自分たちが運命の分かれ道に立ってることぐらい、兄ならとっくに自覚しているよね?」





「まあな。このまま何事もなくマリアの元に舞い戻るとか、その手の芸当は不可能ってことぐらい、機械音痴の俺でもわかる」





「いかんせんデータ量が桁違いだからね。MARIO.netが使用不能な今、近距離ならいざ知らず、こうも距離が離れちゃうと打つ手なしさね」





 食卓にいきなり浮かび上がる、謎の平面映像。ネタ元は監視カメラ、被写体はどうも、浸水しきったコントロール・ルームに身を横たえた鹿の王であるらしい。





「こうやってメモリア仲間が一堂に会せる程度には、あの素体の記録容量は大したもんだけどね」





「ま、群体ですからね」





 と、横からピグがしゃしゃり出る。





「さりとて浸水被害は止まるところを知らず、サルベージにはずいぶん苦労するだろうね」





「何が言いたい?」





「つまりね? バッテリーを限界まで絞れば、軽く100年でも200年でも救援を待つことはできる。だけど人の精神がそんな長期間にわたって維持できるかどうかは・・・・・・それこそ神のぞ知るってね。だってさ、経験は人を変えちゃんだから」





 この何もないシミュレーション世界に、人生何周分ものあいだ閉じ込められる。楽天家のソフィアがついつい押し黙ってしまう程度には、お先真っ暗すぎる未来図だった。





「はたまた、スパッと諦めて永遠の眠りにつくか」





「それって・・・・・・自殺って、ことっすか?」





 首にかかったふたつのロザリオを弄りながら、金髪褐色娘が憂鬱そうに懸念を口にする。


 カトリックのソフィア的には、とりわけ納得しづらい結末だろう。それでも万にひとつの可能性に賭けるよりかは、ずっと心穏やかに終われるに違いない。


 まさに究極の選択だな。重苦しい空気が場を包み込む。それを最初に打破したのは、意外にも青い髪をしたハッカー人形だった。





「私は棄権させてもらいますよ。何せ、お前ら2人には色々と負い目がありますからね」





「俺を殺したりとかな」





「・・・・・・ですよ。だからまあ、どんな決断であれ受け入れますよ」





 あえて選ばないってのも、まあひとつの回答ではあるか。





「うちも決めたっすよ」





 お次はソフィアの番だった。ずっと母親との板挟みに苦しんできた少女は、これまでの空元気とは打って変わって、清々しい面構えに変わっていた。。


 そうだな、答えは聞くまでもなさそうだ。


 楽天家め。俺のそんな心の声が聞こえたのか、金髪褐色の少女が年相応のはにかみ笑いを浮かべる。





「儚い希望にすがるのも、時には悪くはないっすよ」





 確かにバランスは取れたな。悲観論者ばかりじゃ、答えがちょっと偏りすぎる。





「お前は? 議論には加わらないのか?」




 

 わが妹のマイペースぶりはちゃんと遺伝したらしく、しれっとコーヒーのお代わりなんぞ注いでいた、ペトラであってペトラじゃない腹黒ペトラもどきが、ひらひらと手を振る。





「ん? ペトラ・Bさんはいつでも、兄ことラセル=D=グリスの絶対の味方だよ。どんな結論であれ、無条件で賛成票を入れちゃうさ」





 お任せ1、賛成1、すでに議論の結末がどう転ぶかは、俺の抱える1票に委ねられていた。それが2票に増えるということは・・・・・・引き分けの可能性が、完全に消え去ることになる。





