Chapter II “ あなたは、自分が生きていると感じられますか?”

 この場所をビルの顔にって管理会社の企みについては・・・・・・ま、どうだっていい。流麗な駅のデザインよりも大切なのは、3つ並びの溝型線路のその最奥。荷降ろし場の手前に停められた、輸送用トラムだけなのだから。


 海の中のビルって表現だけでも、建設スペースにいかにゆとりがないかは容易にイメージ可能だろう。だからここアトランティス・ハイツ616駅では、旅客と貨物運搬、ふたつの役割がどうじに兼ねられていた。


 なにやら物々しい規制線に囲まれてもいるし、もしかしなくともあれが現場か。まさか列車強盗とは・・・・・・意外と大事なのか?


 静電気なんてものともしないダイバー仕様のゼンマイ式腕時計にいわく、現在時刻は22時きっかり。終電にはいささか早いが、物資搬入との兼ね合いでこうなっているらしい。でないとビル内レストランに明日の朝食が並ばなくなる。


 犯罪件数が増えすぎると、野次馬すら現れなくなる。規制線のそばに突っ立ってる40半ばの生真面目そうな黒人の巡査をのぞけば、現場は静かなもので人影すら見当たらない。あの制服のデザイン、どう見ても民警のそれだな。


 この国には大まかに分けて、3つの警察組織がある。


 大統領府の犬である連邦警察については、どうだっていい。エリート意識丸出しの鼻持ちならない高給取りってだけで、実際に現場を回しているのはあくまで軍警ポリシア・ミリタル民警ポリシア・シビルの二大看板なのだから。


 民警については、あまり語るべき点はない。迷子の捜索から殺人事件の捜査に至るまで、ようするに一般的なおまわりさん像そのものな組織だ。対してわが軍警のしちめんどくささったらない。


 フランスの国家憲兵隊に、イタリアのカラビニエリ。警察という組織そのものが軍隊からのスピンオフって歴史的経緯を鑑みれば、こういった中途半端な組織が存在するのも、そこまで不自然ってわけじゃないだろう。


 基本業務は、民警がやりたがらない荒ごと全般。装甲車を乗りまわしてギャングどもを追い散らかしたり、暴動を鎮圧してみたり、たまには駐車違反のシールをペタペタ貼りつけすぎて、近隣住民から顰蹙を買ったりもする。


 そんな軍警の捜査部門ペリシア・ミリタルこそが、今の俺の所属先なのだった。


 責任者は誰かとくだんの警官に問いかけてみたところ、コンテナやらなにやらが積載された8両編成の貨車、その中腹に繋げられた窓一つない車両が示された。





「なるほどな・・・・・・」





 ふつうの旅客車との違いは一目瞭然。その見た目も質感も、まさに装甲列車って呼び名こそがふさわしい。そんな角張った車体の側面にはデカデカと、民警の白抜き文字が浮かんでいた。


 公共機関への窃盗事件もまた、うちの管轄なのだった。





「やあ、どうもどうも」



 


 俺たち近づくなり、車両の影からいかにもやる気なさげな中年親父が歩み出てきた。


 昔はそれなりに美形で鳴らしてたのかもしれないが、今となっては白髪まみれの落ちぶれた不良中年スタイル。気だるげな挨拶の仕方といい、勤労意欲に溢れてるタイプにはとても見えない。


 俺の首元の警察バッジもそうだが、あちらの制服にピン留めされた盾型バッジにもまた氏名と、個人識別用のデータマトリクスが併記されていた。


 ふうん、H=ダ・シルバねぇ。





「・・・・・・日本でいうところの、山田さん並みにありふれた名字ですね」





「・・・・・・なんでわざわざ日本で喩えた?」





「・・・・・・日本仕様ですので」





 ピンク髪の人形との、意味不明すぎる小声でのやりとり。わざわざツッコまなきゃいいものを、我ながら律儀なことだな。





「えっーと、そちらはなんて呼べばいいのかな?」





 年相応に近眼を拗らせてるようで、ダ・シルバ巡査部長の方からはうまく名前が読み取れなかったようだ。あんなに目を細めても駄目とは、重症だな。





「ラセル=D=グリス刑事。階級は2等軍曹サルジェントになります」





 あちらは巡査のことをサルジェントと呼び、こちらは軍曹のことをまったく同じように発音する。


 やってることに大差はないのだが、こうやって無闇に差別化するからライバル意識が芽生えるし、ときにはセクショナリズム丸出しでいがみ合ったりもする。そういった負の歴史を鑑みるとなんというか、この巡査部長はえらくフレンドリーだな。





「ふぁ・・・・・・」


 



 というか欠伸してるし。

 

 畑違いとはいえ、一応は上官。とりあえず敬語こそ欠かさないが、どうにもやる気が削がれるな。緊迫感の欠片もない。





「状況説明をお願いできますか?」





「なんだ、何も知らされてないのかね?」





「相棒とは長らく冷戦状態でして。口も利いてくれないどころか、司令室との会話内容すら教えてくれない有り様なんです」





 背後で物体Xが物言いたげに挙手していたが、無視する。





「ま、概ね見てのとおりだとも。うちの輸送用車両にあろうことか賊が入り込んでね」




 

「なにを運んでたんで?」





「まあ、普段はつまらない雑貨全般ってところかな。ほら、あそこ」





 ダ・シルバ巡査部長が顎をしゃくった先には、駅のプラットホームに設けられた交番がこじんまりと佇んでいた。おそらく、この人の勤め先でもあるのだろう。





「いつもは、ああいった派出所向けの補給物資の運搬が主でね。ただうちは貧乏性だからさぁ、ラボ送りの証拠品なんかも一緒くたに詰め込まれてた」





「ラベル付きの空薬莢に、血染めの衣服?」





「時にはご遺体そのものもね」





 証拠を消し去ればそもそも裁判にはならない。勾留中のギャングのボスが手下に命じてって線は、十分にあり得そうだった。





「だからこそのあの重装甲ですか。搭乗員に話を聞いても?」





「あいにくと無人車だよ。経費削減には、まず人件費からしょっぴくのが一番効率がいいからねぇ」





「だとさ」





 急に話を振られた機械人形は、キョトンとした顔をしていた。


 ペーパーレス政策をはじめとして、今の政府はとにかく業務のデジタル化に余念がない。マリオロイドは導入費用こそ高くつくが、食事も休憩も必要としないし、何よりストライキにうつつを抜かしたりもしない。


