Chapter Ⅷ “ ここにいる全員が、誰かの息子であり娘なのよ”

 ぐるぐる螺旋のようなトンネルを下ることしばし。かつてはエントランス・ホールと呼ばれ、いまは拡張、再整備のすえに車両基地と名を変えた施設が、そろそろ間近へと迫りつつあった。


 トラムの整備スペースであるそこを守るのは、駅にあったのとまるで同じデザインの巨大隔壁。あれのお陰で、かくも大勢が生き延びることができたのだった。


 徐々に減速していく車両。最後端のここからじゃ、どうにも先頭の様子は見えやしない。それでもローンウルフの連中とシスターの尖兵こと、防衛隊とのやり取りは容易に想像することができた。


 ただの電波程度なら大丈夫。人形が引き寄せられる心配はまずないが、言葉の先頭に“恐らく”とつく限り、施設に引きこもった避難民どもは絶対に納得しやしない。自家製の有線電話でやり取りしてるのは、一応は不良少年少女団のリーダー格であるアレハンドロだろう。しばし後、城門よろしく隔壁が開け放たれていった。


 ビルの玄関口としての装飾はそのままに、無理やり増設された骨組みやクレーンが俺たちを出迎える。車体下に潜り込めるよう中空になった線路をたどり、いかにも工房といった雰囲気の大棚の狭間にゆるゆると停車していくトラム。





「目を瞑れ」





 狭い足場で塞ぎ込んでるソフィアと、いつも通りクールそのものなピグへ、そんな警告を飛ばす。


 即死を旨とするデイワン・ウィルスを持ち帰ってしまう。そんなの電波以上の杞憂案件なのだが、パラノイアに囚われた連中には何を言ってもムダだ。所定の手続きどおり、即席の防護服を着込んだ男女がすぐさく消毒液をトラムに浴びせかけていった。かくゆう俺たちも素直に、そのえらく目に染みるシャワーの洗礼を受けることにする。


 この組織性・・・・・・100人にも満たない集落にしては、なんやかんやと対したものだ。やはりシスターの統率力は侮れないな。


 再封鎖されていく隔壁という名の鉄扉。行きの苦労が嘘のように、ほんの15分足らずの列車の旅がこれにて終わる。ああそうとも、敏いやつならとっくに気づいているだろうさ。予定より車両編成が少ないことぐらい。





「聞いてたより少ないな」





 いの一番に気がついたのは、やはりというか作業班の長であるデュボア老人だった。


 総白髪のそろそろ70って爺さま。その鼻には酸素吸入用のチューブが繋げられ、持病の深刻さを物語ってはいたが、あいにくとエプロン姿の熊男って外観のせいで弱々しいイメージは微塵も感じられない。いわゆる時代遅れのボルト・アンド・ナットガイってやつだな。


 銃火器はともかく、それ以外のあらゆる装備品は、この老人とその配下こと作業班のお手製だった。手縫いにしては、ピグやソフィアをはじめとする他の面子が羽織ってるプレキャリの品質はえらく良い。ただ腕の良さと察しの良さはどうにも比例しないものだと、頑固一徹なへの字口が示してもいた。





「食料のコンテナはどうした?」





 話したい気分じゃない。態度だけでなく、そう言葉にしないと引き下がらない雰囲気だった。そこに飛び込んでくる――ポフドフスキーの切羽詰まった叫び。





「誰か、医者を呼んでくれッ!!」





 風のように駆け抜けていくピグ。俺もまた、その背中をすぐさま追いかけていった。


 すでに現場は修羅場と化していた。人垣をかき分けた先には、ストレッチャーに載せられたアレハンドロの姿。必死の治療を施していたらしいチュイの顔は青ざめ、ポドフスキーに至ってはほとんどパニック状態。修羅場をくぐり抜けても、なんやかんやまだガキなのだ。





「何があったんですか?」





 そう髭面少年に問いかけていったピグにしても、珍しく焦ってるように見えた――少年の腹部は、すでに血で真っ赤に染まっている。





「騒ぎすぎだって・・・・・・」





 怪我した当人が冷静なのは、まだ救いか。青髪ハッカーに詰め寄られる形で、ポドフスキーがたどたどしく状況説明をしていく。





「わ、分かんねえよ。ピグを助けてくるって飛び出して、そんで・・・・・・」





 この場で正規の訓練を受けているのは俺だけだ。腰元の応急処置キットを引っ掴みながら、アレハンドロの血濡れのシャツをめくってみると案の定、パイプ爆弾の外装らしき鉄片が腹部に突き刺さっていた。典型的なフラグメント創傷だな。




 

「起爆にはもっと余裕を持てと、教えただろう」





「でも・・・・・・おかげで助かったでしょ、教官?」





「あとで再講習だな、覚悟しとけ」





 すでに止血ジェルが吹き付けられてはいたが、あいにくと出血はまだ止まっていない。他にも傷が?・・・・・・クソっ、どうりでローンウルフの奴らがビビり散らかしてるわけだ。傷の裂け目から、ピンク色の腸管がはみ出していた。





「へへ・・・・・・タバコある?」





「未成年が生言うな」





 軽口はまだ叩ける様子だが、それもいつまで保つか。あどけなさを残すその顔は、すでに蒼白だった。





「ピグ、手伝え」





「・・・・・・」





「ピグ!!」





「なんです?」





 普段なら一番頼りになるものを。だが今は、心ここにあらずって感じだった。そうか、コイツもこんな風になるのか。





「アシストならうちがッ!!」





「横にするぞ!!」





 代わって名乗りをあげたソフィアとともに、アレハンドロの身体を傾けてみる。やはり背中まで鉄片が貫通していた。だから出血が止まらないのか。


 こちら側にもジェルを吹きつけ、抜け落ちないようダクトテープで固定する。いまは栓みたく機能しているが、外れたら厄介だ。どうにも足が滑るな。この足元のぬめりは消毒薬か? それとも血溜まりなのか? 


 姿勢はこのまま、痛みでうめくアレハンドロを無視して両足を曲げさせる。こうすれば腹に力が入らなくなり腸がこれ以上、飛び出す心配がなくなる。次は輸血の番だ。





「誰でもいい!! 輸血パックを持ってこい!!」





 何ごとかと集まってきた人だかり。元主婦に元コンビニ店員、そして人生に悩めるギャング崩れどもの群れ。そういった避難民の大半が、シスターが言うところの互助会ミーティングのかつての参加者だった。老人と子ども、あと手先の器用な連中は作業班。それ以外の成人はことごとく、車両基地の守護者を気取る防衛隊に籍をおいていた。公然の事実だ・・・・・・俺たち調達班と連中は対立関係にある。


 アレハンドロの腕にカテーテルを繋げつつ、この冷血感どもがと胸中で罵る。どんなに俺が訴えかけようが、誰ひとりとして動こうとしない。どいつもこいつも傍観者を気取っていた。





