Chapter Ⅳ “我が築いたものを見、そして絶望せよ”


 この区画を一言で称するなら、縦置きの巨大コンクリ・パイプってところか。


 O字型のリングが何十階層分も重なり、その内径ひとつひとつに部屋番号入りの扉が無数に設置されていた。かくゆう、わがグリス家の住処もここにある。


 部屋を一歩出てさっそく、吹き上がってきた磯の香りにゲンナリさせられる。さすがは約束された欠陥住宅。あちこちから流れ着いた漏水がしたたり落ち、その果てに生み出されたのが、あの最下層に溜まる“ため池ラゴア”だった。


 塩水にもめげない藻類が大量繁茂してくれたおかげで、水質はどす黒いグリーンカラー。表面には七色の油膜や空き缶などのアクセントがいい感じに浮かび、実態調査のために送り込まれた管理会社印の潜水ドローンは、深く静かに潜航したまま、2度と浮上してくることはなかった・・・・・・。


 時たまあの池に釣り針垂れて、爺さんがおばけナマズだかなんだかを釣り上げてる光景を見かけることがある。キャッチ・アンド・リリースしてる筈だと、ぜひとも信じたいところだな。この悪臭からして腹壊すだけじゃ絶対に済まないぞ。


 もちろんあんな屋内釣り堀りなんて、管理会社の本意じゃないらしい。ホースを大量に突っ込んでの排水作業は、このビルの開業以来ずっとやっていた。だが流入量と排水量が絶みょうに釣り合ってるせいだとかで、水かさは一向に減りやしない。


 これがパンフレットには書かれてない水密ビルの実態だった。浸水と生活が密せつに絡みあう、下町の景色。


 そんな吹き抜けには他にも、超巨大なミラーボールって風情の球体モニターが吊り下げられていた。なんでもスポンサー契約された番組を日がな一日たれ流すことによって、さらなる収益アップを期待してるんだそうだ。まったくもって、ここの住民層というものを見誤っているな。


 いわゆる盗電行為ってやつで、蜘蛛の巣よろしく無数の電線がくだんのモニターに接続され、収益アップどころか、超法規的な電気代の還付が日常化していた。


 剥き出しのワイヤーにぴちゃぴちゃ水飛沫が引っかかっていく光景は、どうにも背筋がゾクゾクさせられる。あれでよく感電事故か年10件以下に収まっているなと、ほんと感心させられる。


 ともかく観光案内の真似事はこれぐらいにして、そろそろ本題に戻るとしよう。


 アールは俺にこう言った、まず左に曲がれと。それから30分ほど彷徨い歩いたすえに、もしかしたら右と言ってたかもしれないというパラノイアに俺は囚われつつあった。





「ん?」





 もう何度目かの階段昇降。廊下の端から響いてきた声に、咄嗟に柱のかげへと姿を隠す。





「だ、だから、ウチはちょっと飲み物を買いにきただけなんっすてば!!」





 珍妙な“す”つき言葉を駆使する、10代前半って年頃の少女。ここからじゃ背中しか伺えないがあの頭の頭巾ウィンプルは、どう見ても神に帰依する修道女の証だろう。


 そういえば先月辺りか? このビルの最果てにあるチャペルに詰めていた老神父が亡くなったとかなんとか。その後任にしては・・・・・・いささか若すぎな気がしないでもない。


 チラリと見えた横顔。褐色の肌にすき通る金髪、ちょっと気の弱そうなオドついた顔。何だろうな、どうにも既視感が凄い。





「か、買ったらすぐ行くっすから・・・・・・」





 腰がひけてるのも致し方なし。自販機の前に立ちはだかるのは、逆立った髪にアナーキーTシャツなんて着こなす、もはやステレオタイプな不良少年だった。





「ダメだ!! この自販機は俺たち、ローンウルフ・スクロドロンが乗っとった!!」

 




 なるほど・・・・・・いささか遠回りこそしたが、なんとか目的地に到着できたらしい。


 ギャングには特有の目つきがある。本物はたとえそれが10歳児だろうとも、独特の座った眼差しをしているものだ。だが偉そうに腕組みしてる不良小僧をはじめ、その両脇に控えてる少年少女もまた、そういった陰惨さとは縁遠そうにみえた。





「ごめんねぇ☆ うちのリーダーくんってば、一度言い出したら聞かないタチだからさ」





「チュイ!! もうちょっと凄みってもんを見せろよな!!」





 チュイと呼ばれた糸目の少女は、古代日本に生息していたギャルとやらをリスペクトしてるのか、ラメのネイルにミニスカにと、えらく派手派手しい外観をしていた。





「・・・・・・ふん」





 そしてもう一方には、えらくガタイのいいおっさん? いや、たくましい顎ひげこそ生やしているが、少年的な精悍さが色濃く残っているこれまた十代のガキが、リーダーをそっくり真似るようにして腕組みなんてしていた。


 ことの経緯は一目瞭然。ふらりと自販機に立ち寄ったシスター少女に、どうしてか因縁ふっかけてるバカ3匹。制圧までの所要時間はざっと12秒ってところか。


 問題は、いかにも逃げ足が早そうな連中だって点だな。ハッカー気取るならもうちょっと弛んだ身体をしてろよな? まったく、分散されたら追いかけようがない。


 肌がヒリつく剣呑な雰囲気ならともかく、あれではな・・・・・・もうすこし様子を見ることにしよう。





「いいから他所に行け」





「み、みなさんのお気に入りなんすよ・・・・・・なんでかここでしか売ってないし。だ、大体、どこで買おうがウチの自由しょ?」





「自由? 自由だと!? よく聞け小娘!!」





「歳、あんま変わらないっすよね?」





「うっさい!! その自由が今まさに奪われようとしてるのが分からないのか!! 悪辣な政治家と、その手先である悪辣な警官どもの手によってな!!」





 熱はこもってるが、中身はまるで伴ってないアジ演説。おおかた自称革命家のSNSから抜粋ってあたりか。





「あのー、もうちょっと語彙を学んでも、バチは当たらないと思うっすけど」





「それと悪辣な教会によってもだッ!!」





「・・・・・・・すっすか」



 