 おかげで街にあふれかえった失業者どもが唱えるのは、決まって“人形に仕事を奪われた”ってハッシュタグだった。まあ、あながち間違いでもあるまい。


 鼻をひくつかせてみる。


 俺の推理が正しいのなら、血の匂いやコルダイト火薬の香りがあたりを漂ってるはずなのに・・・・・・鼻腔をくすぐるのはタバコの香りのみ。職場が封鎖され、手持ち無沙汰になった作業員たちが遠くで紫煙をくゆらせていた。





「死傷者は?」





「この国の犯罪者はなにかとバイオレントだけどね? 今回は、嬉しいことに人命の損失はゼロ。それどころか、どうやって侵入したのかすら今だに判然としない有り様でね」





 なんだそりゃ? とりあえず現場を見てまわるか。


 鑑識標識板という格好の目印をたどり、コンテナとフォークリフトの狭間、そこに落ちていた半開きのハードケースのまえで足を止める。その中身はといえば、





「・・・・・・手錠の束?」





「ほら、昔ながらの重い金属製から、より安価で軽量なプラスチック製に置き換えますよって通達が、つい先日あったばかりじゃない?」





「軍警は据え置きのままです」





「おやまあ、そいつは残念。ともかく、それで古い備品を回収してまわってるのさ」





「まさか・・・・・・窃盗犯はこれが狙い?」





「一山いくらで中古品が溢れかえってるのに? あのテクニカルな犯行スタイルには、とうてい釣り合わない報酬だろうねぇ」





 テクニカル? これのどこがだ?


 このハードケースは規格品だから見た目はぜんぶ一緒。品名はあえて書かれず、管理はすべてバーコード任せとなっている。そうとも、取り違えなんてしょっちゅうだ。


 俺たち警察関係者のあいだでも、たいへん評判の悪い盗難対策なんだ。やっとお宝の山とご対面かとおもいきや、どれがどれだか分からない。犯行グループの心情は察するにあまりあるな。


 だからって確かめもせずにねぇ。あれか、重いんだから高いはずって理屈か? なんというか、発想がいささかガキっぽすぎるな。





「監視カメラは?」





「あいにくと何も映ってない」





「故障してたなんてのは勘弁してくださいよ」





「いいや、ハッキングされたのさ」





 なるほど・・・・・・そいつはテクニカルだな。


 ギャングどもが血生臭いやり口を好むのは、能力的にそれしか出来ないのは勿論のこと、俺たちは恐ろしいんだぞってブランドを周囲に植えつけるって意味合いもある。


 死傷者ゼロの違和感がずっと尾を引いていた。


 証拠隠滅が目的なら、車両を丸ごと焼き払えばそれで事足りる。わざわざ盗みに入るなんて完全なる蛇足だし、監視カメラの映像にいたっては消すどころか、連中みずからSNSにアップしかねない。


 これで案外、新人勧誘に使えたりするから困りものなのだ。これまでギャングとの闘争に半生を捧げてきた、奴らのやり口は熟知している。





「ほらあっち。あの予備管制室になんでもラズパイ? とかいう謎の機械が接続されててね。お陰でここ3日分の映像がパーさ」





 駅を一望できるガラス張りの小部屋。そうか、あれって予備管制室っていうのか、勉強になるな。





「指紋採取と製造元への照会は・・・・・・聞くだけ無駄ですかね?」





「ハッキングができるんだ、手袋をつけるぐらいの知恵はあるだろうさ」





 なるほど。犯人もそうだが、このおっさんもただの給料泥棒ってわけじゃなさそうだ。迅速な現場封鎖といい、すでに手は回してあるらしい。





「それに、車両それ自体を守っている電子錠もこれまた難物でね」





 連結器の狭間。民警の輸送用車両の重圧すぎるドアを守っていたのは、走査機能スキャナー付きの電子錠だった。





「君も知ってるとは思うけど、あれは警察バッジに刻まれた個人IDを読みとって、開けるべきかどうか全自動で判断してくれるスマートタイプでね」





「うちは今だに南京錠です」





「段々と心配になってきたよ。軍警は大丈夫なのかね?」





「駄目そうです。それより、鍵になるのは本当に警察バッジだけ?」





「まあバッジ云々よりかは、そこに紐付けられた個人情報こそが肝要らしくてね。これもコストカットの一環かね? 入室記録は抑えてるから大丈夫ってのが、お上の判断であるらしい」





 なるほど。理屈の上では、最後に入室した奴が犯人だ。


 ダ・シルバ巡査部長が、支給品らしきタブレットの画面をこちらに傾けてきた。そこに表示されてるリストにいわく最後の入室者は――





「ズバリ聞きますが、犯人はあなた?」





「はっはっはっ。これが笑い話にならない辺り、辛いところだがね・・・・・・」





 汚職警官はどこの国にも居るもんだが、この国の場合だと桁が違う。


 俺がはじめて配属された署では、みんな装備係に賄賂を渡していた。でないとまともな装備品を支給してくれないのだ。


 そうやって身銭を切ったところで受け取れるのは、第1次大戦の頃には新品でしたってマシンガン・・・・・・新装備は入荷したさきから腐った警官どもに持ち出され、そのままギャングの縄張りで露店売りときてる。こんな無法がどうして許されているのかといえば、みんなやってるからの一語に尽きるだろう。


 巡査、警部補、署長から地区本部長に至るまでみんなグル。懐は暖かくなるし、ギャングどもと懇意になれば殺される可能性もぐんと減るから、道を外れる連中があとを絶たない。


 真面目にやるほど馬鹿を見る。内部告発しようにも、伝えた相手が密売グループのメンバーでないという保証はどこにもないのだ。邪魔者がいると誰かがギャングに一報入れれば、BANGバン!! 善良な警官は死に、汚職警官どもがますます覇を唱えていく。


 親父の代からの伝統で、俺はこういった行為には一切関わらないようにしてきた。おかげで当の親父ときたら、同僚に背中から撃たれてあえなく殉職。こっちもこっちで、心身ともにろくでもない目にばかり遭ってきた。



 身内ほど信用できないと苦労させられるな・・・・・・おそらくマリオロイド導入の背景には、こういった汚職対策も絡んでいるのだろう。なにせ機械は賄賂どころか、給料すらも受け取らない。