「たしかイシドロさんって、Oマイナスだったすよね?」





 そんな傍観者たちの一員、いかにもなプリズンタトゥーを入れてる痩せぎすの男に、いつになく厳しい口調で問いかけていくソフィア。その間にも作業の手は止まらず、生死をさまよう少年の両手両足に包帯をキツく巻きつける、いわゆる自己輸血法を実施していた。もうそこには、膝を抱えて落ち込んでる小娘の姿は微塵もない。





「いや・・・・・・シスターからの指示もなく勝手な真似は」





 いかにも神経質そうな、イシドロなる男の首を掻きながらの弁明。こんな状況でなきゃ、ぶん殴ってやりたい優柔不断さだ。





「定期的な献血への協力は、そのシスターの命令っすよねッ!?」





「だが――」





「いいから早く!!」





 金髪褐色娘に押し切られる形で、しどろもどろな男がすすみ出てきた。


 反感は押し込め、さっさとそのギャング上がりらしき痩身の男の静脈に針をブッ刺す。カテーテルを伝い、流れ落ちてく血液。俺が出来るのはここまでだ。応急処置の目的はあくまで時間稼ぎ、ここから先は医者の領分だった。





「シスターが来られた」





 誰が言ったのやら。俺にはそれが、“医者”が到着したという風に聞こえた。


 シスター呼ばわりから連想される通りの格好を、その女はしていた。見た目は娘と瓜二つ。褐色の肌を修道服でもって隠し、かぶった頭巾の端からはソフィアのそれよりも一段色の薄まった、ホワイトブロンドをのぞかせる。若くても40の手前だろうに、目尻に皺がうかんでるのに不思議と若々しく見えた。


 俺が言うのも妙だが、どこかこう神話から飛び出してきたような、常人離れした存在感の持ち主だった。



 


「明かりをお願い」


 



 威厳のあるウィスパーボイスが囁くなり、テコでも動かなかった防衛隊員どもがこぞってライトを取り出していく。四方から掲げられるハンディライトの光芒が、ストレッチャー上のアレハンドロの傷口を照らしていった。医療用手袋で両手をすっぽり覆ったシスターの胸元で揺れるのは、銀色のロザリオと聴診器。なにを隠そう、この女は聖職者にして医師という二足のわらじを履いているのだった。


 遺恨はさて置き、応急処置を指揮した人間として、プロらしく説明していく。





「腹部に穿通性損傷、パイプ爆弾による爆傷だ」





「腹腔から背中にかけてね。抗弾プレートは未装着?」





「つけてたが、威力が上回ったらしい」





 質量×速度の公式でもって、飛翔体の威力は決定づけられる。そして爆弾の破片は、しばしばライフル弾の4倍の速度にも達する。俺が身につけてる正規品でも結果は同じだったろう。





「細かな異物混入はまず間違いないわね」





 感染症の恐れあり。手慣れた手つきで抹消の脈拍を調べてから、患部の触診をしていくシスター。流石は、元大病院の外科医さまだな。医者もだいぶロボットにお株を奪われたらしいが、それでも避難民すべての面倒をひとりで見てるんだ、腕が衰える余地なんてありはしない。





「大丈夫よ、アレハンドロ。大丈夫・・・・・・輸血量は?」





「いまさっき始めたばかりだ。背中側の処置がすこし遅れてな、かなりの失血を許した」





「投薬は」





 こればっかりは、俺じゃ答えられない。トラムで移動中、ずっと初期治療にあたっていたろうチュイの方を見やると、いつもは飄々としている武装女子高生は不安げに爪を噛んでいた。





「あ、その痛み止めの注射を・・・・・・」





「何本かしら?」





「2本か、3本だったかも・・・・・・」





 多すぎだ。ちゃんと仕込んだつもりだったのに、むしろ命を奪いかねないほどの危険な量。





「だって痛がってたし!!」





 責めるつもりはないが、こういう所はまだまだガキってことか。せめて俺が一緒だったら。やり場のない感情に、気づけば拳を握り締めていた。





「シスター、手術室はいつでも利用できます」




 

 見なくとも、地面を揺らがすその巨大な足音だけで、奴の接近はすぐ感じ取れた。まるで天から降り注いでくるかのような声。比喩でもなんでもなく、シスターの右腕にして防衛隊の指揮官を努めてるこの40過ぎの男の身長は、じつに2mちょいもあるのだった。


 巨漢レスラーもかくやの強面ぶり。こいつにかかればショルダーホルスターから垂れ下げられた、散弾なんて放てる変わり種、大口径リボルバーのタウルス・ジャッジすら普通サイズに見えてくる。その名を“髑髏面ファーセ・ド・グラーニョ”といった。


 妙な名前なのは、百も承知。だがやつの顔面を覆い尽くしてる髑髏柄のタトゥーを見れば、他に呼びようがない。額、鼻、口、すみずみにまでインクが染み込んでいるその顔は、一度目にしたら二度と忘れることはできないだろう。そんな怪物じみた男の報告に、さらりと頷き返していくシスター。その手が、死に瀕した少年の頬を優しく撫でていく。





「あなたは助かるわ」





 調達班の誰もがそうであるように、アレハンドロだってシスターを嫌っていた。なのに母親のようなその声を聞くなり、痛々しい呼吸がいくぶん和らいだ気がした。


 こうなると俺たちは蚊帳の外だな。手術室といっても大した設備はない。せいぜい清潔に保たれてるだけの元用具室、手術器具にしたってアパートの部屋部屋から仕入れてきた雑多なあれこれのみ。あとは、すべてシスターの腕次第だ。





「待った。ちょっとだけ、待ってよ・・・・・・」





 搬送しようと、ストレッチャーを持ち上げていく防衛隊員たち。それをアレハンドロのか細い声が止めていく。


 一刻を争う状況。だからこそ、そのわずかな時間を無駄にしまいと少年に手招かれたピグが、すぐさまその傍らに膝をついていった。





「――」





 ここからじゃ聞き取れない、短いやり取り。まるで遺言のようだと、誰もがそう感じたに違いない。


 希望を捨てるには早い。俺だってアレハンドロとおなじ歳であわや死にかけたんだ。腹にナイフが突き刺さろうが、気力さえあれば乗り切れる。これまで溜め込んだ貴重な医薬品をかなり消費するだろうが、そういった損得を語る場面じゃない――そんな感傷を切って捨てるのが、シスターがシスターたる所以だと知っていたものを。


 止める暇もなかった。シスターの振るうメスの一閃が、少年の喉首を切り裂いていく。


 気泡混じりの鮮血がほとばしる。タン、タンと鼓動にあわせて間欠泉よろしくふきあがる赤い飛沫が、感情の抜け落ちたピグの顔を濡らす。だがそれも程なくおさまり、場をただただ深い沈黙が包み込んでいった。





「なんだよ」





 唐突すぎる殺人劇。その直後、最初に声を発したのはポドフスキーだった。





「なんでだよッ!!」




 

 髭面の少年からKSGショットガンを突きつけられようとも、血濡れのメスを水のボトルで濯いでいくシスターは小揺るぎもしない。


 車両基地を舞台に、カチャカチャとあちこちで銃口が交錯していく。動揺と涙を隠さないローンウルフの2人と、15人にもおよぶ防衛隊員ども。数の差は絶対的だが、あいつらとはもう2年の付き合いになる。リーダーを殺され、引き下がるような奴らじゃない。


