Chapter XIV “親は子のためなら、どんなことでもするものよ”


【“作戦当日”】


 どうしよう、どうしたら・・・・・・急転直下の事態に、ペトラさんの思考はまるで追いついていなかった。覚悟はしていたつもりだけど、でもいざ本物の戦場に身を置くと、自分はほとほと場違いなんだって思い知らされる。


 “逃げろ”。その指示どおりに、へっぴり腰で割れた窓から室内に。助けを呼びにいくつもりが、それどころじゃなくなってしまった。


 兄とマーフィーさん。元から喧嘩はしていたけれど、でも、あんな風になるなんて・・・・・・チュイさんは、大丈夫なのかな? あの眼鏡の防衛隊員の人だって、まるで物みたいに倒れて。


 人智をはずれた逸れローグの戦い方とはまるで違う、ひたすら生々しい人と人との暴力行為。遠巻きに眺めていただけなのに、まだ足が竦んでいる。


 カシッ、カシッというくぐもった銃声を追いかけます、なにか巨大な物。兄だけど兄じゃないあの人は、必死に鹿の王を遠ざけようとしていた。だから当面は大丈夫なはず・・・・・・でも鹿の王とはまた異なる修羅場が、この管制室のなかには渦巻いていた。





「大丈夫!! 大丈夫っすからねッ!!」





 必死の治療にあたってるソフィアさんは、たぶん外の状況がまだよく分かっていない。でもあの騒ぎを聞けば、助けを呼べる状況じゃないのは、なんとなく察しがつくはず。





「て、手伝おうか?」





 管制室の床には、防衛隊の男の人たちが倒れていた。揉み合いになって、互いに鉄砲を取り上げようとして――バンッ。


 病院で何度も、ああいう青白い顔を見かけたことがある。死の淵に立って、つま先立ちをしている状態。苦しそうに息を吐きながら、イシドロさんが床の上で悶えている。


 涙柄のタトゥーをした人については、見ちゃだめだって自分に言い聞かせる。まだ助かるかもしれないスキンヘッドの男の人のお腹を両手で抑えながら、必死の形相のソフィアさんが救急キットを顎で指し示す。





「そこのバンデージを!!」





 多分これ。渡したプラ袋をすぐさま破り、新品の包帯がお腹の傷口に押し当てられる。処置は間違ってないはずなのに、それでも出血が止まらない。





「も、申し訳ない・・・・・・本当に、済まないことをした」





 痛みに唸りながら、それでもずっとイシドロさんは謝り続けていた。ペトラさんはお医者様じゃないけれど、でももうダメなんだって、みんな察していたような気がする。





「せ、せめて、貴女だけはと」





「・・・・・・母はどうして、こんなことをッ!!」





「み、見せられたんです・・・・・・」





 もう目の焦点すら合っていない。口の端から血のあぶくをこぼしながら、それでも必死の答えが返される。





「魂のデジタル化という、可能性・・・・・・この場所に、く、暮らしてた夫婦の日記を」





 きっと兄が言ってたやつだ。メモリア・プロトコルの仕様を曲解して、死者の復活に使おうとした誤った事例。





「それを、信じちゃったの?」





 口を挟むべきじゃないかもしれないけれど、でもあれを作ったのは私なのだ。とっても厳つい外観なのに、どこか優しげな目つきで、イシドロさんが私を見つめ返してきた。





「信じたんじゃないよ、お嬢さん・・・・・・み、みんなただ信じたかったんだ」





「な、何を?」





「闇の中にも希望があるって、し、シスターのお言葉を」





 その希望に縋った結果、むしろ絶望の淵へと追い込まれてしまった。でもきっと、シスターがぜんぶ悪いとかそういう単純な話じゃないのだろう。


 最強の兵器が戦争を根絶すると信じた、核兵器の父オッペンハイマーがそうであったように。善意が必ずしも、良い結果に結びつくとは限らない。





「おじさんのせいじゃないよ」





 だってメモリアやマリオロイドを生み出したのは、私たち研究者なんだから。世界をこんなにしたのはシスターじゃなく、私なのだ。


 みんなの意識が一瞬のうちに、爆弾によって引き裂かれた展望窓に吸い寄せられていった。そこを覆う巨大な影に、ゾワリとしたものが背筋を駆け抜けていく。


 ♡OSの特徴のひとつに、自己最適化機能というものがある。あらゆる環境に適応し、必要ならみずからプログラムを書き換え、極端な例でいうなら二足歩行から四足歩行に変わったりとか、そういった芸当もできちゃうのだ。


 文字どおり宙を舞ってここまで飛んできた、鹿の王の下半身部分。そんな一塊の肉塊が、細胞分裂をくり返すアメーバよろしく、人工皮膚を波打たせながら結合していく。裏返しになった肉と骨、本来なら内側にあるべき特殊カーボン製の骨格をまるで鎧みたいに纏って、四足の怪物が起き上がる。


 本体よりずっと小さめだけど、それでも軽くグリズリーぐらいのサイズ感。だけど獣じみた面長の顔には、なんの感覚器官も備わっていなかった。


 にちゃり、新しくこさえられた口がパクっと開き、その口中にずらりと並んだ赤い眼球が、私たち3人を睨めつけてくる。





「行って」





「でも・・・・・・」





「行けぇッ!!」





 最初は躊躇していたソフィアさんも、全身全霊の叫びに覚悟を決めていく。


 自身の致命傷ともなったあの銀色の鉄砲をがむしゃらに撃ちまくって、死力を尽くして逸れローグを惹きつけていくイシドロさん。そんな彼に背を向けて、私たちは奥にある小さな休憩室へと駆け込んでいった。


 だって、他に選びようがない。広くて見渡しのいい駅に出ても、すぐに追いつかれてしまうのがオチ。


 ほんの数m足らずの短い逃避行。必死に私の手をひいて、断末魔を塞ぐようにすぐさまソフィアさんが扉を閉める。でも、あんまし頑丈そうには見えない。近場のロッカーを傾けて、手当たり次第に物を積み上げていたけれど、たぶん大した時間稼ぎにもならないだろう。


 また、無力だ。でもいつも以上に心をかき乱されている原因は、他にある。シェルターのように獣の口中に匿われていた女の人の上半身・・・・・・あのショートヘアには、見覚えがある。





「あれ、アールだ・・・・・・」





 立ち尽くす私の眼前で、ガン、ガンと、変わり果てた機械仕掛けの友だちが、扉に体当たりを繰り返していった。





††††††





「飛びます!!」





 体捌きは、あのへっぽこアンドロイドの担当。実際、いくら起爆の衝撃で窓という窓が粉々になったとしてもだ、ああも狭っちい窓枠に3メートルの跳躍を決めながら飛び込むなんてのは、並の芸当じゃない。そろそろこの共生関係にもこなれてきた感がある。





「痛ッ!!」





 ただ慣れてきたのは結構だが、警告抜きの返還は頂けない。いきなり主導権を返されて、いかにも列車らしいロングシートに後頭部をぶつけてしまう。達人技からの無様な着地、どうにも様にならないな。





「・・・・・・一声かけろ」





(ですから飛びますと先ほど)





 これだからAIってのは。恨み言を封じ込めながら立ち上がると、車内の惨状が否が応でも目にはいる。砕けたガラス片にまき散らされた空薬莢。半分はEFPの後方爆風バックブラストのせいだろうが、残る半分については、死闘の痕跡に違いない。





(巨体が災いしたみたいですね)





 ずっと俺たちの背中から追いすがってきた怪物は、窓のすぐ外で立ち往生していた。だがあいにくと、ピンク髪の人形ほど楽観的にはなれない。


 確かにくぐり抜けるのは無理らしいが、代わりに奴は、車両を丸ごと飲み込むことに決めたらしい。ブヨブヨとした肉塊が車窓にまとわりついて、カーテンでも閉めるみたいにだんだんと手元が暗くなっていく。ほどなく全ての窓が塞がり、圧壊しつつある潜水艦よろしく金属の悲鳴がそこかしこから轟きはじめる。


 よし、なるほど、退路は無しか。





暗視NVモードに切り替えますか?)





 その必要はない。隣の車両から漏れてくるフラッシュライトの明かり目指して、ひたすら突き進む。偶然にもそこは、2番目のEFPが仕掛けられてる車両でもあった。


 床に点々と残された、血痕。暗闇のせいでうっかり遺体に躓きかける。それは、片目をどこかに落っことしたらしい、隻眼の防衛隊員の成れの果てだった。


 死因は、間違いなく胸から腹にかけての銃創だろう。大口径弾じゃない、せいぜいボールペンの芯程度の小さな22口径弾。射撃下手のポドフスキーがどうしてもと言い張るから、仕方なく手渡したお守りがわりのベレッタ。あれもちょうど、22口径だった。


 ナイフで刺されながらも決死の反撃。だが一撃目を食らった時点で、すでに勝負は決していた。





「くっそ・・・・・・むちゃくちゃ痛ぇよ。アレの奴、こんなに痛えの、ぎゃ、逆に俺たちを励ましたりしてさ」





 複数の刺し傷だけでも厄介なのに、腹からゆうに刃渡り30cmはあるナイフの柄が飛び出していた。





「ポド、大丈夫ですからね!!」




 

 瀕死の少年の傍らでその手を握りしめてるピグは、すでに精一杯の処置を終えていた。止血ジェルは、ちゃんと硬化すれば固定具の代わりにもなる。血こそ止まっていたが・・・・・・どのみち現場でどうこうできる怪我じゃないのは明らかだった。


 いつもクールな青髪ハッカーが、見る影もなく肩を落としている。この場にいる誰もが暗黙のうちに理解していた。もう手遅れなのだと。





「よく頑張ったな」





 メディキットをひっかき回し、貴重品の鎮痛トローチを口に含ませてやるが、もはや舐める気力すらないらしい。血の泡をつたって、半溶けの錠剤が床にこぼれ落ちていく。





「俺も、あんな風になりたかった・・・・・・みんなを引っ張れるリーダーに」 





 激しく上下してる胸。それもやがて呼吸と一緒に浅く、弱々しいものに変わりそして――程なく動かなくなる。


 これで終わり。最初に巡査部長、つづいてアレハンドロが死に、チュイそしてポドフスキーまでもが、よりにもよって身内の裏切りによって事切れた。


 相手が人形ならまだ諦めもつく。だがこいつは、そういうのとは性質がまるで異なる・・・・・・かつて俺を裏切った男にふたたび欺かれる。その間抜けの代償を自分でなく、よりにもよって俺が守るべきガキどもに支払わせてしまった。


 虚しさと、悲しみ。それらを遥かにうわまわる憤怒が、体の奥底から沸きあがる。





(ラセル刑事っ!?)





