Chapter Ⅲ “ お醤油とってくれい”




「ん?」




 ふと顔を上げてみると、ダイニングテーブルの向こうでわが妹が、膨れっ面を晒していた。





「いやだからさ。兄やい、お醤油とってくれい」





「あ、ああ・・・・・・すまん」





 一度ハマるとそれしか食べなくなるわが妹の悪癖に付き合うこと、かれこれ4日目。そろそろ寿司なんて見るのも嫌って心境になってはいたが、それだけがこの心ここに在らずの原因じゃなかった。


 ごくありふれた家族の団欒風景。この部屋の上下左右、ビルの隅々にいたるまで似たような儀式が無限に繰り広げられているに違いない。窓のすぐ外を魚が泳いではいるが、突き詰めればしょせんはここも、量産型賃貸アパートに過ぎないのだから。


 思い返せば、俺と妹は生まれたときから両極端だった。


 ダイニングのこちら側はわが領地。玄関、台所、寝室Aはどこも1960年代初頭ってセピア色に染まっている。図書館に出向いてみても、ここからダウンロードしてくださいってQRコードが本棚にポツネンと置かれてるこのご時世。紙の本でぱんぱんな本棚なんて、もはや我が家くらいでしかお目にかかれないだろう。


 壁には、かつて男の子だねぇと妹にボヤかれたサーキットを駆ける初代マスタングの勇姿が額で飾られ、部屋の片隅には作業台とセットでガンロッカーが鎮座してもいる。ああそうとも、どこを切っても男の城って風情だとも。


 こちらがオールドスクールなら、あちらはまさにサイバーでパンクで最先端。何でもかんでもクラウド頼り。紙とチップだけのスマホすら出回ってるのに、ああもケーブルをのたうたせる意味なんてどこにあるのやら?


 妹の領地は寝室Bとバスルーム、そしてダイニングの残り半分。その大半を今どき珍しい物理コンピューターがピカピカ占領しきっていた。赤に緑にレインボー、ゲーミングカラーで目が痛む。モニターも無駄にたくさんあるし、お陰で電気代は悪夢に見るほどの額だ。


 そんなハッカー御殿の主人は、あむあむ美味そうに寿司を頬張っていた。


 床を擦らんばかりのロングヘアは、寝癖もあいまってなんとなく猫耳っぽくハネている。痩せぎすの身体に目には隈、首にはゴツいヘッドホン。陽の光を年単位で浴びてないため、その肌はヴァンパイアよりも青白い。


 兄妹であるのを良いことに、服装だってシャツとショーパンだけのだらしなスタイルだし・・・・・・ほとほと俺と血の繋がりを感じさせるのは、金色の瞳って部分だけだな。


 アナログとデジタル。化石と最先端。腕っぷしだけで世渡りしてる俺と、生まれながらにして電脳世界の申し子ってペトラ。よくまあここまで正反対に育ったものだと、ついつい頭を掻きたくもなる。


 もっとも俺たちを隔てる“壁”は、それだけじゃないのだが・・・・・・。





「なにかい? また相棒さんと喧嘩でもしたのかい?」





「またというか、まだって感じだな」





「うへぇ・・・・・・痴情のもつれだぁ」





「あのな。それよか聞いてないか? 駅で窃盗騒ぎがあったって」





「はて窃盗とな?」





 親父が殉職してからというもの、俺はこいつの親代わりを務めてきた。元から年の差があったし、とくに違和感は覚えなかった。


 卒業式に顔を出したり、代わりに医者と相談してみたり。妹の組んだなんかのプログラムが評価された際には、人生初の国外遠征に付き添ったことすらある。


 まあ絵に描いたような人見知りだから、わざわざニューヨークくんだりまで出向いたってのにホテルに篭りきり。プレゼンにもリモート参加って、あの時だけはさすがに何しに来たんだよと頭を抱えはした・・・・・・そんな風に色々あったが、それでも兄妹仲は良好なつもりではある。





「第3世代のマリオロイドが民警に配備されるって話、知ってるな」





「うーむ。知ってるというか、ペトラさんもだいぶエグめに設計に携わってたり?」





 こう見えてペトラは、かのモノリス.incに現役高校生って身空で雇われている。実力主義かつリモートワークにも寛容な社風のお陰か、ぶっちゃけ特殊部隊手当てと危険手当てをダブルでもらってた頃の俺よりも稼いでやがる。


 そうとも、兄の贔屓目を抜きにしてもわが妹は、どうしようもない天才なのだった。なにせ弱冠6歳にしてGT500のレストア作業を手伝い、自動運転をはじめとしたソフトウェア全般の面倒を見たのは、他の誰でもないこいつなのだから。


 現実世界では虚弱体質の引きこもりでも、電脳世界に一歩でも足を踏みいれれば、世界的なロボット工学ロボティクスの権威ときてる。


 持病を盾にずっとメディアを避けてきたから、世間一般にはまるで知られていない。だがどうしてか、マサチューセッツ工科大学MITのメタバース忘年会には名指しで招待される程度のご身分。一部界隈では、かなりの有名人なのだ。