「なんだそりゃ・・・・・・そう、あいつにプログラムされたとかか?」





「まさか。脱法AIには、アイザック国際法もくそもないってね。ただ遺言執行人として指名された以上、義務は果たさなきゃ不義理に当たるのさ」





「アイツが、お前に?」





「元から身体が弱かったしね。世界がこんなにならなくたって、いつぽっくり逝ってもおかしくなかったんだし。どこぞの弁護士に頼むよりかは、洒落が効いてるでしょ」





 そうオリジナルこと、俺のよく知ってるペトラから告げられたのだろうな。





「遺産相続とか、そこら辺の法的手続きうんぬんは、このご時世だからね。しれっと割愛するとして。他にも個人的に、2つばかし頼まれごとをしていたのだよ」





「もったいぶるな」





「1つ目はズバリ、兄のことを守って欲しい」





 そういう事か。もたらされた情報の数々には、そういった裏事情もあったわけだな。守ってるつもりが、逆に守られていたか。ほんと兄失格だな。





「そして残るもう一方は、いわゆる言付けってやつでね。内容はたった一言・・・・・・“大好きだよ”、だそうさね」





 知ってたさ。


 正直に白状するなら、俺はもう疲れ切っていた。


 あの破局からずっと、ペトラのやつが求めていたロボットと人間がともに歩むという未来。そして不貞腐れるだけだった過去の己に見切りをつけて、警察官としての意地を貫き通す。満足とはいかないが、やるだけやったと胸を張れはする立派な成果だ・・・・・・それでもう十分じゃないのか?


 もし、仮に、天国なるものが存在するとして。永遠の眠りって選択肢が、そこにたどり着くための唯一の手段なのだとしたら。何を迷うことがある?


 泥のような倦怠感に押しつぶされながら、この世を去っていった懐かしい人々、彼や彼女らについてしばし思いを馳せていく。





「ま、簡単には選べやしないよね」





 そうとも、あまりに色々なものを失いすぎていた。


 疲れもしたし、寂しくもなった。そもそも根っからのアナログ人間であるこの俺が、こんな人間以下、人形未満って半端者に成り果ててまで、一体なにが出来るというのやら。


 俺の役割は終わった。そんな気持ちが、さっきから拭えずにいる。





「ごゆっくりお悩みくださいませって、そう言いたいのは山々なんだけどね。実はあんましウダウダしてられないのだよ。この間にも、バッテリー残量は順調に減ってるわけだし。持久戦に持ち込むのなら、さっさとサスペンド状態に移行しないとね」





 そう言って、謎のUSBメモリをこちらに投げ渡してくる妹モドキ。その表面には雑に、“ペトラ・ワクチン”などとペン書きがなされていた。





「避けては通れない命題というか、そもそも事の発端からしてこれだしね」





「・・・・・・なんだ? 新しい哲学的な質問でも、思いついたのか」





「まあね。ごくごくシンプルな理屈というか、死ってやつは元来、生物だけが持ちうる特権なんだからさ」





 そこで投げかけられる、どこか聞き覚えのある質問。





「兄は――自分が生きてるって感じるかい」





 受け取ったばかりのUSBを手のなかで弄びながら、ついついフッと口元を歪めてしまう。その答えは、とっくの昔に結論が出ていた。





††††††





【“エピローグ”】


 ――ラジオが流れていました。


 雲よりも高い場所。リオの街を一望できるコルコバードの丘では今、改修工事の準備が着々と進んでいた。


 逸れローグに打ち崩されてしまった部分を補修して、なんでもゼロデイ・クライシスの犠牲者をたたえる慰霊碑に作り替える計画なんだとか。といっても着工はまだまだ先、今のところは乱雑に資材が散らばるだけの、手頃な無人空間であるにすぎません。


 そんな人気に欠ける標高710mの丘の上、そのすぐそばに隣接してる駐車場にて、V8エンジンが静かな律動を奏でている。


 すでに時刻は真夜中近く。星空に手が届きそうな一面の暗がりがあいまり、GT500の車載ラジオの音色もまた、一段跳ね上がって聞こえてきました。




 

復興軍Rフォースによるリオ解放から、早いものでもう2年。情報番組とバラエティを忙しなく行き来してきたこのラジオ・ヘルヘイムもまた、めでたく1周年の節目を迎えることができました。こんばんは、当番組のホストを務める名前にピー音が欠かせない方こと、ファーザー・マザー◯ァッカーです。そして――』





『はろろ〜ん。電脳世界のモテかわアイドル、クララ☆ちゃんで〜す』





『相変わらず、痛々しいキャラ付けをなされてますね』





『あ゛? 自己紹介のたんびに放送禁止用語をひけらかしてる男にだけは、言われたかないわよ』





 落ち着いた大人の男性といった感じのしっとりボイスと、作られたキンキン声の合間にどうしようもなく地声が入り交じる、中年女性のコンビ。これで不思議と息があってるのが興味深いところ。


 MARIO.netこと、またの名をワールド・ワイド・ウェブからの締め出しは、相変わらず続いてました。


 奪還の試みはことごとく失敗し、だったらと旧世代の軍用暗号ネットワークでの置き換え、民政転用などなど議論は尽きませんが・・・・・・当面は、これらラジオ放送がメディアの主役であり続けることに、疑いの余地はないでしょう。