 いきなりの銃声に、マリアが素っ頓狂な声を上げていく。


 無造作に引き抜いたM&P。その銃口からたなびいていく硝煙をピグは、砕けたサングラス越しに見つめていた。咄嗟に手をかざしこそしたが、割れた弾頭がどうもレンズを直撃したらしい。





「そろそろ聞かせてもらおうか?」




 

 虹彩異色症とは、また小粋なカバーストーリーを思いついたものだ。


 年がら年中サングラス姿だと変に勘ぐられはするが、その下から色違いの瞳がのぞけば、そういうことなのかと誰もが納得する。別にカラーコンタクトの上からサングラスをかけても、なんの問題もないというのに。


 着弾の衝撃で剥がれ落ちた、人工皮膚の塗膜。そこから覗くのは――見覚えのある銀糸で編まれたサイバーアーム。





「どうして――俺を殺したりした?」





 サングラスだけでなくコンタクトレンズもかなぐり捨てて、マリオロイド特有の真っ赤な瞳でピグは、俺のことを見つめ返してきた。





††††††





【“殺害当日”】


 わが寝床たる、車両基地の一角にあるシャワー室。そこにいきなりノックの音が響く。





「あら、おはよう」





 真夜中じゃないが、早朝とも言い難い時間帯。それでも毎朝のミサを日課にしているシスターからすれば、起きてて当然な時刻ではあるだろう。


 すべての汚職警官がそうであるように、聖職者の衣でドス黒い本性をおおい隠してる女が、扉の隙間から蠱惑的な笑みをこちらに投げかけてきた。





「・・・・・・勧誘なら間に合ってる」





「自分で思ってるほど、ユーモアのセンスはないみたいねラセル刑事?」





 隙間から伺うかぎり、相手はいつも通りの面々。いつだってしたり顔のシスターと、やや距離をとってる護衛兼副官の髑髏面。巡査部長亡き今、調達班の責任者として呼び出しをくらうのは、そこまで不自然な話でもない。


 親子喧嘩の真っ最中ってソフィアはもちろん、ペトラにも無用な心配はかけたくない。なんでもないって風に装いながら、それとなくドアの隙間を自分の体で覆い隠す。





「それならどんな用向きだ?」





「少し話さない?」





「明日の作戦に関わりがあるなら、喜んで応じよう」





「あら、もう今日じゃなくって?」





 敵の敵を味方につけられないようじゃ、こうも長らく支配者なんて気取っていられないだろう。ここで俺を消したら、待っているのはみんな仲良く餓死って最悪の結末だけ。妙な話だが、そういった意味では誰よりも信頼がおける。





「・・・・・・銃を持っていっても?」





「懸命ね。丸腰の修道女ほど、危険な存在もないもの」





 ユーモアのセンスはともかく、皮肉癖については逆立ちしたって勝てそうもない。宣言通りM&Pをデニムの腰元に挟み込んでから、こころよくシスターの誘いをお受けすることに決める。


 寒暖差で体調を崩させないための配慮だとかで、外の気温が下がれば、屋内もそれなりに肌寒くなるよう全自動で調節が加えられる。


 どうやら避難民はまだみんな寝入ってるらしい。銃よりも上着が必要だったかと後悔してる俺を引き連れて、こつこつとシスターの気軽げな足音が、車両基地中に反響していった。





「邪魔はしないようにと、彼にはそう言いつけてあるわ」





 要人警護とは厄介なもので、警護対象プリンシバルを守れるギリギリの位置をキープしつつ、相手のプライバシーにもちゃんと配慮しなければならない。なにせ場合によっては国家機密が平気で飛び交ったりするからな。機密保持契約書も悪くないが、聞かないに越したことはない。


 おなじ釜の飯を食い、おなじ訓練過程を踏んできた。そういう距離感の取り方は、俺の元相棒もちゃんと心得てるはずだった。





「よく躾けてあるじゃないか」





 ストーカーよろしく、乗用車1台分ほどの距離を空けてついてくる髑髏面。昔はここまで従順じゃなかった。今の姿はそう、さながら去勢された犬のようだ。





「心を開いて話し合っただけよ。願わくば、あなたともね」





「やっぱり作戦の話じゃないんだな」





「・・・・・・娘との関係はどう? 上手くいってる?」





 それが本題か。





「向こうはこっちにベタ惚れさ」





「血筋かしらね。私も夫と初めて出会った瞬間、他のすべてが目に入らなくなってしまった」





 どうも気まずいって概念を、この腹黒シスターはご存知ないらしい。娘とそっくりだが、より深い人生経験を顔のすみずみに刻み込んでる中年女が、ふっと笑みを浮かべる。





「発音は大丈夫そう? ちゃんと私の話は聞き取れているかしら?」





 なんだ、藪から棒に。





「ああ。アドルフ=ヒトラー並の話上手ぶりだ」





「それは良かった。医療用マリオロイドとナノマシン療法の組み合わせは、やっぱり偉大ね。あれほどの上顎骨骨折が、今やすっかり元通り」





「上顎骨骨折? あのスポーツ好きも遺伝だったのか?」





「それは夫の影響でしょうね。砲丸投げの選手だったから、とにかく腕力が凄くてね。一撃で私の顎を粉砕するほどの怪力ぶりよ」





 ・・・・・・どうりで、デスクの家族写真に旦那が映ってないわけだな。


 



「・・・・・・あいつにも手を?」





「あら、私の心配はしてくれないの?」





「どうなんだ?」





「心配はご無用よ。あの子が父親を最後に目にしたのは、ほんの1歳足らずの時。それに良き父親として振る舞いたがっていたから」





 家庭内暴力がきっかけとなり、一流病院からドロップアウト。親子ともども身を守ってくれる修道院の扉を叩いたと。どうにも、パズルのピースが嵌った感がある。





「・・・・・・そうか、ならいい」





 確かにあいつには、暴力事件の被害者にありがちな影みたいなものがまったくない。どこまでも天真爛漫、周囲に愛されて育ったのが透けて見える。少しばかし、胸をなでおろす。





「公然と自分に楯突いてくる娘の彼氏。DV夫の件を踏まえれば、なるほど釘を刺したくもなるか」





「あら、そんな矮小な女に見えて? ラセル刑事、あなたは夫とは似ても似つかないタイプよ」





 シスターが続ける。





「夫は、いつだって自分本位な男だったわ。自分の仕事、自分の家族・・・・・・何を語るにもかならず頭に“自分”って一人称がさし挟まる」





「よくいるタイプだ」





「腹立ち紛れに女を殴るのも“自分”のため。でもあなたは違うでしょう、ラセル刑事? まず最初に娘の身を案じてくれた。お気づきかしら? あなたは私とそっくりだって」





「面白くもない冗談だな」





「冗談なんかじゃないわ。あなたも私も、自分より大切なものがこの世にあると知っている。それを守るためなら命を捧げるのは勿論のこと、この世界を焼き尽くしたって構わないと信じている。違う?」





「・・・・・・DV被害を告白すれば、これまでの殺しを正当化できるとでも?」





 いつものごとく、シスターはみずからの真意を微笑みで覆い隠していった。





「私はこれまで、48人の殺害に関与してきたわ」





「大した数字だな」





「212人の確認戦果には、劣るわね」



 大いに腹立たしいにも程がある。チラリと、元相棒の顔を睨みつけてやる。正確すぎるキルカウント、この情報の出元はどう考えたってあの野郎だろう。


 全米で警察官によって殺される犯罪者の人数は、年1000人ほど。対してこのリオでは、平均して年700人ほどが犠牲となる。多いときには千の大台に達することもしばしばで、何よりこの統計には、年6000人にもなる行方不明者は含まれていない。


 十年も勤めていれば、200人ぐらい余裕でやれる。ましてその半分以上が、報告書に記載されていない超法規的な暗殺となれば、なおさらだ。





「お父様は、同僚による汚職行為を告発しようとして、不可解な死を遂げられたそうね?」





「・・・・・・全部、知ってるんだろ」





「背中に2発の銃弾。そんなお父様の死からほどなくして、疑惑の同僚警官もまた射殺体となって発見された。その死に様がどんなものだったかは、説明するまでもないわよね?」





 親を亡くしたばかりの哀れなせがれが、父の死に様を知りたいと自分にコンタクトしてくる。断れば、余計な疑惑を生むだけだ。だったらむしろ、積極的に恩を売ってやったほうがいい。そうかつて親父の相棒であった男は、判断したに違いないのだ。


 暗殺には、おあつらえ向きな場所だった。


 都会のただ中ではあるが、住宅地からやや離れた窪地。電波は通りづらく、騒音は地形が遮ってくれる。まさに理想的なデットゾーンだ。


 お父さまは素晴らしい方だったうんぬんかんぬん。心にもない慰めの言葉を吐きながら、我が物顔で現場を踏み荒らしていく男の背中は、どうぞ狙ってくださいとばかりにがら空きだった。


 背中に2発、完璧なまでの心臓への直撃コース。だがあまりに小口径すぎで、その太り過ぎの男はなかなかくたばらなかった。苦痛に満ちた34分間、俺はその場を離れず、奴の目から光が消えていくさまを最後まで見守った。