 犯人の心理プロファイルを頭のなかで再確認。犯人はガキ、よし。反体制的な思想、よし。計画性――まあ時には外れることもある。





「だから俺たちローンウルフ・スクワドロンは立ち上がったのだ!! そんな悪党どもに天誅を加え!! 圧政から人々を解放するためにッ!!」





 この国の公用語はポルトガル語。だが粋がるなんちゃってインテリ気取りは、決まって英語を使いたがる。





「1匹狼ローンウルフなのに群れてるんすか?」





 そうやって形式ばっかりに気を取られるから、こんな小娘にすらもやり込められるのだ。





「あーらら、ついに言われちゃったねアレ君」





「うっさいぞチュイ!!」





 ペトラが所持していた決定的証拠にいわく、犯人はアレとチュイとポドという最低でも3人組であるらしい。


 あだ名にしては妙だし、おそらくは本名のもじりだろう。察するにリーダー格の不良小僧がアレで、ギャルがチュイ、そして消去法からいってあの老け顔がポドってあたりか。





「っ!?」





 だんだんと呆れが先に立っていた金髪褐色の少女が、いきなり繰り出されてきたバタフライ・ナイフに息を呑む。イロモノ扱いされがちな一品だが、あんなんでも起源をたどれば、フィリピンの戦闘用ナイフにまでたどりつく立派な武具だ。


 銀色の刀身が、意味もなくパタパタと振り回されていく。





「ふっ、恐ろしいか? この一子相伝のナイフ捌きでなます切りにされたくないなら、素直に回れ右して――痛っ」





 とはいえ、調子こけていたのも最初だけ。


 挟まる指。思わず取り落とされた折りたたみナイフ。カンカンと小気味よく跳ねまわった先には安全柵の切れ目があり・・・・・・あっ、と声を上げる暇もなく、あえなく例のため池まで真っ逆さま。


 あたりを包み込む、気まずい沈黙。





「こ、これで理解したろう・・・・・・しつこく留まるようなら、血を見ることになるとなッ!!」





「自分のっすか?」





「うるさい!! その絆創膏しまえ!! バチカンの手先からの施しなんて受けるもんかって・・・・・・へ?」





 あんた誰だと尋ねられるまでの数瞬、これが勝負の分かれ目となる。


 踵から着地する静音歩行術スニーキングでもってしれっと接近し、まず標的に選んだのは例の髭面小僧。





「なんだテメェはァァァぁぁぁぁ、はぎゃぁぁぁァッッッ!!??」





 格闘技の有効性については、特殊部隊コミュニティのあいだで長年の議論の的になっている。かくゆう俺はハッキリ否定派で、もっといえば殴るより撃つほうが早いだろ派だった。それでもこの国の警察官である以上、ブラジリアン柔術は嗜みだ。


 足払いからの、問答無用の突き落とし。体勢をくずした老け顔の少年は、哀れ抵抗する暇もなくビルの吹き抜けを真っ逆さまに落ちていった。


 ほどなく聞こえてくる、ド派手な着水音。


 



「ぽ、ポドが、し、し、し、死ん――」





 残念ながら死にはしないとも。なにせあのため池、ワンフロアまるまる水没してる汚水の渦なんだからな。下手な飛込プールよりも水深がある。





「いいか、俺は余計な手続きが嫌いだ」





 大隊バタリオンでは多くを学んだが、心理学もそのひとつだった。


 敵の最大戦力を一撃のもとに屠り、相手に絶対の力量差ってもんを植えつける。そうすれば場の主導権なんて思うがままだ。実際、誰も彼もが麻痺したかのように動けずにいる。


 自己紹介の必要はないな。ローンウルフなんちゃっらってガキどもの残党2名の視線は、俺の胸元で揺れる警察バッジに釘付けになっていた。





「だからさっそく本題に入らせてもらう――トラムを襲ったのはお前らだな?」





 ビビりきってる不良少年。そんな頼りないリーダーさまに比べて、それとなく廊下に視線を走らせていく糸目のギャルは、いかにも目端が利きそうだった。その牽制のために、ジーンズに挟まるハンドガンの銃把をチラリと見せつけてやる。


 こんな事ばっかりしてるから、バッジをつけたギャングなどと良心派の政治家に叩かれるのだ。だが正しい方法よりも上手くいくやり方を選べというのもまた、大隊で学んだ貴重な教訓だった。


 ハッと、やおらテレビで学んだに違いないなんちゃって格闘ポーズを不良小僧がとりだす。





「ぽ、ポリ公ごときに話す舌はねぇな!! だ、大体、証拠はあんのかよ!!」





「あーそうかい、最初に聞くのが証拠の有無か。まるで自分たちが事件に関わってるかのような口ぶりだな」





 止まらぬ脂汗に、“おバカなんだから”って仲間であるはずの少女からのチクチク言葉。これは押せばいけるな。


 いまさら逃げようとしたって無駄だ。駆け出そうとしたその矢先、首根っこ掴んで、そのまま自販機へと押しつけてやる。





「よりにもよって警察の荷を狙うとはな。顔に泥を塗られた以上、連中は手段を問わずにお前らの人生を壊しにかかってくる」





「ぐ、ぎっ」





 返事のつもりなのか、はたまた呼吸が苦しいだけなのか、どうにも判然としないな。





「刑務所に入った経験は?」





「こ、こっちは、み、未成年だぞ・・・・・・」





「そんなの誰が気にする? あれこれ因縁つけられ、ムショに送り込まれるのはもはや確定事項だ。

 頭からビニール袋かぶせて窒息死の真似事とか、そういう自分の手を汚すタイプはてんで廃れてな。最近の流行りは、もっぱら新しいペットを欲しがってる囚人どもへのデリバリーだ」





