第9話 一つ屋根の下
「アルスの寮は、ここからどれぐらいの距離にあるのだ?」
「え、えーっと、そうですね。ここからだと歩いて、大体一時間掛からないぐらいといったところでしょうか……」
「そうか、それは少し面倒だな」
「ま、まぁ、話しながら歩いていればすぐに着きますよ」
今日は色々とあり過ぎたことだし、この帰り道を歩きながら色々と整理したいなと思っていたアルス。
しかし、アスタロトさん的には我慢ならない距離のようで、その表情には面倒そうな感じが色濃く現れていた。
アスタロトさんは自分のことを、「闇を統べる者」と言う。
であれば、本来アスタロトさんはとても身分の高い――それこそ、王族のような存在なのではないだろうか。
であれば、この平民では当たり前の距離でも、アスタロトさんにとっては有り得ない距離だというのも何となく分からないでもない。
しかし、そうは言ってもここに馬車などは当然無いし、移動するにしても己の足以外には何も無いのだから仕方ない。
そんな事を考えていると、アスタロトさんは突然アルスの後ろに回り込み、そしてそのままアルスを抱き抱える。
そう、これはまさしく、お姫様抱っこである――。
お姫様のように美しいアスタロトさんに、しっかりとお姫様抱っこされてしまうアルス。
それは完全に男女逆だと思うのだけれど、相手がアスタロトさんでは仕方がない。
「今日はアルスも疲れておろう。だからさっさと帰るとしよう」
「だ、だからって、何故僕を抱えるのですっ!?」
「なに、ちょっと空を飛ぶだけだ」
そう言うとアスタロトさんの背中から、突然大きな漆黒の翼がバサリと姿を現す。
その突然の出来事に驚くアルスだが、今着ているドレスも魔力で出来ていると言うし、翼が生えても服的には問題ないのだろう。
しかし、相手は悪魔だと分かっていても、その人では絶対にあり得ない出来事に、アルスは抱き抱えられているという状況も相まって軽くパニック状態になってしまう。
それでもアスタロトさんは、気にする素振りも見せずそのままアルスを抱き抱えたまま空高く飛び立ってしまう。
「うわっ! じ、地面が遠くに!!」
「ん? あぁ、空を飛ぶのは初めてか?」
「あ、当たり前ですよ!? 使い魔も無しに、空を飛ぶことなんて人間には普通出来ませんから!」
「そう言えば、アルスはグリフォンが欲しかったと言っていたな。どうだ? 我はグリフォンより速いぞ?」
その言葉通り、既にグリフォンより速いアスタロトさんは、更に加速してみせる。
「ア、アスタロトさん! わ、分かりました! 分かったので、もう少し速度をー!!」
「落としはせんから安心せよ。それで、寮はどこか教えてくれ」
「え!? あ、あれですぅ! あの赤い屋根のぉ! 大きいぃ! 建物ぉー!!」
寮はどこかと聞かれても、速すぎる恐怖にアルスは最早それどころではなかった。
しかしなんとか下を向くと、丁度寮の特徴的な屋根が近くに見えたので、アルスは死ぬもの狂いでなんとか場所を伝えたのであった――。
◇
「アルスよ、ここで良いか?」
「……はい、ここです」
「どうした? 顔色が悪いぞ?」
「……いえ、大丈夫です。お構い無く……」
アスタロトさんのおかげで、アルスはものの一分少々で寮に着いてしまった。
しかし、たしかに時間は大幅に短縮出来たのだが、徒歩で帰る以上にへろへろになってしまったのはきっと気のせいじゃないだろう――。
「……えっと、ここが僕の部屋になります」
もういいや、とにかく早く休みたいと思ったアルスは、アスタロトさんを自分の寮へと案内する。
普段から片付けはしっかりとやっているつもりなので、問題はない……はずだ。
「ほぅ、中々良い部屋ではないか。それによく片付いておる」
「あはは、物が少ないだけですけどね」
寮は全部で三部屋あり、入ってすぐの一番広い部屋はリビングとなっており、キッチンと食事用のテーブルが置いてある。
そしてもう一部屋はアルスの寝室で、残りの一部屋は完全な空き部屋となっている。
改めて自分の部屋を見回すと、本当にただ広いだけで、我ながら全く物の無い殺風景な部屋だよなと思う……。
「では、そこの使っていない部屋が、今日から我の部屋という事で良いか?」
「え、ええ、そうですけど、本当にここで大丈夫なのですか? 今ならまだ、アスタロトさんの寮をちゃんと借りる事だって出来ると思いますよ」
「充分だ、問題ない」
アルスの心配を他所に、アスタロトさんは突然大きな魔法陣を展開しだす。
――え? いきなり何!?
