Chapter Ⅸ “ あら、おはよう”

 充電式ランタンの淡い明かり。それだけが、シャワー室という名の私室を照らしている。


 とうぜん全館空調、ビル内の気温はつねに適温に保たれていますと不動産屋はのたまってたが、まあいつもの大嘘だな。湿度100%の蒸し風呂から、ところによっては息も白くなる氷点下まで・・・・・・それでも下着姿で標的用資料ターゲット・パッケージをまとめられる程度には、この部屋は温かいままだった。


 ロッカー製の寝台に、ロッカー製の食卓。前者を椅子、後者を作業机に見立てて、鹿の王討伐の計画を練っていく。


 ロケットランチャーでもあれば話は早いのだが、あいにく贅沢はいえない


 教官連中の薫陶が押し込まれた俺の脳みそには、特殊部隊流のやり口だけでなくテロ屋の戦術もまた仕舞い込まれていた。敵を知り己を知ればってやつで、格上の相手との戦いかたに関しちゃ、連中のほうがはるかに手慣れてるからな。生き残るためならなんでも利用させてもらう。


 数多の人形を吸収し、その肉を重ね合わせてた群体。鹿の王には、貫通力バツグンのライフル弾ですら歯が立たない。となれば爆薬しかもはや手はないが、アレハンドロのパイプ爆弾がそうだったように、ただぶつけるだけじゃ駄目だ。表面を舐めるばっかりで、せいぜい足止めにしかならない。


 やつだって元はマリオロイドなんだ、コアさえ破壊すれば機能停止するはず。♡OSは心臓と心のダブルミーニング。これが普通の人形であれば胸が定位置と相場が決まっているのだが・・・・・・そんな常識があれローグにも通用するのか?


 あれこれ思案をめぐらせていると、





「・・・・・・そのタトゥーって」





 寝ぼけた声が寝台から。





「なんだ、寝てたんじゃないのか?」





 急に涙が止まらなくなり、それが収まるまで抱き締めてるうちにソフィアは、気絶するように寝入ってしまった。そう思ってたんだがな。


 一糸まとわぬ姿で寝そべって、とろんとした目つきが俺の手の甲にそそがれる。





「なんか、うまく眠れなくて・・・・・・」





 休めるときに休むべし。そう頭では分かっていても、こうして資料を広げてる俺だってソフィアと似たようなものだ。


 どうせ煮詰まってた。くすんだ記憶をたぐり寄せ、どうにか形にしようと悪戦苦闘していた新型爆弾のスケッチを手帳のはざまに仕舞い込む。知りたいっていうなら話してやるさ。どうせ、大した逸話があるわけでもない。





「古巣の部隊章インシニグアだ。“その顔面に鉄槌をfaca na caveira”ってな、知らないか?」





「すっす。修道院暮らしの純粋培養ぶりを舐めちゃあかんすよ」





 まだ半分夢のなかって風情なのに、どこからくるんだその自信。

 




「なんか、ラセルさんらしくないっすねぇ」





「そうか?」





「タトゥーなんて目立つばっかりで戦術的じゃないとか、すっすか文句言いそうなのに」





 実際、すこし扱いに困っていた。なにせ正体がモロバレだからな。だから仕事に行くまえは必ず、ドーランで覆い隠していたものだった。





「まあ、タトゥーを入れる理由なんてみんな同じ、若気の至りってやつさ」





「あったんすね、ラセルさんにもそういうの」





 あったのさ。大昔のことにも昨日のようにも感じられる、苦い青春ってやつが。





「俺の大隊バタリオンにおける役職はスナイパー・・・・・・といっても、この街はどこも入り組んでるからな。最大射程はせいぜい100m。こうまで近いと狙撃業務より、奇襲から裏取りまでなんでもござれの遊撃隊って役回りのほうが、よほど多かったのさ」





「すーなんす、ねぇ」





 ま、つまらん話だよな。それでもこのタトゥーについて語るには、この前振りが欠かせない。





「隊といってもたったの3人、それも同期とばかりつるんでな。スナイパーの俺と、観測手スポッターとガンナーを兼ねてたアル、そしてブリーチャーとして英国野郎こと――」




  

「マーフィーさん、すね・・・・・・」





「そうだ。無敵の三人衆スリーマンセルさ」





 大隊バタリオンでの生活は、平警官の頃とはまるで違っていた。


 どうして市民からのカンパを受け取らないのかと、わかりやすく汚職に手を染めてた上官から詰め寄られる心配もない。ただひたすら目的を同じくする仲間たちとともに任務に邁進する。過酷だが、やりがいのある日々。


 どれも遠い昔の話だ。





「そう聞くと、なんかローンウルフの子たちみたいっすね」





「・・・・・・どこがだ」





「でもそのタトゥー、友情の証に入れたんしょ?」





 察しのいい奴め。負け惜しみに髪の毛をぐしゃぐしゃにかき乱してやったら、むしろ嬉しそうに足をパタつかせる始末。





「もっとも素直に丸写しにしたのは俺だけで、アイツらときたら抜け駆けどころか、勝手にデザインまで変えやがって」





「具体的には、どう?」





「目立ちたがり屋ばかりだったからな。アルに至っては、なんと和彫りアレンジだぞ?」





 日系の血が流れてるからって、好き放題に。





「まともな青春を送れてなかったからな。入隊時はまだ十代、仲間の絆だなんて顔が赤くなるようなことを、当時は本気で信じ込んでた。俺たちの手でギャングを叩きのめし、腐った警官どもをこの街から一掃してやるんだ・・・・・・って。馬鹿な話さ」





