Chapter X “ 短い間でしたが、お仕えできて光栄でした”


 水漏れはもこのビルの風物詩。とはいえチュイが染めてくれた自慢の青い毛先にぴたぴた滴るさまは、ウザったいことには変わりなく。


 エレベーターシャフトにたまった灰色の汚濁がうずを巻いてる、ここはビルに無数にある浸水地帯のひとつ。不快指数バク上がりな悪臭といい正直近づきたくもありませんが、あいにくここはショートカットのスタート地点。水面下に隠された亀裂にどうにか身体をねじ込めば、はるか中層までつづく水中回廊が姿をあらわすのです。


 調達班と防衛隊、臨時編成されたわれわれの最後の準備ステージングエリアがここでした。


 目当ての品をちゃんと持ち帰れるよう、普段なら装備は必要最低限。ですがあの男にいわく、今回のわれわれの目的は調達にあらず“戦争”なのです。銃、弾薬、ナイフ、そして爆弾。おもいおもいの危険物が床一面に拡げられていた。





「なあ・・・・・・ピグ」





 来るべき水中散歩にそなえ酸素ボンベを弄っていた私の手を、ポドの憂い声が止めさせる。





「あの人たちってなんてーか、ダメな大人の筆頭だとばかり思ってたのにさ」





「隊長と、あの阿呆のことですね?」





「ああ・・・・・・でもいざ居なくなったら、あんがい助けられてたんだって急に実感が湧いてきてさ」





「いつになくおセンチですね」





 まずダ・シルバ隊長が逸れローグにひき肉にされ、続けざまアレが、そしてラセルの阿呆までもがつい今朝方――首切り死体となって発見された。こう見えても調達班の最年少。相次ぐ人死に、さしものポドも堪えているようでした。


 ほんの数日前に7人で出発して、いまや残りは4人のみ。それも失ったのは中核メンバーばかりとくれば、気も重くなろうというもの。この私が臨時リーダーに任命されるほど、事態は逼迫しているのです。





「教官をやったの、絶対にシスターだぜ・・・・・・」





「ポド、やめな」

 




 いつもは飄々としてるチュイが、声を潜めて弟分を諌めます。なにせすぐ横では、噂のシスターの子分どもが銃火器ならべて、物騒なフリーマーケットを気取っているのですから。





「犯人はアイツらだ、そうに決まってる・・・・・・」





 まあ、以前からあの男とシスターのごたごたは有名でしたからね。まして防衛隊のメンバーのほとんどが、脛に傷ある者たちばかり。ギャング上がりからすれば、殺人なんてお手の物でしょう。





「どうだろ」





 誰もが思い浮かべる簡単すぎる推理。それにチュイは、慎重な待ったをかけていく。





「なんだよチュイ姉、他にあるとでも?」





「だってさ、あの人の性格を考えてみなよ。ここ一番ってときにラセル教官ほどの凄腕を暗殺したりするかな?」





 奇妙な話ですが、この私たちですらある種の信頼感をシスターに寄せていました。


 合理主義の権化といいますか、目的のためなら手段を選ばないマキャベリズムこそがあの女の本分。なのに経験豊かな戦術指揮官をこのタイミングで暗殺する? 利害だって一致していたのに?


 ここで食料の確保に失敗すれば、いの一番に影響を受けるのは誰あろう、あの女とその信者たちなのです。娘とあの男のご乱行ぶりに心痛めていたとしても、ここでやらかす理由はまるで見当たりません。





逸れローグを倒して、みんなが油断してるところに背中からとかなら、むしろらしいけどさ。密室殺人なんて・・・・・・シスターぽくないよ」





 密室殺人とは、ミステリーの常道ですが、これもまた事態をややこしくしてる原因でした。


 遺体の第一発見者は、誰あろうシスターの実子たる宗教娘とラセル妹。


 故人と同居していた2人は深夜4時ごろ、被害者ことラセルの阿呆が謎の人物に呼び出される場面を目撃。ちょっと出かけてくるとだけ言い残して、かれこれ1時間。さすがに遅いと探しにでてみれば、濡れた靴跡が民警の輸送用車両まで続いてるのを発見したらしいのです。


 ですが電子錠によって扉は施錠されていた。





「あれは警察バッジでしか開きません。そんなこと、ポドなら百も承知ですよね?」


 



 大きな声では言えませんが、私たちローンウルフこそがあのトラム窃盗事件の真犯人。仕様についてあれこれ説明されずとも、裏の裏まで知り尽くしていた。


 予備管制室に仕掛けたラズベリーパイでもってシステムを掌握しつつ、監視カメラを無力化。それからコンテナの死角に隠れて車内の荷物を運び出し、それらをアレの自宅へと隠匿した。


 だから私は言うのです。





「これじゃ開かないと気づいて一旦ねぐらに舞い戻り、ダ・シルバ巡査部長のバッジを回収してふたたびトラムへ・・・・・・じゃあ犯人は、一体どうやって扉を開けたんでしょうね?」





 訪ねてきたのが誰であれ、ラセルの阿呆が持っていったのは護身用のハンドガンのみ。自前のバッチはつい先日、駅でのどさくさで紛失してしまったらしいのです。


 これもまたミステリーの一部分。あの扉はシンプルであるがゆえにハッキングが通用しないことぐらい、私たちが一番良く知っていた。


 密室に、首切り死体。世が世なら世間のトピックは、これ一色に染まるぐらいの大事件です。ですが世界の終焉からすでに2年もの年月が経過しているのです。


 もちろん騒ぎにはなりました。ですがそれはそれとして、食料確保のための遠征を先延ばしにすることはできません。なにせ食料はもってあと1週間・・・・・・そのシスターの爆弾宣言が、あらゆる問題を吹き飛ばしてしまった。

 




「噂をすればだぜ」





 堂々と唇を尖らせてるポドと、我関せずとばかりに急に荷造りにとりかかるチュイ。となれば、あの威圧感たっぷりの巨人の相手ができるのは、私しかいません。





「ピグマリオン隊長」





「そのしゃちほこばった言い回し、趣味じゃありませんね」





 身長2mちかい顔面タトゥーの大男は、その背丈に反したえらく腰の低い態度でもって、私に接してきました。





「せめて隊長代理と。本来なら、適任者は他に居たんですから」





「では隊長代理・・・・・・何か問題でも?」





 あのたっぱに、メキシコの祭日たる死者の日を連想させる顔面のタトゥーまで加わって、威圧感はあいかわらず超一級。だからといって遠慮してやる義理なんてありません。





「特には。ラセルの阿呆を殺したのはお前らかと、ちょっとばかし噂に花を咲かせていただけですから」





 ギョッとして固まる仲間たち。ですが、シスターの懐刀である髑髏面の鉄面皮は揺らがない。





「利点がない」





「お前も大概に、説明下手なことで」





 まあ、その点はこちらも一致した見解というのもおかしな話ですね。


 ウドの大木が顎をしゃくります。そこではシスターが寄越してきた総勢7名の防衛隊員たちが、準備に明け暮れてました。その手慣れてない感じときたらもう、背中がゾクゾクする類でして。


 これまで安寧と避難所で縮こまってた代償ですね。鉄砲の扱いは大得意でも、それ以外はダメダメでした。





「あれを見てみろ。ムショに入るまで、靴紐の結び方すら分からなかった者たちだ」





「別に、ぜんぶがぜんぶ刑務所帰りってわけでもないでしょうに」





「まず指揮系統をハッキリさせておきたい。現場の指揮は、すべてあなた方に一任する」





「それは構いませんが・・・・・・女でかつ子どものダブル役満に頭を垂れるおつもりで?」





「1日の実戦は1年の訓練に勝る。その反感を抑えるのが、己の役割だと自負している」





 武人の鑑ですね、なるほどシスターが重用するわけです。その頼もしさがむしろ勘に障ったのか、食って掛かるポド。





「誤魔化すなよタトゥー野郎。他に犯人候補がいるなら挙げてみろってんだ」





 しばし黙りこくり、やおら口を開いた結果がこれでした。





「殺人事件のほとんどが、近親者による犯行だ」





 おもわず吹き出しかける。





「でしたら犯人候補の筆頭は、あの宇宙服娘ですか」





 ひぎゃあと情けない悲鳴を上げて、ボンベからあふれだす酸素にあたふたしてるピンク色の宇宙服。あれがうちの新入隊員でした。


 兄という守護者を失い、ラセル妹の立場はますます危うくなってました。そのための防衛策なのは、見え見えですね。ペトラ=A=グリス名義の入隊届けの受理こそが、私の隊長代理としての初仕事だったものです。





