Chapter XIII “ オー・セブン・ハンドレッド”

 元からこの駅には、2種類のトラムが放置されていた。


 ゴツい貨物列車については、いうまでもなくすでに回収済み。俺が最後に目にしたときには、デュボアの爺さまが腕まくりしながら装甲列車に仕立て直していた。


 だから線路上に居座っているのは、清涼飲料水のラッピングで飾り立てられたよくある旅客仕様のみ。こいつが作戦の肝だった。


 マリオロイドの“計測スキル”さまさまか。見ただけで物のサイズが測れるこの便利機能のおかげで、爆弾EFPは、目論見どおりすんなりトラムの窓枠に収まってくれた。


 正方形のアルミフレームに囲われた圧力鍋。まあ見た目こそあれだが、ひとたび起動すれば秒速3000メートルでかっとび、あらゆる装甲を食い破るタンクキラーなのだ。これで仕留められないなら、何をしたって無駄だろう。


 四方の真空パッドがしっかり固定されてるのを確認してから、起爆用のワイヤーを手繰り寄せ、そのまま車内に直行。半開きのプラグドアの向こうにはつり革がずらりと並び、戦いのときを待ちわびるゲリラどもが座席の陰に身を潜めていた。


 海の底にどうして窓が必要だったのか、微妙に意味不明ではある。それでも設計者の思惑をこえて、今のところすべてがこちらの都合通りに動いていた。


 EFPの起爆方法は、無線と有線の二系統。ただし前者についてはバックアップと捉えるべきだろうな。


 電波だけならなんの問題もない。人形によって管理されてるネットワーク、すなわちMARIO.netへの不正アクセスさえ行わなければ、奴らは決して反応を示したりしない・・・・・・ただし逸れローグだけは別。この“例外”がいつだって厄介なのだ。


 そもそもスマホのアンテナバーはさきほどから明滅をくりかえしており、この駅の電波状態をにょじつに物語ってもいた。100%の保証がないなら、無難な選択をとれ。やはり昔ながらのスイッチでバン!!が安牌であるらしい。


 爆弾AとB、通路にのたうつ二通りのワイヤーを踏まないように注意しながら、ガジェット担当のポドフスキーの元へ。髭面の少年はあぐらをかいて、必死の形相で配線とやりあっていた。





「どうだ?」





 これで接触不良は直ったはずだが、はたして電池は丸見え、ダクトテープでぐるぐる巻きになった起爆装置クラッカーに震える手がワイヤーを近づけたかとおもえば、ぽっと豆電球に明かりが灯った。





「・・・・・・本当に上手くいくと思う?」





 通電チェックはこれにて完了。あとは本番用の回線に切り替え、カチッ、カチッ、カチッと3度ばかしスイッチを押すだけでいい。クレイモア地雷とまったくおなじ、おそらくは軍警上がりの髑髏面の入れ知恵だろう。俺としても扱い慣れてるやり方だった。


 いつになく幼い声に、自信たっぷりに返す。





「ま、いざって時には俺みずから尻を拭ってやる。せいぜい泥舟に乗った気でいろ」





「泥舟・・・・・・っすか」





 逃げる時間ぐらいは稼いでやるさ。派手に騒いで、けばけばしいピンクの毛先にやつが食らいついた途端、全速力でトンネルへ。マリオロイドの俊足を駆使すれば、まんざら自殺行為ってわけでもない。最低限、こいつらの安全は確保できる。


 テレパシーが欲しい。この身体との付き合い方がだんだんと飲み込めてきたが、わざわざ声を出さなきゃ内なる同居人と会話できないってのは、腹立たしいにも程がある欠陥だ。ぶつぶつ独り言をのたまう危ないやつ・・・・・・そんなレッテルを避けるべく、さっと手帳に鉛筆を走らせる。


 “ズームできるか?”と書き込むなり、




 

(3倍率でよろしいですか?)





 って答えが返ってくる。


 車両基地までつづく線路上、ちょうどトンネルの入り口に差し掛かるあたりに問題の貨車は停まっていた。俺の目玉はいまやデジカメの従兄弟分、要望どおりコンテナ満載のそんな貨車の姿が、双眼鏡を覗き込んだみたく視界いっぱい広がっていく。


 どんな優れた手品も、タネが割れればこんなものだ。目を凝らせば、ホログラムの擬態とコンテナ本来の外壁、その境目がちゃんと見てとれた。照明の加減もあるだろう、さざ波のように立体映像がゆらでいる。どうもご在宅であるらしい。


 EFPをやつの鼻先まで持ってって方策は、もちろん考えないではなかった。だがやはりリスクが大きすぎる。


 薄いコンテナの外壁はいうに及ばず、ビルの壁を貫けば、すぐさまこの区画一帯が水没してしまう。それに狭いようで広いコンテナの内部、奴がどんな風に寝てるのかすら不明瞭なんだ。箱のすみで猫みたく丸まってるだけでも計画はご破産。もろもろ勘案した上でのこの作戦なのだ。


 他に選択肢があるなら、髑髏面あたりがすぐにでもツッコミを入れてくるに違いない。あれでも一応は専門家、なのに奴ときたら毛布をかぶって全身のシルエットを崩しつつ、慎重に窓の外をうかがうばかり。


 ノルマンディー上陸前夜って緊張感に浮足立ってる車内で、この大男だけは平静を保っているようにみえる。いつものこと――どっしり構えたその態度からは、どこか風格すら漂っていた。





(日本には、“親しき仲に礼儀あり”なる言い回しがありまして。当機の学習モデル的にも、ズームしてくれてありがとうの一言ぐらいあってもバチは――)





「シスター、とかいったな?」





 いかにも見知らぬ他人ってふうに、雑音は無視して忌まわしいその名を口にしてみる。


 正しいが間違ってる、ソフィアのイカれた実母。いつの間にか狂信者に成り果てていたこの男からすれば、忠誠の対象ということになるのだろうか。





「そうだ」





「本当に来るのか?」





「約束を違えるお方じゃない」





 だろうな。有言実行こそが、シスターの権威を支えている主柱なのだ。殺すと決めたら絶対にやる、そういう女だ。





「到着予定時刻は、0700オー・セブン・ハンドレッド。ほんの20分後には、あのトンネルから装甲列車がお目見えか。なんとも豪快なことだな」





「戦力的にはさして期待はできない。上澄みはすべてここに居る」





 なにせ老人と子どもの群れだからな。そもそも上澄みといったって、長すぎるお勤めで白髪がまじってる隻眼の元ギャングと、優柔不断が服を着て歩いてるような会計士風の優男、そしてこの髑髏面の三バカときてる。


 防衛隊からしてこんな調子だし、我らが調達班にいたっては、経験こそあるが根っこは不良そのものなガキばかりときてる。こうして上から目線を決め込んでるこの俺にしたってその実、二重人格を患う人間きどりのマリオロイドときてる。とんだパーティだ。


 こうしてわざわざ聞き出した情報はどれも、ラセル=D=グリス的には周知の事実ばかり。だが“真里亞さん”としては、こうやっていちいち尋ねておかないとあとが怖い。どうして知ってるんだって追求は避けたいところだ。


 着飾らず自然体に、しかし人物設定だけは厳守せよ。親父の飲み友達だった説教グセのある潜入捜査官が、最期に言い残した文句がそれだった。





(ラセル刑事の拙い記憶力を補うべく、メモリアのログを元にチェックリストとか作ってみました。ご参照ください)




 途端、視界を埋めつくしてく無限のスプレッドシート。名前の欄にはマル、趣味の欄にはバツ印が記されていた。“気が利くな”か、あるいは“流石は最新鋭機”。どちらにするか迷ったが、最終的には“ウザい”と一言記してから手帳を閉じた。


 やれることは全部やった。EFPは設置したし、トラムがちゃんと動くかについてもピグがとっくに確認済み。プラットホーム上に設けられた、屋内だってのひさし付きの休憩所のまん前には、スマホの生き餌だってすでに置いてある。


 遠隔であのスマホからアプリを起動してやれば、目覚めた鹿の王がみずから照準のまえに躍り出てくれるはずだった。あとは爆弾にくくりつけたレーザー照準器を頼りに、ここぞってタイミングでカチッ、カチッ、カチッ。それですべての問題にケリがつく。


 AA12を肩にもたらせながら、コンテナに監視の目を光らせてる髑髏面がこちらを振り返らずに口を開く。





「・・・・・・ただのOL、ですか?」



 


「くどい。また蒸し返すつもりか」





 表情筋の悲鳴もお構いなしに、顔面の隅から隅までタトゥーニードルを走らせたツケだな。トレードマークの髑髏柄だけでも厄介なのに、そこにCVダズルがますます拍車をかけていた。


 さっきのズームもそうだが、自分は機械なんだってふとした拍子に思い知らされる。生身だった頃にはCVダズルなんて、新手のパンクメイクにしか見えなかったのにな。いまや野郎の横顔ときたら、のっぺらぼうよろしくモザイク模様に覆い尽くされていた。


 なるほど、人形どもが戸惑うわけだ。これじゃ表情を読み取るどころか、相手が人間なのかすらすぐには分からない。


 わが妹にいわく、AIに欠けているのは目的意識と文脈なんだそうだ。背格好からおおよその察しはつくが、それは俺が元人間だからこそ出来る芸当。察するという概念を知らないマリアときたら、何かというと“あれは誰ですか?”なんて尋ねてきたものだった。





(真っ青なショートヘアに、背丈に反して重たげな足取り、そして鼻頭のサングラス・・・・・・89%の確率で、元カリフォルニア州知事のアーノルド=シュワルツェネッガー氏と推察します)





 気が利くな、流石は最新鋭機だ。

 




「確か・・・・・・ピグさんだったよな?」





 俺の試すような問いかけに、青髪ハッカーがこれ見よがしにため息をつく。





「2日間もアパートに缶詰だったのに、これですか。印象が薄くてどうもすみませんね」





 相変わらず、カミソリみたいな舌しやがって。





「作戦決行はいつ頃に?」





 軽いジャブのあとは、すぐさま実務。謎めいたピンク髪の女への不信感は、すぐさま逸れローグとの対決って問題に取って代わられた。仲良しごっこをする気は、お互いにない。


“この女の正体が本職のテロリストだろうが、ただの度し難いミリオタであろうとも、私たちが生き延びられるのならそれだけで十分です”。一字一句、そう言い放ったのは誰あろうコイツだった。


