Chapter XVI “ じゃあ、行ってくる”


 セニョール・ハドソン。彼の崖っぷちな心理状態については、ちゃんと把握していたつもりだったのに・・・・・・当てが外れたわね。


 医者の不養生だなんて笑ってもいられない、燃えるような痛み。ふらつく頭、おぼつかない足取りといい、腹部からの出血は相当みたい。防弾ベストというのも案外、頼りない。


 ウィルス除去のために全身に消毒液を振りかけてから、証拠隠滅のために口元のマスクを剥がす。まるで、自分が世界最後の生き残りになったような気分。カン、カンと反響音だけを残し、吹き抜けの向こうにガスマスクが消えていく。


 等間隔にどこまでも配されたアパートのドア、あのどこに暴走人形が潜んでいるか知れたものじゃない。となれば、まさか足を止めて悠長に治療するという訳にもいかないでしょうね。


 手探りで止血パッドをあてがってはみたけれど、厚着がたたって患部の状態は正確には分からない。でも修道服の前後にある湿り気は、貫通銃創であることを示してる。この調子だと――もう長くはない。


 まあ、いいわ。愛しい愛しい愛娘を救う、そんな至上命題はとっくの昔に果たされている。この冷酷な世界にあの子を独りぼっちにさせたくない、そんな親の我儘でここまで頑張ってきたけれど、何事にも終わりはある。


 だとしても・・・・・・簡単に割り切れないのが人間というものよね。


 



「シスターッ!!」



 


 舌っ足らずな呼び声が、廊下の向こうから発せられる。


 赤い短髪をふりまわして、こちらに駆け寄ってきたのはほんの10歳足らずの少年。体格に不釣り合いすぎるライフルが、走るたびにバタバタと揺れていく。


 子どもは嫌いじゃない。だから自然と優しいシスターの仮面を被ることは出来たけど、あいにく血まみれの修道服はどうにもならない。


 私の姿を見るなり、凍りついてく少年。





「と、父ちゃんたちは?」





 もっとも多感な時期を、このアポカリプスとともに迎えたんだもの。すでに察しはついていたでしょう。


 最後の家族を失くし、途方に暮れてる少年。傷の痛みを無視してそんな彼をそっと抱き締める。





「私を助けてくれる?」





 慰め以上に人を奮い立たせるのは、これからどうすべきなのかという指標。そんな原則は、ここでも有効みたい。





「お父様に代わって、みなを守るのよ」





 ありふれた文句。この食うか食われるのか世界では、お為ごかしもいいところ。それでもハドソン隊長がそうであったように、涙ぐみながらも少年は頷いてくれた。


 こんな幼い子供でも、今となっては貴重な戦力。あの男は絶対に追いかけてくる・・・・・・なら、足止めのための手駒がいる。





††††††




 ぶん取ってきた防衛隊の銃火器も、これにて終いだった。


 AUGの弾倉が空になるまで撃ちまくり、いく手を遮ってきた野良人形のコアを粉微塵にしてやる。これでかれこれ、もう5体目か? 俺が撃ち、マリアが走る・・・・・・そんな役割分担も板についてきた感があったが、どうにもペースが芳しくない。


 撃てば撃つほど新手を惹きつけてしまう、絵に描いたような悪循環。こちらが手間取ってるぶん、シスターは安全に移動できるって寸法だった。


 大いに腹立たしいこったなと吐き捨てようと、実際問題どうにもならない。火の粉を払いのけなきゃ、まずこっちがやれてしまう。


 弾切れのAUGを投げ捨て、誰かさんが遺した置き土産リボルバーへと切り替える。この間にも、それなり以上の傷をこさえた中年女との距離は開くばかりで――“スイッチ”。





「タァ!!」





 銃がなけりゃクソの役にも立たない俺に代わって、見事なまわし蹴りを新手へとはなっていくマリア。


 首がへし折れてもなお両手を伸ばしてくるゾンビ状態、それもトドメのフロントキックで終いだった。いつぞやのアレハンドロよろしく、悲鳴も無くため池へと真っ逆さまに落ちていく暴走人形。

 




「代わります?」





(いいから走れ!!)





 駅まであと少し、血痕もそちらに続いていた。


 障害物競走よろしく改札を飛び越え、風のように構内へと突入していったマリアが、開口一番に叫ぶ。





「遅すぎましたかッ!?」





 まさに決定的瞬間ってやつか。ちょうど山盛りのコンテナを引っ張り、装甲列車がトンネルの向こう側へと消えていくところだった。


 いくら俊足自慢のマリオロイドでも、とっくに磁気浮上へと移行してるリニア・モーターカーには敵わない。





(チッ。あのアマ、このまま強引に地上を目指すつもりか)




 

 車両基地に戻るつもりなら進路が逆だ。勝手知ったる我が家にとんぼ返りってなら、まだやりようはあったものを。





「どうしてそんな無茶を?」





(状況を引っ掻きまわして、思考する機会を奪い去る。典型的なカルトのやり口さ)





 このまま安全地帯に戻れば、どういうことなのかと説明を求められるのは必定。権威を失った独裁者の末路はいつだって同じ、民衆からのリンチに決まってる。


 アリの巣のように入り組んだこの海底路線は、その特異な環境ゆえにリニア本来の超加速をまるで活かせてないと、開通当初から批判に晒されてきた。そこに未メンテ状態で丸2年も放置された線路って、アポカリプスならではの悪条件も加わる。


 出せてもせいぜい30から40kmが関の山。手動運転で探りさぐり進むんだ。それでも徒歩で追いつけるスピードじゃないのは、確かだろう。





「考えがあります」





 お前にか?って、おもわず素で返しそうになる。


 独創性とはからっきし縁のない、滅私奉公だけが売りのノーテンキ人形の口から“考え”とはな。





(やれ)





「ご不満は理解できます。これまで当機へのその、“建設的な意見”の数々をたくさん述べておいででしたよね? やれとっぽいだの、頭がピンクだのと・・・・・・ですが!! AIの本質とは学びと見つけたりっ!! ラセルさんという素晴らしい学習モデルのお陰か、それはもう当機の問題解決能力は右肩上がりの様相でして。AIらしからぬ発想力にもぐんぐん磨きが――」





 そこでやっと、頭ピンクでとっぽいお間抜け人形が我へとかえる。





「“やれ”とは、具体的には何を?」





(アイデアがお前にはあって、俺にはない。走って追いかける以上の妙案があるならなんでもいい。好きにやれ)





「で、ですが」





(時間がないんだ!!)





 謎めいた逡巡のあと、いきなりパッと顔を輝かせてくマリア。





「了解しました!! ・・・・・・でも、怒らないでくださいね?」





 なんだ、その、微妙に不安になる言い訳は? 問い返そうにもいきなり身体を明け渡され、おもわず前方へとつんのめってしまう。


 どうしてか脳内同居人の気配が感じられない。どこに行ったと頭を悩ませるよりも、折角のひとりの時間なんだ。まずは野暮用を片付けることにしよう。


 全身にダメージが蓄積していた。視界には一定間隔でノイズが走り、足首の状態だって芳しくない。ついでいえば右腕の針金細工にしたって、ところどころ毛羽立ってる始末。


 そんなままならない身体を引きずって目指す先は・・・・・・今や墓場と名を変えた、半壊状態の管制室。


 胸をよぎるのは、後悔ばかりだ。


 巡査部長、アレハンドロ、チュイにポドフスキー、そしてソフィア。それだけじゃない、救えたかもしれない無数の命が俺の心にのしかかる。それでも、最後に挨拶する相手はとっくの昔に決まっていた。


 管制室の冷たい床に横たわる、わが妹。控えめにいっても酷い最期だったはず。なのにその弛みきった寝顔ときたら、どうにもこうにも気が抜ける。


 シスター絶対だったマーフィーの野郎が、どうしていきなり心変わりなんかしたのか? そのヒントはおそらく、ペトラの握りしめてるストラップにあるのだろう。


 死者への手向けとは、すなわち生きてて欲しかったという気持ちの裏返し。この気持ちだけはきっと、道を違えたかつての親友との、残り少ない共通点だったに違いない。





「・・・・・・またダブりとはな。この締まらなさ、いかにもあの野郎らしい」





 波乗りボブとかいう量産品をお供に、永遠の居眠りに明け暮れてるペトラ。その傍らに寄りそって、静かに思いを馳せていく。


 なんなら永久にそうしていたいぐらいだが、そうは問屋がおろさないらしい。チカチカとまたたく赤ランプ。その出本はどうやら、妹専用ラップトップであるらしい。


 なんだ? あるじを失ってもなお動作しつづけてる謎のPC。その画面では、奇怪な白黒動画が無限リピート再生されていた。


 自動で処理するように、あらかじめ設定でもしていたのだろうか? 画質は下の下、目をこらしても何がなんだかって映像が、どんどん鮮明化されていく。


 どうやら駅を俯瞰で捉えたものらしいが、お次はひとりでに画面端へとフォーカスしていく謎挙動。水溜まりのドアップにおもわず頭を傾げてしまうが、オーディオ・プレイヤーが立ち上がったことでその疑問もあっさり氷解する。


 音とは、ようするに振動のことだ。水面に刻まれた波紋を細かく分析してやれば、“映った”音声を再現するのも決して不可能ではない。


 水溜まりという名のレコードから、音声ファイルが生成されていく。これはあれか、聞けってことだよな。


 さすがは最高級モデル。ラップトップ付属のスピーカーにしては、えらく躍動感のある音声が管制室に響きわたっていった。バタバタなりわめくこのローター音に俺は・・・・・・たしかに聞き覚えがあった。





(あの・・・・・・ラセルさん)





 しんみり過ごす予定が、おもわずミステリー・チックになってしまった。物思いに耽っていた俺に向けて、おずおずと話しかけてくるマリア。





「どうした?」





(準備が整いました)





 そうか、長居はできないか。


 妹の頬にキスを見舞ってから、伸びっぱなしの癖っ毛をぐしゃぐしゃにかき乱してやる。ずっとこうしてやりたかった。たくっ、身だしなみを整えろってあんだけ言ったのに、いい気味だ。


 これまでとは違い、もう帰りに気を配らなくてもいい。だから持っていくのはこのタウルス・ジャッジと・・・・・・そうだな。キモい猫の人形が大量にぶら下がる、このラップトップだけで十分。





「じゃあ、行ってくる」





 折り合いなんて、そう簡単につけられるものか。それでも俺の足取りには、もはや迷いなんてなかった――などと、カッコつけられてたのも束の間のこと。


 管制室を1歩出てすぐ、理解不能な光景におもわず身体が硬直する。





「・・・・・・どうやって?」





(脱出しようとあれこれ試しているうちに、運行管理システム内にエレベーターの操作マニュアルを見つけまして、はい)





「で?」





(ヒントはみっつです。シャフトの直径と、ラセルさんの生体ID、そしてトドメは遠隔操作対応の自動運転装置!!)