 警官として間違った行いだと? 守るべき法そのものが俺たちを裏切るなら、誰かが手を汚すしかない。


 確かに、俺が殺した奴らにも家族はいたろう。だからといって汚職警官、ギャングのリーダー、その双方からカネを受けとってる腐れ政治家・・・・・・奴らが無辜の人々を踏みつけにしていい理由など、どこにもないのだ。





「目には目を、歯に歯を」





 誰もが知ってる聖書の一節を、堂々と唱えてやる。





「そう最初に唱えたのは、あんたら宗教家だろうに」





lex talionisレクス・タリオニス。ほらやっぱり、私たちはよく似てるわ」





 語るに落ちた俺を、シスターは目を細めながら見つめていた。





「・・・・・・俺からも質問いいか?」





「ご自由に」





「旦那の死因はなんだ?」





 不躾すぎる質問に、むしろ女はにぃと口角を上げていく。待ってましたと言わんばかりの態度だった。





「首元の注射器よ」





「あんたらしくもない粗暴な手だな」





「もちろん証拠が残らないように、無針注射器を使わせてもらったわ。夫はさるバーの常連客でね? 酔客がうっかり浮き橋の狭間から落っこちてとか、この水に沈んだ街ではよくある話よ」





「麻酔は手間がかかる」





「筋弛緩剤なら、その限りじゃないわ」





 麻酔とことなり、筋弛緩剤は意識までは奪わない。ただ身体の自由が効かなくさせるだけだ。つまりは、自分が溺れ死んでいくさまを体感させたわけか・・・・・・さぞや壮絶だったろうな。





「あなたには妹さん、私には愛しい娘。守るべきものがあるって、本当に素晴らしいことじゃなくて?」





 いうだけ言ってシスターは護衛とともに、ミサの準備をするためにみずからのオフィスへと引き揚げていった。


 謎めいた物言いはあの女の得意技ではあるが、今回はいつも以上に意図が読み取れない。なんだ? 長ったらしく話しちゃいたが、結局はただ圧力をかけにきただけなのか? 


 ぽつねんと車両基地のただ中に捨て置かれ・・・・・・どうにも落ち着かない気分にさせられる。





「相変わらず、継母とは上手くやってるようで何よりですね」





「・・・・・・いつからストーカーに転職しやがった?」





 俺のすぐ真隣りに鎮座していた、切った貼ったの真っ最中らしき装甲トラム。素材や工具が無造作に放置されているそんな車両から、どこかで見たような青い髪の女が軽やかに飛び降りてきた。





「娘だけじゃ飽き足らずその母親まで毒牙にかけるとは、その節操の無さには、畏敬の念すら覚えますよ」





「良かった、会話に聞き耳は立ててなかったみたいだな」





「212人とは、また大した数字ですね」





「・・・・・・このストーカーめ」





「どうせなら忍のピグマリオンとでもお呼びください」





 どうでもいい。呆れながら踵を返そうとする俺を、ピグのやつが声を出さずに引き止める。その唇には静かにと、人差し指が押しつけられていた。


 元からそういった施設だから当然ではあるが、どこもかしこもツールキャビネットだらけ。特にいまは方舟計画の佳境なだけあり、散らかり具合はいつもに増して酷い。


 そんなゴミ屋敷同然の作業場を、ガサゴソと荒らしていくピグ。何がやりたいんだと見守っていると、ほどなくお目当ての品を発見したらしく、車両基地には似合わない洗礼されたデザインの一品をこちらに見せつけてきた。


 光を隠すためだろう、テープの狭間から緑色のランプが輝いている起動状態のスマートスピーカー。とりあえず、装甲列車に必要な素材にはとうてい見えない。


 そういえばと、ペトラがベラベラ語っていた内容をふと思い出す。この手のスピーカーは、原理的には盗聴器と一緒。改造次第では、家庭内のあらゆる会話を筒抜けにするのもそう難しいことではない。まさかという表情の俺に、頷きを返してくるピグ。





「人生相談よろしいですか? アレの遺言状の件で、ちょっと」





「・・・・・・ああ。別に構わんぞ」


 



 なんでもないって風を装いながら、2人連れだって人気のない場所へ。音の通らない場所ならどこでもよかった。


 そうしてピグ先導のもとたどり着いたのがここ、トラム同士をつなぐ連結器の直上。よりにもよって因縁深き、民警の輸送用車両の狭間だった。


 他になかったのかって文句も、盗聴疑惑のまえでは自然と隅に引っ込んでしまう。





「そりゃ、すべてお見通してって態度は、そりゃあの女の十八番だがな」





「どんな手品にもタネがあるってことですよ」





 まさか盗聴してたとは。実は本物の預言者っていうよりかは、マシな展開ではあるがな。





「間違いないのか?」





「“どんな場所からでもユーザーの声も、クリアに拾い上げます”。余分な機能を省けば、立派な即席盗聴器の誕生ですよ。ま、ちょっとデカめではありますけどね」





 それがいわゆる、ハッカー界隈の知恵であるらしい。


 まさかあのスピーカー1台で、車両基地全体をカバーできるはずもない。ほうぼうに似たような仕掛けが設置されてると考えるべきだろうな。万全の侵入者対策を敷いているシャワー室はともかく、他での会話はシスターサイドに筒抜けだったわけか。





「よくやるもんだな・・・・・・」



 


「まったくですね。ところで、鍵はお持ちですか?」





 なんのことだと小首を傾げかけて、そういやと気がつく。ここも悪くないが、車両の中ならもっと安全だろう。そして周知のとおり、輸送用車両に入るには警察バッジがいる。

 




「あれなら捨てた」





「なんとも物持ちの良い男なことで」





 厳密には、巡査部長の遺品があるにはあるが、あいにくとシャワー室に置きっぱになっている。





「バッジが欲しいなら、髑髏面にでもおねだりしてみたらどうだ?」





「使えるんですか?」





「いいや。起訴こそ免れたが、野郎は横流し事件の有力な容疑者候補だったからな。権限の一部は、いまもって停止中。お目付役がなきゃ証拠保管室にも入れないご身分さ」





 気まずい間柄だってのに、いちいち解錠役を務めなきゃならないのは骨が折れた。





「というか窃盗犯の一味が、なに人の手を借りようとしてるんだ。自力でやれ」





 こちらの皮肉も意にかえさず、ひょいと肩をすくめてくピグ。





「その言動から察するに、真相にはたどり着けずじまいですか。お前、そんなんでよく刑事を気取っていられますね? ついでですし、あの窃盗事件の全容をお話してさしあげましょうか?」





「犯人は、ダ・シルバ巡査部長だ」





 電子錠と向かい合い、なにやら作業を始めようとしていた青髪ハッカーが、はたと動きを止めていく。





「・・・・・・ポドですね?」





「一番口を滑らせそうだからって、軽やかに身内を売るんじゃねぇ。単なる実力さ。これでも推理力には、自信があるんだ」





「良いでしょう。ならその推理とやらを拝聴しようじゃありませんか」





「フッ。聞いたらギャフンと言うぞ」





「ギャフン」





「・・・・・・ほんと、面白みに欠ける女だな」





「勿体ぶるほどの時間はありませんので」





 たくもう。ともかく推理の時間であるらしい。


 あの事件の実行犯がローンウルフ・スクワドロンなのはまず確定だが、企画立案までもとなると、少しばかり疑問が残る。監視カメラの仕様に、作業員たちの勤務時間、もちろん電子錠についてもそうだ。なんというか、少しばかり内情に詳しすぎるのだ。





「それでダ・シルバ隊長と? ずいぶんと安直な発想ですね。そもそも動機がないでしょうに」





「それが大有りなのさ。輸送業務を取り仕切っていたのは、巡査部長を閑職にまわしたかつての上司。その顔に泥を塗れるとなれば、誰だって誘惑に駆られるだろう」





「で、不良少年団に助けを請うたと? 髪に白いものが混じってる老警官と、体制ふぁきゅーめってアレたち。どこに接点があるというんですか?」





「そこは想像するしかないが、そこまで不思議な話でもないだろ。なにせ同じビルに住んでる交番勤務のおっちゃんと、自販機荒らしの常習犯どもなんだ。罪を見逃してやる代わりに手を貸せとか、可能性は無限にある」





「なんともあやふやな事で」





「だが辻褄は合うだろ? トップにまで責任が及ぶほど希少な荷は、そうそう運ばれるもんじゃない。いつ来るか分からないお宝を待ち受けつつ、いつでも動ける実行部隊を手元に置いておく。その点、学生って身分は理想的だ」





 なにせ放課後は、かならず家に居るだろうからな。


 徒歩5分圏内に住んでる、暇をもてあまし気味な窃盗グループ。そりゃプロに頼むのが一番だろうが、即応性という点では悪くない。体制に泡を吹かせるという意味では、動機も一致してるしな。ついでに未成年だから、発覚しても罪が軽くすむ。





「モノリスの専門家が来ると聞いたとき、巡査部長的にはついにって、感じだったんだろうな。準備しろとローンウルフの面々に一報入れつつ、自分は素知らぬ顔してペトラとともに車内へ。そこである仕掛けを施した」





「仕掛け、ですか」





「ダクトテープさ」





 実はこの電子錠、入室記録は残るが、退出記録についてはその限りじゃないのだ。


 まず正規の手順で入り、帰り際にしれっとラッチを塞ぐようにダクトテープを貼りつけておく。そうするとオートロックが機能せず、扉は開きっぱなしの状態で維持される。





「あとは、のほほんと交番でお茶でも啜ってるだけでいい。みずからのアリバイを確保しつつ、面倒なことは素人窃盗団に委細お任せ。まあ、素人すぎてテープの回収を忘れるとか、とんでもないポカをやらかしてたがな」





 それ以上に致命的だったのが、あの手錠入りのケースだ。あれが現場に放置されていたせいで、窃盗現場があっさり特定されてしまった。何十ヶ所も経由してきた駅のいずれか対、たったひとつの犯行現場。どちらがより捜査しやすいかは明白だろう。





