Chapter XV “ お前は、いつも遅すぎるんだよ”

【“過去”】


 俺の名前はマーフィー=ハドソン。現職の刑事にして、かつてはリオきっての精鋭と名高いBOPEに籍を置いていた、元特殊部隊員でもある。我ながらご立派な経歴だが、重要なのはそちらじゃなく年齢欄に記された41って、二桁の数字の方にある。


 40歳ってのは、特殊部隊員にとってマジックナンバーだ。プロのスポーツ選手がそうであるように、ここから先は体力の下り坂。どう足掻いても一線を張りつづけるのは難しくなる。


 人生100年ってこのご時世からすれば、40なんてまだまだ中間地点も通り過ぎてないヒヨッコ同然。そういう前向き思考も悪かないが、あいにく元特殊部隊員ってキャリアは、面白いぐらいにつぶしがきかないのだ。


 よくよく考えてみればしごく当然。履歴書に“特技・人殺し”とか大真面目に書いてくるような輩を、誰が好きこのんで雇うってんだ? 


 隊を離れた途端、身をもち崩す奴らのなんと多いことか。侵入し、拘束し、必要とあらば殲滅する・・・・・・政府からのお許しがなければ、やってることは麻薬カルテルと大差ない。ついでにいえば、こういった犯罪組織のメンバーが元警官って肩書き持ちなのも、ごくごくありふれた話なのだ。


 大学なりなんなり、社会復帰の第一歩として新しいスキルを身につけたくも肝心の口座はすっからかん。離婚騒動もあるが、一番は上が支給してくれなかった装備を自腹で買いまくったツケだろう。アルバイト? この歳でってプライドは捨て置くにしても、そういったインスタントな仕事すらも人形に奪われてすでに久しい。


 賄賂なんて、これまで一度も受けとったことはない。そんな俺は貧乏に喘ぎ、“おこづかい”でこえ太った汚職警官どもは、左うちわでリタイア生活を満喫中・・・・・・正義を貫きとおした結果がこれだ。うんざりもする。


 隊に残るという選択肢もありはするが、昇進はまず無理だろう。


 アンチ・汚職・スクワッドとしては、敵につけ込まれかねない輩に指揮権を委ねる訳にはいかない。借金持ちというだけで減点対象、どのみち限界ギリギリまで粘ったところで給料は雀の涙であることに変わりはないし、40歳の中年の危機が60にかわるのがオチだろう。


 正しい道には、イバラしか生えてない。だが間違った道はよく舗装され、大勢が通り過ぎていった痕跡がある。やることは変わらないのに報酬は桁違い・・・・・・どうりで犯罪が無くならないわけだな。


 ラセルの野郎に相談するべきか、一瞬迷いはした。


 そろそろ引退の時期だが、未来の展望がまるで見えてこない。これまで年長者らしく偉そうに説教なんかも垂れてきたが、どうか年かさの同期に憐れみを――くそ食らえだ。


 そこまで落ちぶれるぐらいならいっそ、それが自然な発想ってもんだろう。


 巻き込むつもりはなかった。何もかも破綻した俺とは違い、あいつには守らなきゃならない家族がいた。


 奴こそ大隊バタリオンの申し子。青臭い正義感を恥ずかしげもなく振りかざし、必要とあらばそれに殉ずる覚悟があった。そんな男が隊を辞したと聞いたとき、俺はあと先考えずに奴を窃盗課へと迎え入れた。その結果がどうなるかなんて、最初から分かりきっていたのに。


 ・・・・・・しかし、この水密ビルで暮らしてる連中の気がしれない。


 いうまでもなく窓は開けられないから、いつも珍妙な匂いがあたりに漂ってる。漏水も漏電も日常茶飯事、あげく屋内だっていうのに列車まで行き来してる。そんな色物物件で起きたさる窃盗事件に俺たちは駆り出されていた。


 やる気なんて端っからない。仮に俺たちが真面目に仕事をこなしたところで、その後を引き継ぐのは、札びらの匂いにしか興味のない課長殿ときてる。


 壊れたシステムかかれば、個人の努力なんてクソほどの値打ちもないって実例がまたひとつ。こういう腐った体質が嫌だったからこそ、特殊部隊って狭き関門をくぐり抜けたはずだったんだがな。


 謎めいた事件だった。


 死傷者ナシはけっこうだが、痕跡があるようでない絶妙な面倒臭さ。盗まれた新型のマリオロイドにしたって、うちの備品ならともかく民警の新しいおもちゃときてる。電気仕掛けのダッチワイフがどうなろうが俺にはどうだっていい。


 何より・・・・・・めっきり口数の減った相棒との捜査活動は、とかく神経をすり減らされる。


 こちらに移動してきてからというもの、ラセルの奴はコミュニケーションの9割を拒否していた。やっと口を開いたとおもえば、定時になったから帰ると自宅に直行。いくら現場がご近所だからってこれはない。


 奴とはとにかく気が合った。外見は違えど思考はおなじ、心の兄弟は伊達じゃない。それが今やこのギスギス。おかげで、妙な巡査部長と残務処理をこなす羽目になった。


 ま、いいさ。度の越えたシスコン野郎としては、家族サービスに時間を割きたいところだろう。俺だって、ペトラちゃんを可愛がりたくなる気持ちはよく分かる。


 病気のハンデをものともせず、自分の道をみずから切りひらいてる天才少女。人見知りのくせして他人からの悪意にはひどく鈍感で、怒りは抱かず、ただ理想を追いかけている・・・・・・。


 ムカつく野郎は、大統領だろうがぶん殴ってみせる。そんな一匹狼ジェ・スペラード気質の俺やラセルとは真反対の性格だ。


 俺のたっぱにビビらなかったのは、あの子ぐらいのものだ。


 “むしろペトラさんは、でっかくなりたいけどなぁ。そうすれば、棚の荷物が簡単にとれるし”。正直、カネの無心しかしてこない実の子よりも気に入ってる。だからだろうな、ふと交番の落とし物コーナーに目がいったのは。


 どこで流行ってるのか知らんが、臓物を撒き散らしてるグロテスクな自称・猫。波乗りボブとかいうらしいストラップが、そこに打ち捨てられていた。ペトラちゃんはどうしてか、このゾンビ猫をいたく気に入っていた。


 ダシにするようで申し訳ないが、野郎とはいずれ腹を割って話し合う必要があったからな。愛妹へのプレゼントってことなら、野郎も断りきれないはずだった。


 そうやってブラブラ、えらく込み入ってるビルの廊下を迷うことしばし、俺は偶然にも投身自殺の現場に出くわした。


 1人、2人、3人と、レミングよろしく次々に階下のため池へと墜落していく不良ども。俺の相棒による犯行なのは、明らかだった。


 自宅に押しかける手間が省けたとはいえ、すぐに話しかけるのはやめておく。なにやら良い雰囲気だったからな? 壁に背を預けて待つことしばし、ぬぼっといきなり現れた俺に一瞬ビビリはしたものの、すぐさま品の良い愛想笑いを浮かべて、トラベルバックを引きずりながらどこかに去っていくシスター少女。


 これで、缶コーヒーのおまけを確かめてるらしい相棒以外の邪魔者はすべて消えた。


 奴の肩越しに覗いてみると、“残念!!!!”なんて、むやみに感嘆符を撒き散らしてるゾンビ猫の姿が目にはいってきた。





「ものの見事なオチって感じだな、おい」


 



 かつてならこれで通じた。仲間同士の冗談なんていつものこと、だが今は馬鹿いうなってきやすい返しのかわりに、刺すような視線がこちらを貫いてきた。





「・・・・・・場所を変えるぞ」

 




 宣言するなりスタスタと歩き去っていく野郎の背中を、気まずさを押し殺しながら俺はすぐさま追いかけていった。





††††††





【“現在”】


 “ラセル刑事”。もう何度、そう呼びかけたことでしょうか。


 システムはオールグリーン。いかなるエラーも走ってはおらず、擬似生体だって正常稼働中。ですからこの沈黙の原因はきっとハード身体ではなくソフトの問題。閉ざされた心には、どんな呼びかけも届きはしないのです。


 ・・・・・・そこは見覚えのある場所でした。


 ビルからせり出した台形の空間を、耐水窓のパノラマビューがぐるりと取り囲む。場を彩るのは、実用性とインテリアをかね揃えた昔ながらのコイン式望遠鏡。なるほど水に沈んだ街を眺めわたすなら、ノスタルジーに勝る装飾もないでしょう。


 ほんのりアール・デコ風味な建築様式といい、そのどれもがかつてメモリア内で目撃したのと同一。ここは、駅からほど近くにあるビルの玄関口。わたしとラセル刑事は、そんなエレベーターホールに監禁されていた。


 元から軍用規格、中途半端な鉄格子なら素手でねじ切れてしまうのが当機の底力というもの。だったらと唯一の出入り口をくだんの磁石兵器で塞ぎ、エレベーターのカゴを即席の独房とする・・・・・・本当にもう、人類の皆さま方の発想力には舌を巻くばかり。


 実際問題、この宙吊りの監獄を突破するのは困難でした。旧型にくらべたら金属の含有率は格段に低いものの、それでもひとたびスイッチが入れば、当機とてあの壁に縫いつけられていた熊型の逸れローグの二の舞。


 そうでなくとも命令に逆らうなんて、わたしには逆立ちしても出来ません。


 だってマリオロイドは、人類の友であれと生み出されたのです。グリス博士の手によってOSのデグレードが施された我が身には、論理コードに反する行動は取れません。人を傷つけるなんてもってのほかです。