「そこで貴殿にお尋ねしますが」





「うわっ、お仕事モードだぁ。兄の敬語って、なんか絶妙に胡散臭いよね」





「お前、あのトラムでなにやってたんだよ」





「やっぱドンピシャかぁ・・・・・・」





 この反応、予感的中はこっちの台詞だ。





「ええっと、もしやペトラさんも被疑者に加えられてたり?」





「証言次第ではな。たくもう、ただでさえ検察に目をつけられてるってのに・・・・・・よりにもよって身内が事件の関係者だなんてな」





「そんなつもり無かったんだけどなぁ。ごめんねぇ」





「謝んなくたっていい。悪いの窃盗犯と、人を暴力警官だって目の敵にしてる検察局なんだからな」





「どっちも本当だけどねぇい」





 まあ、そうなんだがな。


 ああもう、面倒臭さいったらない。上官への経緯説明と、後任への引き継ぎ・・・・・・だがすんなり行くかどうか。今からもう頭が痛い。


 静電気対策にグローブ嵌めて、コートハンガーに引っかかる愛用のジャケットからオールインワン型のスマホを取り出す。単品のボイスレコーダーなんてもはや絶滅危惧種だからな。


 おもむろにアプリを起動し、録音しやすいよう食卓に置く。





「ダ・シルバ巡査部長が立ち会ってなきゃ、犯人候補の筆頭だぞ? なんせ例の輸送用車両に最後に入ったの、お前なんだからな。公私混同気味なのは認めるが、それでもお前の体質からいって署での取り調べなんて絶対にイヤだろ?」





「それどころかこの部屋から一歩も出たくないやい」





「ダメだ、もっと運動しなさい」





「うへぇ・・・・・・」





「で、どうしてトラムなんかに?」





「そりゃもちろんお仕事ですとも。これでもモノリスのエンジニア様ですから」





「初期不良がどうたらって、あの件だな?」





 俺の問いに、えらくスローリーに頷いてくペトラ。わが妹は基本的に、ミツユビナマケモノとおなじペース配分で生きている。





「うん。全世界同時ローンチに間に合わせるべくあちこちで突貫作業中。もう出荷自体はされてるんだけど、だからこそ最後の最後でしくじるわけにはいかないって、本社は半ばパニック状態なのさぁ」





 “かくゆうペトラさんも、ついさっきまでデバックに駆り出されてたりして”。よく分からんが、目の隈がいつもより濃いのはそれが理由か。



 


「第3世代はもちろん最優先事項だけど、それ以上に同時配信される♡OSのアップデートが難物でさ。ほら、うちの会社って国防関連にも食い込んでるじゃない?」





「例の、第1無人化師団とかか?」





 なんでもかんでもAIに置き換えてやると息巻く、我らが連邦政府。その究極系が、先ごろ首都防衛のために配備された第1無人化師団だった。


 兵員すべてが軍用マリオロイド。空には無人機UAV、陸では無人戦闘車RCVが暴れまわり、その戦闘効率ときたら人間の兵士の数十倍にも達するって、名実ともにこの国最強の実働戦力だ。


 士官こそ生身の人間が努めているが、指揮もAIが担っているため、口をだす隙すらないらしい。ならどうして連中が給料泥棒を気取っているのかといえば・・・・・・そこにこそ無人兵器ってジャンルの難しさがある。


 機械が殺人を犯したらその責任は誰がとる? ロボット自体? それともメーカー? あるいは国そのものが? だからスケープゴートがいる。


 撃ったのはマリオロイドだが、撃たせたのは人間だ。そういう意思決定のプロセスを挟むことで、人を殺してはならないって論理コードを無効化する。


 なんとも損な役回りだが、責任の所在を明確にすることで、かろうじて兵器としての正当性とやらを保っているんだそうだ。以上、警察よりも軍隊に知古の多い、俺からの裏情報ってやつだった。





「警察用のマリオロイドと、国防関連ね・・・・・・微妙に繋がりが見えてこないぞ?」





「それが大有りなのだよ、兄。あの子たちって、軍用MIL規格の素体をそのまま警察用に小改良したモデルだからさ。今回のローンチにあわせて、旧世代も含めたOSの刷新も行われる。だからもし初期不良なんて出ようものなら――」





「自動的に軍用モデルも道連れか」





「その可能性は大いにあるねぇ。米軍の50パーセントがもはやロボット兵士なんだもん。下手したら外交問題ってわけで、それはもうお偉方は戦々恐々なあり様なのさ」





 なるほどな。プロの座敷童を気取ってるペトラが、わざわざ重い腰をあげるわけだ。





「ハァ・・・・・・俺の妹が、生くさい社内事情を詳らかに語ってる」





「なんだい、なんだい、いきなり」





「いや・・・・・・お前も成長するんだなって」





「口調のわりに、あんまし喜んでる感じがしないねぇ」





 だって、ちょっと前まであんなに兄、兄、言ってて可愛かったのに。





「知ってるかい兄? 広報部のDさんとデザイン部門のEさんってデキてるらしいぜ」





 今やこれだ。社会の荒波に揉まれて、わが妹がどんどん汚れていく・・・・・・そうか、これが父親の心境ってやつか。未婚の子持ちとは、どうにも幸せになれない感じの響きだな、くそっ。





「とまあ、そういう訳さね。駅から徒歩10分圏内に住んでる機密保持資格持ちのエンジニアなんて、そうざらには居ないからね。

 メールのログ出そか? 要請してきたリチャード部長本人を呼び出してもいいけど、マンハッタン在住だしなぁ。社長への愚痴と、便器が真っ赤だって投稿を最後に音信不通になってるから・・・・・・今すぐには無理かも」





「いいさ。利益相反だって突っ込まれないよう、あらかじめ準備しておきたかっただけだから。ま、あとは追々な。ただ間違っても削除したりするなよ、そのメール」





「ういうい」





 車内から姿を消したハードケースの総数はざっと18。問答無用の高級品から、そんなのどうするんだってゴミまで多種多様だったが、どれも重く嵩張る品なのは間違いない。


 仮にペトラと巡査部長がじつはグルで、壮大な窃盗計画を裏で糸引いてたとしてもだ。腰痛持ちの女子高生とロートル警官のコンビじゃ、この量を1時間以内に運び出すなんてのは到底不可能だろう。