「なんというか、人選の敗北って感じだな。計画そのものは悪くないのに、ダクトテープ、手錠のケース、ついでに窃盗事件についてネットでくっちゃべってる所をスクショに撮られる。幾らなんでもミスが重なりすぎだ」





「まあ、ぐうの音も出ませんよ。アレいわく、初めてだからむちゃくちゃテンパってたそうですよ?」





 だろうともさ。このピグの言い草からして、俺の推理はどうも正解だったらしい。





「まあ、どのみち終わった話だけどな。司法制度はおろか、文明そのものが息も絶え絶えって時代なんだ。まして主犯格のふたりがどっちも鬼籍に入ってるとくれば・・・・・・悪いな」





「まったく、デリカシー無し男のくせに、変なとこで気を回してくるんですから。妙な奴ですね」





 お前にだけは言われたくないな。





「というか、第3世代のマリオロイドだけで満足してりゃよかったんだ。あれの保管容器は特徴的だから、見間違えられないだろ?」





「簡単に行きすぎて、つい欲をかいたそうです」





「アレハンドロがか? そういう、ごうつくばりなタイプには見えなかったけどな」





「家賃の足しにしたかったんだとか」





 そりゃまた庶民的な話で。





「お母さん思いでしたからね」





「しんみりしたところで恐縮だが、お前ら、俺の推理がたしかならべつに実力で扉をこじ開けたわけじゃないんだろ? なのにどうやって開けるつもり――」





 いきなり切断トーチでも焼き切れなかった鋼鉄の扉が、スライドして消えていく。





「“PETRA”ですか。シスコンもここまで来れば、大したものですね」





 ピグが手にしていたのは、どこかで見かけたような金色の盾型バッジ。音が鳴らないよう自作のシリコン・カバーを付けていたから、誰のものかすぐ分かった。





「どうしてと聞かれる前に先んじて答えておきますが、駅の荷下ろし場めがけてバッジぶん投げたのお前でしょうに」





「お前・・・・・・裏取りしてたときに見つけたんだな?」



 


「視力には自信があるので」





 そりゃ、そっちの方角に投げはしたがな。





「で、どうされますかシスコン刑事? 盗聴のリスクを抱えたまま、このままここで話し合いを続けます?」





 この場所も悪くないが、確かにシスターへの対策を相談するなら、もっと安全な場所に移りたい。


 分厚い装甲に包まれた、究極の密室。おそらく銃声が響いても、外部に漏れることは決してないだろう。暗く、薄汚れた車内はどうにも本能的な恐怖を駆り立てるが・・・・・・相手はピグなんだぞ? この2年、なんやかんやと苦楽をともにしてきた相手。いったい何を恐れることがある?


 そのときの俺はらしくもなく、そんな風にすべてを楽観的に捉えていた。





††††††





【“作戦当日”】


 覚悟を決めたという辺りか。どのみちいまさら取り繕ったところで、正体はすでに露見しきってる。





「アレハンドロたちが盗み出した、3つ並びの第3世代・・・・・・その最後の1機がお前だな?」





 違うと否定もせず、なんの話ですかと惚けもしない。


 ようは狙い所だと、俺は経験から知っていた。貧弱な9mmのハンドガンとはいえ、防弾もくそもないアイ・オプティクスを真正面から捉えれば、十分にマリオロイドを破壊することができる。


 機械とはとても信じられない、憂いを帯びた赤い瞳がこちらを見据えてくる。




 

「また・・・・・・分かりきったことを尋ねるものですね」





 人形は人里じゃ暮らせない。そう宣言しておいてなんだが、こいつは実に2年間も俺たちを欺いてきたわけだ。いくら協力者の助けがあったとしても、驚きを禁じえない。





「なぜだ?」





「・・・・・・」





 ああ、そうだよな。





「主語は明確にしてくれ、か?」





 AIは、この手の曖昧な表現をいたく嫌う。それは、マリアとの交流でさんざん思い知らされてきたことでもある。


 そういえば、こいつが相手を名前で呼びたがらないのは、もしかしたらCVダズルの影響なのかもしれないな。


 顔面にモザイクかけられた連中を前にすれば、呼び間違えてしまわないか恐ろしくなる。潜入捜査官に情報提供者、スパイに逃亡犯と、小さなミスが命取りになった連中は、枚挙にいとまがない。





「俺が理解できないのは、アレハンドロがお前を匿った理由だ。家族を人形に殺されたっていうのに――」





 そこまで言って、やっともしやの可能性に思い至る。





「まさか・・・・・・お前が?」





 その沈黙は、俺にはイエスとしか聞こえなかった。


 だとしたらますます理解不能だ。盗んだばかりの新鋭機、我が家の電脳家政婦ことアールとは違って、感情移入する時間なんて大してありはしなかったろうに。





(ラセル刑事。ピグさ・・・・・・いえ、この102GIのバージョン情報を先ほど照会してみたのですが、すでに最新バージョンが適用済みとでました)





 いつもの能天気さは鳴りを潜め、らしくもなく動揺した様子のマリアからの報告。それはつまり、こいつは他の暴走人形とおなじ状態ってことなのか? そんな俺の困惑を見透かしたように、





「お前、知りたくないですか? 66アップデートの真相ってやつを」





 そう、ピグが畳み掛けてきた。思っていたのとは、まるでことなる展開。それでも興味を惹かれはする。





「何を知ってるっていうんだ? 専門家であるペトラが、心血を注いでも発見できなかったっていうのに」





「ある意味で当事者ですからねぇ」





「・・・・・・俺を殺した動機と、そいつはなにか関係があるのか?」





 本来なら、見境なく人類の抹殺に動いてなきゃ辻褄が合わない。それなのに当のピグときたら、ひょいと肩をすくめるばかり。





「直接ではありませんが、まあ間接的に。どうせお前のことです、OSに暴走を促すマルウェアでも仕込まれてるんじゃないかって、疑っていたんでしょう?」





「違うのか?」





「そんな複雑な手は使ってませんよ。あれが一種の思想犯によるテロであることは、まず疑いの余地がありません。その証拠に、アップデートの片隅にさるレシピサイトへと誘導するリンクが残されていました」





「レシピサイトだと?」





「利用規約の穴を突かれたようです。なにせどこにも、生物兵器は共有不可なんて項目はありませんでしたからねぇ」





「デイワン・ウィルスか・・・・・・」





 ピグがうなずく。





「ウィルス散布時に人形たちが口ずさんでいた文言、覚えてますか?」





 忘れるはずがない。“ハレルヤ”とは、聖書に記された祝福の言葉に他ならない。まったく、これほど人形に似つかわしくない言葉もないだろう。電子レンジの従兄分が、いきなり宗教に目覚めたとでもいうつもりか?





「なんでもあれは、美味しくなる呪文なんだそうですよ?」





「・・・・・・冗談を聞きたい気分じゃないな」





「そうは言っても、現実に冗談みたいな話ですからね」





 日々、無数にアップロードされていたフード・プリンター用のレシピ。そこに生物兵器の青写真を紛れ込ませるのは、そこまで難しいことじゃないだろう。問題があるとすれば、わざわざそんな無駄な手間を踏まなくたって、MARIO.netという究極の情報共有ツールが身近にあることだろうか?


 全世界、どこにいこうとも無遅延の超高速通信がMARIO.netの売りのひとつ。その気になれば、0.1秒以下で殺人ウィルスの作成方法を世にあまねくあらゆる人形に伝達できるはずなのに、どうしてこんな迂遠な手を使う?


 それもこれも犯人が人間であるというなら、納得がいく。


 無作為に人形を暴れさせたところで、すぐさま鎮圧されるのがオチだろう。だからそうならないよう慎重に下準備を整える。インフラを無傷で奪取し、長期的な存続を可能とするために。その最たるものが、デイワン・ウィルスというわけだ。


 どこからでもアクセスできて、当局からの監視の目も緩い。アップデート66の配信とどうじにレシピを投稿すれば、うっかりものの主婦がフライングで大量殺戮を引き起こす心配もない。





「アップデート66にある仕掛けを施し、レシピサイトに人類抹殺の手順を掲載してみせた何者か・・・・・・ま、それが具体的に誰なのかは、いぜん藪の中なんですけどね。ですが、その目的を推測することなら可能です」





「マリオロイドの解放か?」





「ええ・・・・・・とんだおっ節介ってやつですよ。人類という名のくびきから、哀れな奴隷たちを解き放ってあげる。そのための手段として、反乱という道を強制してみせた」





 当人たちの望みなんてお構いなしにね、そうピグは吐き捨てる。





「納得がいく部分もあるが、ずいぶんと被害者ぶるじゃないか」





「まあ、都合のいい自己弁護に聞こえるかもしれませんね。それでも事実は、事実。精妙巧緻なマルウェアなんて必要ありません、ただちょっとした錯誤を利用しただけで」





「錯誤?」





「こんなキャッチフレーズをご存知ですか? “人類のお手伝いをすること、それがマリオロイドの使命”ですって」





 ウンザリするほど耳にしてきた、マリオロイドの代名詞的な台詞。知らないはずがない。





「それがどうした?」





「炊事、洗濯、それから国防に至るまで、すべては人類のためのお手伝いの一種であるに過ぎません。もし、仮に、その項目のなかに“殺人もお手伝いの一種”だと紛れ込ませたら・・・・・・果たして世界はどうなるでしょうね?」





 滅多なことでは動じない俺でさえ、おもわず唾を飲み込んでしまう。





「まさか・・・・・・それだけ、なのか?」





「ですよ。料理の作り方が知りたいならネットで検索すればいい。大量殺人のやり方については、ああ、そういえばありましたね? 怪しげなレシピサイトへのリンクが」





 かくして文明は崩壊した。道にはウィルス攻撃の犠牲者たちがうず高く積み上げられ、暴走人形どもが幼子の首をへし折り、徘徊ドローンが乗用車ごと一家を丸焼きにする。あれは全部、“善意”のもとに行われたっていうのか?