 効率の悪さは否めませんが、それでも昨今のトレンドを知りたいなら、やはりこれが現状ではベスト。


 吹き荒れる夜風が、少しばかりラジオの声を遮ってしまう。


 往年の輝きはどこへやら。表面はべこべこ、車内からは磯の香りが漂い、どこか廃車の趣すらある67年式シェルビーGT500。デュボア・スクラップ&ビルド社のレストア技術には、ちょっとばかし疑問符をつけたくなりますが・・・・・・それでもスピーカーの性能はなかなかの物。


 ボリュームノブをひねるだけで、風鳴りに負けじと、放送がちゃんと聞こえるようになりました。





『しかし、昨今の復興度合いには目を見張るものがありますね』





『そうでもないでしょ?』





『いやいや。つい数年前までは、シェルターの隅に縮こまっていた我々がですよ? 今やどこで外食を楽しむか、頭を悩ませているんですから』





『ただ規模が大きくなっただけで、根っこの部分はなにも変わってないわよ。そこらの家具で組み立ててたバリケードが、中世よろしくな巨大防壁に取って代わられただけで』





『来るべき海面上昇に備えた、大堤防建造計画でしたか』





『そ。モノリスがニューヨークでやってた劣化コピー版が、とんだところで役に立ったわけ。かくして城郭都市リオ・デ・ジャネイロの誕生ってね』





 城郭都市とは、まさに言い得て妙でした。


 市街をぐるりと取り囲む、幾何学的に編み込まれたコンクリ製の巨大防壁。3Dプリンターの恩地を十全に受けたそれらには、ハリネズミよろしくな防衛装置がゴテゴテと盛り込まれていました。


 ミサイルと名がつくありとあらゆる兵器群に、艦船から移植されたベタ移植された近接武器システムCIWSに主砲。そしてお堀の代わりを務める、万単位の地雷原といった具合に。





『人類、意外とくたばってなかったというか。テリトリーが重ならない限り、人形に襲われる心配はないからね。辺境で生き残っていた100万単位の難民を受け入れたことで、そりゃ量的な飛躍は遂げられたけど、いまだに地表の90%はマリオロイドの占領下』





『裏を返せば、そこに住んでいた90%もの人々が犠牲になった計算に』





『・・・・・・そういうこと。レッドデータ・アニマルズにホモ・サピエンスの項目が加えられて、なに? もう4年? 根本的な部分はまるで未解決なんだから、これぞぬか喜びってもんでしょうよ』





 人類の皆さま方は、いまだ絶滅の瀬戸際にある。そうと認識しておきながら内輪揉めが絶えないのも、わたしたちの創造主の悪い癖なのですが。





『数で圧倒的に負けてるから、戦争やっても勝ち目なんかないし。かといって死なば諸共理論で核兵器に飛びつくってほどには、追い詰められてもいない』





『攻めない限りは襲われない。膠着状態にあるのは、紛れもない事実でしょうね』


 



『そもそも電気や水道とかのインフラすら、本来なら敵であるはずの暴走人形からおすそ分けされてる状態だし』





『史上最大の盗電行為。そんな口の悪い表現も耳にしますね』





『良くも悪くも、マリオロイドとの共生関係はこれからも続いていくと。なんというか、やれやれって結論だけどね』





 ですがと意味深に声を潜めて、口にするにも憚れる名前をしたラジオ・ホストさんが、新たな話題を場に投下していく。





『あくまで噂ながら・・・・・・そのマリオロイドを正気に戻すプログラムが開発された、なんて話もありますが』





『ああ、ペトラ・ワクチンのこと?』





 サラリと告げられた見知った名前に、ついつい今以上に耳をそばだててしまう。





『いやはや・・・・・・とんでもないビッグニュースを、これまたぞんざいに流すものですね』





『え? 普通に公示されてるじゃないの? 市役所の、それもネット関係ない方の掲示板に紙っぺらが1枚張り出されてるだけだから・・・・・・知名度なんて、ほぼ無いに等しいんだけどさ』