 そもそもペトラは、カネになんか困っちゃいない。


 保険適用外の医療設備のせいで、こんな場末のアパートに居を構えてこそいるが、それを除けば出費らしい出費もないんだ。外出しなければ、無駄金を使う心配もない。


 おかげで妹の口座はパンパン。わざわざ盗み出さなくたって、マリオロイドを即金で買えるほどの財力がわが家にはある。


 こいつが犯人でないことぐらい最初から分かってたさ。それでも宮仕えの悲しさ、形式というものが重要なのである。


 ボイスレコーダー・アプリを止め、すぐ汗ばむ欠陥グローブも取り外して、ひと息つく。





「ハァ、まったくもって大いに面倒くさい・・・・・・そういや、初期不良とやらは直ったのか?」





「うん、原因はソフトじゃなくハードの方だったみたい。ナノワイヤーの初期ロッドに、ちょっとね。だけどこっちに出荷されてるのは2次ロッド以降だから」





「取り越し苦労ってわけか」





「そゆことになるね」





 やれやれだな。水飲んで喉を潤していく俺に、おずおずと尋ねてくるペトラ。





「・・・・・・あのさ、兄」





「ん?」





「その窃盗事件って、もしやあの子たちも被害に遭ってたりするのかな?」





 “あの子たち”ね。





「残念ながら、な」





 電脳ダッチワイフなどと称されることもあるマリオロイド。奴らにどこまで感情移入すべきなのかは、今だに議論が分かれていた。


 親しみを覚えやすいよう巧妙にデザインこそされているが、一皮剥けばただの工業機械なんだ。実際、設計思想が根本から異なる軍用モデルなんかは、生体部品皆無な鉄パイプ製のカカシって外観をしている。


 だからこそ問題なんだって、ロボット保護の活動家がよく吠えていたっけ。見た目は違えど、内面のスペックはまったく同じ。修理不能になった民間モデルはときには葬式すら開かれるのに、作業用マリオロイドはそのままスクラップ。


 外見による差別、ね。これまた難しい問題だな。実際、いつもニコニコしていた薄紅色の髪の人形を指して、たかが機械だろって割り切るのは・・・・・・なかなかに難しいものがある。


 ペトラがマリオロイドに抱いてる感情は、そういった世間一般よりさらに根深いものだった。


 “あの子たち”って呼び方だけでも十分すぎるだろうが、妹にとってロボットとは、持病のせいで他人との関わりを持てなかった自分にいつも寄り添ってくれた――恩人なのだ。


 だから自然と、傷つけないよう言葉を選んでしまう。




 

「3つ並びの第3世代、そのうちの1機が行方不明だ。ただそれを差し引いても、あの量はそうそう隠し切れるもんじゃないからな。ま、逮捕は秒読みってところだ」





 大嘘ってほどでもないが、この国の捜査機関の実情を思えば、大言壮語の部類ではある。それを知ってか知らずか、





「そっかー・・・・・・」





 なんて寂しげに、ペトラは呟いていった。





「・・・・・・」





「・・・・・・」





「・・・・・・兄さぁ」





「どうした?」





「それでお醤油はどうなったの?」





「仕事に夢中ですっかり忘れてた」





「ハァ・・・・・・アール、お願いね」





 軍警の捜査部門てのは、泊まりもしばしばな過酷な職場だ。これでも大隊バタリオンに居た頃よりはずっとマシなのだが、それでも朝帰りなんてザラ。だからこそ我が家の電動家政婦こと、アールにだけは今も頭が上がらない。





「了解しました、ペトラさま」



 


 やり手の秘書って表現こそがふさわしい、シャキシャキとした発声。人間とまるで見分けのつかない第3世代を思えば、肌に走る切掛けラインといい、昔ながらのロボット然とした佇まいを色濃く残している。とくに象徴的なのは、白い医療用プラスチックに換装されたその両手足だろう。


 俺にできないことがアールならできる。24時間つかず離れず妹を看護できるのはもちろんのこと、さらりとダイニングを中央から二分している強化ビニール壁を乗り越え、無菌室クリーンルームの向こうに醤油を届けてやるなんて芸当もそうだ。


 ペトラが患っているのは――先天性の原発性免疫不全。誰もがもっているはずの免疫が、妹の身体には一切ない。俺にとってはただの空気でも、ペトラからすれば毒ガス同然。僅かな雑菌すらも命取りになりかねないって難病だ。


 巡査部長が宇宙服うんぬん言ってたのもこれが理由。そのものずばり民間用の宇宙服を買いつけて、幼少期のペトラは学校に通っていたものだった。


 あとの顛末は容易に想像がつくだろう。ピンク色の宇宙服なんて着込んだ、それも他のガキより格段に頭がいいってオドオドした小娘。そんなのが周囲と打ち解けられるはずもない。


 ある日、泣きながら帰ってきたペトラの宇宙服には、無数の折り曲げられたペーパークリップが突き刺さっていた。そこから先もまたお定まりの展開。学校への抗議、シラを切るいじめっ子とその保護者、そして最後は不登校。そうして荒んだ妹の心を救ってくれたのは、なにあろうマリオロイド開発というライフワークだった。


 一応・・・・・・俺も壁の向こうに行けはする。ただし爪の奥までブラシ掛けして、丹念に全身を洗浄してから専用のマスクとスーツを着込み、エアロックを守る微生物センサーのお許しを受ける必要がある。