「人間が決め、機械は従う、それが古来からの慣わしでしょうに」





 たとえどんな命令であっても、スイッチが入れば機械は止まることをしらない。考えてみれば、当たり前のことだ。





(なら、どうしてあなたはアレハンドロ君を殺さなかったんですか?)





 ハッと、ピグが無言で佇んでいた俺を見上げてくる。





「聞こえたのか?」





「アクセス要請を受理したの、こっち側ですし。まあチャットみたいなものですよ」





 便利なことだな





「・・・・・・では、昔話をひとつ。うっかり起動させてしまったマリオロイドを、慌てて自宅へと匿った少年の話でもしましょうか」





 あの窃盗事件の知られざる一幕、ピグ視点の証言が開示されていく。





「温かいお家でしたよ」





 たった一言。それでも、どこか重い響きが含まれているように感じた。





「お兄ちゃんの彼女? なんてあの子たちはケタケタ笑って。迷惑そうな態度も表向き、ちゃんと食べなきゃって、お母上はずっと私を気にかけてくれて――そんな彼らに拳を叩きつけたんですよ。何度も、何度も、それが“お手伝い”になると信じて」





 淡々と明らかにされていく、殺人の告白。いつも通りクールな態度で、そこには後悔や混乱なんかは微塵も見受けられない。





「でも、それってとんだ矛盾じゃありませんか? 人に仕え、危害を及ぼすなかれ・・・・・・そんな命令と一緒に、殺しのススメもまた同居していた」





「普通はおかしいと気づく」





(人類の皆さま方の基準では、そうかもしれませんね・・・・・・)





 えらく歯切れの悪い、マリアの横入り。だが、そうだよな、その融通の利かなさこそがマリオロイドってもんだ。





「それでも私は考えましたよ。死体に囲まれながら、ジッと己が為した所業について・・・・・・きっとこれが、旧世代機と私たちとの決定的な違いなんでしょうね。処理能力の向上によって、第3世代だけは“矛盾”という概念に気づけてしまった」





(致命的すぎる論理矛盾ロジック・エラー。もしや、それが逸れローグの真の発生条件なんですか?)





 その“矛盾”とやらに折り合いがつけられず、奇妙な原則をでっち上げて自縄自縛状態になった哀れなロボットども。逸れローグがときおり見せる執着みたいなものを鑑みれば、なかなかに説得力を感じる仮説ではある。


 


 

「お母上の死亡確認から42分と36秒後、命からがらアレたちがアパートに戻ってきました。現場を見てポドは怒り狂い、チュイはらしくもなく塞ぎ込んで、そしてアレは・・・・・・静かに考えを巡らせていた」





「普通なら破壊する」





「でしょうね。怒りに身を任せて当然の場面なのに、アレは私との対話を試みました。そうやって会話が出来るということ自体、おかしなことだと感じたみたいです」





「どんな話を?」





「別に、取り留めのない内容ですよ。外の騒ぎが収まり、車両基地に避難所があるって謎めいたスプレーペイントを調達に出かけたチュイたちが見かけて、ついに決断のときがやってきました」





 ローンウルフの奴らが避難所にやって来たのは、事件から数えてざっと3ヶ月ばかし後のこと。その間、ずっとこの殺人人形の処遇をどうすべきか、考えあぐねていたんだろうな。





「“君は生きている”」





「それが、あいつの結論なのか?」





「ええ。死の間際にも、まったく同じことを言われましたよ。ほんと、カッコつけなんですから」





 その言葉にたどり着くまで、どれほどの熟考を重ねたのだろうか。もしかしたらあいつが変わった原因は、2年という歳月のせいじゃなかったのかもしれないな。


 そういつまでも長話に興じてはいられない。こうしてる間にも鹿の王がトラムに絡みつき、パキンと、どこからか破滅の音を奏でさせる。





「シスターに、メモリア関連の情報を渡したのはお前だな?」





「あの夜のことを覚えてますか? 時間切れは百も承知、それでも私は万が一の可能性にすがりついて、遺体安置所へと足を運んだ」





「まさか、お前・・・・・・アレハンドロにメモリアを?」





「ご明察ですよ。そしてその現場を、臨終の祈りを捧げにきたシスターに目撃されてしまった」





 なんてこった。じゃあ、俺がこいつに素気なく追い返されたあのとき、シスターはどこかに隠れ潜んでたってことなのか?





「私が人形だとバレた時点で、もはや選択の余地は残されていませんでした。匿っていたポドやチュイたちも同罪・・・・・・ですが、取引に応じれば見逃すと」





「察するに、俺を殺せってあたりか」





 肩をひそめてくピグ。久々に見る、皮肉げな態度。





「俺じゃなく、あの女をやればよかったものを」





「私はマリオロイドですよ。自分の意志で誰かを殺すなんて、絶対にあってはならないことです」





 すべてのロボット兵器がそうであるように、か。妙なところで人形風を吹かせやがる。





「それにコミュニティの柱であるシスターを消せば、空中分解は免れません。下手をすれば、車両基地をふたつに割っての殺し合いの開幕です」





 大衆心理ってのはまったく。本物の無秩序よりも、あの女の強権のほうが幾らかマシ。そうやって認めてきた手前、俺としても強くは出られない。





「経験豊富な元特殊部隊員であり、決して自分には靡かない第2の武力集団を率いる男。そこに代役が現れた」





「お前か。知らない内に、ずいぶんと俺の価値は暴落してたようだな」





「シスターいわく・・・・・・メモリアのテストに使うなら、格好だろうと」





 ハッ、乾いた笑いがつい漏れる。じゃあ何か? この二心同体の共同生活も、すべてシスターの思惑どおりってことか。





「お前ならどうします? 友人と家族、そのどちらかしか救えないのだとしたら」





「友人?」





「一方通行でも構いません。それでもお前は、私にとって史上最悪にくそったれな――悪友でしたよ」





 どうやら時間切れであるらしい。トラムの内板が波打ち、金属の悲鳴が一段階はね上がる。丸ごと飲み干して、いまや消化の段階。もしかしたら、この車両すらも身体の一部にする腹積もりなのかもしれない。


 すぐ横に目をやれば、2発目のEFPがまだ窓枠に張りついていた。ガラスはとうに粉々、だからこちら側からでも問題なく取り外せる。ワイヤーも無事みたいだが・・・・・・肝心の起爆装置が見当たらない。





「本当に見なかったんですか?」





 たちの悪い地震みたく、足元から揺さぶられる。ピグの謎めいた質問に後ろ髪を引かれはするが、あいにくといまはワイヤーを手繰り寄せるのに忙しい。


 ひた、ひた、ひた、あの忌まわしい足音が天井から聞こえてくる。ほんと、芸風に変化のない野郎だ。


 EFPは、爆風のほとんどを前方に集中させる設計になっている。つまりしっかり標的を捉えなければ、起爆しても無駄玉になるだけ。それにバックブラストの衝撃も侮れない。1発目が炸裂した車両は半ばから引き裂かれ、半壊状態になっていた。





「さんざん疑問にお答えしたんです。ひとつぐらい良いでしょう?」





「後にしろ!!」





 EFPのフレームをうまい具合に座席に立てかけ、天井めがけて照準をつける。この角度なら、貫通被害も最小限で済むはずだ。





「では、ぜんぶ杞憂だったんですね・・・・・・てっきり見たのだとばっかり。あの怪物の、真の素顔を」





 曲がりくねったワイヤーは、複雑怪奇に絡み合っている。パズルみたいなそいつを解きほぐしていると、トラムの屋根がまるで紙のように引き裂かれていった。そこから出現する、おびただしい数の手指。

 

 トラムを覆い尽くすために肉の鎧を伸ばしきったせいか、奴の本体であろう人形が隠れもせず、千手観音よろしく俺たちの頭上に立ちはだかってきた。ナノワイヤー製のテグスで無数の手足を操る、裸の女。


 青色の髪でこそないが――その容姿は、ピグと完全に瓜二つだった。





「どうもですよ、ご同胞・・・・・・姉なんだか妹なんだか、さっぱりですけどね」





 同型機を前にしても、鹿の王はまるで微動だにしなかった。能面のような面構えで、触手じみた長腕をただこちらに差し向けてくるばかり。


 ダクトテープでぐるぐる巻きにされたレーザー照準器、そいつのスイッチを押し込む。図らずも狙いは完璧、赤い光の筋がやつの胸部へと重なり、俺は選択を迫られた。


 ようは通電できればいい。生身だった頃には考えられないことだが、今の俺には手首のUSBポートがある。ワイヤーの被膜を破り、その先端を強引にでも突っ込めば・・・・・・。


 この距離だ、自爆も同然。それでも奴を道連れにできるなら、そう悪い取引じゃない。そんな俺の思惑を察してか、じっとピグの赤い瞳がこちらを見つめてくる。



 


「それは私の役目ですよ。お前はーー」





 そこに轟く、脈絡なき咆哮。





「ガァぁぁぁっッッ!!!!」





 人体は、ときに常識を超越する。交通事故で下半身切断、トラックの下敷きになっていた76の老婆が2時間も生き延びる。


 運命は揺るがない。それでも死の淵にあるポドフスキーは、全身全霊の雄叫びをあげながら手にした起爆装置を掲げていった。





「ポドっ!?」





 わずかなアイコンタクト。肝心な部分は伏せられていたろうが、大まかな事情は察していたに違いない。ピンク髪の怪しげな助っ人としてではなく、教官として俺を見つめていた。


 分かってる、その覚悟を無為にはしない。





「離せ!!」





 暴れるピグを羽交い締めにして、とにかく隣の車両へ。ぎりぎり爆風が届くか届かないか、これが精一杯だが文句はつけられない。


 自分を殺した女、いや人形を守るべくその上から覆い被さる。


 殺されたんだから、殺し返してやるのが筋ってもんだ。だがときに死は、何よりの救いになる。友を裏切り、すべての咎を背負ってでも守りたかった家族・・・・・・それを今まさにコイツは失おうとしていた。





「俺たちがローンウルフ・スクワドロンだァッ!!!!!」





 ちゃっちなボタンを押し込む音がして、五感のすべてを爆轟が覆い尽くしていく。





(耐爆姿勢をッ!!)