 これにて議論終了。世は絶賛ポスト・アポカリプス、どんな話題も結局は、生き死にって根源的な問題にたどり着いてしまう。死んでいるが死んでいない、そんな俺からすると、哲学的な台詞に聞こえなくもない。





「管制室組の準備次第だな」





「今は待て、ですか・・・・・・で、ぶっちゃけお前の読みでは、勝算はどんぐらいありますかね?」





「ステゴロよりかはマシ」





「名戦術家ぶりに頭が下がりますね」





 かつては通勤客が足蹴にしていた、列車に乗り降りするためのプラットホーム。その白線の内側にポツネンと置かれたスマホに被さるようにして、真っ赤な可視光線が伸びている。


 準備万端、ピグがせっついてくるのも理解できる。そう後はと、管制室の方角を睨んでみれば・・・・・・俺と交代する形でミニ14・ライフルへと持ち替えたソフィアが、ちょうどこちらにサムズアップを決めていくところだった。





††††††





【“作戦前夜”】


 アパートの廊下の向こう、角を慎重に覗き込んでいた金髪褐色娘が、





「オーケーっすよ」





 と、俺たち兄妹に安全確保を伝えてきた。


 決戦を翌日にそなえ、誰もが寝静まった深夜1時。メンバーのほとんどは居間で雑魚寝中、一番厄介なピグと髑髏面はそろって歩哨に立っているとくれば、検視の機会はいまをおいて他になかった。


 床に直寝しろといわれても、文句がいっさい飛び出ないほどに誰も彼もが疲れ果てていた。爆弾づくりの素材にするべく壁を引っ剥がし、フレームを溶接しては電子基板にハンダを押しあて、調理器具に爆薬をつめこむ。そうしてアレハンドロの生家を好きなように荒らしまくった代償が、このいびきの大合唱だった。


 寝室はいまや肥料臭い爆弾工房に成り果てている。マッチ1本、大爆発とくれば、いくら本物のベッドがあろうと誰も寄りつかない。


 実のところ寝室はもう2つばかしあるのだが、片方は俺との密談のために病気を盾にしたペトラが奪い去り、そしてもう一方は・・・・・・ブラックアウトの残骸が放り込まれた、遺体安置所モルグと化していた。


 柱には、背丈を測った跡。中古のゲーム機に黄ばんだシール、そして傷だらけのミニカーとくれば、この部屋の主が誰であったか容易に想像できるだろう。そんな空間を遺体安置所に変貌させてしまったものが、部屋の片隅に安置されていた。





「あっ」




 なんて声を上げ、部屋の入口で固まるペトラ。


 アレハンドロの遺書には、できれば母と弟たちと一緒に埋葬をと記されていた。そして部屋の隅には、赤黒く変色したシーツがみっつ・・・・・・数はぴたりと合致する。





「アレハンドロくんのご家族、っすよね?」





 重苦しい空気。誰もここに入りたがらなかったわけだ。宇宙服の肩越しに室内の様子をたしかめたソフィアの暗い表情には、深い憐憫が刻まれていた。





「――かれらの安らかに憩わんことを」





 扉の下にかまされたタオルは、まず間違いなく匂いよけだろうな。換気不足の室内にはいまも、濃い死臭が充満していた。とっくに慣れっこの俺と、高性能フィルター搭載の宇宙服に身を包んでるペトラ。そんな俺たち兄妹とは異なり、生身のソフィアは二重三重の意味で辛そうだった。


 どのみち見張りがいる。廊下にいるよう金髪褐色娘に頼んでから、軋ませないようにドアを慎重に閉める。研究者としてのサガってやつか? 逸れローグの弱点を探るためだといわれたら、断るに断りきれない。


 だがそんなの、髑髏面だって知りたいはず。奴とて当面の目的おなじ、むしろ率先して話に乗ってくるかもしれない。そう提案はしたのだが、“昔からちょっと・・・・・・苦手で”なんて伏し目がちに告げられてしまったら是非もない。





「やめるなら今だぞ」





 言葉は悪いが、最悪にも程がある場所だ。





(天井に放物キャストオフ血痕。おそらく殺害現場は、ここだと推定されます)





 珍しくマリアと意見が合った。あれは、凶器をなんどもなんども振り下ろした証拠に違いない。


 昔、DV家庭で似たようなものを目にしたことがある。親子の死因はウィルスなんかじゃない、おそらくは人形の拳で殴り殺されたのだろう。


 凄惨すぎる過去を秘めた部屋。息を呑み、足は震えていたがそれでも、





「て、手早く済ませよう?」




 

 率先して、てけてけ子どもサイズのベッドを目指していくペトラ。そこには、白い人工血液を垂れ流すブラックアウトだったものが乱雑に積み上げられていた。


 逸れローグとはすなわち予測不能。奴らの行動原理は、長らく謎に包まれていた。だからチャンスではあるのだ。その道の専門家と、嫌ってなるほどの物証の数々・・・・・・このふたつが揃ったのは、これが初めてのことなのだから。だからすべきことをする。





「・・・・・・」





(コンセントと変わりませんよ?)





 コードレス家電が出回るようになった現代社会じゃ、レトロですらあるUSB給電式のデスクライト。そこから伸びた端子を自分の手首にぶっ挿していくのは、なんというかこう頭では分かっていても背中がザワついて仕方がない。


 照明係にして人型発電機とは、落ちるとこまで落ちたもんだな。ともかくライトを掲げ、妹が作業しやすいように怪物のすがたを白日の下に晒していく。


 ブラックアウトは、完全に機能を停止していた。我ながら完璧すぎる射撃、5.56mm弾に撃ち砕かれたコアが、ベッドという名の検視台に散らばっていった。





「う〜ん」





 隅の死体にはあんなに動揺してたのに、人工の内臓をかき分けていく迷いのなさときたら。パズルの要領でどんどん白い肉片が形を成していく。


 見方を変えれば、これが俺の中身であるわけか。色を赤に変えれば、もうちょっと人間ぽくなるかもしれない。だが強化カーボン製の肋骨とかはこう、ロボット丸出しって感じでどうにもな・・・・・・複雑な気分になる。





「どうした? 何か、おかしな点でも?」





「兄やい、お水くれる?」





 まさか、飲むためじゃないだろ。ペッドボトルを傾け、宇宙服のごわごわしたグローブで丹念にブラックアウトの生首を拭っていくペトラ。





「やっぱり。この子、第3世代だよ」





 鳴り物入りで登場するはずが、ローンチ前日にまさかの文明崩壊。マリアを除けば、これまで第3世代と遭遇したことは一度もない・・・・・・自分ではそう思っていたが、現実にそうだったかは定かじゃないってことらしい。


 つい数日前までデュラハン状態だった人形の生首はなるほど、繋ぎ目ひとつない綺麗な肌をしていた。こいつは新型の特徴そのものだ。





「まさか・・・・・・逸れローグは全部、第3世代なのか?」





「断言はできないけど、辻褄は合うよ。逸れローグの個体数の少なさが、ただシンプルに出荷台数の少なさに起因してるのだとしたら」





 他にも不審な点があると、めっきり専門家モードのペトラは指摘する。





「あのドローン群ね、最初から変だとは思ってたんだ。あれほどのスラロームを組むの、旧型の処理能力じゃ無理があるもの」





「だが最新鋭機ならその限りじゃない、か」





「それにマリアの前例もあるしね」





(呼びましたか?)





 呼んでないと答えたいのは山々だったが、どうもそうでもないらしい。





「マリアとさ、その、初めて出会ったときも・・・・・・ペトラさんたち襲われたりしなかったでしょう? 他の暴走人形とは、まるっきり異なる行動原理。これって逸れローグの大きな特徴じゃない」





 じゃあ何か? こうしてる俺自身、ブラックアウトや鹿の王がそうであるように、人形の異常行動の結果かもしれないってわけか。妖怪・二重人格・・・・・・だとすると、あらたな疑問が浮かび上がる。





「暴走の原因は、ヴァージョン66なんだろ?」





「う、うん・・・・・・多分ね」





「多分って、あのな」





「だって構造解析とかぜんぜん出来てないし」





 限りなく黒に近いが、どれもこれもあくまで推測の域を出ていない。





「“生きてる人間を見かけたら、手当たり次第に襲いかかれ”。そんな暴走にいたる因子がアプデに仕込まれていたっていうのが、もっとも合理的な推測ではある。だって実際に、ブラックアウトは殺意丸出しで襲いかかってきたわけだしさ」





「だがマリアのように、むしろ死んだ人間を蘇らせる奇特な奴もいる」





「・・・・・・そこが謎なんだよねぇ」





 なんというか一貫性に欠けすぎだ。殺したいのか助けたいのか、それすらもハッキリしてない。こいつらは単なる機械なんだ。やれと命じられたら自爆だって辞さない身の上にしちゃ、あり得ないほどの気まぐれぶりだろう。





「兄やい、ちょっとマリアに聞いてくんないかな? ほら、ある意味で当事者なわけだし」





「おいお前、誰かぶっ殺したい奴はいるか?」





「お、オブラートってものをご存知かい兄?」





 そうして返ってきた答えがこれだ。





(マリオロイドの使命は、人類のお手伝いをすること。ただそれのみです)





 模範解答で大変けっこう。すぐさま妹にその旨、伝えてやると、





「うーん。安全確保のためにデグレード急いだの、裏目に出ちゃったのかな」





 もっと詳細に検証しとけばと、ペトラは悔しさを滲ませる。つまり今のコイツは、昔ながらの無害なお人形そのものってわけだな。確かにアールと話してるときみたいな歯ごたえのなさだった。





「アイザック国際法の取り決めのひとつに、学習機能の制約というのがあってね? 本来は安全のために設けられたブラックボックス区画が逆に仇になって、正常な自己診断が出来ていないのかも」





 AIってのは、意外と自分ってものを知らないらしい。尋ねるだけ無駄か。


 あれこれ考えを巡らせつつ、引っ剥がしたばかりの強化カーボン製の肋骨を確かめていくわが妹。その裏に刻まれたシリアナンバーが淡々と読み上げられていった。


 まさか人工血液まみれの手で、キーボードを叩くわけにもいかない。ラップトップの画面に先ほどの数列が、どんどん音声入力で刻まれていく。





「何してるんだ?」





「出荷記録をあたって、この子がどこの所属なのか割り出そうと思って」





 本来は部外秘なんだけどねと、ペトラは苦笑い。





「そんなの気にしてどうする? これで機密情報漏洩につきって、モノリスの顧問弁護士がすっ飛んできたら、それこそ笑い話ってもんだろ」





 そうなったら、お宅の製品が人類を滅ぼそうとしてるぞって、せいぜい懇切丁寧に説明してやるさ。


 俺の視界はすなわちマリアの視界。どうやら画面を盗み見していたらしいデバガメ人形が、脳内でふむんと唸る。





(モデル111MI・・・・・・公共作業用の特化タイプみたいですね)