「“身内同士での庇い合いを避けるため、警察内部の窃盗事件は、外部の捜査機関が担当すべし”」





 巡査部長が引用したとおり、当事者たる民警でなく俺たち軍警にお鉢が回ってきたのは、そういったお達しが州政府から下されていたからに他ならない。逆にやらかしたのがこちら側だったら、民警の特捜部が、ドヤ顔して乗り込んできていたんだろうな。

 




「この規定に意味なんてあるんですかね?」





「もちろんないさ。だが、わざわざそんな風にボヤくってことは、どうも君個人は信頼が置けそうだねぇ」





「不器用なだけですよ」





「お互い不器用なりに、せいぜい給料分は頑張ろうじゃないか。いや、君の場合だと特殊部隊手当てが出てるだろうから、おじさんの安月給よりかは幾分マシかな」





「えっ?」





「その右手のドクロ柄カベイラ。まさか軍警のエリートチームが直々に乗り込んでくるとはね。いつからBOPEボッピに捜査権が?」





 近眼のくせして、なんとも目ざといおっさんだな・・・・・・。


 装甲車でギャングを追いまわすのは軍警の日常業務ではあるが、それを実際の現場で担っているのは、俺のかつての古巣である特殊警察作戦大隊こと――BOPEボッピの役割だった。


 分類としてはSWATスワットの一種なんだろうが、その実態はといえば、戦争屋って称号がいやにしっくりくるゴリゴリの武闘派集団。


 家宅捜査のお供に人質救出。そういった警察らしいこともたまにはやるが、本業はあくまでヘリで機銃掃射をかましつつ敵のアジトにロープ降下をおこない、手榴弾を投げつけてきた相手には、丁寧にロケットランチャーでご返礼申し上げるって、破壊行為全般だ。


 誰も彼もが腐ってるこの街で清廉潔白を貫くには、正義の味方である以前に狂人である事を受け入れるほかない。


 100人が志願しても、選抜試験をパスできるのはせいぜい年2、3人。そうやってとことんまでふるいにかけることで、腐ったリンゴを徹底的に跳ね除ける。アンチ・ギャング・スクワッドにしてアンチ・汚職・ユニット。


 ギャングだけでなく、汚職警官どもの眉間についうっかり風穴を開けてしまった回数は、もはや片手では数えきれないほど。これぞ大隊バタリオンの本質にして存在意義。その名を聞いただけで敵も味方も震え上がる・・・・・・俺の古巣は、つまりはそういう部隊なのだった。





「・・・・・・昔は、そうでしたよ」





 ヒリついたスリルに、最高の仲間たちと任務をこなすって自負心。だがどんなに名残惜しくとも、ちょっと歯車が狂うだけですべてを失ってしまう。そうとも・・・・・・人生とはままならないものなのだ。


 俺の渋面とそれとなく右手を隠していったその仕草に、この老巧の人はいろいろと察してくれたらしい。





「あー、失敬、失敬。心配しなくとも、人様の事情に首を突っ込んだりはしないさ。誰だって人生バラ色とはいかないからね」





 大人の対応だな、ありがたくはある。





「かくゆうこの私も脛に傷のある身でね。むかし上司の使い込みを内務調査室にタレ込んだんだが、あの野郎・・・・・・逆密告しやがってからに」





「逆密告?」





「ふむ。これは仮定の話なんだがね? もし押収品のなかに期限切れが迫った宝くじ、それも2等賞があったら・・・・・・君ならどうする?」





「何買ったんです?」





「プレジャーボート。買って2日で海の藻屑に」





 ついさっきトラウマを抉られたばかりだってのに、どうしてか口角が上がっていく。まったく面白い人だな。





「あれがなきゃ、それなりにエリートコースを歩めてたはずなんだがね・・・・・・お陰で私はしがない交番勤務。女房は荷物抱えて、間男と一緒にサンパウロ住まい。その一方でわが親愛なるクソ上司ときたら、なんと民警全体の輸送業務を統括する責任者さまにご就任ときた」





 自分だけ詰め腹を切らされて上司は残留、挙げ句の果てに大出世か。そりゃ言葉遣いも刺々しくなるわな。





「なるほど。あなたは、これまで俺が殺してきた汚職警官の中では、いちばん好感度が高い人物ですよ」





「おやまあ、そいつは光栄だね・・・・・・“殺してきた”?」





「で、けっきょく犯人はあなた?」





「それがなんと鉄壁のアリバイがあるのさ」




 面白いおっちゃんであることは認めるが、まだ眉にツバはつけておこう。アリバイはアリバイでも、アリバイ工作って可能性はまだ十分にありうるんだからな。





「なんでも今回に限ってこの輸送車両、特別な荷を運んでいたそうでね。犯人の狙いもおそらくそれだろう」





「つまらない物しか扱ってなかったんじゃ?」





って、ちゃんと前置きしたつもりだけどねぇ?」





 ほんと、食えないな。





「ほら、巷で噂のやつ。宇宙広告にもデカデカと出てたろう? “3がすべてを変えるスリー・イズ・ゲームチェンジャー”ってあれさ」





「初耳です」





「・・・・・・どんだけ世情に疎いんだよ、君って男は」





「MARIO.netとかやらないタチでして」





「だから宇宙広告で上空にデカデカと・・・・・・ま、いいか。ともかく30年ぶりの世代交代、各所で大盛りあがりなマリオロイドの第3世代機が、なんと我が民警に先行配備される段取りになっていたそうでね」





 第3世代? そう遠くない昔に、みずからをそう評したピンク髪のほうを振り返る。すると、燃えるような赤い瞳と目があった。


 30年ぶりの新型・・・・・・コイツが、ねぇ。





「超ハイスペックすぎてお値段もマシマシ。生産量もかなり絞ってるらしいし、よく契約を取りつけられたもんだよ」





「それとアリバイの話がどう繋がるんで?」





「悲しいかなハイテク製品の宿命ってやつかね。本国のほうで初期不良が見つかったとかで、調査のためにモノリスの専門家が急きょこの駅に乗り込んできたのさ」





 モノリスの専門家? まさかという言葉が脳裏をよぎる。





「いやー、専門家と聞いて身構えてたのに、いざやって来たのはファンシーな宇宙服って感じの、それはもう珍妙ななりをした若い娘さんでね? 会話はお供の人形に任せっきりで、当人は車内であれこれやっていたよ。ちょっと具体的に何をやってたかは、おじさんよく分かんなかったけどさ」