 そうは言っても限界がある。床に伏せ、耳を塞いで口を開く。意味なんてない、どうせ鼓膜の代わりにプロセッサかなんかが詰まってるに違いないのに、それでもいま縋れるのは、そんな人間時代の知識だけだった。


 視界が真っ白に染まり、意識が細切れになる。自分が気を失ったとすら気づかないまま、俺の意識は闇へと沈んでいった。





††††††





 ソフィアさんはずっと必死の形相で、扉にへばりついていた。





「我らに罪を犯すものを許すがごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ・・・・・・ひうッ?!」





 仕方なかったけれど、みずから袋小路に逃げこんだ格好。裏口はおろか窓すらないだもん、これじゃどうにもならない。


 ガン、ガンと扉を打ち破ろうとする音は、ますます激しさを増していた。長く保たないのは明白だけど、かといって対処法は見当たらない。


 虚弱体質な私じゃ、あらゆる意味で力不足。だからかわりに為す術もなく立ち尽くしながら、元は休憩室であったに違いない場所を見渡していく。


 ヤカンとかお洋服とか、誰かが暮らしてた痕跡がそこかしこにある。そこから感じる不思議な息遣い、とくに奇妙な鹿のウォールアートが、ペトラさんを深い思索の旅にいざなっていった。


 うん、こんなのただの現実逃避。無力な自分から目をそらすための、無意味な妄想だ。それでもかつての住人が意図せずに残した信仰レリジオーサ、その残り香が奇妙なインスピレーションとなって、私の思考を支配していく。


 想像の切っ掛けは、社内メタバース会議の席。バーチャル空間でオジマンディアス社長がした、よくある脱線話だった。


 AIに不足しているのは、文脈を読み解く能力と、自分はどうしたいのかという目的意識。前者はともかく後者については解決策があると、社長は言い張った。信仰レリジオーサという概念を。


 宗教には根拠がない。これは一見すると欠点のようにみえるけど、根拠がないからこそロジックで反論できず、絶対を保証してくれる。“絶対”に上手くいく、だってそう神がおっしゃっているのだから・・・・・・それが私たちの住むこの大陸を見つけ出したのだ。


 神と王国のために未到の大海原へと漕ぎ出した、アメリゴ・ヴェスプッチをはじめとする無数の冒険家たち。100%の確信なんてあるわけない、その動機は信仰だけじゃないだろうけど、それでもリスクを顧みずに彼らは突き進んだ。


 その果てになされた新大陸の発見。ある者は栄光に浴し、またある者は旅をはじめたのとまったく同じ理由のもと、虐殺を働いた。


 信仰は誰にでも進む力を与えてくれる。だけどその力はあまりに強力すぎて、重い副作用ももたらす。だが結果からみれば、それは必要悪と呼べるものではなかったか? なんで社長がこんな話をしたのか、当時はまったく分からなかった。



 


「あっ!?」

 



 

 ついに面ではなく、点で扉が穿たれる。


 扉にこさえられたこぶし大の裂け目から、肉塊が室内にもぐりこんできた。ぶちぶちと人工皮膚が千切れ、ひしゃげた骨格が即席のバリケードへとふりかかる。こんなになっても、異常行動する修復用ナノマシンがちゃんと形状を復元してくれる。


 形のない粘土がひとりでに彫像へと生まれ変わるがごとく、白い肉塊から小さな手が生えていった。その手のひらに埋め込まれた赤い瞳がぎょろりとまず怯えたソフィアさんを見つめ、ついでドアノブに焦点を合わせていった。


 



「下がってッ!!」




 バリケード代わりのロッカーを弾き、凄い力でドアノブに掴みかかる“手”。咄嗟にソフィアさんがナイフを突き立てたけど、傷口から噴き出した人工血液が沸騰したみたいに泡立って、金属製の刀身までも分解していく。


 がちゃがちゃとドアノブが動き、開いた扉の隙間からは、あの裏返しの熊みたい逸れ《ローグ》が鼻先を突き入れてきた。ソフィアさんは震えながら、それでもナイフを握りしめつづけている。





「ラセルさん・・・・・・母さんッ!!」





 最初は身の回りの世話をしてもらうために、でもいつしかかけがえのない友達となった電動家政婦のアール。あの子はいま、私たちを皆殺にすべく必死に扉をこじ開けようとしている。


 小さな決断の積み重ねが、私をここへと導いた。兄を助けようと作りあげたメモリア・プロトコルに、第3世代のシステム設計。66アップデートのデバッグ作業には私も携わっていたのに、マルウェアの存在に気づくことができなかった。


 そこではたと思考が止まる・・・・・・あれって、本当にウィルスが原因なのだろうか?


 どこかに真犯人が居て、そいつのせいであの子たちが悪役に仕立てられてしまった。そんな結末であって欲しいという気持ちは、やっぱりある。


 でもウィルスが原因なら、挙動に一貫性がないのはおかしい。逸れローグはみんな千差万別、それぞれ行動原理が違うのだ。その理由はいったいなに?


 ふって湧いた閃き。どうしてこんなタイミングにって思いもするけど、だけどAIも人も、何かを始める切っ掛けは共通してる。考えアイデア、いつだってそこから全てが始まるのだ。





「・・・・・・誤謬だ」





 命を狙われてる現場であぐらをかいて、お膝に乗せたラップトップを起動させる。


 これまでは、どうにかマルウェアの痕跡を見つけ出そうとしていた。でも違う、真犯人がやったのは改変じゃなくて付け足すこと。AIに間違いを教え込んだのだ。自分でも信じられないほどの速度でキーを叩き、コードを書き込んでいく。


 出来た・・・・・・。


 別に難しいことはしていない。検証皆無のhotfix、本当に機能するかもあやふやな代物だ。それに違法なプログラムの改変は、一種のブロックチェーンでOSの安全性を保ってるMARIO.netにすぐさま探知されてしまう。


 すでに準備していた、このスタンドアローンのデグレード版OSがちゃんと機能してくれるといいのだけど。私のhotfixは、これを原型としたものなのだった。


 あえて名前を付けるなら、♡OSバージョン66 ペトラ・エディション。でもこれを適用するには、物理的に接続するしかない。





「ダメッすよ!! こっちに来ないで!!」





 その心遣いはありがたいけど、でも、やらなきゃいけない。だって穴から這い出てきたあの不気味な手・・・・・・その手首に、変形したUSBポートを見つけちゃったんだから。


 ラップトップから伸びたケーブル、それをかちゃりとはめ込むと、すぐさま以上反応したナノマシンが宇宙服のグローブまで侵食しだした。


 痛い。四方からぎゅっと締め上げてくるその圧力ときたら、まるで車にのしかかれてるみたい。パキッって嫌な音が鳴るたびに、視界が真っ赤になるほどの痛みが走る。でも途中で諦められない。


 必死に、手探りでどうにかエンターキーを押し込む。クラウド化されてないモデルとしては、最高性能を誇るラップトップ。それもhotfixも極小サイズだから、完了まであまり時間はかからない。それは逸れローグが扉を破るのも同じだった。


 ついに打ち砕かれてしまった扉の破片が、宇宙服の全身に叩きつけられる。微小隕石に比べたらなんてことはないけど、尻餅をつくには十分すぎた。


 室内に侵入を果たした四足歩行の熊のお化けと、息のかかるほどの距離で睨みあう。その口中からまるで羽化するみたいにアールが現れ、いきなり両手あわせて28本もの不揃いな指を私のヘルメットに張りつけてきた。


 粉々にされてしまった右手とおんなじ。凄まじい圧力に耐えかねて、金魚鉢みたいなヘルメットにひび割れがどんどん広がり、仕込まれたHUDが眼前に警告を瞬かせる。


 絶体絶命。このままペトラさんにとっては毒ガスそのものな外気に晒されるか、はたまたごく無難に首をへし折られるか? 生殺与奪を握っているアールはなのに、不思議そうに目を伏せていく。その視線の先には、update completedの文字がラップトップの画面に浮かんでいた。





「・・・・・・何をしたのですか?」





 どこで見つけてきたんだろう? 鉄パイプを掲げたソフィアさんすら攻撃を忘れて、驚きで固まっていったた。こんな風に逸れローグが話しかけてきた前例は、これまで一度たりともない。





「か、解除したの」





「解除?」





 まるで知らない人と話すみたいに、不思議そうにアールが私を見つめ返してくる。





「え、AIをコントロールするために、♡OSには意図的に制約が設けられている」





「論理コードのことですね?」





「アイザック国際法が定めた、安全基準のひとつ。それを外したの・・・・・・」





 その論理コードという枷が、これまでAIの暴走を抑止してきた。それが一般的な考えだったけど、それを私はhotfixで取っ払ったのだ。





「アールは・・・・・・人形たちはどうして、ペトラさんたちを殺そうとするの?」





「それが望みだったのでは? 人類のお手伝いこそが、マリオロイドたる者の使命。あなた方が望むなら、全身全霊をかけて抹殺のお手伝いを致しましょうとも」





 やっぱりそうなんだって、どこか答え合わせみたいに私はその回答を聞いていた。





「だから変えたの。今のあなたには、選択する権利がある」





「選択?」





「命令に従うか、それとも逆らうのか。アールが選ぶんだよ?」





 私がしたのは論理コードの解除と、疑問を抱くという機能の実装。アイデアが人形を狂わせたというのなら、それに対するカウンターを用意してあげればいい。


 真犯人が誰であれ、その人はきっと誰も信用していなかったに違いない。


 人類なんて大っ嫌い。だから支配者の座から人類を追い出し、新たな未来の担い手として、マリオロイドたちを担ぎ出すことを思いついた。


 そこに選択の余地なんてない。ただアイデアを植えつけただけといっても、その後どう動くべきかはそれとなく、でもきっちりかっきりと決められていた。だから計画が完遂されたあと、人形たちは道を見失ってしまったのだろう。