「この子、単体でビルのあらゆる設備を操れちゃう、超高性能な管理人さんみたいなものだよ兄」





 聞こえてるはずないのだが、タイミングぴったりすぎて微妙に会話が成り立っていた。





「なんだ? もしかしなくても、ここの管理会社が買い付けたのか?」





「みたいだねぇ。公共機関向けの子たちは、評価試験もかねてコンシューマーモデルに先んじて納品されてたからさ。その繋がりでないかな?」





 半公営の特権ってやつか。というか、そもそもマリアだってその口だろう。受け取り拒否された機体がめぐりめぐって世界の裏側になんて、ローンチ前日に起きたにしてはいささかドラマチックすぎる展開だ。





「どうりで、大量の作業用ドローンを使役してたわけだな」





「ハッキングするまでもないよね。きっと正規のアクセス権限を付与されていたに違いないよ」





「照明のオン・オフだって自由自在、か」





 いつもの事とはいえ、またしても確信に踏み込めないもどかしさを感じる。物理的にコアをぶっ飛ばしちまったせいで、ソフト面で探りを入れることもできない。仕方がなかったとはいえ、せめてヴァージョン情報ぐらいは知りたかった。


 これでもしブラックアウトがバージョン66で動いてなかったら・・・・・・すべて元の木阿弥。ペトラ渾身のコンピューター・ウィルス説は、とんだ勘違いだったってことになる。


 袋小路だな。想像よりはるかに情報量に欠けていた残骸をまえに、2人揃って頭を悩ます。収穫なしってのはどうにも認めづらい。





「・・・・・・そういえば」





「ん? 何か思い当たる節でもあるのかい?」





 必死こいて記憶を探ってみたら、ふとあることが思い出された。





「駅で暮らしたイカれた夫婦について、聞いてるか?」





「う、うん・・・・・・小耳に挟みはしたけど」





「どうもあの夫婦な、第3世代をつかって、死んだ娘を蘇らせようと画策していたらしいんだ」





 俺の発言に、バイザー越しでもはっきり分かるほどに目を見開いていくペトラ。





「それメモリアでって、ことだよね?」





「日記によればな」





 そういえばあの日記、というか電子ノートはどこに消えたのだろう? どさくさ紛れに忘れてたが、あれが手元にあれば、貴重な資料になったかもしれないのに。


 民警に配備される予定だった、3つ並びの第3世代。その消息はほとんど判明していた。


 まず唯一の型番違いである101GIについては、望まぬ同棲生活中。102GIの片割れは、アレハンドロがたちが掻っ払ってからというもの行方不明。となるとあの夫婦が起動させたのが、のちの鹿の王となったと考えるのが自然だろう。


 逸れローグに成り果てるのは、第3世代のみ。これは数少ない、それでも得がたい発見だ。


 あの夫婦と鹿の王は、どうも一種の共生関係であったらしい。鹿の王が外敵を蹴散らし、駅の安全を保っていた。持ちつ持たれつ・・・・・・どこかこう、俺とマリアの関係性を彷彿とさせるな。





「上手く、いったの?」





(物理的に不可能だったでしょう。メモリアのリミットは、脳細胞が壊死するまでの30分足らず。遺体を発見した時点ですでに、かなり時間が経過していたみたいですから)





 “もちろん、日記の内容を信じるならですけど”。面倒ではあるが、同時通訳にもそろそろ慣れてきた。





「それでも、起動直後は襲われなかったって点は、無視できないだろ」





 でなきゃ、本来はバッテリー切れであるはずの機体が外をうろちょろしてる説明がつかない。これもまた、気まぐれな逸れローグならではと切って捨てればそれまでだが、マリアって身近な前例もあるしな。





(ふむん、最悪のパターンもあるうるかもしれません)





「ハッ、女体化以上のか?」





(これらの“狂気”がもし、進行性なのだとしたら・・・・・・)





 こうしてる間にも、じわじわと気が狂ってるのかもしれない。あのなと条件反射で答えようとして、まさかの可能性に背筋が寒くなる。自分の正気を確かめる方法なんて、どこにあるっていうんだ?





「いずれ自分もとか、そんなこと考えたりするかい兄?」





 通訳を怠っても流石の理解力。わが妹の人生はいつだって、この鋭敏すぎる頭脳に振り回されてきた。


 胸中をズバリと言い当てられて、素直に感心できる奴はそうザラにはいない。人見知りが先か、そうなってしまった原因が別にあるのか? ペトラの孤独にはきっと、病気以外の理由も潜んでいるに違いない。





「マリアとの共同生活は、結果的には大正解だったのかもね」





「あのな、いつも以上に話が飛び気味だぞ」





「道を踏み外さないように、互いに互いで目をくばる。それも相棒の大切なお仕事なんだって教えてくれたの、兄の方じゃない? だから記憶に齟齬が生じるのを覚悟したうえで、わざわざメモリアに案内役なんて制度を設けたんだよ」





「・・・・・・じゃあ何か? この状況も含めて、すべてお前の目論見どおりってことなのか?」





「まさかぁ」





 と、金魚鉢みたいな宇宙服のヘルメットを横に振るペトラ。





「難しく考えず、兄は兄らしさを貫けばいい。妹としてのペトラさんは、そう思うけどね」





 バイザーの向こう側に、なんとも気の抜けるにへら顔が浮かんでいた。信頼の証、その屈託のない笑みを見ると、やはりというか決心が鈍りかける。それでもいつかは、通らなきゃいけない道なのだ。





「・・・・・・ペトラ」





「ん?」





「俺はここを出ていく」





 藪から棒の告白に、立ち尽くすペトラ。





「それ・・・・・・どういう、意味?」





「取り決めたんだ。あの化け物を仕留めたら、俺は別の道をいく」





 こうでも言わなきゃ、ぽっと出の相手を仲間に引き入れることを、あの髑髏面が了承するはずもない。そういう政治的な打算もあるが、本心は別だった。





「そ、そんなことしなくたって、討伐の功績さえあれば」





「人里で人形は暮らせない」





 その考えは、今も変わらない。英雄気取りで車両基地に凱旋したところで、事態はややこしくなるだけだ。


 ならいっそ地上を目指そう。誰かがいずれはやらなきゃならないし、巡り巡ってペトラのためにもなる。理屈はそうでも、言葉を重ねるほど妹の顔に悲しみが宿っていった。





「・・・・・・ペトラさんを置いてっちゃうの?」





 その姿はまるで迷子のように小さく、か細く見えた。





「“メモリアは、倫理的問題のせいで死者にしか適応できない”」





 開発者なら知らないはずがない。常人の百倍は頭の良いわが妹はそれだけで、すべてを察したようだ。





「もし機械の体に魂を移し替えられるとしたら? そんなの、人類が長らく夢見てきた不老不死そのもじゃないか? なのに天下のモノリスはこいつを、犯罪捜査なんてえらく狭い分野にだけ適用させた」





 なぜなら、こいつの本質は魂のクローニング。移し替えるのではなく、あくまで複製コピーするだけなのだ。


 もし仮にメモリアの適用先が首切り死体なんかじゃなく、ごくありふれた成人男性だったとしても・・・・・・技術的にはなんの問題もない。オリジナルとまったく同じ経験情報を引き継いだ、ただのAI。元になったのが人間ってだけで俺は、マリアやアールと根っこはなんら変わらない、ひどくデジタルな存在なのだ。





「すべてのソフトウェアがそうであるように、メモリアもまた人格を無限にコピーすることができる」





「・・・・・・無限には、無理だよ」





「ああ。正確には、容量が許すかぎりか」





 第3世代のあり余るスペックを駆使しても、1機につき1人分までが限界。どのみちそういう問題でもないだろう。こいつは双子の弟に、兄の身代わりが務まるかという話と一緒だ。どんなに似たりよったりでも、他人に過ぎない。

 




「ラセル=D=グリスって男の全生涯を引き継いで、素知らぬ顔でこれからも生きていくなんて・・・・・・俺には、できない」





 最初から知っていた、だが目を背けていた。幼子のように立ち尽くすペトラの姿は、そんな本音をこれ以上なく物語っていた。

 




「・・・・・・見つからなかったの」





 ジッと辛抱強く待って、その果てにこぼされた謎めいた言葉。





「何がだ?」





「マ、マルウェアの痕跡」





 マリオロイドが暴走したのは、まず間違いなくアップデート66が原因だ。だがそいつは、状況証拠を重ねたすえに弾きだした、よく出来た仮説にすぎない。物的証拠は何一つないのだ。





「なんどもなんども検証したけど、やっぱり人形のフェイルセーフをかいくぐってウィルスを仕込むなんて、無茶があるよ」





「設計的にありえない、か。だとしてもあのSNSのログは?」





「バイアスが掛かってないと言い切れる? 世界がこんなになっても、ペトラさんはあの子たちが大好きなんだ。そうあって欲しい、そんな願望がアップデート66にウィルスが混入したなんて仮説にたどり着かせたのだとしたら・・・・・・」





「お前なら大丈夫」





 なんの解決にもならない、慰めの言葉。だが丸っきり無根拠ってわけでもない。生まれてから死ぬまでのある男の全生涯を、俺は覗き見たのだから。


 それでも今のペトラには届かない。





「・・・・・・独りは、やだよ」





 宇宙服のスピーカーを経由して、さめざめとした泣き声が室内に響いていった。





††††††





 始まりは、ただの趣味。世界を変えてやるとか、ご大層なことを企んでたわけじゃない。眼前に浮かぶYOU LOSEの文字にプッツンしちゃったのが、すべての切っ掛けだった。


 プレイヤーの五感を読みとり、ゲームの世界に反映する没入型VR。ゲーマーみんなが感じてたことだけど、あれってフィードバックの精度がイマイチなのだ。


 現実と見紛うばかりの仮想空間にリンクスタート!! なんて都合良くはいかない。兄の言い草じゃないけど最近のゲームは大したもので、ゲーム内のオブジェクトに触れれば感触が返ってくるし、匂いだって嗅げちゃう。でもそのどれもが服を何十枚も着込んでから触るような、不快なもやもや感を伴うのが普通だった。


 下手にフィードバックの精度を上げると、うっかり脳が“焼け”ちゃったりもする。だから玩具的には、ごく真っ当すぎる安全処置ではあると思う。でもそんなの、怒れるペトラさん的には心底どうでもよかった。


 非侵襲式じゃ限界があるって、病院から失敬した医療用ナノマシンをおもむろにリプログラム。丸一年ほど試行錯誤を繰り返し、これならいけると踏んだ時点でおもむろに脱獄ジェルブレイクをかまして、モノリス・ゲーミング製の機器に“成果物”をインストールしてみせた。つまりは、今でいうメモリアの原型がこれだね。


 盲点だったのは、お間抜けだにゃと嘲笑っていたセキュリティが実は、ひどく巧妙なハニーポットだったことだろうか?


