第34話 特訓

 学校から帰宅したアルスは、アスタロトさんと夕食を済ませた後、今日も二人での魔法の特訓を始める事となった。


「そうだな、今日は我に一度でも触れる事が出来れば、アルスの勝ちだ。もし触れる事が出来ぬのであれば、我の勝ち。いいか?」

「分かりました」


 触れるだけで良いのなら、今の自分ならなんとかなるのでは? と思ったアルスは、全身の魔力を研ぎ澄ませる。

 マークとの戦いで使った魔導の七――パーフェクトアイ。

 これにより、アスタロトさんの動きの予測を可能にする。

 だが、それだけではアスタロトさんに触れるのは不可能な事ぐらい承知しているアルスは、その見通しについて行くための身体強化魔法を同時に自身の身体へ付与する。


 これにより、アルスの全身は通常の何倍もの身体能力に向上している。

 今のアルスの目には、アスタロトさんの呼吸一つ一つすらゆっくりと見える程、全身の感覚が研ぎ澄まされている。


 ――よし、これならば、いくらアスタロトさん相手でも一度ぐらいは触れる事が出来るはずだ。


「準備できました」

「あぁ、いつでもこい」


 その返事を聞き、アルスは早速全力でアスタロトさんに近づく。

 今のアルスのスピードは、全力のマークよりも更に速いだろう。


 そしてその勢いのまま、アルスは右手でアスタロトさんの左腕を掴んだ……はずだった。


「どうした、アルスよ。こっちだ」


 しかし、いつの間にかアルスの真横に移動していたアスタロトさんは、アルスの左の耳元でそっと吹きかけるようにそう囁いてくるのであった。


 そんな、突然の耳元での囁きに、アルスは思わず全身をブルリと震わせる。


「い、いきなり耳元に吐息を吹き掛けないで下さいよっ!」

「やめて欲しくば、我に触れる事だな」


 そう言いながら、アルスは声のする左側を振り向きつつ、また勢いよく手を伸ばす。

 だが、そこにはまたしても既にアスタロトさんはおらず、今度は背後から肩をポンポンと叩かれる。


 ――ちょっとまって、いくらなんでも出鱈目すぎやしませんか?


 正直、今のアルスの身体能力は、人間の限界なんてとっくに越えている領域にある。

 更には、パーフェクトアイで相手の行動の予測まで可能としている。


 それなのに、こうも簡単に、しかもアルスをおちょくりながら躱されてしまうだなんて、そんなもの最早どうしようもなかった。


 でも、ここで諦めたらおしまいだ。

 アルスはもう一度、アスタロトさんと向き合い直す。

 そして、再度神経を集中しパーフェクトアイでアスタロトさんの動きを凝視する。


 今度こそ、アスタロトさんを捉えたいという感情が、アルスのパーフェクトアイを更にワンランク上の精度に押し上げてくれているのが体感として分かった。


 これも、魔法をイメージで扱う事の利点なのだろう。

 もっとこうしたい、ここがダメだったという思いや経験が、魔法の粗を洗い出し、常に改善し続ける事により魔法の錬度向上に繋がっていくのだ。


「ふむ、では今度は我から動こうか」


 すると、アルスの魔法の変化を察知したアスタロトさんは、今度は自分から動きだす。

 全身の比重を右側に寄せたのがギリギリ見て取れたため、アルスはアスタロトさんがこれから右へ移動するのを予測し、それに合わせてアルスも右へと動き出す。


 ――よし、ビンゴだ!


 まさに神速という言葉がしっくりくるような、物凄いスピードで移動するアスタロトさんをギリギリで捉えたアルスは、全力でアスタロトさんへ向けて腕を伸ばした。


 ――よし! このタイミングなら、今度は確実にアスタロトさんの動きを捉えたはずだ!


 これなら確実に触れられる、そう思ったのだが……。


「残念、こっちだ」


 しかし、気が付くとアスタロトさんの姿は消えており、またしてもアスタロトの右手は空を切ってしまう。

 そして、そのまま大きくバランスを崩してしまったアルスの身体を、後ろからアスタロトさんが優しく抱き抱えてくれるのであった。


「あれ、どうして――」

「アルスが追っていたのは、我の幻覚だ。目に見えているものだけが、全てだと思わぬ事だな」

「そ、そんなぁ……」

「己の目に頼るだけでは足りぬ。我のように、幻覚や分身を扱う者と対峙した場合、まずは相手の魔力を感じ取る事だ。幻覚とは所詮ただの偽物、今のアルスならば、この世界の者の扱う幻覚など容易く見切る事が出来るはずだ。――まぁ、我の生み出す幻覚相手では不可能だろうがな」

「じゃあやっぱり、無理じゃないですか……」

「そういじけるな、それでもあの速度について来られたのだ。この短期間でそこまで成長したのは、本当に大したものだぞ」


 アスタロトさんはその手をアルスの頭の上に置き、励ますように優しく撫でだす。

 それが何だか嬉しいけれど、恥ずかしくなったアルスはもう慌てるしかなかった。


「ア、アスタロトさん!? も、もう大丈夫ですから! ありがとうございますっ!!」

「ふふ、我が勝ったのだ。もう少しアルスを楽しませよ」


 しかし、アスタロトさんは勝負に勝ったのは自分だと言って引き下がってはくれない。

 更に後ろからアルスのことを抱きしめながら、頭を撫で続ける――。


 それが恥ずかしくなりつつも、たしかに勝者はアスタロトさんだしなぁと、アルスは諦めて撫でられ続けるしかないのであった。


 でも正直、アスタロトさんの柔らかい肌と、甘く良い香りに包まれるというのは、アルスにとってもとても幸せな事だった。


 だから今日ぐらい、そんな自分に素直に従う事にしようかな――。


 こうして、今日も色んな意味でアスタロトさんに敗北したアルスは、そのままアスタロトさんが満足するまでしばらく撫でられ続けたのであった。

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