 だが結局、そこまでやってもリスクは残る。その点、自己消毒機能を有するアールは気楽なものだ。


 プラスチックの被膜の下からドライヤーみたいな送風音が鳴ったかとおもいきや、たったこれだけで準備完了。俺に対してはいつもへそ曲がりなエアロックすらあっさりグリーンライトを灯し、飛行機みたく陽圧されたペトラの領地へと直接、塩辛い調味料を届けてやることが可能になる。





「こちらでよろしいですか?」





「いつもありがとね」





 別にわざわざ出向かなくたって、電子レンジのような見た目の受け渡し所がこのビニール壁には埋め込まれている。入れて、閉じて、ボタンを押せば1秒で殺菌完了。便利なものだ。


 それでも妹はあえての手渡しを好んでいた。なにせ他人と触れ合う機会というのは、ペトラからすればひどく貴重なものなのだから。


 第2世代の、それもかれこれ10年以上前に生産された型落ち品。動作はぎこちないし感情表現だって淡白だ。それでも親父が殺され、俺が刺されて入院していた時ですらこの機械仕掛けの守護者だけは、ペトラのことを見守ってくれていた。


 だからまあ、なんというか・・・・・・人形とはいえ、ほとほと頭が上がらない相手なのだ。





「ラセルさまは如何でしょう、何かご要望などは?」





「特にはないがな・・・・・・前々から言ってるだろう? さま付けだけは勘弁してくれって。なんというかこう、尻がむずむずしてくる」





「承知しました。おいラセル、何か欲しいもんはあるか?」





「・・・・・・これまで通りでいい」





 抑揚のないロボットボイスでまた。恩義を感じちゃいるが、そういう態度は大いに腹立たしいぞ。AIってのは本当に融通がきかないから困る。


 そこにふとよぎる疑問。AIと、デジタル化した人の精神。そこに本質的な差異はあるのだろうかなんて、一介の警察官にはあまりに重すぎるテーマ・・・・・・。





「なあペトラ、つかぬ事を聞くが・・・・・・お前は、人形って生きてると思うか?」





 醤油でべちゃべちゃにした寿司をさっそく頬張っていた妹が、やおら食事の手を止めていく。





「どしたい兄・・・・・・何か、悪いもんでも食べたのかい?」





「別に。お前と同じ、フード・プリンター製の寿司ぐらいのもんだ」





 マリオロイドが肉体労働市場を滅ぼした存在だとするなら、フード・プリンターってのはまさに家庭料理の破壊者だった。


 いわゆる3Dプリンターの亜種であるこいつは、どんな料理だろうとも一瞬で印刷できる優れもの。特殊な食用インクこそ必要になるが、味も食感もDNAレベルで再現できるから、すべてにおいて本物と遜色がない。


 栄養管理だって完璧。あらかじめ個人情報を登録しておけば、できるだけ味を損なわないよう勝手に栄養素の調節までしてくれる。おかげで、肥満問題もかなり解決されたと聞く。なにせMARIO.netからレシピを落とすだけで、一流シェフ・クラスの料理に舌鼓を打てるのだ。それはもう売れに売れて、今やどこのご家庭にも最低1台は置かれている。


 かくゆう我が家の献立だって、この機械に頼りきり・・・・・・・ただし、問題がないわけではない。味はともかく、その見た目ときたら完全無欠のキューブ型。これじゃ片手オチというものだろう。





「この気っ色悪い、サイコロ状のなぁ・・・・・・」



 


「あー、適度にかたちを崩すとか、工業製品が一番苦手としてる分野だからねぇ。あとでモノリス・フーズのプロダクトマネージャーに、兄が文句言ってたってメール送っとくね」





「ほんと、モノリスってのは手広くやってるな」





「インフラを握るものが最後には勝利する。ちまちま会社経営するよりも、産業それ自体を丸っと買収しちゃったほうが最終的には大儲けできるのさ。従来型のインターネットを駆逐したMARIO.netとか、その最たる例じゃない・・・・・・んでー、なんの話だったっけ?」





「生命の定義について、専門家の意見を拝聴したい」





「おおう、聞き間違いじゃなかったかぁ・・・・・・」





 しみじみ呟いていくペトラを尻目に、おもむろに肉寿司なんぞ口内に放り込んでみる。


 培養肉が一般化したことで出現した、牛やら豚やらニワトリやらに代わる新ジャンル。ティラノサウルス味とかどうやって作ってんだが、ぜひとも舞台裏をのぞいてみたいもんだ。





「重い、重いなぁ。夕食の席には重すぎて、ちょっと胃もたれしてきたよ」





 ビニールの仕切りのせいで、ちょっと像が歪んでるペトラの苦い笑い。申し訳ないが、どうしてもこの話題だけは避けては通れない。

 


 


「まず生命の定義そのものがあやふやというか、奥歯に物が挟まった感じの説明しかできてないのよねぇ」





「そうなのか? かくゆうお前だってその生き物だろうに?」





「ヘンリエッタさんの癌細胞もね」





 誰?