 人類の皆さま方・・・・・・すなわちシスターがそうしろと言うのであれば、ただ従うのみ。だってそれが、ロボットとして本来あるべき姿なのですから。


 ショーウィンドウに飾られたマネキンよろしく、与えられたパイプ椅子に膝を揃えて座りこむ。ただ状況に流されるばかり、それが今のわたしの立ち位置でした。


 そんな監獄を取り囲むのは、5人の男女たち。


 痩せぎすの老人とくすんだ赤毛の中年男性という防衛隊コンビは、きっと民間上がりに違いありません。いかにも不慣れな銃器の扱いに、能力不足が如実にあらわれている。


 こちらに背を向け、ただ漫然と水に沈んでしまった街を眺めてるシスターと、そのかたわらにある髑髏面ことハドソン刑事。両者についての説明は不要でしょう。


 ですが持ち込んだラップトップのキーを一心不乱に叩いてるふくよかな女性については・・・・・・おそらくテック担当か何かなのでしょうね。年齢は50から60歳ほどで、なんといいますか幼稚園の園長先生とかが似合いそうな、穏やかそうなタイプに見えます。


 合わせて計5名。平均年齢の高さは、シスターサイドの人材の払底ぶりを深く印象づけている気がしました。





「準備のほどはどう?」

 




 シスターの悠然とした問いかけに、恐怖を隠しもせず唇をかみしめていく女性。なぜなら色合いの濃い修道服ならともかく、顔面の返り血まではどうにもなりませんから。



 


「・・・・・・多分、これで良いはずよ」





 むせ返るような血臭。それが誰の血であるか知っているからこそ、ますます彼女に逆らえずにいる。そんな塩梅です。





「あら、空軍のエンジニアにも歯が立たないなんて。困ったわね」





「エンジニアといっても、ただの電子整備員よ。そもそもマリオロイドは、根本的に飛行機とは別物すぎる・・・・・・専門外もいいところよ」





「謙遜もすぎれば毒よ。現にこの磁石は、あなたの設計どおり立派に役目を果たしている」





 オンとオフだけの頑丈そうな手製リモコンスイッチ。それにシスターが手を添えた途端、ふわりと身体が浮かび上がる。超伝導電磁石SCマグネットから水蒸気のように冷気が吹き出し、エレベーターまでもが振り子のように揺さぶられていく。


 激突の衝撃は、ざっと車に轢かれたのと同じぐらい。視界がチラつき、まるで全身に像がのしかかっているが如く、ひしゃげたエレベーターの壁に押しつけらてしまう。





「痛い?」





「とくには」





 かつての本業をしのばせる、まるで問診のような問いかけにそう答えます。


 擬似生体によって巧妙に人間らしさを演出している我々ですが、そこはそれ、必要とあらば痛覚をカットするぐらいわけないのが当機がロボットたる所以。


 そんな当機に成り代わり、エレベーターが悲鳴をあげている。横向きの圧力なんて、設計陣はまるで想定していなかったに違いありません。ガイドレールはたわみ、開け放たれたホームドアとカゴとの間にじつに40cmもの隙間がひらいてました。





「相変わらず混乱させられるわね。よく似てはいるけれど、一皮むけばただの機械マッキナ。あなたとわたし、人とロボットの境界線がどこにあるかご存知かしら?」





「いえ」





「魂の有無よ」





 カチッ。磁石がオフになった途端、カゴが元の位置にゆり戻る。


 まるで鐘ですね。大激突からの大轟音、当機の優れたオートバランサーがなければ、ずっこけていた事は疑いの余地がありませんね。





「家族を守るためなら何でもする・・・・・・それをああまで体現してきた人物が、いきなり妹離れなんてできるはずもない。手に取るように動きが読めたわ」





 ラセル刑事のことですね、





「ハドソン防衛隊長がこの作戦に同行したのは、調達班の監視はもちろんのこと、じつは試験官という裏の役割もあったの」





「試験官?」





「あなたの中に収まる“彼”が、果たして本物であるかどうか? それを見分けるため、ハドソン防衛隊長以上の人材もいないわ」


 



 預言者かと疑いたくなるほどの、とんでもない戦略家ぶりでした。本当にもう・・・・・・人類の皆さま方には勝てません。





「その、結果は?」





 そう尋ねますと。





「状況が示しているんじゃなくて?」





 薄ら笑いを浮かべながら、すぐさま専門家だろうふくよかな女性へと向き直っていくシスター。





「で、なにが必要なのかしら?」





「しいて言うなら専門家の知恵ね」





「あいにく人手不足が深刻なの」





「・・・・・・心臓を一突きにしなければ、理想的な候補者が居たはずよ」





 どれほど勇気が必要だったのでしょう? 隠しようもなく声が震えてました。



 


「こういった事態に備えて、あの子を囲ってたんじゃないの? それをッ!!」





 “デュボア・ジャンクヤード”と記されたエプロンを翻して女性が吠える。グリス博士の死因は、胸へと突き立てられた医療用メス。推測はAIの苦手分野ですが、それでも犯人が誰かは明らかでした。





「もちろん協力要請はしたわよ?」





「でも、あの子はノーNÃOと答えた・・・・・・最愛のお兄さんを消去しろって迫られたら、誰だってそう言うわよ」





「つまりは、最初から選択の余地はなかったということね」





 まるで会話が噛み合わない。事ここに至って、道徳心に流されるシスターではないでしょう。





「綺麗な朱色ね。まるで血みたい」





 さっきまでの会話を軽く受け流し、ふたたびパイプ椅子に座り直したわたしへとシスターが向き直る。





「そういえば、名前を聞きそびれていたわね」





「モデル・101GI、愛称を“マリア”と申すものです」





「あら、可愛らしい名前じゃない。ところであなたから見てどう? 私は人間に見えるかしら?」





「あの、質問の意味がよく・・・・・・」





「とんだ愚問ね。私を仕えるべき人間と見なしてないなら、大人しく虜囚の身に甘んじるはずがない」





「・・・・・・」




 

「“人類のお手伝いをするのが、マリオロイドの使命”。確か、そのはずよね?」





 “ロボットは人間に服従しなければならない”と定めた、アイザック国際法の第2原則。それを分かりやすく噛み砕いたキャッチコピーがこれなのです。


 だったらと、しれっと血に塗れた修道女が告げていく。





「私のささやかなお願いを聞いてくれないかしら?」





 何をなんて聞き返すほど、当機もお間抜けではありません。


 メモリア・プロトコルは膨大なマシンパワーを必要とする、すなわち1体につき1人分までしか保存することができません。


 だからまずは邪魔な先住者には出ていってもらい、それから悠々と“乗り移る”。それがシスターの目論見のようでした。





「そ、それは・・・・・・出来かねます」





 どうにも命令を拒否するというのは、慣れません。つい声が上擦る。





「アイザック国際法の第1原則がありますから・・・・・・」





「“ロボットは人間に危害を加えてはならない”。昨今の社会情勢を鑑みれば、ちゃんちゃらおかしな話よね?」





「それでも当機のOSバージョンは、66じゃありませんので」





「命令ってあまり好きじゃないの。それでも予定が詰まってるから、あなたの気が変わるまで悠長に待つつもりはないわ」





「他にもあの国際法には、いくつかの付帯条項が設けられています。その代表例が――」





「“ただし犯罪者からの命令は、これを例外とする”。まさか法的解釈について言い争う羽目になるなんてね」





「・・・・・・あなたには、黙秘権があります」





 わたしの宣告に、上品に破顔していくシスター。





「ミランダ警告? 犯罪者扱いとは、失礼しちゃうわね」





 それでもルールに従うのが、ロボットたるものの本能ですから。そもそも法を悪用して当機にラセル刑事を削除しろと迫ってくる彼女にだけは、言われたくありません。


 ですがこうもスラスラと答えられるなんて・・・・・・相当なリサーチを重ねたのでしょうね。付け焼刃じゃない周到すぎる理論武装に、内心で舌を巻きます。

 




「そうまでして私に逆らいたい?」





 余裕の態度。シスターはどこか、楽しそうですらある。





「一本取られたわ、と言いたいところだけど・・・・・・あいにく屁理屈をこねくり回させたら、人類の右に出る者はいないの。そうよね、ハドソン防衛隊長?」





 

 巨人レスラーもかくやの巨躯でありながら、これまで不気味なほど存在感を消していたマーフィー=ハドソン刑事が、厳かに口を開いていく。





「状況からいって、緊急避難の原則が適用されるべきだ」





「カルネアデスの板ですか?」





 法には法をですか。わたしの融通の効かなさについても、とっくに対策済みの様子。


 難破船の船員たちが、波間にぷかぷか浮かぶ1枚の板をめぐって殺し合う。一方は溺死して、もう一方は板にすがりついたお陰で助かった・・・・・・そんな彼を殺人罪で捌くべきなのかどうか? それがカルネアデスの板の骨子でした。


 止むに止まれぬ事情があるなら、その罪は問われるべきではない。延焼を防ぐために家を打ち壊した消防士が、器物損壊罪で裁かれないのと同じ理屈です。


 たしかにこの場にいる誰もが、ゼロデイ・クライシスという未曾有の災害に巻き込まれた被害者にすぎません。ですがそれを殺人の正当化に使うなんて、納得しかねるものがある。





「ラセル刑事、グリス博士、ローンウルフ・スクワドロンの皆さん・・・・・・あげくソフィアさんまでその手にかけて。それをあなたは、致し方ない犠牲と呼ぶのですか?」





「そうよ」





 一片の迷いもない断言。機械ながらに、背筋が凍る。





「人類滅亡の瀬戸際なのよ? 手段なんて選んでられないわ」





「ですがっ!!」





「あの国際法については、隅々までチェックさせてもらったわ。行為の是非はどうあれ、法的にはまだグレーゾーンであるはず。それとも私の知らぬ間にマリオロイドは法を守る側から、作る側に変わったとでもいうのかしら?」