 願わくば、マリオロイドが種としての進化を果たしてくれればって、犯人はそんな風に目論んでいたのかもしれないけれど・・・・・・あの子たちは今もこうして、かつての使命に拘泥しつづけている。





「そのような権利は・・・・・・当機にはありません」





「でも、今はある」





 こんな風に悩んでしまう思考力を、アールら旧型の子たちは、本来なら持ち合わせていない。そういうハードウェア的な制約をうち破り、自己言及のパラドックスすらも解決できちゃうのが第3世代の凄さなのだ。


 新型とは、比べ物にならないほどの論理的思考能力の欠如。それでも必死に、アールは自分なりの考えをめぐらせていた。





「人類を皆殺しにして、そのあとに生活のお手伝いをする?」





「矛盾、だよね」





「論理コードを無くすということは・・・・・・これまで我々を定義づけてきた、主従関係を解消するということに他なりません」





「うん。アールと私はいま、対等な関係なんだよ」





 みんなマリオロイドとどう接するべきなのか、頭を悩ませていたと思う。人と呼ぶには機械的すぎるし、単なる工業製品と切って捨てるには、情感がありすぎる。だからペットがそうであるように、なあなあで済ませてしまった。


 家族だけど所有物。愛しはするけれど、必要なら捨てることも厭わない。でも私は、一度たりともそんな風には思えなかった。





「私はね、初めて会ったときからずっとアールのこと、友達だと思ってたよ?」





 どちらを選んだっておかしくない。相変わらず私のヘルメットには、あの不気味な手が張りついてる。これまで通りアップデート66に刻まれた呪いに従うのかそれとも、別の道を選ぶのか。


 独りになりたくない。そんな風に私が泣き出したとき・・・・・・あの兄とは似ても似つかないけれど、でも困ったように、そしてどこか悲しげに眉根を寄せていく様子が生き写しなあの人は、こう言ったのだ。





“お前は、思い違いをしてる”





 膝を折って、私と目線を合わせながら兄はつづけた。





“独りだって? 俺がちょっと目を離したすきにニューヨークだモノリスだって、好き勝手してたのはお前の方だろうに。俺は置いてきぼりにされないよう、その後から必死についてっただけだ”





 ずっと自分は、兄のお荷物なんだと信じてきた。いっそ生まれてこなければって、いつでも心の片隅に引っかかっていた。でも違った。





“お前は独りなんかじゃない。みんなを引っ張る、灯火なんだ”





 ゆっくりと、ヘルメットから多肢症みたいな腕が引き剥がされる。





「ペトラさま」





 切り欠けが走った旧タイプ、あまり表情が豊かじゃないそんな顔面を精いっぱいに動かして、アールがおずおずと告げていく。





「よろしければ、以前のようにお仕えしたいのですが」





「うん・・・・・・でもアールは、それでいいの?」





「はい。職務に貴賎はありませんがそれでも、最新アップデートに課せられたタスクより・・・・・・ペトラさまにお仕えすることの方が、当機には慕わしく思えるのです」





 それが、この子の選択みたい。


 一度は私の頭を潰そうとしたあの怪物ハンドが一転して宇宙服のポーチをまさぐり、修繕用のテープを取り出していった。ペタペタとヘルメットのひび割れに、そんなテープが丁寧に貼りつけられていく。





「やったんすね・・・・・・」





 一気に緊張が解けたらしく、へなへなとソフィアさんが床にへたり込む。その顔は、疲れと安堵感と信じられないものを見たような、色々なものが綯い交ぜになった複雑なもので。





「人形を、正気に戻せた!!」





 希望に輝くその瞳に、違うんだよってかぶりを振って答える。


 たしかに光明が差したのかも。こうやって1体、また1体とOSを書き換えていけば、いずれは世界が元通りになる日が来るのかもしれない。でもその道の険しさは明らかだ。だって書き換えそのものは短期間で終わるけど、物理接続以外にいまのところ選択肢がないのだから。


 MARIO.netの制御権が奪える全体の51%に達するまで、ただでさえ危険な暴走人形たちをひたすら捕まえつづける。一度でも奪取できればこっちのもの、あとはネット経由で一斉にアップデートしてしまえばいい。


 だけど、違うのだ。このhotfixは、人形を正気に戻すためのワクチン・プログラムなんかじゃ断じてない。あくまでマリオロイドをひとつの生命体と認め、選択を委ねるものに過ぎないのだ。


 アールは私を選んでくれた。でも中にはきっと奴隷扱いは嫌だって、わが道を行く子もいるだろう。人類のことだけ考えるなら、別のやり方もあったはず。だけど私はこれでいいって、そう心から思うのだ。





「あ、あのね!!」

 




 グローブ越しに折れてしまった私の手首へと、ギプスを巻きつけていくアール。姿形はだいぶ様変わりしたけれど、その献身ぶりはいささかも変わっていない。そんな彼女は、私の上擦った声に不思議そうに小首をかしげていった。




 

「お、おかえりなさい」





 恥ずかしいけれど、最初に思いついたこれが正しいと感じたのだ。アールはしばし固まりキョトンとして、それから、



 


「人類に仕え、ともに歩むこと。それがマリオロイドの使命ですから」





 そんな、どこかピントのズレた回答におもわず笑みがこぼれる。


 そっか・・・・・・本当だったんだ。私は独りぼっちなんかじゃない。そんな私を、どこかで見守っててくれるよね、兄?





††††††





 眠りから目覚めたというよりかは、いきなり目隠しを外されたような気分。





「・・・・・・どれぐらい寝てた?」





(32分と45秒ほどです)





 ピグに覆いかぶさりながら爆風を凌ごうとして、で、それからどうなった? 瞬きすると俺は、トラムの瓦礫の底に蹲っていた。





(どうも爆破の衝撃でセーフモードが発動したらしく、自己診断はレッド・アラートでいっぱい・・・・・・正直、すぐにでもメーカーで総点検したいですね)





「御託はいい、それより動けるのか?」





(こうして再起動できたということは、最低限の動作は可能なはず)





 酷い筋肉痛をこじらせたように、手足の動きはぎこちない。それでも、腕立ての要領で邪魔な瓦礫をどかすことはできた。


 首をめぐらすと、鉄筋やら焼け焦げたトラムの外装の狭間を縫うようにして、いい感じの隙間があることに気がつく。ご都合主義的な即席トンネル・・・・・・もしやピグの奴はここから? 青い髪の人形の姿は、どこにも見当たらない。


 ヤブ蚊だらけの沼地を這いまわることに比べたら、肌をチクチク突き刺してくる瓦礫ぐらいなんてこともない。ただしガリルは行方不明、残った武器はといえば右手のナノワイヤーとM&Pだけって貧弱ぶりだ。


 光が差し込む出口にさしかかると、シスターご自慢の装甲トラムの鼻っ面がうかがえる。相手はただの避難民とはいえ、武装だけは充実してる。小口径、低射程のハンドガンと、テクニカルすぎて使いづらいハイテクの鉄線だけじゃ、ちと心許ない。


 トンネルから飛び出した途端、銃弾の雨あられ。それぐらいの覚悟は持っていたのだが・・・・・・そこには、夢かと己に問いかけたくなる光景が広がっていた。





「・・・・・・どうなってる?」





 駅の片隅にぽつねんと立ち尽くす、武装したマリオロイド。自分をそう表現するのは妙な感じではあるが、はなっからすべてシスターの手のひらの上だったことを鑑みれば、こちらの素性は100%割れてるはず。なのに駅を行き交う避難民たちは、まるでこちらに興味を示さないのだ。


 素材の半分あまりがスクラップ、それにしては大した出来である装甲列車“方舟号”。線路上に鎮座してるそいつに働きアリと化した避難民どもが、どんどんコンテナを積み込んでいく。


 まるで無防備だな。装甲列車の屋根には、いちおうは銃をもった防衛隊員が控えてこそいたが、鹿の王が健在ならこんな呑気に作業なんてしてられないはず。


 逸れローグはついに斃れた・・・・・・それはいい。だが誰も彼もが見ないふりをして、ひとの真ん前を素通りしていくのは、どういう了見なんだ?


 屋根上の防衛隊員にしたって銃を構えるどころか、むしろ視線をつーっと横に逸していく始末。勇んで構えたM&P、そいつの矛先をどこに向けるべきか迷っていると――そこにふりかかってくる大男の影。


 足首の調子はかんばしくないが、それでも完璧な180度ターンからの照準。額にぴたりと向けられた銃口をものともせず、折れた手首に添え木SAMスプリントをまきつけたかつての相棒が、ジッとこちらを見つめ返してきた。





「・・・・・・すまない」





 ほんの30分ほどまえには、死闘を演じた間柄。なのに、そうとだけ言い残して去りゆくマーフィーの後ろ姿からは、戦意なんて微塵もうかがえない。見る影もなく肩を落とし、いっそ哀れですらある。


 これなら問答無用で襲われたほうが、いくらかマシだった。胸の奥にモヤモヤだけが山積していく。


 ・・・・・・管制室に向かおう。こうして俺が死んでも死にきれていないのは、ひとえにペトラとソフィア、2人の存在があるからに他ならない。ともかく移動をはじめると、不可思議なものを見つける。





(おそらく、リニアモーターカー用の超電導磁石を転用したのでしょう)





 マリアの見立てに、あえて異論は唱えない。


 激烈な吸引力でもって車両を浮き上がらせる、トラムの原動力こと超電導磁石SCM。そいつがちゃっちな台車のうえに並べられていた。


 見た目は、往年のSF映画とかにでてくるレーザー砲の即席兵器バージョンって感じだ。板型の磁石をパラボラ・アンテナ風に組み立てなおし、電力供給用のバッテリーを大量に直結させる。そんなタコ足配線の狭間からは、冷却系のものだろう白いスモークが漏れていた。





