第56話 すれ違い

「ジークよ、お前を呼んだのは他にも理由がある。むしろ、こちらが本題と言ってもいいだろう。――この世界を司る天使が、セレスだった」

「……なるほど。確かにあれが相手となっては、イワンさんでは難しいでしょう」

「そういう事だ。だからお前には、セレスの監視も任せる。何か変な動きがあれば、我にすぐ報告せよ」

「畏まりました。では、私はこれで」


 深々と一礼したジークの姿に合わせるように、イワンは慌てて悪魔の世界へ繋がる魔法陣を展開する。

 一緒に帰還しなければならないヤブンは、申し訳なさそうな表情でアルスと別れの言葉を交わす。


「じゃあな、アルス。まぁその、なんだ……もし何か困った事とかあれば、その……助けに来てやる。つっても、もう俺なんかよりお前の方がよっぽど強いんだろうがな」

「そんな事ないよ。ありがとう」

「おう、じゃあな」


 最後はアルスと手を振り合い、イワンと共に悪魔界へと帰っていくヤブン。

 居合わせているセベレク校長やマリア先生は、そんな一連のやり取りをただ黙って見守る事しかできない様子だった。


「では、もう用はいいか? 授業が始まる」

「あ、ああ! そ、そうだな! ご苦労であった! 色々と聞きたい事しかないが、今は止めておくとしよう。マリア先生、彼らを連れて行ってくれ」

「は、はいっ! 分かりましたぁ!」


 アスタロトさんの一言で、この場での騒動もひと段落。

 こうして今日も授業を受けるため、教室へと戻る事となった。


 しかし、教室へと戻る道中に会話はなかった。

 さっきの出来事が気まずくて、アルスはアスタロトさんへ何て声をかけたらいいのか分からないのだ。

 そしてそれは、アルスだけならまだ良かった。

 何故だかアスタロトさんも、そんなアルスに対してどこか余所余所しく感じられるのだ。


 こんな事、アスタロトさんがこの世界に現れてから初めてだった。

 アルスが今感じている感情、それは多分嫉妬――。

 いつも傍にいてくれたアスタロトさんの身近に、自分よりも容姿、能力共に優れた異性の存在がいる事を知った事で、己の不釣り合いさを自覚してしまったのだ。


 ――もっと頑張らないとな。


 そうは思うも、自分なんかが頑張って届くのだろうか……。

 そんな不安に締め付けられる、アルスであった……。



 ◇



「あっ! あの、アルスくん!」


 教室の扉を開けると、アルスのもとへ駆け寄ってくるクラスの女子。

 それは先日の悪魔騒動で助けたミーナだった。

 ずっと入院していたけれど、どうやらもう回復したようで今日からまた学校へ通えるみたいだ。


「あ、あの! あの時は、気を失っていた私をアルスくんが助けてくれたって聞いて、その、あ、ありがとうございましたぁ!!」

「いや、僕だけじゃ無理だったし、アスタロトさん達もいてくれたから」


 アルスの言葉に頷くミーナは、慌ててアスタロトさんにも駆け寄り感謝とともにその頭を下げた。


「ん? ああ、気にするな」


 しかし、アスタロトさんは素っ気ない返事をすると、もう話は済んだとばかりに席へと向かって行ってしまう。


「……良かったな」


 そしてアルスとすれ違い様、アスタロトさんはアルスにだけ聞こえる声でそう囁いてくるのであった。


 良かったなって、どういう意味だ……?

 ミーナが助かった事に対する言葉だろうか。

 でもそれならば、向ける相手はアルスではなくミーナであるべきだ。


 だったら、どういう意味で発した言葉なのだろうか……。

 表情はいつも通りに見えるけれど、やっぱりどこか不機嫌な感じがするアスタロトさんは、そのままアルスを置いていつもの席へと向かって行ってしまう。


「あ、あの……私、何か怒らせるような事を言っちゃったのかな……」

「いや、ミーナは何も悪くないから気にしないで。多分これは、僕のせいだから」


 アスタロトさんの異変に、ミーナも気が付いているようだ。

 不安そうにするミーナを宥めつつ、アルスもいつもの席へと向かう。


 しかし、その後の授業もアスタロトさんとの距離はどこか開いたままで、微妙な空気のまま今日も一日授業が全て終了するのであった。


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