第19話 組み立て

 昼休みを終えると、午後は魔法の組み立ての授業だった。

 この授業が本日最後の授業となるので、皆食後の眠気を堪えながら先生が来るのを待った。


 この魔法の組み立ての授業は、クリストフ魔法研究所から研究員の肩が来て授業をしてくれることとなっている。


 クリストフ魔法研究所とは、世界でも屈指の魔法の研究機関。

 そこに所属する魔法の専門家が直接授業をしてくれるという事で、クリストフ魔法学校ではより高いレベルの魔法に関する知識が得られるのであった。


 正直、アルスにとってはこの魔法の組み立ての授業で学んだ知識が、自分にとって一番の財産になっていると思う。

 この授業を通して、アルスは薬剤師として必要な知識を数多く学ぶことが出来ているからだ。


 暫くすると、教室の扉を勢いよく開けて先生が入ってくる。

 この魔法の組み立ての授業を教えてくれるのは、ルドルフ・ガートン先生だ。


 ルドルフ先生と言えば、先生であると同時に、クリストフ魔法研究所の所長も務めている凄い人だ。

 魔法学校で学ぶ集大成として、アルス達最高学年は、特別に研究所の所長であるルドルフ先生が隔週で授業をしてくれる事となっている。


 ただ、ルドルフ先生は国で一番魔法の知識に長けていることで知られているのと同時に、性格に難がある人としてもよく知られているお方だったりする。


「ではさっそく、授業を始めますよ。……えーっと、前回は使い魔召喚の魔法陣の成り立ちについて説明しましたかね。魔法陣というのは、それそのものが既に完成された究極のものであるからして、人々はそれを記憶し、蓄えた知識により魔法を使いこなせる幅が広がるという基礎中の基礎は、これまでの授業で諸君も当然知っているな」


 挨拶も早々に、早速ルドルフ先生の授業は始まった。

 先生の言うとおり、魔法陣というのはその一つ一つが完成形であるというのが常識。

 従って、その組み合わせを少しでも間違えれば、起動しなかったり暴発したりするリスクが非常に高まることから、基本的に魔法は決まった組み立てを暗記し、より正確に展開する事で初めて扱うことができるものとされている。


 魔法研究所とは、これら魔法に用いるパーツの持つ要素を研究し、それらの組み合わせによって新たな魔法の作成を試みるという、アルス達では想像する事すら出来ないような物凄い事を実践している国家機関なのである。


「何度も言うが、魔法の幅というのは己の知識量と比例するものである。よって今日は、諸君の魔法知識の向上を試みようではないか。まだ学生の諸君らの知識量など正直知れているのだが、まぁ精々これからもよく学び、極めて行くがよい」


 少し蔑んだような笑みを浮かべながら、そう言うとルドルフ先生は黒板に一つの魔法陣を書いた。


「じゃあまずは、この魔法陣が何か分かるかね。そこの君、答えたまえ」

「えっと、ファイヤーボールです」

「この程度は流石に知っているか、正解だ。じゃあこれは分かるか?」


 そう言うと、ルドルフ先生は先程の魔法陣と比べて、より複雑な魔法陣を黒板に書いた。


「……すみません、分かりません」

「――ふぅ、こんなのも分からないとは勉強不足だな、もっと勉学に励みなさい。正解はファイヤーボールの上位魔法であるファイヤインフェルノの魔法陣だ。この魔法陣は上位魔法というだけあって、絶妙なバランスで組み立てられておる。つまり、上位の魔法であればあるほど組み立ては複雑となり、暗記だけでの行使は困難となってくる」


 確かに、ファイヤーボールとファイヤーインフェルノの魔法陣を見比べると、魔法陣に組み込まれている情報量は、ぱっと見でもファイヤーインフェルノの方が二倍以上はあるように見える。


「であるからして、これからより高度な魔法を扱いたいのであれば、魔法をパーツに分解して覚える事が非常に重要となる。例えば、このファイヤインフェルノを解析すると、ここに火の要素、そしてここに風の要素、この二つの要素を魔法陣の中で連結させているわけだ。このように、複雑な魔法陣であっても、分割して成り立ちを覚えておけば良いという事だ」


 なるほど、これまでは上位の魔法とは無縁だったから考えもしなかったが、確かに魔法陣として記憶するよりも要素ごとに分割して覚える方が格段に簡単だ。


 ……でも、それにしても複雑ではあるよなぁ。

 正直、アルスの頭ではこのレベルが分割して暗記できる限界だと思う。

 ファイヤインフェルノがレベル4難度だから、それよりも上位の魔法っていうのは、本当に魔力量と知識量の両方が備わっていないと、扱うことなんて不可能なんだという事を再認識する。


 ……いや、ちょっと待てよ。

 という事は、それよりもっと上位の魔法を平気な顔をして扱えるアスタロトさんって、どうやってあの複雑な魔法陣を扱っているのだろうか?

