第3話 戦いではなく、ただの喧嘩

 

「あっはっはっは! おい、何だよこれ! やっぱりアルスだなやってくれるわー!」


 アスタロトさんとの自己紹介が済んだところで、ヤブン達がケラケラと嘲笑いながらこちらへ近付いてくる。

 その笑いは完全に、魔物ではなくアスタロトさんを召喚してしまったアルスの事を馬鹿にしており、未だ緊張の走るこの場においてヤブン達の笑い声は場違いであり、よく響いた。


「先生も先生だよ、悪魔って言ったって千年も前の話だろ? 今と昔じゃ、科学技術から魔法の質まで全然違うに決まってるじゃないすか。それにさ、希に王国内でも悪魔が召喚されて暴れ回ってるって聞くけどさぁ、それだって魔術師団に全部蹴散らされてるんでしょ」

「ほう? 貴様、要するに我など敵ではないという事か?」

「よく分かってるじゃん。大体さ、アルスなんかに召喚できる悪魔って時点で、程度が知れてるって話なんだわ。魔物じゃなくて、女が出てくるとかどんだけだよ!」


 そのヤブンの言葉に、取り巻き連中は腹を抱えて笑い出す。

 そして更に調子付いたヤブンは、今度はアスタロトさんの全身を上から下まで嘗め回すように見る。


「あーでも、見た目はすげぇ美人だよなアンタ。今すぐにアルスの元から去るってんなら、悪魔でもなんでもいいから、特別に仲良くしてやってもいいんだけどさぁ?」


 嫌な笑みを浮かべながら、ヤブンはとんでもない事まで言い出す。

 そして取り巻き達も、全員ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべている。


 ヤブンの取り巻きは、ヤブンを入れて全部で五人。

 性格は本当にどうしようもない連中だが、それでも学年でも成績上位の五人で、魔法のレベルもアルスとは比べ物にならない程高い。

 だからアルスに対してだけでなく、特に成績が下の方の生徒に対して、普段から酷い態度や発言を繰り返しているのだ。

 スヴェン王子やクレアが近くに居合わせてくれていれば、いつもすぐに止めてくれるのだが、それでも二人が見ていないところでずっと横暴な態度を取っている厄介な連中だ。


「アルスよ。もしかしたらだが、こやつらの言う通りかもしれん。我が蹂躙したのは、所詮は千年も昔のこと。現代の人間相手には、太刀打ちできない可能性がある」

「いや、そんなことは……」


 絶対にない――。

 正直、何故こんな一目見ただけでもヤバい事が伝わってくるアスタロトさんを相手に、ヤブン達はあんな態度を取れるのか不思議でしょうがないぐらいだ……。


「――だからのぅ、我の実力が現代の世界でどの程度通用するのか、あやつらで試してみたくなった」

「え!? そ、それはつまり、これからここで戦うということですか?」

「ああ、とは言っても、戦いになればいいのだが」


 そう言うと、アスタロトさんは不敵な笑みを浮かべる。

 それは確実に、自虐ではなく仕留めるべき相手を見つけた事に対する笑みだった。


 そうなると、これはもしかしなくても絶対に不味い状況だ。

 アスタロトさんが本気を出すまでもなく、ヤブン達は確実に死ぬ。


 確かにこれまで、ヤブン達には散々嫌な事をされてはいるけれど、だからと言って自分の使い魔が原因でここで死なれるのは困る。

 そもそもアルスは、争い事そのものが苦手なのだ。


 しかし、こうなってしまった今、アスタロトさんがここで引くとも思えない――。


「あ、あの! 僕がどうこう言える立場じゃないと思うんですが、その、絶対に殺すのだけは止めて頂きたいです」

「……ふむ、良かろう。これはあくまでただの喧嘩であり、戦いではない。アルスが望むのであれば、命までは取らない事を約束しよう。――そうだな、そのうえでまずは主に対して、我の力を示すのに丁度良かろう」

「おい! 何をさっきからゴチャゴチャ言ってんだよ!? 俺と戦うつもりなら、さっさとかかってこいよ。――おっと、でもそうだな! お前がアルスの使い魔だって言うなら、丁度良い。俺も早速使い魔を使ってみようじゃねーの!」