「・・・・・・あとで妹に本当かどうか聞いておきます」





「ああ、そうかね・・・・・・なんで妹?」





「それで入室記録が残ったんですね」





「そういうこと。解錠役と念のための監視役として、ずっと件の専門家と車内でせっちん詰めさ。かれこれ1時間ほど居たのかな? そうこうしてるうちにラッシュアワーの時刻になり、荷役作業どころじゃなくなってね。朝イチ出発の予定がずるずると遅れて、夜行便とあいなったわけ」





 たしかにタブレットに表示された時刻は、その証言を裏づけている。





「犯行推定時刻は2000フタマルマルマルから2100フタイチマルマルのあいだ。ごった返してた帰宅客が消え、作業員たちがドヤドヤと乗り込んでくるまでの僅かな期間さ」





「その作業員による犯行という線は?」





「まず第一に、彼らは州政府に認証された警察バッジを所持していない。そして第二に、ああもがっしりした車体設計だからね? 力ずくで押し入るには最低でも爆薬がいるよ。けれども・・・・・・」





「車体に目立った損傷はなし、ですか」





 つまりは、正攻法で電子錠をこじ開けたとしか考えられない。おそらくはそう、カメラを潰したの同じハッキング・テクニックを駆使して。


 ちなみに巡査部長はモノリスの専門家が帰ってからは、ずっと部下の巡査とともに交番に詰めていたんだそうだ。落とした財布の持ち主だと名乗りでてきた、26名との格闘にてんてこ舞い。こいつは裏を返せば、無実を証明する人間が26人もいるって勘定になる。


 そうしてスケジュールの遅れを取り戻すぞと、作業員たちが勇んで荷降ろし場に足を運んでみれば、どうしてか民警印の謎めいたハードケースが床に放置されていて・・・・・・現在に至ると。





「かくして名探偵のご登場とあいなったわけだ」





「俺が名探偵ですか・・・・・・」





「“身内同士での庇い合いを避けるため”ってね。ここから先は、軍警さんに委細お任せするよ。捜査妨害でムショ送りなんてのは勘弁だからね」





「了解」





「他にも聞きたいことがあるなら、どうぞ最寄りの交番まで。あっちでマテ茶啜ってのほほんとしてるからさ。個人的には早めに片付けてくれると嬉しいねぇ。実はとっくに残業状態だから、おじさんもう帰って寝たいよ」





「・・・・・・了解」





 “あと、そっちの寡黙なワトソン君にもよろしく伝えといてくれ”。それだけ言い残し、巡査部長は去っていった。


 さて。





「おいワトソン」





「マリアさんです」





「偉そうなこと言ってた割には、ぜんぜん役に立ってないじゃないかお前」





「あんまり介入しすぎると、メモリアのタイムラインに乱れが生じてしまいますので。起きたことは起きたこと。サポートはしますが、基本的に当機は傍観者役なんです」





 なるほど、意味不明だな。これだからAIてのは。





「そろそろ車内の現場検証をしてみては如何でしょう?」





「分かってる。というか・・・・・・俺のバッジでも開くのかあれ?」





「軍警も民警も、大きな枠組みでいえば州政府の下部組織ですから。その点は大丈夫な筈です」





 そうかい。特殊部隊で鍛えられた脚力を駆使して、猫の額ほどのトラムの足場に飛び移る。それから言われたとおりに、電子錠めがけて首元のバッジをかざしてみるが。





「あー」





「画像認証は通ったので、次は暗証コードをお願いします」





 しれっとついてきたマリアの解説って、狭っ。肩同士がぶつかるほどの超至近距離、人形にパーソナルスペースって概念はないらしい。


 ピンク頭を押し除けつつ、この忌々しい電子機器へとふたたび向き直る。





「知ってる、お前を試したんだ・・・・・・それでー」






「そこですよ」





 車体にちょくせつ投影されたワイヤーフレームのキーパッド。仮想バーチャルキーボードとは、無駄に小洒落てる。まあ、静電気の心配はいらなさそうではあるが。


 このバッジを手渡されたとき、IT担当が口を酸っぱくして言っていたな。“お願いですから、誕生日とか家族の名前等は絶対に避けてください”って。


 “PETRA”。


 おもむろにそう入力すると、どこかでロックの外れる音がした。





「いやいや・・・・・・ほんとシスコンが過ぎるんっすからラセルさんは。妹さんの名前がパスワードって、それって流石にどうなんす?」





 いかにも後輩気質って感じの、鼻にかかった声。コイツはなんというか、初対面のときからズケズケしすぎだった。





「うるさいぞ。こっちはいいから、お前はポドフスキーの方を手伝――」





 寸刻、金髪褐色の少女のまぼろしを見たような気がした。





「? どうされましたか?」





 だが瞬きしたあとに立っていたのは、薄紅色の髪をしたマリオロイドのみ。奇妙な懐かしさはとうに消え失せ、困惑ばかりが胸に広がる。





「・・・・・・いや、なんでもない」





 疲れてる、のか? にしては、えらくリアルな白昼夢だったような気もするが。


 長いまつ毛に母親譲りのプラチナブロンド。世慣れしてないどこか幼い顔つき。そんな小娘が、寄せ集めの装備品を身につけたホームレスの特殊部隊員って風体で、ついさっきまで確かにそこに佇んでいたのだ。


 その首元では銀色のロザリオが、鈍く輝きながら揺れていて・・・・・・どれもが強烈なイメージなのに、記憶はすでに霞がかっている。





「たぶん・・・・・・デジャブかなんかだろ」





 聞きかじりの知識でもってお茶を濁す。そう言った自分自身、まるで納得がいっていないのに。すでに、そもそも何に思い煩っていたのかすらも、あやふやになっていた。





「ラセル刑事、今はどうか捜査に集中してください」





 まったく、人形に発破をかけられるなんて、俺も落ちぶれたもんだな。


 そうだ、まずは目先の問題からどうにかしろ。すでにトラムの鉄扉は開け放たれ、その向こうに広がる薄暗い車内の景色が、俺たちを手招いていたのだから。





††††††





 まず目に入ったのは、車内を埋めつくすケース、ケース、ケース。


 こりゃ、犯行グループのお間抜けぶりを笑ってもいられないな。ここからお目当ての品を見つけ出すなんて、至難の業すぎる。横幅はもちろんのこと、高さだって今にも天井を擦りかねない違法建築ぶりときてる。