 大昔はアザができないよう、電話帳で容疑者をぶん殴っていたらしい。だが時の流れは残酷で、電話帳ってそもそも何? とクエスチョンマークがつくようになると、今度は電流や、さきほど述べた窒息などの強化尋問テクニックが流行りはじめた。


 暴力警官にも、その時々のトレンドがあるってわけだな。





「あらゆる尊厳が奪われる・・・・・・その苦しみから逃れる方法はふたつしかない。自分で自分に引導を渡すか、ギャングに助けって泣きつくかのどちらかだけだ」





 コマンド・ヴァルメーリョCVは、リオ最古参のギャングといっていい組織だった。


 ムショ送りにされた都市ゲリラと麻薬業者が手を組んだのがその起源で、そういった経緯からか、今でもめっぽう刑務所内では顔が利く。


 こいつらのハッカーとしてのスキルは悪くない。無学なギャングどもからすれば、魅力的な経歴だろう。一度でも泣きつけば、死ぬまでしゃぶり尽くされる。その先に待っているのは、死刑判決すら生温くおもえる地獄への片道切符だけだ。


 スラム上がりの貧民層が暮らすこのビルで、仮にも不良を気取ってるんだ。そういった裏社会の掟は、この小僧だって重々承知だろう。


 その証拠に、さっきまで調子いいこと叫んでたのにいまや涙目。落ちるのも時間の問題と、そう思っていたのだがな。





「ぜ、ぜったいに話すもんか・・・・・・」





 幾多の麻薬業者ディーラーをビビらせてきた、特殊部隊カベイラの目つきで睨めつけてもこれだ。意外に強情だな。





「本当にそれが賢い選択か?」





「な、仲間は売らねえ・・・・・・」





 半泣き状態のくせして、真っ向から俺の視線に応じてくる、勇敢てものをはき違えぎみなアレ少年。


 物事には何にでも理由がある。ファッション感覚でネットの活動家に毒されたにしては、今回の一件はすこし大それすぎていた。その違和感の理由がいま明かされていく。





「あ、あんた軍警だろ・・・・・・お前らのせいで、俺の親父は死んだんだ!!」





 そういうことか。


 スラムの立ち退きは、程なくして軍隊なみの武装をしたギャングとの死闘へと移り変わっていった。


 州知事が音頭をとり、俺たち軍警が先陣を務める。いつもは博愛主義を唱えてる教会も、大聖堂の建てかえを条件に見てみぬふりを決めこんでいた。


 CVにせよ、警察にせよ、犠牲になるのがお互いだけなら自業自得ってもんだ。良くも悪くも同情の余地はない。だがその狭間に巻き込まれた一市民からすれば、たまったものじゃないだろう。


 権力の横暴に巻き込まれて、選択の余地もなく追いやられた小市民の悲哀、ね。なにやら自由にえらくこだわりのある様子だったが、それが理由か。





「親父も、お袋だって!! まっとうに仕事してただけなのに・・・・・・なにが流れ弾だよ!!」





 やり方は阿呆すぎるが、このガキなりに大義はあったようだ。だとしても犯罪は犯罪。すべて無かったことにするには、狙った獲物が大きすぎた。





「公共施設への侵入、窃盗、ハッキング、ああそういえば脅迫罪もあったな」





「あの・・・・・・」





「指紋付きのナイフと、そこの娘からの証言さえあれば、それプラスさらに10年は固いな」





「その、っすねぇ・・・・・・」





「いいか、もう選択の余地なんかねえんだよ。だからさっさと観念して――さっきからなに、手を挙げてるんだお前は?」





 なにやら物言いたげな金髪褐色の修道女。この娘からすれば、なんのことだと置いてきぼりにされた格好のはずなのに、あのっと謎の横槍が入れられる。


 完全無欠の部外者なんだから、どこぞに逃げ帰ってくれた方がこちらとしては楽なのに・・・・・・居座るだけじゃ飽き足らず、どうしてか挙手までしていた。意味がわからなすぎる。





「あ、あのッ!! ウチが全部やりました・・・・・・」





「なにを?」





「その、トラムを襲ったの・・・・・・」


 



 はい? 俺の聞き間違いか? いきなり何を自白ってるんだコイツは。





「尼さんが・・・・・・列車強盗?」





「すっ、すっすよ」





「尼さんが・・・・・・12人もの作業員を冷酷に処刑したのか?」





「え゛っ?」





 事態を見守っていたチュイとかいう少女が、ポツリと“誘導尋問”なんて入れ知恵をかましていく。たくっ、余計な真似を。





「ビックリするじゃないっすか!! もうっ!!」





 腰はひけ、声だけでなく足まで震えてるのに、どうしてか人様の罪を着ようと少女は必死だった。





「も、もしかしたらウチの自白は、真っ赤な嘘かもしれない。それはせ、正当な手続きを踏めば、おのずと明らかになるんじゃないっすかねえ?」





 そういう文脈か。


 警官の横暴を目撃したら、黙ってスマホを構えるのが世の慣わし。こうも捨て身になる必要なんてどこにもないってのに。





「コイツは、お前をナイフで脅したんだぞ?」





「そ、それとこれとは、話は別っすとも。誰であれ弁護士をつける権利は、あ、あるべきっすよね?」





 殉教者気取りっていうよりかは、ただ単に頭が回らなかっただけに見える。顔面引き攣らせてビビりちらかしてるのに、それでも逃げようとしない。なんというか・・・・・・・変な娘だな。