 青臭いたわごとの先にあるのは、決まって過酷な現実だ。俺の雰囲気から、どうもハッピーエンドはありえないとソフィアは察したらしい。





「その・・・・・・やめるっすか?」





「変に気を回さなくてもいい」





 とうに終わった話だ。





「あるとき、隊内で横流しの噂が流れたんだ」





「えっ、でも」





「ああ、俺も耳を疑ったさ。汚職に手を染めるなら死ぬ、そういう覚悟があったからこそ、あの厳しい選抜試験をくぐり抜けられたはずなのにな。さんざん苦労して、血反吐を吐きながらやっとのおもいで手にした地位と信頼を、たかが小銭のためにドブに捨てるだって?」





 俺の仲間にかぎって、そんなの絶対にありえない。そうたかを括れてたのも最初だけ。





「だが上官連中が本気で内部調査に乗りだして、流石に笑ってもいられなくなった。大尉キャピタンに呼び出されてこう聞かれたよ。“お前の同期がこの日、この時に、どこに居たのか知っているか”とな」





「・・・・・・」





 巡査部長は正しい、人生はバラ色とはいかない。





「自分の隣にいる奴を信じろと、訓練ではまずそう教えられる。互いに支え、互いに支えあう、夫婦よりも濃い血の絆をな。

 横流しがあったのは、まず間違いない。ギャングどもが所持してた武器のシリアルナンバーが、うちの武器庫から消えた装備とぴたりと一致したんだ。だが具体的に誰が犯人だったかについては・・・・・・限りなく黒にちかい灰色を突き止めたあたりで、捜査が打ち切られた」





 アルとマーフィー。かつて俺が親友と呼んだやつらがそろって転属したことで、わざわざ身内の恥をそそぐ必要がなくなったというのが理由だろう。





「同期の、それも3人しか居ない小部隊から2人も容疑者が出たんだ・・・・・・一度でも信頼が損なわれると、そいつを回復するのは並大抵のことじゃいかない」





「それでラセルさんは、特殊部隊から刑事課に?」





「マーフィーの野郎に誘われてな。罪滅ぼしかどうか知らんが、俺は警察って組織にどっぷり浸かりすぎてた。転職ってのもピンとこなくて、まさに渡りに船だった」





 そうして赴いた新天地こと窃盗課は、証拠保管室を倉庫代わりにつかってる横流しの総本山。どうりでと、おもわず納得のため息が漏れたものだ。手元に商品があっても、顧客に届けなきゃカネにはならない。マーフィーの野郎はおそらくこの古巣伝いに、ギャングどもと渡りをつけたのだろう。


 もちろん即座に内務調査室にチクった。だが内務調査室のトップと窃盗課を率いる中佐殿は、なんと士官学校の同期ときてる。どいつもこいつもグルとくれば、村八分にされるのも当然の流れだな。


 これが俺なりのすごい事情ってやつだった。


 この街の警官には、ごくありふれた話。この友情だけは決して壊せやしないってのぼせ上がった挙げ句、その当の友人たちから背中を刺された。間抜けの半生ってやつだった。





「・・・・・・だから人を寄せつけないんっすね」





「なーに知った風な口を利いてやがる。俺の人間不信は、生まれつきさ」





 性善説に性悪説、どちらも嘘っぱちだ。


 人間の良い面に救われるか、はたまた悪い面に足元を掬われるか? どちらを最初に経験したかで変わる、単なるバイアスの一種にすぎない。


 それでもあえていうなら、ソフィアが前者で俺が後者なのだろう。だからすべてから距離をとる。ああそうとも、わざわざ指摘されなくたってちゃんと自覚症状はあるとも。





「ゔっ」





 どこからか聞こえてくる腹の音。現在時刻は朝の4時。うんと遅い夕食か、気の早すぎる朝食を摂るには良い頃合いだった。





「食ってくよな?」





 音を隠すためか、寝袋にすっぽりくるまったミノムシ娘が、恥ずかしそうに頷く。





「うっす・・・・・・あの、うちの着替えは?」





「そこらに俺のシャツがあるだろ。適当に漁れ」





「ぜんぶ同じ柄・・・・・・」





 なにを今さら。無味乾燥とした服装センスは、俺のトレードマークみたいなものだ。





「むしろファッションにこだわりのある俺の姿が想像つくのか?」





「おんなじデニム、おんなじTシャツに、同じジャケット」





 ソフィアが並べていった順に服を着込みつつ、反論を試みる。





「文句言うなら、素っ裸のまま放り出すぞ」





「ちょっとぐらいお洒落しても、バチは当たらないと思うっすよ? その、ラセルさん、か、顔はカッコイイんだし・・・・・・」





「お前みたいにか? あの珍妙なコレクションに袖を通すのは、どうも気乗りしないな」





 赤面からの、まさかまさかって青ざめた表情。ほんと忙しない奴だな。


 調達班にはささやかな特権として、遠征1回につき500グラムまでの個人的な取得物が認められていた。


 巡査部長は、もっぱらお茶っ葉。日本産のエロマンガを規定以上に持ち帰ろうとしたアレハンドロは腹抱えて仲間から嘲笑れ、俺はといえば、ペトラの要望を叶えるためにいつも使い切っていた。


 そしてわなわなと動揺の収まらないソフィアは、修道院のドレスコードから解放されたのがよほど嬉しかったとみえる。どこで見つけてきたのやらフリフリのドレスを着込んでは、鏡越しに時たま気持ち悪くニヤついてることを俺は知っていた。





「あ、あ、あ、あの、ウチのプライベートロッカーの中身は・・・・・・見て、ないっすよねぇ?」





「俺はいついかなる時でも、人様のプライバシーを尊重する男だ」

 