「ちょっとしたお化け屋敷だな・・・・・・」





 つづいて俺たちを出迎えたのは、洋服みたく吊り下げられた遺体袋の群れ。


 そりゃ省スペースで運べるんだろうが・・・・・・真空パックのせいで微妙にシルエットが浮かび上がってるそれからは、死者への敬意なんて微塵も感じられやしない。


 たくっ、照明のスイッチはどこだ? 窓の概念を忘れた車内は、まさに一寸先は闇ってありさま。洞窟のほうがよほど明るいぞ。





「まだ閉めるなよ」





 今は、あの入り口からの明かりだけが頼りなんだ。いつも持ち歩いてるリング付きタクティカルライトを、どうにかこうにか手探りで取り出していく。





「その心配は要らなさそうです。扉のロック部分にテープが貼られてました」





 以上、マリアからの簡潔な報告。誤って閉じ込められないように泥棒なんかがやる、古い古いテクニックだ。





「最初から鍵はかかってなかった?」





「そうみたいですね」





「じゃあ・・・・・・さっきの暗証うんぬんは」





「的確な語彙を検索中、“空回り”の項目がヒット」





 うるさいな。たく、大いに腹立たしい奴め・・・・・・。





「なんとなくだが、犯人はガキな気がする」





 調子の悪いフラッシュライトをパシパシやりつつ、ささやかな推理をひけらかす。





「それは、素行不良なお子さま方という意味でしょうか?」





 また珍妙な言い回しを。まあ、かくゆう俺も口が汚くならないよう自分を戒めてるせいで、ときどき口調が変になってしまうのだが。





「うまいこと監視カメラを封殺して、どうやったか知らんが電子錠すらも楽々と突破してみせた」





「それとテープも」





「ああ。なのに奪った荷物が一文の値打ちにもならないと知った途端、焦ってその場に放置。いささかお粗末すぎるだろ」





「そこまでおかしな行動では、ないと思いますけど」





「俺なら元に戻すがな。そうすれば、事件の発覚をいくらか遅らせられる」





 経由する駅が増えるほど、どこで犯行を行ったのか特定が難しくなるんだ。捜査範囲が広がるほど捕まるリスクも減る。二度手間だが、その価値はある。





「下調べは完璧。だがアドリブはてんでなってないから、場慣れはしていない」





「それでお子さまどもと?」





「警察なんてわざわざ標的に選ぶあたり、きっと拗らせ気味な大学生かなんかだろ」





「捜査にバイアスは禁物ですよ?」





「なら、お前の所見を聞かせてみせろ。さっきから揚げ足ばかりとりやがって」





「犯人は10代から80代にかけての男ないし女。高度な訓練を受けたプロか、あるいはズブのど素人と推定されます」





「・・・・・・」





「データ数ゼロにしては、頑張ったほうだと思いますけど?」





 やっぱコイツ役に立ちそうもないな。それは、このライトもおんなじか。久方ぶりの出番のせいか、カチカチ鳴らしても一向に点きやしない。なんだ、接触不良か? 高かったのに。





「不思議なんですが、どうしてラセル刑事は先ほどから“ども”と、複数形で話しているんでしょう?」





「手錠ってのはあんがい重いんだよ。あの量じゃ、運ぶのは最低でも2人がかりだ」





 やっと点いた。


 眩い光芒でもって、右に左にあたりを照らしてみる。すると、何やらクリップボードをペラペラめくってるピンク髪を発見。


 人形のアイ・オプティクスは、デフォルトで暗視機能NVに対応している。猫の目みたくほのかに発光してるあの両目があれば、こちらの苦労なんて知ったことじゃないって訳らしい。





「あらまあ。別件でも逮捕者が出ちゃいそうですね」





「過剰積載でか?」





「それと規則違反のかどで。どうやら荷積み係の誰かが、勝手に積荷目録を作成していたみたいです。本来はMARIO.net上で一括管理されるべきなのに・・・・・・すべて手書きで、どこに何が置かれてるのかが、こと細かに記されています」





 なるほど。無駄に手続きを煩雑化させても、現場の負担が増えるだけって好例だな。なーにがオール電子化だ、素直にケースに名前を書いておけばこんな事には・・・・・・マリアが続ける。


 



「ふむん。民警に先行配備される予定だった第3世代機テルセーラ・ジェラシオンは、ちょうど車体の中央付近に安置されてるみたいです」





「見せてみろ」





 受けとった途端、違和感を覚える。


 “102GIが2機、101GIが1機。その他、付属のオプション装備が多数”。マリアの主張どおり目録を見てみれば、どこに何があるのか手に取るようにわかった。それはいい。


 このクリップボートにしたって、なんの変哲もない単なる安物だ。問題は、触れたさきからパラパラとこぼれ落ちていくこのホコリにある。


 古代エジプトの地下墓地じゃあるまいに・・・・・・手形がくっきり残るほどのホコリの層がボード全体を覆っていた。いやそれどころか、よくよく目を凝らしてしみれば、車内全体がえらく薄汚れている。





「・・・・・・この車両に積荷が積まれてから、どのくらい時間が経過したのか分かるか?」





「新ガレオン国際空港で第3世代機を受領したのち、水密ビルの各交番およびラボを経由して、最終的には民警本部へと向かう予定だったみたいです」





 MARIO.netで検索でもしたのか、さすがに素早いな。





「だから、その具体的な時間経過は?」





「長く見積もっても24時間以下でしょう」





 たった1日? それだけで、息をするのも苦しくなるほどにホコリが積もるか?


 誰かが掃除をサボったのだとしても、車体だけならともかく、積み込んだばかりの貨物までっていうのは妙だ。こいつは明らかに年単位で放置された証だろう。





「・・・・・・どうなってやがる」





 ちょっとした超常現象。手品の種がどこかに隠れているはずだが、俺の低レベルな脳みそでは、推測すらも立てられない。こいつはシンプルな窃盗事件じゃなかったのか?