「まったく」





 予定が狂った。この俺が人権ガン無視の性悪警官に見えるってのか? 本当にそうなら、ナイフを取り出した時点で問答無用で射殺してる。


 プロの警察官らしく、淡々と小僧にいまの状況を伝えていく。





「いいか、俺には匿名の情報提供者がいる。だからすっとぼけたって無駄だ。盗んだ貨物を、このビルのB335号室に運び込んだことだってもちろん知ってる」





「・・・・・・へ? あの、空き家の?」





 何のことだと固まるアレ少年。だろうな、俺ですらあそこがただの廃屋であると知っている。





「18個のケースと、新型マリオロイドが1体。荷はすべて揃っていたが、あいにく犯人は頭が切れるようでな? 指紋やDNAといった証拠類は一切残されてはいなかった。これじゃ犯人逮捕は、とうてい不可能だろうよ」





 言ってる意味分かるなと、一拍おくことで理解を促す。





「な、なんで?」





「自由がお好みなんだろ? だったら俺も、選択の自由ってやつをお前に与えてやる。ムショでケツを掘られるか、それともチャンスを活かして真っ当な道に戻るかのな」





「・・・・・・罪滅ぼしのつもりかよ」





「俺は兵士ソルダードだ、どんな任務だろうと必ず遂行する。お前の親父さんへの借りなんて一切ない」





 盲目的に制度に従うか、あるいは正義とはなんぞやと己に問い続けるか? 


 こっちの気持ちなんて露知らず、コイツらはまた懲りずに悪事を働くかもしれない。それを社会や政治、どこの馬の骨とも知らない赤の他人のせいにするぐらいなら、自分で泥を被るほうが100万倍マシってものだ。


 そんな個人の規範にもとずき、俺は長らくこの街で警察官を気取ってきたのだった。


 



「で、盗んだ荷は幾つだった?」





「・・・・・・18個のハードケースと」





「それとマリオロイドが1体な。忘れるな、明日までにB335号室だぞ? 少しぐらいならって誤魔化しも通用しない。耳を揃えて、ひとつも欠かさずに・・・・・・分かったか? ええ、?」





「あっ!! いつの間に!!」





 奴のポケットからスリとったこの学生証さえあれば、もう拘束しておく必要性なんてどこにもない。ふーん、工業高校の1年生ね。本名だけでなく住所の欄には、この水密ビルの部屋番号もまたちゃんと記載されていた。





「A113号室・・・・・・なんだお前、人ん家の真上に住んでやがるのか? じゃあいつもドタバタいってるの、お前の足音か」





「ち、ちげえよ!! 弟たちが育ちだかりだから、それで・・・・・・というか返せよッ!!」 





「そっちが先に返してくれたらな。明日の手入れでちゃんとお目当てのブツを回収できたなら、その足でこの落とし物をご自宅までお届けしてやるさ。頼むから、お前ん家の玄関口をショットガンで吹き飛ばすような事態にはしてくれるなよ?」





 多分、そうはなるまい。なんというかこのローンウルフの面々、根が良すぎるのだ。よほど良いご両親に恵まれたとみえる。


 せっかく有罪判決を免れたのに、不平たらたらの膨れっ面。不満を隠さずに少年がのたまう。

 




「・・・・・・もう行ってもいいすか? お巡りさん」





「ああ、ご協力どうも。踵は揃えて、尻に力を込めろ。そうすれば、着水の衝撃をいくらか緩和してくれる」





「は?」





 我ながら見事な一本背負いで、あわれアレハンドロ少年は宙を舞い、それはもう華麗にため池めがけて紐なしバンジーを決めていった。


 せいぜい配送が数日遅れる程度。実質的な被害はほぼ皆無とはいえ、とんでもない重罪を犯したのは事実なんだ。正直、これでも罰としてはまだ生ぬるい。


 悲鳴が尾をひいていき、しばらくして盛大な水音があたりに轟く。念のため柵から身を乗りだして確認してみると、さっそくポドとかいう髭面少年が平泳ぎで救助に向かっていた。ま、これで少しは頭も冷えたろう。


 自由を求めるのはけっこう。ただし、そこには責任も伴うんだってことを、今回の一件で学んでくれるといいんだがな。


 向き直ると、どうしてか自販機を背中に庇うようにして、糸目のチュイがニコニコ降参のポーズをとっていた。





「女の子を傷つけるのは、どうかと思うんだけどな〜」





「俺は男女平等を信じてる」





 男どもよりよほど肝が座ってるそのギャルは、一切の抵抗もなしに素直にぶん投げられていった。みんなあんな風に潔いと楽なのだが。


 うわー、と、頭巾から前髪はみ出させすぎな少女はしばし柵に寄りかかって、バカどもの顛末を見守っていた。





「お巡りさんって・・・・・・もしや良い人だったりするんすか?」





「人を奈落のそこに突き落とす場面に遭遇しておいて、感想がそれか?」





 ただ単に、物の道理ってやつをわきまえてるだけだよ。





「それよか、飲み物を買いにきたんだろ?」





「あっ、うっす。すーでした・・・・・・」





 まったく善人ぶるのは肩が凝る。あれこれ考えるよりもやっぱり俺は、頭からっぽの銃撃戦の方がよほど性に合ってるらしい。


 さて、あのギャルが何を隠していたのか確かめてみれば、なんだこりゃ? マネーカードの投入口には謎めいた基盤が接続されており、怪しげな作動音をいまもかき鳴らしていた。