「ただしデリカシーは無い?」





「・・・・・・裸Tシャツも、パリコレ仕込みのイブニングドレスも、どっちも布面積的に大して違いはないだろうに。好きなの選べ」





「すすり前ッて!! すすり前って、すったすのにぃッ!!」





 焦ると“す”の数が倍増する。こいつも大概に変人枠だよな。


 食器入れはロッカー、台所だってロッカーが努めてるし、なんならペトラの手によって冷蔵庫に魔改造されたシロモノすらある始末。だがいかんせん、この暗闇じゃどれがどれだか見分けがつかない。


 LEDランタン片手に、スイッチを探そうと立ち上がる。なにせ元が数十人用の大部屋だからな、なにをするにも移動距離が長くてかったるい。冷蔵庫よりも点灯用のリモコンを作らせるべきだったか。


 前は小指をぶつけて危うく死にかけたが、ありがたいことに今回は無傷。パチっと、明かりが灯る。その途端、ペトラと目があった。


 2年前よりかは、すこしは髪が伸びたもののそれ以外は据え置きな、さながら人間サイズのハムスターボールって珍妙な物体に収まってるわが妹。その驚きでまん丸く見開かれた目が、ソフィアのそれと交差する。





「「ひギャァぁぁぁぁぁァァッっっ!?!????」」





 しばし室内に、悲鳴の二重連奏が轟いていった。





††††††





「いやー、恥ずかしいったらないねぇ」





 などとバブルボールの中で、もしゃもしゃラーメンを食い散らかしながら述懐していくわが妹。


 バブルボールとは一体なんなのか? ようするにハムスターがカラコロ乗りまわしてるあの手のおもちゃと、デザイン的な相違点はほとんどない。だがこう見えてモノリス・スペース社が開発した、宇宙飛行士向けの緊急用避難シェルターが原型であるらしい。


 微小隕石の衝突にも耐えられる抜群の強度と、小はタンスサイズ、大は中型テントぐらいまで膨らむフリーサイズ仕様が売り。そこへさらに手を加えて、ペトラは姿勢制御用のジャイロまで搭載していた。


 ボールのあちこちに配されたヘックス型の機械がそれだ。あれのお陰で運動不足で萎えた足腰でも、坂道から転げ落ちる心配をしないで済む。“ようするにセグ◯ェイの丸パクリだよね”とは、ペトラ当人のコメントだった。


 あの非常用持ち出し袋、その容積の大部分を占めていたのがコイツだ。ようするに移動式の簡易クリーンルーム。ここでなら手足を伸ばせるし、折りたたみ式のデスクや椅子なんかも備わってるから、大概のことはこなせる。


 なんなら外部作業用のグローブに両手を突っ込めば、さっきみたく食料品を抱えた人型ネズミの真似事だって出来るのだ。





「そろそろお腹が減ってきたなーと思えば、まさかまさかの兄とソフィアさんが合体中」





「が、合体って・・・・・・」





 耳まで真っ赤にして縮こまるソフィアなんてお構いなしに、口元を食べカスだらけにしたペトラは止まらない。


 なんでもかんでもサイコロ状に出力してしまうのは、フードプリンターの代名詞的な欠点だろう。その点、お湯でふやかすインスタントラーメン系列は、従来どおりの感覚で食べられるとして、定番メニューのひとつに数えられていた。


 一昨日はシチューの具入りブイヨンで、今日はこれ。完全配給制でもこういった形でなら、好きなタイミングで食事することができる。こういう気配りの細かさも、シスターが支持されてる所以なんだろうな。





「こいつは気まずい、どん引きーとなったペトラさんは考えた。ここは一丁、いつもみたく気を利かせてあげようじゃないかと」





 こうしてぶっちゃけてる時点で気配りもなにもあったものじゃないが、それはともかく。





「で、ネズミよろしく食料を掻っ攫おうとしたわけか?」





 滑るように回るバブルボールさまさまだな。油断していたとはいえ俺が気づかないなんて、大した静粛性だ。





「成功まであとすこしだったのに、そこでまさかのパチっ。いやー、心臓が飛びてるかと思ったよぉ」





「よくまあ、あの暗闇の中ぶつからずに」





「ここで暮らしてもう2年だもん。それに徹夜つづきで鍛え抜かれた、ペトラさんの夜間視力をバカにしちゃあいけません」





「バカにする部分があるとすれば、一言断りを入れるって発想がまるで出てこなかった点だな」





 言えよな? そんな正論に、珍しく気まずげな感じでペトラが言う。






「いやさ・・・・・・女の子こましてる場面にお腹すいたーって横入りするの、勇気がいるってもんじゃないですよ?」





 ふむ、それも一理ある。


 そんな仲睦まじい兄妹のやり取りを、律儀に食前の祈りを唱えてからラーメンをすすりだした裸Tシャツ娘が、どうしてかムスッとした顔で聞いていた。





「なにを脈絡なく拗ねてるんだ、お前は?」





「いえ、別にっすけど・・・・・・なんか、前にもこういうことあったのかなって」





「まさか妬いてるのか?」





 本当にもう、世慣れしてない奴はこれだから。





「俺だって良い大人だぞ? そりゃ元カノの1人や2人くらい居るに決まってるだろ」





「3人目は、ちょうど目のまえに居るねぇ」





 余計なことを。


 わが妹は重度の人見知りである。だがソフィアはこれまでの元カノ集団と違い、ペトラからすれば初めての年下だ。年長者らしく振る舞おうとして、逆に世話を焼かれる。ある意味で相性のいい2人なのだ。

 




「うちは3人目の女・・・・・・」





「本気か? 本気でこの話題を深掘りするつもりなのか?」





「べ、別に〜」





 などと気のないふりして、目は好奇心に浮ついていた。





「っすけども・・・・・・は、話したいなら、別に止める気もないといいますか」





「どちらから先に聞きたい? 麻薬精製施設に擲弾ぶちこんで、ひねりつぶした組織のボスの横でゆうゆう自撮りしてた最初のカノジョがいいか? それとも検視官って本業のかたわら、濃厚な死体トークで一部から絶大な支持を受けていた副業Vの者って2人目の方か?」