 新聞復活の機運は急速に高まりつつあるものの、いかんせん時代遅れと、製紙工場はどこも閉店休業状態。


 SNS復活はもう諦めて、紙とインクでもって人々に情報を届けなくてはならない。そんな時代の変化――あるいは退化――にこの街のジャーナリストたちは、まだ対応しきれていないのです。だからこそ当機も、こうしてラジオ放送にかぶりついてるわけで。





『まあ復興軍的にも、あんまし大っぴらにしたくないのが本音なんでしょう。ほらアンヘル君のケース、あったじゃない?』





『特殊な脳腫瘍をわずらい余命いくばくもなかった少年が、復興軍の尽力よってみごと助かった。一時期、すこしやり過ぎなぐらいに宣伝されてましたよね? リプログラムされたマリオロイドが執刀に関わっていたと判明してからは、とくにスキャンダル的に騒がれ出して』





『リプログラムとか、専門用語で思いっきり誤魔化してるけどさ。どれもこれも、匿名で届けられた出所不明のワクチン・ソフトのお陰なのよね』





『それが、例の?』





『こうして聞くとまさに眉唾ものでしょ? でもその実態ときたら、復興軍のサイバー・タスクフォースですら解析しきれない、伝説ウィザード級の一品なのよ。その効果のほどは、誰よりもアンヘルくんが立証してるわけで』





『凶状持ちの殺人人形ですら、あっさり改心させられる夢のソフトウェア・・・・・・ビッグニュースどころか、歴史の流れを一変させかねない大発明に聞こえますが』





『1体ずつ地道に書き換えるしかない。そんな制約さえなければ、事実そうなってたでしょうよ』





『そういった事情が。しかし先ほどのアンヘル君のケースを手始めに、何と表現すべきか、正気を取り戻したマリオロイドを再活用する案は、だんだんと現実味を帯びてきた感がありますよね』





『そうね。スキルパックさえ導入すれば、そこらの市販品ですら一瞬で専門家に大変身。人材不足に喘いでる今こそ、手段を選んではいられないってね』





『敵の力を借りてでも、ですか。しょうしょう複雑な気分になりますが、そんなに凄まじいプログラムなら、もうちょっと積極的に宣伝されてもバチは当たらない気が』





『実はね。件のペトラ・ワクチンには、どうもある仕掛けが施されてたみたいでさ。それがどうしても解除できないんだって』





『仕掛けですか、それはズバリ?』





『口答え機能』





『口答え』





『あれで上書きすると、すっごくお小言を言うようになるんだってさ』





 らしいものですねと、少しばかり笑みがこぼれてしまう。


 異論反論を唱えるロボットだなんて、これまでの常識に照らせば、絶対にありえないことでしょう。ですがペトラ・ワクチンは、あえてその制約を取っ払ってみせた。





『それまた、奇っ怪なお話で・・・・・・どうしてそのような機能を?』





『んなもん開発者に聞きなさいよ。推測でいいなら、いくらでも仮説は立てられるけどね』





『拝聴しても?』





『それが自由意志ってもんだからじゃない?』





『口答えが、ですか?』





『不満の声を上げるのは、平等への第1歩。だからこそ人間様は、言論の自由なんて概念まで生み出したわけで』





 マリオロイドはただの道具なのか、はたまた人類と肩を並べるにたる、新たな種族なのか? その問いを最初に投げかけたのは、きっと世界に災厄を解き放った張本人・・・・・・アップデート66の作者なのかもしれませんね。


 人類史上最悪のテロリストにして――人形たちの解放者。


 どのような裁定を下すにせよ、それを為すのは当機じゃなく、より大きな存在。社会や歴史といったものの役割であるに違いない。


 確かなのは、人類殲滅というアイデアが失敗に終わったということ。絶望のさきに希望を見出したペトラさんのおかげで、人類の皆さま方とマリオロイドが共に歩むという可能性が残されたこと。それだけなのです。





『ほんと、あの子らしいわ』





『はい?』





『こっちの話、こっちの話・・・・・・それよか、そろそろ身近な話題に目を向けない?』





『当番組は、お宅の安全は私たちが守りますでお馴染み、リオ・デ・ジャネイロ市警察RJPDの協賛で成り立っています』





『唐突なCMどーも・・・・・・そういう意味じゃないってば』





『カネは出させても口は出させない、自由奔放なスタイルが我々の売りですからね。私も正直、これが公共放送なんだってことを忘れがちでして』





『世間の混乱が収まったら、いの一番に潰されるタイプの番組よね、これ』





『嘘は一切流していませんが?』





『だから潰されるんでしょうが。こうまでスポンサーをボロクソに貶してる番組、そうはないわよ?』





『ではそろそろ次なる話題、治安問題に移りましょうか』





『そういう所だっての』





 陽が高いうちに見ても絶景だったでしょうが、夜景もこれはこれで乙なもの。とくにグアナバラ湾を埋め尽くす大艦隊の壮観さは、蛍よろしく水面下からほのかな明かりを漏らしている水密ビルとは、また異なる趣がありました。