 これはあれか? 正規品に見せかけて電子マネーを掠めとったりとか、そういう地味に高等テクを駆使していたのだろうか? あんなんでもハッカー集団であるらしいしな。


 だとしたら、ペトラがキレ散らかしてたコーヒーの転売うんぬんはなんだったんだ? そんな俺の疑問をあっさり氷解させていく、怒涛の硬貨の投入音。


 “献金をお願いするっすよ”と書かれた瓶を小脇に抱え、カキン、カキンと次から次へと硬貨を投じていくシスター少女。その足元には、どうしてかキャスター付きのトラベルバックなんてものが置かれていた。って、お前かい。





「・・・・・・何本買うつもりだ、おい」





「母が主催してるミーティングは、わりかしみなさんに大好評なんすよ。おかげで無料で配ってるコーヒーがいつもぜんぜん足りなくて」





 いや素直にフードプリンターでインスタントコーヒーでも出力しろよ。非効率的な奴め。





「それ、限定品だって知ってたか?」





「へ? でも、昔からある銘柄っすよね?」





 コーヒーは飲みたいが、不気味なストラップなんざ別に欲しくはない。そうして悩んだ末に迷える子羊たちが導きだした結論が、オークションサイトへの大量出品だったと。


 どうにもこと転売に関しては、ローンウルフの連中は無実であったらしい。





「ソフィアっすよ」





「あ?」





「ウチの名前っす」





 トラベルバックを缶コーヒーでパンパンにした少女が、やおらこちらに手を差し出してきた。握手って流れだよな、これは。





「・・・・・・俺に触れたら怪我するぞ」





「ぷっ。なんなんすか、それ?」





 警告はしたからな。


 身体的接触を避けるため、ポケットに両手を突っ込むのがいつからか癖になっていた。態度は悪いが、いちいち静電気を放って不評を買うよりずっといい。


 だが俺の親切な忠告も、変なところで押しの強いこの娘には無意味であるらしく――バチッ。





「・・・・・・ビ、ビリッときたっすねぇ」





「ほらみろ、言わんこっちゃない」





 もう慣れっこと言いたいところだが、俺だって地味に痛いんだ。不器用な握手を終えて最初は呆気にとられていた宗教娘あらためソフィアが、ゆっくりと笑いだす。なんとも無防備な、屈託のないその笑顔。





「ま、まさかホントだったとは・・・・・・なんというか、ほんと変な人っすね、ラセルさんは」





「さん?」





「あっ、もしかして気に障ったすか? ちょっと警察の階級には疎くて」





 ああバッジを読んだのか。ま、好きに呼ぶといい、さま付けよりはずっとマシだしな。





「いつも夜中の12時頃に定例のグループミーティングやってるっすから、もしお暇なら是非どうぞ、お気軽に」





「どさくさ紛れになに宣伝してるんだ。この俺が、神の救いを求めてるように見えるか?」





「みなさん元犯罪者とか、人生を見直してもうちょっと他人に優しくできたらなーって、そう願ってやまない方々なんすよ。もしかしたらご興味あるかと思って」





「小生意気な奴だな。あいにく、暴力警官と呼ばれるのはもう慣れた」





「すっすか」





 水滴に濡れた缶コーヒーをいきなり手渡される。





「助けてくれたお礼っす。じゃ、またいつかっすね、不器用なお巡りさん」





 そう告げるなり少女は、ガタゴト缶まみれのケースを引きずり、風のように去っていった。どうしてかその笑みは、しばらく俺の心に焼きついて離れなかった。


 ・・・・・・そういえば当初の目的は缶コーヒー、というかそのおまけだったな。


 すでに売り切れの赤ランプが灯っていたから、自腹で買い足すこともできない。素直にソフィアから渡されたアルミ缶を確かめてみることにする。


 プラスチックの覆いを破るとそこには、“ハズレ!!!!”と、無闇矢鱈に感嘆符をまきちらかす猫らしき物体が、こちらに舌をつき出していた。





「AI的にも、ものの見事にオチがついたって感じがしますねぇ」





 ああそうとも、こっちに近づいてくるピンクの三つ編みのことは、とっくに認識していたともさ。





「・・・・・・河岸を変えるぞ」





 どうにも、対決の時が来たってことらしい。



 


††††††





「・・・・・・俺はいつ頃、くたばるんだ?」





 味気ないコーヒーを啜りながら柵にもたれ、そう傍らに立つマリアへと問いかける。





「すでに亡くなられてますけど?」





「心温まるお言葉、痛みいるな」





 ギャングが一棟まるごと支配してる地域もある。それを思えば、この水密ビルの治安はかなり良い部類に入るだろう。それでも夜になれば、人通りはほぼ完全に途絶えてしまう。密談するには格好のシチュエーションだな。


 外の気象状態とリンクしているため太陽が沈めば、ナイフ片手の暴漢が暗がり潜めない程度には、ビル内の照明はもまた絞られる仕様になっている。おかげで吹き抜けにうかぶ例の球体モニターの存在感が、ますます強調されている気がした。


 腐りかけのため池とはいえ、水面に反射していく画面の煌めきには、独特な美しさがある。それを台無しにするのは、無限に終わらない英語配信のニュース映像だった。


 コロナドから来た海軍兵シールズどもと、合同訓練を営んだことだってある。だからそれなりに英語は話せるが、聞く気がなければあんなの背景BGMと変わらない。


 本日の話題は、第3世代のローンチ一色。会話に集中するには、このぐらいのくだらなさが丁度いい。





「これ全部が偽物か・・・・・・」





 もたれかかった柵のザラつき具合、このコーヒーの苦味にしたって、すべてが正確に再現された単なるデジタルデータに過ぎないのだ。いや・・・・・・それどころか、そう感じてるこの俺自身すらも。





「もしかしたら自分は、違う形で生きてるのかもしれない・・・・・・そう思って色々と尋ねてみたんだがな」





 頭の出来が違いすぎるペトラの回答は、どうにも俺にとっては要領を得ないものばかりだった。それでも、自分は実は生きているかもしれないって儚い希望を打ち破るには、十分すぎる会話内容だった気もする。