「・・・・・・なんかもう、元カノうんぬん置いといて逆に興味が湧いてきたんすけども」





 墓穴を掘ったか。まあ安全地帯から眺める分には、面白い女たちだったのは認めよう。だが付き合うとなると・・・・・・まあ、この話はいずれな。


 おもわぬ団欒。人類のほとんどが死に絶えた今となっちゃ、ひどく珍しい風景なのは間違いない。


 だからこその暗黙の取り決め、外で何があったのかは決して尋ねないのがここでのお約束。そうやって辛い現実からペトラを遠ざけようとしていたのか、はたまた守ろうとしていたのは自分自身なのか。とうの昔に見分けはつかなくなっていた。





「そいや兄やい、頼んでいた品は」





「まあ幾つかな」





 そう言って俺は、調達作業のかたわらポーチに放りこんできたUSBやらの記録媒体を、ロッカー製のテーブル上にどぱっと拡げていった。





「おおう、いつもありがとね兄」





 一連のクラウド・ブームによって数こそ減らしたものの、それでも探せば意外とあるもので。ビル中からかき集めてきた記録ストレージたちが、さっそく殺菌消毒機能付きの投函口を経て、ペトラの手元へと渡る。





「あっ。それ、うちも気になってたんすよね。どうしてわざわざ集めてるのかなって」





 怖いもの知らずというか、なんにでもとりあえず興味を示すソフィアが間髪入れずに尋ねていった。





「MARIO.netの封鎖で、俗にいうネットから切り離されてしまったペトラさんたちだけどね? こうした記録媒体に残されたキャッシュ・データまでは、さすがのあの子たちも手が回らなかったみたいでね」





「すー、なんすね?」





 さながら宇宙の神秘を目にした猫よろしく、固まってしまったソフィアにそっと耳打ち。





「なんでも残されたSNSの投稿ログを収集して、あの日に何が起きたのか、その真相を突き止めようとしているらしいぞ?」





「それってつまり、ゼロデイ・クライシスっすよね?」





 オープンソース・インテリジェス、いわゆるOSINTオシントってやつだな。


 ひとつひとつは大したことのない屑データでも、束ねて濾して、丹念にピースを繋ぎ合わせてやれば、全体像ってやつが垣間見えてくる。





「もっといえばだねぇ。ペトラさんが知りたいのはずばり、あの子たちがどうして反乱を起こしたのかって、ただ一点にあるのさ」





 明日の食事にも困ってるのに、世界の謎なんて追い求めてなんになる? 誰もが気にし、それでいて腰を据えて考えられずにいた問題をただペトラだけが、ひとり孤独に調べつづけていた。





「そういえば棚上げになってたすよね、その問題」





 どんな話題にもとりあえず相槌を打ってしまうソフィアの悪い癖が、場の流れを決定づける。こうなったらもう、喋りたがりのグータラ猫娘の独壇場だ。


 タンッと、あのキモい猫のストラップにまみれたラップトップのキーを、おもむろにペトラが叩く。


 さすがは最高級モデル、さも当然のように投影機能に対応してるのだからな。往年のSFよろしく、天板に埋め込まれたレンズから七色の光線がほと走り、食卓の上にホログラム映像が形作られていった。





「こいつはだねぇ、ゼロデイ当日の世界の投稿ログをまとめたものだよ」





 365度、どっからでも見れるようにサイコロ状に仕立てられた時系列早見表。さまざまな言語で綴られた何万ものコメントが、時間経過にあわせて浮かんでは消えていく。


 そいつを口をあんぐり開けて、呆然と見守るソフィア。わが妹ながらとんでもない。これ全部に目を通すだけじゃ飽きたらず、編集まで施すなんて。





「いまさら説明不要だろうけど、一応ね。事件が起きたのは、今からざっと2年と3ヶ月前。東部標準時の深夜2時のことだった。この時を境にしてマリオロイドは一斉に暴走をはじめた」





「・・・・・・まだほんの2年なんすねぇ」





 しみじみとした口調。その気持ちはよくわかる。


 わずか2年足らずで、人類が積み立ててきたこれまでの歴史の一切が吹き飛んだのだ。あまりに気宇壮大すぎて、どうにも実感なんて湧きやしない。


 シークバーをペトラが弄ると、加速度的に悪化していく情勢が無数のコメント越しに読み取れた。トレンドワードは“助けて”、“マリオロイド”、“ウィルス攻撃”。あまり見ていて気分の良いものじゃない。





「人形の普及台数が一番多いのは、いうまでもなく開発国でもあるアメリカ。そこに日本とEUがつづき、あとはどんぐりの背比べって感じかな。

 だから♡OSを解析して作られたなんちゃって国産品が普及してた中国と、世界の悪役まっしぐらでハイテク製品の禁輸処置が貫かれていた真ソ連だけは、当たり前というか被害は少なめだったみたい」





「じゃあ、その二国はまだ健在かもしれないんすね?」





「そいつは微妙な線だね。ほら、言語別でフィルタリングをかけてみると、少ないながらもフード・プリンターが出回ってた中国の人口密集地帯は、ウィルス攻撃でかなりの打撃を被ったぽい。

 ソ連もソ連で、長すぎる国境線を守るためにNATOはかなり無人兵器に投資してたからねぇ。米軍につぐ大口顧客は伊達じゃないっていうか、モノリス印の爆撃機がロシア領に雪崩込んでいったって投稿を最後に、国境周辺からの情報はパッタリ」