 今の説明だと、あんな人知を越えた魔法を扱うには、相当な知識量が必要となるはず……。


 そう思い、ちらりとアスタロトさんの様子を窺うと、そこにはなんだか腑に落ちないような顔を浮かべているアスタロトさんの姿があった。

 なんだろう、今の先生の授業に納得がいっていないのかな……?


「――なぁ、アルスよ。ここでは魔法をこのように教わっているのか?」

「え、はい。魔法の基礎知識は、先程のお話の通り学んでいますけど……」

「そうか、それではこの国の魔法レベルが低すぎるのも納得だな」


 呆れてアスタロトさんが呟くと、ルドルフ先生はその発言を聞き逃さなかった。


「――ほう、君が噂のアスタロトくんかね。今、この国の魔法レベルが低いとかなんとか聞こえてきたようだが?」

「あぁ、そう言った」


 あ、ヤバい――アスタロトさんの素っ気ない返答に、ルドルフ先生の顔色が明らかに変わっていく――。


「面白い、実に面白いなそこの悪魔よ! 我々魔法研究所の教える知識の、何がどう低レベルなのか今すぐ説明したまえっ!」


 激怒したルドルフ先生は、アスタロトさんを指さしながら声を荒げる。


 あぁ、やっぱり……。

 ルドルフ先生の怒りスイッチが、完全にオンになってしまった……。

 このルドルフ先生という人は、知識こそ人より群を抜いて優れているのだけれど、アルブールの火薬庫とも呼ばれる程、本当によく怒る人でも有名なのだ。


「そうか、なら遠慮なく言わせて貰おう。まず、魔法の基礎を完全に履き違えている。魔本来法は、暗記するようなものなどではない」

「ほう? ならば君は、暗記もせずどう行使するものだと言うのだね?」

「簡単だ、イメージするだけでよい。お前らのやっているのは、誰かが作成した魔法陣をただ真似て展開しているだけという事だ。魔法というのは、本来己のイメージを魔力で具現化し発動するものだ。その結果としてのアウトプットは同じであっても、そこに至るプロセスがまるで異なる」

「ふん、下らん。そのような議論は我々の中でも散々話し尽くされている事だ。実験だって何度もされてきた。だが、結論から言ってそんな事は不可能である! イメージという不確定なもので、魔法陣のような高度で繊細なアウトプットなど作れるはずもないからだ。――そこの悪魔よ、お前がそう言って人間の魔法を否定するのならば、証拠を見せてみよっ!」


 ルドルフ先生は、嘲り勝ち誇った表情を浮かべながらアスタロトさんを挑発する。


「――よかろう。ならばそうだな、暗記では不可能なレベルの魔法をここで使えば、貴様も納得がいくか?」

「ほぅ、面白い。やってみたまえ」

「ふむ、ではこれでよいかの。魔導の十七――タイムコントロール」


 アスタロトさんは淡々とそう詠唱すると、これまで見たことのない数の複雑な魔法陣を並行展開する。

 数にして、魔法陣が八つ――。


「な、なんだと!? 魔法陣を同時に八つ展開するだと!? しかもそのどれもが、有り得ぬほど非常に綿密な構造をしている!?」


 ルドルフ先生は目を見開きながら、信じられないものを見るようにそう叫んだ。

 ルドルフ先生だけではなく、上限とされてきたレベル10難度を遥かに越えるその魔法陣に、クラスの全員が同じように驚愕の表情を浮かべる。

 その未知なる凄まじい魔法を前に、この場にいる全員が恐怖する――。


「どうだ、これが暗記で出来ると思うか?」


 その反応に、嘲るようなアスタロトさんの言葉。

しかしその声が聞こえるのは、アルスの隣ではなく――、


「なっ!?」


 アスタロトさんは、なんと一瞬にしてルドルフ先生の背後に立っているのであった。


 ルドルフ先生も何が起きたのか全く理解できなかったようで、ただ口を大きく開けながら、驚愕する事しか出来ないでいた。


「あぁ、そうか。我は今、タイムコントロールで時間を止めて、お前の背後に来ただけだ」

「じ、時間を止めた……だと!?」


 時間を止める魔法だって……?

 そんな魔法がこの世に存在するなんて、当然ながら聞いたこともない。


 誰しもが一度は思い描いたであろう時間操作の魔法を、アルス達はたった今目の前で見せられたのであった。


「お前達のやっている方法を続けていては、千年経ってもこの領域にはたどり着けぬという事だ」


 人知を超えた有り得ない魔法を使っておきながら、興味を失ったアスタロトさんは「これで満足か?」とルドルフ先生へ一言告げると、何事も無かったかのようにゆっくりとアルスの隣の席へと戻ってくるのであった――。

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