「ああまで守ってくれた肉親の首を刎ねて、それから兄の代役とばかりにしれっとチームに加わる。お前の推測が正しいなら、とんだサイコ娘ですね。それも、あの男にベタ惚れしていた宗教娘まで説き伏せて」





 横からバルブをキュッと締めて、ラセル妹を救い出してく金髪褐色なシスターの愛娘。年齢的にはあちらが下のはずですが、端からはベビーシッターとでかい赤ん坊にしか見えません。





「だが最愛の兄は失ったばかりにしては・・・・・・まるでショックを受けてる風でもない」





 そこはまあ、少し引っかかりを覚えはする。


 人の情に疎いとよく称される私のこと、なにかサインを見逃してる可能性は否定しませんが、吃り、すぐキョドつくあの挙動不審ぶりからして、腹芸ができるタイプとも思えません。





「・・・・・・まあ、どのみち食料確保が最優先ですよ。犯人探しは一時棚上げにして、そっちに注力すべきでしょうね」





 私、ポド、チュイ、宗教娘と、あの珍妙生物をくわえた我ら調達班が計5名。そこに髑髏面を筆頭とする7名の防衛隊員があわさり、数字だけなら12名とそれなりのものではあります。


 ですがその内実ときたら、チームワークのあとに括弧笑いとつく急造チーム。泣いても笑っても、これがこちらの全戦力でした。


 不安はありますが、やるしかない。その点は、このシスターの処刑人も同意見らしく。





「ここを凌がねば人類に未来はない。その点だけは一致した見解のはず、違うか?」





 差し伸ばされた握手の求めを、鼻で笑って拒否します。私にはその手が、アレの血で染まってるようにしか見えませんから。


 反感は押し込め、役に徹する。スケジュール的にそろそろ出発の頃合いでした。


 



「ブリーフィングを開く、集まれ」





 天に向けて手をくるくる回すのは、集合リグループの合図。そんなラセルの阿呆の教えは、新参者たる防衛隊員たちは知る由もなく、反応はなし。





「集合」





 間に髑髏面を挟まなければ、こんな単純な指示にも従いませんか。


 とにかく頭数がいる、そうシスターに吹っかけた過去の己を問い詰めてやりたいところ。こうまで烏合の衆となると、いっそ自分たちだけでやった方がまだマシだったかもしれませんね。


 忠実な副官よろしく、私の隣で腕組みしていく巨人。コイツが睨みをきかせてる限りは大丈夫そうですが、どんな命令もワンテンポ遅れると、計算に入れておく必要がありそうでした。





「これから水中回廊を経由して、ビルの中層階まで移動します」




 

 さながら教師よろしく、慇懃丁寧にあれこれ説明します。





「ダイビング未経験でも大丈夫なよう、目印となるロープはとっくに設置済みです。右手にロープ、左手には酸素ボンベ、それを守るだけで基本はどうにかなります。ちらほら溜まり場エアスポットもありますし、ともかく手元の酸素残量にだけは気を配れ」





「おい姉ちゃん、ポイントAはどうしたんだ?」





 質問は望むところですが、その野卑な口ぶりにはさっそく辟易させられる。





「そっちにはサメでも出るのか?」





 スキンヘッドに、首までびっしりのタトゥー・スタイル。イシドロでしたね? 族上がりらしき防衛隊員がくだらない冗談を飛ばします。


 青い髪をした小娘にとやかく言われたくない、そんな本音がダダ漏れでした。誰も笑ってなんていませんが、同調する動きは垣間見える。マウント合戦はお断り。それでも今のうちに締めるとこ締めておかないと、そのツケは私たちにも回ってくる。


 はぁ、まったく・・・・・・やれやれですね。





「勘違いしてるようですが、このBは人名由来ですよ。道中、水で膨れてブヨブヨになったブルーノがひょっこり顔を出すでしょうがパニくるんじゃねえ。でなきゃ今度は、お前の頭文字で呼ぶ羽目になりますからねぇ」





 こいつらが勇敢にも後方で待機していた頃、代わって血を流してきたのは私たちなのです。





「気にくわねぇな。わざと危険なルート使ってるんじゃないのか?」





 いやに突っかかってきますね。


 これ見よがしに舌打ちしていくポドに、肩をすくめるチュイ。お通夜状態の宗教娘と、その背中にこわごわ隠れてく宇宙服娘。場に流れるイヤな空気を、床にダンと足を叩きつけることで強制的に払っていく髑髏面。


 ま、好きに吠えてればいいですよ。説明を続ける。


 それからしばし細かなノウハウの伝授が続きます。音を立てないよう荷物の隙間はタオル等でふさぎ、服の出っ張りはバタつかないよう防水テープを貼るか、いっそ潔く切り取るべし。水中で引っかかったら命取りになりますからね。CVダズルの見本はこれ、人形と接敵したさいの立ち回りについては――エトセトラエトセトラ。


 意外かもしれませんが、あの男はあれでマニュアル化に余念がないタイプだったのです。伊達に教官と呼ばれてなかったと申しますか、オール手書きの戦術教本には、こういった対マリオロイドの真髄がこれでもかと書き殴られてました。


 数は少ないものの、その層は意外と分厚いのです。ラセルの阿呆はもちろんのこと、私たちの装備の一切を面倒みてるデュボア老人もまた腕前はなかなかのものでした。


 手縫いでも強度十分な自家製プレートキャリアをみんなで羽織り、その肩に目印としてケムライトを結えつけていく。





「件のガイド用ロープですが、補足事項がすこし。あれには要所ごとに結び目がこさえられてまして、ひとつなら難所あり、ふたつなら避難所近しって意味です。ただし1箇所だけ、結び目みっつのところがあります」





「そこには何が?」





 質問者はもっぱら髑髏面。部下どもと違って、真面目で献身的。演技ってわけではなさそうですが。





「結び目みっつは、ブラックアウトの縄張りに入った合図です。電子機器が狂うので、その旨ちゃんと覚悟しておけ」





 だからこそのケムライトなのです。これなら電気はもちろん、無線通信などの脆弱性も抱えてませんからね。


 ですが、その名を聞いただけで身を固くしてるわれわれ調達班と異なり、いまいちピンときてないご様子。髑髏面でこれなら、訓練された野良犬みたいなあの部下たちに至っては、言わぬが花でしょうね。


 厚手のビニール袋に、自動車用のオイルフィルターを銃口にすえつけたP90をしまい込む。見た目はあれですが、これで意外と侮れない即席サプレッサーなのです。自分の準備はこれにて完了、ちょっと防衛隊とは別の不安材料でも見てきますか。





「おい」





「は、はひっ!!」





 ぶっきらぼうな私の呼びかけに、今にも飛び上がらん勢いで答えてくるラセル妹。持病ですからね、致し方ないとはいえ、ピンクの宇宙服というのはえらく目立ちました。





「自覚してるでしょうが、ぶっちゃけお前はただの足手纏いです」





「ううっ・・・・・・」




 

 足手纏い呼ばわりがショックだったというよりも、ただ単に目線を合わせたくないだけですか。分厚いバイザー越しでもこれとは、先が思いやられますね。


 宇宙服のあちこちに配されたベルクロに、これでもかと括りつけられた電子機器。たしかにその道のプロではあるのでしょうが、あいにく畑違いにもほどがある。


 銃火器の在庫はまだまだ十分ありますが、自分の顔面を吹き飛ばされてもあれですし。戦闘員ではなく、スペック低めな運搬係として扱うことに決めます。ぽいぽいと必要最低限の荷物以外はぜんぶ捨て、代わりに救命キットと予備マガジンだけ託します。





「それ、まさか手で抱えながら移動するつもりじゃないでしょうね? 両手が使えないのは、すぐ死に繋がりますよ?」





 これだけは奪われまいと、猫ゾンビだかなんだかのストラップが括り付けられたラップトップを、ギュッと抱きかかえてるラセル妹。正直、あれも不必要そうなんですがね。





「大丈夫っすよ、うちが面倒みとくっすから」





 言うなり宇宙服の胸元に繋げられたポーチへと、丁寧にラップトップを仕舞い込んでく宗教娘。その生気の無さときたら、今にもふっと消えてしまいかねない儚さで。親しい相手を失ったばかりとしては、肉親たるラセル妹ののほほんぶりより、ずっと納得がいきますね。