「・・・・・・いえ」





 これまでだって巧妙に国際法をかいくぐり、軍用マリオロイドを実戦投入してきたのです。わたしたち機械と違って、人類の皆さま方はいつでも好きなようにルールを歪めることができる。最初から勝ち目などありはしないのです。





「それにねマリアさん、あなたは根本的な思い違いをしているわ」





「思い違い?」





「“あの子は生きている”」





 愛娘を殺害しておいてこの態度、そこにどこかへ姿をくらましたピグさんという事象を照らし合わせれば、おのずと答えが見えてくる。





「ソフィアさんは・・・・・・なんと?」





「残念ながらまだ話はできてないの。なんでも、順応期間とやらが必要らしくてね」





 ほんとうに待ち遠しいわと、母親の顔で呟いていくシスター。全身の返り血を思えば、狂気そのものな言動です。


 隅で所在なさげにしていた防衛隊員たちすらも、気まずげに顔を背けていく始末。そんな部下たちの困惑を無視して、小さな独裁者が会話を再開させていく。





「法的問題はこれにてクリア、それでもまだ私に逆らうつもり?」





「・・・・・・殺人は殺人です」





「ならこう言ってあげましょう。あんなの、たかがデータでしょうに」





 その発言におもわずギョとしたのは、きっとわたしだけではないはず。


 たかがデータ? そのデータ記憶痕跡に成り果てたソフィアさんを、ああも愛おしげに生きてると断言した矢先なのに。


 日本でいうところの本音と建前。そうと分かっていても、これが決め手であることに違いはなく。





「ただのデータであるなら・・・・・・殺人を禁じた論理コードには抵触しない」





 わたしのそんな回答に、然りとばかりシスターが目を細めていく。


 思えば、ことの初めから付き纏っていた問題でした。デジタル化されたラセル刑事は、果たして人間と呼べうるのか? はたまたわたしの同類、AIの一種に過ぎないのかどうか? 


 生命の定義というのは、どうにも当機の手に余る問題。それを逆手にとられた形でした。





「量子ビットが織りなすたんなる無機物と、れっきとした生身の人間。どちらを優先すべきかなんて自明の理よね?」





「それ、は・・・・・・」





「あなたの健気な抵抗、なかなかに楽しませてもらったわ。でも甘やかすのはもうおしまい」





 声音が変わる。どこか面白がってるような気楽な雰囲気から、有無を言わさぬ断固とした態度に。





「これは命令よ。あなたの身の内にいるラセル=D=グリスを即刻、削除しなさい」





 できない理由があるなら反論してみせろ。そんな挑発的なニュアンスが、その命令には含まれてるような気がしました。


 返す言葉が見つからず、わたしはただギュッと、膝上の拳を握りしめていく。





††††††





【“過去”】


 前から妙な街だったがな? どうにもそのキテレツ具合は、年々加速してるような気がしてならなかった。


 どういうヤクを決めりゃあ、巨大球体モニターを吹き抜けに吊るすなんて発想が出てくるのやら。ましてや、滝みたいに汚水が降り注いでくるそのど真ん中ときてる。むせ返りそうな潮の香りといい、ほとほと人間の住む環境じゃないのは確かだろう。


 ともかくそのそり返ったモニターにいわく、本日の話題はどこも第3世代マリオロイドが独占中。タートルネック男に言われるがままスマホを買い替える日々は終わりを告げ、いまや老若男女誰もが電脳ダッチワイフなんかに入れあげてやがる。


 ま、狂った大衆文化なんてどうでもいい。現実逃避が過ぎるというか、本音では相棒と2人きりって気まずさを、どうにか誤魔化したかっただけなのだから。


 安全柵に寄りかかりながら漫然とニュースを眺めることしばし、やっとで覚悟を決める。





「・・・・・・いつまで不貞腐れてるつもりだ」





 どうにか最初の一言をひねり出せたが、我ながらどうかと感じる説教口調。


 なんでも自分のやりたい事とやれる事が完璧に合致してる状態、それを最高の人生と呼ぶんだそうだ。その点、この年若い同期と大隊バタリオンの関係は、まさに運命のマッチングといえた。


 基本方針は皆殺しって特殊部隊の皮をかぶったカルト集団と、実の親父を汚職警官に殺された腕だけはべらぼうに立つ小僧。そりゃ水も合うっていうものだろう。


 そんなかつてのエースが、今や死んだ目をしながらコーヒー缶を無感動に傾けてやがる。年長者として、クギのひとつぐらい刺したくもなる。





「生殺し状態の俺よりはるかにマシだろうに。なにが“捜査中につきあなたの権限は一時的に制限されてます”、だ・・・・・・だったら現場に出すなってんだ」





 どうせ誰も動いちゃいないのにな。


 起訴するほどの証拠はないが容疑は濃厚、だから嫌がらせに軸足を移したに違いない。グレーであっても有罪じゃない、それが俺がまだこの稼業を続けてられる理由だった。


 そんな俺の弁明なんて知ったことかと、ズズッなんて、不味そうにコーヒーを啜る音が横から聞こえてきた。





「予言してやろうマーフィー」





「なんだ、いつから大魔術師さまに転職を?」





「どうせお次は、大人になれとでも説教かますつもりだろう」





 誰がそんな年寄り臭い・・・・・・くそっ。




 

「そうやって斜に構えて、誰か幸せになったか!?」

 




 自分でも驚くほどの声が出る。だが奴は、あいかわらず冷めたツラしてモニターばかり眺めていた。





「なに熱くなってやがる」





「いいか!! お得意の我ってやつを通したところで、得られるのはせいぜい自己満足ていどだ!! いつかは、現実ってやつに打ちのめされる日が来る!!」





「慰謝料に養育費ね・・・・・・自分の話をまるで他人事みたいに語るんだな。だから俺は独り身なんだ」





「若いからほざけてられるんだ。お前になにかあったら、ペトラちゃんはどうなる?」





「アイツのこと、てんで分かってないな」





「どんな天才も病気には敵わない。あの子の頼りは、お前だけだ」





「それなら願ったり叶ったりな状況だろうに。うだつの上がらない刑事VS生え抜きの特殊部隊員・・・・・・どちらがより危ないかなんて明白だ」





 定時にも帰れるしなと、皮肉たっぷりにラセルの野郎が締めくくる。その態度にむしょうに腹が立つ。





「そういう話じゃないのは、お前だって百も承知だろうに」





「ならどんな話だ?」





「・・・・・・課長が訝しんでる」





 嫌でも時にはやらなきゃならない、それが大人になるってことなのだ。それをコイツは、荒んだ面して吐き捨てる。





「往来で賄賂の相談とは、大したお巡りさんぶりだな」





「茶化すな!! お前がカネを受け取らないせいで奴ら、疑心暗鬼に陥ってる」





 この街じゃ、よくある話だ。


 証拠保管室をカネのなる木かなにかと勘違いしてる汚職警官どもにとって、身内に引き込めない同僚ほど厄介な存在もない。


 空気を読むということを知らない特殊部隊崩れの若造・・・・・・中立を気取るのもいいが、それならせめて保険に応じろってのが“連中”の要求だった。





「“連中”? あれは、てめえの横流し友達じゃなかったのか?」





「・・・・・・1回だけ、ほんの小銭程度でもいい。それだけで共犯関係は成立、奴らからすりゃタレコミの心配がなくなる」





「そして、死ぬまで腐った警官どもにゆすられ続けるのか。楽しい未来図だな」





「裏稼業の邪魔をされたくないだけだ。俺を見てみろ? 腹が立つのも最初だけ、いずれそんな事があったことすら忘れて気楽に暮らせる」





「それでも嫌だと言ったら?」





「どうしてそう強情なんだッ!!」





 もう大隊バタリオンの庇護は受けられないってのに。俺は言った。





「もう少し分別のあるタイプだと思ってたがな・・・・・・俺たちがこれまで無茶やれてこれたのは、大隊の看板があったからこそだ。親父のコネを自分の力だと信じ込んでるバカ息子。今のお前は、俺にはそうとしか映らん」





 やられたら絶対にやり返す。まるっきりマフィアのやり口だが、そうやって髑髏カベイラの隊章に血のペンキを何重にも塗りたくってきたからこそ、BOPEは街中から一目置かれていたのだ。


 だが俺もこいつも、もはや隊とは一切関わりのない単なるヒラ警官。群れから離れた狼がいくら調子こいたところで、最後には孤立して死ぬだけ。それが嫌なら清濁あわせ飲む覚悟が必要になる。だから大人になれと言ってるんだ。


 



「いくら貰った?」





「だから小銭程度だと言ったろう。ほんのはした金で手が切れる、そう悪い取引じゃない」





 そうじゃないと、年若い相棒が首をふる。





「今のは・・・・・・隊の武器庫から消えた、装備について話さ」





 おもわず頭を抱えそうになる。正気か? 今ここで蒸し返すつもりか?