補正キャリブレーションをかけてみます?」





「は?」





 脈絡がないのはいつものことだが、それでもいつにも増して意味不明。その意図がまるで読みきれず、しばし薄闇の中、マリオロイドと見つめ合ってしまう。





「記憶の混濁が加速しているようです。そのせいでシミュレーション内の時系列に齟齬が生じているのでしょう。例えば、そうですね。初めて出会うのに、どうしてか懐かしさを覚える人物と遭遇したりといった経験は、ありませんでしたか?」





 十代後半って、金髪褐色の娘がふと脳裏に浮かぶ。あれは確か・・・・・・ん? そもそも、そんな奴居たか?





「ふむん、よろしくない兆候ですね。推奨はされませんが、やはりこうなったら当機のデータ・ライブラリから当時の状況にあわせて補正を――」





 なんの話だと口にしかけて、





「・・・・・・ちょっといいか」





 そう、止めに入る。


 些細な違和感の連続、散りばめられたヒントがいきなり像を結びだす。一体なにから尋ねるべきか? とりあえず、こいつだけは確信をもって聞けるだろう。





「俺の、相棒の名前を知ってるか・・・・・・?」





「もちろん」





 そう、相棒パルセイロ気取りの人形が首肯する。





「マーフィー=ハドソン刑事、39歳。ラセル刑事と同じく階級は2等軍曹で、軍警の捜査部門に勤務しておられます」





 そうとも、すべて大正解だ。


 イギリスとの二重国籍者で、俺とは大隊バタリオンからの腐れ縁。とんでもないろくでなし野郎だが、それでも相棒は相棒。あのマーフィーが、すんなり人形ごときに自分の地位を明け渡すはずがない。





「お前と初めて出会ったのはいつだ? 日時は? 場所は? 分署でか、それとも別のどこかでか?」





 ふと気がつくと、コイツがGT500の助手席に座っていた。どういった経緯でそうなったのかまるで記憶にないのに、それをさも当然のように受け止めている自分がいた。今となっては、それが不思議でならない。





「心拍数の増加を確認・・・・・・わたしは味方ですよ?」





「つまりは、わざわざそう宣言しなきゃならない裏があるってわけか」





 壁に背をあずけ、そろそろとズボンの正面に挟まるホルスターへと手を伸ばす。こちらの戦闘態勢はとっくに承知だろうに、なのにマリアはいつものごとく、とっぽい顔して立ち尽くしていた。





「マリオロイドの使命はただひとつ、人類のお手伝いをすること、ただそれだけです」





「なら質問に答えろ。俺の身になにが起きてる?」





「あなたは亡くなられたんです、ラセル刑事」





 まず思考が凍りつき。





「・・・・・・ハッ」





 続いて、しゃっくりのような笑い声が喉奥から漏れる――今、なんて言いやがったコイツ?





「ここは天国にしてはタチが悪すぎるし、地獄にしちゃ生温い」





 9mm口径のM&Pミリタリー・アンド・ポリス2.0コンパクト。軍警の俺にはおあつらえすぎるネーミングをしたハンドガン引き抜き、その象徴的な薄紅色の髪をかすめるようにすぐさま一撃を叩き込む。





「正解はどっちだッ!?」





 手首を殴りつけてくる射撃の反動。弾痕が刻まれ、背後でひび割れていくハードケースを見向きもせずに、マリオロイドが言い放つ。





「メモリア・プロトコルです」





 またそれか。





「元は、犯罪被害者の記憶痕跡を収集するためのテクノロジーでした」





「記憶痕跡?」





「もし被害者が最期に目にした光景を再現できたとしたら? それがメモリアの基本コンセプトだったんです」





 警察関係者の端くれとして言わせてもらうなら、なるほどそいつは夢の技術だな。下手をしたら、未解決事件って言いまわしが一気に死語になりかねない。





「体感型VRなど、ブレインスキャンの技術はすでに一般化されて久しいんです。そして死後30分以内であれば、遺体からでも問題なく脳波を検出することができる。

 この両者の機能をかけ合わせればどうなるか? ある時、そう考え研究者がいたんです・・・・・・ところで、つかぬことを伺いますがラセル刑事。昨晩のご夕食は?」





「・・・・・・どんな策略かは知らんがな、もうちょっとマシな寝言を吐け」





 銃を向けられてるのになんだ?・・・・・・ええと、あれは確か。





「もうけっこうです。やおら海鮮物にどハマりしたグリス博士たっての要望で、まさかの3日連続の寿司パーティー。でも正直なところ、すこし飽きがきてたんですね?」





「お、俺の心を、読んだのか?」





「いえ、夕食というキーワードを投げかけることで、想起のプロセスを刺激したんです。

 圧縮ファイルだって、解凍しなければ中身は閲覧できないでしょう? 記銘し、保持し、想起する。そういった人体の記憶のプロセスを模倣するのが、もっともシンプルにして確実な解決方法だったんです。当機の役割は、そのナビゲート役でした」





「そいつは、マーフィーのフリをしてたのと何か関係が?」





 あの華奢な身体にはまるで似つかわしくない、サイズをふたつは間違えてるじゃないかって男物のトレンチコート。よくよく考えてみれば、あれはマーフィーの野郎の愛用品じゃないか。





「人は、記憶を作り出してしまう生き物ですから」





 こちらに理解を促すためか、一拍おいてからマリアが続ける。





「現実には体験していないイベントを、あたかも実際の出来事かのように思い違いをしてしまう。それを避けるためには、それとなく正しい道筋ロータへと導いてあげる必要がある」





「それでナビゲート役、か」





「ご理解が早くて助かります。常にラセル刑事と行動をともにしているが、交流の少ない人物」





 ならマーフィーの野郎は打ってつけだな。過去のいざこざのせいで、長らく冷戦状態。最近はマトモに会話すらしていなかった。





「えっと、ご友人との思い出を上書きするような真似をしてしまい、誠に申し訳ありません。ですが、記憶の損失を最小限に防ぐには他に手がなくて」





「・・・・・・つまり俺は、記憶喪失状態なのか?」





「ある意味ではそうですね。現在の記憶の修復率は、ざっと65%未満といったところでしょうか? 正確には一からアイデンティティを再構築してる真っ最中、という表現のほうがより的確でしょうけど」