突然の魔法に驚くアルスが声を発するより先に、なんと魔法陣の中から大きなベッドが出現したのであった。
――なに、その便利過ぎる魔法!?
もしかして、空間転移ってやつだろうか――見た事も聞いた事もない、その謎の便利過ぎる魔法。
「これでよし」
「いやいやいや! 今ベッド出しました!? どうやってこんな大きなベッドが!?」
「あぁ、これは空間魔法と言ってな、我の住む世界から配下の者に持って来させただけだ」
空間魔法――え、マジですか?
全魔術師が、一度は夢描く魔法――空間魔法。
もしそれが可能であれば、いつ何時でも好きな場所へ移動できたり、物を運ぶことだって容易になるだろうと、これまで数多の魔術師による研究が重ねられ続けているけれど、未だ実現しない空想の魔法――。
そんな有り得ない魔法を、自分の生活の中に当たり前のように取り入れているアスタロトさんは、やはりこの世の常識を超越した存在なのだとアルスは再認識させられる――。
「そうか、アルスは初めて見るのか。中々便利であろう?」
「は、はい……」
驚きのあまり若干の放心状態となるアルスに、そんなに驚く事かとでも言いたげな顔で微笑むアスタロトさん。
そして、もう用事は済んだとばかりに、そのままリビングのテーブル席へと腰かける。
「疲れたろう、アルスも座るとよい」
「は、はぁ」
ここは元々、アルスの部屋なんだけどなぁ……と思いつつも、今日からは二人の部屋なのだから間違っても無い……のかな?
そっか、二人の部屋……。
――ダ、ダメだ……、また変に意識してしまった!
急に高鳴り出す鼓動をなんとか抑えながら、アルスもアスタロトさんと向かいの席へと着席する。
「――ふふ、可愛いなアルスは。そんなに我と共に住むのが恥ずかしいか?」
「お、お見通しですか……。そ、そりゃそうですよ。女性の方と一緒に住むなんて、お、お母さん以外初めてですから」
「ふむ。では我が、アルスの初めてを奪ったわけだな」
悪魔的な笑みを浮かべながら、満足そうにこちらを見つめてくるアスタロトさん。
丁度テーブルの上には、その大きな胸が乗っかっており、元々露出の多いドレスからは谷間がしっかりと覗いて見えている――。
するとアスタロトさんは、そんなアルスの視線に気付いたのか、またニヤリと笑いながら、両方の腕で胸の谷間を更に強調して見せてきた。
――あぁ……やっぱりこの人悪魔だ……。
その悪魔的所業に、アルスはそう再認識させられたのであった――。
「あっ、そ、そうだ! お、お茶でも飲みますか!? 飲みますよね! 準備しますね!」
流石に居たたまれなくなったアルスは、顔を真っ赤にしながら慌てて立ち上がる。
そしてキッチンへと向かい、水を入れた魔道具を起動する。
この魔道具は、起動すると仕込まれた魔石が反応し、自動でお湯を瞬時に沸かす事が出来る便利アイテムだ。
その分結構値段は高かったのだが、ずっと重宝しているものの一つだ。
「ほう、魔法も抜きにお湯を生み出せるのか」
「ひゃぁ!」
いつの間にか真後ろにいたアスタロトさんが、耳元でそう話しかけてくる。
耳にアスタロトさんの吐息が当たり、驚いたアルスは思わず変な声を上げてしまう。
「ちょ、ちょっと! さっきからなんですか!?」
「すまんすまん、アルスが可愛くて、つい悪戯してしまったのだ許してくれ」
堪り兼ねたアルスに、アスタロトさんは笑いながら謝るも、その表情からはやっぱり面白がっているのが見て分かった。
でもこんな風に、自然な感じで微笑むアスタロトさんの姿はやっぱり美しくて、特別で、怒っていたはずのアルスだが、気が付けばその姿に見惚れてしまっていた――。
「……その、アスタロトさんって本当に綺麗ですけど、笑った顔はそんなに可愛いんですね」
「――な、なんだいきなり!?」
今日一日、アスタロトさんとずっと行動を共にしたけれど、ちゃんと笑っているアスタロトさんを見たのはこれが初めてだった。
その可憐な微笑みを前に、アルスはつい思ったままを言葉にしてしまったのだ――。
すると今度は、アスタロトさんの方が少し顔を赤く染める――。
そしてそのまま、誤魔化すようにくるりと後ろを向いてしまった。
――あれ? これってもしかしなくても……恥ずかしがってる、よね?
かつて世界を滅ぼしたとされる大悪魔でも、こんな風に恥ずかしがったりするんだなぁ――。
そうこうしていると丁度お湯が沸いたので、アルスは恥ずかしさを紛らわすようにお茶の準備を済ませると、先に戻っているアスタロトさんの待つテーブル席へと向かうのであった。
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