「・・・・・・」





 第1波こそ凌げたようだが、それがロシア人にとって良いニュースかどうか。


 長期にわたる制裁で経済はズダボロ。大量の餓死者が出てるとかニュースで見たし、そんな状態でターミネーターもかくやの最新鋭ロボット軍団にどこまで対抗できたのやら。その点は、国境紛争を山と抱えてる中国だって似たようなものだろう。


 一息にとどめを刺されるか、はたまた終わりのない消耗戦に引きずり込まれるか? どちらにせよ連中がいきなり仏心を出して、南米くんだりまで救援部隊を送り込んでくるとは考えずらい。はるか極北での出来事なんて、やはりどう頑張っても他人事なのだ。





「良いニュースもあるよ? ガイガーカウンターは静かなもんだから、核兵器はどこも使わなかったぽい」





「すっ、すか」





 それって、使う暇もなく全滅したってことなんじゃないのか?


 そんな踊り狂うコメント群も、ある時刻を境に全面シャットダウン。ここらへんでMARIO.netが遮断されたのだろうな。これまでが嘘のように沈黙がネット全体を包み込んでいった。





「あれ? その投稿・・・・・・」

 




 だがソフィアが疑問の声を上げたように、MARIO.netの封鎖後もぽつぽつと、少ないながらも投稿がなされていたのだ。あのミミズがのたうったような特徴的な文字は、アラビア語とみてまず間違いない。





「おや、お気づきになられましたかね? この中東在住の77Cさんは、観測できる範囲内ではだけど、最後までネットにかぶりついていた人物らしいのさぁ」





 その内容はといえば翻訳ソフトにいわく、“どうなってるんだ?”のただ一言のみ。そういうお前がどうしたんだと、俺としては聞き返したいところだな。





「他より、5分も長生きしてるっすね」





「不思議だよね。東部標準時の深夜2時、それが共通の攻撃開始時刻であるはずなのに、このタイムラグは一体どこから来たのか?」





「たまたま運が良かった、とか?」





「そいつは科学的じゃないね。偶然を分解し、法則性を見出すのが科学者たるものの本分。東部標準時の深夜2時・・・・・・実はね、この時刻にあるアップデートが配信されたんだ」





 それこそがアールに道案内を頼むつもりだったのに、俺が二の足を踏まされた原因。





「アップデートver.66――ペトラさんはね、この一連の事態は人為的なテロなんじゃないかと、そう疑っているのさ」





 大胆すぎる仮説に、ぽかんと固まる金髪褐色娘。





「へ? いや、でもっすねぇ・・・・・・」





 すべては人形のせい。そうやって憎しみの一切を向けてきたから、実はおなじ人間の犯行だったなんてのは、たとえ仮説でもそう簡単には納得できない。言いよどむソフィアの顔からは、そんな本音がダダ漏れていた。





「すっすけど・・・・・・実際に反乱は起きたわけで」





「それなんだけどさ。結局これって反乱なのか、はたまた暴走なのか、どうにも判然としてないんだよね」





「自我に目覚めたロボットがーって展開、映画ではよく目にしたっすけどもねえ」





 かつての俺も、似たようなことをのたまっていたものだ。そしてあの時だって、あっさりわが妹に論破されてしまった。





「ふむん。仮にこれが人類を抹殺して、食物連鎖の頂点に立とうとロボットたちが仕掛けた独立戦争だとしよう。でもさ、だとするとその目的っていったいなんなの?」





「いえいえ、今さっき食物連鎖の頂点にって自分から」





「で、それからどうなったのかな? ロボットによるロボットのための国家の建設とか、選択肢は無数にあるはずなのに。現実にあの子たちが選んだ道は、ただ漫然とかつての日常をなぞるのみって謎行動だけ。

 反乱まで引き起こしておいて、得られた成果がそれってどうなんだろうねぇ」





 控えめに言っても意味不明。うまく言葉にはできないが、誰もが肌で感じていた事実ってやつだな。





「じゃあ、自我が芽生えた可能性は絶対に?」





「ふむ、まあその点は・・・・・・ねぇ。実のところずいぶん昔から、自分たちの手でAIを組み上げるって行為を私たち研究者は放棄してたのさ。

 地道にコードをぽちぽち打ち込むよりかは、あとは好きに学んでねって箱庭に放り込んであげるほうが、楽チンかつ高性能になったんでねぇ。かくゆう♡OSだって、大部分がそういった自己学習のもとに成り立ってる。

 そういう人が目を通したことのないコードのどこかに、自我の発育を促すなんらかの因子が潜んでた可能性は否定できない」





 でもさ、とペトラは疑問を呈する。





「AIを新たな生命と定義するなら、その目的は人類とおなじく種の繁栄であるはず。増殖し、拡散する・・・・・・実はこれって、あの子たち的にはとうの昔に達成されてるのね。

 共存共栄の生き見本というか、何をしなくても人類のほうで勝手に改良してくれて、世界の隅々まで、なんなら遥か月世界にすら連れていってくれるんだからさ」





 個人的には、いささか人間寄りな意見すぎる気もする。それでも人類と今すぐ手を切るべきだってAIが焦らなきゃいけない動機ってやつが、どうにも見えてこないのだ。


 ロボットの製造禁止が可決されました。そういった裏事情があるならともかく、表面上は平和そのもの。現にマリオロイドの販売台数は右肩上がりだったわけだしな。





「そこでさきほどの77Cさんの話に戻るけど。このとき偶然にも、地震のせいで中東全域が停電に見舞われてたらしいのね。ロボットが気まぐれで計画を延期するとは考え難い。だけどアプデについては、また事情が別ってわけで」