「・・・・・・お前は、大丈夫ですか?」





「なんすかそれ、らしくないっすよ」





 青白い顔。どうにも目先の作業に集中することで、現実を忘れようとしてる風に見える。





「そんならしくないことを聞いてしまう程度には、焦燥してる風に見えたので・・・・・・今さらですが、お2人にお悔やみを」





 残虐な母親にはもうついていけないが、かといって調達班の仲間として完全に受け入れられてるとも言い難い。あの男との色恋沙汰も、その面倒くさい立ち位置に拍車をかけていた。


 それでもポドの疑念は筋違いでしょう。本心から仲間になろうと調達班に飛び込んで、同じくらい本気で本気の恋をしていた。だから悲しみも隠さない。





「うっす・・・・・・アレハンドロ君だって、あんな亡くなり方していい子じゃなかった」





 親の罪は子に引き継がれません。それでも気になるのが、人情というものなのでしょうね。しんみりとした静けさが、場に満ちる。





「ラセル妹、お前もあれだ。兄貴のためにも出しゃばらず、私らの背中に隠れてろ」





「あっ、お気になさらず」





 なんですかね、その軽さ。





「お前ら兄妹・・・・・・実は仲悪かったりしたんですか?」





「ま、まあ、悲しみの受け止めかたは人それぞれっすからねぇ」





 宗教娘のフォローもむなしく、胸のポーチをむしろ好都合とばかりに土台代わりにして、ラップトップのキータッチをはじめるラセル妹。画面を流れるコードは、まさか♡OS専用のマシン語ですか? なんでまた。





「それは?」





「ソフィアさん流に言うなら、マリオロイド用のワクチン・プログラムさね。元がMARIO.netを介しての配布しか想定してなかったからさ、色々とチューンナップしなきゃまずいってマリアと兄の一件で思い知ったの」





「“マリア”?」





 と、“兄”ですって? 





「あ、あ、あのっすね!! ちょっとペトラさんにはショックが強すぎたみたいで!! 冷静そうにみえて、逆に冷静じゃないと申しますっすかッ!!」





「そうなの?」





 などと、他ならず当の本人からのトボけたコメント。





「まさかそれで誤魔化せてるつもりですか、お前?」





「うっ゛」





 馬鹿と呼ばれるより、馬鹿にされてる気分。これでああそうだったんですねって、引き下がるとでも?





「話せ」





「いや、でもっすねぇ・・・・・・」





「話せと言ってるんです」





 ただでさえ不安材料そのものなコンビなのに、そのうえ怪しげな隠し事なんて。追求の手を緩めるつもりはさらさらありません。そこに響く、





「おままごとじゃねえんだぞッ!!」





 大の大人の胴間声。またしてもあの問題児、イシドロの犯行でした。さて、話を戻しますがと言いたいのは山々でしたが。





「さっきからグチグチグチグチ、うっせんだよッ!!」





 典型的な売り言葉に買い言葉。応戦するポドの声まで聞こえてきて、ほら早く対処しないとって必死な宗教娘のアイコンタクトを睨み返してから、やれやれと騒乱の場に足を向ける。





「鬱憤があるならどうぞ、今のうちに吐き出しておくがいいです。叫び散らかして人形に見つかるなんてアマチュア仕草、現場じゃ御免こうむりますからね」





 なにが不満なのやら。髪の毛ひとつない頭に青筋うかべ、イシドロなる防衛隊員が指差したのは、つい先ほど私が会話していた件の2人組。





「なら言わせてもらうがな。あんなド素人まで連れてってどうするってんだよッ!!」





 ぐうの音も出ませんね。意外と肝が座ってる宗教娘はともかく、ラセル妹はどうしたものかとすでに頭を抱えてる身の上ですからね。ですがまあ、それも元を辿ればシスターが原因なわけで。





「あんなガキどもの面倒まで見てられるかッ!! 俺は御免だぜ!!」





「CVダズルにスマホの生き餌。そういった専門知識の数々を提供してきたの、誰あろうモノリスの元エンジニアことあの娘なんですがね。ところでお前の功績は? 馬鹿みたいに突っ立って、アレの失血死を見守るのがてめぇの専門分野ですか?」





「ざけてんじゃねえぞ、メスガキ!!」





 うざったいですね。いっそ張り倒してやりますかと、ラセルの阿呆じみた暴力衝動に駆られます。そこに割って入ってくる巨大な影。





「ウーゴ」





 一言、やめろで十分だったでしょうに。


 どうしてか奴らのボスである髑髏面が指名したのは、完全無欠の部外者こと、会計士風の優男って雰囲気のウーゴなる防衛隊員。





「じ、自分ですか?」





「貴様のバックパックを、イシドロのものと交換しろ」





 なんてことのない指図。ですがそれを耳にした途端、スキンヘッドの迷惑男が緊張の唾を飲み込んでいきました。その態度、さながら死刑宣告もかくやって勢いで。ついつい魔法の言葉で場を収めていったシスターの懐刀に問いかけてしまう。





「あれ、中になにが詰まってるんですか?」





「アンホ爆薬だ」





 テロリストご用達、世界最安の自家製爆薬があのバック一杯に詰まってるのだとしたら・・・・・・笑えない惨事を簡単に引き起こせること請け合いでしょう。


 ぎこちなく品を受けとったイシドロなる男は、バックからはみ出てた起爆装置をジッと見つめていた。





「必要なら自爆要員として使うように。それが、シスターからのお達しだ」





「・・・・・・そこまでやりますか」





「1人の犠牲で皆が救われるなら、安いものだ」





 いつものシスターの理屈。それはそうなのかも知れませんが、どうにも・・・・・・上手く言い返せない自分に自己嫌悪ばかりが募っていくのです。


 ただの選択肢のひとつ。そう、取ってつけたように髑髏面が釈明します。





「忘れるな、主はすべてを見ておられるぞ」





 防衛隊員たちの顔に浮かぶのは、完全無欠の恐怖心。なるほどマキャベリズムの初歩も初歩、愛されないならば恐れられろを地で行ってました。


 あちらも色々としがらみがあるご様子で。シスターは飴と鞭をうまくつかって、防衛隊を束ねているみたいでした。





「ポド、さっきの喧嘩の原因はなんですか?」





「なにって聞いたとおりだよ。ガキなんて連れていけるかって、いきなりツバ飛ばしやがってさ」





 騒動につぐ騒動。いまだって、有耶無耶にする気満々の宗教娘を問い詰めてやりたいのは山々なんですが、





「ねえ、ピグ・・・・・・アレが最後になんて言ってたのか、そろそろ教えてくんない?」





 あのチュイにこうもしおらしく問いかけられてしまえば、無視なんて出来ようはずもなく。ポドもまた準備の手を止めて、ジッとこちらを見つめてきました。





「何がなんでも生き延びるんですよ。泥を啜ってでも、それこそがアレの遺志です」





 一字一句おなじではありませんが、文脈は変わりません。しばし噛みしめるように耳を傾けていた2人ですが、やおらポドが口を開きます。





「な、なあ・・・・・・それって、あの2人も含めてかよ?」





 弔い合戦のつもりでしょうか? ヒャクメなる例のヘルメットにガリルACE、首からはロザリオと一緒ダ・シルバ隊長の警察バッジまでぶら下がってますし、宗教娘の全身をコーディネートしているのは、どれもが死者たちが残していった一品ばかり。





「私は、万能じゃありませんからね。努力はしますが、誰も彼も守れるほど強くはありません」





「・・・・・・意味分かんねえ」





「あなた方だけなら死んでも守るって意味ですよ。そこに別の誰かを加えたいなら、ポドの判断に任せます」





「な、なんで俺だよ」





「だって、シスターのスパイかもってあの宗教娘を疑ってたの、あなたじゃないですか?」





 なんといいますか、ともかく元気で人当たりだけは良いあの娘の調達班における評価は、半々というところでして。


 ダ・シルバ隊長は完全に孫扱い、あの男については言わずもなが。いまだって人見知りが宇宙服着て歩いてるみたいなラセル妹すら懐いてる様子ですし、私だってアレへの必死の治療には・・・・・・感謝の言葉しかありません。