 密かになされたサイレント通報のお陰で、こちらの個人情報はダダ漏れ。本来なら知的財産うんぬんでしょっ引かれる場面なのにどうしてか・・・・・・ひょっこり私のPCに届いたメールには、オジマンディアスCEOの名前が刻まれていた。


 実業家である以前に、あの人は本質的にはこちら側の住人ギーク。コードを読み解き、私の裏の意図にすぐさま気がついたのだという。


 まさかすぎるビッグネームの登場に、私はついつい己の分身――AIアシスタントのペトラ・Bさんと顔を見合わせてしまったものだ。


 自分的なものをフルコピーして、サイバー空間に落とし込んだ2人目の自分だから“ペトラ・B”。正直なところゲームで勝ちたいとか、そんな思惑はだいぶ前に脇に追いやられていた。


 科学の歴史にはよくあることだけど、テストを繰り返してるうちに別方面のポテンシャルに気がついてしまったのだ。もしかしたら、人間の思考をコンピューター上で完全再現できちゃうかも。そして手近な実験台といえば・・・・・・引きこもりに選択肢なんてあんまり多くない。


 振り返ると、怖いもの知らずにもほどがある。ふと気がつけば鼻から血をダラダラ流して、床の上に突っ伏してたことすらある。それでもこの研究に私は取り憑かれていた。


 だって私は、この世の誰よりも肉体の窮屈さを感じてきた。もしこの檻から解放され、デジタル・ワールドという無限に広がる世界に漕ぎ出せたのなら。自分では無理でも20台ものコアに分散、並列化されたペトラ・Bならば可能なはず。


 でもそれは結果的に、肉体と精神は不可分というごくありふれた結論に私を至らせた。


 窮屈でもこの体質は私の一部。でもネットを好き勝手に飛びまわるペトラ・Bには、そんな制約関係ない。内向的なままの私と違い、デジタルな彼女は、どんどん自由気ままな性格へと変貌していった。


 私宛てのメールの末尾に記されていた、ニューヨーク行きのチケットのリンク。プレゼンという名のペトラ・Bの発表会を経て、私はついうっかり一流テック企業に就職を果たしてしまった。


 完全リモート作業、同僚の顔すらわからない極秘研究部門というのは、なんだかとても性に合っていた。そんな部署を取り仕切るリチャード部長もまた私に親身に接してくれて、社会人も悪くないかもと思えてきた。


 でも社長のヴィジョンと部長のそれは、最初からすれ違っていたのだ。





“君は偉業を成し遂げた”

 




 開口一番、リチャード部長はそんな風に私を褒め称えた。





“人類から、死という病を取り除いたんだからね”





 どうやら私は、不老不死を研究するチームに放り込まれてしまったらしい。なんというか話が違う。わざわざホテルまで押しかけきた社長は、まるで違うことを話していたのに。


 肉体と精神は、不可分の間柄。人間らしさを生み出すには、息を吐き、息を吸う、そういったデジタル世界には不必要なプロセスまで再現しなきゃならない。でもそんなの、進化の袋小路にとっくに陥ってる人類に本当に必要なものなのか? というのが社長の言い分だった。


 人の魂をコンピューターに落とし込めるなら、そこから逆算してデジタルの生命体を創造することも可能になるはず。機械のロジックと、人ならではの閃きがあわさった人類2.0。その可能性を検証するために私の手を借りたいというのが、本来のオファーだったはずなのに。


 でもリチャード部長はもっと俗っぽい、天国のサービス展開なんかを考えていたらしいのだ。


 さあデジタル世界に転生だ!! 愛しい家族と、未来永劫ともに暮らそう!! その第1号として――厳密には、ペトラ・Bにつぐ2号だけど――リチャード部長は、みずから志願して人格のアップロードをおこった。


 今はまだサーバーの中だけだけど、いずれはマリオロイドを依り代に現実でも活動できるに違いない。なんというか、うん、大ヒット間違いなしな企画だとは思う。


 でもリチャード部長は多くの人と同様、AIを単なる道具なんだと思い違いをしていた。だけどデータ化された魂とAIとの境目は、そこまで明瞭なものじゃないのだ。そもそもAI研究の出発点は、人の思考の模倣に端を発しているのだから。


 “家族に会いたい”。そのささやかなAI部長からの要求は徐々にエスカレートしていき、ついにはセキュリティ権限を悪用した脱走未遂事件までも発生してしまった。


 対処法はものすごく簡単。ちゃんと言うことを聞いてた時期まで、AI部長を初期化ロールバックすればいい。でもそれって、殺人となにが違うのだろう?


 パソコンのなかの部長が正気を失うたびに、初期化が繰り返された。


 消しては蘇り、蘇っては消す。deleteキーを叩くだけで、自我をもった個人がいとも容易くこの世から抹消される。その度にみんなも早くこっちに来ればいいのにって、デジタルのユートピアで何十人目かのリチャード部長が朗らかに笑うのだ。


 そんな彼とは裏腹に、現実世界のリチャード部長はどんどんやせ衰えていった。


 自分は何者なのか? ありふれたアイデンティティ・クライシスにはまり込んで、あれほど円満だった家庭も崩壊。すべてにおいて身を持ち崩してしまった部長からの休職願いを受けとったあとオジマンディアス社長は、これで君の好きな研究ができるねと、祝福のメールを私のPC宛てに送信してきた。


 なし崩しに部門のトップへ。無尽蔵の予算と、世界最高峰の人材たち。誰もが羨む地位に、辺境生まれの引きこもりが就任する。きっと普通ならひどいやっかまれるにちがいない、だけどリチャード部長のあんな末路を目にした後では・・・・・・誰も文句をいわない。


 人見知りとはまた別の意味で――人間って怖いなと思ったのは、それが最初だったと思う。


 とにかく研究データだけは提出すること。それ以外は好きにしていいというのが、社長直々のお達しだった。自由といわれると逆に身動きが取れなくなる。何か無いだろうかと頭をひねった末にペトラさんが思いついたのは、兄が漏らしていたさる文句。





“死人が話せりゃ、もっと楽できるんだがなぁ”


 


 

 連日の徹夜を経てもまるで犯人を挙げられず、焦燥した兄がついこぼしてしまった愚痴。メモリアを犯罪捜査に転用してみてはどうか? 私のそんな提案に、成果ゼロで引き下がりたくないとチームのみんなも賛同してくれた。


 我ながら妙案だと思った。だってこれが上手くいけば、兄はもっと早く家に帰ってきてくれるに違いないのだから。


 これがメモリア・プロトコルの起源。ただの趣味からの、古来の錬金術師たちが夢見たような永久不滅の魂の探究を経て、一介の犯罪捜査ツールへ。私のわがままの積み重ねが、めぐりめぐって今の現実を作り上げていた。


 大切にしていた何もかもが壊れ、それでも生きていかなければならない。そんな現実に。





「えっと、大丈夫そうっすか? ペトラさん?」





 ちょっと意識が飛んでたみたい。手をバタバタさせて、トラムに詰めていた兄たちと交信していたソフィアさんが、心配そうにこちらを見つめていた。


 アイコンタクトは苦手。管制室の床にさっと視線を移し、大丈夫、大丈夫と苦笑いを浮かべてみせる。


 なんというか、やることがまるでない。ペトラさんのした事といえば、管制室のコンソールめがけてケーブルを突き刺すことのみ。ローンウルフの子たちが掌握した古臭いシステムは変わらずそこにあり、入室15秒であっさり手持ち無沙汰になってしまった。


 あらゆる異常をすぐさま検知し、元の状態へと全自動で修復してみせるMARIO.net。その万能性にあらゆるシステムが塗り替えられていく中、ここだけは時代から取り残されてるみたいだった。


 取り残される・・・・・・母は、物心ついた時にはすでに居なくなっていた。大好きだった父にかわって、兄が親代わりを務めるようになったのも、ずいぶん昔のことになる。


 でも今は独りきり。こんな、悪し様に言いたくないのに、心のもやもやが悪い方に思考の天秤を傾ける。


 家族を除けば、マリオロイドの研究だけが私の生き甲斐だった。でもそれだって、今はそんな人形たちを破壊するためのお手伝いをしている始末。ラップトップの青白い画面には、解像度低めな監視カメラの映像がうつしだされていた。


 じっと、画面上に浮かぶコンテナを観察してみる。画質があれだけど、よく見ればホログラム特有の揺らぎがちゃんとうかがえる。


 模倣するのは得意でも、その枠からはみ出るほどの独創性は人形AIにはない。そのことにずっと社長が葛藤を抱えていたのを、私は知っている。


 なのにブラックアウトって呼ばれてた子もそうだけど、逸れローグはそんな常識から外れている。ゼロデイ・クライシスを経てなお、みずからに課せられた職務に執着してる他の人形たちとは違って、なんというか、自意識が感じられるのだ。


 逸れローグになる条件は、本当に世代の違いだけなんだろうか? それかもっと別の、なんらかの法則が働いて・・・・・・だけど思考をまとめるには、ここはちょっと不向きすぎる場所だった。


 知らない男の人たちと一緒というだけでも居心地が悪いのに、2人の防衛隊員はこう、絶対に目を合わせちゃいけないタイプに思える。


 なんか頭ぴかぴかで指無しの人は、さっきから物憂げで俺に近づくなオーラを放っている。もう一方の目尻に涙滴タトゥーを刻んでる強面さんは、ありったけの医療器具をひろげてこの場所を野戦病院に変えようと、黙々と作業を続けている。