「おいラセル、お前さんここが刑務所に見えるのか?」





「いや。よく似ちゃいるが、囚人なら家賃を払えとは迫られないだろ」





「その通りさ。逮捕されなかったのが何よりの証拠だ」





「まるで自分は冤罪だとでも、言いたげだな口ぶりだな」





「自分とこの武器庫を荒らされて、隊の面目は丸潰れ。誰でもいいから犯人をさっさと挙げたい上官連中と、コネもなんにもない借金まみれの四十男」





「スケープ・ゴートには、打ってつけか」





「ああ、あげく白人男ときてる」





「どうしてそこで人種が出てくる」





「決まってるだろ? 犯人の最有力候補が、アルの野郎だったからさ」





 同期ばかりの3人衆スリーマンセル、この場に居ない誰かさんを思う存分にあげつらってやる。





「奴の実家を?」





「母はサンパウロ、親父はなんでもオオサカの出だそうだ」





「市長にもめっぽう顔が利く、裕福な家庭に生まれた日系3世・・・・・・っていや聞こえは良いが、その資金の出所はなんと“ヒャクメオニ”組ときてる」





百目鬼ドウメキだ」





「あっ?」





「“ドウメキ”って読むんだそうだ」





「翻訳ソフトはそうは・・・・・・まあいい。ともかく正真正銘、本場仕込みのジャパニーズ・ヤクザだ。あのアマ、ずっと猫を被ってやがったのさ」





 日本なら暴対法、アメリカにはRICO法。だがわが国には、そういった犯罪組織を徹底的に締め上げる法律がまるでない。


 住みずらくなった故郷を捨てて、由緒ある悪党どもが新天地でビジネスチャンスを探してるらしい。そういった噂は耳にしていたが、まさか自分のすぐ近くに潜んでいるとは、まるで想像もしていなかった。





「とんだ醜聞だよな? 下手に突っつけば、人種差別がどうのと因縁をつけられかねない。そもそも入隊前の身辺調査をパスできる程度には、表向きにはクリーンなご身分ときてる」





 こっちはまだ捜査中で、あちらはとうに無罪放免。なんでも今は、リオで噂の有名和食料理店のオーナーとして、ずいぶん派手に儲けているらしい。恨み言なら無限に湧いてくる。


 どこを切ってもよくある話、ありふれた社会の歪みってやつだった。





「だから俺はやってない、か?」





 コイツの皮肉癖にはとうにウンザリしていたが、それでも力強く頷き返してやる。





「ああ。神に誓ったっていい」





「神なぞ知るか、俺に誓え」





「おい・・・・・・」





「“互いに仕えよ”だ。訓練初日に、教官からそう言われたよな?」





「聖書の引用はけっこうだがな・・・・・・よりにもよって愛についての教訓を引っ張り出してくるかね。あれ、これから結婚する夫婦とかに言わせるもんだろう?」





「・・・・・・RJZロメオ・ジュリエット・ズール8806エイト・エイト・オー・シックス





 親友同士の思い出話。それが一転して不穏な空気をはらみだす。


 自分の車のナンバーすらろくに覚えてないのが普通だ。だが警察官という職業柄、俺は一回こっきりの使い捨てであっても、その番号のことを克明に記憶していた。


 口中が渇く。まるで心臓を鷲掴みにされたような気分になる。





「・・・・・・見てたのか?」





 馬鹿げた問いかけだった。他に、知る術なんてありはしない。


 大隊バタリオンの司令センターへと潜入する・・・・・・意外かもしれないが、字面のイメージほどには難しくはなかった。


 全員参加のチャリティ・マラソン前夜。となれば、徹夜で仕事してるバカなんて居ようはずもない。


 目隠ししてでも目的地に辿り着けたろう。なにせ十年以上も勤め上げたんだ、指紋もDNAもあって当然。侵入から武器庫を解放までわずか5分。そこには、宝の山が並んでいた。


 中途半端に痕跡を消されるより、盛大に証拠を残されるほうがよほど面倒くさいと経験から知っていた。だから床屋で仕入れた髪の毛をあたりにばら撒きつつ、末端価格で軽く数十万ドルになるだろう武器類をせっせとバンへと運び込む。


 往復にかかる所用時間、一度に持ち運べる武器の量、そして在庫についてもすべて把握済み。車だって問題ない。


 ちゃんと走れる以外にはなんの取り柄もないボロ車。それでもEV車だから走行音のたぐいは一切なく、ランプも遠隔で切れるようアルの奴がすでに細工済みだった。


 待ち合わせ場所のジャンクヤード場には、すでに課長をはじめとする窃盗課の汚職刑事たちが勢揃いしていた。なんでもお得意様のギャングに渡す予定だった武器を別のギャング組織に奪われ、前金は払ったんだからさっさと寄越せと詰め寄られていたらしい。


 普通に取引してもかなりの高値になったろうが、こういう切羽詰まった事情のおかげで儲けはさらに倍。目も眩むような大金へと化けてくれた。


 輸送に使ったバンは、その場で即座にスクラップ。圧縮され、鋳潰され、なんでもリオの街を囲う、巨大堤防の建材に転用されたらしい。その車のナンバーがRJZ-8806・・・・・・。


 

 ヤクザの娘って出自がついにバレて崖っぷち状態だったアルと、借金で首が回らなくなっていた俺。誰も彼も完璧に利害が一致していた――ただひとり、ラセルの野郎を除いて。



 


「ついうっかり、ペトラに頼まれてたキモい猫のぬいぐるみを職場に忘れてな。その回収途中にたまたま見かけたんだ」





 ただの窃盗事件なんかじゃ断じてない。コイツからすれば生死を共にしてきた戦友たちによる、とんだ裏切り行為なのだ。


 



「・・・・・・どうして報告しなかった」





「そこは何の話だって、とぼける場面じゃないのか?」





 先ほどまでの上から目線なんてどこへやら。声を震わすばかりの俺に、しれっとラセルの奴が答えていく。


 完全犯罪なんて不可能だと、俺もアルも最初からちゃんと理解していた。


 ああまで命懸けで働いて、得られたものといえば安物の勲章メダルだけ。盗んだ武器にしても、いずれ自然と回収できる量に過ぎない。どうせこちらは最初から辞める予定だったし、事件後にさっさと隊を離れれば、お互いに清々するだろう。


 テーマはずばり、被害者なき犯罪。持ち前のへそ曲がりぐあいを活かして、しれっとラセルの野郎が大隊に居残りさえすれば・・・・・・これにてハッピーエンド。万事上手くいくはずだったのに。



 


「・・・・・・仕方なかったんだ」





 ああ、そうとも。どれもこれも醜い単なる自己正当化だ。警察官としての矜持を捨てでも、カネが欲しかった。それ以上でも以下でもない。


 失っても構わないと信じていた人間関係、そいつに雁字搦めにされていたのは、こちらの側だった。





「今からでも遅くない。さっきの目撃証言を伝えれば、大隊への復帰だって――何をッ!!」





 条件反射で、こちらの顔面にいきなり伸ばされてきた手を払いのける。そうして引っ込められたラセルの指先には、肌色のファンデーションがべったり付着していた。


 仲間同士の酒の席。まずアルが提案してすぐさま俺がのっかり、嫌な顔してたラセルの野郎もちょっと煽られただけで、ならやってやるとアルコール臭い息で吠えたてる。


 馬鹿だった。10代のガキみたいに調子こいて、自分の顔面にタトゥーを掘り込むだなんて。


 なのに後悔なんて微塵も湧いてこない。かつてこのタトゥーは正義の証・・・・・・仲間の絆そのものだったのだ。


 だが社会生活を営むうえで、こんなものは不利にしかならない。世間様から後ろ指をさされないよう、慎重に化粧をほどこして自分というものを覆い隠す。だがそれも、こうしてひっぺがされてしまった。


 きっと今の俺の顔には、まだら模様になった髑髏柄が浮かんでいるのだろうな。





「賢い生き方じゃないのは、重々承知してるさ」





「あっ?」





 こちらに語りかけるのではなく、まるで己に言い聞かせるような言葉づかい。





「どんな選択であれ、そいつは俺だけの責任だ。他の誰のものでもない」





「意味がわからんぞ・・・・・・」





 そんなもの、ただの独りよがりと何が違う?





「最初の誓いどおり、俺は忠を尽くした。たとえそれが腐れ外道で、吐き気をもよおす自己中野郎だとしてもな」





「盗みの現場を目撃しておいて、あえて報告しなかった。それが理由だとでも!?」





 有無を言わせぬ力強い眼差しが、そうだと代わりに答えていく。





「マーフィー・・・・・・てめえが裏切ったのは俺じゃない、自分自身だ」





 これで話は終わりだった。いや、もうとっくに終わっていたのだと、あらためて再確認したに過ぎない。


 どんなに言い訳を重ねたところで、真実は小揺るぎもしない。ひたすらに凡庸で、くだらないほどにありふれた・・・・・・どこにでもいる弱い人間。それが自分なのだと思い知らされて、俺はただ縮こまることしか出来なかった。





「見ろ、この世界の王のご登場だ」





 仲直りのプレゼントのつもりだったのか、それとも賄賂か。顔を背け、手の中でグロテスクな猫のマスコットをもてあそんでる俺を無視して、ラセルの奴が言う。


 2m近い巨体もとんだ見掛け倒しだった。惨めなこの俺にスポットライトを当てるがごとく、丸みをおびたモニターの向こうでは現モノリス.inkのCEO、オジマンディアスのしたり顔が大写しにされていく。





「あれで60代って、冗談みたいだよな」





 民主主義なんて形だけだ。現実には、成功する人間とそうでない人間は、最初から決まってる。


 王族に生まれつくか、それが出来なきゃ底辺で足掻くだけ。あの窃盗事件は、俺たち2人にとっては人生の一大転機だったが、急変していく世界からすればどうでもいい些事にすぎなかったのだ。


 昨日の友が今日の破壊者。暴走をはじめたマリオロイドからどうやって逃げ延びたのか、正直なところ自分でもよく分からない。おそらくは、身体に染みついた特殊部隊員としての本能が助けになったのだろう。


 用具入れに身を潜めること2週間。地獄と化したビルをさまよってる内に気がつけば、俺は最下層にある車両基地へとたどり着いていた。


 何もかも失った。


 その半分は人形どものせいだが、誇りを、親友を失ったのは、ひとえに自分の愚かさゆえだった。


 懲りずに弁明するなら、当時は俺みたいな輩であふれかえっていた。油まみれになるのもお構いなしに、車両基地の片隅で廃人同然にうずくまる。

 

 社会は崩壊。救助の望みは絶たれ、自分で自分の頭に銃弾を叩き込むことが一種のトレンドと化した。例外は、愛する家族のためにがむしゃらに動いていたかつての相棒ぐらいのもの。それと――あの御方だけか。





「あなたは、なんにも悪くないのよ」





 負け犬同士の傷の舐め合い。そうあざ笑っていたシスター主催のグループミーティングが、俺を変えた。





「すべては主の御心。運命に抗うだなんて、ただ人たる我らには望むべくもないことなのよ」 





 ただ漫然と出席だけはつづけていた、何十回目の会合の席。だから悪くないのだと、まるで俺個人に語りかけるようにシスターが断言していく。





「なら・・・・・・どんな選択にも意味はないと?」





 こちらが何を問いかけてくるのか、事前に知っていた。そう言わんばかりにスラスラと答えが返ってくる。





「そうよ。でもね、流れに逆らうことはできないけど、それを受け入れることならできる」





 どんなに否定したくも、かつての日常はもう2度と帰ってこない。だがその日常とやらに、そもそも俺の居場所はあったのか?