 遺品で身を固め、悲壮感すら宿ってる小さな背中。それを遠巻きに見つめながら、ポドがおずおずと切り出していく。





「アレを助けようとしたの教官と・・・・・・そ、ソフィアさん、だけだったしな。あ、謝った方がいいのかな? これまでのその、無礼な態度とかよ?」





 ヒゲだらけで強面なのに、こういう所はほとほと末っ子気質ですね。チュイがよしよしと伸ばした頭を撫でる手を、ウザったげに跳ね除けてくその態度ときたらもう。


 私には責務がありました。アレから託された責務、それを果たすまで死ぬことは許されない。





「先導する。ロープは右手に、ボンベは左、とにかく焦らずついてこい」





 サングラスを外し、かわって水泳用のゴーグルを身につけます。酸素ボンベから伸びたマスクを口元へと運び、あとは飛び込むだけ。装備だけでも重しとしては十分すぎますからね、水面にゆるりと足先ひたして、おもいきってエレベーターシャフト製の水中洞窟に身を投げる。


 ほどなく透明度ゼロの汚水が、私の全身を取り巻いていきました。





††††††





 グレゴール=ザムザが目を覚ますと、彼は1匹の毒虫に変身していた・・・・・・今ならその気持ちがよくわかる。


 シャワー室に掲げられた鏡に映るのは、微妙に光を帯びてるピンクの三つ編み。この世でもっともつまらない黒髪に生まれついた身の上としては、なんとも耐えがたい蛍光色だった。


 頭を右に振ると、鏡の向こうのおさげ髪も右を向き、左を向けば以下同文。それどころか毛先が頬を撫でる感触すら伝わってくる。


 ジェンダーってのは、すべてにおいて面倒くさい。どこもかしこも地雷ばかり、だから尊重はするが関わりたくないってのが俺の長年のスタンスだった。なのにこれだ。視線を下にやれば、ありえない双丘Fカップが視界を遮ってくる始末。





「それで、気分は如何かにゃ?」





 肌寒いシャワー室。タイル張りの床上でパイプ椅子に縛りつけられながら動揺しきりの俺に、いつもの調子で宇宙服姿のペトラが問いかけてくる。


 気分もなにも、なんだこいつは?


 穴が開くほど鏡を睨みつけたところで、返ってくるのは頬をヒクつかせてるマリアのらしくない表情のみ。性転換? それとも転生と呼ぶべきか? ともかく目を覚ますと――俺はピンク髪のマリオロイドに生まれ変わっていたのだった。





「うっ、ボロロロろろろっッ!!」





 うひぃ、とおもわずペトラが飛び跳ねるぐらいには、容赦なさすぎな嘔吐。両手足の拘束のせいで、俺の胃だけでなくパイプ椅子もついでに軋んでいった。


 場所が場所だから被害は最低限。バイザーの向こうで嫌そうな顔しながら、シャワーで胃液らしきものを洗い流していくわが妹。胃液っていうか・・・・・・そもそもあるのか? マリオロイドにも内臓って?



 


(胃液ではなく、より正確にはバイオプラントの消化用溶液ですね。ひらたくいえば・・・・・・まあ胃液みたいなものです)





 マジか、ナレーションが脳内に横入りしてきたぞ。悪夢か現実か悩んでいたが、どうも嬉しいことに前者であるらしい。こんなの現実であってたまるか。





(まごうことなき現実ですよ?)





「うるさいなッ!!」





 なんだこの甘やかなボイス? 野太い自分のものからはほど遠い、女そのものな声音だ。





「まあ形式だけどね。兄やい、生年月日を聞かせてもらえるかな?」





「・・・・・・なに?」





 動揺しきりのいまの俺には、そんな簡単な質問すらうまく返せない。





「んじゃあ、お名前は?」





「ラセルだ・・・・・・ラセル=D=グリス」





 あいかわらず、喉にオウムでも飼ってるような甘やかな声。本当に俺が出してるのか、これ?





「ふーん、こいつは興味深いね。兄が主導権を握っていると、虹彩の色も変化するんだ」





 ふたたび鏡を睨みつけると、なるほど人形特有の赤い瞳でなく、ペトラと寸分違わない金色の目がこちらを覗き返していた。





「もともと虹彩から皮膚の色まで、フレキシブルにカスタマイズ可能な仕様だったからねぇ。人種差別的だって叩かれて、あわててアプデで修正したんだけど・・・・・・所詮はソフトウェア上の制約に過ぎないからさ。なるほどなー、擬似生体ってこんなとこまで作用するんだ」





 まさかと思い、手錠に邪魔されながらもどうにか己の手の甲を確かめてみる。うっすらとだが、ちょうど皮膚にBOPEの隊章が浮かび上がってくるところだった。俺の精神に合わせて、身体も作り変えられてるってことなのか?





「血液型は?」





「え、ABマイナス」





「ふむ、好きな色は?」





「青・・・・・・だ」





「車とおんなじね」





「シェルビーマスタングは、青と縞模様にするのが王道にして神聖なる義務なんだよ。というか、何なんだこれはッ!!」





 頭では理解してるが、心では認めたくない。そんな激情に任せて立ち上がると、両手の戒めがあっさり弾け、手錠だったものがすみの排水口めがけてカラコロ転がっていく。


 は? 待て待て、体重100kgの巨漢すら拘束できるカーボンスチール製の手錠なんだぞ? それがこうもあっさりなんて、俺はいつからこんな怪力になった?





「っ!! う、動くなぁッ!!」





 裏返った叫びとともに、ソフィアが大慌てて俺の愛銃、ガリルACEを腰だめで構えていった。


 もちろん承知してるさ。この怪力の原因は、高出力な人工筋肉のせいだってことぐらい。ソフィアの対応は正しいが、それでも・・・・・・アイツからあんな恐怖の眼差しを向けられるなんて、ひどくショックを受けてる自分がいた。





「どうどうだよ、ソフィアさん」





「やっぱりこんなの間違ってるっすよ!! だって、そいつのせいでラセルさんはッ!!」





「だからその兄の精神がこの子に宿ってるんだってば。それに現場には居たけどあの救命キットといい、むしろ命を助けようとしてたじゃない?」





「でもッ!?」





 ほとんど半狂乱状態のソフィアとは対照的に、ペトラはひどく落ち着き払っていた。 





「兄もほら、とりあえず座って座って。その怪力はね、素体と擬似生体の同期の不完全さが原因なのさ。最適化が終わったら、かつてのイメージどおりの身体感覚を取り戻せるはずだよ」





 どうにもピンとこない専門用語混じりの取りなし。俺だって、こんな風に怯えられるのは不本意だ。カタカタ震えてる銃口の音を聞きながら、素直にパイプ椅子へと腰かけなおす。





(性別からして異なりますしね。フィッテングが終わるまで、少々お待ちください)





 また幻聴が聞こえた。





「・・・・・・新しい手錠、貰えるか?」





「んー、無駄じゃないかな。出力セーブしてるだけで、人形の膂力って本来はとんでもないものだし。一般家庭から工業用に至るまで、コストカットのために規格統一した弊害ってやつでね」





 気もそぞろって感じだ。いつもどおりの悪癖、わが妹はラップトップでの作業に首ったけで、こちらの困惑は半分も届いちゃいなかった。そろそろ現実と向き合うしかなさそうだった。


 俺・・・・・・というかマリアの身体を包むのは、えらく窮屈なモノリス純正のプラスチック製の衣服。その袖口には、固まりかけの血液が付着していた。 





「・・・・・・何があった?」

 




 分かっちゃいるが、聞かずにいられない。


 真夜中に呼び出され、謎の人物と共にうかうか出かけていった俺。濡れた足跡って目印と、密室状態だった民警の輸送用車両。そこに置かれていた――首切り死体。


 俺がメモリアで目にしたのとおおむね同じ情報を、作業の片手間にペトラが説明していった。だが死体の傍らで立ち尽くしていたマリアを密かに連れ帰った部分だけは、初耳だった。





「2年ぶりの対面だったけど、前にもチェックしたからね。一目で第3世代の子だって分かったよ」





 そういえば初期不良うんたらで、駅まで出向いてたんだったな。そうか、あれはマリアを調べていたのか。





「何やってる・・・・・・人形なんか匿ったりして」





「うぇ? で、でもさ」





 その当の人形からのお説教に、さすがのペトラも戸惑っていた。





「シスターにバレたら問答無用で消されるぞ。それとソフィア、立つなら俺の横じゃなく正面にしとけ。横に逃げる相手を追い撃ちするより、直線に迫ってくる相手のほうがよほど対処しやすい」