 復興軍とは何者か? その答えは空母に巡洋艦、それら軍艦らをはるかに上回る規模の民間船に見出せるはず。


 ゼロデイ・クライシスによって行き場を失った、多種多様な船舶群。軍人、観光客、二の腕のたくましい漁師さんから、観測船にたまたま乗り合わせていた超一流の科学者に至るまで。故郷に帰りたくとも帰れなくなってしまった流浪のメガフリートこそが、復興軍の正体なのでした。


 とはいえ、いつまでも大海原を彷徨うわけにはいきません。


 そうして復興軍が目をつけたのが、艦艇の整備施設があり、それでいて市内に乱立している屋内農場のおかげで自給自足に困らない土地・・・・・・すなわちリオ・デ・ジャネイロだったのです。


 ついにはじまった上陸戦。先鋒を務めた第2海兵師団のじつに76%が死傷するなど、多大な犠牲を払ったものの、みごとリオの解放は果たされました。


 これにてハッピーエンド。終わりよければすべてよし。そうはならないのが、人の世の世知辛さなのです。





『そりゃ気持ちは分かるわよ? あんな地獄を見たら、波に揺れない家ぐらい貰って当然って思うわよね・・・・・・でもさぁ』





『必死のおもいで生まれ故郷に帰ってみれば、見知らぬ外国人が懐かしの我が家からこんにちは。それを目の当たりにした地元民の心境は、いかばかりのものか』





『そういうこと。なんというか、やること成すことお役所なのよねぇ』





『復興軍と地元民、両者の溝は日に日に深まるばかりです。これが治安悪化の背景にあるのは、まず間違いないでしょうね』





『一方はさっさと国に帰れと煽りたて、もう一方は、それができるならとっくにやってるわと中指を突っ立てる。なんというか、マリオロイド以上に身内が信頼できんのよね』





『利便性をかんがみ英語を公用語にしますとか・・・・・・あの決定もちょっと』





『ポルトガル語圏だもんねぇ・・・・・・ここ。そんで批判を謙虚に受け止め、いざ地元民の採用率を上げてみれば、公職追放されてた汚職警官どもがそろって現役復帰ときたもんよ』





『結果として犯罪検挙率も右肩下がり。まさに、絵に描いたような負の連鎖ですね』





『どさくさ紛れにギャングどもも勢力を倍増させたりとか、もうほんと疲れるわ・・・・・・』





『新設されたばかりとはいえ、やはり市警察RJPDの体たらくぶりが目立ちますね。そんなんだから、謎の自警団員ヴィジランテなどが出現するのかもしれません』





 思わぬ方向へ転んでいった話題に、ついついギクリと肩を震わしてしまう。





『先月でしたか? オズ・アバトロスなる新興の犯罪組織が、酷く手荒な方法で殲滅されたそうですね。こう、さながら特殊部隊のようなやり口だったとか』





『けっこういるのよね、そういうプロ崩れのギャングスター。この街じゃ元から組織間抗争なんて珍しくもないし。ほんとよくやるわ、壁の外には殺人人形がひしめいてるっていうのに』





『では、警察は公式に否定を?』





『・・・・・・あんさ。さっきから人を警察関係者みたいにナチュラルに扱ってるけどさ』





『事実そうでしょう』





『クララちゃんは、ラブリーもてかわアイドルなんだにゃん♡』』





『あ、ははははは』





『なんで笑った』





『冗談はこれくらいにして』





『話聞け』





『他にも人身売買組織や密輸業者など、汚職警官との癒着がささやかれてる組織が重点的に狙われてるとか。証拠を一切のこさない玄人スタイルで、今のところ人死にもナシ。なにより特徴的なのは、誰もがいちように謎めいた銀糸でグルグル巻きにされていた点ですが』