「配信が遅れたことで、暴走のタイミングもまたズレた?」





「大正解」





 こうしてまとめられると、原因は明らかだな。わが家の電脳家政婦ことアールの一件にしたってそういうことなら、納得のいく部分を多々思い出すことができる。





「おそらく何者かがアップデート内にトロイの木馬、ようするにコンピューターウィルスを混入させたんだろうね。これがペトラさんが信じることの真相だよ。電子ネット現実リアル、2種類のウィルスによる前代未聞の世界同時多発テロ・・・・・・」





 しばし深く考え込んでいたソフィアが、やおら口を開いていった。





「すっても、犯人はどうしてこんな事を?」





 仮にも元警官。この点については、どちらかといえば俺の専門分野だろう。





「あのな。テロリストの考えることなんて、理解できることの方が珍しいぞ?」





 閉塞感を抱えちゃいるが、そいつを打破する方法がわからない。結局のところテロリストの根っこにあるのは、そういった漠然とした不満だけなのだ。その感情を発散できるのなら、どんな思想にだってすがりつく。


 コーランを読んだことのないイスラム過激派に、ヒトラーはカンガルーの国から来たと信じ込んでるネオナチ。そういった訳のわからない不穏分子どもを逮捕してきた経験から導き出された、俺流の心理分析の結果がこれだった。


 あれは思想でなく、ムーブメント。現に大量殺戮で名を売った途端、これまでの凶暴性が嘘かのように縮こまるのがいつものパターン。テロリストの大部分は、そういった自我のない単なる馬鹿の集まりにすぎない。


 だがそう考えると・・・・・・このゼロデイ・クライシスの仕掛け人からはどうにも、強い思想的な背景を感じはする。“ハレルヤ”なんて戯言を人形に吐かせるなんて、その最たる例だろう。





「人形解放論者によるはた迷惑なサボタージュ。アナーキズムを拗らせたか、どこぞの政府に雇われたハッカーグループによるテロ行為。それか終わらぬ残業に耐えかねて、会社にひと泡拭かせてやろうと考えた内部犯による犯行」





 いくらでも犯人候補は挙げられるが、いかんせん手元にある証拠品ときたら、海の物とも山の物ともつかないネットの書き込みだけ。それすらも断片的ときてる。





「うーん、ペトラさん的には、やっぱどれもピンとこないかにぁ。♡OSって国防総省ペンタゴンから指定された戦略物資でもあるからさ。漏れなく暗号化された数十億行ものコードにウィルスを潜ませるとか、並大抵の力量じゃないよ」





「だったら俺イチオシの、プッツンきた天才肌の社長による犯行の線はどうだ?」





「えらく推すねえ」





「だから、こう、ひどく含みのあるインタビューをたまたま見かけたんだって。それもあの日、あの時にな」





「社長ってひどい人間嫌いだからさ、たぶん事前に録画されたものだと思うよ? そうタイミングよく放送されるもんかね?」





「だとしてもだ、俺には犯行予告にしか聞こえなかった」





「人、それをバイアスと呼ぶ」





 どうあがいても雲をつかむような話ばかり。真犯人が誰であれ、こうも世界が壊れたあとじゃ、真相は藪の中だろう。





「あ、あの、お話を遮るようで恐縮なんすけども。そのおーえす? ってのが原因なら、それを治すためのワクチンとか、どうにか作れないもんなんすかねぇ?」





 その点、ソフィアの方がまだしも現実的なものの見方をしていた。暴走の原因がソフトにあるのなら、そいつを修正することは理論上可能なはず。





「そんな大掛かりなことしなくとも、OSをダウングレードするだけでこの仮説の成否は一発でわかるのだよ。それであの子たちが正気に戻ったのなら、やっぱり原因はアップデート66にあったというわけで」





 実のところネットワーク機能がオフにされた、スタンドアローン版のVer.65なるプログラムはとっくに準備済みだったりする。問題はその“ペトラ・スペシャル”でどうやって人形に注入するかなのだが。





「コアだけじゃ、駄目なんす?」





「あいにく本体から切り離されると、技術情報を守るために全自動で初期化されちゃうんだ。まっさらなコアだけじゃ意味ないからねぇ」





「じゃあ・・・・・・生け捕りするしかないって、ことっすか」





 狂犬病のグリズリーをとっ捕まえろ、それも無傷のままで。殺すのですら苦労させられるのにこんな無理難題、考えるだけで鬱になる。実際、仮にもこれまで調達班の一員として人形どもと対峙してきたソフィアの表情は、えらく暗い。


 人類救済の切り札になるかと思いきや、とんだ肩透かし。そんな思い悩む金髪褐色娘がいきなり、ハッと何かに勘づいたように、責めるような眼差しを俺に向けてきた。





「だからダ・シルバ隊長には、人形は壊したなんて嘘ついたんすね!!」





 経験不足なだけで地頭は良いんだよな、こいつ。いらんこと気づきやがって。





「知ってたならちゃんと報告しろ。俺の教えを破りやがって」





「な、なにを自分ばっかし棚に上げて!! ラセルさんに何か考えがあるんだろうって、それでうちは!!」





「へ? へっ? ペトラさん置いてきぼりなんですけど?」





 やれやれ。だから黙っていたのだ。





「今日、じゃなくてもう昨日になるか。俺たちが回収してきた民警の輸送用車両にな・・・・・・電源切れで文鎮状態になってる第3世代が、いまも眠ってるんだよ」





 ぱちくり、寝耳に水のペトラがめずらしく固まっていた。


 車両基地内にリスクを持ち込むような真似を、あの女は絶対に許容しないだろう。この問題については、じつはずっと前から妹と密かに話し合っていたのだ。


 仮にすべての仮説が正しくとも、それで劇的に状況が変わるわけじゃない。世間に出回ってる何億体というマリオロイドを正気に戻すには、MARIO.net経由でアップデートを配信するしかない。だがあれの支配権は、いまも人形どもの手のうちにある。