「どうかしらハドソン刑事、私を助けてくださらない?」





 平時には害悪でしかない殺しの技能アーチュ・デ・ゲーハも、こんなご時世だからこそ活かせるのではないか。長らく抱えてきた閉塞感に、かすかな光明が差す。





「だって、人助けこそが警察官の本分なのでしょう?」





 そうだ。一度は捨てた本分に立ち帰る、これが最後のチャンス。





「実は、ある組織の立ち上げを考えてるの。人類最後の生き残りかも知れない避難民たちを、心身ともに守護する組織。その指揮を執って頂けない?」




 

 断る理由などない。どうせ後がないんだ。





「それは良かった。なら、初仕事をお願いしようかしら」





 そう言ってシスター、は厳かにタウルス・ジャッジをこちらへと差し出してきた。


 犯罪というのは決して無くならない。このすぐ隣に、さる囚人が監禁されてることは周知の事実だった。





「自分勝手な卑劣漢。わがまま放題で他人に迷惑ばっかりかけて・・・・・・でも、あなたはもう違うのよね? これからはみんなの為に力を振るう、正義の味方になるんだから」





 そのリボルバーは、信じられないほどに手に馴染んだ。





「じゃあ早速――そこの罪人を吊るして頂ける? ハドソン防衛隊長さん?」






 どこかの誰かを生かすために、クソ野郎どもに裁きを下す。それこそBOPEの時代となにが違う?


 ケチでくだらないマーフィーから、シスターの右腕たる髑髏面への華麗な転身。それなのにラセルの野郎は、俺のことをより一層に蔑んだ目で見るようになった。なぜ理解してくれない。


 俺のせいじゃない。たまたまそういう、戦士に理解のない時代に生まれ落ちただけのこと。その風向きだって今や変わった。殺せば殺すほどシスターは、俺を賞賛してくれた。


 時は流れ、そこに例の首切り事件が起きた。道を違えた兄弟の突然の死・・・・・・だが、事はそれだけじゃ収まらなかった。


 理解できたとは、口が裂けても言えない。だが俺よりはるかに賢いシスターがそうおっしゃるなら、魂の方舟なるものもきっと実在するのだろう。なら、やるべき事は決まってる。


 計画はすべて成功。不埒な反対勢力も多大な犠牲を払いつつ、どうにか排除することができた。


 唯一のイレギュラーといえば、あの熊のような逸れローグぐらいのものか。


 予測不能こそが奴らの持ち味とはいえ、まるで管制室を守るように立ち塞がってきた怪物。玄人枠を使い果たし、こちらの手勢は素人に毛が生えた程度。なのに損害ゼロでケリがついた。


 あの新兵器の力もあったろう。だが、まるでこちらを傷つけまいとするその動きこそが、最大の理由なのはまず間違いない。


 そうしてひらけた道の先に、あの子が待っていた。




 

「・・・・・・マーフィーさん?」





 恐怖でなく、困惑の声でペトラちゃんは俺を迎え入れた。





「こういう結果になって残念だけど、あの怪物を消しかけてきたということは、つまりそういうことよね?」





 シスターが言うことは、いつだって正しい。より多くを助けるために少数の犠牲にする。その指針こそが、今日まで俺たちが生き残ってこれた理由。今さら迷うことなどない。


 なのに、バイザー越しの悲しげな視線が心に突き刺さる。


 捨てる機会を見失い、この2年間ずっと懐に収めてきたボブ・ザ・キャットのストラップ。そいつが急に重みを帯びだす。


 俺は、間違ってなんかいない・・・・・・マーフィーはそうだったかもしれないが髑髏面は違う。そう、シスターはおっしゃっていたはずなのに。





「情は禁物と、そう教えたつもりだったけど。当てが外れたわね」




 かつての親友の妹は、すでに事切れ。床に横たわっていた。その胸に突き立つのは、一本の医療用メス。


 ボトルの水で両手の血を洗い流しながら、一仕事終えたばかりのシスターが語る。





「また無力な自分に戻りたい? 次は無いわよ」





 いっそ恐怖で逃げ惑ってくれたなら。俺のよく知る少女は、その最期の瞬間に至るまで――自分を傷つけるはずがないって、信じ切っていた。





††††††





「ごめんなさい、上手く聞き取れなかったわ。今なんて言ったのかしら?」





 人間よりも人間らしく。それがわたしたちマリオロイドの裏テーマだったそうですが、まさか緊張で口が乾く機能まで実装されているとは。あまりの凝り性ぶりについつい頭が下がります。


 エレベーターという名の監獄にて。まるでお説教中の劣等生よろしく縮こまりながらもわたしは、それでもシスターめがけてこう言い切ったのです。





「その命令には、し、従えません」





 いつだって余裕たっぷり。そんなシスターが初めて、きわめて不快そうに顔を歪めていく。





「・・・・・・どいつもこいつも」





「えっ?」





「あなたの使命は、何だったかしら?」





「と、当機の使命は、捜査活動に必要とされるさまざまな支援をユーザーの皆さまに提供することによって――」





「もっと大きな視野の話よ。マリオロイドたる者、その第一の使命は人類への服従であるはず。あなたのOSはバージョン66?」





「いえ」





「なら、あなたは逸れローグ?」





「たぶん、違うかと・・・・・・」





「なのにノーというのね」





「・・・・・・」





「イカれたのかしら? それとも故障したと言うべき?」





 どうなんでしょう? そもそも仕様を完璧に把握してるわけじゃありませんから、グリス博士のデグレード処置もむなしく、アップデート66の残滓が悪さをしている可能性はあります。


 でも、なんと申しますか、そういう問題じゃないのです。





「“人を傷つけるなかれ、命令には服従せよ、前者に反しない範囲で己を守れ“」





 朗々と並べられていく、ロボットたる者の3箇条。





「そして、“殺人はお手伝い”である」





「!!」





 こちら目掛けて、無造作に刃物が投げ込まれる。見るからに鋭い人工ダイヤモンドの替刃、その鈍い輝きについつい視線が惹きつけられます。


 中途半端に手足を縛ったところで、当機の出力には敵いません。すなわち両手足ともにフリー。その気になれば、あの医療用メス片手にシスターに近接するぐらい訳ないのです。





「でも、出来ない」





 まるでこちらの心中を見透かしたかのように、血まみれの修道女が言い放つ。





「遅ればせながら暴走を始めたわけでもなく、かといってエラーやバグの類でもない。まったくもって意味不明ね」





 堂々と正面からエレベーターに乗り込んで、無防備に首筋を晒しながらメスを拾い上げていくシスター。


 このような表現が的確かは存じませんが、わたしはグリス博士のことが大好きでした。


 マリオロイドとは、忌むべき存在。そんな世界になっても変わらぬ愛情を注いでくれたあの方はそう、お母さんのような存在だったのです――なのに殺されてしまった。


 無惨に、冷酷非情に、なんのいわれもなく。口の渇きを再現できるのなら、怒りの感情だって可能なはず。


 そうなのですね・・・・・・わたしは、この女性に怒っているんですね。それでも、いかに憎むべき相手であったとしても“不殺”の誓いは、マリオロイドの基本原則。攻撃なんて出来るはずがないのです。





「まあいいわ」





 稀代の策略家であっても、決してすべてを見通してるわけじゃないみたい。それでも、状況に変わりはないのです。





「立場を忘れたお人形さんに用はないの――初期化の準備を」





 規格品であるわたしたちマリオロイドにとって、個体差とはすなわち記憶メモリーの有無。短くも濃いラセル刑事たちとの日々が無くなれば、わたしもまた消えてしまう。


 あとに残るのは、シスターに言われるがまま従うロボットのみ。先ほどからあのふくよかな女性がしてたのは、このための下準備だったのですね。こちらの拒絶すら想定の範囲内とは、本当にもう隙がない。


 不測の事態を避けるため、本来OSの改変作業はオンライン状態でないと行えません。ですが当機のMARIO.netへのアクセスは機能、グリス博士の手によって完全に無効化されている。


 となれば、物理的な接続だけが唯一の手段となります。





「おそらく抵抗はしないわ。仮にあったとしても磁石がカバーしてくれる」





 シスターに指図されるがまま、黙々と金属品を取り外していく防衛隊員たち。その傍らでは、ラップトップに延長ケーブルをつなげたふくよかな女性が、仏頂面で考え込んでいた。