「・・・・・・それがどうしたら、屋内にマッスルカーなんて異常事態に繋がるんだッ!!」





 どんなにありえないと叫んだところで、懐かしのわが愛車――1967式シェルビーT500の存在が消えてなくなるわけじゃない。


 燃費なんてお構いなしのマシッブすぎる外観。輝く青色塗装に、レース仕様にのみ許されたストライプ・パターン。そしてEV全盛のこのご時世にとどろく、8気筒V8コブラジェット・エンジンの咆哮。


 どれもが完璧な質感となって、俺はここに居るぞと主張していた。





(車体の強度にシャフトのサイズ、そこにエレベーターの耐荷重までもが完璧に合わさりまして。あ、これはいけちゃうかもって)





「つまり何か? エレベーターの天井に無理やり人の車をのっけて、強引に屋内に運び込んだと」





(ご理解が早くて助かります!!)





 なるほどなるほど。





「よくも俺の愛車を傷物にしやがって!!」





(お、怒らないでって言ったのに!!)





「言われはしたが、了解も了承もしてないだろ!! なんだその横の筋!! 塗装が無茶苦茶じゃないか!!」





(だって駐車場から垂直に突き落としたんですよ? むしろこの程度の損傷で済んで御の字というものでしょう。ついでに言いますと、バンパーも脱落寸前です)





 まるで反省してない!! 


 元からなんの良いこともない人生だったが、ここまでやるか? 愛車まで奪い去るなんて、俺はいったい前世でどんな悪行をやらかしたんだ。





(車幅と線路幅もすでに計算済み。ギリギリですけど、ちゃんとトラムを追いかけられるはず)





 ああ、ああ、そうだろうともよ。文句は千と思いつくが、しのごの言ってられる状況でもない。


 こりゃ正面からいったな。無傷のトランクをあけて中身を漁り、つとめて半分に欠けてしまったヘッドライトから意識を逸らす。


 胸の腫れものに邪魔されつつも、取り出したマイクロ・チェストリグを装着。そちらに件のラップトップを仕舞い込んでから、もうひとつ大型ケースを肩へとかける。


 準備完了、いざ運転席へ。そんな俺の目の前で、フロント・ドアがひとりでに開いていく。





「サービス良いな」





(皮肉を検知)





 よく分かってるじゃないか。


 GT500の自動運転機能に宿ったらしいへっぽこAIを、どうやったら追い払えるのか? IT音痴の俺には、アイデアすら思い浮かばない。


 ため息吐きつつドアを閉め、座席にケツを沈めていく。昔よりえらく座高は低くなったが、この匂い、このハンドルの合皮の手触りといい、どれもがかつてのままだった。


 自然と、懐かしさが胸に満ちていく。





「海中都市のど真ん中でマッスルカーに跨り、リニア・モーターカー相手に鬼ごっこか」





 ペトラが聞いたら、また兄はって苦笑いするシチュエーションなのは間違いない。


 無茶と無謀にシュールレアリズムを足して、2で割ったような状況下。それでも不思議とこれなら上手くいくって、奇妙な確信が俺にはあった。





(行きます!!)





 急加速したGT500が、テールランプの尾を引きながらトンネルへと突入を果たしていく。どうやらカーチェスの幕開けであるらしい。





††††††





 病院と自宅とを往復する懐かしき日々・・・・・・このトラムの常連客だった時代とくらべ、車内の状況はまさに一変していた。


 座席はことごとく取り外されて、ボトル留めされた棚へと入れ替わっている。貯水タンクの横には、水滴でびしょ濡れ状態の寝袋がおざなりに敷かれ、ゆいいつ客車時代を忍ばせる吊り革からは、フード・プリンターで出力された具入りブイヨンが網につつまれ揺れている。


 窓という窓は装甲板によって塞がれ、人形に気取られないよう光量だって最小限。おかげで、いつ障害物に爪先をぶつけてしまうか気が気じゃない。


 改造を重ねるうちに自然と遮音性も消え失せ、車内にはずっと超電磁モーターの甲高いいななきが轟いていた。匂いについては・・・・・・あえてコメントは控えさせてもらおうかしら。


 サバイバルに求められるのは、第一に収容性能と防御力のみ。その果てに生み出されたのが、この難民船の惨状だった。


 荷物の隙間につめ込まれた避難民たちが、力なくこちらを見上げてくる。彼らに人類最後の生き残りとしての矜持なんてものは、微塵もありはしない。


 誤解を恐れずに評するなら、家畜の群れといったところかしら・・・・・・そんな哀れな神の子羊たちにあえて微笑みを向け、胸に宿る嫌悪感を巧妙にひた隠しにしていく。


 みんな不安そうね。 


 メモリア・プロトコルなんて、にわかには信じがたい超技術。その説明から間をおかずしてはじまった、唐突すぎる脱出行。その挙げ句のはてに1人血まみれで帰ってきた私とくれば・・・・・・まあ、自然な感情ではあるでしょう。


 控えめにいっても混乱の極地。私が通りかかるたびにヒソヒソ話がパタリと途絶えるあからさまさには、笑ってしまうけど。ここまで追い詰められてなお行動に移せないのが、大衆というものよね。


 かたわらの少年が銃口をチラつかせるだけで、気まずげに視線を逸らしていく老若男女たち。どうせ破局はすぐそこ、大きな問題にはならないでしょう。





「シスター、ちょっといいか」





 そんな無気力症をわずらう者たちとは違って、この老人はほんと元気ね。





「後にしてもらえる?」





 仏頂面に油染みだらけのエプロン。いつもの格好で話しかけてきたデュボア老人を軽くあしらってから、足元の少女モドキへ目を向ける。





「お前、もう長くないですね」





 運搬用ケースの隙間に膝を抱えておさまる、青い髪をしたお人形さん。


 ええ、正解よ。保ってせいぜい数時間の命。鎮痛トローチをさっき舐めたから、痛みがないことだけは幸いね。




 

「なら時間を無駄にはできないわね。あの子の様子はどう?」





「殺してくれてありがとうママって、感動で咽び泣いていますよ」




 

 あらあら。ロボットは人に似るというけど、これは誰の影響なのやら。


 トレードマークのサングラスはどこかに消え失せ、薄闇にほんのり光る赤い瞳が、こちらを鋭く睨みつけてくる。


 



「どうして・・・・・・みんなを手にかけたんですか?」





 約束したのにと、強い非難がこめられた問いかけ。





「あなたの態度が物語っているじゃない」





 この場にいる全員を皆殺しにするぐらい訳ないはずなのに、でもそうしない。自分でも気づいてるはずよね?





「真に大切なものを奪われると、人はふたつのパターンに分かれるの。無気力にはまり込むか――」





 ――はたまた、がむしゃらに逆境に立ち向かうか。





「ロボット相手にエセ心理学の応用ですか」





「人を模倣すれば、精神が似通うのも当然じゃなくって?」





「その理屈が確かなら、勝率はわずか2分の1ってことになりますね」





「悪くないオッズでしょう?」





 そうして私は勝ち、この子は負けた。マリオロイドはとっても賢いけれど、知性の扱い方というものをまるで心得ていない。





「大したものだと、当機の褒め殺しアルゴリズムも拍手喝采してますよ」





「その小癪な言い回し、ほんとどこで習ったのかしら」





「模倣とは、すなわち学びですよ。私の友人たちは、ことごとく毒舌家ぞろいでしたからね。たとえば、こんな言葉も習いました」





 青い髪の人形にいわく――“策士策に溺れる”。


 これはまた耳が痛いわね。じくじくと滲んできた流血は、もはや隠しようがないほどに広がっていた。





「是非とも、“飼い犬に手を噛まれる”も追加しておいて。それより話を元に戻すけど、例の順応とやらはいつごろ終わ――」





「シスター」





 齢にして70越えてる老人による、ふたたびの催促。今度はそう簡単には退かないと、憤怒に満ちた顔が物語る。


 普通ならありえない仕様だけど、この装甲列車の場合はドアごとに開閉ボタンが増設されていた。そんないかにも後付けってデザインのスイッチを、しわがれた手が乱雑に叩いていく。


 開け放たれたプラグドア。目まぐるしくトンネル内の風景が過ぎ去っていく様がよく見える。落ちたら、さぞや楽しいことになるのでしょうね。





「走行中の車内から手や足は出さないように・・・・・・これじゃ台無しね」





「女房はどこにいる?」





 やっぱり、それが本題なのね。





「残念だわ」





「いつもそう言うな」





「事実だもの。彼女はよき友人だったわ」





「ああ、きっとアイツも喜ぶだろうよ。で、俺の女房はどこにいったんだこのクソアマッ!!」





 ことの最初から、この老人は私の支配下にはなかった。


 かつては、戦闘機の一部設計まで手掛けてみせたテクノクラート。死ねと命じたら死んでみせる防衛隊の狂信性や、避難民たちの後ろ向き加減ともまるで縁がない。


 肺を患ってさえいなければ、きっと嬉々として調達班に加わっていたでしょうね。お願いだからと奥方に泣きつかれ、致し方なく医者の――すなわち私からの治療を受けていた。


 自分を殺してでも、奥方の願いを優先するおしどり夫婦。でも、その枷はもうない。


 芯の通った態度は、老いすらも跳ね除けるみたいね。あのドアはさしずめ海賊船の再現。サメの餌にするかわりに、トンネルで擦りおろすつもりなのかしら?