 だがしかし・・・・・・もう二度と目覚めることのない少年の手を握りしめたまま、石像のように動かなくなったピグはもちろん、俺だって映画さながらのメキシカン・スタンドオフに加わる気にはどうにもなれずにいた。感じるのは自責の念と、深い諦観。こういう女なのだと、とっくに思い知らされていたはずなのに。


 昔、この避難所には、シスターとは別の医療従事者が身を寄せていた。名をコンスタンサといい、ころころとよく太った薬剤師だった。彼女はその経歴を買われて薬の管理を担っていたのだが、あるとき在庫が消えていることに防衛隊員の誰かが気がついた。


 あいにく司法制度どころか、文明そのものが風前の灯火ってご時世なんだ。彼女の横流しを疑惑についてどうすべきか、すべてはシスターの手に委ねられた。まあその結末は、簡単に予想がつくだろう。


 “盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである”。そんな説教がきざまれた垂れ幕のすぐ横には、いまも人間だったものの腐敗液でどす黒く変色した絞首刑用ロープが飾られていた。





「彼は助かるわ」

 




 散歩でもしてるかのような気安さで、シスターが先ほどの言葉を繰り返していった。





「もし、何十時間にもおよぶ手術に耐えられたのならね」





 医者の理屈と、聖職者の弁舌。そいつを好きなタイミングで使い分けて、さも正義はこちらにありとばかりにぶつけてくる。この女の根っこにあるのは、より大勢を救うためなら少数の犠牲もやむを得ないって古典的なマキャベリズムだった。





「腹部の緊張からして、急性腹膜炎を起こしていた公算が高いわ。ここの医療体制では、生存確率はよくて半々。仮に手術が上首尾に終わったとしても、それから予断を許さない24時間体制の看護と、定期的な投薬が必要になる」





 走るトロッコの先には、5人の男。進路を切り替えればその5人は助かるが、代わりに別の1人が犠牲になる。そこでコンマ1秒の迷いもなく1人を殺してみせるのが、この女の本質だった。





「でも、だからってッ!!」





「自分の心に問いかけてみなさい、ポドフスキー君? ここには大勢の病人も暮らしている。そんな彼らが必要とする何ヶ月分もの薬をたった1人のために消費するのが、果たして正しい行いなのかどうかを」





 まさにいつものシスターのやり口だな。この女はいつだって正しいことしか言わない。誰もが耳を塞ぎたくなる現実を、理路整然と捲し立てるのだ。


 あのよく通る声が訴えかけているのは、ポドフスキーだけじゃない。この場にいる避難民全員・・・・・・すなわち病弱な妹を抱える俺すらも、それで良いのかと脅しつける。あまねく全ての人々の救い主にして、この車両基地を取りしきる、唯一無二の独裁者。その実力は本物だった。


 1人と5人。どちらを助けるかと問われれば、誰だって後者を選ぶ。だが机上の空論ならともかく、みずからメスを振るって少年の喉首を切り裂けるかといえば、やはりマトモからは程遠い。だからこそこの女は崇められ、かつ恐れられているのだろう。





「俺のダチなんだぞッ!!」





「ここにいる全員が、誰かの息子であり娘なのよ」





 震えるショットガンの銃口。そいつを真っ向から見据えながら言い放つその胆力は、他を寄せ付けない。

 

 本当にやるのか? 自分の命だけでなく仲間や、いやそれどころかすべての避難民を道連れにしてまで意地を通すと? 銃を持ってるのは自分の方なのに、ふと正気に戻ったポドフスキーが縋るような眼差しを俺に向けてきた。





「なあ教官ッ!! あんたは、黙ったままかよッ!!」





 俺どうしろと? 良くも悪くもシスターあってのコミュニティだ。完全なる無秩序と、秩序ある独裁。後者のほうがまだマシということは、歴史ってやつがこれまでさんざん証明していた。


 もし俺が警察官であったなら・・・・・・無辜の少年、その無念を晴らすべきだ。罪をせせら笑い、法の手から逃れる犯罪者どもと戦うことに、俺はこれまでの半生を費やしてきたのだ。ちらりとアレハンドロだった物の瞼を閉じていくピグを窺ってから、俺は口を開いていった。


 序列からいって、調達班の指揮官はこの俺だ。反シスターを隠さない、第2の武力集団。俺の言葉次第で今後のパワーバランスのいっさいが決まる。それに気づいてか、大勢の視線がにわかに俺に集中してきた。





「シスター・・・・・・あんたはクソ女だ」





 カタリと、ジャッジ・リボルバーの撃鉄が下ろされる。シスター絶対の狂信者、泣きわめくコンスタンサの首を吊ってみせた張本人が、これみよがしに俺のこめかみに銃口を突きつけてきた。裁定者ジャッジとは、また気取った商品名をつけやがって。


 そんな髑髏面を真っ向から見据えながら、俺はさらに言葉を重ねていった。





「どんなに言い訳かまそうが、神の教えだけじゃなく医師のヒポクラテス誓いにまでつばを吐きかける、脳みそにウジ虫が湧いたゲロ臭女さ」





 まるで痛痒を感じてない、微笑みすら浮かべながらシスターが語る。だろうな、ここで行き止まりだ。


 1人と5人ならどちらを選ぶ? あの日、あの災害の当日に出会ったOLをはじめ、俺はずっとそんな命の選択を繰り返してきた。結論は決まってる――ペトラと無辜の他人なら、最愛の妹を取ると。


 結局この女は、忌々しいほどにフェアなのだ。俺がきちんと仕事をこなせば、この世界に残った最後の医師として、ペトラの診察だって別け隔てなくしてくれる。貴重な薬の配給だって、これまで途絶えたことはなかった。


 



「意外ね。あなたはまだ、自分が警察官だと思いこんでいるの?」





 シスター流の、丁寧にコーティングされた罵倒。


 市民への奉仕だなんて歯の浮くような標語は、当時ですら信じていなかったものだ。それでも自分の信念すら貫けない現状、警察官を気取るなんて恥知らずな真似はできやしない。





「母さん」





 止まらぬ修羅場。誰かがほんのちょっとでも指を曲げるだけで、ダース単位の死者が出る。そこに浴びせられた、寂しげな呼びかけ。


 しばし見つめ合う母と娘。物悲しげなソフィアと、態度をまるで崩さないシスター。たったそれだけで、どうしてか場の雰囲気が変わっていった。





「いつもならダ・シルバ隊長が大慌ててで飛び込んでくるのに、彼だけでなく、どうしてか食料のコンテナの姿も見えない。どうやら話し合う必要があるみたいね、グリス“隊長”」





 これにてお開きだった。どこまで行こうとも結局は、ポスト・アポカリプスな世界情勢が立ち塞がってくる。ここで撃ち合いをおっ始めなくたって、1ヶ月には仲良くみんな餓死するだけ。それが分かっているからこそ、