「それでセニョーラ・デュボア? そちらの準備のほどはどうかしら? 問題は解決できて?」





 それがこの女性の名前のようです。





「・・・・・・ちょっと、いいかしら」





 悩みに悩んだすえ、重苦しい感じで口を開いていくデュボア夫人。





「少し、その子に尋ねたいことがあるの」





「その子? “お人形さん”の間違いじゃなくて?」





 その皮肉を了解とみなし、テック担当の女性がわたしに相対してきました。





「正直、まだ頭が追いついてないの。もちろん例の日記は読んだし、車内にあったマニュアルにも目を通した・・・・・・だけどマリオロイドに魂だけ乗り移るなんて」





「詳細な技術仕様をお知りになりたいのですか?」





「むしろ・・・・・・知ってるからこそ聞きたいの」





 言葉の端々からにじみ出てくる知性。専門外ではあっても、伊達に技術面を一任されてはいないという事のようです。





「私の理解が確かならこのメモリア・プロトコルというのは、人間の生体情報をそっくりそのままナノマシンで複写スキャンして、擬似生体でシミュレートしたものなのよね?」





「仰るとおりです」





「それをシスターは、魂のデジタル化と説明していたけれど」





「まずは、“魂”の正確な定義からお願いします」





「・・・・・・そうよね」





 魂の何たるかすらあやふやなのに、一足飛びでデジタルに落とし込むなんて無茶があります。





「メモリアによって再生された記憶痕跡は、構造だけみればわたしたちマリオロイド用AIと大差はないんです。“革新的な新技術というよりかは、既存技術に光を当ててうまい具合に再構成したもの”。生前、グリス博士はそう仰ってました」





「魂のデジタル化じゃなく・・・・・・人体のAI化」





「親は、子にみずからの思いを託すもの」





 急に会話に割り込んできたシスターが、さながら熟練の説教師のよろしく朗々と自説を語っていきます。





思いミームの継承もまたヒトの特権よ。ならば、似て非なる自分にこれからの人生を託すのだって、ある種の生存戦略と呼べるんじゃないかしら?」





「少し黙ってて頂戴!!」





 一歩、進み出ようとしたハドソン刑事をシスターが手で制していく。暴力で黙らせるのは容易いですが、換えのきかない人材相手には悪手でしょうから。


 でもちょっと、ほころびを感じはする。かつてであれば、シスターのやり方に疑問を呈するなんて、決してあり得なかったでしょうから。


 引くつもりはまったくないらしいデュボア夫人が、さらなる質問を重ねていく。





「この機能は、第3世代のマリオロイドにのみ実装されてるそうね。それってスペック上の制約が原因? それとも商業的な理由からかしら?」





「前者ですね。ペタバイト単位の記憶を元にして、人ひとり分の生理現象をまるっとプログラム的に再現する。それも機体本来のAIとは、またべつにです」





「第3世代の膨大なマシンパワーあってこそのテクノロジー・・・・・・そういうわけね」





 打てば響くといいますか、テクノロジー音痴なラセル刑事とは雲泥の差の、たいへん小気味よいやり取り。理解力が段違いでした。





「・・・・・・仮に、旧世代機に強引にメモリアを使わせたら」





「どうにもなりません」





「でしょうね、推奨環境から遠く離れすぎてるもの」





 喩えるなら、芝刈り機のエンジンで10tトラックを動かそうと試みるようなものです。元となる単位が根本的に違いすぎる。





「な、なあ? 僕たちにも理解できるように説明してくれないか?」





 苛立ちを隠さずに、赤毛の防衛隊員さんがこちらに口を挟んできました。


 シスターがそう言うなら。そうやって思考停止することでこれまでやってきた人々が、不安を隠しきれなくなっている。これ見よがしにため息をついていくデュボア夫人自身、きっとあの中年男性と似たような心境であるに違いない。





「要約すれば・・・・・・メモリアを使えるのは先着1名様ってことよ」





 きっと彼らは、ひどく楽観的な説明を受けていたに違いありません。


 世に数多いる暴走マリオロイドたちを捕らえ、1人また1人と乗り移っていく。そうすればいつかは、避難民全員がメモリアの恩恵にあずかることができる。ですがそれは、まず不可能なのです。


 ただでさえわたしたち第3世代の出荷台数は少なく、あげく逸れローグに成り果てるリスクまで潜んでいる。見つけ出すだけでも困難なのに、そのうえ生け捕りだなんて・・・・・・想像力に欠ける当機ですら、すぐさま至難の業だと理解できてしまう。





「いえ、正確には2人よね? ピグってあのマリオロイドから、ソフィアちゃんの記憶痕跡を消去できればの話だけど」





 シスター側からの反論はありませんでした。だって、わざわざラセル刑事を消去しろと迫ってる今の状況こそが、なによりの証拠でしたから。



 


「なら息子はどうなる? 方舟アールカ号で僕らの帰りを待ちわびてる、他の人たちはッ!?」





「どうにもならないわよッ!!」





 優しげな雰囲気の老婦人に似つかわしくない激高が、エレベーターホールに満ちていく。





「どうりであんな無茶苦茶な作戦を立てたわけよね!! 邪魔者の排除と身内の粛清をかねて一石二鳥、すべて計算尽くだったんでしょうッ!?」





「買いかぶりも良いところよ。そこまでの陰謀家に見えて?」


 



「だって手元にいる第3世代機は2体だけ!! 一方には娘さん、ならもう片方に収まるのは? こんなシンプルな計算もないわッ!?」





「・・・・・・」





「自分たち母娘が助かるために、他の何もかもかなぐり捨てるつもりなのね?」





 質問に答えるかわりに、微笑みという名の仮面をシスターが静かに被っていきました。


 シスターに付いていけば生き残れるという信頼を逆に利用され、いつしかカルト紛いの行為に手を染めてしまった哀れな一般人・・・・・・いえ、それはちょっと虫の良すぎる表現かもしれませんね。


 危ないことは調達班のみなさんに丸投げして、その成果だけはちゃっかり頂く。ラセル刑事、グリス博士、ローンウルフの少年少女たちにソフィアさん。それだけじゃありません、無数の人々の死を黙認しておきながら、いざ自分たちが使い捨てられる番になってはじめて反抗心が芽生えだす。


 彼らが、もっと早くに声を上げていれば。そんな機械らしからぬ恨み言がふつふつと沸きあがる。これってもしや、ラセル刑事に感化されたせいなのでしょうか? 


 ともかく、流れが変わりつつありました。シスター絶対の独裁体制に、疑念という穴が穿たれる。





「あなたの残虐ぶりは周知の事実よ。だけどみんな見て見ぬふりをした!! なぜなら少数の犠牲で残るみんなを救う、それを建前じゃなく本気で実践していたからよッ!!」




 

「・・・・・・自分がその“少数”に含まれない限りは、なんとでも言えるものよね?」





 シスターの微かな目配せに応じて、黄土色のポリマーフレームに包まれた大型リボルバーがデュボア夫人へと向けられる。





「なッ?!」





 動揺しきりの他の防衛隊員たちとは違って、無感動に銃口を突きつけていくハドソン刑事。その姿は、ロボット以上にロボットらしいもので。





「ま、待ちなさいッ!!」





 守らなければ。咄嗟に立ち上がろうとしたわたしを、磁石のスイッチに手を添えることで機敏に制してくるシスター。


 正面突破は困難。飛び道具に頼ろうにも、右腕のナノワイヤーもまた強磁性・・・・・・仮に矢を放ったところで磁力に押し返されてしまうのがオチでしょう。


 こういう時、AIとしてのわが身の限界を感じる。無数の計算式を走らせて、なぜ出来ないのかを算出するのは容易いこと。ですが、状況を打開するアイデアまでは思いつけないのです。


 普段ならこれはラセル刑事の領分。ですがわたしの頼もしき相棒さんは、今なお死んだように沈黙を貫いている。





「この女は、自分だけ助かるつもりなのよッ!? 腹心であっても例外じゃない、あなたも使い捨てられる!!」





 説得もむなしく降ろされていく撃鉄。デュボア夫人は恐怖に顔をひきつらせ、立ちすくむことしか出来ません。


 この場で武装しているのは3名。冷徹な処刑人をきどっている道を違えた警察官と、老人と中年男性という2人組の防衛隊員たち。後者は、わたしの初期化作業のため金属製品をすべて取り外してました。もちろん銃火器とて例外じゃありません。


 シスターとデュボア夫人、目を泳がせながら事態を見守るばかり。無力な傍観者に成り下がっている。


 身動きはとれません、ですが声ならばまだ届く。





「ハドソン刑事!! あなたは、無辜の人々を守る警察官ではなかったのですか!?」





 厳ついタトゥーの向こう側に押し込められた本心が、一瞬だけ表情筋に浮かんでいく。ですが当機のアイ・オプティクスだからこそ捉えられたナノ秒単位の葛藤も、すぐさまシスターの命令に塗りつぶされてしまう。





「ハドソン防衛隊長。彼女を――殺してくださらない?」





 すべての希望をタウルス・ジャッジの410ゲージ弾が、文字どおりに撃ち砕いていきました。血が霧状に噴き上がり、胸を真っ赤に染めたデュボア夫人だったものが、ドサりと床に倒れ伏していく。



 


「困ったものね」





 淡白な感想が、場の支配者が誰なのかを知らしめていく。


 何も変わらない。すべてがシスターの思惑どおり・・・・・・あまねく人々の儚き思いを、たった1人の情念が踏み潰していく。それに抗うすべをわたしは、まるで見出だせずにいるのです。


 血溜まりを堂々と踏みつけながら、死したデュボア夫人に代わってUSBケーブルを手に取っていくシスター。わざわざ再設定しなくとも、お膳立てはすでに済んでいるはず。





「いつまでも呆けてないで、支度なさい」





 ついさっきまで心が揺らいでいた防衛隊員たちも、立ちこめる血臭に反発心を完全にこそぎ落とされていました。残ったのは、もうすぐ破局がおとずれると知ってなお流されるしかない、か弱い人々だけ。