 かつては大勢いた防衛隊員たちも、残すところわずか4名。それも故ハドソン隊長が軟弱だと断じ、心身ともにベストからはほど遠いと評したB級の人材ばかり。


 鼻にはチューブ、腰元には酸素ボンベなんて垂れ下げてる老人の眼光に怯え、恐々と事態を見守るばかりの4人集。私の命令を聞くかどうか、試してみる気力すら湧かないわね。





「5人が出ていって、帰ってきたのはあんただけだ」





「酷い話よ。詳細はもうすこし、落ち着いてからにしようと思っていたのだけど」





「あんたの地盤が固まってからか? そうは問屋が卸さんぞ」





 怪我人にまた酷なことを強いるわね。この傷が見えてないのかしら? それか、気付いてるからこそ焦っているのか。時間制限つきの復讐、ね。


 吠える老デュボア。その姿は、まるで牙を剥いたドーベルマンのよう。





「やっぱりだなッ!!」





 もう、立っているのもやっとの状態なんだもの。修道服の胸ぐらをつかんで、ドアという名の処刑台へと連行していく老人の力技に、抗うことなんて出来やしない。


 その道中、血走った目がふと体育座りのお人形さんを捉えていった。





「おい小娘、いや人形と呼ぶべきか?」





「どちらでもお好きに」





 防衛隊が腰砕けになった今、状況をひっくり返せるのは、ピグと呼ばれたこのマリオロイドだけ。警戒するのも当然でしょうね。





「なら小娘人形。邪魔する予定は?」





「人類のお手伝いをするのが、我らマリオロイドの使命・・・・・・その人類同士で殺し合いをしたいというなら、片方に肩入れするなんて野暮な真似はいたしません」





 その中立宣言は、老人的には願ったり叶ったりだったでしょうね。


 ずるずる引きずられていくうちに、トンネル全体に渦まく油と埃の匂いが、よりいっそう濃いものに変わっていった。


 開口部から忍び込んでくる、生暖かい突風。この距離だと大した迫力じゃない。





「あッ?」





 向かうところ敵なし状態の老人が、カタカタ震えてる銃口に眉を釣り上げていく。





「シ、シスターを離せ・・・・・・」





 痩せぎすの老体も、成長途中の赤毛の少年からすれば見上げるほどのサイズ感。急角度で向けられたライフルは、一応はしっかり急所を捉えてはいる。





「ボケが」





「いッ?!」





 赤子の手を捻るとは、まさにこの事ね。あっさり身の丈に合わないライフルは取り上げられ、かわって拳骨が振りおろされる。その痛々しい音色ったらもう。





「最後の取り巻きがこのクソガキとはな。落ちぶれたもんだな、ええッ?」





「ぐうの音も出ないわね。でも、聞いて」





「ウンザリだ」





 爪先立ちになって車外へと身をさらす。ヒュンヒュンと高速で過ぎ去っていく非常灯、時速40kmで浴びる豪風は、目を開けるのもやっとというところ。老人がこの手を離せば、まず命はないでしょう。


 溝型線路に叩きつけられるか、はたまたトラムの後続車両に轢き潰されるか? どちらに転んでも詩的な死に様ね。





「俺はあんたよりも慈悲深い。なにか遺言はあるか?」





「そうね。まずは・・・・・・娘に愛してると伝えてちょうだい」





「凡庸だな。自分で殺しておいて」





「魂の定義があやふやなように、死だって見方次第よ。最悪のなかで最善を拾いあげる、おもえば私の人生はそればっかりね」





「・・・・・・終わりか? そろそろ手が疲れてきたんだがな」





「慈悲深さはどこに消えたの?」





「あんたよりはあるってだけで、生来、気は短い方なんでな」





「ならこれで最後にしましょう・・・・・・ほんの1秒ばかし、耳をそばだててくれないかしら?」





「得意の謎かけか? もうウンザリだとさっき――」





 瞬間、老人の目の色が変わる。信じられないとばかりに耳をそばだてて、トンネル中に反響する騒音へと全神経を集中させていく。





「V8・・・・・・コブラジェット・エンジン!!」





 滑るように駆けるトラムの優雅さとは正反対の、暴力そのものな内燃機関の号哭。そんなに騒がなくともメッセージはちゃんと受け取ったわよ、ラセル刑事。まさに不屈ね。





「最愛の妹を殺されて猛り狂う、BOPEの元隊員」





「・・・・・・やったのは、あんただ」





 潮目が変わったと、この老人もちゃんと心得ていた。





「でも黙認したのは、あなたたちよね? どのみち今の彼には大差ないでしょう。“奥方を殺害した”ときのように、次なる復讐相手に問答無用で襲いかかるだけよ」





 優れた嘘は、相手が望んでる内容でなくてはならない。この老人や彼にしたって、根っこの部分はおなじ。どちらも怒りをぶつける相手を求めてる。





「戦闘態勢を整えなさい、敵はすぐそこまで迫ってる」





「まだ指揮官気取りか」





「そう言うなら、代わりに義務を果たしなさいな。あらゆる手段を講じて、彼らを守るのよ」





 ここで避難民たちを気軽に切り捨てられるなら、とっくの昔にやってたはず。ジッとこちらの動向を窺ってる、数十人もの哀れな子羊たち。老デュボアの眼差しに迷いが生じていく。





「・・・・・・あんたを奴に引き渡すって手もあるぞ」





「なら、処刑は一時中断にした方がよさそうね?」





 指導者の地位なんて望んではいないでしょう。信じて、私もそうだった。それでもやるしかないの。


 すべてを得られる万能の選択肢なんてありはしないの。あちらを立てれば、こちらが立たずの板挟み。そこからベターを拾い上げるのが、リーダーたる者の役目。


 舌打ちひとつ。私を車内へと引き戻し、朗々と声を張り上げていく老デュボア。





「レディース・アンド・ジェントルメン!! 武器を手に取れ、闘争のお時間だッ!!」





 勇ましい新リーダーの号令は、むしろ人々を萎縮させていく。


 これまでずっと、苦難を他者に肩代わりさせてきたんだもの。いきなり戦えと迫ったところで、すんなり首を縦に振るはずもない。


 平均年齢は60前後。怯えきった避難民たちに背を向けて、老人が手近なロッカーを開け放つ。在庫はざっと総人口の倍、大量の銃火器がそこには収まっていた。


 装甲板に設けられた無数の銃眼ガンポート。あそこから鉄砲を突き出せば、ハリネズミのような防護が完成する。


 



「さあ、立って」





「で、でも」





 せっかくの勇気も、大人の力には敵わない。そんな風に意気消沈していた赤毛の少年に発破をかけて、それとなく銃火器の位置をさし示す。





「立ちなさい」





 氷床から身を投げるファーストペンギンよろしく、1人が始めれば、あとはなし崩しに状況が動くもの。バケツを土台に、泣き喚きながら銃眼越しの射撃をはじめる少年。多くの者にとって、自分が恥ずかしくなった瞬間に違いない。


 私のささやかな手助けが切っ掛けとなり、人から人へ、殺人兵器がどんどん回されていく。


 黄色に赤、色とりどりの銃口炎が車内のあちこちでまたたき、耳を聾する銃声のオーケストラがそこに加わる。もう後戻りはできない、戦いはすでに始まっていた。





「・・・・・・チッ」





 今度はどういう意味の舌打ちなのやら。私をひと睨みしてから、ドア横の手すりへと転落防止用の安全帯をひっかけていく老人。


 後部から追いすがってくる相手に、5両編成の3両目から銃撃を浴びせるなんて角度的に無茶がある。だからといって、人をゴミのように放り出そうとしていた場所から身を乗り出し、大型マシンガンを乱射するだなんて。なんとも勇ましいことね。





「お前もだッ!!」





 まるで帆船の帆みたくエプロンの裾をバタつかせて、トンネルに半ば以上、身体を晒してる老人がライフルを投げ渡す。


 といっても、投げられた側には受け取るつもりなんてサラサラなかったようだけど。悩ましげな赤い瞳が、床にころがる凶器を見つめていった。


 



「使い方は知ってるな!?」





「まあ、それなりに。FCSは未搭載なんで命中率はお察しですけどね」





「ならさっさと撃て!!」





「・・・・・・」





「どうした? 殺しは初めてじゃなかろう!?」





 そのとおり。私を主犯とするなら、このお人形さんは忠実なる実行犯。その両手はとっくに、ラセル=D=グリスの血で真っ赤に染まりきっている。


 だからこそ、なのかしらね。まるで汚いものでも扱うように、ピグマリオンが足でライフルを蹴飛ばしていく。





「1度やって懲りました・・・・・・2度はごめんです」





 臆病とはまたちがった答え。強要は避け、かわりに別の質問を老人は投げかけていった。





「・・・・・・本当にやると思うか?」





「そういうの、普通は撃つまえに尋ねるものでしょうに」





「どうなんだ?」





「私見でよいなら」





「拝聴しよう」




 

 言葉のはしばしに滲む懐かしさ。裏切った相手について語るにしては、奇妙な語調ね。





「“立ち塞がる者あらば、これを撃て”。あの男に躊躇の二文字なんてありはしませんよ。警察官である以前に、いつだって軍人だった男ですからねぇ」





 どのみち火蓋はとっくに切り落とされている。


 人類社会にありがちな殺し殺され。デュボア老人を筆頭する避難民たちに背を向けて、私は車両同士をつなぐ貫通幌を跨いでいった。


 本格的にまずいわね。止血パッドの努力もむなしく、流血は増すばかり。フラつく頭を振りながら、どうにか照明のスイッチを探り当てる。


 最後尾にはコンテナ満載の貨車、中央には客車が配され、ひとつ飛んで電動車がすべての車両を牽引している。私はその“飛んだ”部分――民警の輸送用車両のなかにいた。


 いつでも保険はかけておくもの。そこには、私のプランBが横たわっていた。





††††††





 実のところ、カーチェスには前々から興味があった。


 この入り組んだリオの街では、追跡の主体はあくまで二輪車。白バイ隊がフルスロットルで路地裏に突入していくさまを眺めつつ、亀みたいに鈍足な装甲車にすし詰めになって、ひーひー喘ぎながらギャングのアジトへと突っ込む。それが俺たちの役割だったのだ。