「クソッ!!」




 などと、手近のゴミ箱をポドフスキーは蹴っ飛ばしたのだろう。肩をいからせて去っていく少年と、一瞬だけ嫌悪の眼差しをシスターに向けてから、その後を追いかけていくチュイ。これにてお開きだ。


 シスターの右腕、顔面タトゥーの男が銃を引っ込めると、周囲の子分たちも自然とその流れに従っていく。事態を遠巻きに見守っていたデュボアの爺さまもまた舌打ちひとつ、作業開始の指示を下していった。


 主目的は達成できなかったが、他の車輌を引っ張れる機関車を持ち帰れたのは、せめてもの成果だろう。それにあの民警の輸送用車両だってある。これから中の荷をかたして、例の方舟計画のために装甲列車に改装する腹積もりなのだろうな。実際、作業服姿の男女がアリのように、さっそくトラムに取りついていった。


 これが車両基地の現実ってやつだった。良くも悪くもシスターあってこその秩序オールディム。それを知っているから誰もが口をつぐみ、アレハンドロの死すらもあっさり押し流される。それが嫌だったからこそ、ソフィアは調達班に身を寄せたに違いない。





「怪我はない?」





 母親らしい心配に、なにか言いたげに口を開きかけて、





「・・・・・・先、行ってるすね、ラセルさん」





 だが結局なにも語らず、俺にそう告げてからソフィアは、母娘おそろいのロザリオを揺らしながら去っていった。


 どうも世界がこうなるまでの親子仲は、すこぶる良好だったらしい。サッカーに魅入られ、密かにスラムで野良試合に興じてたソフィアを叱るどころか、むしろ神父に内緒で後押ししてくれたとか・・・・・・いまの蛇のような冷血漢ぶりからは、とても想像もできないあれこれを色々と耳にしていた。


 床の血をはらっていくモップ掛けの音と、赤い何かがじんわり滲んでくるストレッチャーに被せられたシーツ。どんな麗しい過去も、こうも過酷な現実まえだと色褪せるばかりだな。





「オフィスで話しましょう」


 



 言い終えるなり、お供の髑髏面を従えながらシスターはさっさとこの場を去っていった。遺体に被せられたシーツ、そこからはみ出した右手をピグはずっと握りしめていた。





††††††





「いいのか?・・・・・・ついててやらなくて」





 せめて血まみれの両手だけ洗ってから俺は、致し方なく管理者オフィスを目指していた。そんな背後からついてくる、青い髪をした小柄な人影。





「死者に必要なのは手向けだけです。ですが生者には、もっと色々なものが必要となる」





「実利的だな」





 泣き喚かないのはらしいが、すこし無理してるようにも見える。





「それに、お前は微妙に信用ならないですからね」





 そうか。まあ、来るなといって聞くタマでもあるまい。それに正直、あの女と2人きりというのはゾッとする。


 これまでシスターとの会合は、すべて巡査部長に委ねられていた。ちゃらんぽらんな不良中年と冷酷シスター、今にしておもえばとんだ好カードだな。ある意味でシスターの天敵だったあの人も、もうこの世に居ない。


 オフィスまでの道中、慰霊碑にさしかかる。ただのコンクリ壁だったここに死者の写真を最初に貼りつけたのは、一体誰だったのだろうか?


 とはいえ、実のところ写真の割合はそこまで多くない。クラウド頼りの代償だな。MARIO.netの封鎖によって家族写真の大部分がネットの闇に消え、その代わりを務めるのは絵心のある避難民が手がけた似顔絵や、それよりもずっと拙いが、しかし心の籠った落書きたちだった。


 ふと、ポケットの中に収まる巡査部長の警察バッジをどうしようかと悩む。写真や似顔絵だけでなく、故人の持ち物で壁下は埋め尽くされていた。





「痛っ」





 しばし物思いにふけっていると、後頭部に衝撃。床を跳ねまわるサッカーボールと、えらく目つきの悪い赤毛のクソガキ。これだけでおおよそ察しがついた。





「このシスターのおしえに背く、“ハイキョウシャ”め」





 なんとも愛らしい小僧だな。朝晩のシスターのありがたいお説教にどっぷり浸かると、こんな風になるらしい。舌ったらずの発音からして、意味なんか分かっちゃいないだろう。





「父ちゃんが言ってたぞ。世界がこうなったの、お前が匿ってる魔女のせいなんだって」





 カーテンでせめてもプライバシーを守りながら、座席をベッド代わりにして客車で避難生活。そいつが2年もつづけば、ストレスの吐け口を誰もが欲するようになる。その点、ペトラは理想的な人身御供だ。どんなに殴っても反撃してこない、世界の破壊者ことマリオロイドの元開発者。





「今だけは、児童虐待も見逃してやるですよ」





 ピグの進言に、いや子どものしたことだからと首を振ってこたえる。それから足元のサッカーボールを拾い上げ、





「ひぎぃッ!!」





 バインッと、衝撃でおもわずガキがぶっ倒れるほどの豪速球を、その顔面にお見舞いしてやる。そうとも、俺はやられたら絶対にやり返すタイプなのだ。


 鼻血小僧は捨ておいて、中2階にある管理者用のオフィスへと足を向ける。そこに至る階段前に、フランケンシュタインの怪物のよろしくな髑髏面が立ちはだかっていた。


 ルールはシンプル、この台に武器を置け。まるで法王への謁見かくやの警備体制だな。

 




「ずいぶん饒舌じゃないか、ええっ?」





 俺の皮肉に無言でもって応じる、顔面タトゥーの大男。いいさ、お望みどおりにしてやろう。


 シスターが俺たちを殺すつもりならとっくにやってる。ここはあの女のシマだ、寝床にパイプ爆弾でも放り込まれたら、こっちとしては対処のしようがない。


 俺があの女の医師としてのスキルを必要としているように、あちらもあちらで元特殊部隊員って俺の経歴を買っているのだ。利害が一致してるかぎり、手出しされる心配はない。


 ライフル、サブマシンガン、ハンドガンにそれとナイフ。すべて預けて身軽になった俺とピグは、そのまま外付け階段を昇っていった。


 シスターはこのオフィスで、件の互助会をいまも開いていた。その証拠に無数のパイプ椅子が壁に立てかけられ、使用感のあるコーヒーメーカーからは豆の香りが漂っている。


 監視役だろう髑髏面が扉を閉めるなり、





「どうぞかけて」





 なんて、でかいオフィス机に広げた書類にペンを走らせながら、シスターが言う。特に断る理由もないな。堂々とパイプ椅子をひろげて、どっかり腰掛けてやる。





「コーヒーはいかが?」





「あいにく俺は紅茶党だ」





「知ってるわ」





 ありがた迷惑って概念を知らない髑髏面が、熱いコーヒーカップを押しつけてきた。恩着せがましいその態度を、ピグが無言の圧力でもって跳ね除ける。


 意外にあっさり引き下がった巨人が、代わりとばかりにシスター愛用のマグ――“ママいつもありがとう”などと書かれた、子どもの手作り品――にコーヒーを注いでいった。





「ありがとう・・・・・・ふっ、配合率を落としすぎね。もう風味も何もあったものじゃないわ」





「そろそろ仕事の話をしないか?」





 合成コーヒーを啜る冷血女がお望みとあらばと、さっそく本題に入りだす。





「では単刀直入に尋ねましょう。駅で一体なにが?」





逸れローグについて、今さら説明は不要だよな」





 職業病だな。ありもしない銃を抜きやすいよう斜めに椅子に腰掛けつつ、俺はそう答えていった。


 山のような文房具に、蓄音器を模した品のいい小型スピーカー。そして今以上にあどけない笑顔をした幼いソフィアの写真が、シスターのデスクにはずらりと並べられていた。いかにも子煩悩なママの机って感じだな・・・・・・ただ父親が一切写り込んでないのが、いささか不思議ではあるが。