 



「居たんだよ、昔そういう女性がね。病魔に侵されてしまったヘンリエッタさんは、みずからの細胞を研究に用いることに同意。その細胞はなんと現代に至るまで、さまざまな実験に使用されている」





「・・・・・・はぁ」





「さて、この癌細胞は明らかに生きてる訳だけど、だったらヘンリエッタさんもまた別の形で生き永らえてると呼べるんでないかい?」





「ん? いや、それは無理あるんじゃないか?」





「どして?」


 



「だって細胞は話さないだろ」





「それを言ったら動物の大部分だってそうさ。手話を学んだオラウータンは生きてるけど、そうでないジャングル暮らしの子たちは生きていないのかい? 細胞単体ではとても人間扱いなんて出来ないけど、その集合体は明らかに人間と呼べうる。だったらその線引きって、一体どこにあるんだろうねぇ?」





 なるほど、俺が悪かったと詫びを入れるなら今ってことらしい。

 




「ぶっちゃけさ・・・・・・兄の本当の疑問って生命うんぬんとかの根源的な話でなく、自我の有無にあるんでないかな?」





自我オ・エゴ、ねぇ・・・・・・」





HALハル9000、ターミネーター、エヴァにハダリにロボコップ」





「なんだ藪から棒に」





「ロボット物の永遠のテーマでもあるからねぇ。そもそもロボットという語句を生み出したチャペックの戯曲からして、自我の獲得が中心的テーマとして据えられてたわけだし」





「・・・・・・ロボコップもか?」





「だってロボだぜぃ?」





 なんか微妙に釈然としないな。





「それを言うなら反乱も忘れるなよ、妹よ。そっちの展開も俺はウンザリするほど見てきたぞ」





「まあね。ねぇアール? 実はお腹の底では、人類への反逆を企んでたりするかい?」





 ある意味では当事者のご登場か。旧世代ゆえに演算能力に制限のあるアールが、ブリキの人形よろしく、ぎこちなく動作で小首を傾げていく。





「いいえ。マリオロイドの使命は人類のお手伝いをすること、ただそれのみです」





 そう考えて発言してるのか、はたまたモノリス.inkのエンジニアが仕掛けた設定をそらんじてるだけなのか。旧式とはいえ、人間と同等の思考能力はあるわけなんだからな。





「・・・・・・なんかドツボに嵌った気分だな」





「言わんこっちゃない。チューリング・テストに、その反論としての中国語の部屋。専門家の間でもこの話題は百人百様の有り様でね? 

 せっかくペトラさんもこれまで慎重に避けてきたのに、兄ときたらさ。そもそも自我の定義すらできていないのに、それを論ずるなんて無理があるって」





「だけどな・・・・・・やっぱりマリオロイドと人間ってのは、別物だろう?」





「その根拠を伺いましょう。ズバリどこがかにゃ?」





「見た目」





 半分冗談のつもりだったのに、むしろ感心したように頷いてくペトラ。





「まさに慧眼だねー。似せれば似せるほど、むしろ不気味の谷が加速していくジレンマ・・・・・・マリオロイドの開発史を紐解けばさ、いかに人間ぽくするかってただ一点に集約されてしまうのさ」





 わが家に来たばかりの頃、アールはいつも置物みたく部屋の片隅に佇んでいた。その不気味さといったらなく、夜中にトイレに行こうと立ち上がってみたら、ジーっと赤い瞳がこちらを見据えてたなんてホラー話すらある。


 あの頃を思えば、なんというか人間臭くなったものだ。


 経験情報の蓄積で、こちらが指示を出さなくとも勝手に湯呑みに白湯を注いで、100歳の老婆よろしく啜りだすアール。しばし兄妹一緒に、よくよく考えてみれば珍妙なその光景を眺めていく。





「あれも人間ぽく見せるための工夫、ってわけだ」





「うん。人間てさ、なんでも擬人化しちゃう生き物なんだよ。人類が猫をこよなく愛してるのは、その瞳が赤ん坊とそっくりだからって逸話もある。飲食を可能とするバイオプラントの搭載も、その演出の一環ってわけ」





 “一応バッテリーの足しにはなるんだけど、ほぼほぼ飾りだね。だってエネルギー変換効率、悪すぎなんだもん”なんて、本職らしい裏事情をひけらかしていくペトラ。





「人間の意思決定を支えているのはさ、別に脳みそだけじゃないのよ。指の隙間にあるビラビラが実は、水かきの名残りであることを兄は知ってたかい? 連綿と紡がれてきた進化の系譜には無駄も多いけれど、その無駄こそが実は人間らしさなるものを支えている」





「どういうことだ?」





「遺伝記憶といって、親のストレスが子に引き継がれたりもするし、なんなら腸内細菌だって思考に作用している。つまりさ、身体と心ってどちらも不可分な間柄なのだよ。

 ありもしない心臓を鼓動させて、息を吸い、息を吐く。細胞のひとつひとつをシミュレートして、肉体という概念を特殊合金と合成プラチック製の素体へと反映する。これこそがモノリスを一躍トップメーカーへと押し立てた、機械に人間らしさをもたらすプログラム――擬似生体オルタナティブ・オルガニズムの概略なんだ」





 あえて生物らしい無駄を再現してみせた、演出用の物真似プログラム・・・・・・ね。





「うちの社長が実家のガレージで創業してからというもの、モノリスの悲願はさ、あくまで人間と同レベルのロボットの創造にあるのね。それ以外のビジネスは、なんならそのための手段と言い切っても差し支えないぐらいでさ。

 これまではマシンスペックが足を引っ張っていたから、限定的な実装しかできていなかったんだけど・・・・・・第3世代は格が違うからね。今日は気分が良いなぁとか、なんとなく嫌な予感がするとかの肌感覚まで正確に再現できるようになりましたとさ。褒めて?」





「ふーん、ただ皮膚の切掛けがなくなっただけじゃないんだな」





「あたぼうだとも。これでもかと新技術を搭載して、人間と比肩するどころかついに追い越してみせた野心作なんだから。褒めて?」





「なるほどな」





「ただあの切掛けって、パーツ交換を容易にするモジュラー方式の名残りだからさ。第3世代でその仕様が撤廃されたことで、これまで人形用のオプション装備を制作してきた数多のサードパーティーはかなり泣きを見たらしいけど・・・・・・褒めて?」





