第42話 アルス対ヤブン

 イワンの話していた通り、アルス達がやってきた。

 アスタロトにアルス、そして何故か一緒にスヴェン王子とクレアまでいる。


 対して、こちら側にはイワンとシュナイダー、そして謎の白い女。

 ヤブンからしたら、まさに引くも地獄、進むも地獄の状況であった。


 ヤブンには、イワンから与えられた悪魔の力がある。

 この力を利用すれば、恐らくアルスやスヴェン王子達相手ならば勝てるだろう。


 だがその場合、あの大悪魔が黙っているはずがなかった。

 再び前にした大悪魔は、悪魔の力を手に入れたからだろうか、より鮮明に可視化されるように恐ろしく感じられた。

 何故、イワン達はアレを前にして勝てる気でいられるのかよく分からない程、ヤブンからしてみれば、あんな存在を敵に回して無事でいられるはずがないと思えた。


「――よ、よぉ。アルス、久しぶりだな」


 こんなところにただ突っ立っているだけは、いつ誰に何をされるか分からない。

 だからヤブンは、意を決してアルスに話しかける。


「お久しぶりです。ヤブンくん。――それで、貴方達の目的は一体何なんですか?」


 アルスから返ってきた言葉は、以前のアルスからは想像できない程逞しく、しっかりとしたものだった。

 そしてそれは、態度や言葉だけではなかった。

 アルスから感じられる魔力は、以前とは比べ物にならない程大きく感じられるのであった。

 それこそ、手に入れた悪魔の力を駆使しても、敵うかどうか分からない程に――。


「目的? さぁな、俺もなんでこんな事になっているのか全然分からないんだよ。――俺はただ、後ろの男にお前の相手をしろと命じられてるだけだからな」


 そう言ってヤブンは後ろを振り返るも、何故かそこにはもうシュナイダーの姿は無かった。


「そこの男?」


 そしてアルスは、さっきまでシュナイダーがそこにいた事には気付いていない様子だった。

 という事は、あろうことかシュナイダーは、アルス達がやってきたタイミングでこの場から自分だけ逃げ出したという事だろう――。


 ――あの野郎……俺やイワンをこいつらにぶつけてお役御免ってか。ふざけやがって。


 まんまと利用されたなとは思ったが、もはやそんなのはどうでもよかった。


 ヤブンは思い出したのだ。

 最初から、目的はたった一つであった事。


 今目の前にいる、アルスへの復讐を果たすという事に――。


 目的を取り戻したヤブンは、一気に悪魔の力を解放する。

 この力は、どうやら己の負の感情の大きさに応じて力が増大するようだ。

 だから、負の感情の塊みたいなヤブンにとっては、まさに鬼に金棒の能力であった。


 全身を黒く染め上げ、溢れ出る魔力量は通常の十倍近くは膨れ上がっている事を実感する。


「アルス、俺はお前がずっと気に食わなかったんだよ」

「……知っています」

「何をしてもいつもヘラヘラしてよ。怒りもしない。向上心もない。それなのに女子からは人気があるし、俺じゃなくお前にばかり人が集まってた。――だからさぁ、俺はそんなお前が許せなかったんだよ」


 ヤブンは、ずっと思っていたアルスへの負の感情をぶちまける。

 アルスは、ヤブンの言葉を黙って聞いていた。


「ああ、分かってるよ。こんなもん俺のただのイチャモンで逆恨みだってな。俺が勝手に嫌がらせを続けて、そしてそのおかげで退学までした哀れな奴だって事もな――。だから付き合ってくれよ、こんな哀れな野郎の、最後の悪足掻きによ!」


 そして、ヤブンは覚悟を決める。

 全身を悪魔の力により強化させると、そのまま勢いよくアルスのもとへと飛びかかる。


 ヤブンの黒い右腕が、鋭い刃物のような形状に変形しアルスの胴体を容赦なく切り裂く。

 しかし、ヤブンの一撃はアルスの張ったシールド魔法で簡単に防がれてしまう。

 悪魔の力で強化されているのに、あろう事か初級魔法であるシールド魔法なんかで簡単に防がれてしまったのだ。


 だが、よく見るとそれはただのシールドではなかった。

 ヤブンの使うシールドと比べて、張られた防壁の密度が段違いなのだ。

 何がどうしてそうなっているのかは不明だが、濃密に凝縮されたそのシールド魔法は、まさに障壁と呼べる程に頑丈だった。


「――僕も、ヤブンくんがずっと苦手でした。一々絡んでくるし、僕や周りの人達への嫌がらせは終わらないし、本当に意地の悪い人だなって……。でも、今日こうして、初めてヤブンくんと腹を割って向かい合えたと思います! ですから、僕も全力でヤブンくんを撃ち破ります!」


 シールド魔法越しに、しっかりとした目付きでヤブンを見返すアルス。


 ――そうか、こいつはもう、本当に以前のアルスではないんだな。


 かつて馬鹿にしていたアルスは、もうそこには居なかった――。

 そこに居るのは、もはや自分なんかよりもよっぽど高位で、そして立派な魔術師アルスであった――。


 ――ふん、面白れぇじゃねぇか!!


