第3話

中学、高校と陸上に明け暮れた俺は、県大会でも表彰台に度々上がる程度の実力を手にしていた。大学受験を機に四国の田舎から上京し、大好きな陸上を高いレベルでと考えていた。しかし大学2年の秋、俺は大好きな陸上を離れる決意をした。伸びていた鼻を根本から折られる程のレベルの差に、自分の居場所を奪われた感覚になった。心に空いた穴を塞ぐものは見つからず、気付けば3年になった。何となく参加したインターンで今の会社と出会い、陸上競技を共にした相棒のことを思い出した。上京する前日に、無口な親父が手紙と共にくれた真っ赤なランニングシューズ。手紙にはこう書いてあった。

『山田隼人として、胸を張れる人間であれ』

親父がつけたという俺の名前とともに、短くて重いメッセージが込められていた。安いドラマのような涙はもちろん出なかったが、胸の奥が熱くなったのを今でも覚えている。

裏方として、胸を張ってこのシューズのように選手を支える人間になりたい。

そう思った俺は、導かれるようにこの会社、All In Shoesを受けることにした。何気なく履歴書に書いた“明日からでも働きたい”という言葉がきっかけで、大学を3年で中退しすぐ就職することとなった。冷静に考えれば不自然な話だが、当時の俺は燻っていた心に火がついたことで、心の穴だけでなくその違和感にまで蓋をしてしまった。


それから2ヶ月経ったある日、朝礼で北岡チーフの子会社への異動が発表された。数日前からチーフは落ち着かない様子で、デスクで独り言を言ったり頻繁に席を立ったりと気になる点はいくつかあった。しかし、異動になるなんてきっと誰も思っていなかった。理由は一身上の都合とだけ伝えられた。新しいチーフには、サブの2人ではなく例の青木さんがついた。違和感はあったが、青木さんもまた気さくな人で、北岡さんの抜けた空気が元に戻るのに時間は掛からなかった。唯一変わったとすれば、出勤したら各自のSAシューズを専用の靴箱におき、退勤時に再度それに履き替えて帰るようになったことくらいだ。

もちろん仕事内容はこれまでと変わらなかった。午前は赤べこ、昼食を挟んで午後は他社の開発発表や噂がないかネット検索と、他部署との郵便係。これらの結果をサブに報告して定時で退勤する。

「俺がやりたかったことってなんや?」

そう自問自答しながら、質素な部屋に帰る日々が続いた。1人の部屋でも、何者かがこっちを見ている。親父の言葉が浮かんでは消えた。

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