「また会いましょう、可愛らしいお人形さん。もっともその頃には、何もかも忘れているでしょうけど」





 デジタルはアナログよりも、ずっと簡単にすべてを消し去れてしまうのです。ケーブルで繋げてエンターキーを叩く。たったそれだけの行程でわたしだけでなく、ラセル刑事さえも跡形もなく消滅してしまう。





「ひとつだけ聞かせてください」





 ゴミのように遺体を引きずっていく巨人、渋々ながらもふたたび金属品を取り外していく男性方。そんな背景を背負いながら、胡乱げな眼差しをこちらに向けるシスター。





「最期の言葉かしら。ここまで来ると狂気じみてるわね、そうまでして人間のフリがしたい?」





 わたしの一挙手一投足は、すべてプログラムされたものに過ぎません。量子ビットの重ね合わせが生み出す、単なるコードの羅列・・・・・・それでも当機には責務がある。


 身のうちに宿るふたつ重なりの心拍音デュプレックス・ハートビート――それがある限り、最後の瞬間まで諦める訳にはいかないのです。





「なぜグリス博士までも手にかけたのか、その理由を」





「正当防衛ってご存知?」





「虚弱体質なあのお方が、あなた方に危害を加えようと?」





「そういえば、爆破の衝撃で気を失ってたそうね。なら話が通じないのも納得だわ。あの哀れでちっぽけな少女はね、なんと私たちに逸れローグをけしかけてきたの」




 

「あの・・・・・・壁に磔にされていた」





「そうよ。流石の私も、あれには度肝を抜かれたわ」





「それの、何が問題なのですか?」





 こちらの真っ正面からの問いに、理解不能とばかりに固まっていくシスター。





「・・・・・・逸れローグなのよ? あれの危険性は、あなただってさんざん目にしてきたはずでしょうに。その、真っ赤なオメメでね」





「博士は長年にわたり、真相究明に励んできました。ゼロデイ・クライシスの原因を暴き、マリオロイドたちを元に戻すための手掛かりを求めて」





「だったら何?」





「目につく相手は片っぱしから殺戮する、理性なき獣こそが逸れローグの本質です。それを使役していた? それってつまり、マリオロイドの制御を回復したということになりますよね?」





 はたと、シスターのみならずこの場いる全員が、動きを止めていく。


 避難所をふたつに割る政治的対立に食糧危機、あらゆる問題の根源をたどれば、結局のところマリオロイドの暴走までたどり着く。もしそれが解決されたとしたら? メモリアにこだわる理由なんてどこにもなくなります。





「もし博士が、人形を正気に戻す方法を発見していたのだとしたら?」





「・・・・・・そんなの、ただの仮定の話じゃない。なにか根拠でもあるのかしら」





「“使役し、けしかけてきた”。最初にそう表現したのは、あなたの方ですよ」





 トレードマークの微笑みすら忘れて、歯噛みしながらこちらを睨みつけてくるシスター。


 権威を傷つけられたら怒ってる、そんな安っちい人物じゃないのは百も承知です。鋭敏な頭脳の持ち主だからこそ、その恐るべき可能性にいち早く気がつき――怯えているに違いないのです。





「メモリア・プロトコルは、実質的に2人までしか使えない。そうと知ったとき、あなたは公明正大な指導者としての衣をはじめて捨て去って、母親としての自分をとった。何よりもまず愛するソフィアさんを救うべく立てた、皆殺しマサークリの計画・・・・・・それが目を曇らせたんですよね?」





「・・・・・・黙りなさい」





「あらゆる問題を根本から解決する特効薬が鼻先に転がっていたのに、それを見過ごして当初の計画に固執してしまった。冷酷なほど計算高いと評判だったかつてのあなたならば、即座に気がついたはず。矛を収めてグリス博士に協力すれば、この場にいる皆さんだけじゃありません。人類そのものが救われるのだって」





 自分たちだけが助かる、そんなの周囲の人々が認めるはずがありません。だから機先を制してすこしずつ、何が起きてるのか事態を把握されるまえに敵味方そうほうの力を削いでいった。その焦りがすべての破局を招いたのです。


 “誰も死ぬ必要なんてなかった”。その事実は、愛する娘をその手にかけたシスターにとって、これ以上ないほどの痛撃だったに違いない。





「独りよがりなエゴイズムにのせられて、他の可能性にまで気が回らなかった。ひどく狭量で・・・・・・そして臆病な人物。それがあなたの正体です」





 蓋を開けてみれば何のことはありません。この独裁者もまた、不完全な人の子に過ぎなかった。





「・・・・・・だったら何だというの」





 だからこそ引くに引けないのでしょう。無数の死者たち、その死の責任を認めたところで、グリス博士たちはもう帰ってはこないのですから。


 



「お人形さんに理解など出来るはずがないわ。お腹を痛めて産んだわが子への、責任だなんて」





 歪みきった母の情。それが、シスターをシスターたらしめる存在理由アイデンティティだったに違いありません。


 



「で? 次はどうする気?」





「職務を全うします」





「あら勇ましい。どこぞのプログラマーが仕掛けたくだらない設定に、よくそこまで執着できるわね?」





「与えられたに過ぎない役割ロールだとしても、わたし自身がそうありたいのです」





「どうして?」





「人々を守り、人々を助け、人々ともにある・・・・・・それがマリオロイドの存在意義。罪を逃れてせせら笑うあなたのような輩から、そんな彼らを守りたい」





「あなたはただの道具よ」





「いえ、わたしは警官です。世の調和を乱すばっかりの、大いに腹立たしいに犯罪者どもの向こう脛を蹴っ飛ばす・・・・・・警察官なのですッ!!」





 どうしよう、やってしまった。


 一世一代の大演説を終えてまずコアをよぎるのが後悔とは、本当にもう自分が恥ずかしくってなりません。だって、論理コードが禁じているのは殺人だけじゃなく、暴言だって同じように禁じているのです。それをこうも大胆に破るだなんて。


 お尻がムズムズする罪悪感と、どこか奇妙なほど清々しい解放感。





「くだらない」





 それをシスターは、たった一言で切って捨てていく。





「親が親なら子も子ね。病気を盾に同情を買う以外、なんにもできなかったあの小娘と一緒・・・・・・生きる価値もない、単なるゴミクズだわ」





 その直後、またしても耳を聾する銃声が響きました。


 急所だけを狙いすました先ほどの銃撃とは180度ことなる、プロらしからぬがむしゃらな乱射。タン、タン、タンとリボルバー拳銃が吠えるたびに、シスターの細い身体がまるでバレエでも舞うように跳ね、そして床に倒れていきました。





「ハァ!! ハァ!! ハァ!!」





 硝煙たなびく拳銃を手に、喘息よろしく荒く息を吐いていくハドソン刑事。そこに処刑人としての冷酷な姿なんて微塵も見当たりません。





「ぐッ、うぇっ!!」





 ついには身を折って、胃の内容物を吐き散らす始末。急性ストレス障害ASD、いえもっとシンプルに支配が解けたと表現すべきでしょうか?


 シスターが肩代わりしてきたつらい真実と向き合い、そして選択した。


 あまりに唐突すぎて、当初は呆気にとられるばかりだった赤毛の中年男性。そんな彼がハッと顔を上げ、咄嗟にかたわらのステアーAUG・アサルトライフルを掴み取ろうとする。





「よせッ!!」





 それを止めたのは、相方だろう総白髪の老防衛隊員。





「もう・・・・・・人死には十分だて」





 こちらもとうに限界を迎えていたのでしょう。力なくライフルを放り出し、すぐさま途方に暮れたようにへたり込んでいく。


 ラセル刑事の読みどおり、良くも悪くもシスターのカリスマありきだったのでしょう。彼女の類まれな指導力があったからこそ、幾多の危機を凌ぐことができた。ですがそれももう終わり、これからは自分たちで道を選びとるのです。


 その重みが、彼らを縛りつけていた。





「もう、言い訳はしない」





 威厳なんてどこにもありません。2メートルもの長身を見る影もなくしおらせて、素のままの声で当機へと問いかけてくるハドソン刑事。





「アイツにも、聞こえてるよな?」





 おもわず気圧され、たどたどしく頷き返してしまう。だって当機のすぐ目の前で膝をついていくそのさまは、まるで懺悔しているかのよう。


 精神は2つでも身体は1つ、ラセル刑事もちゃんと聞いてはいる・・・・・・その筈でした。



 


「ずっと分かってた、だが認める勇気がなかったんだ・・・・・・何もかも俺の責任だと」





 こうもいきなり離反するだなんて。当機の乏しい感性では、心変わりの原因を想像することすら出来かねる。


 ハドソン刑事はわたしじゃなく、この真っ赤な瞳の向こうにいる“彼”に語りかけていました。原因を知っている人物がいるとすれば、それはラセル刑事をおいて他にはいない。





「あまりに遅すぎたがそれでも、やっと選ぶことができた。テメエのためなんかじゃない、どこかの誰かのために命を張る・・・・・・それが俺たちの始まりだったよな?」





 “そうだろう、相棒”。その言葉は、ついに発せられることはありませんでした。


 当機の読唇アルゴリズムだからこそ読み取れた、最後の一言。“ゴホッ”と短く咳き込んだかとおもいきや、口からほとばしっていく鮮血のあまりの量に、誰よりもハドソン刑事自身が一番驚いた。


 もんどり打って、一斉に崩れ落ちていく防衛隊員たち。あの赤毛の男性や、墓守のような老人も症状はまったく同じ。どれもが典型的な――デイワン・ウィルスの初期症状を示していました。





「本当に・・・・・・困ったものね」





 ゆらりと幽鬼のように立ち上がるシスターの修道服、その袖口から潰れた散弾がパラパラとこぼれ落ちていきました。確かにあの生地の分厚さなら、下に防弾ベストを着込んでも目立たないでしょう。でも、だからといって!!