「そんな、ラセルさんみたいな口ぶりで・・・・・・!!」





 死んだのに生きてる男の戯言。そもそも、生きてるって意味の定義すら難しいのに、そこにきてしたり顔のお説教。なにやってるんだ、俺は。





「もしかして、まだ記憶が混乱してたり?」





「・・・・・・それをどうにかするのが、メモリアの役割じゃなかったのか?」





 まあね、とペトラが肯定する。





「記憶のなかにある原風景に対象者を放り込み、追体験を経て、現実への心構えをさせる。そういう過程を踏まないと深刻な副作用が発生しちゃうのさ」





「副作用ね」





「うん、自我崩壊といってね。説明いるかにゃ?」





「いらん。字面だけで、おおむね察しがつくからな」





「ただ兄のパターンは変則的だったからさ。出血のせいで細胞の劣化が進んでたからね、記憶が損傷してる可能性は捨てきれない。ぶっちゃけどうかな?」





「なにが?」





「誰がさ・・・・・・兄を殺した犯人が誰なのか、ちゃんと覚えてるの? ってこと」





 俺がメモリアで最後に目にしたのは、金色の髪と褐色の肌。そして娘と瓜二つな女の微笑みだった。


 こわごわとライフルを手に、こちらを見つめ続けてるソフィアの眼差し。それを避けるように目を伏せ、例の脳内ボイスへと語りかける。





「マリア、聞こえてるんだろ?」





(もちろんです)





 間髪入れずの返答。はたから見れば、イカれた独り言に見えるだろう。それでもやらざるを得ない。





「俺を助ける義理なんてないだろ・・・・・・なのに自分の身体まで明け渡して、なに考えてる?」





(おかしな事を聞かれますね、ラセル刑事。マリオロイドの使命は――)





「人類のお手伝いをすること、ね」





 単なるお題目に、こうまで自分を捧げるか。ロボットらしいといえばそうだが。





(それにわたしは、相棒さんですから。パートナーを裏切るような真似は致しません)





 最初は不思議そうに俺の独り言を見守っていたペトラが、やおらポンと手をたたく。





「あっ、そういうことね。心はふたつ、でもお口はひとつっての色々と面倒だねぇい」





 もう1脚ばかしパイプ椅子を広げて、そこへおもむろにスマホを安置していく猫耳宇宙服。

 




「これで中継できるようになったはず。ほれマリア? なにか知的なコメントしてみ」





『あめんぼあかいなあいうえお』





「よくできました」





 スピーカーフォンにでもなってるのだろう。声質は同じでも、俺とはまったく異なる発音がスマホから響いてきた。





「それが、例のAIなんすね?」





 良くも悪くもメモリア内で心の準備を整えられた俺と違って、ソフィアからすれば全てがいきなりだ。あふれる情報の嵐に、その情緒は乱れきっていた。





「そいつがッ!!」





「マリア、OSのバージョン情報を教えてみ」





 わが妹らしからぬ強引さ。遮られた会話のつづきを、スマホの向こうの人形がすぐさま引き継いでいく。





『現在のバージョンは、65.3となっています』





 問題のアップデートは“66”だ。詳しくはないが、ちょうどそのひとつ前ってところか。





「MARIO.netとの接続をはじめ、あれこれ無効化したデグレード版だよ。だからもう大丈夫」





「それは、さっきインストールしたから!! 起動直後はまだッ!!」





「だけどペトラさんたちは、現に襲われなかったよね?」





 それは、と言い淀んでくソフィア。





「車外につづいてた血濡れの足跡といい、あのトラムにはもう1人、誰かしら居たのは確かなんだよ。兄ってば本当に覚えてない? その謎の第三者についてさ」





「あいにく、な」





「うん、まあ、しょうがないねぇ。万全の状態でマッピングできたわけじゃないから、やっぱり記憶に欠落はあるか」





「・・・・・・そうやって真犯人を庇ってるのかもっすよ」





「だからねぇ」





 俺の死をめぐって言い争う、なんとしても守らなきゃならない2人の女。どこまでも非現実的で、途方もない無力さを感じさせるシチュエーション。





「・・・・・・俺は出ていく」





 だから自然と口をついてきたその宣言に、我ながらまるで違和感を抱かなかった。





「へ!? い、いきなりなに言い出すのさ兄ッ!!」





「人形が人里で暮らせるわけないだろう。それとも“ママ”にバレないように、ずっと隠れて飼うつもりだったのか?」





 とうに100人を割ってる集落に素知らぬ顔して混ざるなんてできやしない。毒虫となったグレゴール=ザムザは、匿ってくれた家族からいつしか疎まれ、そのまま孤独に息絶えた。あんな末路は御免だ。





「そ、そこはさ、ほら!! かつての兄とは似ても似つかぬ容姿を活かして、身分とかもろもろ偽装すれば!!」





「確かにうまくやれば、新顔の避難民として加われるかもな。だが血液検査はどうやって躱すつもりだ?」





 デイワン・ウィルス以外にも病気はある。そういった諸々を持ち込まぬよう、シスターは外部からの訪問者に対して血液検査を義務づけていた。


 注射針の先っちょから白色の血液がすこしでも垂れたら即アウト。1年ぶりの訪問者、まして密室殺人が起きた矢先なんだ。検査はいつも以上に厳格に行われるだろう。





「・・・・・・それが、この場から逃げるための方便でないって保証は、どこにあるんすか?」





「ないな」





 無条件でマリオロイドを擁護しがちなペトラと、懐疑派のソフィア。今この場に限ってではあるが、なんともバランスが良いことだな。





「それでも食料はあと1週間って現実は、揺るがない」





 初耳か、そりゃそうだよな。


 これも含めて嘘だと断言されたら、あとに残るのは終わりのない水掛け論だけだ。だがソフィアは、深く考え込んでいた。





「ここに匿われても何もできやしない。だが外に出られたのなら、鹿の王に一矢報いることが出来るかもしれない」





 どうせ一度は死んだ身。怪物に挑むぐらい、なんてこともない。





「でも・・・・・・でも!! 立ってたんすよその人形がッ!! 血まみれのラセルさんのすぐ横に!!」





 最初は、母親へのあてつけてだとばかり思っていた。だが現実にはコイツはただ純粋に――いや、もう過ぎた話か。





「だ、だからさソフィアさん!? おかしな点はいっぱいあってだね!! 血のついた足跡だけじゃなく、充電が切れてたはずのマリアがどうしてか再起動してた理由の説明も、まだ出来てないし!!」





「そんなの関係ないっすよッ!!」





 感情の持っていきどころ分からなくなった相手には、理屈なんて通用しない。何ごとにも落とし前はいる、か。





「マリア」





『はい』





「お前のAIを削除することは可能か?」





 お前の殺し方を教えろ。そう問いかけられたら、誰だってペトラのようにギョとして固まるはず。





『可能です』





 だがこの第3世代機は、いささかの躊躇もなくそう返してきたのだった。


 



「そ、それは駄目だよ兄・・・・・・じ、自分の心臓を何回動かすかとか、そろそろ瞬きしなきゃとか、いちいち考えたりしないでしょ? そういった擬似的な自律神経の調節とかもマリアが担ってくれてるの。♡OSのアーキテクチャを隅々まで理解してるんでないなら、削除なんてリスクしか――」





『確かに最善手ではないかもしれませんが、それでも一定の自立化は可能です』





 いつものノリのまま、いっそお気楽なほどあっけらかんとマリアが言いのける。ペトラの命乞いなんてどこ吹く風だった。


 いきなり視界上にポップアップしていく謎のインターフェイス。そういえば俺の目玉は、もはやコンピューターそのものなのか。そこには、本当にアンインストールしますかって警告文が浮かんでいた。


 Y/N。現実に帰還するときにも、こんなふうに問いかけられたな。こっちから提案したんだ、迷う理由なんてない。


 10。無慈悲なカウントダウンが始まる。





「だ、駄目だって兄!!」





 8。


 ソフィアがそうであるように、ペトラが人形に向けてる感情だって理屈じゃない。宇宙服のバイザーの向こう、すでにわが妹はポロポロ涙を流していた。


 6。


 そんな妹を引き留めながら、どこか迷いを浮かべていく金髪褐色娘。


 4。


 どうせいつも1人だった。相棒なんて、肝心なところで裏切られるのが常だった。


 2。


 そもそも世界をこんなにしたのは、誰あろう人形だろうに。巡査部長を殺したのは? 無数の命、あの俺に助けを乞うていた名もなきOLのように、殺人ウィルスを散布したのは誰だったのか?