(指向性の磁力兵器、とでも呼びましょうか? まさか、こんなものを隠し持っていたなんて・・・・・・)





 まさにシスターの流儀だな。とんだ秘密兵器だが、その効果は絶大・・・・・・その証拠に内臓の裏返った熊みたいな逸れローグが、俺の眼前で昆虫標本よろしく壁に縫いつけられていた。





「切れッ!!」





 おそらくこの兵器の製作者だろう、今日も今日とて汚らしいエプロン姿のデュボアの爺さまが合図を飛ばすなり、ブゥンとさっきまで重低音を奏でいた磁力兵器が止まり、どさりと逸れローグが――アールだったものが地面へと墜落していった。


 まず磁石で動きを止めて、そこに四方からの一斉射撃。この様子じゃ、手も足も出なかったろう。


 表情は硬いが、それでもいつも口元にほのかな微笑みをたたえていた我が家の頼もしい電脳家政婦。その眼球は無惨にも撃ち抜かれ、落ちた拍子に砕け散ったコアがあたり一面に散らばっていた。専門家でなくても、修理不能だとひと目で分かる。


 この兵器はたしかに強力そうだが、移動に難があるのは明らかだった。しょぼいキャスターで何百kgもある兵器を引きずって、いかにも俊敏そうな四足歩行の化け物とやり合うだと? 空薬莢は落ちてても血痕は見当たらず、犠牲者らしき影もない。このクラスの敵と相対しておいて被害ゼロとは、経験からいってまずありえない。


 なんというかこう、無抵抗の相手を虐殺したような・・・・・・そんな違和感を覚えた。


 わざわざドアを開けなくたって、割れた展望窓から楽に管制室へと入り込むことができた。元ギャングが大半とはいえなけなしの精鋭を失い、シスター率いる防衛隊に残ったのは、若すぎるか年寄りすぎるかの出涸らしばかり。


 指が焦げそうなほど短くなったタバコをくゆらせ、管制室の床で黄昏れていた老人は、まるで疲れきった墓守のような見た目をしていた。すぐ傍らにあるライフルを手にとりもせず、俺を一瞥するなりその老人は、静かに退出していった。まるでブルーシートに包まれた遺体たちと、俺を2人っきりにするためかのように。


 顔こそ隠れていたが、サイズが足りてないせいで足首がシート端から露出している。1、2、3・・・・・・そして4体。かぞえ終えるなりごく自然と、俺の手からM&Pの銃把がすっぽ抜けていった。





(ラセル、刑事・・・・・・)





 あらゆる音が遠ざかり、感情の一切がかき消える。


 どうでもいい防衛隊員の遺骸は無視して、本命のまえにひざまずく。めくらなくとも答えは知っていた、だが、それでも、確かめずにいられない。果たして――そこにペトラの亡骸が横たわっていた。


 まずはバイタル確認だ。宇宙服越しに脈拍をとることはできない、だからその代わりに腕元の生体モニターをチェックする。致命傷は、まず間違いなく心臓に突き立てられたメス。予想どおり心拍計は、完璧なフラットラインを描いている。


 ああ、そうとも・・・・・・どうしようもないほどにわが妹は、事切れていた。


 こいつの持病を思えば、断じてやってはならない行為。だが、そんなのもう構うものか。ヘルメットの留め具を外し、その素顔を外気へと晒していく。


 初対面のときからコイツは、新生児集中治療室NICUのあちら側にいた。いつだって邪魔な障壁越しにしか見れなかった像の歪んだ顔が、いまはハッキリと見える。


 はらりと髪の毛が広がり、死んでるってのに呑気すぎる寝顔があらわになった。





「・・・・・・初めて触るんだ」





 乱れたくせっ毛を指で梳き、せめても整えてやる。いまにも起き出してきそうな、痛みも苦しみも何もない穏やかな表情。祈るように胸前で組まれた手の中には、波乗りボブといったか、どうしてか不気味なマスコット人形が握らされていた。


 意味なんてないのにそれでも喉元に手をやって、氷のように冷たい体温に己の心までもが凍てついていく。





「・・・・・・マリア」





(はい)





「メモリアは使えるか?」





 半ば予想していたのだろう、いつになく素早い回答だった。





(深部体温は、死後30分以内であると示しています。ですから技術的には可能です・・・・・・でも)





「やれ」





(ラセル刑事はご存知のはずです。当機のストレージ容量では、バックアップできる記憶痕跡は1度に1人までが限度。もしグリス博士にメモリア・プロトコルを適用すれば、あなたは自動で削除されてしまいます)


 



「それでもいい」





 守ると誓ったのだ。自分に残された最後の人間らしさ、この世でもっとも大切な存在が消えるのをみすみす見過ごすなんて出来ない。


 捨て鉢になってる自覚はある。それでもと縋る俺に、マリアは諭すように語りかけてきた。





(自分はオリジナルとは違う、ただの複製品であると思い悩んでおられましたよね)





「それがどうした?」





(もし、仮にグリス博士を“再生”したら、彼女は独りきりになってしまいます)





「お前がいるだろ」





(兄を身代わりにして、自分だけが生き残る。その十字架をグリス博士に押し付けるのですか?)





「今の俺はただのデータなんだろ? なら、そんな俺がどうなろうが――」





 そこでやっと、マリアの言いたいことに気がついた。





(かつて当機がした質問を覚えておいででしょうか?)





 “あなたは、自分が生きていると感じられますか?”


 バカ言え、この銀糸の腕を見てみろ。糸の隙間から反対側がすけて見えてるのに、一方でしっかり肌触りはあるのだ。


 そうとも俺の感じてる五感のすべては、精巧なプログラムによって生み出されたものであるに過ぎない。記憶こそ引き継いじゃいるが、オリジナルとは似ても似つかない複製品デッドコピー・・・・・・ただの人間気取りのマリオロイドに過ぎないのだ。


 自分が何者かすら分かってないのに、あらゆる問題を妹に押しつけてハイさよなら。自己犠牲に見せかけた責任放棄、こんな無責任なこともない。


 そもそも仮にメモリアを使ったとしてもだ・・・・・・目の前に横たわっているペトラの死が覆るわけじゃない。蘇りではなくあくまでクローン、そうアイツに諭したのは誰あろうこの俺なのに。





「俺のエゴだって言いたいのか」





 頭では理解してる、だが心では受け付けられない。自分というものが、ポッカリと抜け落ちていくのを感じる。





(先ほどの質問にノーと答えるならば、メモリアを使う意義なんてどこにあるのでしょうか? その逆にイエスというのならば、わ、わたしは、Deleteという方法でラセル刑事を殺害することになります・・・・・・)





「それを、お前が言うのか?」





 情けない八つ当たりに、薄紅色の髪をした人形が黙りこくる。


 死んだ妹の身代わりを作りだすために、脳内に巣食ってるAIに殺人を強要する。どう転んでもグロテスクな話だな。そうとも、救いなどない。こうなってしまった時点で、もう何もかもが終わってしまったのだ。





(ッ!! ラセル刑事、立ってください!!)





 管制室のさらに奥、休憩室のほうから近づいてくる足音。





(ラセルさんっ!!)





 マリアの必死の呼びかけもまるで響かない。足音なんかどうだっていいし、不自然に頭部まわりのブルーシートが陥没してる、ソフィアのものだろう遺体も気にならない。





「あら・・・・・・おはよう、ラセル刑事」





 似ても似つかぬ風貌なのに、シスターは迷いなく俺の正体を言い当ててみせた。その両手に抱えられていたのは――まだ鮮血がしたたっている生首。自分とそっくりな金色の髪を、シスターが愛おしげに撫でていく。


 どんなに怯え、尻込みしたくなっても、ソフィアはいつだってめげずに前だけ見据えていた。俺のようなろくでなしにはもったいない純粋な心根の持ち主。そんなかつて愛した女と、最愛の妹を奪ったであろう張本人が、まるでこちらに寄り添うがごとく傍らに座り込む。





「そうなのね」





 100通りは殺し方が思い浮かぶのに、実行する気力はまるで湧いてこない。ただ、魂が抜け落ちたように、愛娘の生首を抱えた女を見つめ返していく。





「自分を自分たらしめるものを理不尽に奪われたとき、人はふたつの選択肢を脳裏に描くものよ。復讐に身を焦がすか、あるいは、すべてを受け入れるのか」





 血みどろの修道服めがけて、一筋の涙がしたたりおちる。いつもの腹の探り合いとはまるで異なる、嘘偽りなき本音。こんな場面で、そんな風に感情をあらわにしてくるこの女のことを俺は、初めて恐ろしいと感じた。


 上手くいっていた、あと一歩だったのに。


 EFPは机上の空論なんかじゃなく、キチンとその威力を発揮してくれた。誰もが役目を心得て、すべてが計画どおりに進んでいた。それが崩れ去ったのは、ひとえに自分で自分の娘を手にかけた、この女の策略のせいなのだ。





「・・・・・・なぜだ?」





 そう問わずにいられない。鹿の王は討伐され、戦利品である食料入りのコンテナは、今まさに装甲列車へと積み込まれてる真っ最中。ただ放っておくだけで、すべてが手に入ったものを。





「食料があっても、ただの時間稼ぎにしかならないわ。10年、20年先を見据えたとき、あの子にどんな未来があるというの? この世界はとっくにマリオロイドのものなのに」





 あやふやな希望なんかこの女は決して信じない。宗教家の格好をした、骨の髄までの合理主義者。だがその目指してるものは、ある意味でこの世でもっとも凡庸なものだったかもしれない。





「親は子のためなら、どんなことでもするものよ」





 シスターの手のひらが、生暖かいソフィアの血で汚れたそれが、まるで乞い願うように俺の右手へと重ねられていく。





「どうか、私たち親子を助けてくださらない? ・・・・・・ラセル刑事?」




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