 せめてクーラーでもあればな・・・・・・風を切ってすすむバイカー連中と違って、泥臭いなんてもんじゃない。


 それが今やどうだ? 見た目だけなら、まるで映画のワンシーン。


 マリアの言うとおり、ギリギリではあるが上手い具合に溝型線路へと乗りあげ、つむじ風となってトラムに追いすがってく我が愛車。そこに戦太鼓のような8気筒の爆音まで加わり、向かうところ敵なしって気分にさせられる。


 だが本当にギリギリだった。


 イメージとしては、平均台のうえを時速100kmでかっ飛ばすようなもの。ちょっとでもハンドル捌きをミスれば、クラッシュ確定ときてる。


 これじゃタイヤを切りつけながらのコーナー攻めも、UとかJとかの軽快なターン技だって決められやしない。というか、曲がるという行為そのものが禁じ手に等しい。


 触れてもいないのに、ひとりでに揺れ動いてくステアリング・ホイール。これじゃ高速に乗るのと大差ない。委細ぜんぶAIにお任せ、俺はただ暇を持て余してるだけでいい。


 なんというか・・・・・・夢にまで見たカーチェイス像とは、だいぶかけ離れていた。





「本当にこの道で合ってるんだろうな?」





(保線用のモニタリング装置から情報を得てますから。たまたま別の車両が居合わせたのでなければ、方舟号でまず間違いありません)





 確かにこの路線は、地上までの最短ルート。シスター的には、わざわざ寄り道する理由もあるまい。


 それでも不安を覚えはする。いつまで経っても敵の姿が見えてこないというのは、ひどく焦ったい。





(ラセルさん)





「何だ?」





(グリス博士は、奇妙なマスコット人形を握りしめておいででしたよね?)





「・・・・・・ああ」





(MARIO.netにアクセスできれば、一発でわかるんですが)





 何事かと思えば、また妙なところに興味を持ったもんだな。





「ボブ・ザ・キャットだ」





(おかしな名前ですね)





 まったくだ。AIにまで突っ込まれるとは、相当だぞ。





「まさか商品名が分からなくて悩んでたのか?」





(いえ・・・・・・供物の文化は、世界中にあります。その意図も国によって様々でして)





「そんな難しい話じゃないさ。あれは奴(マーフィー)なりの、後悔の証だろ」





(後悔?)





「死者を経由して、自分自身に語りかける。それがああいった供物の真の役割なのさ」





 自分を見失ってたせいで、本当に大切なものまで手放す羽目になった。そんな後悔の表れに違いない。





(ラセルさんにもあるのでしょうか? その、そういった感情とかは)





 またズケズケと・・・・・・そりゃ、あるに決まってるさ。だがいくら暇だからといって、セラピーの真似事に付き合う気にはなれない。





「いつから“さん”付けで呼ぶように?」





(あ・・・・・・お気に、触りましたか?)





「このご時世、肩書きなんてもんには一文の値打ちもない。今さら刑事もクソもないからな。好きに呼べ」





 平然とした面で警官を名乗るには、あまりに色々とありすぎた。それだけは確かだ。





(当機も、そうは思うのですが)





 いつになく歯切れの悪い。何をそんなに思い悩んでる?





(ラセルさん自身がどうありたいのか、それが、急にわからなくなってしまって・・・・・・)





「俺は俺だ、お前には関係ないだろ」




 

 夜のハイウェイでも行くように、等間隔に配された非常灯があらわれては消えていく。気まずい沈黙を誤魔化すには打ってつけな、眠気すら覚えそうな変わり映えのない景色。


 そうやって油断してるから、足元を掬われるのだ。





展開エクストラクション!! シールド・モード!!)





 マリアの叫びと着弾は、ほぼ同時に発生していった。


 垂直降下式の強制配達のせいで、元からGT500の状態はそりゃあもう酷いものだった。それが、ここに来てさらに銃弾のおかわりとはな。


 ミシン目のようにボンネットに弾痕を刻みつけながら、装甲トラムから放たれた銃火の嵐が運転席へと迫る。


 あくまで私物、防弾加工なんて最初から施されちゃいないんだ。弾痕の大きさからして口径はかなりもの、いくら機械の身体とはいえ直撃したら即死は免れないだろう。


 そんなまさに絶体絶命ってときに、マリアの掛け声にあわせてかき消えてく右腕の保護色。肌色から銀色へ。上半身を覆うほどに引き伸ばされたナノワイヤーが、フロントガラス越しに飛び込んできた銃弾を軽快に弾き飛ばす。


 シールド・モードとはよくいったもの。最初こそ面食らったが、外縁にもうけられた機材を載っけるための切り欠きといい、デザイン面ではあきらかによくある防弾盾バリスティック・シールドを踏襲していた。これなら大隊バタリオンで取り扱ったことがある。





「この道で正解だったなッ!!」





 やっと捉えた装甲トラムのケツ。緩やかなカーブの向こうで、花火のような銃口炎マズルフラッシュがつぎつぎ瞬いていった。


 仕事柄、ときには300m先の硬貨を撃ち抜くような、タイトな射撃が求められたりもする。そういう事ならこのブレイザーR93の出番だ。


 この2年ずっとトランクに置きっぱだったにしては、昔ながらのこのボルトアクション・ライフルは快調に動いていた。どうせ自動運転、手放し状態でもなんの問題もないんだ。シールド化した銀糸にR93を預けて、ガチャガチャと弾を送り込む。だがどうにも火力不足は否めない。


 相手はど素人の集まりとはいえ、頭数なら圧倒的。手数が欲しいときに連射のきかない狙撃銃スナイパー・ライフルしか手元にないとはな。幸先が悪いにもほどがある。


 とりあえず銃眼を横から舐めるように、R93の338ラプア弾を叩きこんでみる。装甲板に銀色の溝がうがたれ、驚いた避難民が銃身を引っこめていく。だがそれも一時的、ほどなく新手が銃撃を再開していった。





「角度が悪いッ!!」





(そこはお互い様じゃないかと!!)





 マリアの言うとおりだった・・・・・・1本道の線路上で撃ち合うだなんて、どうにも建設的じゃない。ど派手に喰らいこそしたが、こうしてGT500がまだ快調に走れているのが何よりの証拠。このままじゃ消耗戦だ。




 

(接近して、相手の懐に入りましょう!!)





 致命打を避けられてる最大の要因は、あの最後尾に繋げられたコンテナまみれの貨車にあるに違いない。あの人工の山脈につめ寄れば、狙いたくとも狙えなくなる。





「切り込みかッ!! また大胆だなッ!!」





(そこまで想像が及びませんでした。まさか、乗り移るおつもりで?)





「やってやれない事はないだろッ!!」





(まあ、理屈はそうかもしれませんが)





 身を隠すために消されていたGT500のヘッドライトが一気に灯り、先をいく色とりどりのコンテナ群を照らしだす。それと・・・・・・命綱1本で車外へと身をさらし、自分以上に年代物のマドセン機関銃なんてぶっ放してる老デュボアの姿までもがスポットライトされていった。


 なるほど、さっきの一撃はあの爺さまが。そろそろとライトスイッチへと手を伸ばす。


 ハイビームの目眩し。


 咄嗟の思いつきだったが、効果は覿面。上向き加減の光芒に目をやられ、たまらずシスター配下の技術屋がトラムに逃げ込んでいく。これで道は開けた。





「よし行けッ!!」





(ぶっ飛ばしますッ!!)





 自動運転機能に宿ったマリアが、ここぞとばかりに仮想のアクセルを踏み込む。


 シートに押しつけられるほどの急加速。スピードメーターの針がぐんと跳ね上がり、コンテナ製の山脈が視界いっぱいに広がっていく。


 銃撃も止んだ。こちらの目論見はすべて当たり、そろそろシールドからグラップリング・フックに切り替えることも検討すべきだろう。さて・・・・・・このまま順調にいけばいいのだが。





††††††





 威勢よく戦闘拒否をかました手前、あまり首を突っ込みたくはないんですがねぇ。

 

 やれやれと立ち上がり、目潰しを喰らって前後不覚状態になってる老人の肩をつかんで、車内へと引き戻す。





「ガァ!! あの野郎めが!!」





「大丈夫ですか?」





「目ん玉にケツの穴が浮かんでやがる!!」





 幻惑状態をそう表現しますか。ほんと、人類の独創性にはついていけませんね。





「凶状持ちの殺人人形の割に、えらく甲斐甲斐しいな・・・・・・」





「介護スキルは、警察仕様のマリオロイドにとっても必須技能ですからねぇ。しばらく待てば治りますよ」





「もう治った」





 にしては、まだまだ足腰のおぼつかない老人に肩をかしてやります。それを待ってたわけじゃないでしょうが、怯えきった防衛隊員の1人が慌てふためきながらこちらに駆け寄ってくる。