 死者のためのプログラム。それにどうしてか、放り込まれてしまった俺という存在・・・・・・馬鹿野郎。ちょっと専門用語を並べ立てられたくらいで、鵜呑みにするな。





「証明しろ」





「証明、ですか?」





「つまりここは、仮想現実シミュレーテッド・リアリティの中ってことなんだろう?」





「ご明察のとおりです。ラセル刑事、いまのあなたは当機の擬似生体オルタナティブ・オルガニズムによってシミュレートされた存在なんです。目に見えるもの、耳に聞こえるもの、内臓の動きから、記憶神経回路のすみずみに至るまで――すべてが機械的に演算された結果にすぎない」





 馬鹿抜かせ。





「じゃあなにか? 俺はただのデジタル・データだとでもいうのか!! そんなの納得できるかッ!!」





 俺の感情任せの暴論に、困り顔のマリア。





「仮に・・・・・・仮にお前の主張がすべて真実だったとしてもだ!! どうやって俺の帯電体質の妨害もなしに、その、記憶痕跡とやらを採取することができたんだッ!?」





 重箱の隅をつつくような指摘。現実から逃避するためじゃないかって、苦い自覚はちゃんとある。それでも俺とハイテクとの相性の悪さは周知の事実。妹が勧めてきたVR機器を、いつものパチッで破壊した経験だってすでにある。





「ゲーム機のような簡易的なものじゃなく、侵襲式のナノマシンを使いましたから。それに――」





 この人形にしては珍しく、まるで言葉を選ぶような不自然な間。





「――それに、すでに心停止状態でしたので。生命活動が停止していれば、放電の心配もありません」





 どんな疑問を突きつけようが、淀みのない答えがいつだって返ってきやがる。


 口が渇く。特殊部隊員として幾多の死線を乗りこえ、死ぬ覚悟だって無論あった。だが、まさかこんな・・・・・・死でも死にきれないなんて現実を、一体どう受け止めればいい?





「いや・・・・・・俺は、家に帰らないと。家には妹が、ペトラの奴が待ってる」





 たった1人の肉親、残された最後の家族。俺が死んだら、あいつはどうなる?


 油断なくマリアに銃口を突きつつ、さっき入ってきたばかりの車両のドアを、後ろ歩きで通り抜けようとする。だが。





「この世界はすべて、あなたの記憶を基に再構築されたものなんです。ですから、知らないことまで再現することはできません。よく思い出してみてください。あなたはあの日、あの時、捜査を途中で放棄して自宅に帰ったりしましたか?」





 甘やかな声音が、


 こういうだまし絵があったな。駅の姿はかき消え、代わりに扉の向こうにあったのは、ここと瓜二つのもうひとつの車両内。そこでは鏡よろしく、唖然として固まる別の俺が立っていた。


 空間がループしてやがる。現実には決してありえないことでも、“行きすぎた科学は、魔法と見分けがつかない”って世界ならば・・・・・・嘘だろ。





「疑う気持ちは分かります。ですが、仮に当機が嘘をついているのだとしても、ベースとなる記憶をしっかり修復しないと、その真偽を見分けることすらもできません」





 しばしの逡巡。人間のフリをすることに特化したロボットが、悩ましげに眉を曲げていく。





「そうですね・・・・・・リスクはありますが、これならそれも最小限に収められるはず。死後の記録。当機から見た未来の情報ならば、過去の記憶が歪む心配もないでしょう――管理者モードを起動」





 世界の物理法則が狂っていく。所こそ輸送車両のままだが、俺たちの立ち位置だけが強制転移させられる。





「ここは車両のちょうど中心部。時系列は、ラセル刑事の心停止から5分12秒コンマ3秒の時点となります」





 古代墓地のようだと喩えた、おのれの慧眼に呆れ果てる。中庭のようにやや開けた、マリアの言を信じるなら車体のちょうど真ん中。ハードケースの山脈に囲まれるようにして、どうしてかそこに3つの棺が置かれていた。


 死体袋は別にあった。となるとこいつは正確には棺ではなく、マリオロイドの輸送用ケースであるに違いない。


 いかにもテック企業が好みそうな純白で、出っ張りとは無縁な究極の長方形の箱。その表面には有機ELスクリーンでも張られているのか、輝くデジタル表記が浮かんでは消えていく。





「♡OS・・・・・・Ver.66?」





 我が妹がいつだか言っていたな。マリオロイドの本体は胸のコア、もっといえば電子頭脳の中にあり、そいつを動かしているオペレーティング・システムの名称がハートOSというのだと。





「心と心臓のダブルミーニング。それが由来なんだそうです」





 しれっと俺の傍らに立つマリアが、そう補足していった。


 モノリス.inkは電気代なんて気にも留めていないらしい。ステータス表示と仕様書の重ね技、えらく気取った英文で、機体の状態が棺型ケースのスクリーンに表示されていく。





「EMPTY? 空ってことか?」





 これが例の輸送途中だったとかいう3つ並びの第3世代なんだろうが、どうしてか全てのケースが空であるらしい。


 おおかた窃盗グループに盗まれたんだろうが、どうしてわざわざ起動させたのかが謎だった。人形の視覚情報に証拠能力があることぐらい、犯人だって重々承知だろうに。重く嵩張るとしても、ケースごと盗み出したほうがよほど効率的だ。どうしてそんなリスクを踏んだ?


 いや、違うな。ここもまたえらくホコリが積もっている。


 考えてみれば、今見てるこの光景が、俺の記憶と地続きである保証なんてどこにもないんだ。場所は同じでも、10年後の未来を見せられてる可能性だって無論ある。





「これは、何年後の景色なんだ?」





 ああも饒舌な人形が、いまだけは沈黙を保っていた。


 ああ、そうだったな。人間は記憶を作る生き物か。下手なことを口にすれば、ありもしない記憶を真実だと思いこんじまう可能性がある。


 だがこの状況はやはり・・・・・・年単位で放置されたとしか考えられない。





「ッ!!」





 いきなりの急展開に、息が止まりかける。背後から現れた薄紅色の三つ編みが、あろうことか――





「り、立体映像・・・・・・か?」





 マリアではあるが、マリアじゃない。少なくとも俺が知ってるのとは別の個体のはずだった。でなきゃ、横に立ってる奴の説明がつかない。





「これは当機の主観視点を、映像に落とし込んだものです。だから周囲の空間はハッキリしてるのに、自身の姿だけはガビガビになっている」





 そりゃそうか、自分の姿なんて鏡でもなきゃ見られないからな。


 こう、3DCGを無理やりドット絵に変換したかのような塩梅。姿形がえらくボヤけてる映像のマリア、と呼ぶべきなのか? ともかくそいつが頭を振るたびに、視野角180度内の景色だけが、スポットライトでも当てられたかのように鮮明になる。


 しかし、あの服装はなんだ?