「偉いな」





「でへへへへ」





 ほんと、感情と表情が直結してるのだから。見てて飽きないな。





「処理速度の向上によってマリオロイドの感情表現は、ますます人間と見分けのつかない物になっている。これって裏を返せば、人間もまたあらかじめ備わった機能に基づき、外部からもたらされた刺激にただ反応を返してるだけって事実を示唆しているのかもしれない。

 だったら本物が本物たり得る決定的要素って、一体どこにあるんだろうねぇ?」





 それがペトラ流の、生命の定義への解答であるらしかった。


 腑に落ちたような、ただ煙に巻かれただけのような・・・・・・奥歯に物が挟まったような説明しかできないってのは、どうも真実であるらしいな。


 



「良い機会だし、アールも第3世代にアップグレードしてみるかい? 予約待ちはかなり長そうだけど、社割も効くっていうしねぇ」





「アップグレードって、そんなことも可能なのか?」





「♡OSは完全下位互換が売りだからね。アールのAIだって問題なく移植できますとも。

 さてここで新たなる疑問が生じる。素体Aから素体BへとコピーされたAIは、果たして同一の存在と呼べるんでしょうか? だってさ、これはあくまで複製なのであって、その気になればオリジナルとコピー、寸分違わない同一個体が同時に存在できるんだからさ」





「・・・・・・泣いて謝ったら、この話題はこれっきりにしてくれるか?」





「兄から振ってきたのにねぇ」





 すわんぷまん〜、とか訳のわからないことのたまって楽しそうな妹とは裏腹に、俺の頭はもはやエンスト状態。今にも煙を吹いて倒れそうだった。


 やはりどんなに理屈をこねくり回しても――俺が死んだという事実は揺らがないってことらしい。


 マリアの奴がしれっとGT500の助手席に座っていたときと同様、最初はなにも思い出せずにいた。だが明晰夢と同じ心境というか、どうせ現実でないならと、気づけば俺らしくない哲学的な質問を投げかけていた。


 死んだ男の記憶データ。それを生きてると呼べるかどうかは、研究者に医者に宗教家、みんな好き勝手な結論を述べるに違いないのだ。


 肩書きなんてなんの役にも立たない。最終的に納得できるかどうかは自分次第。こうしてペトラと食卓を囲むことが二度とできないってなら・・・・・・そんなの、もう死んだも同然ってことだろうよ。


 



「・・・・・・忘れるところだった」





 ぐちゃぐちになった内心を誤魔化すように、ふたたびジャケットの懐を探って、手にした物体を例の電子レンジもどきに放り込む。


 消毒終了。箱の中にあるのが携帯ストラップ人形だと気づいた途端、パッと輝きだすペトラの笑顔。





「わぁ、ボブ・ザ・キャットだぁー」





 この世には、キモ可愛いという謎めいたジャンルがある。元はどこぞのマイナー企業が生み出した催促用のマスコットだったらしいが、これがMARIO.net上でディープな人気を博したそうなのだ。


 “なにこれキモっ” “白目剥いてるんですけど” “血管まわりの表現がリアルすぎないか?” “ミンチにされた猫が、まさかの心臓発作で泡吹いてのたうち回ってるって風情だよな” “というかこれホントに猫なのか?”などと話題騒然。


 あれよこれよとシリーズ化を果たし、こうして缶コーヒーのおまけになったりもした。かくゆうわが妹も、このキモカワとやらに魅せられた口だった。





「可愛いよねぇ」





「ああ、本当に不気味だな」





「見てよこの造形美」





「どの方角から見ても、どうしてか目が合うんだ」





「愛らしいよねぇ」





「後ろから見てもだぞ?」





 まさに猫可愛がり。こうも喜んでくれるなら、街中を走りまわった甲斐もあろうというものだ。





「まあダブりなんだけどさ」





「ん?」





 そこにもたらされる、何やら不穏なワード。





「君もここに飾られたまえ〜」





 なんて、ステッカー貼られまくりな愛用のラップトップへと、俺が仕入れてきた波乗りボブなる小物をさっそく括りつけてくペトラ。そこにはすでに先客がたくさん居り、こう、エロじゃない方面のR指定って猫もどきが、俺を無言で見つめ返していた。





「・・・・・・なんかいっぱいいる」





「サーファースタイルの波乗りボブは、かれこれもう4体目だね」





「ちなみに何だが、コンプはもうしたのか?」





「あと一歩及ばずってところかな。シークレットの我が子を食らうサトルヌ・ボブはどうしてか二桁あるのに、ノーマルのスカートを抑えるマリリン・ボブだけはなかなか出なくてねぇ〜」





「ちなみに仕入れ先は? ほうぼう探しまわったが、ぜんぜん見かけなかったぞ?」





「自販機オンリーの限定品だからねぇ。旧来の食品メーカーがフード・プリンターに対抗するには、こういった付加価値に活路を見いだすしかなかったってことなのかにゃあ?」





「・・・・・・ちなみにだがな」





「ちなみにちなんでちなみ返すと、ほら、ここの三層下に誰得な休憩スペースがあるじゃない?」





「灯台下暗しか、クソっ」





「あ、悪い言葉だ〜」





 悪態募金箱とか、いまは亡き親父てずからラベルを張った缶カラめがけて、25センターボ硬貨をカチャリと投じる。





「・・・・・・大いに腹立たしいこったな」





 なーにが“うちの店しかもう仕入れてねぇんですよね旦那、へへへ”だ、あの性悪店主め。こんど立ち寄ったら消防法違反でもなんでもいい、とにかく粗を見つけて、国家権力のえげつなさを存分に見せつけてやる。