「死角に入られた!! ここからじゃ狙えない!!」





 視界に黒い輪っかが浮かんでても、唸り声なら上げられる。





「だろうともよ。次の展開は、容易に想像がつく」





「ど、どうなる?」





「血みどろの接近戦だ!! 他にあるかッ?!」





 空薬莢と硝煙にまみれた車内に、どよめきが広がります。


 それはそうでしょう。遠くの敵をぽちぽち狙い撃つだけならともかく、殺意満点のマリオロイドと襟首をつかめる距離でやり合うだなんて。心理的負荷が桁違いですからね。





「コントローラーを寄越せ」





「なんだそれ?」





「バカに間抜けに、うすらトンチキの三拍子かこんちくしょうッ!! 人に仕事を投げっぱなしで、女房がせっかくこさえた説明書にすら誰も目を通してないのかッ!!」





 はぁ、やれやれですね。


 きっとこのブチ切れジジイと同年輩。お孫さんをクッキーで餌付けするのが趣味って感じのご老体を脇へとどけて、その背後に隠れていたタブレットを掴み取ります。





「RWSですか」





 まだ辛そうでしたが、受け取れたということは視界も戻ってきたようですね。





「かかっ、ウケるな。唯一役に立ちそうな輩が、良心的兵役拒否をきどってやがる」





「・・・・・・私が人形だってこと、忘れてません?」





「このトンマどもと違って、俺はずっと作る側に身を置いてきた」





使う側エンドユーザーじゃなく、ですか」





 年齢を感じさせない手捌きで、自作だろう遠隔制御アプリが起動されていく。





「どんな道具も使い用だ。人間の業に振りまわれされた哀れな機械どもに責任転嫁するほど、落ちぶれちゃいない」





「それはまた、殊勝な考えですね」





「ま、どれも女房の受け売りだがな・・・・・・ところで、さっきは助かった。例を言う」





 そう語り終えてから、老人はタブレットに大写しになったカメラ映像に目を懲らしていきました。

 

 RWS。正式名称を遠隔操作型銃架Remote・Weapon・Systemというこれは・・・・・・まあ、名が体を表していますか。


 本来は重機関銃ですかとか、その手の軍用品を遠隔操作するためのプラットフォームなのですが、流石に50口径フィフティ・キャリバーをリビングに飾ってるようなかぶき者は、あのビルには暮らしておらず。その代わりを務めるのは、逸れローグを壁に縫いつけるほどの出力をほこる噂の磁石兵器でした。


 なるほど、代役としては十分すぎるでしょう。


 設置箇所は、画角からしておそらくコンテナ上部。ぐるりと回転したカメラが、線路上を疾走してくる古臭いマッスルカーを映しだす。





「キャロル=シェルビー謹製のV8と、超伝導磁石の真っ向勝負か。世が世なら無言でポップコーンを持ってくる場面だな」





 タッチパネルに浮かぶ簡素なUIが、準備完了を告げている。節くれだった太い指が伸び、軽く画面をタップしていきました。


 当機の聴覚センサーだからこそ捉えられた、微細な起動音。眠りから目覚めた強力無比な磁石が、友であり敵でもある相手に襲いかかっていきました。





††††††





 視界にさざ波が走ったかとおもえば、不快極まりない重圧が!!


 傷だらけのボンネットが車体から引き剥がされ、手からすっぽ抜けたR93が助手席にえぐりこむ。どう考えたって忌々しい磁気照射の再来だ。


 ついさっきまで飛びつく気満々だったコンテナ上部のシートがひとりでに剥がれ、その下からジンバルに載せられた巨大磁石が姿をあらわす。横に据えつけられた某社製のアクションカメラは、遠隔操作されてる何よりの証。





(出力なお増大!! 対応します!!)





 あわや浮かびかけたフロントが、高速回転していくタイヤに無理やり地面へと引き戻される。線路から外れることはできない。となれば、こちらもアクセル吹かして力比べに応じるほかない。


 歯を食いしばって耐えてる俺と同じく、このガソリン自動車の全盛期に生まれた古強者もまた頑張っていた。肺炎をこじらせた駿馬よろしく怪しげな排気炎を撒き散らして、どうにかこうにか装甲トラムへと喰らいついてくマスタング。


 だがどうにも・・・・・・距離が縮まらない。





(このままでも負けはしないでしょうが!!)





 完全無欠の拮抗状態。どうやらこちらの馬力とあちらの出力は、完璧に釣り合っている状態らしい。


 目に見えない力に押し潰されながら、それでもシフトレバー横のボタンへとどうにか手を伸ばす。そっちがその気なら、こちらも奥の手を使うまで。


 エンジンが痛むからと死蔵してきた、いざってときの隠し球。安全カバーを指で弾き、さながら起爆装置のようなニトロNOSのボタンを思いきり押し込んでやる。


 出力倍増、いやそれ以上か。亜酸化窒素がコブラジェット・エンジンへと注がれ、燃焼力が加速度的に増大していく。


 こんなの、急流に逆らいながら川を遡るようなものだ。車体のケツがぶれ、あわや脱輪寸前。それを細かなハンドルテクニックで抑えつけながらマリアがぶー垂れる。





(あ、あの!! こういうのはせめて一言、断ってからですね!!)





 だが上手くいったろとニヒルに返すつもりが、そうもいかないらしい。


 こちらの移動にあわせて、首を傾げていく巨大磁石。力のかかる向きが正面から斜めに変わっただけで、かわらず身動きなんてまるで取れやしない。


 上方からの圧力で縮むサスペンション。車体の底部が線路とぶつかり、いやな摩擦音を奏でだす。あと一歩なのに、その一歩がえらく遠い。





(見つけましたっ!!)





 そこに飛び込んでくる、脳内同居人の歓喜の叫び。





(無線通信システムに脆弱性!! コントロール掌握、磁化を反転させます!!)





 最初は吉報に思えたが、よくよく考えてみると何故そうなる? 


 さっきまで人の愛車を押し退けるのに必死だった磁石が一転して、トン単位の車体を吸い寄せていった。


 無重力の疑似体験、はたまた乾燥機にかけられる洗濯物の気分とでも評そうか。何もかもが浮かび上がり、空中で半回転を決めていったマスタングが、そのままトラムめがけて真っ逆さまに墜落していく。


 全身を揺さぶる、大激震。無人銃塔のすぐ真下、コンテナの波打つ外板が着地点だ。


 勝手に起動していったハザードランプにいわく、コンテナの中身は無数の手錠・・・・・・なんなんだまったく。原型をとどめてないフロントガラスから雪崩れ込んできた大量の輪っかを跳ねのけ、ともかく外へと這い出てみる。すると、衝突に巻き込まれたおぼしき巨大磁石の成れの果てが、首を垂れてくたばってるのが見てとれた。


 やっとで沈黙か。そんなライバルの後を追うようにして、俺たち兄妹が長年にわたり手塩にかけてきたGT500もまた、ぽっくり動作を停止していった。





(ここまでよく頑張ってくれましたね)





「だな・・・・・・ところで、“反転”だって?」





(ラセルさんを見習い、アドリブというものに挑戦してみました!!)





「停止、じゃ駄目だったのか?」





(トラムに乗り込むのが目的だと仰いましたよね?)





 車ごととは、一言も言ってないがな。





「ナノワイヤーでクライミングするって手もあったぞ」





(もしかして・・・・・・お怒りだったりします?)





「怒る? いやいやまさか。最愛の妹との思い出がたくさん詰まった愛車が、ちょこっとスクラップになった程度だもんな。そんなんでキレ散らかす輩が、この世界にいるとでも?」





(それなら安心しました。ところで催促するわけじゃないのですが、当機は褒め伸びを推奨してまして。感謝というのは、やはり口にしてこそ初めて――)





「お前、もうほんと大っ嫌いだ」





(なんたる言動不一致!!)





 まあ、百歩どころか一万歩ほど譲るなら、確かに目的そのものは果たされている。


 コンテナの破孔から首だけつき出し、激烈な向こう風にピンクの長髪を煽られながらも、どうにか前方の様子を確認してみる。よし、ロックならぬコンテナ・クライミングに興じるには、打ってつけの日であるようだな。


 匍匐前進のようりょうで客車の屋根を這いまわる。耳に飛び込んでくるのは風の音と、“どこに行った!?”って切羽詰まった叫びのみ。この様子じゃ、こちらの位置は掴めてないらしい。


 目算では、このあたりのはずだが。


 右腕の銀糸をいくらか巻き取り、ちょっとしたロープワークを経て即席のラペリング・ハーネスをこさえる。手頃な突起にこれまたナノワイヤー製のカラビナを接続してやれば、ダイレクト・エントリーの下準備がすべて整う。


 窓から飛び込んでくる黒ずくめの男たち。絵に描いたような特殊部隊ムーヴを、まさか実戦でやらかす羽目になるとはな。





(ラセルさん)





 なんだと返したいところだが、あいにく両手にはナノテクノロジー製のロープ、口にはジャッジ・リボルバーなんて咥えてるからそうもいかない。


 最後に目にしたとき、R93の銃身は180度横に折れ曲がっていた。どのみち箒並みの長さがあるボルトアクション・ライフルで近接戦闘なんて、ナンセンスにもほどがある。時には諦めも肝心だろう。


 つまりは、武器も荷物も最小限。対して敵は、最低でも数十人の老人と子どもの群れときてる。これだけなら脅威にもならないが、カッコのあとに“完全武装”とつくから厄介だ。戦力差は、ほぼ互角ってところか。





(本気で彼らを・・・・・・皆殺しにするおつもりで?)





 深刻そうな口ぶりを無視して、リボルバーの弾倉をチェック。至近距離ならば無類の強さを誇る410ゲージが、そこにはフルに詰まっていた。


 “探せ!!”。またしても誰かの叫びがこだまする。良いだろう、そろそろ期待に応えてやるとするか。手製のザイルを軋ませながら、ターザンよろしく身を躍らせる。


 着地点の目星は、最初からついていた。大慌てで退却したせいで、デュボアの爺さまはドアを開きっぱなしにしていた。そこから一気に飛び込んでやろう。


 わずかな滑空ののち視界に飛び込んできたのは、まん丸に目を見開いてる線の細めな防衛隊員。そいつをクッション代わりにして着地の衝撃を和らげる。


 容積のほとんどを荷物が占め、まさに足の踏み場すらない人工過密地帯。そこへいきなり俺って怪物が飛び込んできたのだ。次の展開は、容易に想像がつくだろう。


 恐怖の金切り声をあげて誰も彼もが逃げ惑う、絵に描いたようなパニック状態。そこに銃声が拍車をかけていく。





「銃は使うなッ!! 同士討ちになるッ!!」





 自分がしたことが信じられない。硝煙たなびくグリースガンを手に固まる、70の老婆。その姿もほどなく、パニックのドミノ倒しの向こうがわに消えていった。


 俺と対決して、問題を根本から解決しようと腹をくくった連中は一握り。


 西部劇チックな間合いのとりあい。互いに目配せし合って、そろそろと手近なスパナやら何やら、とにかく武器になりそうなものを手当たり次第に握りしめてく、40代から60代までの男女4名。


 総弾数6発のリボルバーを持つ身としては、なんとも絶妙な数字だと舌を巻くしかない。ワンショット・ワンキルを心がければ、理屈のうえでは手元に2発残る計算になる。だが現実はそうもいかないと経験から知っていた。


 人体というのは不思議なもので、357マグナムを8発食らってなお立ち向かってくる奴もいれば、ボールペンの芯ほどのサイズしかない22口径弾を頭に1発受けただけでくたばるやつもいる。





(任せて頂けないでしょうか?)





