第19話 セシル
同じマンションに住むセシルがソフィアに声を掛けてきたのは最近のことだった。
住民同士が交流を持つことが珍しいが、セシルはソフィアから財閥の動きを探りたがっているようだった。
恐らく当局の指示によるものだと思われたが、ソフィアはその動きを逆に利用することにした。
セシルはベラルーシ出身の白人女性で、マンションの住人の中では目立っていた。
一目で外国人だと分かる外見であるため、これまで孤立感が強かったのだろう。歳が近く同じような立場のソフィアと意気投合し、お互いの部屋に招いてお茶をするようになっていた。
「もう直ぐ戦争が始まるらしいわよ。私は北朝鮮を出ようと思っているの」
当初の目的とは裏腹に、セシルは愛人から寝物語で聞いた話をソフィアに漏らすようになっていた。
セシルの愛人は国家保衛相だった。そこから漏れてくる情報には一級の価値がある。
「この国に来てから五年になるけど、そろそろ子供の居るベラルーシに戻るわ」
セシルは十七歳の時に子供を産み、二十二歳の時にベラルーシに赴任していた愛人と出会い北朝鮮に連れて来られた。セシルにとっては出稼ぎに来ているようなもので、国交のあるベラルーシには、年に一度里帰りしている。
「子供が居るっていいわね」
ソフィアはポツリと呟いた。
セシルは再び子供と一緒に暮らすことを希望にして、この五年間耐えて来られたのだろう。
戻るべき場所があるセシルのことがソフィアには羨ましかった。
タツヤの子供を産み、タツヤと子供と一緒に暮らすことを一瞬夢想したが、それは叶わぬ夢だ。
タツヤは任務の足枷となる子供を望まないだろう。
兄妹の中でも、ボブは結婚し子供も居る。家庭を作ることは不可能なことではない。
しかし、タツヤは人として孤高なのだ。
ソフィアもいずれタツヤに対する依存を断ち切らなければならないと分かっているのだが、それを考えると切なくなった。
「ソフィアも早くこの国を出て、良い人を探した方がいいわよ。戦争が始まれば平壌も被害が出るでしょうし、親中派の軍高官がクーデターを起こすって言う噂もあるらしいの」
別のことを考えていたソフィアの意識が、セシルとの会話に引き戻される。セシルの口からは、漏れてはいけない情報が次々と漏れ出してくる。
「クーデター?」
「ええ、中国が親中派の軍人を使って、一気に北朝鮮の体制変換を図ろうとしてるんですって。ソフィアのところの財閥も、親中派の軍人と関係があるでしょう。何か聞いてない?」
セシルが探りを入れたかったのは、その情報だったのだ。
国家保衛省が情報を追っているなら、タツヤの計画とは別に、親中派の軍人によるクーデター計画が現実に存在しているのかもしれない。そうであるならば、そのクーデター計画に当局の目を引き付けておくことは、タツヤにとっても有利になるはずだ。
「そう言えば、最近になって、女主人が頻繁に親中派の軍人と会っているみたい。結構な額の資金も提供しているようなの。でも、この話は内緒よ」
「ええ、誰にも言わないわ」
そう言いながら、セシルの瞳の奥は煌めいていた。
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