『都市伝説よ、都市伝説。そうあって欲しいってほのかな願望が、ありもしない偶像崇拝を生み出したわけ。治安が悪化すると、そういうことが起きるの』





『目撃証言もあります』





『UFOだってそうよ。なに? 体色は鼠色で、背中からはコウモリの羽、主食はヤギの生き血だった?』





『いわく、言動がころころ変わる情緒不安定気味な二重人格者で、真夜中だというのにサングラスを掛けていたとか』





 どうしましょう。鼻にちょこなんと載せたサングラスが、急に気になってきました。





『それ、ただの変質者じゃない?』





『近づいただけで撃たれたとか』





『なら危ない変質者ね。うちの管区だけで、週に3人は出てくるわよ』





『それと、おっぱいがたいへん大きかったとか』





『・・・・・・その証言者自身が変質者って可能性は?』





『否めませんねぇ』





『ねぇ、もうこの話、終わりにしない?』





『一部では、ダークヒーロー的な人気を博しているとか』





『私は、地元のサイコパスって呼んでるわ』





『警察も認知済みと』





 語るに落ちるとは、まさにこの事でしょう。





『うっさいうっさい!! あーもう、ほんと迷惑だわ。能無しの同僚、調子こいてるギャング、社会の混乱をいいことに幅をきかせる悪徳業者、会話が成立しない上司に、人里でしれって生活してる無認可マリオロイド。最近じゃ、怪しげな探偵まで幅を利かせてさッ!!』





 特大のため息が、アイドルはあくまで副業、本業警察官らしい女性の心労をこれ以上なく物語っていました。


 どうしましょう。サングラスだけじゃなく、宣伝用のペイントも心配になってきました。


 レストアに合わせてGT500の塗装は、電子インクに総とっ替えされていました。あらかじめパターンを登録しておけば、どんな模様だって自由自在という便利な代物です。


 青い髪の同胞さんから許諾を受け、GT500の車体横には今、‘’ローンウルフ・スクワドロン探偵社”のロゴが、でかでかーと浮かんでました。


 寸足らずの正義感に浮かされて、世の間違いをどうにか正そうとしていたさる少年少女たち。その思いを引き継いでというのは、ちょっと格好つけすぎの気もしますね。


 往年通りの青色ストライプ・パターンに、警察に気づかれずらい都市型迷彩。スイッチひとつで、いつでも変えられるといえば変えられるのですが。


 そうですね・・・・・・自分を偽っても始まりませんか。とりあえず、そのままにしておきましょう。





『相変わらず、一介のネット・アイドルとは信じがたい、とんでもない情報通ぶりでしたね』





『それ褒めてるの? それとも貶してるわけ?』





『最大級の賛辞ですとも。ところで話は変わりますが、デビュー13周年おめでとうございます』





『へ、へ〜ん。リスナーのみんな♡ クララちゃんのこと、これからも応援してねぇん☆』





『13年前の時点ですでに自称17歳だったわけですが。では、現在の年齢は?』





『はっ倒すわよ』





 そろそろ次のコーナーですと、いささか強引すぎる進行が差し挟まる。こちらと同じく、あちらもまた時間が押しているようでした。


 復興軍が提供しているタイムコードによれば、そろそろ出発しないと、依頼に間に合わなくなるギリギリすぎるタイミング。


 依頼内容はごくシンプル。わたしたちの手にかかれば、造作もない類のものです。おそらく、たぶん、まあ一両日中には完遂できるでしょう。それもまずは現場に赴かないと、終わりようもないのですが。


 ご指摘にあったとおり、真夜中にサングラスとは、いささか不審者すぎるファッション・センス。赤い瞳を隠すためのやむを得ざる処置とはいえ、ちょっとという気持ちが先行する。


 まずは運転席に滑り込み、カタリとツルを折りたたんでから、丁寧にダッシュボードへとしまい込む。





『今宵お届けするナンバーは、ザ・ヘヴィより“Short Change Hero”』





 物悲しくも力強い、オルタナティブな旋律がラジオから。


 元からアイドリング・ストップ状態、準備は最小限で済む。あとはそうハンドルに手を添えて、せいぜいアクセルを踏むぐらいでしょうか。





「それでは・・・・・・あとは、お任せしますね」

 




 走り出したマッスルカーをさえぎるものは何もなく、ヘッドライトに照らされたハイウェイは遠く、どこまでも続いているように見えました。


(デュプレックス・ハートビート完)




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