『ラセル刑事。短い間でしたが、お仕えできて光栄でした』





 だが、それでもなおマリアは揺るがない。


 論理コードだなんだのは、単なるプログラム上の設定にすぎない。こういう忠誠心だって気まぐれ次第でどうとでもなる、意思を持たないそれこそただのお人形なのだ。それでも心乱されはする。


 1。そろそろ終わりが迫っていた。





『ご武運を』





 まったくもってそういう態度が――大いに腹立たしいのだ。





††††††




 ふたつ並びの結び目ノットを探り当て、その感触を頼りに浮上します。


 元はどこぞの機械室だったのでしょうが、いまとなっては単なる浸水地帯。かろうじて首から上だけ出せるエアスポット、小休止するにはうってつけでした。


 LEDランタンを灯して、酸素ボンベが山積みになってる即席のイカダへと据えつけます。ぼんやりとした明かりが照らし出すのは、水面から顔だけだしてる即席チームの面々。すでにバテた塩梅ですね。





「酸素残量をチェックですよ。もし50を下回るようなら、ここに備蓄があるので今のうちに取り替えておけ」





 時にはドリル、時には爆薬までつかってこさえた横穴を幾つもくぐりぬけ、重すぎ装備に足をとられながらひたすらぬめる水をかき分ける。それはまあ、とんでもない苦行でしょうとも。





「目に入った!! くそっ、なんだこの水ッ!!」





「擦っちゃダメっすよ!! 真水で洗って!!」





 工業排水もかくやの汚水に目を赤くさせた元ギャングたちが、宗教娘に甲斐甲斐しく世話されていきます。当初の反感なんてどこへやら? 誰も彼もが自分のことに手一杯になってました。





「・・・・・・ずっとこんな事を?」





 やっぱりといいますか、情けない手下たちと違って髑髏面はまだまだいけそうでした。それでも疲労は隠しきれていない。





「人形と戦うよりかは、だいぶマシですから」





 とはいっても、われわれローンウルフ・スクワドロンだって防衛隊の無様さを笑うほどの余力はなく。とにかく息を整え、次の行程に備えます。





「うひゃー・・・・・・・」




 

 ぷかぷか浮かんだ宇宙服姿のドザエモンが、視界の端をよぎっていきます。脱落者ゼロは大したものですが、やはりというか遅れが生じてました。





「時間かけすぎですね」





「人形は、スケジュールに従って行動するんだったな?」




 

 ラセルの阿呆がしたためていた手帳のコピーを髑髏面に放ります。さまざまな人形の行動パターンが、そこには記されていました。





1400ワンフォーハンドレッド、ルート・アルファは封鎖中か」





 流石に手慣れてますね。手帳の内容と腕時計を見比べつつ、そう巨人がひとりごちます。





「ゴタゴタ続きで出発そのものが遅れましたしね」





 そこに新参連中の不慣れも祟り、あれこれ足止めばっかり。


 先ごろ上陸した場所は、朝は安全なのですが昼をまわると管理会社のマリオロイドが大挙して訪れる、危険地帯に様変わりしてしまう。時間帯的にあっちはもう駄目でしょうね。





「迂回路は?」





「いつだってプランBは用意されてますよ。ですが、そっちはそっちであまりよろしくない場所でしてね・・・・・・」





 かいつまんで説明します。


 かつては人でごった返していた、このビルの商業区画。公営の闇市といった塩梅のその地にどうも、それなりの規模の集落が築かれていたらしいのです。


 どうして過去形なのかといえば、我々がたどり着いた時点ですでに壊滅状態。撃って、燃やして、暴れまわった挙げ句に第2のパンデミックでとどめを刺され、現地には戦場跡だけが残された。建物のほとんどは廃墟化して足場はひどくグラついてますし、地雷原よろしくあちこちにウィルス満載のサナギが転がってもいる。





「ですがかなりの数の人形を道連れにしたらしく、相対的に敵は少なめですよ」





「なるほど・・・・・・確かに“よろしく”ないな」





 この商業区画から工事なかばで放置された立体公園を経て、最終目的地たるトラム駅へ。時間はかかりますが、他に選択肢もありません。


 この汚水に浸かりながら一晩明かして、暴走人形たちが消えるまでゆったり待つ。そんなの、この巨人だって御免でしょうしね。






「聞け、次の分岐路で左に折れる」





 もはやケチをつける体力すらありませんか。まあ楽できていいですけどね。バンジーコードを弾いて、手早く酸素マスクを装着。ちゃっちゃか潜航していきます。


 ブラックアウトの縄張りを掠めるのは、ルートAの場合のみ。そういった意味では、気分はいくらか楽ではある。それ以外に良いとこは特になし、その事実はこの際だから目を瞑るとしましょうかね。


 しっかり地面を踏みしだきながら、水苔の上にきざまれたかつての自分たちの足跡を追いかける。そんな矢先に・・・・・・なんです、これ? コンクリから突き出た鉄筋の端に、どうしてか衣服のカケラが引っ掛かっていたのです。


 ありふれたTシャツだったら気にもしませんが、この人間味にかけるノンバイナリーなプラスチック製の衣服は、明らかに人形のものでした。


 背後からチュイが、どうしたのかとジェスチャーで尋ねてきます。ズタズタになったマリオロイド用の衣服、それを瓦礫の隙間に押し込んで、なんでもありませんとサムズアップ。


 マリオロイドは通常、水を嫌がるものなんですがね・・・・・・ただでさえ急増チーム、パニックなんて願い下げでした。それにどうせ最初に遭遇するのは、先頭をいくこの私でしょうしね。


 ポーカーフェイスはお手のもの。懸念は押し込め、とにかく前へ。それがアレに命を拾ってもらった、私のせめてもの責務だと信じながら。



 


††††††





「ぷはっ!! はぁ、はぁ・・・・・・」





 ぜぇはぁ息を吐きながらどうにか安全柵をよじ登り、“セール実施中!!”なんて虚しいネオンサインを掲げてる商業区画の端っこに、座礁したクジラよろしくへたり込む。いまの気分を一言で表現するなら、もういっそ殺してくれって感じだった。





(もう死んでますけどね)





 頭のなかに轟く、絞め殺したくなる能天気ボイス。この野郎・・・・・・今からでも削除してやろうかと本気で悩む。


 ひとつの身体にふたつの精神。片方は俺で、もう一方はポンコツAI。史上最悪のルームシェアだが、それでもやるべきことがある。その思いでここまでやって来たのだが。




 

「そ、そもそも肺がないから、溺れる心配はないだと?」





(現に無酸素状態でここまでたどり着けたわけですし)





「だが感覚はあったぞッ!!」





 息ができない、今にも窒息しちまう。そんな苦しみを抱えながらの水中散歩。なるほどウォーターボーディングなんて尋問テクニックが確立されるわけだな。これを拷問と呼ばずしてなんと呼ぶ?





(いわゆる水責め状態ですか?)





「そうだ・・・・・・それが3時間も続いたと想像してみろッ!!」





(出来るわけありません。いやですねぇ、ラセル刑事。想像なんて人形がもっとも苦手とする分野なのに)





 あっけらかんと言うな!! くそっ、くそっ!! 吐いて吐いて吐きまくって、体内に潜り込んだ汚水を片っ端から放出してもまだ気分が悪い!!


 外面はともかく、その中身ときたら人体とは似ても似つかない機械の身体であるはずなのに・・・・・・なんならファストロープ降下のときにへし折った足の古傷すら疼きやがる。これが擬似生体の効能だ。こうして考えてる俺自身、精巧にシミュレートされた存在にすぎないのだからまったくたちが悪い。


 こんなこともあろうかとは、特殊部隊に籍を置いてる人間に共通するキーワードだろう。


 そうとも“こんなこともあろうかと”、密かに空洞になってる柱を見つけ、そこに登攀用のロープをひっ掛けておいたのだ。いざって時にペトラを連れて脱出するための裏ルートだったが、なんにでも備えておくものだな。あれがあったからこそ密かに車両基地を抜け出し、こうして対鹿の王の討伐隊に先行することができていた。


 普通に考えれば、連中はより短いルートAを選ぶはず。だから裏をかいてダイビング・ポイントBから商業区画を経由する、こちらの道を選んだのだった。


 こうした調達班時代の知識はえらく役に立ったが、あいにく備品をちょっと失敬とかはできなかった。なにせ酸素ボンベをはじめとして、あらゆる装備は厳密に管理されている。こうした体制を作ったのは誰あろう俺自身だから、文句は言えない。


 そのせいでえらい苦行を背負う羽目になったのは・・・・・・地面にぶちまけられたこの反吐が証明していた。





(ストレス値が急上昇してます。大丈夫ですかラセル刑事?)