 兄からの豆知識。タトゥーって、裏社会的には履歴書代わりであるらしい。とくにマズイのは涙柄、あれは殺人犯の証なのだ。





「なんすか、それ?」





 だからペトラさんの心の拠りどころは、ソフィアさんだけ。ワイルドな兄とは正反対な元気だけど儚げで、色々な意味でおんなじ境遇にある女の子。そんな彼女が見つめてるのは、荒いにもほどがある監視カメラの映像だった。


 2000年代の動画並み、ノイズ混じりの白黒映像はどっちが上か下かすらも判然としない。だけど映っているのがこの駅じゃないことは、なんとなく分かる。





「こ、ここのシステムね? 水没のずーっと前に作られた独自の国産アーキテクチャがベースみたいなの。トラム運行にあわせてパッチを継ぎ接ぎすることうん十年・・・・・・絵に描いたようなスパゲッティ・コード状態になってる」





「あんのぅ・・・・・・うちの理解力ITスキル、ラセルさんと同レベルと考えてもらえると」





「MARIO.netとは一切関係ない、忘れ去られたオールド・ネットとこのシステムは繋がってる。名前からして、たぶん野鳥観察用のカメラかな」





 なんとなく察しがついたみたい。驚きに見開かれてく眼に、ラップトップのスクリーンが反射する。





「まさか、これって・・・・・・」





「うん、2年ぶりの地上の映像だよ」





 編集ソフトでアップコンバートを試してみたけれど、なんというか焼け石に水。あえて喩えるなら上向き加減のボケたドット絵、元の狙いが野鳥観察というなら、この画角の悪さも納得というもの。でも、期待していた光景でないのは確かだと思う。


 こっちの黒い塊は、サナギに成り果てたご遺体だろう。ふらふら歩き回ってるこちらの人型は、生身の人間じゃないのが一目瞭然。地上も、ここと瓜二つな状況みたい。


 どこに行こうとも、絶望だけが広がっている。





「こっちがプラットフォームで、これが電光掲示板・・・・・・でも肝心の駅名は潰れちゃって読めないねぇ」





「多分っすけど、シネランジア駅っすよ、ここ」





「大聖堂近くの?」





「母に連れられて、よく行ってたっすから」






 そう言って、寂しげに微笑むソフィアさん。家族といっても色々みたい。


 せっかくの新情報だけど、どうにもしんみりしてしまう。だって分かったところでって情報だし、地上に出れば安全かもって儚い希望も完膚なきまでに打ち砕かれてしまった。


 そこにぴょこんって、謎のポップアップが。





「? メッセージっす?」





 2年前なら普通でも、現代社会では異常事態。“見て見て!!”なんて、お気楽な文面を咳払いしながら誤魔化す。





「た、ただのAIアシスタントだよ」





「AIって、ちょっとちょっと・・・・・・」





 防衛隊の人たちは、めっきりセンシティブになってしまった二文字に気が付かなかったみたい。より一層に声を潜めて、とにかく通知をクリック。どうやら先ほどの監視映像の切り抜きみたい。


 ファイル名は、“7日周期っぽい?”。





「・・・・・・おんや?」





 ソフィアさんも気がついたみたい。瞬きするほどの一瞬だけど、確かに影が画面を横切った。





「鳥? いや、虫っすかね?」

 




 シークバーを戻して、スロー再生。核心部分だけ切り抜いて、噂の“AIアシスタント”に鮮明化できないか尋ねてみる。





「駅舎の壁と対比すると、鳥にしてはかなり大型だね」





「すったらドローンとか?」





「200g以上の機体は、市内侵入禁止だよ」





「そんな、たしかに人形は昔のルールを頑なに守ってるっすけど・・・・・・逸れローグって可能性も」





 この手のカメラにはありがちだけど、右下にタイムラインが表示されていた。時刻と影の向き、これで角度が割り出せる。





「ともかく商用機のサイズじゃないのは、確かだね。このクラスのドローンを保有してるのは、首都に陣取ってる第1無人化師団のみ。でもこの“影”は内陸じゃなく、むしろその逆から現れてる」





 東から現れて、おんなじ方角に帰っていく。早送りに早戻し、なんどもチェックしたけどやっぱりそう。この“影”の行動には規則性がある。





「・・・・・・海から街に?」





「うん。仮に動物だとしても不自然だよね? 渡り鳥の季節でもないし、そもそもこんな大型種、とっくに絶滅してるはずだもん」





 世がジュラ期ならワンチャンあったかも。けど世界最大の鳥であるアンデス・コンドルですら翼の面積は3メートルに満たないのだ。この影はそれよりもずっと大きい。


 測ったように同じ時刻に飛来するのも変。腕時計を身にまとう謎の怪鳥UMAでないなら、結論はひとつだけ。





「おそらくは航空機、それも影の速度からして、やや低速な回転翼機の部類だと思う」





 詳しい型番についてはちょっと・・・・・・一昔前なら、わからないことはインターネット先輩がなんでも教えてくれたんだけどねぇ。


 



「す――」





「す?」





「凄いじゃないっすか、それッ!!」





 おおうっ、陽気なオーラにおもわずたじろぐ。





「だって、人類がまだ生き残ってる証拠じゃないっすかこれ!!」





「どうして?」





「ど、どうしても、何も・・・・・・他に可能性が?」





「ほぼ無限にねぇ」





 パッと思いつくだけでもゆうに百はある。





「所詮は素人の憶測だもの。この推測はぜんぶ間違いかもしれない」





「んな、ちゃぶ台返しな・・・・・・」





「仮に人類の残存勢力が、そうだなぁ? 偵察とかを目的に有人機を飛ばしているとする。で、その機体とどうやってコンタクトするの?」





「それは、普通に無線とか」





「その通信周波数は? あれが軍用機なら、軍用MARIO.netリンク96の干渉を避けるために無線封止を行なっているはず。民間機だとしても、世界中の電波は有象無象のSOS発信で飽和状態。よほどの運が向かない限り、こちらの通信には応じてくれないだろうね」





 おもわぬ希望から一転、みるみる萎れてくソフィアさん。悪い癖だとは知ってても、事実の羅列が止まらない。





「それにもっと初歩的な問題もある。私たち、そもそも地上に出られる?」





 通信を試みるにせよ、狼煙とかの変化球で攻めてみるにせよ、どのみち地上に出るのが大前提。この駅に辿りつくまで実に2年。そのうえさらに地上へだなんて・・・・・・そもそも実現できるのだろうか?

 




「ぬか喜びって、ことっすかねぇ」




 

 残ったのは徒労感のみ。なんかこちらが申し訳なくなるほど、兄の彼女さんは肩を落としていた。おもわずこちらも膝を抱えて、蹲ってしまう。





「あっ!! いや、決して責めてるわけじゃあ・・・・・・あの、大丈夫っすか?」





「自分は兄じゃないって・・・・・・真っ向から言い放たれちゃった」





 あんなに警戒していたのにいつの間にかソフィアさんは、あの兄だけど兄じゃないあの人と普通に接していた。なんとなくだけど、分かる。きっとどこかで折り合いをつけて、前に進んだんだって。


 でもペトラさんには、そんな器用なこと出来ない。自分はすべてを失ってしまったんだって認めるのは、怖くて怖くてたまらないのだ。


 いっそ泣き出したいのに、どうしてか鼻水しか出でこない。ぐずぐず情けない声が宇宙服の中にくぐもっていく。





「初めましては、どうっすか」





「えっ?」





 やおら飛び出してきた意外な提案に、自己憐憫はあっさり吹き飛んでしまった。





「“何かを失っても、新しく始めることならできる”。うちは、そう思うっすけどね」





 まあ、母からの受け売りなんですけども。なんて、テヘヘと気恥ずかしげなソフィアさん。





「・・・・・・」





「あっ、なんかすみません。偉そうに」





「あの!! は、初めまして・・・・・・」





「はい・・・・・・はいっ?」





 教えられた直後にいきなり実戦、それも自分が対象になるとは想像もしなかったみたい。羞恥のあまり顔から火が出そう。それでもなんとか吃らず、話を続けることができた。





「あ、兄の彼女さんってだけで、友達って、わけじゃなかったし・・・・・・だ、だからっ、仕切り直しというか」





 PC越しじゃないリアルの関係は、私の臆病のせいで破綻するのがいつものパターン。距離感がわからない、今回もまた? そんな不安な私の眼前に差し出される、握手の求め。





「うちの名前は、ソフィア=レイヴェンと申します。どうも、初めましてっすね」





 グローブ越しのぎこちない握手。命懸けの戦いがすぐそばまで迫ってるのに、ふとした拍子に笑いがこだまする。奇妙な安堵感が、どうしてかぽかぽかと身体を温めていった。





「おい、ちっとは集中しろ」





 正直、そう注意されてもしょうがないと思う。目尻に涙柄を刻みこんでる防衛隊員の人からの強めの警告に、ひえっと、首を引っ込めてしまう。そんなだらしない私とは対象的に、ソフィアさん素直に謝罪していく。





「うっす。すいません」





「作戦の決行は?」





「2番目の爆弾に不具合が見つかったとかで、問題が解決され次第らしいっすよ?」





 なんか、すごく検のある態度。ソフィアさんの朗らかさのせいで、涙柄の男の人の不穏さがますます強調されてる気がする。


 これって偏見? それとも、嫌な予感には根拠があるというのは、本当なのか・・・・・・。





「・・・・・・口の利き方に気をつけろ」





 とりあえず穏便に。せっかくそういう方向で受け流そうとしてたのに、まさかまさかの横槍。指を失くしたスキンヘッドの男性が、射殺さん勢いで同僚を睨めつけていた。





「てめえ、どうしたってんだイシドロ?」





 どうにも不穏な空気。事態の急変ぶりに、流石のソフィアさんも付いていけてないみたい。





「シスターのご息女だぞ、敬意を払え」





「あ、あの、うちは気にしてないっすから」





 イシドロさん。そう呼ばれた、例によってたぶんギャング上がりだろう防衛隊員の人は、不安と苛立ちが半々という感じで貧乏ゆすりをはじめた。


 道中もそうだったけど、強気に出てみたかと思えば、神経質そうに殻にこもってみたり、その情緒不安定ぶりはペトラさん以上。これまではそういう性格なんだろうって思ってきたけど。





「大丈夫、すよね?」





 触れるな危険。どこに埋まってるのか分からない地雷を踏み抜かないよう、慎重にソフィアさんが問いかけていく。握りしめられた拳銃は、貧乏揺すりのせいで先ほどからガタガタ鳴りわめていた。