 もはや見慣れた感もあるトレンチコート姿じゃなく、映像のマリアはスマホの包装紙をそのまま洋服に仕立て直したような、ああまでボヤけてても見分けがつくほどの、ひどくダサい格好をしていた。出荷直後のマリオロイドは、みんなあんな格好をしている。


 車内に設置でもされていたのか、床に広げられた応急パックからして、どうやら救命活動の真っ最中であるらしい。





血だサンギィ・・・・・・」





 俺のすぐ足元、床一面に配された搬送用ローラーに、どうしてか血まみれの足跡が刻まれていた。


 つま先の角度からしてこの何者かは“やらかした”あと、出口方面に逃亡していったらしい。そんな生乾きの血痕の出元を探ってみれば――そこには、1体の首切り死体が鎮座していた。


 年齢は20代後半から30代のはじめ。よく鍛えられてはいるが、ごくごくありふれた中肉中背の体格。服装もまたTシャツにデニムだけってひどく無個性な装いで、その頸部はピアノ線で一刀両断にでもされたかのように、えらく鋭利な切断面を外気に晒していた。


 人相なんて分かるはずもない。切り落とされた頭部はどこにも見当たらず、ただ中途半端に残された肉体だけが、棺桶モドキに背中を預けるようにして事切れている。


 アイザック国際法には、善きサマリア人条項というものがある。もしペットの散歩を仰せつかったマリオロイドが要救助者を発見したら、所有者ユーザーの命令よりも、まず人命救助を優先しなければならないって法律だ。だがあの状態じゃ、無駄な努力というものだろう。


 映像のマリアは、黙々と首の断面に止血ジェル吹きつけ、自動心臓マッサージ器を胸部へと貼りつけていった。熟練の救命士もかくやって動き。だが不思議なのは、輸血用の人工血液のラインが2本あることだった。


 一方はむろん首切り死体の手首に。そしてもう一方は、その足の隙間におさまる生首へと続いている。





「・・・・・・ッ」





 見まごうはずもない。毎朝、鏡の中で対面してる顔がそこにあった。


 親父ゆずりのやや浅黒い肌色と、半開きになったまぶたから溢れる、お袋ゆずりの黄金色オーユス・ジ・ロボの虹彩。あれは俺だ、俺の生首だ。あの右手の甲に刻まれたドクロ柄のエンブレムこそが何よりの証拠だ。


 それはひどくインモラルで、と同時に幻想的な光景だった。生首をうやうやしく映像の中のマリアが掲げ――やおら唇を重ねていったのだ。


 どうして、なぜ? どう転んだらこんな未来に着地するっていうんだ? すべてが道理に合わない。


 まず現場に行ったときと服装が異なる。俺の耐水ジャケットはどこに消えた? 警察バッジだってないし、ホコリの謎も相変わらずそのままだ。そもそもどうしてこんな場所で、首を刈り取られなくちゃいけなかったんだ?


 ぐるぐると乱れきった思考と、いやに冷めわたる現状認識のギャップ。


 こんなもの見せつけられなくたって、先ほどのだまし絵だけでも十分すぎた。そこに空間転移がつづき、トドメはこれだ。現実なら絶対にありえない現象の数々・・・・・・だがこれがシミュレーション、ゲームの中のようなものだと思えば、すとんと納得がいく。


 かつて人間が空を飛ぶなんて、あり得ない出来事の筆頭だった。それが科学技術の発展によって今や月旅行だって夢じゃない。最初は革新的だともてはやされ、次第に日常へと溶け込み、最後にはあって当然とみなされる・・・・・・これは、これは現実なのか?





「俺は――死んだ」





 そう口に出してみても、現実感なんて微塵も湧きはしない。


 伸ばした指先で、己の首元に触れてみる。まだ頭と胴体は繋がったままだ。それに心臓に手を当てれば、ちゃんと鼓動バチメント・カルジィアッコだって感じられる・・・・・・このすべてが偽物だっていうのか?





「だが・・・・・・だったら、こうしてものを考えてる、この俺は何者なんだ!?」





「その問いに答えられるのは、きっとラセル刑事だけでしょう」





 俺を構成してるコードでも読み取ったのか? もはや理解がまるで追いつかないが、マリアはずばりとこちらの疑念を言い当ててきた。





「今のあなたはどちらかといえば、わたしたちAIに近しい存在です。それでもみずからの死に動揺し、アイデンティティに疑問を抱いてもいる。それは科学ではまだ定義できていない、ひどく人間的な感情です」





 だから聞かせてくださいと、このデジタルワールドの主が言う。





「ラセル刑事――あなたは、自分が生きていると感じられますか?」





 そう問いに俺は、どのような答えも返すことができずにいた。すべての音が遠ざかっていく。そこにふっと吹き込まれる、懐かしい声音。





「・・・・・・今の、聞こえたか?」





「? いえ、当機のログにはなにも」





 いや絶対に聞こえた。あれは幻聴なんかじゃない・・・・・・出本はおそらく、あの棺桶モドキからだろう。


 ついさっきまで101GIと記されていたスクリーンはどこかに消え失せ、変わってその表面を覆うのは、古ぼけたアパートのドアだった。


 ありえない。シュールレアリスムそのものな光景。だがあのへこみ、B113って部屋番号にしたって、どれもが見覚えがある。すべてが思い出のままに我が家へとつづくドアが、さも開けてくださいとばかりにそこに横たわっていた。





――兄やい。





 まただ。また声が聞こえる。


 その気怠い、間延びした呼び声に誘われるがまま、さながら催眠術でもかけられたかのように俺は、ドアノブへと自宅の鍵を差し込んでいった。


 ガチャリ。


 途端、意識のすべてがドアの向こうに吸い出されていった。自我がかき消え、自分なるものが忘却の彼方に消えていくのを最後の瞬間、俺ははっきり知覚していた。




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