 愉快なお供がなにやら心配していた。9割がたお前のせいなんだが、まあいいさ。


 今の装備は、ブービートラップとして活用していたM26 MASSショットガンのみ。殺人事件があった矢先に被害者の装備をごっそり持ち出すなんて、いらぬ勘ぐりされるだけだ。なんなら食料すら持ってきてなかった。


 だって機械には食事の必要なんてないだろ? そうタカを括っていたのに、どうにもさっきから小腹が減ってきたような気がする。この調子だといずれ空腹とも戦う羽目になるのか? なんというか、ゾッとするな。

 




(心を和ませるヒーリングミュージックでも掛けてみましょうか?)





「そいつはいい・・・・・・MP3プレーヤーも内蔵か」





 たくっ、せめてもうちょっと会話が成立する相手と入れ替えたい。





「へくちゅ」





 肌寒さから出たくしゃみ。だがこのサブイボの原因は、こんな可愛らしい声をこの俺が? って、たまらない怖気が原因であるに違いない。





(とりあえず、お着替えしてみてはどうでしょう?)





 やっとまともなアドバイスが出たな。


 擬似生体がどんなにかつての俺を巧妙に再現しようが、骨格からして異なるのだから無茶がある。一番わかり易いのは、やっぱり背丈の違いだろうな。


 ちょうどかつての俺の肩ぐらい。女の平均身長からすれば自然なんだろうが、いきなり移り住むとなると話は別。とにかく距離感がなにもかも狂っていた。


 以前なら余裕で触れられたところに手が届かず、歩幅も変わったせいかえらく歩きづらい。初めて自転車に乗ったときみたく、最初はあちこちに身体をぶつけてしまったほど。だからだろうな、下半身丸出しの痴女スタイルに成り果ててしまったのは。


 かつてだったら余裕で避けられたに違いない、コンクリから突き出した鉄杭。気づけばそいつに服をズタズタに切り裂かれていた。


 コンビニで売ってるような安物の下着から伸びる、えらく生っ白い太もも。下半身がスースーするその意味についてこれまでずっと考えないようにしてきたのに、いまや現実と向き合うことを否が応でも迫られていた。





「・・・・・・ないのか、その、生やす方法とか?」





(ムダ毛をですか?)





 ああ、そうとも・・・・・・すね毛はいつだって男の象徴だったからな。


 必要なら爆弾抱えて特攻だってやってやる。そういう覚悟のもと出てきたんだ、だからあんまり意識するな俺。ドツボるだけだぞ。





(植毛オプションは、今なら25%OFFとなっています)





「いらんわ・・・・・・」





(植毛オプションをウィッシュリストに追加)





 やめろ。やっぱ◯レクサのほうが百万倍はマシだな。


 それでも着替えろってのは、まっとうすぎる助言だった。いくらタンガ水着の発祥の地とはいえ、これはない。





(こんな格好で皆さんと合流するおつもりですか?)





 ああ、そうとも。作戦を台無しにする訳にはいかない。


 現実問題、あの化け物と単独でやり合うのは無茶がある。自己満足には浸れるかもしれないが、ただそれだけ。俺が真に欲しているのは、あくまでペトラやソフィアがこれからも生きていける環境にある。


 だから考えた。これまで単独でビル中層を生き抜いてきたサバイバー。謎の凄腕として、しれっと討伐隊に加わる。


 変装の手間いらずなのは、この身体の数少ない利点だな。この黄金の瞳を見せつけるだけでも、かなりの説得力を生むはず。ただパンイチでなければって前提条件は、やっぱつくだろうがな。


 住処から持ち出してきたわずかな荷物を引っかき回し、ジップロックに包んだ着替えを取り出しながら問いかける。





「マリオロイドだってバレないための注意事項とか、何かあるか?」





(そうですね。第3世代はこれまで以上に人間に近づきましたが、それでも相違点はあります)





 第1世代は歩くマネキンそのもの。それが第2世代から一気に人間味を増して、2.1から2.9に至るまでどうにか人間に近づけようと、連綿とアップデートが重ねられてきた。





「ぱっと見に気になるのは、やっぱり手首のソケットだな」





(あと額のインターフェイスもですね。現在の社会情勢を鑑みるに、突然のOSアップデートに悩まされる心配はまずないでしょうが、もし充電状態が悪化しようものなら)





「額に赤ランプが灯る、だろ」





(はい。いまさっき設定を変更したので、5%以下の危険域以外では警告が出る心配はもうありません)





 まあ、充電切れについてはそこまで深く考えなくていいだろう。それが出来るならとっくにやってるというか、人形を兵糧攻めにしてはどうかって意見は、ずいぶん昔にとっくに検討済みだったりする。


 全室無線給電対応ってのが、このビルの謳い文句のひとつだ。コードレス家電が使いたい放題・・・・・・この家電の中にはもちろん、マリオロイドだって含まれている。


 壁に埋め込まれた無数の送電コイルを片っぱしからぶち壊すなんて現実的じゃないし、ビルそのものの送電を止めれば、酸素の循環設備までいっしょにお陀仏。人形よりさきに自分たちの身が危うくなる。


 だからまあ、手首のソケットのほうが重要な問題だろうな。格納式のUSBコネクタ、元からうまい具合に隠されてはいたが、メカニクスのグローブつければさらに安心できる。どうせ手の甲のタトゥーも隠さなきゃならないんだ。こいつは俺の私物だが一般にもよく出回ってるから、そこまで違和感もないだろう。


 あとは、そろそろソフィアの秘蔵コレクションの出番か。


 わが妹にファッションの概念はない。それについては俺だって同じ、というかそもそも服のサイズがまるで合わなかった。となれば、消去法で頼れるのはアイツだけになるのだが・・・・・・今回のテーマはどうも、イケてる社会人レディであるらしい。


 そりゃ、まあ、あのイブニング・ドレスよりかは幾らかマシだろうがな。何やってるんだかとため息をつきつつ、女もののスーツに袖を通していく。今さら女の裸ごときできゃーきゃー騒いだりはしないが、本当にもう様変わりしちまったんだなと、どうしようもない虚しさおぼえた。





(あの・・・・・・)





 2年もサバイバルしてきたにしては、あまりに綺麗すぎるOL装飾。あとでそこらの壁に擦りつけて、適度な使い古し感を演出すべきだろうな。


 服はともかくブーツは妥協しない。本来はソフィアのために調達してきたゴツいトレッキングブーツを履いて、微妙なサイズ差については目を瞑る。そうか、今の俺はあいつよりも小さな足してるんだな・・・・・・。





(下半身からまずどうにかしてはと、マリアさん的には進言したい場面なんですが)





「・・・・・・この俺にスカートを履けっていうのか?」





(似合うと思いますけど?)





 一見すると誉め言葉だが、よくよく考えてみれば単なる自画自賛。なんだこれ、嫌がらせか? 素足丸出しなセクハラ上司ご推奨のタイトスカート。見るからに動きずらそうなその布地を、いやいや手で拡げてみる。





(黒タイツもセットですから安心ですね)





「何がどう安心なのか、解説してみろ」





(ラセル刑事、ラセル刑事)





「・・・・・・なんだよ」





(60デニールですよ?)





「それがどうしたッ!!」





 ああもう、ああもう。大隊バタリオンで4番目の凄腕スナイパーだったこの俺が、まさかまさかの女装だなんて。一寸先は闇とはいうが、こいつはいくらなんでも闇深すぎるだろう。





(歴史を紐解けば、スカートというのはそもそも男女共用の服装でして。古代ローマではごくごく一般的な――あの、何をしておいでで?)





「現地調達に決まってる」





 下半身のスースー感を我慢しながら元はカーペット屋、いまは廃墟となった場所へと足を運ぶ。


 サナギ化してないってことは、死因は物理的なものだろう。シャッターの隙間から中に逃げ込もうとして、どうやら人形に脊椎をへし折られたらしい。そんな白骨死体からズボンを引っ剥がしていく。





(まさかそれを着るんですか?)





「ちょっとヨレてるが、丈夫な生地だ」





(ですね。人体の腐敗液がちょっと染み込んでますけど。ちなみにその茶色いのは?)