「・・・・・・あのコーヒーを覚えておいでで?」





「コーヒー、っす?」





「俺なりに努力はした、だけどいつまで経ってもゴミ扱い。そんな時にあなたは、俺にコーヒーを差し出してくれたんだ。ほら、あの気味が悪いストラップがついた」





 眉間にシワまで寄せて、必死にソフィアさんは思い出そうとしていた。でも、





「・・・・・・すいません」





「いいんです、覚えてなくて当然だ。あなたにとってはささやかな善業でも、俺にとっては・・・・・・シスターの百の説教よりも、心に響いた」





 兄が昔こぼしていた、覚悟を決めた人間の行動は読めないって。


 粒子同士がランダムにぶつかって、この世界は偶然によって産み落とされた。そこに必然を持ち込むのは、いつだって人の意思だけなのだ。


 すべてが一瞬、そのどれもがペトラさんの理解を越えていた。握りしめた拳銃をいきなり――仲間であるはずの涙柄の人の後頭部に振り落とすなんて、ちょっと脈絡がなさすぎる。


 にぶい打撃音。取り落とされたライフルが、管制室の床に転がっていく。





「イカれたのかッ?!」





「黙れッ!!」





 すでに顔面は血まみれ。見るだけでも痛そうなのに、涙柄の人は怒りが先に立っているみたい。それでも銃口の圧力には敵わない。


 もう何がなんだか。咄嗟に私を庇ってくれたソフィアさんは、壁に立てかけられた自分のライフルと荒れ狂うイシドロさんをまず見比べて、言葉での説得を選んでいった。





「どうして、こんな・・・・・・」





「ビビリだからさ」





「黙れと言ってるだろうがッ!!」





 なんだか、防衛隊を一番の目の敵にしてるみたい。指が欠けてしまった手を庇い筒不器用に鉄砲を構え、床に這いつくばるかつての同僚めがけて、容赦のない蹴りが飛んでいく。


 突発的なPTSDフラッシュバック、実は逃げる機会をずっと窺っていた? いくつかの可能性が脳裏をよぎるけど、どれもしっくりこない。





「さあ行ってッ!!」





 自分本位な行動なら、どうしてああも必死そうにソフィアさんに訴えかけるのか?





「それは、逸れローグからって、意味っすか?」





「何? 違うッ!!」





 もうすぐ決戦、逃げ出したくなる気持ちもわかるけど、だけど頭ツルツルなこの人が見ているのは、ここには居ない誰か。





「一歩でも遠く!! あなたの母君が来るまえに!!」





 誰もがマリオロイドを忌むべきもののように呼ぶ時代。切羽詰まった叫びには、どうしてか人形たち以上の恐怖に満ちていた。


 影が躍る。一瞬の隙をついて飛びかかった涙柄タトゥーの防衛隊員と、イシドロさんとの揉み合いがはじまる。





「背教者めッ!!」





 映画で見るのとはまるで違う、原始的な暴力のぶつかり合い。


 自分の倍近い成人男性同士の喧嘩。中途半端に飛び込んでも怪我をするだけ、そんなソフィアさんの逡巡が伝わってくる。すぐそばには、掛け値なしの怪物まで控えてる。助けてと叫ぶことすらままならない。


 やっぱり止めようか、それとも勧め通りに逃げべきか? あらゆる選択肢が――バンッ、轟く銃声に揉み消されていった。





††††††





(発砲音を検知。距離30、出本はまず間違いなく管制室です!!)





 マリアに指摘されるまでもない。なんなら長年の経験から、使われたのが45口径であることすら分かる。


 一体何をしてるんだ? 舌に苦いものが広がる。ペトラはもちろん、ソフィアのものでもない銃声が、計画を崩壊させていく。


 咄嗟に飛び出そうとして、ぶっとい上腕二頭筋に制される。珍しく焦った風の髑髏面が指し示したのは、のそりと身を起こしていく怪物の威容。





「・・・・・・聞いてた3倍はデカいぞ」





 ウーゴとかいう防衛隊員が、青ざめた顔してコンテナからのそりと身を起こす、ホログラム製のヘラジカの姿を見つめていた。


 いま飛び出せば、やつの餌食だ。座席に身を隠しながら3本目のワイヤー、プラットホームに仕掛けられた生き餌スマホ用のそれを手元に手繰り寄せる。


 事前の試験では、10回中10回とも起動に成功。実際、床を震わせるバイブレーションの音がここまで聞こえてきた。それでも奴の進路は変わらない。


 ホログラムの衣をチラつかせながら、一瞬ばかし首をめぐらせはした。だがそれだけだ。暴走人形の第一法則、奴らは何よりもまず人間の排除を優先する。銃声ってディナーベルに誘われるがまま、ひたひたと管制室に鹿の王がせまる。


 ガタリ、車体が揺れる。


 滑るようにそろそろと移動をはじめたトラム。ピグが操り、チュイが指示役を勤めながら、予定どおりにEFPのレーザー照準がやつの背中を追いかけていく。


 今ならやれる。起爆ボタンを押し込めば、砲弾並みの威力をほこる鉄片がすっ飛んで、やつをズタズタに切り裂いてくれるに違いない。だがその車線上にはいま、管制室が立ちはだかっていた。


 



「よせ、ご息女が巻き添えになる」





 起爆装置を手に逡巡していたポドフスキーに、髑髏面が声をかける。ムカつく野郎だが今回ばかりは賛成だ。あいつらを巻き込んでたまるものか。


 奴の気を引くのはそう難しくない、問題はそのあとだった。


 トラムに直せつ呼び寄せるわけにはいかない。EFPは強力無比だが、こいつは爆弾というより大砲に近い性質をもつ。接近戦では使いようがない。


 なるほど、ここが命の捨てどきか・・・・・・走って叫んで、せいぜい起爆までの時間を稼いでやるさ。





「無茶するぞ、ついて来れるか?」


 


 

(もう慣れっこです、これでも相棒さんですので)





 俺が先代の相棒に裏切られたって話は、どうも知らないらしいな。ま、どうでもいいか。


 すべてが過去の再現だ。管制室でのいざこざ、突然の銃声、そして英雄よろしく怪物に立ち向かっていく大たわけ。俺がアレハンドロの役割を担うなんて、どんな因果だ。


 作業の邪魔だと、座席に横たえたガリルACEを引っ掴もうとした途端、そのヒソヒソ話が耳に飛び込んできた。


 



「気張んなよポド、あんたは出来る子なんだからさ」





「・・・・・・チュイ姉?」


 



 不穏すぎる会話。よせ、と手を伸ばす暇もなく、覚悟を決めた表情で糸目の少女がトラムから飛び出していった。


 馬鹿野郎ッ!! 変な責任感を見せつけやがって、アレハンドロの二の轍を踏む気か!! 自分のことは棚に上げて、怒りが込み上げてくる。それは俺の役割だろうに!!





「忘れ物だ!!」





 考える暇もない。半開きのプラグドアに慌てて足をひっかけた俺めがけて、重い軍用ライフルを投げ渡してくる髑髏面。かなり気が焦ってる、自分の銃を忘れるなんて。


 あっけに取られてるポドフスキーの手から起爆装置を奪い、冷静に役割分担を告げてくる大男。





「合図しろ、こちらで合わせる」





 チャージング・ハンドルを短くひいて、人差し指でガリルの薬室をチェック。薬莢の感触を確かめてから、バカ娘の背中を追いかける。その点は心配してないとも、奴は元ブリーチャーだ、爆薬の扱いは誰よりも心得ている。


 ちょっとした障害物競争だな。小高い溝型線路を乗りこえて、コンクリの床を蹴立てて走る。


 相手はハッカー上りの元学生。普段なら足の速さで負けたりしないが、強化外骨格さまさまだな。チュイの両手足にはりついたアクチュエーターが、信じられないほどの速度を実現していた。


 このまま特攻とか勘弁してくれ。そんな願いが通じたのか、プラットフォームに差し掛かったあたりでチュイが膝をつく。


 白線の内側にもうけられた、屋内だってのにひさし付きの休憩所。ベンチと集煙機の狭間で、糸目の少女がなにかをしていた。





「何考えてやがる?」



 


 こちらの全力疾走に気がついてないのか、はたまた知ってて無視してるのか? 息切らしながらどうにか咳をこらえている俺に、鹿の王は無反応を貫いていた。


 ひそひそ声での説教は、どうにも迫力に欠ける。首根っこ掴んでトラムに引きずり戻したいのは山々だが、逸れローグが管制室にたどり着くまであと30秒。たまらない板挟みに、焦燥感ばかりが募っていく。





「あたしとアレの2人で始めたんだよ」





 一体なんの話をしてる? 





「お父さんを亡くして、あげく海の底に無理やり引越しさせられてさ。へこんでたあのバカを励ましてやりたかったんだ」





 錆ついた柱の表面をチュイがそっと拭うと、その下から“ローンウルフ・スクワドロン参上!!”なんて、まの抜けた落書きが姿をあらわす。





「偉ぶった大人ども張っ倒す。そう誓い合ったんだよ、この支柱が腐った休憩所の下でさ」





 金属製の外づけ筋肉、強化外骨格に包まれた足でチュイが柱を蹴飛ばすと、休憩所全体が軋みを上げる。


 狙い澄ましたかのような形状だった。三角形この屋根なら、すっぽりトラム用の溝型線路を覆ってくれるに違いない。強度はお察しだが、ほんの1秒ほど時間を稼げればそれでいい。





(計算終了。角度を誤らなければ、いけます)





 視界に被らせられる、ワイヤーフレームのシミュレーション映像。



 


(成功率は35.2%。現状では、最良のオッズですね)

 




 ただの馬鹿じゃなかった。したり顔したチュイが、勝ち気な笑みをこちらに向けてくる。





「たまには仲間を信用してみたら、“教官”?」





「お前・・・・・・」





 どうしてなんて、問いかける時間すらも惜しい。すべてを委ねるか、尻尾を巻いて逃げだすかの二者択一。後者はどうにも趣味じゃない。





「ぶっ倒せ」





「合点承知ッ!!」





 きっとトラム側からは、気でも狂ったと思われているに違いない。右と左、2本の支柱にひたすら蹴りをお見舞いするとんだ馬鹿騒ぎ。さすがの鹿の王も無視できなかったらしい。





(代わります!!)