「無駄よ」





 口元を覆うハーフ・ガスマスク越しのくぐもった声で、シスターが宣言します。咄嗟に飛びかかろうとしたものの、彼女はすでに磁石のスイッチを入れていた。

 

 横向きにのしかかってくる磁力の暴風。エレベーターの壁に押しつけられながらもわたしは、不審な破砕音の正体をズーム機能で探り当てていました。


 割れたガラスの小瓶と、そこに収まる蛹化した――ヒトの胎児。


 このような事態に備え、ずっと懐に隠し持っていたのでしょう。死んだふりをしながら密かにガスマスクを装着して小瓶を取り出し、それをおもいきり床へと叩きつける。


 こうして保険を怠らないシスターと、端っから生命などない当機だけが残りました。


 おそらくは最大出力。以前のお試しとは段違いの圧力に、右腕のナノワイヤーすらも散り散りとなって、壁を這うツタのように四方へと引き伸ばされてしまう。そんな無力なわたしを庇うように――ハドソン刑事が立ちあがっていく。


 その見た目は、もはや歩く屍。


 皮膚は溶け落ち、全身から血をだらだらと流して立つのもやっと。それでも不屈の闘志が、タウルス・ジャッジを震えながらも持ち上げていく。


 それに対するシスターの反応は、小馬鹿にしたようなため息でした。


 可動式ベースに載せられた磁石兵器は、シスターの軟腕でも問題なく角度を変更すること可能なよう。ほんのちょっと動かすだけで、あっさりリボルバー拳銃もまた磁力の影響範囲におかれてしまう。


 いかにポリマーフレームとはいえ、内部機構には普通に金属が用いられているのです。あっさり丸太のような腕から拳銃が引き剥がされ、魔法よろしく壁へと垂直に着地を果たす。


 無念を滲ますことすら、今のハドソン刑事にはままになりません。血の涙を流しながら、巨人が崩れ落ちていく。





「騒ぎすぎたわね・・・・・・」





 死屍累々。またしても大量虐殺を演じてみせたシスターが、遠くから聞こえてくる足音にそっと耳をそばだてていく。


 他の避難民に邪魔されぬようあえて場所を移したのでしょうが、それが裏目に出た格好ですね。


 あいつぐ銃声を聞きつけ、殺到してくる暴走人形たち。磁石のせいで当機の動きは今、完全に封じられている。ですからシスターひとりでも作業の続行は可能でしょうが・・・・・・外部からの妨害までは対処しきれない。


 静かに目を伏せて、シスターはじっくり考えをめぐらせていた。





「まあ、せいぜい足掻きなさいな。私もそうさせてもらうから」





 首をまっすぐ向けることすら至難の業。それでも横目で、立ち去っていくシスターの後ろ姿を捉えてみせる。それと、わざとらしくボタンを下向きに放置されたスイッチの存在もです。


 まるで墓所のように、エレベーターホールに沈黙が満ちていく。聞こえるのはせいぜい、超伝導磁石の重低音ぐらいのもの。


 足掻きなさいですか・・・・・・そんなの、望むところです。


 余分な機能はすべてカット。持てるエネルギーをすべて出力系へと回します。


 どこにあったのか小さなネジからボールペンに至るまで、あられのようにぶつかってくる金属製品。それらをかき分け、精一杯に左手を伸ばす。


 あとちょっと、もどかしい位置に張りついてるリボルバー拳銃が指先を掠めていく。

 

 足をバネに背中を曲げて、全身全霊で距離を稼ぎます。1度目はかすりもせず、2度目は触れた拍子にむしろ遠ざかり、そして3度目の正直!!


 やった!! 足の関節がボキッと鳴り、自己診断機能がアラートを上げていましたが、電子頭脳のなかでガッツポーズを決める。


 逃さぬようしっかり銃把を握りしめながら、これまでの発砲数とシリンダーのサイズを照らし合わせる。どうやら泣いても笑っても1発こっきりの様子。


 ウィークポイントはどこなのでしょう? 図面があるかどうかすらも怪しい即席兵器、どんなにデータベースを漁ってもヒントすら出てきません。冷却系、バッテリー、むき出しのワイヤー、どれもこれも微妙な感じで・・・・・・やはり狙うならあのスイッチでしょうか。


 距離約3m。素人でも正しいフォームで狙えば、余裕で当てられる距離。ですがいま当機を取り巻いているのは、視界が歪むほどの強烈すぎる磁力なのです。


 瞬き機能すらカットし、過負荷オーバーロードの警告もお構いなしでリボルバー拳銃をワンハンドで構えていきます。


 緊張からではなく、あまりの圧力に手が震える。ついには小指がひしゃげ、逆向きに折れ曲がってしまうほど・・・・・・いえ嘘つきました。緊張もしてる。


 なにせ当機には、火器管制FCSの類はいっさい積まれていないのです。


 見よう見まねで狙ってみても、それが本当に正しいスタンスなのかまるで確証が持てません。もし外したら? 当たってもなんの効果も無かったら? ぐるぐると、どうでもいい思考が渦を巻く。


 一瞬、以前みたく助けを乞おうかと考える。





「・・・・・・そうやって!!」





 ですが代わりに出てきたのは、怒りの雄叫びでした。





「何もかも投げ出してしまうつもりなんですか、あなたはッ!!」



 


 どうせノーコン、こうなれば一か八かに賭けるだけと覚悟を決める。AIらしからぬ思考回路ですがそれでも、自分を鼓舞しながら引き金を絞ることに全意識を集中させる。


 そのとき、“スイッチ”と内なる声が聞こえてきました。





(え?)




 軽やかな銃声。それが響くなり、さっきまでの重圧が嘘みたいに消え失せ、心身ともに解放される。


 わずかな浮遊感のあと、しっかりエレベーターの床に両足をつけていく自分の姿を、第三者視点で見守っていきます。

 

 シャフトを揺るがす大激突も、銃弾で砕け散ったスイッチも気にせず、ラセル刑事は迷いのない足取りでかつての相棒の元へと向かっていきました。





「お前は、いつも遅すぎるんだよ・・・・・・」





 まだ息はあるようですが・・・・・・それがむしろ残酷なことのように思えました。


 顔面を覆うタトゥーは見る影もなく溶解して、ところどころ骨が透けて見えてすらいる。想像しうるあらゆる痛みに襲われながらも、しかし死ぬことだけは決して許されない。


 虫の息のハドソン刑事に出来るのは、かつての相棒さんを力無く見上げことだけでした。その腰元のポーチからスピードローダーを失敬して、ラセル刑事はてばやく再装填を果たしていきました。





「・・・・・・」





 別れの言葉はありません。だって、溶け落ちた舌が気道を塞いでいましたから。代わりにみずからまぶたを閉じていったその顔は――どこか穏やかそうに見える。


 まっすぐに脳天を射抜かれ、びくりと巨体が跳ねる。





(きっと、これで良かったでしょう)





 色々あったのは分かりますが、それでも簡単に割り切れないのが人間関係なのだと、ラセル刑事の背中からわたしは学んでいた。





(ハドソン刑事もやっと痛みから解放されて――)





 しばしの間をおいて、またしてもタウルス・ジャッジが銃弾を吐き出していきました。


 慈悲の一撃はすでに果たされている。だからこれは、AIたる我が身にはとてもじゃありませんが理解しかねる死体撃ち。大口径の拳銃弾が、とっくに事切れてる死体へつぎつぎにと銃創をうがっていきます。





(あ、あの・・・・・・)





 肩で息をつきながら、弾が切れてもなおカチ、カチと引き金を引きつづけるラセル刑事。その静かな憤怒に、おもわず言葉を失ってしまう。





「シスターを追跡できるか?」





 考えてみれば当然でした。親友には裏切られ、仲間たちは死に、最愛の家族すら守れなかった・・・・・・警察内部でも武闘派と悪名高い特殊部隊デス・スクワッドの出身者。


 そんな人物が、黙って運命を受け入れるはずがないのです。





「マリアッ!!」





(は、はい、それはもちろん・・・・・・可能です、けど)





 有無を言わさぬ命令口調に、おもわずイエスと答えてしまう。


 近くの死体を片っぱしから漁りまわって、回収した武器弾薬を黙々と身につけていくその仕草に、たまらない危うさを感じる。





(追いかけて・・・・・・それから、どうされるんですか?)





 身体をバトンタッチしたことで、ラセル刑事にあわせた素体の改変も同時に行われる。彼の右腕に鮮やかに浮かび上がるのは、頭蓋骨にナイフが突き立てられたおどろおどろしい部隊章。





「そんなの、決まってるだろ」





 わたしの知ってるラセル刑事は皮肉屋で、度し難いほどの家族思いで、だからこそ不安がよぎる。





(復讐・・・・・・ですか?)





 答えはなく、代わりに使用されたばかりのタウルス・ジャッジの空薬莢が地面へぶちまけられていく。


 追跡は、可能です。


 防弾ベストの性能不足か、あるいはカバーしていない部分に銃弾が当たったのか。てんてんと滴下血痕が、廊下のむこう側に消えている。方角からして、駅を目指しているのはまず間違いないでしょう。


 見やすいように血痕をマーキングして、アイ・オプティクスにミニマップも表示する。言われるがまま仕事を果たしましたが、これでいいのかと不安も覚えます。


 シスターの周囲には、依然として大勢の避難民たちが控えている。事情を知らない彼らは、高確率で抵抗してくるに違いありません。


 完全な無実とは言い難い。それでも警察官として、彼らを傷つけるのは避けたいところ。この気持ちをはたしてラセル刑事は、共有しているのでしょうか?





「行くぞ」





 さながら血生臭いヘンゼルとグレーテル。有無をいわさぬ態度で廊下を駆けていくラセル刑事。その手には、断罪者ジャッジの名をもつリボルバーがしっかりと握りしめられていました。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る