 誰にでも話したくない過去ってもんがある。元外科医の高給取りさまが、どういった経緯で神職に目覚めたのか? この親子にも、それなり以上のドラマがありそうだな。





「規格外れの異常個体、戦闘力においても頭抜けているとか。確か、“ブラックアウト”だったかしら?」





「それとは別口だ。なんでも“鹿の王”とかいうらしい・・・・・・ちなみに名付け親は、俺じゃないぞ」





「その新種に遭遇したことによってダ・シルバ氏は命を落とし、アレハンドロ=イグナス少年もまた致命傷を負ってしまった。そういうことね」





 自分でやっておいて、よく致命傷なんて他人行儀に。だが、大まかに言えばその通り。現場仕事は俺たちに一任されてる、詳らかにことの顛末を語ってもしょうがない。





「死者に冥福のあらんことを・・・・・・で、次の出発はいつまでに?」





「勘弁してくれ・・・・・・」





 心労ってやつは肉体的疲労よりもずっと重く、かつ尾を引くものだ。シスターの前でなければ、焼けたバーベキューグリルの上でさえ熟睡できる気分。ご無体な物言いに、ついつい目かじらを揉んでしまう。





「食料問題が逼迫してることは、俺だって重々承知してるさ。だが奴は、よりもよってお目当てのコンテナのまん前に巣を作ってやがる」





「巣?」





「奴を仕留めなきゃ、にっちもさっちもいかない。これまで俺たちが計画してきたのは調達だ、だが今度は・・・・・・戦争になる」





 未だかつて逸れローグを仕留められた前例はない。とにかく徹底的に避ける、そうやってこれまで犠牲を減らしてきたのに、今回ばかりはそうもいかないだろう。





「まずは偵察。周辺の地形を確かめ、やつの行動パターンを見定めて罠にかける」





 7人でも人手不足を痛感してたのに、ここに来てさらにもう2人欠けた。正面決戦は無謀だ、やるなら知恵比べでしかない。





「まだ叩き台すら出来上がってない状態だからな、詳細については聞かないでくれ。今はそれぐらい手探りな状況なんだ」





 食料は残すところあと1ヶ月。それまでにどうにか準備を整え、大物狩りビックゲーム・ハントを実現させる。それも足りない物資と、練度の低い人員でやりくりしながらだ。今からもう頭が痛い。


 プロとしてベストの提案をしたつもりだ。それでも満足いくものじゃなかったらしく、手慰みか、おもむろに首元のロザリオを弄りだすシスター。





「不満があるなら聞こう。だが今以上に無茶を強いるつもりなら、最初に泥を被るのはあんたの娘だぞ?」





「人質を有効活用してるようで何より」





「その点に関しちゃ、薬の配給をチラつかせるあんただって同じ穴のムジナだろ・・・・・・それに、あいつは自分から調達班に加わりたいと志願したんだ。その原因を作ったのは、俺じゃないことだけは確かだな」





 俺の返しに、蠱惑的に微笑むシスター。





「その様子だと、故ダ・シルバ隊長は真実を語らなかったみたいね」





「宗教関係者ってのは、どうしてすぐ勿体ぶるのかね」





「意味深に間を設けることで想像の余地を残し、相手の不安を掻き立てる」





「ハッ、まさに詐欺師のやり口だな」





「その皮肉も、1週間後には聞けなくなると思うと寂しいものね」





「どういう意味だ?」





「食料は保って――あと1週間という意味よ」





 してやったり、というあたりか。言葉を失った俺を無視して、手作りマグをしれっと口元に運んでくシスター。


 タチの悪い冗談ってわけじゃないだろう。今にして思えば、巡査部長の態度はずっとおかしかった。あと1ヶ月しかないとイヤに強調しておきながら、それでいて焦りは禁物だよとかならず釘を刺す。





「ダ・シルバ氏の発案よ。危機感は持っていてほしいが、あまり追い詰めるのも得策ではないと」





 あの人らしいがな、まったく。





「・・・・・・切り詰めたらどうだ?」





「とっくにやってるわ。今以上にフード・プリンターの栄養配合率を落とすとなると、ほどなく全員揃って飢餓状態に陥るでしょうね。救助の見込みがあるなら、文字どおり身を削る時間稼ぎにも意味がある。でも私たちの場合だと――」





「動けなくなったらそこで終わり、か」





 無数のSOS発信を、いまも件のアマチュア無線は拾い上げてるはずだった。どれが自動放送で、どこまでが生きた人間の懇願なのかもはや見分けるすべはない。ただ確かなのは、こうやってSOSが流れ続けてるってことは・・・・・・救助なんて当てにできないって事実のみ。助かりたいなら自分でどうにかするしかない。





「コンテナの回収に成功したら、ゆうに5年は食べていけるわ」





「そいつは夢のある話だな」





 食い扶持がずいぶん減ったからな。自然と物持ちも良くなるか。





「外部の救援にのぞみを託して、ギリギリまで耐えるもよし。あるいは貯蓄に回し、箱舟計画を実行に移すもよし」





「察するに前者がプランAで、後者がBってところか」





「現状を鑑みるに、Bの方を進めるほかないでしょうね」





「手製の装甲列車での強行突破、か。そもそも地上に出られかすら怪しいな」





「その場合、もう食料問題を気にする必要はなくなるわね」





 まあ、理屈ではある。





「すべては神の御心のままに。それでも運よく終着駅のパブナまで辿り着けたら、そこからさらに少人数のグループに分かれて、四方に分散させる計画になってるわ」





「具体的にどこを向かわせるつもりなんだ? その現代版ノアの一族やらは」





「よりインフラの少ない地域。願わくば、そこに安全地帯があると祈りながらね」





 髑髏面が棚からおもむろに書類を取り出して、俺に手渡してきた。候補者名簿と、大まかな行き先が記された地図。ずいぶん細部まで詰められているらしい。





「今でさえカツカツなのに、さらに頭数を減らすつもりか? どうにも賛同しかねるな」





「代案があるならどうぞ。どんな提案も、オープンに受け付けてるわ」





 現状ではこれがベスト。ろくでもないアイデアなのは、発案した当の本人だって百も承知か。


 この女はまごうことなき独裁者だが、不思議と我欲は感じない。その代わりに感じるのは、果てのない傲慢アルゴガンシアだった。お前らの代わりに決断してやっている・・・・・・その態度がどうにも鼻につく。それが事実だからなおさらに。