 51%攻撃といい、全世界に散らばるスパコンを並列化して、演算力の殴り合いで勝利を納めることは、理屈のうえでは可能であるらしい。


 “アメリカ、イギリス、日本とフランス、ドイツと中国ときて、あとは静かな海基地もかな。これらをすべて揃えて、なおかつ人形の支配下にあるモノリスの自社サーバーをいくつか破壊できたのなら、理論上はいけるかもしんないねぇ”


 そんな及び腰の説明じゃ、シスターが首を縦に振るはずもない。せいぜい暴走の原因が分かったって、学術的な好奇心を満たせる程度。だから横車を押す。


 


 

「隊長ならきっと協力してくれたのに。うちだって」





「巻き込めるわけないだろ。成功する保証はどこにもないんだ」





 政治的リスクってやつも無視できない。シスターがどんな反応を示すか、読み切れないからな。下手したらそろって縛り首とか、まあそうなったらなったで対処法はすでに準備済み。それも含めて巻き込めなかったのだ。





「そうやって・・・・・・また自分1人だけで抱えて」





 恨み節というよりかは、悲しげなその物言いに、どうにも頭を掻いてしまう。こうなるから嫌だったんだ。


 そんなしんみりとしたこちらの葛藤なんてどこ吹く風。わなわな震えながらペトラは、なにやら忙しなくバブルボールの中で動き回っていた。





「ま、ま、ま、ま、まずは、だね!! この端末を人形の手首に設けられたコネクタに接続してだね!! いやいや先走り過ぎだってばさ・・・・・・ちゃ、ちゃんと、検証作業を同時並行しながら、ねッ!?」





「詳細は省くが、実のところ時間がない」





 実のところ鹿の王の一件もあり、この計画は後回しにするつもりだった。それどころじゃないってのが本音だからな。


 だがこうしてバレてしまった以上、ペトラが我慢できるはずもない。学者あるある、目先の好奇心にひたすら忠実。無茶をしでかす前に、こちらで手を打つしかない。


 こんな妙な時間帯に目覚めてしまったのも天佑か。今ならまだ、車両基地全体が寝静まっている。


 シスターの定例ミサは、朝6時から。そして現在時刻はもうそろそろ5時に差し掛かるってところだ。密かに輸送用車両の元まで移動して、巡査部長のバッジでもって扉を開放。いつでも破壊できるよう銃口を突きつけながらバッテリーをチャージして、わが妹の仮説が正しいかどうか確かめる。


 強行軍ではあるが、やってやれないわけじゃない。仮に人形が暴走したとしても、現場は簡単に封鎖できる車両内だしな。リスクは最小限で済む。





「30分以内に済ませられるな?」





「うぇ? もそっと猶予期間をだね」





「無理だ」





「うーーー、た、たぶん大丈夫・・・・・・」





 どうにも不安は隠せてないが、ペトラにとっても2年越しの本願成就なんだ。今さら引き下がれやしない。





「ちょっとでも暴走する気配が見えたら、その時点で容赦なく破壊するからな」





 その覚悟はって、聞いちゃいないか。あれこれ荷物を引っ張り出しては、準備に余念がないわが妹。それは、ロッカーに仕舞い込んだ装備品をおもむろに身につけていくソフィアにしたって、同じことだ。





「あのな」





「うちはラセルさんと違って誰かを信じたいし、頼ってもらいたい。今回だけは、異論も反論も受けつけないっすからね」





 こういうときに限って、意固地なのだから。大いに腹立たしいこったな。


 もう場の流れは、覆りそうもない。あまり気乗りしないが、これが最後になるかもしれないしな。こっちもこっちで準備を進めることにする。


 ああ、分かってるとも。結末は揺るがない。俺はほどなく首を斬り落とされ、この電脳世界に閉じ込められるんだってことぐらい。


 知っているのに思い出せない、曖昧模糊としたこの世界でずっともがいてきた。で、その、なんだ・・・・・・これがどうあのオチに繋がる?


 どこか胸躍らせてる様子の無邪気なペトラに、どこまでも献身的すぎるソフィア。俺が守らなきゃいけない女たち。それだけじゃない・・・・・・ローンウルフのガキどもにしたって、一番頼りなるはずのピグですら今はアレハンドロの死によって見る影もなく塞ぎ込んでいる。

 

 予感があった。自分が死んだのだっていう強烈な自覚症状、こいつは確信に近づいたがゆえに違いない。死は誰にでも訪れるもの。否応なく、誰かを残して旅立つしかない。


 だったら――こうして思考をめぐらせてる俺は、一体何者なんだ?





「・・・・・・マリア」





「はい」





 この場に居てはならない、薄紅色の髪をした人形が間髪入れずに答えを返してくる。





「お前は、俺の敵なのか?」





「マリオロイドの使命は人類のお手伝いをすること。ただ、それのみですから」





「またそれか・・・・・・」





 マリアには、射撃管制装置のたぐいは組み込まれていないらしい。つまりは軍用モデルがすべからくそうであるように、相手を殺すかどうかの選択はあくまで、人間の意志に委ねられてるってことなんだろう。


 



「死ぬのが恐ろしいですか、ラセル刑事?」





「馬鹿いえ。とっくの昔に覚悟は終えてる」





 だがな・・・・・・俺が死んだら、あいつらはどうなる?