「上等だぁ!!」


 ヤブンは魔法を展開する。

 悪魔の力で増大した魔力に任せ、まるで導かれるように記憶の中にある魔法を自然と生み出した。


「魔導の九――グラビティボール!」


 唱えたのは、以前アスタロトに使われたグラビティボール。

 トラウマだったこの魔法を、まさかヤブン自身が扱えるだなんて思いもしなかった――。


 そして、使ってみて分かった。

 確かにあの時、アスタロトは大分加減してくれていたという事が――。

 この魔法を純粋に行使していたら、人間を骨ごと押し潰す事など容易い程、本来はとても強力な魔法なのだと――。


 だがヤブンは、もう決してアルスを侮ってなどいない。

 だから一切加減のない、全開のグラビティボールをアルスに向けて放った。


 アルスも、この魔法の事は覚えていたようだ。

 まさかのアスタロトと同じ魔法を扱った事には、流石に驚いた顔をしていた。

 だが直ぐ様気を取り直すと、アルスも魔法陣を展開した。


「やりますね! でしたら僕も!! 魔導の九――グラビティボール!」


 そしてあろう事か、アルスも同じ魔法をぶつけてきたのである。

 悪魔の力を手に入れたヤブンの全力と、全く同じ魔法をただの人間であるアルスが使ってきたのだ。


 ――ありえないだろ!? 魔導の九なんて、サミュエル団長でも扱えない領域だぞ!?


 互いのグラビティボールが激しくぶつかり合う。

 衝突により生み出される波動で、辺り一帯に激しい激流が生まれる。


 そしてそのまま、互いのグラビティボールは相殺し合い、この場から消え去るのであった。


「……なんだよお前、デタラメかよ……」

「……それはこちらも同じですよ。今の僕の限界レベルの魔法を、ヤブンくんも扱えるなんて思いもしませんでした」


 こいつは何を言ってやがるんだ――。

 ヤブンは悪魔の力というチートを手にいれたというのに、アルスは生身で同じ魔法を使ってみせたのだ。

 それが同じなわけがないだろと、ヤブンはこんな状況でも笑えてきてしまう。


 そう、こんな状況ではあるもののヤブンは今、久々に楽しいという感情を抱いてしまっているのだ――。

 互いに持てる力を全力でぶつけ合う事ができる、この戦いに――。


 ――はは、笑うのなんて、何時ぶりだろうな。


 前を向くと、アルスも同じく笑っていた。


 ――そうか、やっぱりお前も同じなんだな。


 この戦いによって、初めて二人はちゃんと向き合えたように思えた。


 それが、本当に清々しかった。

 心の底から、楽しいと思えたのだ。


 だが、それももう終わりである――。

 何故なら、今の戦いによりヤブンは心の底から満足してしまったのだ。

 そうなると、ヤブンの中のアルスに対する負の感情がどんどんと薄れていってしまう……。


 負の感情が薄まれば、悪魔の力も衰えていく。

 つまりは、もう先程の魔法どころか、ただの悪魔程度の実力しか残されていないという事になる。

 これでは、今のアルスになんて当然敵うはずがなかった。


「……残念、もうおしまいのようだ。俺の負けだな」


 こうして負けを悟ったヤブンは、その場で両手を上げた。


 ――これからってところで悪いなアルス。あとは、さっさと俺の事なんか消し去ってくれれば良い。


 だが、死の覚悟を決めたその時だった。

 突然イワン達の方から、激しい衝撃が生まれた――。


 デーモンロードのイワンが、アスタロト目掛けてとてつもない魔法を放っていたのである。


 ――おいおい、あんなデタラメな魔法、いくらアスタロトでもただじゃ済まないだろ……。


 そう思い、アルスとの戦闘中であったにも関わらず、ヤブンはイワン達の方に釘付けになってしまう。

 だがそれは、どうやらアルスやスヴェン王子達も同じであった。

 ここにいる全員が、驚いてその戦況を見守る――。


 そして、イワンの魔法が消え去ると、その軌道上にあった物全てが激しく抉り取られてしまっていた。


 ――なんて威力だ……。


 まさに、けた違いの大魔法であった。

 だが、その中であの大悪魔アスタロトだけは、その軌道上にあったにも関わらず無傷で変わらずに立っているのであった――。


 恐らく最大級の魔法を防がれたイワンは、ありえないものを見るように驚愕の表情を浮かべていた。


 ――なるほどな。やっぱりあの大悪魔相手には、デーモンロードをもってしても敵わなかったってわけだ。


 だから、自分だけじゃない。

 あのデーモンロードも含めて、こんな戦いなど最初からただの茶番であった事を悟ったヤブンであった。


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