「着のみ着のまま放り出すわけにはいかないわ。最低でも、3日分の食料は持たせてやりたい」





「つまり、タイムリミットはあと4日ってことか」





「いえ3日よ。地上に到達するまでの過程で、どんな障害が待ち受けてるか知れたものじゃないもの。もし線路が途中で途絶えていたら? ノアの方舟号にマシントラブルが起きたら? そういった諸々を想定して予備にもう1日」





「あんたの計画こそが本命で、まるでコンテナ回収のほうがバックアップみたいに聞こえてきたな」





「あなた達が帰ってくるまでは、そうじゃなかったわ」





 ペトラの余命はあと1週間、そう告げられたに等しい内容だった。どうにも休む時間はないらしい。





「・・・・・・やるしかないってわけか」 





 あと3日。今日中の再出発はさすがにナンセンスだとしても、明日の朝か昼までには出たいところだな。


 もう隔壁に邪魔される心配はない。線路を遡れば早いが、それだとちょうどトンネル前に陣取るみたく切り離された貨車と、真っ向からぶつかってしまう。逃げ場のない一本道であの怪物とことを構えるなんて、冗談じゃない。


 となれば、また水中回廊を使うしかない。体力が吸われる汚水に全身を浸しながら、重い装備をビルの中層まで徒歩で運ぶ。それに1日。それからタイムリミットぎりぎりまで偵察を重ね、攻撃準備。最終日には結果はどうあれ、一か八かの賭けに出る。


 どうにも背筋か寒くなる強行軍すぎるスケジュールだった。





「正直に聞かせてくれ。あんた的には、件の方舟と俺たちのコンテナ回収、どっちがよりオッズが高いと考える?」





「いうまでもなくコンテナよ。地上の状態は一切不明だけど、食料満載のコンテナの存在は確定してるもの。あれを回収するためなら、協力は惜しまないつもりよ」





「なら手始めに、お前んとこの防衛隊をすべて貸せですよ」





 これまでダンマリを決め込んでいたピグが、いきなり話に割り込んでくる。敵よりも多くの戦力を集めるべし。そりゃ兵法の常道だが、また大きく出たもんだな。





「状況が状況だもの。事ここに至って出し惜しむつもりはないけれど、それはいささか過剰な要求に聞こえるわね」





「そうですかねぇ? 下手したら人類滅亡の瀬戸際なんですよ? 生き残るためならどんな手も打つべきですよ」





 おっかない女同士の頂上決戦。アレハンドロの一件もある。エスカレートするのを警戒してか、それとなく髑髏面がシスターを守れる位置に移動していった。そこに空気を読まずになり喚く、車両基地全体に設けられた内線電話のコール音。


 会話を一時中断して、受話器を手にしたシスターがなにやら相槌を打っていく。





「デュボア作業班長からあなたに言伝よ、グリス隊長」





「俺に?」





「輸送用車両を調べたいが、扉にプロテクトがあって開けられない。なんでも、あれは警察バッジでしか開かない仕様だそうね?」





「それなら失くした」





 シャツの襟をまくって、堂々と首筋を見せつけてやる。まあ、あながち嘘ってわけじゃない。盛大にぶん投げてやったし、探そうにも現場は鹿の王の縄張りの真っ只中。回収できるのは、最速でも3日後だろう。





「切断トーチも歯が立たないそうよ?」





「そりゃ俺の問題じゃないな」





 ジーンズのポケットを膨らませてる巡査部長の警察バッジ。大切な遺品を提供してやるほど、俺とシスターは懇意ではない。


 まあそれ以外にも理由はあるが、俺流のささやかなる抵抗ってやつだった。どのみちこの女的にもそこまで重要な問題じゃないのだろう。二、三言葉を交わしてから、偏屈ジジイとの会話を切り上げてく冷血シスター。


 そして話題は、防衛隊の提供問題へと立ち返る。





「彼らは、避難民を守る最後の砦よ」





「飢え死にするときは、それって道連れでしょう。秘密兵器を隠し持ってるとかでないなら、泥臭く人海戦術やるしかねーんですよ」





 戦闘のプロとして、その点は同意する。ここまで追い詰められた作戦もクソもない。時間のなさは、物量で埋め合わせるしかない。





「3分の1ではどう?」





「出し惜しみはしないってあれは、嘘ですか? やるなら全力、2度目はないです」





 平行線だな。どうせピグも、わかって過剰な数字をふっかけてるに違いないんだ。だから身を乗り出し、会話の主導権をぶんどる。





「俺に3分の2を預けてくれ。車両基地を守るだけなら残りでも十分に事足りるだろうし、正直なところ全部が全部、体力のあり余ってる連中ってわけでもないだろ?」





 防衛隊の中核を占めるのは、元ギャングのOGどもだ。だがいかんせんムショでのお勤めを終えた連中ばかりだから、そもそも平均年齢が高めなのだ。そうでなくとも、元オルガン奏者のおばちゃんとかも混じってる・・・・・・防衛隊で問われるのは、まず第一にシスターへの忠誠心。あいにく戦闘力は二の次なのだ。





「これだけは約束しろ。3日後、残りの人員を束ねて、あんたご自慢の装甲列車で駅に乗りつけると」





「軍隊でいうところの、側面攻撃のためかしら?」





「そこは状況によりけりだな。あと一歩で勝てる、そういう塩梅だったら加勢でもなんでも好きにやってくれ。どのみちコンテナを牽引するためには、トラムの足が必要だしな」





 どのみちあの駅を通らなきゃ地上には出られない。最悪の場合・・・・・・すなわち俺たちが鹿の王に敗北し、惨めに骸を晒してるようなら、そのまま素通りして、せいぜい地上に望みを託せばいいさ。





「決まりね」





 とにかくこの女は話が早い。無駄に茶々を入れたり、ごねたりもしない。恐ろしく冷静でクレバー・・・・・・娘とは違った意味で、どうにも宗教関係者ぽくない。





「ともかく今日は休ませてくれ。これから不眠不休になるだろうし・・・・・・今のうちに、身辺整理を済ませておきたい奴もいるだろうしな」





 頷くシスター。





「その間に、防衛隊の人員選定を行なっておきましょう」





 話が纏まるや否や、挨拶もなしにさっさとオフィスを後にしていくピグ。それもそうだろう、アレハンドロの血で汚れた手と握手だなんて、俺だってごめん被る。結局、一度も口をつけなかった冷め切ったコーヒーを置き土産に、その背を追おうと立ち上がる。そこに投げかけられる聖書からの一節。





「“ 情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て”。せめて避妊ぐらいはしっかりして欲しいものね」