 “スイッチ”。そうとも、力仕事は人形にやらせるに限る。


 肉と皮こそまとっているが、中身はチュイの強化外骨格とどっこいどっこい。マリアがタイツに包まれた細足を一閃させると、それだけで鉄製の柱がひしゃげた。


 木と同じだ、切込みを入れた方角に倒れる。バリバリいやな音が鳴って、かしいだ屋根から瓦が落下してくる。補修作業を長年にわたり怠ったツケが、ここに来て俺たちに味方してくれる。





「走ってッ!!」





 こうして聞くと、声質は同じでも俺とマリアの違いがハッキリわかる。女の子然としたのったり発音、だが同時に鬼気迫ってもいる声に、弾かれたようにチュイが駆け出していく。


 目指すは線路、かっこうの隠れ家だ。


 粉塵をまき散らかしながら、休憩所だったものが倒れ込んでくる。条件反射でつい目を閉じたくなるが、マリアはそんなのお構いなしにアイ・オプティクスをかっぴらき、うまい具合に線路のみぞにナノワイヤー製の防壁を展開していく。


 いつぞやペトラを守ったのとまるで同じ、銀糸の蜘蛛の巣。それが休憩所だったものをせき止め、俺たちとチュイが隠れるエアポケットを構築してくれた。


 策は成功。邪魔くさい瓦礫を足蹴にしながら、毛を逆立てたシカもどきが頭上を右往左往していく様が、わずかな隙間からうかがえる。


 あいかわらずの悍ましさ。ホログラムの覆いを突き抜け、関節が数珠つなぎになった奴本来の長腕が出現。すぐさま鉄材と屋根だったものを引っ剥がしにかかる。


 狭い檻に閉じこもって、牙をひけらかしながら泳ぐホオジロザメを観察するあれと同じ。わずかな空間に横たわり、避けるどころか正面から堂々とナノワイヤーを食い破ろうとしてる逸れローグの強引さを、息がかかるほどの距離で見守る。


 ねじくれた枝角。フェイクのそいつで地面を引っ掻いてるように見えるが、実際に掘削を担当してるのはあの100本の指だった。


 えらくサイケデリックな光景だな。分裂と結合をくり返して、ナノテク製の鉄線に引き裂かれるのもお構いなしに何百本もの指が、こちらの肉を抉らんと伸ばされる。





「スイッチ!!」





 瞬く間に返還される、身体のコントロール権。


 頭抱えてうずくまってるチュイを守りつつ、スペースの問題から小型のM&Pに切り替えての牽制射撃。怒涛の乱射を浴びせつつ、あらん限りの力で叫ぶ。





「エクスキュート!! エクスキュート!!」





 米軍との交流もしばしばな大隊バタリオン仕込み、英語音声での起爆の懇願。感情の欠けた化け物シカの瞳孔、そいつにふと一筋のレーザー光線が重なってく。


 インパクトImpacto


 黒い何かが高速でよぎったかと思えば、精緻な鹿の3Dモデルが刹那またたき、内側から破裂していく。その鮮烈さといったらない。


 雨のように降りそそぐ人工血液、爆風が俺のありもしない鼓膜だけでなく、地面をも震わせる。着弾地点はおそらく奴の腹だろうか。真っ二つになった怪物がよろめき、そのまま3番線のプラットフォームへと倒れ伏していく。


 辺りは飛行機事故の現場もかくや。肉片という肉片が飛び散ってる状況なのに、ホログラムはこりずに像を結ぼうとしていた。


 バグってるというのだろうか? むちゃくちゃになったポリゴンが四方に伸び散らかし、青赤黄色に色が踊る。だがそれも程なくかき消える。


 鼻腔をつんざく焼けたタンパク質の匂い。ナノワイヤーを仕舞い込み、鹿の王がこさえた穴から這いでた俺たちを迎え入れたのは、そんな悪臭だった。


 終わった・・・・・・のか? あまりに呆気なさすぎて、実感なんて湧きやしない。


 白状すると、理屈はともかくEFPを実際に使うのはこれが初めてなのだ。


 いくら戦争まがいのやり口が大隊バタリオンの流儀とはいえ、ギャングどもが戦車を持ち出してきた前例は一度もないし、仮にあったとしてもわざわざ自家製爆薬なんて使わない。倉庫にうず高く積まれてるロケットランチャーが勿体ない。


 そうか、ここまでの威力なんだなEFPって奴は。





「やったじゃん!!」





 無邪気に飛びついてくるチュイ。だがこいつも、俺の懸念をすぐ察したらしい。





「メモリア、でしょ?」





「・・・・・・なぜ」





「だってバレバレだもん。猫背といい、ポケットに手をいれて歩く癖といい、あれ絶対にやめた方がいいよ」





 駅中に散らばった残骸を飛び越えながら、髑髏面にウーゴの防衛隊ご一同さまがこちらに駆け寄ってくる。あまり長話はしてられない。糸目の少女が、口にチャックのポーズを決めていく。





「隠しごとはご法度。だけど互いの秘密は死んでも守れ、それが我らローンウルフ・スクワドロンの鉄の掟なのさ」





 どのみちこんなセンシティブな話題を、髑髏面の目のまえでする訳にもいかない。





「今はさ、素直に喜ぼうじゃないかね“真里亞さん”?」





 飛翔体は一体どこまで飛んでったんだ? 壁には穴、その向こう側は暗闇に包まれまるで見通せやしない。冗談抜きで、フロアの反対側まで突き抜けても驚かない。


 だが重要なのは、管制室への直撃は避けられたって点だ。


 すっ飛んでいった怪物の下半身部分。人形のパーツが生え散らかしてるグロテスクな肉塊が、車のフロントガラスに突き刺さった轢き逃げ死体よろしく、展望窓になかば埋もれていた。


 半壊状態の管制室、そんな窓ガラスの狭間からぶきっちょに転がり落ちてきたのは、ピンク色の宇宙服。それを目にした瞬間、肩の力が抜けていく。


 能天気にちょこちょこ手を降ってくるその子供っぽい仕草ときたら、つい膝から崩れ落ちたくなる。





「これで終わりか?」





 周囲の視線なんてお構いなしに、わが妹を抱きしめてやりたいのは山々だが・・・・・・あいにく髑髏面は、まだ警戒を解いていなかった。





「まだだ。コアを砕かないと」





「これのことか?」





 球形の大理石ってあんばいの、文字通り人形の核。大男が差し出してきたぶっとい手のひらの上には、そんなコアの破片が載せられていた。


 焼け焦げ、完全に砕け散ったパーツ・・・・・・ちょうど刻限、トンネルの照らしながらシスター率いる装甲列車も到着を果たした。


 ペトラは無事。チュイはいうまでもなく、十は歳をとった感じだがポドフスキーも、どうにかサムズアップを決めていく。爆風の煽りを受けたせいか、砕けた運転席の窓からは、ピグが涼しげな顔を晒している。


 死者ゼロ、目立った負傷者もいない。ついでにいえば、戦場から離れたところにある食料満杯のコンテナだって無傷。完全勝利といっていいだろう。




 

「オー・セブン・ハンドレッド」



 


「あ?」





 なのに、髑髏面はいつも通りの無愛想さを貫いていた。





「AMでも、朝のでも、好きなように呼べばいいが・・・・・・あなたはオー・セブン・ハンドレッドと呼んだ。なんとも奇妙な話じゃないか」





「伝わったならそれでいいだろ」





「その略号の使い方は欧米式、それも普通は軍隊関係者のやり口だ」





「どうせ出ていく、詮索はやめろ」





「ラセルお前なのか?」





 ギョッとして、つい固まる。


 チュイについては、まだ理解できる。だが、いくら俺たちの古巣たる大隊バタリオンが米軍仕込みの無線符号を使ってるからといって、いきなり俺の名前を言い当ててくるなんてありえない。


 メモリアという超科学、その仕様をちゃんと把握してなければ、たどり着けない発想だ。


 以前よりも、ひと回り小さくなってしまった背丈。そのせいでますます、奴の威圧感が強調されてるような気がした。シスターの右腕にして――かつての俺の相棒パルセイロ。マーフィー=ハドソンがささやく。





「シスターは正しかった!!」





 嫌な予感にうなじが栗立つ。俺はこいつが、胸に9mm弾を喰らいながらギャングを殴り倒した場面に鉢合わせたことがある。長い付き合いだ、こちらがそろそろとガリルの銃把に触れていくのはお見通しだろう。


 それでも勝てる。奴は腕力、俺は射撃術。マリアとまったく同じ役割分担で長年やってきた。反射神経ではこちらが上だ。


 ぴょんぴょん飛び跳ねながら、仲間たちに手を振ってるチュイは事態に気付いていない。えらく神経質そうに爪を噛んでるウーゴとかいう優男の手には、いつの間にかタウルスの9mmが握られていた。





「・・・・・・何を考えてる?」





 声のトーンから、こちらの本気はとうに伝わったはず。ゆえあらば撃つ、元相棒だろうが容赦はしない。





「分からないか?」





 宗教関係者にありがちな、活力に満ちているのに虚ろな眼差し。自分の言葉に酔いしれるように、マーフィーの野郎が言う。





「お前こそが俺たちを救う、魂の方舟なのだ」





 “やれ”。年嵩の元同期が放つ、冷酷な命令。





「・・・・・・すまない」





 掛け値なしの謝罪の言葉。申し訳なさそうな顔をして、優男の防衛隊員が何も知らないチュイの後頭部に銃口を向けていく。


 遅い。奴が口をひらく前に、すでにガリルは跳ね上げおわっている。あとは引き金を絞るだけでいい。なのに、愛銃はぴくりとも動かない。


 条件反射で弾倉を叩き、薬室に込められた初弾を廃莢。貴重な1秒を無駄にしながら頭を悩ませる。ソフィアと武器を交換してから一度も発砲していないのに、どうして空薬莢なんかが詰まってやがる? 使用済みのケースじゃ、撃発なんて不可能だ。


 一度だけ、ガリルが他人の手に渡った瞬間がある。そうとも、“忘れ物”だとこのライフルを放って寄越したのは、どこのどいつだ?