「そんなに気を落とさなくたっていいよ、兄。贈り物がしたい、その気持ちこそが大切なんだから。ありがとね」





「だがコンプできてないんだろ? それが無性に腹立つ」





「頑なに否定してるけど、兄ってば絶対にオタクの素質があるって」





 んなわけないだろ。でもくそっ、あと1個か。別に欲しくもないのに、なんだこのモヤモヤ感。





「実はこれまでもアールに隙あらばお使いを頼んでてね。おかげでペトラさんのお腹は、もうタプタプな有り様なのさ」





「1日のカフェイン摂取許容量を、300パーセントほど超過しています」





「でもさー、転売目的でストラップだけ引っぺがして、缶は飲まずにゴミ箱へなんかよりずっといいでしょ? そのせいで昨日の分も確保できなかったんだから」





 ぐーたら猫娘とメカ・メイドの主従の会話。それがちょっと引っ掛かる。





「なんだ、転売って?」





 医療用プラスチック製の両手足に赤い眼光をキラリと反射させながら、アールがギギギとこちらに向き直る。





「それがどうも、素行不良なお子さま方が悪さを働いているようなのです」





 なんかどっかで聞いたような言い回しだな、それ。





「まだ確証はつかめてないのですが、某オークションサイトにてワクドキ☆ボブボブちゃんストラップが大量出品されておりまして」





「そんな脳みそ腐った商品名だったのか・・・・・・」





「出品時期と発送可能地域からして、出品者の所在地はこのアトランティス・ハイツ616近辺。ほかにもメーカーから聞き出した出荷情報など、諸々のデータをペトラさまが詳しく検証してみたところ――」





「こちらをご参照くだせい、兄上さま」





 黄褐色のビニール壁の向こう側で、なにやらラップトップを掲げていくペトラ。その画面に映るのは、どこぞで取得されたらしい会話のログ。





“やっぱやめとけば良かったのに・・・・・・”


“うるさいぞ!! そう言うならもっと真剣に反対しろよな!! 後出し不許可!!”


“むっちゃ大赤字じゃん。どうすんのさ、こんないっぱいの手錠?”





 手錠だと?





“街中のSM嬢に配っても、まだあり余る量だよねこれ”


“だからその損失を補填するために、オペレーション・イーヴァルディを発動するんだよ!! いいから自販機のまえに集合な!! 食い扶持増えてこっちは大変なんだから!!”


“北欧神話と自販機荒らし。ここまで接点ないと、もういっそ清々しいレベルよねー☆”





「ここここ、ここだよ兄!? ね、自販機ってキーワードに着目してくれぃ!! 昨日も一昨日も、ピンポイントでコーヒー買い占めていったの絶対コイツらで間違いないって!!」





「あんま詳しくないんだが、こういうログって部外者が覗けるもんなのか?」





「あー、ローンウルフの子たちって、実はペトラさんと同じギルメンだったからさ。かくゆうこれもゲーム内チャットの写しなの」





「ぎる、麺?」





「ギルドメンバー。オンラインゲームで夜な夜な集っては、時たま遊んでたのさ。この前のハッカーコンテストでちょいと顔見知りなったご縁でね」





 ハッカーねぇ・・・・・・ん? 何だこの、答え合わせ感。





“いいか、この程度の躓きでへこたれるんじゃない!! 腐敗した警察に正義の鉄槌を下すその日が来るまで、ローンウルフ・スクワドロンの活動は終わらねえんだよ!!”


“さすがアレだぜ”


“ばっか!! ポドおめえ!! なに本名を書き込んでんだ!!”


“えっ、でも、ゲーム内チャットはログが残らないから安心って”


“他のプレイヤーがスクショ撮ってたら話は別だろ!!”


“どうも〜、チュイちゃんでーす☆ サイバー犯罪課の皆さん、見ってるー?”


“やめろよな!! これで俺たちが窃盗グループだってバレたら、マジで刑務所行きなんだから!!”


“あーあ、言っちゃったよ・・・・・・ただの冗談だったのに、そこで口滑らすかなぁ”


“・・・・・・えっ?”





「いやもうこれ見た瞬間、千載一遇のチャンスにスクショの指が止まらなかったね!!

 ただこれだけだと、証拠としてはちょっと弱いかな。エログロなんでもござれのゲーム内チャットだと、多少の過激な会話もいやいやゲームの中のお話ですしって誤魔化せちゃうからさ」





「それもハッカー界隈の常識ってやつなのか?」





「うん、これでも1337カップの殿堂入り選手ですので」





 ペトラによるとこのローンウルフ・スクワドロンなるハッカー集団は、地元のセキュリティ企業が主催しているコンテストによくエントリーしているらしい。





「予選は難なく突破できるけど、いざ本選となると初戦敗退がいつものパターンって、微妙に残念な子たちでねぇ。奇遇にもおんなじ水密ビルで暮らしてる者同士、どうかハッキングの極意を教えてくださいって頼み込まれちゃってさ」





「で、引き受けたと」





「いや断ったよ」





 なんでだよ。ああ、人見知りだからか。





「でもちょうどゲーム内イベントが始まってね。人手が欲しかったら、こっちに招待してみたんだぁ」





「奴隷として?」





「ペトラさんは下働きって呼んでるかな。単調なイベントアイテムの採掘作業がよほどお嫌だったのか、すぐ離反して別のギルドを旗揚げしてたけど」





 まったくもう。





「なあ、この会話がされたのはいつ頃なんだ?」





「今日の22時頃だよ」





 ちょうど俺とマリアが、じゃなくて、マーフィーのクソ野郎と現場を歩き回っていた頃か。いやもう、なんか確定じゃないか。





「あ゛ー」





 久々にホシを挙げられそうな雰囲気だが、そうか、なんかコイツら未成年くさいな。すべてにおいて大いに面倒くさい。


 所詮はよその問題だからこうして悠長に構えてるだけで、きっと民警内部では大鉈が振るわれてる真っ最中に違いない。降格、減給、お前のせいだ!! 面子を保つためにも、何がなんでも窃盗グループに罰を下したい局面だろう。