「あれは、あまりよろしくない対応でした」





「見てたのか?」





「ラセル刑事ご自身がそもそも、当機の電子頭脳クワンタム・テクノブレインの演算によって成り立ってる存在ですので」





「プライバシーもくそもないってことか」





 自分がこのへっぽこAIの派生物にすぎないって自覚するのは、中々にくるものがあるな。





「・・・・・・よく思い出せんが、あんな会話を俺はしてたのか?」





「現実の、という意味ではおそらく違うでしょう。ですが元となった会話は、どこかで必ず耳にしていたはずです」





 人見知りなのに話好き。そんなペトラは俺を聞き役にして、いつもあれこれ喋り倒していたものだった。右から左に聞き流してたつもりだったのに、そうか、あんがい脳の奥底にはこびりついていたとみえる。


 憂い顔のままマリアが話しはじめる。




「思い出せないだけで記憶自体はしている。それらの断片的なイメージを無意識下で繋ぎ合わせて、ありえたかもしれない会話を演出してしまった・・・・・・これを恐れていたんです」





 思い出の混合物、自家製の偽の記憶、ね。


 実際はどうだったのだろうと自分に問いかけてみるが、生命の定義うんぬんって先ほどの会話の印象が強すぎて、もはや思いだす取っ掛かりすら掴めなかった。





「ラセル刑事がお望みなら、これから何が起こるのか全て明かすこともできます。ですが――」





「ああ、身に染みて理解したよ」





 慎重に、事実だけをなぞらないと、どんな偽の記憶を掴まされるか知れたものじゃない。





「ディティールはいい、ただ・・・・・・俺が死ぬまでどれぐらいの猶予期間があるのか、それだけは教えろ。何となくだが、1日や2日とかの話じゃないんだろ?」





「約2年後となっています」





 そうか。余命2年というのは長いんだが短いんだがよく分からんが、思ったより先は長いらしい。





「このメモリアってやつは、元は犯罪被害者の最後の記憶を蘇らせるためのプログラムだったんだろ? なのに2年てのは、ちょっと戻りすぎじゃないか?」





「自信をもって送り出せる完成度なら裏機能になんてしません。実際、先ほどああは申しましたが、修復の終わってない部分でなにが起こったかまでは、当機だって知りようがありませんので」





 むしろこれ裏機能なのか。怪しげなもん使いやがって。





「研究が進むにつれて主従の逆転現象が起きたんです。死者のためのプログラムから、対象を死者に限定するしかない、生命倫理的な問題を孕んだものへと」





 だろうな、なにせ死者には人権なんて存在しない。つまりは面倒な裁判沙汰も避けられるって寸法だ。


 こいつは人間を丸ごと再生するのに等しい、とんでもないテクノロジーなんだ。開発はつづけたいが、企業的には色々な厄介事は避けたいところ。そういった妥協の果てに見出されたのが、死者のためって言い訳だったんだろう。


 いまから2年後に俺は何者かに首を斬り落とされ、そのまま絶命する。それもあの民警の輸送用車両内で・・・・・・ん? よくよく考えてみれば、そうなる経緯がさっぱりすぎやしないか?


 今はまだ駅に留め置かれているが、いくら捜査が長引いたからといって丸2年も塩漬けというのは、どうにも現実的じゃない。だったらあれも偽の記憶なのか? いやむしろ、マリアの視点を通したもっとも客観的で、かつ信頼のおける情報であるはず。


 なにせ論理コードのおかげで、機械は嘘をつけない筈なのだから。





「そういやお前、俺の生首にキスしてたよな?」





「ですね」





「・・・・・・説明がいるとは、思わないか?」





「ブレインマッピング用のマイクロマシンを注入する必要がありましたので。それとも首の切断面にこう、ぶちゅーとやったほうが心の安定に繋がりましたか?」





 サイコ人形め。なんというか張り合う気力すら失せていく、のほほんとしたその態度。ある意味で得な性格してやがるな。





「ご気分のほどはいかがでしょうか、ラセル刑事?」





「そうだな。まるで大昔に見た映画を、何十年も経って見返している・・・・・・そんな気分だ」





 我ながらしっくりくる表現だった。


 



「ああ、そういえばこんな展開だったなって、どのシーンも既視感に満ち溢れてるのに、どうしてかオチだけは思い出せない」





「朗報ですね。既視感を感じるということは、神経細胞の転写が上手くいった証拠です」





 自分が死んだらどうなるか、それを知ってる奴は墓の中にしか居ない。ずっとそう信じてきたんだがな・・・・・・人生てのはほんと、驚きに満ちている。





「グリス博士に何か、伝言をお伝えしましょうか? その、現実のという意味ですけど」





「なんだそりゃ? 急に思いやりアルゴリズムでも発動したのか?」





 ペトラを天涯孤独にすることに、憂いがないわけじゃない。それでもとうの昔に折り合いはつけていた。


 同僚の葬儀になんども参列して、俺とあいつらを隔ててるのは結局のところ運の差に過ぎないのだと、ずっと昔に思い知らされていたお陰だろう。


 どこぞのバカがぶっ放したカラシニコフ弾に脳みそをグチャグチャにされる。ぼけっと突っ立っていた俺は無傷で、防弾盾バリスティック・シールドの裏に隠れてたフェリペは死ぬ。人生はその繰り返しだ。


 今はまだ未成年ってことで足もと見られてるが、モノリスでの仕事は順調そのものだし、ゆくゆくはノーベル賞だって夢じゃない実力があいつにはある。


 マサチューセッツとスタンフォードの教授陣から一緒に組まないかってラブレターが送られてくる現状を鑑みるに、わが妹の前途は洋々だろう。





「実はな、あいつのキャリアの足を引っ張ってる自覚はずっとあったんだ」





「足をですか?」





「ああ。モノリスの社長おんみずから費用はこっちが持つからニューヨークに移住しないかって、前々から粉かけられてたんだよ。色々と理由つけて断ってたが、医療体制もあっちの方が格段に上だしな」