「干からびた蛆虫だな。いいアクセントになる」





(はぁ・・・・・・それじゃあヤシの木があしらわれた紫でラメ入りの、そのうえ生物汚染されたダブダブズボンを、デザイナーズブランドのスーツと着合わせるんですね?)





「これぞスタイルの最先端だな」





(・・・・・・スイッチ)





 いきなり身体の制御権が奪われる。視界はそのままなのに両手はといえば、勝手に死人が履いてたズボンをまるでばっちいものであるかのように投げ捨てていく始末。





(何しやがる・・・・・・)




 信じられん、勝手に人を頭の奥に押し込みやがって。中途半端に生き残ってるショーウィンドウのガラスに、赤い瞳を輝かせた困り顔のマリアが映りこむ。





「マリオロイドの使命は、人類の皆さんのお手伝いをすることのみ」





(だったら戻せ)





「そ、それはそれとして・・・・・・任務達成のために尽力することもまた、当機の使命なのです。いいですかラセル刑事? 上半身はOLで、下半身はディスコ・フィーバーの再来を信じてるクソダサ・ファッション。そんな怪しげな格好をした人物を信用なんてできますか?」





(なんならヌーディストに目覚めても良いんだぞ? 全裸でビル中を駆けまわってやる)





 唇まで尖らせ、かつてないほど困り果ててる様子のマリア。





「しゅ、羞恥心とかないんですが・・・・・・」





 そんなものはない。上官連中が地面にぶちまけた肉らしきものを、候補生みんなで犬食いする。選抜試験の期間中、3食ずっとそんな食生活を実践してきた。羞恥心なるものには、一抹のタクティカル・アドバンテージもないのだ。





「です、けど・・・・・・スカートの方がだんぜん可愛いですし・・・・・・」





(お前どうかしたのか?)





 なんというか、いつになく主張が激しい。





「別れ際にグリス博士にいわれたんです。ラセル刑事はその、対等に張り合えるのがタイプだって」





(ペトラが?)





 本当にもう、相手が人形となるとすぐ保護者ぶるのだから。





(人類には絶対服従じゃなかったのか?)





「アイザック国際法が提唱するそのルールは、あくまで生者のみが対象ですから。実のところ今のラセル刑事に従ってるのは、純度100%の当機の好意と申しますか、はい」





(・・・・・・)





 だからその気になれば、今みたく勝手に主導権を入れ替えるぐらい訳ないってことか。





「これからは対等な相棒同士、文字どおり一心同体で頑張りましょうね!!」





(やっぱデリートだな)





「あっ、はい・・・・・・」





 またしても眼前に浮かんでくる、本当に実行しますかって警告表示。





(冗談だよ・・・・・・)





 分かってるさ。いまの俺には、軍服よりこのOL装束のほうがずっと相応しいってことぐらい。


 せいぜい20代前半の若い女。そんな奴が傭兵として売り込むには、紫のラメ入りズボンよりもスーツ姿の方がいくらかマシだろう。だからマリアに許可を出す。正直、スカートの履き方なんて俺はよくしらない。



 


「ッ!!」




 着替えが終わってほんの1秒たらず、正直なところお互い油断していた。


 俺だったらおもむろにショットガンをぶっ放す局面。だが射撃管制ソフトを積んでいないマリアはその代わりに、えらく堂のいったファイティングポーズをすぐさま構えていった。





「ちょっと迂闊だったかもしれませんね」





 まったくだ。世はまさにアポカリプス、世界は暴走人形どもの天下なのだからな。


 どこぞの瓦礫から這い出してきたらしい第2世代マリオロイドが、俺たちのすぐまん前に立っている。足の関節は曲がり、人工皮膚は細切れ状態。どうもネズミかなんかに噛みちぎられたらしい。


 ゾンビのよろしくな半壊状態の人形が、ジッとこちらを見据えていた。





(つかぬ事を聞くがな。お前って、同族から襲われたりするのか?)





「えっと、どうなんでしょう。66アップデートが暴走の原因なのはまず間違いないでしょうけど、その詳細なメカニズムについては俄然不明のままですし」





 つまり襲われない可能性もあるってことだよな。ちょっと待て、だとするとあらかたの問題にケリがつくじゃないか。


 鼻歌混じりで鹿の王の寝床に忍び寄るのはもちろんのこと、なんなら地上までぶらぶら足を伸ばして、どこかに人類が生き残ってないか調べることだって容易なはず。





(試す価値はある、か)





「試すと言われましても、具体的にどうすれば?」





(突いてみろ)





「それって適切な対応ですか?」





(知るわけないだろ。手探りでなんでも試してみるしかない。いざとなったら俺に代われ、ショットガンでコアをぶち飛ばしてやる)





「安易な武力行使は、推奨しかねますけど」





 いちいち古いルールに囚われやがって、まったく。





「あら?」





 行動に移そうとした矢先、マリアが不思議そうに首を傾げてく。





(どうした?)





「MARIO.netの接続を求められています。合わせて、OSのバージョンの照会も」





(ハッキングされてるってことか?)





「むしろ正規の動作ですね。機体同士でアップデート・ファイルを融通し合うことで、迅速な配布を実現してるんです」





 よく分からんが、これが生身の時代だったらとっくに襲われてる間合い。それでも仕掛けてこないってことは、やはり。




(よし今だ、突け)





「・・・・・・初志貫徹は、普段なら称賛されるべき行為だとは思いますが」





(いいからやれ)





 俺が発破をかけるなり、おそるおそるマリアがゾンビ然とした暴走人形に手を伸ばしていった。


 なに、いざって時には12ゲージの神さまがついてる。ショットガンで解決できない問題は、せいぜい少子化ぐらいのもんさ。





††††††





「ふむ・・・・・・おそらくですが、この何物かはショットガンで解決できない問題はせいぜい少子化ぐらいだと、タカを括っていたに違いありませんね」





「えらく具体的だな、隊長代理」





 ラセルの阿呆がかつて、そんなことをのたまっていたのです。銃に頼りすぎるのはオススメしねーですよと、忠告はしたんですけがねえ。学ばない馬鹿ばかりでほんと困ります。


 ホームメイドの縄梯子に足先ひっかけ、えっちら商業地区に上陸を果たしてみれば、最初に目に入ったのがこの光景。ショットガンの空薬莢に、空気中にまだ残ってる火薬の香り、そこに銃弾だらけのマリオロイドの残骸まで加わるんですから、名探偵でなくとも何があったかは一目瞭然。





「どうやら誰かがここで戦闘を繰り広げたみたいですね。せいぜい数十分ほど前に」 





「中層には、もはや生存者はいないはずでは?」





 CVダズルを顔に塗りたくるのに忙しい他の面々を尻目に、事実上のツートップである私と髑髏面でもって意見を交わしていく。





「プッツンきてる夫婦とやり合ったの、つい先日のことなんですよ? そんな前提とっくに崩れてます。そもそも人形が多すぎて、満足に探索できなかった地域ですからね。生存者がいても不思議ではありません」





 ぐちゃぐちゃの表皮からして、元からほとんど原型を留めていなかったのでしょうね。それでもこの人形の死因は、胸に穿たれた弾痕でまず間違いありません。





「タイトな集弾率グルーピングだな・・・・・・そうとうな手練だぞ」





「ついでに格闘技の素養もあるようで。地面の痕跡からしてまずあちらで揉み合いになり、投げ飛ばしからのショットガンでのフィニッシュ。ま、そんな流れでしょう」





「熟練の格闘家にして、射撃の天才か。それが事実なら、この2年を人知れずに生き残ってきたのも納得ではあるが・・・・・・」





「ええ。あっちに逃げたのだとすると、いずれかち合うことになりますね」





 今のところ身内同士の諍いはあっても、外部のグループと本格的にやりやった経験はありません。例外はせいぜい件の夫婦ぐらいのもの。正直どう対処したものか、勝手がまるで分からない。





「問題ない。むしろこれは俺の専門分野だろう」





「・・・・・・前職の血が騒ぎますか?」





 人形よりも人形ぽく、普段は生きた彫像よろしく感情を押し殺している顔面タトゥーの大男が、今だけは心底から楽しげに口角を上げていきました。





「別に隠すことじゃない。逮捕は民警が、そして殺しは・・・・・・われわれ軍警の管轄だったものでね」





 そういってシスターの右腕であるこの男は、胸元にひた隠しにしていた警察バッジを堂々とこちらに見せつけてきたのでした。




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