「神の言葉を借りなくたって、娘についた悪い虫を追い払うことはできるだろ」





 どうも、あの微笑みは仮面代わりであるらしい。どこまで本気なのか得体が知れなかった。


 それから俺は、ご丁寧にもドアマンよろしく扉を開けてくれた髑髏面を鼻で笑ってから、今度こそ本当にオフィスを後にしていった。





††††††





 さっさと横になりたいのは山々だったが、あいにくそうもいかない。なにせ今やこの俺が、調達班の隊長なのだから。


 消費した弾薬と医薬品の補充。酸素ボンベの在庫チェックに、デュボアの爺様とのストレスフルなやり取り。そうこうしてるうちに気づけば、水密ビルの照明すら夜モードに切り替わる始末。


 こんな世界になっても官僚主義を貫いてるシスターは、ほんと大したものだ。必要とはいえ、書類に署名しすぎて手首が痛い。


 ともかく疲れた。遺品の整理は、また今度にしよう。電源室を自分色に染めあげた巡査部長の私室・・・・・・あのどこかに遺書が残されてるはずなのだが、ゴミゴミしすぎててどうも。


 あの人が定めた規定なんだから、絶対に書いてるはず。だが代わりに見つかったのは、バス釣り大会の優勝トロフィー。なにが参加賞だあの嘘つきめ、自分の身長よりもどデカいピラクルーを釣り上げてドヤ顔晒してる写真が、そのトロフィーには埋め込まれていた。


 続いて向かうのは、遺体保管室。


 海底では葬式もままならないからな。ひたすらクーラー利かせて、仮説の冷凍庫にしたその場所にアレハンドロの遺体もまた収められていた。





「独りにしてもらえますか」





 先客のピグにぴしゃりと言われてしまう。俺だって、ここで茶々を入れるほど野暮じゃない。


 ひとりで折り合いをつけられる奴もいれば、様子を見なきゃ心配になる若人もいる。


 ローンウルフの面々はそろって、淡水化プラント室に居を構えていた。巨大な取水パイプのあいまにはられたキャンプ用テント。ランタンの明かりのせいで影絵のようになっていたが、あのシルエットはポドフスキーとチュイでまず間違いないだろう。





「えっ? マリオロイドが居なくなってたって・・・・・・どういう」





「そんなの俺が知りてえよ、チュイ姐ぇ。残ってたのは102じゃない方だけで――」





「お邪魔か?」





 天幕をまくるなり、ギョッとした顔して固まるご両人。あいにく呼び鈴のたぐいがなくてな、悪いのは俺だがそれでも、ああまでムッとしなくても思うポドフスキーの苛立った声。





「何の用すか、教官?」





「ちょっと様子を見にきただけだ。遺書を回収したらすぐ帰る」





「・・・・・・シスターを殺るなら、いつでも手を貸すぜ」





「やめとけ」





「なんでッ!! 妹さんの主治医だから? あんなの、人質にされてるも同然じゃないかよッ!!」





「大人になればわかる」





「アレはもう、大人になんかなれないんだぜ・・・・・・」





 ときには、どちらも正しいからこそ衝突が起きる。そいつを知るには、あいにくポドフスキーはまだ幼すぎた。


 その点、目を腫れぼったくしてるチュイはまだ大人だった。泣き疲れて、いろいろと吹っ切れたって感じだな。能天気ギャルが年下の少年を諌めつつ、疲れきった笑みをこちらに向けてくる。





「大丈夫か?」





「ま、万事順調ってわけじゃないけどねぇ〜」





「それなりに息災ってところか」





 アレハンドロは、律儀なことに調達班のメンバーそれぞれに一通ずつ遺書を残していた。チュイから手渡された俺の分は、あまり長くない。その内容についつい口の端が上る。





「ふっ」





「なんて書いてあったの?」





「“突き落としたの、死んでも許さない”、だとさ」 


 



 つられてチュイが笑いだす。


 本当は、もう少しだけ文章が綴られていた。遺書としてはありふれた内容、仲間を頼みますって丁寧な挨拶と、自分の埋葬方法について。





「“できれば弟たちと、母さんの隣に埋葬を”か・・・・・・何があったのか、お前ら聞いてるか?」





「ま、よくある話だよ。ゼロデイ・クライシスで、なんもかんも無くなっちゃからね」





 ため池に突き落とされたお陰で自分たちは助かったが、あいにく家族はその限りじゃなかったってことか。





「ローンウルフのリーダーの座は、ピグが引き継ぐのか?」





「どうだろ。アタシはそれでもぜんぜん構わないけど、ピグの方で固辞そうだな〜。実は昔ね、とんでもないことやらかしたんだよ、あの子。正直――殺されても仕方のないことを、ちょっとね」





 そりゃまた穏やかじゃないな。





「お前ら、おなじ工業学校の出なんだろ? ピグもそうなのか?」





「まあ、ねぇ」





 どうにも、口を滑らせすぎたと感じてるらしい。あからさまにはぐらかされてしまう。





「てっきり奴が真のリーダーで、アレハンドロは表向きの影武者だとばかり思ってたんだがな」





「いやアレはさ、正真正銘アタシらのリーダーだったよ。まあ馬鹿だったけど、だからこそっていうか」





「どういう意味だ?」





「いつもあーだこーだ、次から次へと厄介ごと背負い込んでさ」





「それ、どちらかというと、トラブルメーカーっていわないか?」





「でもそんなもんじゃんリーダーって? 何かを最初にはじめる人。目指す場所があって、そこに絶対に辿り着くんだってがむしゃらな奴。無茶な部分はさ、脇を固めるアタシらみたいな現実的で、つまんない奴らがサポートすればいいんだし」





 なにもかもが過去形で語られる思い出。その侘しさを、この場にいる誰もが共有していた。





「カッコつけちゃってさ・・・・・・ほんとバカみたい」





 死んでからわかる人の別の側面ってやつには、いつもむしゃくしゃさせられる。知る機会はこれまでもあったはずなのに、当人から聞くすべはもはや永遠に訪れないのだ。





「1匹狼を気取ってるくせに、ずいぶん情に厚いんだな」





「あれ教官知らないの? 1匹狼ってさ、新しい家族を作るためにわざと群れを離れるやつを指すんだよ?」





「だから、戦隊スクワドロンなのか?」





 意外と深い理由だったんだな。感心してる俺を、さも面白そうに糸目のチュイが笑い飛ばしていく。





「ってのは、後からピグがした入れ知恵。ほら、ペトラさんと一緒にプレイしてたオンラインゲームにさ、そのものズバリな組織が出てくんの。こう、まさにファンタジーっていぶし銀な傭兵団で・・・・・・あっちはカッコよかったのに、あたしらはまだ全然だね」





 ふと会話が途切れる。どうやら、ここらが潮時らしい。シスターとの会合結果を伝えて、早めに休むよう言いつける。おそらくこの様子なら大丈夫だろう。


 やっと帰宅だ。入り組んだ車両基地の裏通りをぬけて、男子シャワー室という名の新居にたどり着く。するとそこには、

 