 そう言うとヤブンは、得意げにグリーンドラゴンを召喚する。


 ――ほ、本物のドラゴンだ! ち、近くで見るとやっぱり大きいな……。


 流石にアスタロトさんなら大丈夫だとは思うけれど、本物のドラゴンの迫力を前にアルスは恐怖する。

 魔法学校に通うただの魔術師見習いに、こんな恐ろしい魔物の相手が務まるはずもないのだ。


「……馬鹿にしておるのか」

「あ? なんだ、強がりか? お前より二十倍はでかい実物のドラゴンを見るのは初めてだったか?」

「……まぁよい、せっかくだ。お前だけじゃなく、あとの四人もまとめて相手してやろう」

「……ほう? よっぽど死にてぇようだな。――お前ら、構わねぇ。この生意気な女を分からせてやれ」


 ヤブンのその言葉が、戦いの合図となる。

 ヤブン以外の四人も、それぞれ使い魔を召喚し戦闘体制に入る。


 こうしてアスタロトさんの前には、魔術師五人とその使い魔五体。

 しかも一体は、グリーンドラゴンという化け物――。


 この戦闘力は、普通に魔術師団の一部隊を相手にするような戦力と言えるだろう。

 つまりは、魔術師団の幹部――いや、それよりも上のクラスでなければ、一人で相手できる数じゃない。

 しかし、そんな数の暴力を前にしても、アスタロトさんは顔色一つ変えない。


「いいからさっさとかかってこぬか。小わっぱども」

「て、てめぇ!! もうどうなっても知らねぇぞ!! いけ、グリーンドラゴン!!」


 激昂したヤブンが、グリーンドラゴンに突撃の合図を出す。

 それと同時に、他の四人も自分の使い魔をアスタロトさんへ突撃させる。


 そして五人は、続けてすぐに攻撃魔法を展開する。

 流石は成績上位者、展開している魔法はどれも学生が扱うにしては高レベルな魔法ばかりだ。


 ちなみに魔法には、全部で十段階にレベル分けが存在する。

 一般の魔術師が扱えるのは、魔導の二(レベル2)程度。

 魔術師団クラスとなると魔導の四(レベル4)、更にはそのトップであるサミュエル団長クラスになると、なんと魔導の七(レベル7)まで扱えるとされている。


 それより上位の魔法については、一部の魔族や上位の存在のみが使えるとされているが、それも書物での伝承に記されているだけで、本当に存在するのかどうかも分からない次元の話だ。


「死ねぇ! 魔導の三ファイヤーボール!」


 ヤブン達五人は、全員でレベル3のファイヤーボールをアスタロトさん目がけて撃ち込む。


 使い魔五体を突撃させ、更には高度な魔法を五人分同時に向けるなんて、それはもう確実に相手を殺しにかかっていると言えるだろう。

 そんな容赦のない攻撃に、アルスは慌てて声を上げる。


「危ない! アスタロトさん避けて!!」

「――アルスよ。この程度問題にもならないから安心せよ」


 アルスが必死に声を上げるが、アスタロトさんはそう言って無造作に右手を前に突き出した。

 すると次の瞬間、突撃をしていた使い魔達は見えない力に弾き飛ばされ、ヤブン達が放った魔法も一瞬で消失してしまう――。


「なっ!? なんだ、何をした!?」


 その有り得ない事態に、驚きを隠せないヤブン達。


 確かに、今一体何が起こった――?

 いきなり使い魔が吹き飛ばされたかと思えば、ヤブン達が撃ち込んだ魔法も一瞬で消失してしまったのだ。

 それはヤブン達だけでなく、ここに居合わせた全員の理解が全く追い付かない事態だった――。


「どうした、もう終わりか? 来ないのであれば、今度はこっちの番だな」


 そう言うと、アスタロトさんの前に巨大な赤い魔法陣が展開される。

 アルスが唱えた使い魔召喚の魔法陣と同じく、まるで血液のように真紅に輝く魔法陣――。


「我に干渉したいのであれば、最低でもこれぐらいは使ってみせよ。――魔導の九 グラビティボール」


 そう告げると、展開された魔法陣から漆黒の巨大な球体が飛び出す。

 そして飛び出した球体は、ヤブン達の上空でピタリと止まる。


「な、なんだ!? それに今、魔導の九って……」


 得体の知れない、魔導の九の未知なる魔法。

 既に戦意を失い、ただ恐怖に震えるヤブン達だが、腐っても魔法学校の成績上位者達だ。

 五人は咄嗟に上空に向かってシールド魔法を重ね掛けし合い、その身を守ろうとする。

 しかし次の瞬間、発動した球体から生じ重圧により、展開したシールド魔法ごと押し潰されるように全員地面に打ち付けられてしまうのであった。


 これはきっと、その名のとおり重力魔法なのだろう。

 重力を操る魔法が存在するなんて、授業では学んでいないのは勿論、これまで読んだどの書物にも載ってなどいなかった。


「ふん、主であるアルスが殺すなと言うから力は加減してある。暫くそうして地面に這いつくばっているのが、貴様らにはお似合いだな」

「う、うぐぁ……身体が……くそ……」

「ふむ、ではさっきのお前」

「は、はいぃ!」

「五分したらこの魔法は解いてやる。骨の一本ぐらいはいっているだろうから、そのあとの面倒はお前に任せていいか?」

「え、ええ、分かりました!」


 呆然と成り行きを見守ることしか出来なかった先生は、急に指名されたことに怯えつつもアスタロトさんの言葉に従う。

 教師としての立ち位置もあるのだろうが、その得体の知れない恐怖から今はそう答えるのがやっとといった様子だった。

 それは先生だけでなく、居合わせている全生徒が同じであった――。


「……ふむ、少し目立ち過ぎたかの。すまんな、アルスよ」

「い、いえ。アスタロトさんって本当に凄いんですね」

「まぁな、どうやら我の実力は、現代でも十分通用するようで安心したぞ。しかし、グリーンドラゴンごときが我に突進してくるとは、笑いを堪えるのに必死だったぞ」


 そう言うとアスタロトさんは、先程までの厳格な雰囲気を崩し、さっきの光景を思い出すようにクスリと笑い出す。


 その初めて見せるアスタロトさんの気の抜けた姿に、アルスは思わず見惚れてしまう――。

 今そんな事を考えてる場合じゃないのは分かってはいるのだが、それでもこれまで出会ったどの女性よりも、可憐で美しいと思ってしまったのであった――。

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