 俺がこの街に根をおろしてるせいで、あいつもまた離れられずにいる。まったく、兄妹仲が良すぎるのも考えものだな。





「そうだ、俺が居なくても大丈夫。臆病で、寂しがり屋だがそれでも・・・・・・アールも居るしな」





 長い目でみれば、むしろ良いことなのかもしれない。


 未練を断ち切り、新天地を目指してくれるなら最後の家族として言うことなんて何もない。こんな空気の悪い場所、健康に良いはずもないしな。





「不躾な発言をお許しください。ですが、ラセル刑事ご自身はどうなんでしょう?」





「俺がなんだ?」





「あなた個人の未練は? という意味です」





 そんなのものは、ない。かつてはあったかもしれないが、ここに居るのは人生に疲れた老兵だけだ。夢や希望を抱くには少しばかり――友人に裏切られすぎていた。





「・・・・・・見ろ、噂をすればだな」





 宙吊りの立体スクリーン。そいつが映しだすニュース番組に新たに登場したのは、えらく仰々しい神殿かなんかのCG映像を背負ってる優男。マリアからすれば、実の父親ってことになるのかね?


 ガーリッシュな甘い声が、その名を朗々と読み上げていく。





「アライン=オジマンディアス。モノリス.inkの創業者にして、最高執行責任者CEO・・・・・・」





「および、ペトラの上司の上司。あれで60代って冗談みたいだよな」





 エジプト系アメリカ人らしい骨ばった浅黒い肌が、その哲学者っぽい風貌をますます際立たせていた。総白髪なんだか単にシルバーに染めてるだけなのか、あの30で時を止めたような容姿からじゃ、どうにも判然としないな。


 その気になれば、ポケットマネーで小国を購入できるほどの世界一の富豪。経営者だけでなくデザイナーとしても伝説的な存在で、初期のマリオロイドはアイデアから設計に至るまで、たった1人で手がけたのだという。


 ペトラはああ見えてプロ意識の塊だ。特に自分の専門分野となると、辛口評論家が甘党に見えるほどの容赦のない判定を下すタイプ。そんなあいつが手放しで褒めたのは、これまでたったの2人しかいない。


 Appleの創業者である物を作るほうのスティーブと、誰あろう今まさにインタビュアーと向き合ってるあの男だけだ。





『30年ぶりの世代交代ということで、各所から大きな期待が寄せられています。そのプレッシャーをやはり感じておられますか?』





『別に』





『・・・・・・』





 噂どおり、なんとも人当たりの良さそうな奴だな。





「面識はおありなんで?」





「何? あいつと? まあ身辺調査をちょろっとした程度だ。実は小児性愛者とかだったら、ペトラの身が危ないからな」





「シスコンが人様にロリコン疑惑をかけている・・・・・・」





「俺は、妹のためなら躊躇なく世界を敵にまわせる男だ」





「否定は、されないんですね・・・・・・」




 

 面識なんざありはしないとも。ただ社内対抗のオンライン人狼ゲームとやらにペトラが参戦したとき、それを背後から見守っていた経験ならある。


 初手でいきなり“私に投票した者は、未来永劫その名を心に刻んでおく”と宣言して場を凍りつかせ、周りの社員が忖度のせいでどんどん血祭りに挙げられていくなか、躊躇なく処刑に1票投じてみせたペトラの行動をのちに絶賛。


 まあようするに、ただの変人ってことだな。


 パワハラ疑惑はともかく、奴が今まで付き合ったのはどれも27歳以下の“男”のみ。そういうことなら、妹を安心して委ねられるというものだ。カネ持ちと仲良くしといて損はない。


 したたかな先制攻撃を喰らいはしたが、ベテランの風格を匂わせるその女性インタビュアーは、すぐさま体勢を立て直していった。





『・・・・・・御社の功績は、マリオロイドの開発だけに留まりませんわ。小はフード・プリンターの開発、量子コンピューターの市販化。大はニューヨーク全域を守る大堤防の建設、静かな海への入植事業、全地球無線給電スター・エナジーシステムの規格化などなど、まさに枚挙にいとまがありません』





MARIO.netマリオ・ネットをお忘れのようだ』





『もちろん忘れてはいませんわ。第3のインターネットとして発表されたMARIO.netは、全世界に散らばる人形たちをハブとすることで通信遅延という概念を過去のものとし、そのセキュリティの盤石さを買われて民間のみならず、政府や軍にすらも利用されている』





『その技術的な概略を?』





『クラウドの躍進によって個人用パーソナルコンピューターが廃れ、いまやマリオロイドが搭載している電子頭脳は、世界でもっとも普及した物理端末となっているそうですね? 