「あっ・・・・・・うっす」





 湿気った通路でなにかしていたらしい、金髪褐色娘が立っていた。





「なんだ? ペトラから締め出しでも食らったのか?」





「い、いえ、そういう訳じゃ、ないんすっけども・・・・・・」





 歯切れの悪すぎる回答。手には布切れ、なにやら背中に隠してる風だし、ああ、そういうことか。


 ソフィアを横にどかしてみれば、やはりというか独創的すぎる落書きが目に飛び込んできた。“魔女ブルーシャ”ねぇ。あのガキ、サッカーボールじゃなく蹴りでも見舞っておけがよかったか。





「綴りが違ってるぞ、間抜けめ」





 ひきこもりに喧嘩を売る手段が、壁の落書きだって? なんだ、新聞を取ろうと外に出るとでも思ったのか? 馬鹿め。


 近くのパイプ裏に隠しておいた白スプレーでさっとひと吹き。いいかげん新しい芸風を考えろ。そろそろ壁のこの部分だけ、重ね塗りがすぎて膨らんできたぞ。





「そ、そんなんで、いいんすか? 親御さんと話をしてみるとか」





「その親がやらせてるんだよ。あとはもう、殺すぐらいしか解決方法を思いつかん」





「いやもう、ほんと暴力的なんすから・・・・・・ラセルさんは」





 呆れたように、力なく微笑んでくソフィア。互いに疲労のピークだな。とにかくシャワーだ、シャワーを浴びたい。汚水、消毒液、汗に血、全身にまとわりつく何もかもを洗い流したくて仕方がない。


 人里から離れたこんな僻地に俺たち兄妹が居を構えている理由は、この落書きが十分に示しているだろう。いまやモノリスの社員ってのは、勝ち組を意味しない。宗教に熱心でなくとも、どこに行ったって魔女扱いは免れないだろう。





「まあ、こういう手合を相手するのは初めてじゃない。俺がむかし野球部員だったって、話したことあったか?」





 扉に鍵を差し込みながら、かたわらの少女にそんな雑談をふっかけてみる。





「初耳っすよ・・・・・・というかあるんすね、リオにも」





「あるんだよ、サッカー以外のスポーツも。実はこうみえてエースで4番でな」





「すっすか」





「他にもキャッチャーに内野手と、なんと監督まで兼任してた」





 解錠。それから慎重に3cmばかし隙間をあけて、一段目のトリップワイヤーを解除する。これでぬぼっと突き出してるショットガンの銃口をもう恐れずに済む。





「・・・・・・・それ、物理的に可能なんす?」





「市内の競技人口1名だったからな。あいにく練習試合はおろか、キャッチボールすら経験がない」





 つづいて腰をかがめて、下段のトリップワイヤーも解除。これでアイスクリームのカラ容器にネジ釘まぶした、自家製の指向性地雷も無力化される。

 




「そ、それを部活と称するんすか」





「他に、金属バットを合法的に持ち歩ける理由がなかったんだよ」





 結び目をこさえた髪の毛が地面に落ちていった。どうやら罠の存在に勘づいた聡い侵入者の類もいなかったようだな。





「いじめっ子をはじめ、学校で大麻さばいて悦に浸ってる成金小僧に、そのお友達のギャング集団。いつも他勢に無勢で、武器がなくちゃやっていられなくてな。あの頃を思えばホント、丸くなったもんだ」





 血気盛んな幼少のみぎり、あの頃の大暴れっぷりを思えば、スプレーで上書きだけで済ませるなんて信じられない。なんというか、顔から火が出そうな思い出話だ。


 典型的な昔はワルだった自慢。あれからずいぶん経つが、やってることに進歩がないなって俺なりの自嘲のつもりだったのに、さも楽しそうにソフィアは微笑んでいった。





「三つ子の魂もラセルさん、すねぇ・・・・・・」





「なんだそりゃ」





「いえいえ。単に、そういうところが大好きなんだってだけで」





 どうもペトラは寝てるらしい。大量のロッカーが設えられた更衣室には、人の気配はまるで感じられなかった。


 昔から昼夜逆転が当たり前。昼の12時におはようと挨拶してきたかと思えば、翌日のランチタイムにはもう眠いと駄々をこねる。俺も仕事と仕事で睡眠周期がたいがい乱れてるが、流石に妹ほどじゃない。


 奥にあるランドリールームこそが、ペトラの根城。まあ、わざわざ叩き起こす理由ない。そっとしておこう。


 自分用のロッカーにまずはガリルを立てかけ、次いでヒャクメにバックパック、最後にプレキャリを脱ぎ去って一息つく。完全に脱ぐタイミングを見失っていたな、肩に吊り紐型のアザが出来ていた。


 ここにはロッカー以外の家具はないが、逆にいえばロッカーだけはある。ライフルはともかくM&Pだけは、横倒しにしたロッカーに寝袋を敷いた即席寝台のすぐわきに、いつものように置いておく。


 すぐ真横から衣擦れの音。段々と、人前で脱ぐことに躊躇がなくなってきたな。





「うちのエゴだと思うっすか、班に入ったの?」





 ソフィアもソフィアで、俺と大差ないありさまだった。裸の背中は、すり傷にアザまみれ。それでも命があるだけマシ、それが調達班の仕事というものだ。





「みんな足を引っ張るぐらいなら、シスターのもとに留まるべきだった。そういう話か?」





 頷く、金髪褐色娘。あの母親から離れたくなる気持ちはわかる。だがそれで他人に迷惑をかけるぐらいなら、そういう気を回しすぎなところが、こいつにはある。





「俺が辞めろって言ったら、辞めるのか?」





「ズルい言い方っすね・・・・・・それ」





 まあな。





「うちはずっと、母に言われるがまま生きてきたんすよ・・・・・・修道院に入ったのだってそう、“あなたの為なのよ”って。でも不満はなかったんすよね。ぜんぜん押し付けがましくなかったし、今だってその気になれば、いつでも力ずくで連れ戻せるはずなのに」





 色々と思うところは、あるみたいだがな。たしかに娘の意思を尊重してる素振りはある。それとも、いつかはかならず自分の元に帰ってくるとタカを括っているのだろうか?


 それもあり得そうだな。俺たちにリスクを押しつけて、自分はといえばこの2年、車両基地でのうのうと暮らしてきた。案外、ほんとうの意味では外の危険性を理解してないのかもしれない。





「でも、あんなの認められるわけない。だってアレハンドロ君は・・・・・・」





 それでも親子の情は捨てきれない。その矛盾が、葛藤を生んでいた。

 

 どちらがよりろくでもないのか? 殺人を厭わない冷酷な母親と、妹を守るための盾として、うぶな小娘を手元に置いてるクズ男。そういう状況をこいつは、ちゃんと分かってるのだろうか。





「なあ」





 自分でもなんと言うつもりだったのか、口をもごつかせる俺に向けて、





「シャワー・・・・・・浴びないんっすか、ラセルさん?」





 点々と服を脱ぎ散らかしながら、ソフィアはシャワー室に消えていく。程なく聞こえてきた水音にしばし悩んだが、結局は俺も、ほどなくそのあとを追いかけていった。




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