 自分を過大評価なんてしてないが、それでも犯罪者気取りの学生集団だけで鹿の王とやり合うなんて、自殺行為にもほどがある話だ。英雄的な死なんて望んじゃいない。それでもせめて、あの怪物を道連れにとかだったら納得もいく。


 なのに、わけもわからず薄汚れた車両の片隅で首を刈り取られてくたばるだって? それが俺の運命だとでもいうつもりか? そんなの――承服できるはずもない。





「どんな結果も自業自得と受け入れてきた。だがペトラは? まさかソフィアの奴も巻きこまれたっていうのか!?」





「お二人はご無事ですよ」





「どうして言い切れるッ!!」





「今もモニタリングされてますから。ラセル刑事にもわかりやすく説明するなら、いわゆる現実世界にて」





 言葉だけならなんとでも。まして相手は、回路がぶち壊れた暴走人形ときてる。それでもマリアは根気強く、かつてのマリオロイドがそうであったように、ずっと俺に忠実であろうとしてきたのだ。


 もはや名前すら思い出せない最初の相棒は、俺が刺された時点でさっさとケツまくって逃げだした。今度は頼れる同胞をと、大隊の門を叩いてみれば、現れたのはマーフィーのクソ野郎ときてる。


 どいつもこいつも頼りない。相棒ってやつに俺はいつだって、裏切られてきたのだ。





「・・・・・・この目で見るまで、信じられるものか」





「そう言われると思いました。実のところ、手がないわけじゃありません」





 どうにも悪魔との契約じみてきたな。マリアは初対面のときから変わらず、とっぽい微笑みうかべてただひたすら突っ立ていた。究極の指示待ち人間、これだからロボットってやつは。


 どうするかは、何もかも俺次第。選択はすべてこちらに委ねられている。





「このシミュレーションの行き着くさきには、一体何がある?」





「とくには。だってただの犯罪捜査ツールですので」





「ハッ、“ただ”のね。にしては、ずいぶんと俺に肩入れするんだな」





 たかがデータだっていうのに。





「人類のお手伝いすることこそが我が使命。でも人類の定義って、微妙に確立されてませんからねぇ。いまのラセル刑事が果たして人類の枠組みに収まるのかどうか、そもそも生きてるのかどうかすらも、当機には判断しかねます」





 のほほんとまあ、言い切るもんだな。





「・・・・・・お前の手とやらを使えば、現実世界に干渉できるんだな?」





「はい。お約束します」





「あいつらを守れるし、鹿の王だって仕留められる?」





「それについては、努力次第かと」





 どのみち選択肢なんてありはしない。





「・・・・・・やってくれ」





「了解しました」




 いきなり眼前に浮かぶ、謎のインターフェイス。そこには“素体への同期を始めますか”って文章と、Y\Nってシンプルすぎる二択が示されていた。


 ああたくっ、Y部分に指を添えた途端、りちりと世界が揺らぎだす。ここが実は精巧に作られた仮想空間にすぎないんだって何よりの証。情報量がどんどん削ぎ落とされ、さっきまで生き生きとしていたペトラすらもいまは残像のように、その動きを止めている。





「サブジェクト262の擬似生体、ならびに記憶データの同期完了。自己診断を開始。データの欠損なし、オールグリーン――あっ、忘れてました。羞恥心アルゴリズムは当機の一存ではOFFにできないので、着替えの際はあまりジロジロ見ないでもらえると助かります」





 ちょっと待ては、もはや通用しない。手が、足が、自分というものが世界からかき消え、声すらも失われていく。


 でだ・・・・・・けっきょく俺は誰に殺されたんだろう? 


 このシミュレーションは本来、記憶を修復するためのプログラムだったはず。そいつを途中終了しようとしてるのだから、当然の成り行きではある。兄心に突き動かされ、すこし先走りすぎたかもしれない。肝心の真犯人の正体は、いまも霧がかっていた。


 それでも、あのドアベルの音はえらく耳にこびりつく。こんな時間に一体誰だ? あのドア周辺だけはまだシミュレーションが継続していた。


 このまま座してマリアのいう手とやらに身を委ねるか、はたまた・・・・・・両手足はとっくに消え失せているのに、どうしてかドアノブを掴むことはできた。


 ええいままよと、思いきり開け放つ。その向こうに立っていたのは――鮮やかな金髪を頭巾の奥に封じ込めた、修道服姿の妙齢の女。





「あら、おはよう。ご気分はいかがかしら、グリス隊長?」





 そういってシスターは、悪魔のような微笑みうかべていった。





††††††





 目覚めると俺は、タイル張りのシャワールームの一角に拘束されていた。


 この手首の感触、まず間違いなく手錠のそれだな。粗末なパイプ椅子に座らされ、すぐ目の前には、完全武装状態のソフィアが毛を逆立てた猫みたく、警戒体制で立ち尽くしていた。





「ラセルさん・・・・・・すよね?」





 どうにも妙な雰囲気。何がどうなってる? そう発音しようにも、うまく声が出てこない。





「おかえり〜。ずいぶん長々と過ごしてたみたいだけど、メモリアと現実世界の時間の流れはまるで異なるからね。じつはほんの1時間しか経ってないと言ったら、兄は驚くかな?」





 一方、バブルボールの向こうでよく分からないハイテク機材を操ってるペトラは、いつも通りすぎて逆に違和感を抱くレベル。


 なんだ? どうして誰も指摘しない?


 なにせここはシャワールームだからな、鏡には事欠かない。薄暗いながらもキラリと反射するあの銀板に映り込んでいるのは、鮮やかすぎるピンク髪。どうしてか俺が首をふるたびに、鏡の中のマリアもまたまったく同じ動きをするのだ。




「ふむ。特に問題はなさそうだねぇ。最初は戸惑うかもしれないけど、新しい身体にもぼちぼち慣れていかないとね、兄やい」





 間違いない。この髪、この身体は。ふと気がつくと俺は――間の抜けたマリオロイドの身体に転生を遂げていた。




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