第10話
あれから3ヶ月、仕事も板についてきた頃、おれの元に1人の訪問者が現れた。小柄だが凛とした雰囲気を持つ、聞き心地のよい声を持った彼女は、自らをフリーの記者だと告げた。名刺には社名などなく、いかにも自作感のあるイラストが添えられていた。名前を砂川香澄というらしい。香澄は自己紹介もほどほどに、いきなり切り込んできた。
「4ヶ月前の高田隆さん殺害事件について取材させていただきたいのですが」
柔らかな声質とは裏腹に、彼女の目はこちらの一挙手一投足を逃すまいとこちらを見ている。その真っ直ぐな視線に、忘れかけていた、いや、忘れようとさえしていた小さな心のざわつきが蘇ってくる。
「…場所を変えましょう」
絞り出した力のない声に、存在しないはずの後ろめたさを覚えつつ、おれは彼女を応接室へと案内した。
「突然の訪問、並びに辛い記憶への取材、大変申し訳ありません」
彼女の言葉は、その声も相まっておれの心にまっすぐ届く。まるでざわついた心の扉を優しくノックするように。
「改めて、先日の事件について、山田さんのご意見を伺いたく取材を依頼しました」
今更おれの意見を?不思議に思いながらも、ざわついた心の扉は少しずつ開かれようとしていた。
「あの事件は警察にも届け出て、当社から2人の逮捕者が出ました。失礼ですが今更どういった内容の取材を?」
先程の絞り出した声とは違い、まっすぐ彼女へと言葉を届ける。素直な気持ちを届け終えた時、ふと彼女に見覚えを感じる。ざわつきが加速する心を抑え、改めて名刺に目をやる。
「隠すつもりはありません。お察しの通り、私は逮捕された砂川洋平と血縁のあるものです。」
重い心の扉が少し開く音がした。
おれは事件のその後を詳しく知らない。いや、正確には知ろうとしなかったように思う。社内では皆がその話題に触れず、当初詰めかけた報道陣への対応も徹底指導されていた。真面目な日本人である社員のほとんどは、おれと同じようにその事件から目を逸らし、逃げるように過ごしてきたのかもしれない。
彼女が話す事件のその後は、まるで映画の世界だった。
逮捕された2人は、事件の2ヶ月後に刑務所内で死亡した。死因は公表されていないが、彼女の取材によると彼らは終始黙秘を貫いたそうだ。警察の捜査から彼らの罪は疑いようがなく、自供がないまま実刑が確定していた。
ここで1つ、おれの中に違和感が生まれる。彼女には悪いが砂川については、黙秘もストレスによる死も十分に考えられる。しかし石川はなぜ黙秘したのか。おれの中で石川という男には、黙秘の姿は想像できなかった。
心の扉は少しずつ、しかし確実に開いていく。
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