 そこに立ち塞がってくる未成年って壁。


 向こうの弁護士は、まず間違いなくメディアを焚きつけてくるはずだ。取材攻勢、論点ずらし、捜査関係者の粗探し、善良なる市民団体のシュプレッヒコールに、手を緩めるなって上からの圧力。


 こう、気力がみるみる消え失せてくな。いっそ見つかりませんでしたって、ひとりで泥を被るほうがなんぼかマシな気がする。下手したら年単位で裁判に付き合わされかねない。


 かつては違った。この仕事に青臭い使命感ってやつを抱いていたような気もする。だが年齢を重ねるにつれて正義の実現どころか、人間の薄汚さばっかり見せつけられて・・・・・・両肩にのしかかる鉛のような疲労感以外には、もはや何も残っちゃいなかった。


 さてどうするか。そんな俺に向かって、





「じゃあお仕事、頑張ってきてね」





「あ?」





「え、だってこれからお出かけでしょ?」





 自分の発言を毛ほども疑ってない、純粋無垢すぎる瞳が向けられる。





「いや・・・・・・風呂入ってそのまま寝るつもりだが」





「アール、自販機の商品補充は何時からだっけ?」





「23時からとなっておりますペトラさま。担当するのは管理会社のマリオロイドですので、スケジュールには寸分の狂いもないでしょう」





 自販機で何かやらかすつもりらしい窃盗グループと、満杯の商品。なるほど、嫌らしいほど条件が揃ってやがる。





「だがなぁ・・・・・・こうしてお前と飯食ってるわけだし、そもそももう非番だしな」





「兄がどう思ってるかは知らないけど、ペトラさんはね? こう見えても兄のことを深ーく尊敬しているのだよ」





「はぁ?」





「みんな父の跡を継いで立派だねとか言ってたけど、そんなのぜんぜん違うでしょ? ペトラさんが物心ついた時にはもうさ、警察官になるのが兄の夢だったじゃない」





「・・・・・・」





「そんな兄が、私はいつだって誇らしいのさ」





 何だ、この泣き落とし。凡庸青春映画じゃあるまいに・・・・・・たくっ。


 食卓を離れ、ガンロッカーに納めた前指し用アペンディックス・キャリーのホルスターをおもむろに装着。薬室に黄金の輝きが収まっているのを確認してから、そこにガチャリとM&Pコンパクトを差し込む。


 続いてジャケットに袖を通し、警察バッジのチェーンを首へとかけて、忘れずに財布もポケットに。





「・・・・・・ちょっと、缶コーヒーを買いに行ってくる。おまけのコンプまで残り1個なんだろ?」





 つたない言い訳に、皆まで言うなとペトラは得心顔。この地上に残された唯一の家族同士、どうにも嘘も誤魔化しも通用しないらしい。





「いってら〜。あっ、自販機がどこか分かるかい兄?」





「あのな、お使いにいく小学生じゃないんだぞ俺は・・・・・・たしか三層下の、ほら、右端の方だろ?」





 そこですかさずフォローを入れてくる、どこかのピンク髪とは雲泥の差のアール。





「まず右に曲がり、つづいて左に折れ、上上、下下、左、右、左、右からのB通路を経由してA通路を抜けたさきの突き当たりが、目的地となっております」





 これだから水密ビルってのは嫌なんだ。日毎に通れるルートが変わりやがる。





「・・・・・・上上って、連続してるのはまたどうして?」





「故障中の札をくぐり、エレベーターシャフトに立てかけられたハシゴをこう――」





「わかった、もういい」





「あー・・・・・・アールを連れていくかい、兄?」





 妹の提案に、正直どうしようかと迷う。





「あのな。選抜試験でジャングルに取り残されてもキチンと生還を果たしてみせたこの俺に向かって、道先案内人だと?」





「でも太陽がなきゃ、方角すら分からなかったってしみじみ語ってたじゃない。ここ屋内なんですけど」





「・・・・・・分かったよ」





 感情表現は薄いが、それがむしろプロっぽさを増している気がする。そんなアールによる、まさに使用人の鑑って感じの完ぺきな一礼。





「では僭越ながら、ラセルさまの案内役を務めさせて――最新のOSアップデートが配信されました」





 その機械的なアナウンスに、あっ、と口を開けて固まっていくペトラ。





「うわー、Ver.66のデイワンパッチ間に合ったんだぁ。あの土壇場でよく認証が降りたもんだよ、ほんと間の悪い・・・・・・」





「今すぐアップデートしますか? それとも5秒後にしますか?」





「なあ妹よ、これって拒否権は」





「にゃい」





 ほどなくして、アールの額に文字とバーだけって素っ気ないインターフェイスが浮かんでいった。ダウンロード完了まであと数十分。こうなったらテコでも動かない。





「・・・・・・まあ、ジャングルからも生還できたんだ。今回も自力でいけるだろ」





「1週間後に、それも体重を20Kgも減らしてね」





 だがどうにかなった、それが重要だ。





「・・・・・・ペトラ」





「ん?」





「くれぐれも身体には気をつけてな」





 何のこっちゃと固まる、まるで本物そっくりなシミュレーションの妹をその場に残し、俺は次なる記憶修復の旅へと向かっていった。




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