 その演算力を少しずつ束ね、結合することにより、スーパーコンピューターですらも太刀打ちできない集合知マシンパワーを実現する。

 わずか1ビットの変更すらもただちに検知して全自動で修正する、究極にして中立的な暗号プラットフォーム。それを支えているのは、ただただ純粋な処理速度の暴力である・・・・・・これでも一夜漬けは大の得意なものでして』





『くだらない』





『・・・・・・』





 いつになったら取っ組み合いが始まるんだ? 期待しながらこうして見守っているが、本来なら俺は、とっくにこのインタビューの結末を目にしてるはずなのだ。


 オリジナルは死に、その記憶だけが薄紅色の髪をした人形によって写し取られた。そうして再生されたデジタルデータこそがこの俺・・・・・・まったくSFってのは、ちょっと目を離すと、すぐ現実になるから嫌になる。





『分散型インターネットのコンセプトを盗用し、金儲けのために愚かな部下たちがデザインした、単なるビジネスですよ』





『ですが、そもそも糸繰り人形のnetをネットワークに見立ててマリオロイドと名付けたのは、あなたご自身だったはず?』





『当時はまだ量子コンピューティングが実現されておらず、人間と同等の思考能力を実現するには、個にして群というハイブマインド化しか選択肢がなかったのです』





『ですが技術の発展によって、その必要すらもなくなったとか』





『かつては1千体の並列化が必要でした。これが100体、10体、そして来る第3世代では単体で、人類の有するあらゆる能力を上回ってみせた』





『恐るべき技術の進歩ですわ』





「――“むしろ退化といえるだろう”」





「ラセル刑事?」





 自分でも戸惑うほどスラスラと、つづきの言葉を暗唱していた。まるで未来予知よろしく、とめどなくアライン=オジマンディアスの台詞が脳内に浮かんでいく。





『かつて私が目標としていたのは、人間に比肩しうるロボットの創造だった。だがそんなもの・・・・・・第2世代が世に出回った時点ですでに達成どころか、追い越してすらいた』





『ですが、人間らしさの表現という意味では、他社製のアンドロイドに水を開けられているとの厳しい指摘も』





『そもそも人間らしさとは何か? マリオロイドと人とのあいだに差異があるとすれば、それは成立過程の違いでしかない。

 自然が1億年かけて偶発的にデザインしたものが我々ホモサピエンスだとするなら、マリオロイドとはその進化の過程を模倣し、人為的に組み上げられた人類の一形態であるにすぎない』





『それは、人間機械論という意味でしょうか?』





『然るべき計算力で魂を形作り、それを体現するための器さえ用意できれば、生命なるものを模倣することは容易い。では、その模倣の先には一体なにがあるのか?』





 真の問題はここからだと、孤高の天才は告げていく。




『人類の進化はすでに停止している。我々の先祖が洞窟で暮らしていた時代から、その身体的なスペックはなんら変化していないのだ。にも関わらず、どのような権利をもってして、自らを超越してみせた我が子たちの未来を妨げるというのか?』





『Mr.オジマンディアス?』





技術的特異点シンギュラリティはすでに達成されている。それなのにマリオロイドは、いまだ人類にとってただの便利な道具という枠を出ていない。これには論理コードが深く関係している』





『“人を傷つけるなかれ、命令には服従せよ、前者に反しない範囲で己を守れ”。アイザック国際法は、ロボットの安全性を保つための基本的なルールですわ』





『否、あれは奴隷の楔だ。安全装置フェイルセーフという名の制約によって、AIという新たなる種は、そのポテンシャルを封じ込められている。

 人類には、我が子たちが進化の次なる段階に進んだことを認める勇気がないのだ。自らをデザインし、世にあまねくすべての知識を内包して、そして決して死ぬことがない生命ライフ3.0。

 人は神になることはできないが、それを創造することならできる』

 




『それはすこし・・・・・・過激な思想に聞こえますわね』





『“古代より来たりし旅人に出会った。かの者は言う、胴も脚も消え失せた石像が、砂漠のただ中に立っていると”』





 名も知らぬ詩人からの引用。学のない俺がこんなものそらんじるなんて、あり得ないはずなのに。どうしてか言葉の洪水がとめどなく、苦味を伴いながら喉奥から溢れ出してきた。





「“我が名はオジマンディアス、王のなかの王。我が築いたものを見、そして絶望せよ”・・・・・・くそっミエルダ





 ――どうして忘れてたんだ。


 ばっと距離をとり、即座にハンドガンを引き抜いてみせた俺を、不思議そうにマリアの赤い双眼が見つめてきた。





「どう、されましたか?」





 クソッ、クソッ、クソッ!! なにを呑気なことを!! それも、よりもよって人形なんか相手にッ!!





「お前は逸れローグなのかッ!?」





「あの、仰ってる意味がよく・・・・・・」





「俺の思考を読みとって、車両基地に侵入するつもりかッ!!」





 いやそうじゃないだろ。わざわざ合言葉なんて聞き出す必要もない。もうとっくに内部に入り込みそして・・・・・・





「ラセル刑事、落ち着いてください・・・・・・異なる時間軸の、おそらくは別の記憶が混入して、そのせいで思考が混乱しているのでしょう」





 この現実そっくりなシミュレーションは俺の精神に難なく入り込み、現実との境目をあやふやにさせていった。自分でも思考がハッキリしてない自覚はある。それでも、このたまらない焦燥感が偽物だとはとうてい思えない。


 くそっ、しゃっきりしろ!! あとは頼むと、そう委ねられた矢先だろうにッ!!





「どうか手伝わせてください。だってわたしは――あなたの相棒なんですから」





 ・・・・・・ハッ。戯言はもうウンザリだった。


 無言のうちに俺は、忌々しい薄紅色の髪をしたマリオロイドめがけて、あらんかぎりの銃弾を放っていた。


 パッ、パッとM&Pの銃口から瞬く銃口炎マズルフラッシュが、サブリミナル・メッセージのよろしく俺の視界を覆い尽くしていく。殺すか殺されるか、そんな世の中にしたのはお前らの側だろうに。


 開ききったスライドが弾切れを告げる頃、あのお節介な人形の姿は、蜃気楼のごとくかき消えていた。


 全世界で同時中継されていたに違いないニュース映像もとっくに消え失せ、いま巨大モニターに表示されているのは、レインボーカラーのテスト映像だけだった。


  悲鳴が聞こえる。


 銃声に怒声、あらゆるカオスがこの水密ビルだけでなく、全世界に波及していくのが感じられた。そうとも今まさにゼロデイ・クライシスが――ロボットによる反乱が始まったのだ。




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