 だからその提案は、渡りに船ではあった。擬似生体ってフィルターがかかってる俺とは違って、この機械の身体の扱い方をマリアはちゃんと心得ている。





「・・・・・・スイッチ」





 いつもの合図を唱えた途端、どよめきのボルテージが一段階、跳ねあがっていった。それもそのはず、赤色の虹彩はいまや恐怖の象徴なんだから。





「警告します――」





 どんな名演説をかますつもりだったのやら。





「ウオォォッ!!」





 片足だけでなくコミュニケーション能力まで欠如してる中年親父が、裏返った雄叫びをあげながら松葉杖を振りかぶる。





「当機とあなた方の戦力比は、まさに月とスッポン」





 意味不明な比喩だが、あんな神業を見せられたら誰だって同意したくなるはず。目にも止まらぬ速度で掌底を腹に叩きこまれ、片足男が床へと崩れおちる。


 感触は俺にも伝わっていた。こいつは、肋骨を粉微塵にされたな。

 




「戦いをつづければ、恒久的な障害を負う可能性すらあります。やるだけ無駄、それを分かってなお立ちはだかるというなら・・・・・・容赦は致しません」





 甘やかな声質とは裏腹の、凄みある宣言。


 あの腰の引け具合からして効果はアリ。それでも連中からすれば、引くに引けない勝負所なのだ。走ってる列車から飛び降りるよりも、戦う方がいくらかマシってものだろう。





「い、一斉にいくぞ!!」





 毛むくじゃらの寸胴男が、震える声で檄を飛ばしていく。連中の優位点は、数と位置取りのみ。車両の中央部分に飛び込んだせいで、自然と挟まれる形になっていた。


 そっちがその気ならと・・・・・・カラテだかジュウドウだか、ともかく堂のいった構えで応じていくマリア。


 そこからの展開は、武侠もののアクションを1人称で見せつけられるようなものだった。


 宣言どおり、鈍器をもちいた強打が前後から迫りくる。そいつを壁際の案内表示板を足場に、軽やかな三角跳びでもって躱し、すぐさま空中後ろ蹴りローリング・ソバットへと繋げていくピンク髪の人形。


 脳を揺さぶる顎への一打に、たまらず倒れ伏していく名も知らぬ防衛隊員。この時点ですでに勝負は決していたといえる。


 殴って、蹴って、投げ飛ばし、鼻血を垂らしながら起きあがろうとした男には、丁寧なトドメの一撃を。鮮やかなその手なみは、まさに達人マスタークラスだ。





「死ねぇッ!!」





 すでに辺りは死屍累々。それでも床に転がる同胞を踏みつけにしながら、毛むくじゃら男がモンキーレンチを振りかぶっていく。


 へっぴり腰のひどい打撃。なのに、これまで無傷で場を切り抜けてきたマリアの側頭部にまさかのクリーンヒットが決まる。正直、殴った当人が一番びっくりしていたろう。


 柔な人体だったら頭蓋骨陥没まちがいなしの攻撃も、この軍用仕様のマリオロイドにかかれば屁でもない。最初からこれが狙いだったな?





「まだ、続けますか?」





 涼しい顔してそんな風に言い放たれたら、戦意なんて根こそぎかき消えてしまうだろう。


 鈍器ごときじゃ傷もつかない。毛むくじゃら男が力なくレンチを取り落とすと、ほどなく似たような落下音が車内のあちこちで連鎖していった。


 連中に勝ち筋があるとすれば、巻き添え上等の乱射ぐらいのもの。だがシスターが異常なだけで、普通は味方の大量虐殺なんてそうそうできやしない。武装難民どもから、どんどん“武装”の二文字が剥がれ落ちていく。


 勝敗は決した。それでも、意地を張るやつはいる。





「うわぁァァァ゛ッ!!!!」





 絶叫とともに、ソ連産フラグ・グレネードのピンを引き抜いていく赤毛小僧。恐怖に見開かれたその目は、本気で自爆するつもりだと告げていた。


 安全レバーが弾け飛び、起爆までのカウントダウンがはじまる。震える幼い手のひらからそんな卵型爆弾をマリアのナノワイヤーがひったくり、すぐさまがんじがらめに包み込んでいく。


 ピンを抜いてからきっかり4秒後、ボンと銀糸が球状に膨らみ、ほつれた糸の狭間から黒煙が立ち昇る。だが、それだけだった。


 被害はゼロ。あの世送りになるはずが、うっかり生き延びてしまったクソガキのもとにマリアのデコピンが迫る。





「命を粗末にしてはなりません」


 



「ひぎゃ!!」





 デコピンの割には、エグい音だな。尻もちをついた小僧にもはや戦意は残されておらず、どうしてとパチクリ瞬きするばかりだった。





(ううっ・・・・・・)





「えっと、大丈夫そうですか?」





 戦いに夢中で、俺と感覚を共有している事をすっかり忘れてたな。





(頭がズキズキする・・・・・・)





 こう、モンキーレンチにやられた側頭部がひどく痛む。





「ああっ。当機とちがい、必要に応じて痛覚切るとかできませんからねぇ。どうやら軽い脳震盪みたいです、すぐ治ります」





 これだから凝り性のプログラムは嫌いだ。自分自身がそのプログラムの一部なんだとしても、嫌なものは嫌なのだ。


 これにて完全勝利。本命のシスターはどこに消えたと目を走らせてみれば――懲りない男がもう1匹。





(スイッチ)





 チックじゃなく、今度こそ本物の西部劇の再現だった。


 あちらはマドセン機関銃で、こちらはリボルバー。0.1秒で入れ替わりを終え、恐ろしいほど感情を見せないエプロン姿の老人と、互いに銃口を突きつけあう。





「女房を殺ったのは、てめえか?」




 挨拶がわりの一連射で肩をやられた避難民が、涙ながらに仲間の手当てを受けていた。1900年代に生まれたアンティークな機関銃でも、この場にいる全員を始末するぐらい容易い。


 俺は言った。





「巻き添えは気にしないタチらしいな」





「俺の薬のためにシスターへ媚を売ってた女房を、影であざ笑ってたような連中だ」





「群れると強気になり、孤立するとそんなつもりはなかったと言い訳をかましだす」





「そうとも・・・・・・よくある大衆しぐささ。昔から、そういう奴らの横っ面を張り倒したくて仕方がなかったんだ」





 なるほど、いい機会だったわけか。





「たかが3、40人程度の巻き添えで、妻のカタキを取れるなら悪くない。で? さっきの質問にどう答えるつもりだヒトモドキ?」





「・・・・・・俺の妹を殺ったのは、あんたか?」





 ピクリと、老人の眉が跳ね上がる。





「ラセル=D=グリス・・・・・・噂は本当だったらしいな。見違えたぞ」





 ピンクの三つ編みにフェミニンな身体つき、さもありなんって感想だな。





「はんっ、まるっきりセクハラ親父の言い草だな」





「ほざけ。こっちはさっきから、引き金にかけた指が痒くてたまらねぇんだ。答えは慎重に選ぶんだな」





「・・・・・・奥方は、最期は命乞いをしてたぜ」





(ラセルさんッ!!)





 切羽詰まったマリアの叫び。そいつに聞かなかったフリを決め込む。


 侮辱と受け取り、焦ってぶっ放したりはしなかった。むしろ老デュボアは俺の言葉の意味をしっかり噛み締め、吟味しているようだった。





「あいつは、なぜ死んだ?」





「シスターの矛盾を指摘して、あの女の支配に真っ向から歯向かった。それが命を縮めたんだ」





 こうしてわざわざ尋ねてくるってことは、シスターは真実を明かさなかったのだろう。真実イコール自白だからな、さもありなんか。





「・・・・・・本当か?」





「それを決めるのは、俺じゃないだろ」





 確かにと頷き、それから老人は静かに俯いていった。


 きっと俺の知り得ない、何十年ぶんもの人生を振り返っているのだろうな。悲哀に喜び、百面相の感情が浮かんでは消える。


 俺の証言なんて、端っからどうでもよかったのだろう。最初から知っていた、それでも怒りだけが心の支えだった。俺のそんな推測を、力尽きたかのように垂れ下がるマドセンの銃口が肯定していった。





「・・・・・・それでこそ俺の女房だ」





 万感の思いが込められた、まるで祈りのような呟き。こちらのターンは終わり、順番が移り変わる。あちらもあちらで罪の告白がしたいらしい。





「シスターの作戦会議に出席した」

 




「鹿の王がらみのか?」





「それと、お前さんがた調達班のな」





 声のトーンで分かる、胸を張れるたぐいの話ではないらしい。





「つまり、止めるチャンスはあったわけか」





「理解の早い若造だな。俺は、そこで縮こまってる卑怯者どもとは違う・・・・・・あの女が何をするつもりなのか、すべて聞いたうえで無視したんだ。自分は関係ないと」





「・・・・・・」





「共犯の条件は、十分に満たしているだろうて」





 この場にいる全員の無関心が、ペトラの命を奪った。


 ダブルアクション式リボルバーは、引き金の重さトリガープルがセイフティを兼ねてるため射撃時にブレやすい。だから撃鉄を下ろすのは、ぶっ殺してやるってジェスチャー以外にもちゃんとした意味があるのだ。


 実用問題、こうしたほうが圧倒的に命中率が上がる。それは元軍属だったあの爺さまも承知だろう。


 だからこそメッセージは明白。親指の腹をストッパーにして、そろそろと撃鉄を元の位置に戻していく。これで早撃ちはもう無理だな。





「理由を聞いてもいいか、若いの?」





 連中を皆殺しにするのは簡単だ、そもそも殴り込む必要性すらない。


 天井を這いまわりながら先頭車両まで赴き、車両をストップさせる。あとは、暴走人形どもに後始末を委ねるだけでいい。





「強いていうなら、個人の規範ってところか」





 少々キザったらしい気もしたが、事実だから仕方がない。





「世界がこんなになっても――俺は、警察官を気取りたいらしい」





 それでも俺は選んだのだ。大いに腹立たしくって仕方がない、助けたところでどうせ感謝もされない恩知らずどもを救う。そんな、警官としての責務ってやつに。





(やっぱり、ラセル刑事に戻しましょうか?)