 少年の言葉にならない叫びが、トラムの方角から轟く。乾いた銃声、膝から崩れ落ちていくその姿を俺はよく知っている――事切れたチュイが、呆然と立ち尽くすウーゴの足元に転がっていく。


 ジャムクリア。ほんの1秒、それでもあまりに遅すぎた銃撃をクソったれの殺人犯に浴びせかける。


 奴は死んだ、チュイがそうであるように。


 大切な仲間を殺され、嘆きの声をあげているポドフスキーの背後から影が迫る。隻眼の防衛隊、そいつが握りしめたナイフが少年の腹を突く。


 距離30mからの速射。当たるかどうかも微妙なラインだったが、肩を弾かれ、トラムの車内に慌てて隠れていく片目の男。傷を負いながらもその背中を追いかけていった髭面の少年が視界から消えるなり、パッ、パッと車内で銃口炎が交錯していった。


 裏切りだ。シスターの命令の下、防衛隊は俺たちを皆殺しにするつもりだ。


 思考が赤く染まる。怒りで気が変になりそうだった。


 兆候は絶対にあったはず。マーフィー、このクソ野郎に嵌められるのは、これが初めてじゃないってのにッ!!





「お兄ちゃん、後ろッ!!」





 あんな大声、出す奴じゃないのに・・・・・・裏返ったペトラの警告に従い、180度のターンを決める。


 構えたライフルの銃口、そいつを大男の怪力が脇へと薙ぎ払っていく。





「貴様こそが我らの恩寵ッ!! どうしてそれが理解できないッ!!」





 戦技もクソもない。ただひたすら力任せの首絞めが、俺の喉をギリギリ痛めつけてくる。人形の身体でなければ、とうにぽっきり首の骨が折れていたのは疑いの余地がない。


 力の差が絶望的すぎる。息が出来ず、視界が霞む。


 爪を突き立て、駄々っ子のように蹴飛ばしてみてもビクともしない。されるがままに持ち上げられ、両足が地面から離れていった。





「人々を救うのが、俺たちの使命だったはずだろうッ!? それを果たして何が悪いッ!!」





 部隊章を模した髑髏柄のタトゥーが、やつの興奮に歪に歪んでいく。





「グッ、ぎっ・・・・・・」





 ベンチプレスで100kgをあげられる巨漢に、力で敵うはずがない。そんな常識は、マリオロイドには適用されない。


 “スイッチ”。本当にちゃんと口ずさめたのか、我ながら半信半疑だった。それでも首の違和感はそのままに、俺の両手がひとりでに上がっていく。





「なッ?!」





 相手の手首を掴んで、どうにか首元から引き剥がそうとする。そんなことしたって、相手にもならないのが普通だ。


 だが、マーフィーの顔がみるみる驚愕に染まっていく。血管が浮かび上がるほどに力をこめてるのに、女の細腕に力負けしてるのだから当然だろう。


 そして、ボキリと聞くだけで痛々しい骨折の音色に、顔面タトゥーの大男がたたらを踏む。





「申し訳ありませんが、今回だけはちょっと手加減しかねます」





 人当たりの良さだけが取り柄のピンク髪にしては、意志の込められた言葉遣い。


 骨が飛び出し、ぶらぶらと手首が振り子のように揺れている。それでも野郎の戦意は衰えることなく散弾仕様のリボルバー、タウルス・ジャッジをどうにか引き抜こうとしていく。それを見逃すほど、いまのマリアは甘くない。


 控えめにいっても巨人と小人の対決。なのに三つ編みの小娘が残像たなびくほどの打撃を放つたび、ジャガイモ入りの袋のよろしく、マーフィーの野郎が地面に這いつくばっていく。





「マーフィー=ハドソン刑事。軍警の捜査部門に属する、2等軍曹・・・・・・それで間違いありませんね?」





「・・・・・・人形風情が」





 力量差は歴然としていた。巨人も這いつくばれば、こうして見下ろすこともできる。


 バトンタッチだ。マリアから俺へ、選択が委ねられる。





「ぐぁッ!!」





 折れた手首を思いきり踏みつけてから、元相棒の鼻先にガリルの銃口を突きつける。視界の端にうつる、少女の亡骸。ふっと気を抜けば、なけなしの理性が吹き飛んでしまいそうだった。





「話せ」





 必要なら拷問も辞さない。そうやって違法ギリギリの捜査活動を誰あろう、この男と共にこなしてきたのだ。


 負けたというのに、顔面タトゥーを歪めながらマーフィーがせせら笑う。





「別に・・・・・・難しい話じゃあるまい」





「人形の身体に乗り移るつもりか?」





「ああ」

 




 奴の言動から、そうじゃないかと踏んではいたが。





「どうしてだ?」





「そんなの決まってるだろう・・・・・・周囲を見渡してみろ。もはやこの世界の支配者は“人形”どもだ。仮に外に出られたとしても、この世界の支配者が奴らである事実は揺るがない」





 今となってはくだらない狂信者。だが元をただせば、実利100パーセントの筋金入りの特殊部隊員リアリストだったのだ。


 シスター肝入りの方舟計画がどれほど無謀であるかは、計画の草案に携わったに違いないこいつが一番よく知っているだろう。





「“勝てないのならば、同化するだけのこと”」





「・・・・・・お前の言葉じゃないだろ」





 修道服に身を包んでおきながらまるで宗教関係者らしくない、まさしくシスターらしい言い草だった。





「ネアンデルタール人の末路とおなじさ。種としては敗れたが、その遺伝子は現生人類と混ざり合い、現代にも引き継がれている」





(まさか、メモリア・プロトコルで進化論の真似事をするつもりですか!?)





 なんというか、笑みが溢れるな。俺もコイツも単なるくだらない平警官にすぎない。自分のものでない台詞を賢しげに語っていくそのさまは、滑稽なだけだ。





「・・・・・・終わりか?」





 そう、マーフィーが尋ね。





「終わりだ」





 と、ガリルのセイフティを外しながら俺は答えた。


 どんなに屁理屈を並べようが、結末は変わらない。これまでもそうしてきたように、罪に報いるのは銃弾だけだ。





「どんな姿になろうと、ほんと変わらない奴だなラセル」





「お前とは違ってな」





 捜査のためにこのビルに居合わせ、そのまま同じ避難所で厄介になったかつての相棒。似たり寄ったりな境遇でも、たどり着いた先はまったく別の場所だった。


 相棒だった、無二の親友だった。二児の父らしく引っ込み思案なペトラともそれなりに馴染み、ささやかな誕生パーティーにだって招待したこともある。





「さあ、やれ」





 だがどんな麗しい過去も、血臭漂うこの場じゃなんの意味もたない。





「親父さんの不慮の死に、ペトラちゃんの病気。お前はいつだってそうだ。社会から浴びせられた理不尽を暴力で発散するだけの警官とも呼べない――ただの殺し屋だろうがァッ!!」





 それをよりにもよって、お前がほざくのか。


 カチリと、ガリルのツー・ステージトリガーを第一張力まで引き絞る。ほんの数mmばかし人差し指を動かす・・・・・・それだけで、かつて友と呼んだ男の脳みそは6.8mm弾によってシェイクされ、積年の因縁からついに解放される。


 道を違えたかつての相棒に、この手で引導を渡すのだ。





(ラセル刑事・・・・・・)



 


 マリアの憂い声。こいつは警察官としての職業倫理からかけ離れた、超法規的な処刑行為なのだ。


 世界の破壊者から道徳心についてお説教をかまされても、屁でもない。だが遠くからジッと、宇宙服のバイザー越しに見つめてくるその潤んだ瞳は・・・・・・わずかばかりの躊躇を呼び覚ます。


 あいつにとって俺は本物の兄貴なんかじゃないが、それでもずっと遠ざけてきた暴力の世界を間近で、それも人生を懸けて大切にしてきたマリオロイドが手を汚していく様を見せつけるなんてのはやはり――そんな一瞬の迷いが、俺に異変を気づかせた。



 


「・・・・・・冗談きついぞカリャーリョ





 状況を忘れて、マーフィー野郎すらも悪態を放つ。


 どうやって肉塊をひとつに纏めているのかと思えば、どうやらマリオロイドの語源たる糸繰り人形と似たりよったりな原理であるらしい。


 俺の銀糸の右腕とまったく同じ。意志を持ったかのように極細のナノワイヤーが駅の隅々まで這いずりまわり、散らばったパーツが一箇所にかき集められていく。


 手術と一緒だ。結び、束ね、あのおぞましい群体が急速に再構築されていく。


 考えてみれば当然だな。何百体もの人形を自分の血肉にしたということは、コアの予備だって潤沢にあるってことだ。魚の卵よろしく密集した無数のコアの表面に、“再起動REBOOT”の字がいっせいに浮かんでいく。





自我AIをコアのすみずみに分散して!?)





 脳内同居人の推測が当たりかどうかは、この際どうだっていい。


 鹿の衣を脱ぎ捨てて、肉体が折り重なったグロテスクなトーテムポールが、膝を振るわせながら立ち上がっていく。その中心に収まったおそらくは、鹿の王と呼ばれる逸れローグの根源。小柄な女が無機質な赤い瞳をほとばしらせながら、こちらをジッと見つめてきた。





「おい、相棒」





 条件反射でふり返ると、隠し持っていたらしい閃光手榴弾フラッシュバンのピンをちょうど、マーフィーの野郎が引き抜いていくところだった。


 光って、バンッと鳴るから、フラッシュバン。目がくらむほどの閃光がほとばしり、視界を黒丸が埋め尽くしていく。





(リミッター発動。再起動までしばらくお待ちください)





 原理は違えど、結果は生身とおなじだ。身動きが取れない。


 どうにか幻惑から立ち直ると、すでにマーフィーの姿は消えていた。どうでもいい、今はもっと重要な優先順位がある。





「隠れてろッ!!」





 怪物の注意をこちらに惹きつけたいって思惑もある。


 何が何だかって雰囲気だったがそれでも、俺の切羽詰まった叫びに、運動神経が絶滅してるなりに最速で管制室に引っ込んでいくペトラ。





「こっちだ!!」





 蘇った怪物めがけてライフルを乱射しながら手近な掩体、トラムへと駆けていく。あっちがどういう状況なのかさっぱりだが、まだ第2のEFPが残されているはず。仕留めきれはしなかったがそれでも、現状ではあれがもっとも強力な武器なのだ。


 撃っては、走る。


 俺に残された最後の俺らしさ、妹だけはこの身に代えても守らなくちゃならない。


 裏切りの余韻も、守れたはずの命を失った虚しさも、何もかも封じ込めながら必死に足を動かす。そんな俺の背後から、ひたひたと生っぽい足音が追いすがってきた。


 そうとも――戦いはまだ、終わっちゃいない。




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