第21話 前夜

 作戦実行までにはもう時間が無い。タツヤは最後の仕事を片付けるために、平壌市街にあるソフィアのマンションに戻った。

 深夜、マンションの入り口を覗っていると、大きなトランクを引き摺った白人女性が現れた。平壌でも珍しいベンツのSUVが滑り込んでくると、女性を乗せどこかへと走り去る。

 人影が無くなったことを見計らって、マンション内部に進入すると、マンションの中は、心なしかいつもより静まっているように感じた。

 影を伝ってソフィアの部屋まで辿り着き、合図のノックをする。静かに扉が開けられ、タツヤは部屋の中に滑り込んだ。

 電気の消された玄関で、ソフィアがタツヤに抱き着いて来る。

タツヤはソフィアの背中を撫でてやりながら尋ねた。

「随分静かだな」

「人が減ってるのよ」

「さっきエントランスで、白人女性が出ていくのを見た」

「ああ、セシルね。彼女は国家保衛相の愛人なのよ。私に探りを入れてきたから逆に利用させてもらってるわ。セシルもついに北朝鮮を脱出するのね。最近、党の幹部や軍の高官たちが、愛人に貯め込んだ貴金属を持たせて国外に脱出させているのよ。そのせいで、このマンションも人が減っているの」

「戦争が近いからか?」

「そうね。党や軍の上層部には開戦の噂が拡がっているわ。でも、誰も止めようとはしないし、止める勇気もない。そのくせ、自分だけは助かりたいと思っているし、助かると勘違いしているのよ」

 強固な独裁国家も内実はこの通りなのだ。プロパガンダに踊らされて、喜んで死んでいくのは貧しい国民だけだ。

 タツヤはリビングに入ると、置かれていた大型液晶テレビを分解し始めた。何点かの電子部品を抜き取ると、どこから用意したのか古いハンダごてを鞄から取り出し、発信機と受信機らしきものを組み立て始めた。

 タツヤのための食事を用意していたソフィアが尋ねる。

「何を作ってるの?」

「それは秘密さ。ちょっとしたドッキリを仕掛けるつもりでね」

 お偉いさんたちが国を裏切っているんだ。ウジュたちが同じことをしても文句は言えまい。タツヤは握り飯を頬張りながら冷笑を浮かべた。

 核兵器に良し悪しは無いが、敢えて言うなら、北朝鮮の核は最悪の核だ。

 国家を守るものでもなく、国民を守るものでもない。

 経済を疲弊させ国民に多数の餓死者を出しながら、強引に開発を進めてきた核兵器は、将軍様の独裁体制を維持するためだけに必要なものだった。

 将軍様は核兵器と言う高価な玩具に夢中になり、取り巻きの高官はそれを諫めようともせず、保身のためにひたすら忖度に走る。

 腐臭を放つこれらの人間を始末する仕事は、冷酷な悪人を自認するタツヤにこそ相応しい。

 その夜、タツヤとソフィアは暗殺実行日の詳細について遅くまで打ち合わせた。

 暗殺実行後の脱出は暗殺そのものよりも難しい。タツヤはソフィアを無事に北朝鮮から脱出させなければならなかった。

 ソフィアに対してだけは、タツヤは任務のために冷酷な悪人に徹することが出来なかった。それはタツヤにとっての唯一の弱点とも言えたが、その弱点が無ければ、タツヤはタツヤのままで居られないのだ。

 夜明け前、タツヤは再び、ソフィアの住む高級マンションから静かに姿を消した。

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