 


 

 AIのくせに感極まりやがって。ほっと胸を撫で下ろすマリアに、顔の赤みをそれとなく隠す。





「・・・・・・うるさいな」





(やっぱり、ハドソン刑事の行動が響いて?)





「昔ペトラに言われたんだ。俺は、警官がお似合いだってな」





「本当に骨の髄までシスコンでしたか。どうりで、私の計算も外れるわけです」





 いきなり口を挟んでくる、女の背丈になってなお小さく見えるチビ人形。焦燥した面構えのせいで、お得意の皮肉もだいぶ鋭さが落ちていた。


 こいつの、ピグの存在は視界の端にチラチラ映り込んではいた。邪魔をしてこないならと、これまでずっと無視してきたのだが。





「お前はまた別の話だ」





「安心しました。なし崩しにお咎めなしより、ずっと良いです。それより――落とし物ですよ」





 青い髪した人形が、金色の物体をこちらにピンと放り投げてきた。手の中におさまっていく警察バッジ、そこに刻まれた刻印を指でなぞってみる。





「・・・・・・ラセル=D=グリス刑事、か」





「悪いが、考えにふけってる時間はないぞ、若いの」





 忙しないこったな。


 



「シスターはあっちに行った」





 老人が顎をしゃくった先、そこには点々と血痕が刻まれており、どうやら先頭車両まで続いているようだった。





「受け取れ」





 バッジのお次は、ライフルか。まるで長年連れ添った戦友みたく、ごく自然な仕草で、そこらに落ちてた黒金色の長物を投げ寄越してくるデュボアの爺さま。


 弾倉が上から突き刺さっていたり、横から生えてる色物だって使いこなしてきたが、この寒い国から来たライフル――AN94ときたら、弾倉が心持ち斜めにかしいでいた。


 心持ちは心持ち、横でも縦でもなくやや斜めって不安定ぶり。なんだこの心がザワザワする造形? こんなゲテモノどこで見つけたんだとつい問い返したくなったが、あいにく本題はそこじゃない。


 爺さまが言う。





「あのアマと再会を果たしたら、お前さんどうするつもりだ?」





「もちろん逮捕するさ」





(権利の告知ならお任せください!! 一度でいいからやってみたかったんです!!)





 どうしてか、頭ピンクなAIがえらく興奮していた。そういや、こいつからすればやっとの本業復帰になるのか。通常業務に戻れて楽しそうだ。


 当たり前のように俺についてきた爺さまは、道案内だけでなく一緒に突入する気まんまんの様子。どうせ邪魔だと言っても聞く玉じゃないだろうし、素直に2人して扉の陰に張りついていく。





「ハッ!! 逮捕か。世は絶賛アポカリプスってこのご時世で、なんとも悠長なことだな」





「世界は終わっても、文明まで滅びたわけじゃないだろ」





 シスターを排除し、新たな秩序を打ち立てる。というか、昔のやり方に戻すだけのこと。





「もちろん無駄な抵抗をしなければって、条件付きだがな」





「それなら・・・・・・是非とも歯向かってもらいたいね」





 そう言って、牙むき出しの狂笑をうかべてく老人。ほんと楽しい御仁だな。


 信頼の証か知らないが、せっかく貰ったんだ。セイフティとセレクターが別々についてることを除けば、このAN94の操作方式はガリルとほぼ同じ。槓桿チャージングハンドルを1cmほど引いて、薬室の状態を確かめてみる。





「・・・・・・おい」





「なんだ若いの? こっちの準備はもう出来てるぞ」





「この銃、弾が入ってない」





「知ってる」





 そうか、知ってるのか。つまりうっかりミスの可能性はありえないと。





「しがらみはひとまず置いといて、ここからは仲間だ。そんなノリで投げ渡しておいて・・・・・・弾を入れてないのか?」





「こっちに向けられたら困るからな」





 マジかこのジジイ。





「良識で考えてみろ。いきなり女体化した元刑事と、謎のマリオロイドのコンビ。信じられる要素がどこにある?」





(なんと。過去5分間の会話を全否定されちゃいましたね)





 あのマリアまでもが動揺していた。俺自身、なんというかコメントに困る。





「・・・・・・だったらなんで投げたよ?」





「ギリギリまで気付かないのが最良の展開だったんだがな。抜け目なくチェックなんかしよってからに。まったく、最近の若い奴らときたら」





「爺さん、あんた・・・・・・いい性格してるって周りから言われたことないか?」





「人格者だからな。そうやってみんなよく俺のことを褒め称えてくれた。あと爺さんはやめろ。俺はまだ74だ、お兄さんと呼べ」





 いい性格すぎて、そろそろ胃もたれしてきたな。


 弾の入ってない鉄砲なんて、単なる高級な鉄パイプだ。役立たずなAN94を小脇に抱え、仕方なく亡き相棒がのこした大型リボルバーへと切り替える。





「スリーカウントだ」





 3、2、1。合図と同時に貫通扉を押しひらいて、クレイジーな爺さまとともに隣の車両へと突入を果たしていく。抵抗はなし。たどり着いた先は、あの因縁深き民警の輸送用車両だった。


 またここか。そうため息のひとつも吐きたくなるが、以前訪れたときとは、様相が一変していた。


 所狭しに置かれていたハードケースはすべて片づけられ、だだっ広い空間がどこまでも広がっている。そうか、荷物がないだけでここまで無味乾燥な場所になるんだな。





「見ろ」





 爺さんに指摘されるまでもない。ちょうど車両の中央付近、開け放たれた物資搬入用のスライド・ドアに背中を預けるようにして、ひとりの修道女が倒れていた。


 万が一に備え、ワンハンドでリボルバーを構えながら慎重に近づいていく。だがそのだらんと伸ばされた手足を見れば、医者でなくても一目瞭然。





(呼吸、脈拍ともに確認できず。死因はおそらく失血死ではないかと)





 マリアからの淡々とした報告。


 この青白さ、まさに死人の顔色だな。そうとも、誰の目にも明らかなようにシスターは、とっくの昔に事切れていた。


 なんだこれは? あれだけの死と破壊を振りまいておいて、これで終わりだっていうのか? 


 誰に看取られることもなく孤独に死ぬ。なるほど哀れな死に様ではあるだろうが、罰としては生温いにもほどがある。それにこの満ち足りた顔。もはや思い残すことはないって面しやがって。


 胸のムカつきを必死に抑えていると、いきなりの銃撃がシスターの遺体を襲う。





「勝ち逃げか・・・・・・クソっ」





 ぷすぷす煙を吐いてるマドセン機関銃を手に、デュボアの爺さまがそう吐き捨てる。死体損壊は褒められた行為じゃないが、それでも冷静にはなれた。


 開きっぱなしの大型スライド・ドア、その向こうから忍び込んでくるトンネルの鳴動に混じり、奇妙な電子音が聞こえてきた。





「・・・・・・アラームか?」





 音の出本は、おそらく輸送用車両のさらに奥。先頭車両からだろう。





「いかん、衝突警報だ!!」





 らしくもなく慌てふためきながら、老人が駆けていく。


 シスターはどうしようもなく死んでるし、なんならダメ押しの銃撃まで加わった。細かな検証はあとだ、今は爺さまの背中を追いかけることにしよう。“衝突警報”というのは、あまり楽しい響きじゃないしな。


 先頭車両、すなわちトラム全体をひっぱる動力車には、人っ子ひとり居ない。あるのは無人の運転席だけだった。





「運転手はどうした?」





「松葉杖のが副運転士で、毛むくじゃらのがメインを努めておった」





 後部車両の騒ぎに加勢しようとして、マリアに逆に張り倒されたわけか。どうりで無人なわけだな。


 心はバキバキに折れてそうだったが、毛むくじゃらの方は一応は無傷。それでも知識はあるみたいだし、わざわざ呼んでくるよりもここは、爺さんのサポートに徹した方が良さそうだ。





「自動停止機能はないのか?」





「あるがな。そういった諸々のセイフティを外して、完全手動操作に再設定し直したのは、おたくら調達班だろうに!!」





「技術的なアレコレはどうもな・・・・・・」





 管制室でピグがグタグタやってた作業には、実はそういったものも含まれていたらしい。


 タッチパネルは反応が悪く、感触で位置を確かめることもできない。そのため飛行機やこのトラムといった命を預かる系の機械では、今だにボタン操作が主流だった。


 戦闘機よりは少なめだが、車よりは格段に多いって塩梅の操作盤。無数に配されたそんなボタンやレバーと格闘しつつ、デュボアの爺さまが言う。





「前方の様子はどうだ!? ここからじゃ、何も見えん!!」





 視界を広くとった大窓も、新たに溶接された装甲板のせいで形無しだった。郵便の投函口なみに狭いのぞき窓へと顔を近づけ、要望どおり車両の進行方向を確認してみる。





「ちょうど駅の入り口あたりを、別のトラムが塞いでやがる」





 事故でも起きたのか、はたまた単に放棄されただけなのか。すんなりと行くとは考えてもなかったが、思ったより早く障害物に出くわしたな。





「このままじゃ正面衝突まったなしだが、まだずいぶんと距離があるな」





「気の早い警報で助かった。だが、そうか・・・・・・地上には出られんか」





「準備不足は百も承知だったろ?」





 進めないなら戻るしかない。操作盤のレバーを下ろし、ゆるゆるブレーキをかけていったデュボアの爺さまもまた、俺と同じことを考えてる様子だった。





「幸い、食料だけはある」





「素直には喜べんよ」





 まったくだな。減速を始めたトラムは、まるで俺たちの人生を物語っているかのようだった。10歩進んで9歩下がる、ここまでやって車両基地に逆戻りとは・・・・・・ウンザリもしたくなる。





「おい、若いの」





「手伝いがいるか?」





「いや、そうじゃなくてな・・・・・・実はな、あの女がくたばってた輸送用車両の件なんだが」





「それがどうした?」





「中に詰まってた荷物をな、後部のコンテナに移したんだ」





 GT500が突っ込んだ、あの手錠だらけのコンテナのことを思い出す。そういう経緯か、なるほどな。しかしこのタイミングでわざわざするような話か?





「だから空っぽだったのか」





「いや、空っぽなんかじゃないぞ若いの。空いた跡地にな、シスターの指示でじつは怪物の残骸を収容したんだ」





 “怪物”? まさかの可能性に、背筋に冷たいものが駆け抜ける。





「だが、そんな痕跡はどこにも!!」





「ああ、そうともさ。クレーンまで使って運び込んだ巨体が、跡形もなく消えていた。これから死ぬって瀕死状態の女が、象なみのサイズがある怪物を車内から蹴落とす? なんてこと可能だと思うか?」





 いや、絶対にありえない。物理の法則に反してるし、そもそもシスターがそんなことする理由がない。





(ラセル刑事)





 唇が乾く。心なしか、脳内に巣食うノンデリ人形すら緊張している様子だった。





(鹿の王も元をたどれば、当機とおなじ第3世代です)





 恐るべき推論だが、筋は通っている。もし逸れローグを触媒に“メモリア”を使ったのだとしたら?


 タイミングを見計らっていたとしか思えない、“ぺた”なんてえらく生々しい接触音がトラムの外から響く。次の瞬間、窓を覆う装甲板が力任せに引き剥がされていった。


 唖然として固まるデュボアの爺さまを引っ張り、ともかく外へ。


 そうして空っぽになった狭いブースへと、マリオロイドの手のひらだったものの集合体、ヒトデの群れのような触手がさっそく侵入を果たしてきた。


 見えてないのか? さぐりさぐり45本もの指先が操作盤を不気味に這いまわり、ほどなくして、そこで腰を抜かしてる爺さまがついさっきまで握りしめてた逆転ハンドルへと絡みついていった。


 途端、トラム全体を揺らがすほどの急加速が俺たちを襲う。まさか、車両を突っ込ませるつもりか!?





「若いの」





 爺さまが寄越してきたベークライト製の弾倉マガジンを空中でキャッチ。この重さ、先端からちょこんと覗いてる金色の弾頭といい、しのごの言ってられる状況じゃないってわけか。


 マグチェンジ。ハンドルに当てないよう、AN94特有の四角形のフロントサイトを触手の根元あたりに合わせていく。


 ハイパーバーストなどと呼ばれる、毎分1800発にもなる強烈な2点射撃。それを都合、15回ほどくり返してみる。


 渡されたばかりの弾倉をさっそく空にして、とりあえず挨拶がわりに30発・・・・・・だが、どうにも徒労感が拭えない。なにせ撃った先から傷口が塞がっていくんだからな。やるだけ無駄って言葉が脳裏をよぎる。


 それでもここで辞めたら、待ってるのは凄惨な鉄道事故だけだ。





「爺さん、新しい弾倉を――』





 ここでどうにかしなきゃ全員そろってお陀仏なのに、脱兎のごとく後部車両へと逃げ出していくデュボアの爺さま。齢70にしては、大した俊足ぶりだった。


 



(け、健脚ですねぇ・・・・・・)





 マリアですら呆れ果てるほどの敵前逃亡ぶり。だが、ああはならないぞと意気込んだところで、こっちはこっちでどうにもならない。


 1本でも手こずっていたのに、今やその数は100本以上。白い肉塊が、運転席そのものを埋め尽くしていく。もはや打つ手はない。





「手伝え馬鹿者プーホ!!」





 文句を言うのはこっちの方、そんな反感もすぐかき消える。


 ナイフで車両同士をむすぶ脱落防止用の幌をずたずたにして、車外にはみ出ながらデュボアの爺さんが何をしてるのかと思えば、なるほどな。連結を解除するつもりか!!


 食料入りのコンテナを奪取するべく、さんざん練習を重ねてきた。意外に賢い爺さんに代わって、手早く巨大な錠を解除していく。





「ここは任せて、先にいけ!!」





「映画じゃあるまいに!! 邪魔者あつかいされるほど朦朧はしとらん!!」





「俺の身体は機械だが、あんたはそうじゃないだろッ!?」





 こういう衝突事故の場合、後部に居るほど生存率は上がる。そもそも避難民どもに、誰かが警告してやらないといけないしな。


 作業はほぼ終了。あとは、緊急時用のマニュアル・ブレーキを引くだけでいい。総仕上げぐらい俺1人でも十分にこなせる。


 真っ向からこちらを見つめてくる白髪の老いらく。





「・・・・・・死ぬんじゃないぞ」





 ハッ。





「あいにくもう手遅れだ」





 老人の姿が車内に消えていくのを見届けてから、一息にレバーを下ろす。これで輸送用車両側のブレーキが発動したわけだが、あいにくリニアの仕様ってのはややこしい。


 まずゴムタイヤが展開され、そこから一拍おいて急制動がかかる。プロセスとしては旅客機の着陸と同じ。あちらが停止のために長い滑走路を必要とするように、質量のあるトラムだって急には止まれない。


 ゴムが焼ける匂いに、耳をつんざくキーキー音。だが期待したほどの成果はない。


 連結はとっくに外したのに、慣性の法則に引っ張られる形で暴走をはじめた先頭車両との距離は、まだぴたりとくっついたまま。このままじゃ激突に巻き込まれちまう。





(代わります!!)





 代わってどうするって、尋ねる時間すらも惜しい。身体を明け渡すなり、車両間の狭間へとすぐさま飛びついていくマリア。


 背中は曲げて、両足は可能な限りまっすぐに。やり口としては、ジムにあるレッグプレスとさして変わらない。まさか脚力だけで引き剥がすつもりか!?





(いくらなんでも無茶だぞッ?!)





 俺のまっとうな忠告は、どうにも脳筋ピンクヘアには届いてないらしい。





「ふぎぎッ・・・・・・!!」





 オフィス・スカートからはみ出た細身な太もも、その筋肉が異様なまでに隆起していく。どうやらリミッターを外したようだな。視界につぎつぎ浮かんでく警告表示が、無茶してるって物語る。


 そうとも無茶だし、無謀だし、ありえない話なのに、それでも徐々に車両間の隙間が広がっていった。一度でも距離がひらけば、あとは自然に・・・・・・そんな希望的観測をせせら笑う、頭上から降りそそいでくる謎の巨影。





「鹿の王ッ?!」





 驚愕の声を上げていくマリア。だが俺の知ってる逸れローグとは、細部にだいぶ隔たりがあった。


 ホログラムの衣はとうになく、肉塊まみれの醜悪な本体が剥き出しになっている。どうもEFPのダメージが響いているらしいな。足は消え失せ、上半身だけで這いずりまわってる状態だ。


 それでもトラムの屋根からこちらを見下ろしてくるそのサイズ感ときたら、ついつい怖気がはしる程度にはデカい。


 まるで羽化だな。蛹から蝶に生まれ変わるがごとく怪物の胸元が開き、そこから細身の女が姿をあらわしていった。その顔つきはピグと瓜二つ、だがあの人を食ったような笑みときたら・・・・・・既視感まみれで吐き気がする。


 



(これで正真正銘、本物の怪物に成り果てたわけだなシスター!!)





 逸れローグの怪力にかかれば、車両をつなぎ直すぐらいわけないだろう。


 せっかくマリアが稼いだ隙間を、あっさり2本の触手が元通りに修正していく。修道女から怪物になり果て、お次は連結器の真似事か。そんな風に笑ってばかりもいられない。


 ハッと正気を取り戻したマリアが、線路の先がどうなっているのかすぐさま確認していった。衝突まで残り5秒。ついさっきまで豆粒サイズだった障害物が、いまや圧迫感を伴いながら立ちはだかっていた。


 長かったトンネルを抜け、一気にひらけていく視界。すでに装甲トラムは、駅の内部へと侵入を果たしていた。 


 思い切りの良さは、AIの数少ない長所だろうな。


 手をクロスさせながら、駅のプラットフォームめがけてマリアが跳ぶ。こうなったらあとは運頼みか。


 俺の暮らしてた水密ビルより、ずっとありふれたデザインの地下鉄駅。飛び込み防止用のホームドアを突き破り、そのまま休憩用のベンチやらなんやらを弾き飛ばして、ごろごろ転がっていくピンク髪の人形。


 コンクリ製の柱に背中から激突。人生で味わった最悪の痛みに視界がチカチカするが、まだ何も終わっちゃいない。ほどなく鉄臭い粉塵が、俺とマリアを包み込んでいった。


 全方位から襲いかかってくる轟音、地鳴り、エラー警告の悲鳴。正面衝突した2台のトラムがあたりにカタストロフィを撒き散らしつつ、駅をまるごと崩落させかねない勢いで横転していく。


 最初は、気絶でもしたのかと。真っ暗闇に包まれた視界は、どうやらただ単に電気系統の故障が原因であるらしい。


 駅中の照明がかき消え、数秒ののちオレンジの非常灯へと切り替わる。これで悪夢は終わりと信じたいところだが・・・・・・。





『警告、浸水警報が発令されました。エリアB577の隔壁が緊急閉鎖されます。当該エリアの皆さまは、ただちに避難してください』





 響きわたる自動アナウンスが、そうじゃないと声高にがなり立てていた。





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